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旅の風から『宗教改革の足跡とバッハをたどる10日間』その1
明日から10日間の予定で、ドイツとスイスへ出かけてきます。 無事に旅を終え、見聞したいくつかをご紹介できたらと願い祈っています。
2011.09.25 Sunday 16:44
世相の風から 風が吹けば桶屋が――
それにしても、台風15号は暴れ者だった。つい先頃の12号が紀伊半島に甚大な被害をもたらしたこともあって、このたびは神経質に進路を睨んでいた。海上に去ってくれることを願っていたが、浜松から上陸して、各地を水浸しにし、暴風を振り回してところ構わず体当たりした。友人が、近くの公園の大樹が2本、根こそぎ折れて倒れていたと話してくれた。 災害に弱い夕方の首都圏は、足を奪われて立ち往生。駅々に帰宅困難者があふれていると聞いて、半年前の3・11の再来のような気がした。帰宅困難者などと言う物騒な言葉に、こんなに早く再会するとは思ってもみなかった。首都圏機能が弱いのか、自然災害が多すぎるか、びっくりしてしまう。災害は忘れた頃にやってくるとどろか、対策を立てる暇もないではないか。 台風は多くの場合、上陸すれば勢力が衰えるのに、15号はそんな気配は微塵も見せず、かの被災地に新たな涙を流させ、北海道にまで暴れ込んでいった。なんということだろう。 さすがに今朝は雲一つ無い台風一過。見ればあちこちに破れ傘の残骸が散らばっていた。捨てていく人も心無いが、どれほどの傘が壊れただろう。ビニール傘ならいざ知らず、れっきとした布張りの傘も一瞬にして折れたという。被害が傘くらいなら目をつぶろう。人命も、家屋も、田畑も、いのちとともに生活の必需品が流され破壊した。今年の日本は惨憺たる姿を晒している。風が吹いて儲かる人はいない。 猛威に直撃された方々に心からお見舞い申し上げます。 2011.09.22 Thursday 22:14
世相の風から ことばは変わる
文化庁の国語に関する調査結果が報道された。一部しか見ていないが、『姑息』、『雨模様』、『号泣』などが本来の意味からずれて理解され使われているとのことだった。思えばこうした現象は今回の調査に限ったことではなく、過去にもいくつもの例があったと記憶する。 ことばは生きていると言われる。時代の流れの中で良きにつけ悪しきにつけ、違ったカラーを塗られたりあるいは脱色されて、徐々に姿代わりしていくのもらしい。 『ら』抜きことばはいまだに大いに違和感がある。『食べられる→食べれる』、『見られる→見れる』などを使う人の前では、つい、しっかり『ら』入りのことばを使ってしまう。ところが嫌みと気が付かないようなので、拍子抜けしてしまう。それも時代の流れかと思わざるを得ない。 『広っ』、『早っ』、『でかっ』『寒っ』なども、最初はなんの事やらわからなかった。それが、形容詞の語幹だけを使ったのだとわかって、なるほどと、思わず頷いてしまった。なかなか味のある使い方ではないか。時代のセンスだなあと思う。『ら』抜きより抵抗がない。もちろん、これは書き言葉としては使わないだろう。ところが『ら』抜きは文章にもみられる。これに違和感があるのだ。でも、市民権を得ているようだ。 ついに《死語》として葬られてしまうことばだってたくさんあるのだ。いたましい。 私は日本人だからだろうし、外国語に堪能ではないからだが、日本語を愛している。なんとかして、その持ち味を生かした使い方をしたいといつも思い、願い、努めている。季節表現だけを取ってみてもなんと豊かな思いに導かれることだろう。日本の一年は絶妙なバランスで四つの季節を持っており、その四季にふさわしいことばが豊富にある。都会にいて、鳥の声も蝉の声も虫の音も微かだけれど、四季のことばを眺めたり思い浮かべるだけでも楽しめる。 神様は【バベルの塔】を破壊され、人々と言葉を全世界に散らされたが、人々は、創造のみ業の中で与えられた能力を使って、住み着いた地域にふさわしい自分たち固有の言語を作り上げていった。世界が一つ言語でなくてよかったのだ。苦労して外国語を学ぶのもまたよし、ではないか。 2011.09.19 Monday 22:10
心の風から 9月に刻まれたあの日々のこと
9月には忘れてはならない日がいくつも刻み込まれている。記念日ということばで一括りにしていいものかとおもうけれど。ともかくも近年の筆頭は、2001年のアメリカ合衆国同時多発テロであろう。あれほど恐ろしい事はなかった。太平洋を隔てたよその国のこととはとても思えなかった。それほど強烈な衝撃を受けたのは、一つにはテレビを通して、まるでその瞬間、現場に居合わせたような気になったことだろう。あの事件は、単にアメリカ一国にとどまらず、その後の世界情勢を大きく変えてしまった。そして10年。負の状況はますます深刻さを増している。 そして、同じ9月11日は、私たちの国の、それこそ目の前で起こった東日本大震災からちょうど半年に当たる日である。被災の中心地三県にはいなかったものの、計り知れない影響を受け、小さいながら体験もした。あの時のあの瞬間も、テレビを通してリアルタイムで、まざまざと見聞きした。数日間はテレビに釘付けだった。我が事のように強い恐怖を感じ、痛み、悲しみ、苦しんだことはよかったと思う。たいしたことはできないまでも、何かしなければと、腰を上げたり、立ち上がったり、何よりも祈り続けていることは、私にとっては大きな行動である。 身近なことでは、昨年の9月4日は、かっきり20年間薫陶をいただいた偉大な恩師、お茶の水聖書学院理事長学院長増田誉雄師が天に凱旋した日である。このたび召天一周年記念の追悼会が持たれた。(私は原則としてブログには個人名は記さない主義であるが、有名人はゆるしていただこう)。学院だけで開いたのではない。先生が活動した5つの団体が係わった。5つの団体の方々がそれぞれに先生の力あるお働きを紹介された。私にとっては学舎の先生としてのお姿しかない。それで十分であり、十分以上のお方であった。しかし、多方面でのご活躍を知って、今さらながらに偉大なお働きに感動し主を誉めたたえた。こうしたお方に、20年間も、親しいお交わりをいただき、切っても切れない師弟関係にしていただいたことに、身に余る光栄を感じ、これも今さらながらに感謝した。 私一人がこうした思いを抱いているのではない。学院で机を並べた同窓生たちが、輝かしい同様の記憶をたくさん刻みつけている。会場で、多くの懐かしい友と再会した。めったにお会いできない先生方や知人たちにもお会いできた。会場は明るい雰囲気だった。その明るさは、先生が天におられるという福音の力からくるのだ。これは、うわべやいいならわしだけの天国感ではない。イエス・キリストの復活の事実に裏打ちされているのだ。会場のだれもが信じて疑わない確信によるのだ。悲壮感を秘めてしがみついている信念ではない。ごく、ごく自然に、満ちあふれる喜びであり平安なのだ。そして、この世にはこの麗しさを奪う力は存在しない。 9月は地球規模の悲喜哀楽を包んだ無数の過去を担いながら、さらに創造のみ業による今日という新しい一日を前進していく。神が造られ与えられた9月の新しい一日を、希望の風、秋の涼風に吹かれて雄々しく歩みたい。今日の一日はこの日限りであり、かけがえのない一日なのだから。 2011.09.13 Tuesday 11:44
日々の風から 飲むこと食べること
台風12号が日本列島を暴れ回った。局部的には3・11を思い出させるような惨状だ。復旧には長い時間が要るだろう。なんと辛いことか。暗澹たる思いになる。 娘家族がそれぞれ慌ただしく今日の自分の場へ出かけていったあと、一人朝食をいただく。食卓に並べたものは粗食のサンプルのようだ。栄養バランスも必要だろう。でも、あれも、これもと、足し算するのはどうだろうか。努めて素食にしている。一汁一菜でいいではないか。一切れのパンあるいはご飯、一杯のミルクあるいは味噌汁、そして果物の一かけもあれば十分である。久しぶりにリンゴがおいしかった。もうリンゴの季節がやってきたのだ。これからはリンゴは欠かせない。これで素食と言えようかと笑われそうだが。 リンゴを自分の歯で味わいながら、最近、舌の障害で苦しんでいる友を思い出した。彼は舌の機能に障害が出たのだ。歩くことも考えることも手足を使うことも不自由はないのに、舌が思うように機能してくれない。食べてもそれを喉に運ぶのは舌の機能なのだ。飲み物を喉に運ぶのも舌の働きなのだ。まかり間違うと誤嚥が起こり、激しくむせるという。飲食物はすべてとろみをつける。少しずつしか摂れない。一日に何度にも分けていただく。その手間がたいへんだそうだ。 彼は悲鳴を上げている。社会の第一線を大手を振って歩いてきた超エリートだった。たくさんのすばらしい業績を積んできた。その彼が、まるで赤子のように、食べること飲むことに苦しんでいる。どんなにか苦しかろう。辛かろう。そのギャップを受け入れ、穏やかになるまでには人知れない苦闘が続くだろう。だれも代わることはできない。真の慰めも助けもできない。 固いパンを難なく食し、熱いミルクを楽しみ、リンゴを味わいながら、こんな単純なことすら困難になるときが来るのだとしみじみ思った。 人を生まれる以前から知っておられる神様は、その人の終りも確実にご存知だ。 『人の齢は70年、健やかであっても80年』と神は言われる。だから『飲むにも食べるにも神の栄光のため』にのみしたいと思う。明日のことを思い煩うことなく、今日一日を全力を尽くして主の業に励みたいと思う。 2011.09.06 Tuesday 11:35
日々の風から 9月の顔いろいろ
月が変わった。早や9月。まだまだ暑いし、台風12号が近づいているためかひどく蒸し暑い。時々びっくりするような強い雨がたたきつける。その合間に、すうーと、冷風が吹き抜ける。めまぐるしい変転である。これが9月の顔なのかもしれない。 孫たちも学校が始まった。これは夏の終りを告げる鮮やかなシーンである。昨今は初日から給食がある。帰宅は中学生ともなれば夕方である。休みの間は、昼食の用意に追われていた娘も一息ついているだろう。育ち盛りの子どもたちは、夏といえども食欲に変化はない。眺める分には頼もしくて楽しいのだが、食べさせる側はたいへんだ。 仕事を持っているお母さんたちは一夏、子どもたちの昼食には悩まされたことだろう。 学校給食に賛否やその他話題は事欠かないが、家の食事より栄養バランスがいいのは間違いない。子育て中だったころ、給食が始まるとホッとしたものだ。 9月は天候だけでなく人間界も慌ただしい。国の行政の中心たる内閣が新しくなる。新総理大臣が決まって、新しい風が吹いてきた。この風が順風になるか、逆風になるか、まだ未知だが。しかしみんな期待している。その期待の中身が問題だ。期待を自分にとっての利益の面だけで捉えたら早晩失望するだろう。総理は自分の願いを叶えてくれる打ち出の小槌ではない、また、自分一人に仕えてくれる召使いではない。 まず、大震災後の続きを被災者の立場になってしっかり進めてほしい。実際は、まだほんの一歩、二歩のところではないだろうか。被災した方々が、大きな犠牲に喘ぎながらも、ひとまずはこれでいいと思えるような新しい生活と希望を提供できたらいいと思う。 新内閣のみなさん、頑張ってくさい。国民は被災地のためなら、少しばかり負担が掛かってもと、みんなそっと思っているのです。人ごとではないのですから。 2011.09.01 Thursday 22:04
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