人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

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世相の風より  菅さんは泣かなかった
 

何はともあれ、菅さんは3・11という未曾有の国難のまっただ中に居合わせ、私心なくふたごころ無く全力投球して働いてくださったと信じ、感謝しつつ、お疲れ様でしたと申し上げたい。政界には無知な一市民であるが、吹いてくる世相の風からそのように感じた。公人のある方が「だれがやっても、あの惨事では完全なことはできなかっただろう。それをよくやったと思う」と述べておられたが、同感である。

 

何よりも、なによりもこの数ヶ月、罵詈雑言で辞めろ、辞めろとしか言わなかった方々にあきれ果てるのみ。にもかかわらず菅さんは泣かなかった。陰では泣いただろう。歯ぎしりしたかもしれない。でも、人前では泣かなかった。泣かないでがんばった菅さん、お疲れ様。今後とも日本のために信念をもってしっかり働いてください。

 

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日々の風から 熟女の涙 その3

シー


 

最近、一組の初老のご夫婦の暮らし方を通して、熟女たる妻の悲哀に満ちた涙を見たが、今度は、老い切って明日をも知れない母の姿に涙する初老の娘の切ない涙を見た。さて、まるで続き物語のように、またも熟女の涙を見たのである。思いがけない展開に驚いているが、彼女たちの涙は何を意味するのか。多くを考えさせられながら、その3を記してみる。

 

Yさんは50代半ば、舅姑、小姑まで数人いる大家族の長男の嫁である。結婚してすでに30年近く経っているから、嫁であっても今は一家を支える大黒柱である。80歳を越えた、半分介護の必要な舅姑の世話をしている。子どもは一男二女。当初は、よくあのような大家族に嫁いでいくなあと、その勇気に感心したものである。

 

実に幸いなことに、舅姑、小姑も絵に描いたように優しいいい人たちであった。夫なる人も、今時珍しい好人物。小さなことに拘らない明るく楽しく、何よりも優しい人である。早く言えば母に甘え、妻に甘える典型的長男。Yさんはそれこそ死にものぐるいで家族を愛し、家族に仕えた。特に、子どもたちに激しい愛を注いだ。あそこまでしなくてもいいのではないか、過保護ではないかと思うほどであった。

 

家中がYさんに一目置き、Yさんに従った。夫までも従った。Yさんの誠実な愛が一家を覆い、一家は優秀な船頭に舵を取られて、悠々と航行した。多少の波風などなんのその、その時こそYさんは才覚を発揮し、一家を守った。Yさんは自他共に、家庭という城の主であり、天下人であった。

 

家族のだれ一人として大きな病や出来事にであうことなく、経済も恵まれ、親の代からの豪邸があった。貧しい人たちはちょっとうらやんだ。苦労知らずの奥様と見た。

私はYさんと家庭の中に微かなきしむ音を聴いた。

 

あるところの会食で同席した。挨拶を交し、ご家族の安否を問うた。成長したお子さんたちの様子を話題にした。長男は一流私大を卒業、大学院に進んである専門学を研究している、二人の娘さんはOLをしていると聞いていた。舅は在宅介護が進んでいるが姑がお元気でしっかりお世話していると。

 

Yさんの口調がこごもって、不意にと切れた。「子どもたちはだれも独立しない。いまだにずっと家にいる。もう30近くなるのだから一人くらい結婚してくれてもいいのに。家に帰ってくると縦にも横にも体を動かそうとしないのよ」不満げである。

「おうちが居心地がいいのよ。お母さんのそばがいちばん安心なんじゃないの」私はありきたりのことを言った。

「ずっと、朝昼晩の食事、洗濯、掃除ばかり。食事の買い物だけでもたいへんよ。みんな大の大人なんだもの。娘たちは外食もしないし、外遊びもしない。休日は家にいっきり。それに、それに、息子が、実は、最近閉じこもりなのーーー」

 

えっ、意外だった。見れば、Yさんの目から大粒の涙が今にもこぼれそうだった。私は言葉がなかった。彼女、疲れているな。とっさにそう感じた。30年、風に向かって、風を切って、一目散に走りに走った。大家族を一列に並べて、先頭を走り続けた。しかし、疲れたのだ。そう言えば表情がこわばっている。欝にならねばいいがと思った。

 

Yさんはまだまだお若い。舅姑、ご自分の両親を看取らねばならない。これだけでも一大事業だ。きっとやりこなしていくだろう、Yさんのことだから、と思いながらも、もう少しYさんに近づき、心を寄せて、Yさんは気づくはずもないだろうが、祈りの手を組み合わせたい。そして、せめて涙を流せる場所になりたいと思った。

 

 

 

このところ、人様のプライバシーにふれるような記事を書きましたが、決して、これはあの人のことねと、わかるようなにはしなかったつもりです。年齢、性別、その他で事実をアレンジしましたので。私の周辺におられる方々は神様が愛と祈りの対象として備えられた貴重な存在だと確信しています。だからこそ、深い関心を抱きます。

 

3人の熟女の涙はそれぞれの人生の今現在の一つの結晶ではないかと思います。でも、結果ではありません。これからまた熟女たちはそのエネルギーと賢さを用いて、苦闘の涙を喜びと感謝の涙に変えることでしょう。その秘訣はなんでしょう。真の解決策はどこにあるのでしょう。少なくとも自分の内側にないことは明白です。彼女たちが、その真理を発見し、【真理と道といのちの希望の風】に自分を明けた渡す日を祈っていきたいと思いました。愛する熟女たちに、神の祝福がありますように。

 

 

 

 
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日々の風から 賛美は緑風となって


夏のホッコーヒー

 


急に秋風が立って、このまま本物の秋に突入するのか、夏の勢力が盛り返して、再び私たちを熱波の中に引き戻すのか、いっこうに予測はできませんが、まずは目の前の涼しさに大喜び、息を吹き返しています。今の内に体調の調整をして、明日からの日々に臨みたいと思います。

 

もう一つのブログ『聖書の緑風』で、連続10回にわたり、賛美歌を紹介してきました。歌詞を載せました。よかったらお訪ねください。

 

『ガリラヤの風かおる丘で』歌詞・別府信男、曲・蒔田尚昊

(日本基督教団出版局 讃美歌2157番) 

 

『みことばをください』

歌詞・今駒泰成、曲・小山章三(日本基督教団出版局 讃美歌2158番)

 

『御霊よ 降りて』

歌詞・Elwood HStokes 曲・John RSweney 

(日本基督教団出版局 讃美歌499番 または 教文館発行 新聖歌136番)

 

『わがためイエス君』

歌詞・GLADYS W ROBERTSUN)曲・W.G.OVENSUN

(教文館 新聖歌103番、聖歌437番)

 

『もしも私が苦しまなかったら』作詞・水野源三 作曲・高野忠博

((教文館 新聖歌292番)

 

『朝 静かに』作詞・水野源三 作曲・武 義和(教文館 新聖歌334番)

 

『シャロンの花』作詞・IDA.A.Guirey 作曲・Charles HGabriel

(教文館 新聖歌286番)

 

『御翼のもとに』作詞・WILLAM OCushing 曲・Ira DSankey

(教文館 新聖歌256番)

 

『移りゆく時の間も DAY BY DAY

作詞・LINA SBERG 作曲・OSCAR AHNFELT(教文館 新聖歌339番)

 

10個目

『心くじけて』作詞・Civilla DMartin 曲・Charles HGabriel

(教文館 新聖歌285番)

 
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世相の風から またも熟女の涙

 

あまりに暑いので、投函がてら近くのスーパーに飛び込んだ。買い物ではなく涼を求めてである。フラワーショップから入って、フルーツの棚を見る。もう、大きなみずみずしい梨や桃やぶどうが中央の座を占めている。とにかく一巡したら出るつもりでいたら「あら、最近お会いしませんでしたね」「こんにちは。お元気ですか」友人に近い地域の女性Sさんとばったり出くわした。

 

「お母さん、お元気ですか」と尋ねると、「これから様子を見てこようと思って」と言うなり「お聞きしたいのですが、今、いいですか」私たちは通路の端によった。それから延々と話しが始まった。

 

Sさんの母上は埼玉の奧の実家に長男ご夫婦と住んでおられる。96歳である。お元気なころは東京の彼女宅によく長逗留しておられた。実の娘の方が長男とはいえお嫁さんよりはよかったのだろう。しかし、自分の家は埼玉だし、長男は自分を世話する義務がある、また、それだけのことはしてきていると断言して、だんだん上京の回数が減り、今はすっかり老いて、身の回りはできるが、半分長男のお世話になっている。

日に何度も買い物に行って同じものを買ってきてしまう。買ってきても冷蔵庫に入れないでそのまま起きっぱなしなど奇異行動も目立つようになった。

 

近年はSさんが埼玉まで通っている。長男夫婦も年取ってきたし、何かと不行き届きが見える。気になってしかたがない。一晩いっしょにいて帰ってくる。私も母上を存じ上げていた。することも、お話しも達者で、楽しい方であった。だからSさんに出会うとすぐにお母さんは?と出てしまうのである。

 

「母が、最近おかしいのです。あんなにおしゃべりし、同じことばっかり言って、うんざりするほどだったのに、すっかりしゃべらなくなったのです。もう近いんでしょうか。お母様はどうでしたか」彼女の目は真剣だった。

 

「口をきかなくなるともう最期だと聞いたことがあるので、気が気じゃないんです。あの年だから、いつでもという覚悟はあるんですけどーーーー」声が詰まった。ふとみると落ちくぼんで大きくなった目が潤んでいる。

「病気で長く寝込んでいるわけではないし、そのこと一つだけで一大事にはならないでしょう。でも、気になるならできるだけ行ってそばにいてあげるといいでしょうね」

 

そういえばSさんは心理的にはお母さんに依存することが大きかった。ご主人が仕事一筋の方で、いままでもSさんはご主人のことは話題に出したこともなく、時にお義理にでもお聞きすると、あんな人はと、話題をそらしてとりつく島もなかった。Sさんはその分、母上を頼りにし、しっかり者の母上に心を預けていたのかも知れない。もしかして、母上にもしものことがあったら、想像以上の打撃を受けるかも知れない、とそんなことを考えた。

 

つい先日は夫婦関係のことで妻たる熟女の涙を見た。この日は老いた母上を心配しての娘の涙である。みんな弱いがやさしく熱く生きていると思う。他人事で申し訳ないが、今の私は少しでも深く親身に理解し、祈っていきたいと願っている。そして、もう一人、熟女の涙を見てしまった。また書きます。

 

 

ついでではありませんが、今日は66回目の終戦記念日。今年は3・11と重なって、日本中が今まで以上にひとつになって平和を祈り、被災地の復興を願ったのはよかったと思います。この祈り、この願いだけは年々強く熱くなってほしいものです。

 

 

 

 
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日々の風から 今年の夏物語り その3

夏カレー

 夏野菜たっぷりのカレー


しんと静まりかえった我が家にひとり居る。日本中ほとんどいっせいに夏休みに入ったせいか交通量も少ない。その分、町の騒音が低い気がする。お正月とこの時期の二回だけの特別な静けさである。町全体が上にも下にも、横、縦にも広がったような気がする。

 

我が家の騒音部隊も全員外出した。いつもは働き通りの婿殿もここ数日は解放されて家にいる。とは言え、昨日からずっと、これも年に二度の大掃除に明け暮れている。ふだん女性たちでは手の届かない大物掃除に当たっている。夏だけの、家の外壁の水洗いである、家のシャワーである。念入りにしてくれた。家も涼しく感じているだろう。そのあとは網戸、高いところのガラス吹きをしてくれた。Mちゃんがよく手伝った。ついに水着に着替え、時々頭から水浴びしている。パパの片腕のSくんは部活で朝から出ていった。暗くならなければ戻らないだろう。しかたがない。

 

二日がかりの大掃除を終えて、この午後は、かねてから楽しみにしていた、この夏いちばんのイベント、東京ドームへ野球の観戦に出かけた。多分巨人戦でしょう。孫たちは大ハリキリ。かくて、我が家は森閑となった。

 

外には出られない。この炎暑、いや、火炎の中に飛び込む勇気はない。在宅もまた楽しからずやで、いくことにする。ちょっと贅沢に、窓を閉めて、エアコン入れて、ホットコーヒーにした。冷たいものばかりでは体がかわいそう。オーディオのボリュームを少し上げて、これもちょっと熱いショパンを聴く。その後は、教会の賛美練習をしなくては。無人の時こそ絶好のチャンス。被害者も出ないでしょうから。

 

今のところ、体に不都合を感じるところはない。思えば感謝な夏である。恵みの一日、一日なのだ。気になるのは運動不足。唯一のウオーキングがままならない。日が落ちたらひと歩きしようと思う。立秋も過ぎて、日の落ちるのが一気に早くなった。

 

    蝉しぐれ もの書くわざの ありがたさ(愚作)

 

 

 
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銀(シルバーエイジ)の風 隣人の介護認定調査
 

親しい教会の友が、我が家の裏隣りのアパートに移り住んできてから一年あまりが経ちました。当初は、一人暮らしがいよいよ限界だと、皆が判断して、たまたま教会の近くの今の場所に移転していただいたのでした。身体はわりあいお元気なのですが、衣食その他の判断などで、不都合が目立ってきたのが理由でした。

 

当初は半年持てばいいねと、それとなく話し合っていましたが、どうして、どうして、守られて、今日もお元気です。しかし、老いの坂は平で続くことは無いようで、かなりのスピードで下り坂です。介護認定を受け、週一のデイサービス、週一の家事援助を受けていますが、今日は半年に一度の認定調査がありました。

 

区役所から委託された専門の方が来られて、小一時間、姉妹を中心にして様々な調査がありました。私は近くの教会員と2人で立ち会いました。姉妹は、係員に対して、礼儀正しく立派に振る舞い立派な受け答えをしました。30年も前のことを正に今の日常として、ユーモア交えて巧みに物語りました。身体テストも元気いっぱいでした。

 

これでは、介護度を下げられるのではないかと、内心心配になりました。調査員は何を基準に判断するのでしょう。多少の時間、姉妹を抜きにして、質問がありましたが、例え事実であっても、すぐそばで姉妹が聞いているところでは話しづらく、ひそひそと声をひそめたりして、現状を伝えようと努めました。もう一人の姉妹は、あとで電話しますと言っていました。

 

半日経って、今日の調査のことをあれこれ思いだし祈っていて、とても悲しくなりました。姉妹の老いも悲しいし、その弱くなってしまったことを他の人に話す自分がとてもいやになりました。姉妹、ごめんなさいねとつぶやきました。姉妹は今日のことをどこまで理解したか、察したかはわかりませんが、いい気持ちではなかったでしょう。ほんとうにお互いに辛いことです。

 

往年の姉妹は忠実な主の働き人でした。多くの魂を救いに導き、人を助け、見舞い、慰め、励まし、教えた人です。それだけに姉妹を姉とも母とも慕う方が大勢いるのです。私もその一人です。そんな仲間たちが今の姉妹をケアーしています。

 

衣服を点検する人、寝具の係り、細かい掃除や冷蔵庫を見る人、ゴミ出しの人、病院の付き添い、時に食事の差し入れ、美容院に連れて行く人、金銭管理をする人など、みんなでそれぞれ分担します。

 

半年とだれもが思った一人暮らしが続いています。今でもいつまで持つかしら、そのときはどうしましょうなどと話しています。しかしみんな主がいちばんよいことをしてくださるでしょう。主は姉妹を愛しておられるからと、心配の中にも希望の風を見いだして祈り続けています。ところで、姉妹は老いを知って知らずか、わりに持ち前の明るさで日々飄々と淡々と心静かに平安に暮らしています。それは感謝です。

 

 

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世相の風から 初めてのフレーズ『かあさん/達者で/留守がいい』

きうり

 


あるグループのわりに親しい女性とお茶するときがあった。集会が終わって会場から出ると話しかけられた。「すぐに帰りますか」「そうねーー」「今度お会いするのは秋だから、ちょっとお茶しませんか」「いいですね」。乗りやすい方だから、すぐに決まって、そばのカフェに入った。

 

友人はいきなり切り出した。

「ご存じのように、夫は3年前に完全退職してずっと家にいるのです。結婚以来何十年と、いるような、いないような、仕事一筋だった夫が毎日毎日家にいるようになって、しばらくして私は、体調不良に気が付きました。前にもお話ししましたかしら、めまい、耳鳴り、不眠、吐き気、いらいらが続き、気持ちが沈んでしかたがないので、神経科に行きました。そしたら《夫在宅症候群》って病名を付けられました。そうそう、あの時、びっくりして笑っておられましたね」

 

そう言えばそんなことがあった。私はおかしかったのだ。《夫在宅症候群》とはよくも名付けたものだと。しかしよくよく聞いてみると多少理解できた。

 

長年、同志のように信頼し、愛の絆で結ばれ、家庭を築き、子どもを育てた夫が、今は別人のように思えてしまう。これが自分の夫なのかと。なんだか見知らぬ老人がいるみたい。食事の時間から、食べ物から、趣味から、なにひとつ一致するところがない。夫のやることなすこと、それこそ、箸の上げ下ろしに至るまで気になってしかたがない。こんな人だったかしらと思う。四六時中、うろうろと家の中にいられることが、気になり、いやでしかたがない。時に小さな小競り合いをしてしまう。それでも我慢することが多い。その分ストレスになる。かくて、体調が狂ってしまったと。

 

友人は、今は当初のクライシス《夫在宅症候群》からは脱出したという。夫は退職してやっと何者にも拘束されない自由を手に入れたのだ。好きなようにさせてあげようと受け入れることができたとき、いつの間にか体調不良はどこかへ消えてしまった。

 

友人は結婚と同時に家庭に入りずっと専業主婦に徹した。今では子どもたちも結婚、あるいは独立して家を離れた。友人はある時から、様々な活動を始め、いくつかのお稽古事にも専念し、週の半分は外出する。昼食も、夕食も外の時が多い。そうした日々であるが、最近、困ったことになってしまったと。友人は深刻な顔つきだった。私はただのおしゃべりではないなと直感した。

「私、今では、家に居場所がないのです。夫に取られてしまった感じ。朝になると、今日は出かけないのかと訊きます。早く帰ると、もう帰ったのかというような顔をするのです」

 

以前、友人の場所であったリビングがいつの間にか夫の場所になっている。テレビの前の椅子にはいつも夫が座っている。くつろぎのソファーにはいつも夫が寝そべっている。パソコンの机も、気が付くと夫が夢中になってネットをしている。ほとんど外出はしない。朝食も別々になった。メニューも全く違うからめいめいで好きな時間に好きなものを食べている。お昼は外出の多い友人は外で、夫はコンビニ弁当などを買ってきて食べているらしい。夜は在宅の夫が買い物を済ませ、料理して一人で食べている。友人の分は食卓においてあるときもある。

 

旅行に誘っても行きたがらないのです。面倒だって。時に子どもたち家族を交えて行くこともありますが、二人で大きなツアーに参加したいと思っても、絶対行かないって反対します。唯一、一致するのは、近場へ外食に行ったり温泉に行くことだけ。

こんな日が来るなんて思ってもみませんでした。定年退職して、お互いに、第二の人生を楽しく送りたかったのです。夫は私がいやなのかしらと思います。邪魔なのかしらと疑ってしまいます。夫は一人で自由にしていたいのです。今日だって、あまり早く帰ると冷たい顔されそうなのです。怖い気がします。

 

見ると、友人は涙を浮かべていた。しきりに顔を撫で、目尻を押さえているのだ。私

はそっと目をそらした。「ねえ、知ってますか。母さん 達者で 留守がいいってことばを」 私はびっくりした。一頃「亭主 達者で 留守がいい」が流行っていたことがあったが、なんということだろう。ここ十年くらいの間に、主語が逆転してしまった。

 

私は友人の話を聞き流すことはできなかった。もちろんなにも答えられない。友人も切羽詰まっているわけではないだろう。しかし、一人秘めて悩むのには耐えられなかったのだろう。世相には熟年離婚などと物騒な言葉も依然として幅をきかせている。

 

ふと、ある知人の姿が浮かんだ。彼女もご主人が家にへばりついている。しかし知人はいつも胸を張って、主人は何でもよく家事をしてくれるの、おかげで私はなんの心配もなく外で活動できるのと、誇らしく言う。へー、幸せな人だこと、それにしても、あの年で、あんなに毎日出歩いていていいのかしらと、ちょっと意地悪く勘ぐったこともあった。しかし、もしかしたら内情は、この友人のように、居場所がないのかも知れない。朝になると「今日は出かけないのかい」早く帰ると「もう帰ったの」そして、「母さん 達者で 留守がいい、なるべく僕の視界に入ってこないで」なんてつぶやかれているのかも知れないーーー。

 

これが60代後半から70代半ばまでの夫婦の実態像かも知れない。いやいや、断定はできない。それこそ、手に手を取って、経済力に物言わせて、世界を飛び回り、あるいはセカンドハウスに行き来し、心身ともに悔いのない充実した生活をしている定年後夫婦もおられるだろう。もっとも身近ではあまり聞いたことがないがーーー。

 

我が友人、知人の皆様方よ、大人の知恵で第二の短い人生をなんとか充実させてほしいと心から願い、祈ります。若い奥様ならいざ知らず、皺と白髪の目立つ熟女が、悲哀に満ちた苦い涙を滲ませてよいものでしょうか。お互いにこの先何年、元気で、正気で、向き合えるかわからないのですから。幸福の青い鳥はすぐそこにいました。まことの幸福を運ぶ《希望の風》はすぐそばに吹いていると信じます。

 

七十代後半以後のご夫婦の実例も近いうちに紹介したいと思います。えっ、私ですか。私は、苦しもうにも楽しもうにも、対象がいないのです。とっくに卒業。そうです、周辺には、シングルの方、それも一人暮らしの方も結構おられます。その方々の深刻な問題も、考えて見たいと思います。

 

 

 
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世相の風から 心配なお米


なす

 

原発事故による被害の大きさは途方もない。食べ物への汚染には神経がぴりぴりする。自分の体への影響ではない。断っておくが、私は野菜、牛乳、飲料水からして自分の口に入るものに気を遣ったことはない。もう高齢だし、これだけ公的機関が検査しているのだから市場に出回るものは大丈夫と信じている。例え嘘が入っていてもしかたがないと思っている。

 

ただし、子どもたちへ影響には心が曇る。心配でたまらない。そして、いちばん心痛めることは、生産者の犠牲と嘆きである。生活の源を廃棄しなければならないとはなんという悲劇であろう。ただ経済の問題だけではないだろう、いくら補償してもらっても、心の傷は癒されないだろう。人間には心があるのだから。

 

最近は牛肉まで捨てている。そして、ついにお米の収穫期に入ろうとしているとき、検査が始まるらしい。日本人の主食であるお米は日本の食物の女王であろう。パン、うどん、おそば、スパゲッティなどすばらしい主食もあるが、なんと言っても究極の主食はご飯である。お米である。秋の収穫のいちばんの関心事はお米の出来具合である。私たち日本人の命を養うお米が、もしも原発事故の放射能で汚染されていたら、何にもまさる国家的悲劇であり、危機ではないだろうか。一つも不具合なことが無く、全て安全で、おいしい新米が食卓にのぼる秋であってほしいと切に祈る。

 

脱原発という大胆な発想が、国家の最高位にいる総理大臣の口から飛びだしたことで、大きな波乱を引き起こしている。原発で生活している人たや、電力会社や、その他利害のある人たちの肝が冷えたことだろう。ここまで原発がふつうになってしまった今、歴史の針を戻すようなことは至難のことだ。しかし、である。だれでも心の奥では、今回の惨劇を目の当たりにしては、脱原発こそ望ましいと思ったにちがいない。単純にそう思う。不可能なのだろうか。地震のない国ならいざ知らず、地震大国日本は別の道を歩まねばならないと思う。現にニュージーランドには原発がないという。あの大国ドイツも脱原発を宣言した。すぐにできないかも知れないが、大きな旗を掲げて、旗を振りながら目指して行くのが、3・11を経験した日本の今日からの歩みではないだろうか。

 

最近、つい世相に目が向かってしまう。3・11以来、私の考えることも祈ることも変わった。愛する日本のため、子孫のため、世界のため、地球のために、神様の造られた天地宇宙万物のために、今までより多く考え祈りたいと切に切に熱く思う。

 

 

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