人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

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日々の風から 今年の夏物語 その2

トウモロコシ


 

孫の音楽教師から発表会鑑賞のお誘いがあった。知人が開催しているからよかったらどうぞとのこと。急なことだったが、会場が隣り駅錦糸町のトリフォニー・小ホールなので、大急ぎで夕食をすませて出かけていった。プログラム最後のヴァイオリンを5名聴かせていただいた。大学生までのヤングたちの演奏であったが、プロを目指している人もいるとのことで、一曲の時間も長く、熱演であった。

 

エアコンのよく効いたホールでの小一時間は、すばらしい夕涼みの時になった。夕涼みななんて不謹慎な言葉は演奏者の前では言えないけれど、ほんとうにそうであった。

 

CDでよく聴いている有名な作品を、彼らは堂々と弾いた。もちろん、世界に名だたるアーティストたちのCDにはかなわないが、彼らの真剣さが小さな会場一杯に満ち満ちていた。熱情がほとばしっていた。それが伝わってくる。ここに立つまでにどれ程練習しただろう。どれほど汗を流しただろう。そんなことを思いながらお聴きした。いやはや実に立派であった。今年の夏の数少ないお楽しみの一つになった。感謝!

 

我が家の夏は多忙である。学校はお休みだが、中二のSくんは部活で毎日のように練習に出かけていく。ほこりと汗で泥まみれ、空腹で倒れんばかりになって帰ってくる。なんとすばらしい青春していることかと、思わず笑みがこぼれる。合宿にも行くらしい。その間にも山のような宿題を進めなければならない。たいへんなことだ。

 

小五のMちゃんも兄に負けず劣らずの大忙し。今のところ連日プールである。進級テストもあるようだ。夢中になっている。歌も踊りも大好き。家が揺れるほどの豊かな声量で歌いまくる。賛美歌になると私も時々割り込むが、わずかな?音程の狂いを指摘される。音には敏感だ。おかげで私も多少音がわかるようになった気がする。

 

夏休みはまだまだ続く。今年の夏物語もまだ書けるかも知れない。身近なところにある夏物語の中に希望の風をみつけたい。

 

 

 

 
日々の風から comments(4) -
世相の風から 車内風景の変化

 
近頃、おやっと思うことがあります。電車内のことです。極端なラッシュの時ではありません。それは携帯異変。

 

座席の人たちが携帯でメールを書いているのは見慣れた風景です。いっせいに開いて指を動かします。親指の関節を曲げて、かなりなスピードで打ち続けます。脇目もふらずにじっと手元や画面をみつめる姿は、まるで軽作業をしているようでした。

 

『親指族』という言葉がはやったころ、私も必要に迫られて、重い腰をあげて仲間入りをしたのでした。今では外出に携帯を忘れることはほとんどなくなりましたが、最初のころはいつもいつも不携帯で、笑われたり、呆れられたりしました。

 

最近は、私も一人前?。電車内はもっぱら携帯メール時間です。実務的な連絡もさりながら、ちょっと気になる方々への安否やごあいさつなど、かつては手紙、電話だったのを、携帯で済ませています。申訳ありません。

 

ところが、気が付いたのです。座席の皆さんが親指で書いているとばかり思っていましたが、よく見ると、人差し指が滑っているのです。人差し指が長く伸びたり、縮んだり、生き物のように前後左右に滑ります。ちょっと小さな蛇のよう。驚きました。いつの間にこんな風景に変わってしまったでしょう。なんだか浦島太郎になったような気になりました。

 

もう一つ気が付いたことは、以前の携帯にしろ、最新型にしろ、以前のようにほとんどの人がいっせいに作業をする光景はないのです。どうしたのでしょう。暑さのせいか、車内が暗いせいか、疲労の色濃いお顔をして目を閉じておられる方が多いです。

思えば3・11以後の新しい車内風景かも知れません。

 

そして、いよいよテレビもデジタルです。チェンジのための騒がしい声が聞こえてきますが、私のテレビはどうなるのでしょう。もともと自分専用のを持ったことがありません。貧乏暇なし、テレビ時間なしで通してきました。娘ファミリーが転勤の時、残していったのをもらって、今に至っています。そんなわけで、明日、明後日後には、

また、かつてのようにテレビなし生活に突入です。世界一の電波塔スカイツリーのお膝元にいますのに、さて、さて、どうしましょう。

 

 

 

 

 
世相の風から comments(2) -
世相の風から なでしこジャパン快挙!!

かぼちゃ


 

数日前に初めて知ったなでしこジャパン(知らなくてすみません)。

→あっと思ったら準決勝。

→へえーー女子もサッカーするんだ、日本の女子もすごい。

→決勝戦へ。アメリカとですって。
  負けてもいいわ、そこまで行くだけでもたいしたこと!

 (すみません、何も知らなくて)
→優勝!!!???
 ほんとなの?!
 ほんとうなんだ!!!!!。
  猛烈な訓練の日々が勝因でしょう。
 すごい。
  大震災のあとだからこそ、価値と意義がある。
 日本中の希望になってくださった。
 勇気を与えるってこういうことなのだ。

 チームの皆さん お疲れ様。
 ありがとう!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 
世相の風から comments(0) -
旅の風から 今年の夏物語その1


日野春の家 夏


4月末に訪問した八ヶ岳南麓の妹宅をまた訪れた。特別な用事はない。私にとっての数少ない旅の一つである。楽しみなスペシャルタイムなのである。この夏に、日常から飛び出す特別なプランはない。大きな夏はない。だかこそちょっと気取って、小さな夏に《今年の夏物語》と銘じてみたい。

 

住み始めてもう8年が経つと言っていた。新宿から中央線あずさに乗ればいい。手軽である。それでも頻繁には訪問できない。せいぜい年に数回であろうか。近頃は四季の表情がくっきりと見える時期に決めている。春の桜のころがいい。緑深い真夏がいい。特別に紅葉がいい。真冬は雪景色が魅力だが、外出する勇気が削がれてしまって来ないことが多い。

 

以前はよく日帰りをした。できないことはないのだが、帰宅してからが辛いのだ。就寝中も頭がぐらぐら回っている。このままでは体調に異変を来すと思った。そこで、一泊お世話になることにした。翌朝すぐに出発してもその方が体には負担にならないことがわかった。

 

夕方や早朝の風景に見とれるばかりである。天気次第であるが、八ヶ岳連峰、南アルプスの峰々、少し移動すれば富士山も見える。これらが何にも勝って心を潤してくれる。4月のころ、標高1000mはまだ枯れ木が続いていたが、今は新緑である。

朝4時には野鳥が鳴き出した。それからは後から後から様々な鳥の声が響き渡る。ウグイスしか聞き分けられない。そういえば、ヒグラシも鳴いていた。

 

今年の夏物語その1は感謝のうちに終了した。その2、その3に小さな期待を抱きつつ、東京の猛暑と戦うことにする。

 

花と蝶


 

日野春トマト


 


 

 


 
旅の風から comments(0) -
日々の風から  早い梅雨が明け

ハイビスカス

 

今年は62日に梅雨入りして、79日に梅雨明けしたとか。例年より12に早いそうだ。梅雨の間もかなり暑かったが、これからが夏本番とは先が思いやられる。暑さ寒さも彼岸までの通りなら、少なくともこれから80日間は暑いのだ。

 

今から音を上げていてはいけない。神様は暑さにも寒さにも耐えうる存在として人間をお造りになったはずだ。また、乗り越えるための知恵も与えてくださっているはずだ。科学文明も御手の中にあると信じるから、それらも使いたい。しかし、文明の利器に頼りすぎは御心ではないようだ。昨今の電力不足で、心置きなくエアコンが使えない状況にあるが、頼りっぱなしへの警告かもしれない。人間に与えられた本来の環境と知恵を用いて、上手に暑さをかわしていきたいものだ。団扇も、扇子も、扇風機も、そして、クールビズも、クールグッズも歓迎したい。

 

ちょっとうれしいニュースは、初サンマが北海道釧路港などに水揚げされ、今年は豊漁だそうだ。震災の傷手を癒してくれる元気薬になってくれますように。

魚屋さんの店頭に姿が見えたら喜んで求めましょう。

 

夏だからといって、スペシャルな予定があるわけではなく、春夏秋冬、同じような日々を過ごすことになるけれど、その時でしか味わえない風物詩があるはず。身近にある小さな夏を見つけて楽しみながら、この一夏を乗り越えて行きたい。

 

皆様  暑さに気をつけて、お元気でお過ごしください。

 

 
季節の風から comments(0) -
日々の風から 七夕のように


こころ

 


一年に一度しかないことや、一年に一度だけすることが、身辺にはいくつもあるのではないだろうか。年賀状などはその最たる物であろうか。かつて、夏の時期に一年に一度の研修会で必ずお会いする姉妹がよく言っておられた。「私たちは彦星、織り姫ね」姉妹はまるで子どもに帰ったような邪気のない笑顔をされた。その姉妹はとうに天の川の彼方にある天の御国へ旅立たれてしまったが。

 

今、年に一度の一つのことをしようとしている。ねっと読書会『カラマの会』である。

なんどかこのブログでもご紹介してきたが、2007年にスタートした。一年に一作品を読むのである。今年は5年目。なにしろスローペースなのだが、お忙しいメンバーの方々にはリラックス、リフレッシュの憩いの泉になっておられるはず。旗振りとしても気が楽である。

 

ちなみに一年に一度読んできた課題図書は、『カラマーゾフの兄弟』、『エデンの東』、『レ・ミゼラブル』、そして『戦争と平和』である。一人では読めない大作、もう一度読みたい名作を取り上げることにしてきた。

 

今年は漱石の『こころ』になった。なんという小品―――。そうなのである。今までのに比べると大きな差がある。しかし連続の海外旅行は身に応える。なにが応えるかと言えば、カタカナ文字である。特にロシア物では地名、人物名だけで混乱してしまう。と、いうことで、翻訳物でなく、ネイティブで読みたくなったのだ。

 

漱石の『こころ』は、読書100選のトップにランクされそうな、あまりに有名すぎて新鮮味がないような気もするが、だからこそ挑戦である。再読、再再読の方もおありだろうが、今の年齢と状況で読み取ることのできるメッセージがあるにちがいない。この際、氾濫している研究書などいっさい見ないで、自分の《心》だけに語りかけられるもの、自分の《心》だけから生まれるものを分かち合おうと決めている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 
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日々の風から 7月とユリウス・カエサル

 


今年も半分が過ぎて後半に入った。3・11以後の、復旧、復興がスピード・アップされて行く喜ばしい後半でありますようにと切に願う。

 

マスコミに紹介される政界の再上層部の様子は、ここに至ってはもはや見なくない、聞きたくない事ばかりだけれど、きっと、一本や二本は筋の通った確かな行政が進められていると信じたい。

 

また、被災された方々が、政治や行政とはちがった方面の、小さな善意や誠意や愛によって、傷が癒され、力を与えられて、笑顔が戻るような出来事が起こるようにと祈り願う。本当の意味の生きる力は、経済や物的支援等中だけでは見つけられないと思う。

 

『人の生きるは、パンのみによるにあらずーーー』パンももちろん必要だが、パンだけではない、『神の口より出ずるひとつひとつのことばによる』。この偉大な真理が大通りを歩けるようにと祈り願う。

 

7月の英語名JULYは、ローマの英雄、ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)に由来するとか。彼が暦を変えるとき自分の名を割り込ませたという。権力者のすることの象徴ではないか。権力を手に入れると、そんなことも簡単にできるのだ。また、してしまうのだ。政治ってそんなものなのだろうと思ってしまう。2000年の昔から本質においてはちっとも変わっていない。もっとも、7月をJULYと呼んでも今の私たちにはちっとも違和感はない。ごく当たり前のことに過ぎない。そのエピソードがかえっておかしみを与えてくれる。

 

イギリスの宗教改革の発端が、ヘンリー八世の個人的なご都合、それも離婚問題に拠ったとは有名だが、これなどは、あきれるばかりだが、政治とか権力とか国家がらみの宗教についてたくさんのことを教えてくれる。

 

原発を停止したり、再開しようとしたり、消費税を上げることになったとかの問題は少なくとも、個人名を月の名にしたり、個人的な不正な関係を正当化しようとして社会を混乱させるよりは、公共性があり、また、多くの口が物言えるだけいいかもしれない。飛躍した比較をしない限り胸が収まらない昨今の政治からそんなことを思ってしまった。

 

ともかくも、2011年の後半に神様の祝福を祈ります。

 

 

 

 

 

 
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