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日々の風から 賛美歌・もしも私が苦しまなかったら
今日は6月の第4聖日です。今週で2011年の半分が過ぎます。この半年こそ、私たちの国は、あの戦争以来最大の惨事を経験したのです。日本中の人々が総立ちになり、あるいは茫然自失してこの大悲劇を真に我が身のこととして心に深く刻みつけました。すでに100日が過ぎました。復旧、復興の声は鳴り響いていますが、満足のいくような進展が見られないのは残念です。被災者の皆さんはどんなに歯がゆく悔しく思っていることでしょう。 明日、身近な姉妹が大きな手術を受けます。60代初め、ご主人も病弱で日頃から姉妹の手を必要としています。良性であるように祈っています。そのほかに正体のわからない影があるとか。開けてみないと何とも言えないとのことで、聞く私たちも一抹の不安を抱いています。姉妹は固くイエス・キリストの信仰の上に立っていますから、きっと乗り越えると信じていますが、実際には当面厳しい戦いが続くでしょう。 祈りを持って側面から支えたいと願っています。 もう一つのブログ『聖書の緑風』にアップした水野源三さん作詞の賛美を乗せます。 『もしも私が苦しまなかったら』作詞・水野源三 作曲・高野忠博 ((教文館 新聖歌292番) 1 もしも私が 苦しまなかったら 神様の愛を 知らなかった 2 多くの人が 苦しまなかったら 神様の愛は 伝えられなかった 3 もしも 主イエスが 苦しまなかったら 神様の愛は 現われなかった 2011.06.26 Sunday 20:54
日々の風から 夏至の洗濯日和
朝から扇風機に働いてももらう。とはいえ、まだ、梅雨の時期なのだから、いつまたじめじめと雨模様になるかも知れない、今日は貴重な洗濯日和だと決め込んで、次々に大物の寝具に取り組んだ。引き替えに取りだした夏物も、洗って収納したとはいえ、一冬眠っていたのだからすぐに使う気になれない。そこで、それも洗濯機へ。 外はわりにからりとした風がそよいでいる。干した物は短時間で完全に乾いている。 それをたたむときの爽快さは例えようもない。押し入れも掃いて拭いてきれいにする。 冬物はしばらく使わないから、ていねいに畳んで積み重ねる。また、これらのお世話になる冬が来るんだわ。元気で迎えたいものだと、ふと、明日のことを考えている。 入れたり、出したり、畳んだり、洗濯したり、何げない日常だけど、こうしたことがいつものようにしっかりと?できるのは、考えて見ると、貴重で、たいへん感謝なことなのだ。かなり年季を入れて使い続けた物は、そろそろ新品に、これはまだ大丈夫などと、選別できるのもうれしいことだ。 よく、老化の進み具合を調べるのに、自分のことは自分でできるかが、重要な項目になっている。母のときの調査を思い出した。押し入れの高いところには、祈りながら上る。よく、転倒して骨折したなどとも聞こえてくるから。 ベランダから外を見て驚いた。どこの家々も並でない洗濯物が揺れている。皆さん、今日の夏至を洗濯日和と読んだらしい。この平和な町景色もまた貴重なものだ。 2011.06.22 Wednesday 13:47
日々の風から 私だけはーーー
あの時、私は、自分が生きている時にはこんな大きな出来事に遭うことはないだろうと思っていたので、ほんとうに驚いた。 父は小学生のころ、関東大震災に遭った。いちばん被害の大きかった東京の下町に住んでいたので、揺れの様子やその後の火災のことをよく聞かされた。その後も日本各地で大地震があり、被害があったことをおぼえている。特に阪神大震災は、幾人もの友人知人が被災した。ご本人たちからじかに話を聞いたり、レターをいただいた。 そんなに頻繁に生死を左右するほどの大災害が発生しているのに、私はこころの中で自分の生きている間にはそんなことは起こらないと思っていたのだ。ところが意外なことがわかった。友人たちとそんな話しをしていたら、皆さんが異口同音に、私もそう思っていた、私もそう、と言われるではないか。いい加減で、ノーテンキで、自分本位の思いは私だけかと、自嘲まがいに告白?したつもりなので、大いに驚いた。 そして、病気のことに及んで、ガンを経験した人たちが、それまで、自分だけは罹らないと本気で信じていたことも数名の方の告白?でわかった。だから、医師から診断されたときは、正に青天の霹靂であって、天地がひっくり返るほどの激しいショックを受け、パニックに落ち入り、現実を直視するまでにはすさまじい葛藤があったとのこと。私もそうであったが。
交通事故にしたって自分だけは遭わないとひそかに思っている。認知症も、自分はならないだろうと思っている。死ぬことも、知ってはいるが、あんがい長生きするかも知れないと思い、放射能を浴びているのはちがいないが、被曝であって被爆じゃないからと、高を括っている。 これはいったい何だろう。 本能的な自己防衛のひとつだろうか。 反対に、今すぐにあの大災害が自分に降りかかってくるかも知れない、明日、ガンだと言われるかも知れない、外出したとたんに交通事故に遭うかも知れない。年とったら必ず認知症になる、死はそこまで来ているにちがいない、と思い込んだら、一日として落ち着いて生活できないだろう。 どんなことが起こっても、神様は最善をなし給う、すべてを委ねれば平安そのものなのだ、明日のことは思う煩うなと言われるイエス様のおことば通りだ、と、わかっていても、主を信頼することの少ない、情けないクリスチャンである。 自分だけは例外―――とばかり、真実を見たがらない、偽りの安心感に安穏としてはいけない。何が今すべき最善かを、神様から教えられたい。そのように祈り願う。 2011.06.17 Friday 23:14
世相の風から 震災から3ヶ月
被災地ニュースで気になったことがある。せっかく準備された仮設住宅に入らない方々がおられるという。これにはびっくりした。一日でも早く避難生活から脱出するのが第一ではないかと思った。でも、でも、である。その理由を知って、なるほどとも思った。入ってしまえば、避難所にいたときのような支援はないそうだ。自力で生きて行きなさいと言うことなのだろう。それにも一理ある。しかし、入居はしたものの、かつての家族が全員揃っている人ばかりではない。職場も仕事も以前のように続けられるわけではない。その状況で支援の手が切られたら、こざっぱりと暮らせるとはいえ、不安ばかりが大きくなるだろう。 私だったらどっちを取るだろう。もちろん、救済の方向としては、避難民がゼロに近づくことが望ましいし、それを目指しているはずだ。だが、である。不安だらけでは人は新しく踏み出せない。それが人間というものだろう。希望の光が見えなくてどうして生きていけるのか。あちらを向いても、『だが』、こちらを向いても『しかし』である。いったいどうしたらいいのだろう。 死者、行方不明者は23000人、避難しておられる方は9万人、その何十倍もの被災者が光の見えない苦難の谷間におられる。そして日本中のごく普通の常識人は、政治不信の失望の谷間でため息をついている。一人でも聞く耳のある政治家はおられるのだろうか。いや、期待してはいけないのだろう。希望の風はどこに吹いているのだろう。 2011.06.11 Saturday 12:53
銀(シルバーエイジ)の風から 自分ではわからない
10年、20年といっしょに活動してきた仲間たちが老いてきている。老いの様相には個人差があり、形も種類も違う。外見では、年のわりには若く見えるとか、年相応だとかなんとでも言えるが、さて、問題は中身である。 身体内部の初期の老いの特徴は自分ではわからないの一言に尽きる。 持って回ったいい方で申訳わけありません、早く言えば、遠耳と認知症です。 耳が遠くなることについてですが、最近とみに家族に言われるのです。 お母さんの部屋の電話が鳴っているわよ、聞こえないの。 さっきから何度も呼んでるんだけどーーー などなど。 聞こえて初めて自分の現実になるのだが、その前の部分で他の人がどれだけイライラしたか、ある種の努力をしたかなどはいっこうにわからない。 認知症はどうだろう。まだ自分にはその徴候があるとは思ってもいないのだが、(そこが問題だと言われると返す言葉もないが)身近に、公式に認定されている人や明らかな予備軍、灰色の予備軍がちらほらとおられる。しかし、その症状は認定されている人も予備軍も、自分ではまったくわからないのだ。わからないから当人は暢気なものである。気にもしていないから愉快といえば愉快だが、困ることが多い。 灰色とまでは言えない認知予備軍と遠耳がミックスした老人世界の現象はすさまじいものだ。勘違い、聞き違い、自己流判断、記憶喪失などでごった返している。みんなで一つのことをするのが容易ではない。だから、リーダーは体力も、知力も、特に忍耐力に富んだ中年がいい。もっと若くてもいい。 菅さんの後はぜひ若い人にお願いしたい。思い切って若い人に。頭の回転も歯切れもいい若い人にお願いしたいものだ。自分の老い振りがわからない人は困ります。 2011.06.07 Tuesday 23:07
世相の風から 寒い梅雨と政界のお粗末と
梅雨時は寒暖の予測が難しくて戸惑うことが多いのですが、今年は、寒い梅雨だと思いませんか。過去にも、冷える時はすでに片づけた暖房機を取り出すことがありましたが、ここ数年は使わずに済みました。ところが昨日、今日は、足下が物足りなくて小さなヒーターをつけてしまいました。節電とわかりながらも、すみません。もっともそれは私だけで、我が家の孫どのたちは半袖で飛んでいますが。私の部屋には、先日お目見えした扇風機とヒーターが仲良く並んでしまいました。 梅雨寒にもまして心冷えたことは、数日来の政界のお粗末劇。本当のところは知りませんし、先のこともわかりませんが、ともかくも、内閣総辞職や総選挙などの政治空白が避けられたことは良かったです。凡人ですが、少し考えただけでも、この未曾有の国難の時に、最前線に立っている人を引きずり下ろしてどうするのでしょう。被災地の方々のお心を思ったらとてもできることではありません。いっときもよけいなことに時間を使ってはいられないでしょう。このたびのことはほんとうに理解に苦しみ、かなり怒りがこみ上げました。単純明快な国民感情くらい察知してほしいです。醜悪を晒すのはこのくらいにして、復興、復旧、再建、改革へ前進あるのみではありませんか。 2011.06.02 Thursday 22:28
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