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旅の風から 思わぬ吹雪
相変わらず列車は中央本線である。新幹線は通らない。車窓からは甲府近くになると富士山が見えてくる。まだまだ山の半分は厚い雪を纏っている。秩父連山や、南アルプスの山々が見え隠れしてくる。やがて八ヶ岳の峰が重なって勇姿を見せてくる。沿線近くは桜も桃も華やかである。しかし木々はまだ新芽を出していない。東京から見ると20日くらい遅いように思う。 翌日、北へ向かった。標高1200メートルほどにある清里で車を降り清泉寮の周辺を散策した。まだ冬景色である。日差しは強いのに長く外にはいられない。防寒していないせいもあるが、空気の冷たさは3月初旬くらいに思える。 八ヶ岳のうち、編み笠、権現、赤岳などが、頂に雪のあるためか近くに迫って見える。美しさも格別である。ところが、見とれているうちにあっという間に雲の中に入ってしまった。おやっと思うまもなく、雨どころか雪片が舞ってきた。そして、なんと吹雪になってしまった。山の天気は変りやすいとよく聞くが、このことかと驚きつつ怖れつつ、雪の中で迷ってはたいへんと、一散に下へ下へと走った。標高を500メートルも下ると、何のことはない穏やかな日差しのもとに田園が広がっていた。やっと妹と顔を見合わせて、吹雪に遭うなんて、ねえーーーと笑い合った。 ところがこの日は広範囲で不安定な天候だったようだ。東京も突然真っ暗になり、雹が降ったそうだ。茨城では竜巻が発生して大きな被害が出た。総じて春の嵐というのだろうか。 2011.04.26 Tuesday 17:17
日々の風から 葬られた主イエス
前日、主イエスは十字架刑という屈辱に満ちた残虐な扱いを受けた。主イエスは極限の苦痛を経てのち、『完了した』と勝利宣言をなさって息を引き取られた。しかし神の御子とは言え、降誕以来まったく人間になりきっておられたのだから、身に受けた苦痛は私たちが感じるのと少しも変らなかったはずだ。 かつて、交通事故に遭って、肉が裂け、血を流した経験があるが、そのとき、主イエスの十字架が思い浮かんだ。主の十字架に比べたら万分の一にも及ばないだろうと思った。それは苦痛を耐える大きな力となった。また、私の苦痛はそれなりに理由があってのことだ。 しかし、主の苦痛は完全に他者のためであり、身代わりであった。それは私のためであった、私の罪のためであった、私が受けねばならない十字架であり、苦痛であった。主イエスはそれを耐えに耐えてくださったのだ。 主のお体は、官憲の監視の中であったが、主を慕う者たちの愛の手によって、真新しい墓に納められた。ふつうだったら処刑された者の亡骸はどうするのだろう。しかし、父なる神様は、主イエスのために特別な場所を用意しておられた。一人の弟子を用いて、清潔な場所が提供されたのだ。不思議なことに、ローマ側はそれを簡単に許した。 すべての苦痛から完全に解放された主イエスは、墓の中で丸一日、真から安息されたのではなだろうか。思えば地上の33年間は戦いの連続であったろう。特に、公の場に身を晒しての最後の3年半は『枕するところなし』の過酷な日々であった。疲労困憊して舟の上で眠り込むことさえあった。 地上のご生涯で一番安息されたのは、降誕の最初の夜の飼い葉おけの中と、十字架を降りた最後の夜の墓の中ではなかったかと思う。ヨセフとマリヤに付き添われて無心に眠る赤子イエスと、そばにこそ付き添えないが愛する者たちの祈りに包まれて安眠される主イエスが重なってくる。父なる神様も、最愛の独り子の働きを愛でつつ、寝ずの番をされたと思う。 ところが墓の外には意外な光景があった。 主イエスの遺体を盗みに来るものがあるのではないかと心配したユダヤ人指導者たちは、ローマ総督に、墓を監視してほしいと願い出た。こうして、墓の入り口は巨大な石でふさがれた。それでも心配で、石は総督の名を以て封印され、しかも石をはさんで両側に武装した兵士が居並んだ。唾すべき処刑人の死体を時の最高権力が守るのである。かつて、こんなことがあっただろうか。なんと滑稽なことだろう。 しかし、当然かも知れない。墓の中におられるのはその権威、権力においてローマ皇帝さえ、足元にも及ばない天地宇宙万物の主である。神様は敢えて世界最大の勢力ローマ帝国を、愛する御子の墓の番人に選んだのかも知れない。処刑された者のしかも死体を、目の色変えて番をするローマ帝国をご覧になって、神様はからからと高笑いされたのではないだろうか。 それを知ってか知らずか、主イエスはこの上もない安息の中で眠っておられた。安らかに眠るイエス様を思うとき、不思議な安らぎと喜びがわき上がってくる。 さて、その墓の中では、次の途方もない神様のプログラムが進められていた。主の復活である。この石さえ置いておけば大丈夫、槍を持つ兵士が立っていれば手出しはできないと、石の前方ばかり気にしていたこの世の視線をあざ笑うように、背後では着々とご計画の通り復活のみ業が進められていたのだ。これもまた滑稽といえる。 妨げの石に驚くなかれ。 この世の力にひるむなかれ。 神は愛する者のためには眠っている間にもみ業をなされる。 主イエスは父なる神様に魂も体もまったく委ねきって安眠しておられた。飼い葉おけの赤子イエスのように。 今、私の周辺には、あそこにも、ここにも、不愉快きわまりない大石、小石がごろごろしている。ときに、その小石につまずく。 しかし、主イエスのように神様に委ねたいと切に思う。 まだまだ自分の手で石を取りのけようとしているのだ。 葛藤があり、ストレスを感ずるのはそのせいなのだ。 墓をふさいだ大石は神様の手によってあっという間にころがされた。 墓の入り口は大きく開けられた。 復活されたイエス様は、光り輝いて悠々と出てこられた。 栄光の主、罪という大敵を滅ぼされ、完全勝利を収められた主の主、王の王として。
2011.04.23 Saturday 12:11
日々の風から 讃美歌と過ごす受難週
今週は受難週である。毎年この時期になると特別に主イエス様の十字架のお苦しみをしのぶことである。主のお苦しみがどれほどであったか想像すらできないが、聖書箇所を読みながら、いつもより厳粛な思いで過ごしている。よみがえりのイースターの朝を待ちつつも、それまでの受難の一日一日は本当に辛い。 今年の受難週は、讃美歌を多く開いては歌っている。 特に昨日から、讃美歌133番に没頭している。 夜はふけわたりぬ ゲッセマネの園に 悩めるイエス君 ひとり祈りたもう 胸さくるほどの きみの苦しみを おもわず弟子たち 夢路をたどりぬ 夜の罪になきて いのるわが君を 父なる御神は 棄てさせたまわず 御神の使いは 空よりくだりて 君に仕えつつ みちからをそえぬ ご存じの方はぜひぜひ賛美なさってください。 有意義な受難週となりますように。 2011.04.21 Thursday 23:27
日々の風から 自粛ではなく萎縮
大震災以来、被災地の不幸に配慮した自粛が全国的に波及し、いまや二次災害のように危険視されだした。過度な自粛は日本経済を停滞させ、復興を送らせる要因にもなるというのだ。理論はそのとおりだろう。管首相は被災地の産品を積極的に使いましょうと勧めた。これはいい案だと思う。どれだけ慰められ、励まされることだろう。 それは、それとして、ふと思った。 人々は意識的に自粛しているのではなく、萎縮しているのだと。 友人からこんな話をきいた。特別な被害には遭っていない人である。 この1ヶ月間、何もする気になれなかった。どうにも気が入らなかった。気持ちが沈んでしかたがなかった。それでもやっといつものメンバーたちとハイキングに行くことにした。 そこへ、あの3・11を思い出させるような激しい余震が起こった。いやだなあと思っていたら、すぐにメンバーの一人から電話があった。ハイキングには行かれないと。もちろん地震が怖いとは言わなかったらしい。体調に自信がないからとの理由だった。 と、また他のメンバーから連絡が来た。今回は中止にしませんかと。バタバタと事が進んで、結局、中止に決定した。 私自身についても言えるのだ。お花見一つにしたって遠出する気分になれない。自粛でなくてあきらかに萎縮である。春になったのだから、いつもならうきうきと洋服の一枚くらいは買うのだ。ところが今回はいつものブティックに出かける気にもならない。お店の前を通ることがあっても入いる気になれない。 どうかしてしまったのだろうかと自問しているが、よく聞くと、周囲の友人たちも同じことを言っている。萎縮しているのは私だけではないらしい。 大震災の刃に心が深くえぐられ負傷したのだ。おそらく大勢の方々が同じように深手を負っていると思う。それも無意識のうちに。何と恐ろしい爪痕であろう。被災された方々の心のケアーが叫ばれているが、とても大切なことだと思う。もっともっと萎縮しておられるだろうから。 がんばれ 日本、がんばれ 東北、がんばれ 岩手、宮城、福島と、遠隔地からも励ましのエールが響く。被災地自身も、がんばろう、がんばろう、立ち上がろう、立ち上がろうと自ら奮い立たそうとしている。 萎縮した心が癒えて、解放されて、本来の自分に戻るまでにはかなりの時間がかかるだろう。 自力でそうできたらたいしたものだ。しかし人はそんなに強くはない。 私の場合であるが、聖なる力によって強くしてくださる神に祈り求めている。必要なことを元気に晴れやかにこなしていける新しい力を与えてくださいと。 主を待ち望む者は 新しい力を得、 鷲のようにつばさをかって上ることができる。 2011.04.14 Thursday 22:10
日々の風から 年々歳々ーー歳々年々ーーー
若い姉妹が「この雨では散ってしまうでしょうか」と心配そうにメールしてきた。 「まだ散らないでしょ。第一、私がまだゆっくりと眺めていませんから」と勝手な返事を送った。姉妹の笑い声が聞こえてきそうだ。 でも、ふと思う。桜には《夜半に嵐の吹かぬものかは》がつきものなのだ。 スーパーへの帰途、樹々の間に入った。いつもの桜だった。高々と空いっぱいに枝を張って無心に咲き誇っていた。無心としか言いようがない。見る人がいてもいなくても、愛でるゆとりがある人がいてもいなくても、悲しみの瞳で見上げても、桜は己が分を果たして無心に咲く。時がよくても悪くても毅然として咲き続ける。 桜の力は強い。その美に心惹かれ、心奪われ、心和み、喜びが広がっていく。 思わず、桜を造り、花を咲かせた創造主である神様に思いを馳せて感謝した。 方や、つくづくと《年々歳々花相似たり 歳々年々人同じからず》を噛みしめずにはいられなかった。 身近なところに咲く桜の花に、多くのことを教えられつつ、短い桜の日々を楽しみたい。 2011.04.10 Sunday 08:00
日々の風から 4月の空に希望の風よ吹け
3月中は頭の中が大震災で渦巻いていた。どのように一日一日を過ごしたかわからないうちに、あの一大出来事が、早くも《3・11》という小さな数字と《東日本大震災》のわずかな6文字にまとめられて歩き出している。 その3月も終わった。そして神様は新しい月、4月をくださった。 日頃からよく物書くアマチュアの仲間たちが口々に言い合っていた。《3・11》前に書いていたものが陳腐に見えて仕方がない。こんなノーテンキな作品を出す気になれない。地震小説でも書かねばなどと。確かに一理あるとおもう。千年に一度といわれる破壊力の前で、自分の中にも大きな破壊が起こっている。あの大揺れは、それまでの考え方を、生き方を大きく揺さぶり、変えてしまった。また、変えざるを得ない巨大な迫りを感じている。 生ぬるく生きているなあと感じる。睡眠を妨げられるほど心を煩わしてきたことが、どうでもいいように思えてくる。どうでもいいことではなかったのだが、今はそのように思え、問題に対する自分の立ち位置を変えようと思う。もっともっと固く、もっともっと強く、もっともっと不動不変な真理の上に立たねばとおもう。 日々、やっていることにも、もっと優先順位を明確にして、しなくてもいいことは止めようと思う。あれこれ考えていたら、増やしたいことも浮かんできた。取捨選択である。 この4月に生きるすべての人々に、イエス・キリストの希望の風が快く吹きとどきますように。被災地と被災された方々には復興の具体的な希望がくっきりと見える形で与えられますように。それに向かって力強く前進できますように。 揺れ動く地に立ちて/なお 十字架はかがやけり。 2011.04.05 Tuesday 12:05
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