人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

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日々の風から 満身創痍の3月は往く
 

 3月11日午後2時46分に引き裂かれながら、2011年弥生3月が去ろうとしています。しかし3月は去っても、苦難は去りません。4月はそれを引き継ぐのです。おそらく5月も、6月も。そして、風雪も、時の流れも、この年のこの出来事を日本人の記憶から消し去ることはできないでしょう。

 

一番やっかいな問題である原発事故は長期戦と報じていました。最終的に廃炉にするには10年以上かかるそうです。その間一日も休まず作業が必要だとしたら気の遠くなるような話です。ほんの一瞬の出来事を収束させるために、です。自然の威力の前には、人間の知恵や力は風の前の塵に等しいと思います。

 

このたびのことは、だれかれの責任ではないと思います。いまさら批判しあったところで、元に戻るものは何一つないのです。政府も東電も私たち一人一人も、みな同じように弱く欠点だらけだと思います。今必要なのはお互いに痛みを分け合い、小さな力でも寄せ合うことではないでしょうか。私は貧しき老やもめですが、この際、増税はやむを得ない、何とかして復興の財源を作らねばと思います。政治音痴の私さえそう思います。

 

サクラが開き出しましたが心から愛でる気がしません。
今年のサクラは悲しいサクラです。

サクラも現状を知っているでしょう。
咲きたくないかも知れません。

でも忠実に自分の使命を果たそうとしています。
泣きながら咲いているのかも知れません。

 

明日から4月。苦しみの中にある方々が少しでも楽になりますように。4月が希望の月になりますように。希望の風が吹きますように。

 

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日々の風から 大震災から20日 現場で作業する方々への祈り

 

深刻さを増している原子力発電所の事故処理は、次々に新手の問題が起こってきて、トータルすると良い方に向かっているのか、あるいは悪くなっているのか、判断できない状態です。ついに責任ある立場の方が「神のみぞ知る」と答弁して非難囂々でしたが、その心境はわかる気がします。いまや日本中が、世界中が、固唾を呑んで見守っているのです。

「神様、何とかしてください」

「いっときも早く収めてください」

「これ以上、悪くなりませんように」

神様に向かってそんな悲鳴を繰りかえすばかりです。

 

それにつけても、現場の作業員の方々が恐ろしい状況の中で命がけの作業をしてくださっていることにただただ感謝し、皆様の安全を祈ります。

その方々が、非常食のようなお食事を一日二回しか摂れず、毛布一枚で雑魚寝していると知って怒りさえ覚えます。どうして十分な食事ができないのでしょうか。物資を届けられないのでしょうか。作業する体力を維持するためにも、きちんとした食事を十分に摂っていただきたいと切望します。また、短時間ではあっても熟睡できる環境を作れないものでしょうか。

いくら使命感や意志力があっても、体力が極限を超えれば倒れてしまいます。そうなったら、作業に大きな障害が出るでしょう。今一番に気を遣い大事にしなければならないのは、最前線で活動するこれらの方々ではないでしょうか。

被災地で活動する医療や介護従事者、また復旧作業に携わる方々にもただただ感謝するばかりです。十分な食事と安眠環境が与えられますように祈ります。

 

 

 
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日々の風から 大震災から半月 驚異的な復旧力 
 

大震災から半月が過ぎた。被災地や被災を受けた方々は今日も苦難を強いられていることだろう。そして、この寒さはどうしたことだろう。あの地に雪が降っている。報道で見るたびに心が痛む。心からお見舞い申し上げます。

 

その中でも、もうスピードで復旧作業が行われている。盛岡以北の東北・秋田新幹線の運行再開や東北自動車道の全車両通行再開など、交通面では復旧作業が急ピッチで進められている。仙台港や塩釜港などにも船舶が接岸でき、海上からも救援物資が運ばれ出した。石油の入った長い貨物列車が走っているのを見て感動した。

 

その復旧状況は海外でも報道され、イギリスでは、常磐自動車道の地震直後と修復後の写真を用いて、修復の早さを紹介する記事が多数掲載されたそうだ。「信じられない」、「たった6日で修復された」、「この驚愕のスピードは日本の際だった“復興力”を示している」と声が上がっているそうだ。こうした評価はうれしい。大いに励まされ、大きな希望をみる。

 

また、最初の夜、都内のすべての交通機関が停まった時も、駅の構内は人であふれたが大きな騒ぎにならず、整然と列を作って待ち続ける人々、黙々と歩く人々の姿が賞賛されていたが、外国の人たちの視点にはかえってこちらが驚かされた。

 

関係の皆さんが、それこそ不眠不休で作業をしてくださっているのだ。

特に原発の現場はどんなであろう。被爆も覚悟でなさってくださっているにちがいない。

どんなに感謝しても足りない気がする。山のような問題がひとつひとつ解決され、携わった方々も、そして日本中、いや世界中が一刻も早く安心できる時がきますように。

避難しておられる住民の方々が故郷に、自分の家に戻れますように今日も祈り続けます。

 

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日々のかぜから 大震災から13日目 私の役目は何か

 

日々、大震災報道に釘付けにされている。日を追うごとに爪痕の大きさが明るみに出てくる。提示される数字に唖然とする。説明も解説も形容詞も要らない。死者の数(9199人)、安否不明者の数(18456人)、避難所の数、避難しておられる人々の数、孤立している箇所の数、倒壊した家屋の数などが大声で訴えてくる。事実が物語る迫力の前には言葉もない。

 

3月に予定されていたいくつかの集会や予定が自粛、あるいは会場までの不安定な交通状況のためキャンセルになっている。この大惨事だもの、当然のことかも知れない。いつになく時間がある。かといってぶらりと外に出る気にもなれない。家にいることが多くなる。この時間をどのように使ったらいいのだろう。被災地の方々のご苦労を思って、私は何をしたらいいのだろう。決して無為に過ごしてはなけない。そう思うが、さて、何をしたらいいのだろう。神様が私にさせたいことは何だろう。しきりにそれを祈り求めている。

 

それにしても、一刻も早く原発事故から発生した諸問題が解決しますように。

現場で被爆の危険をまともに受けながら、それでも働いてくださっている方々が守られますように。屋内屋外待避の多くの方々が安心して家に帰れますように。

安全な数値になって、摂取制限されている農作物が一日も早く食卓に上りますように。

不安感をまき散らすいたずらな風評に振り回される事がありませんように。

 

 

 

 
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日々の風から 大震災から十日目

 

大震災から十日目。この十日間のなんと長かったことよ。

被災地でもなく、被災者でもないのに、くたくたである。

心身に疲労感が満ちている。なにもしていないのに。

現地の方々のお疲れや痛みはどれ程であろうかと、

貧しい想像力を精一杯働かせてはそう思う。

 

お風呂に入るたびに、

食事をするたびに、

食器を洗うたびに

洗濯機をまわすたびに

布団を干すたびに

電話や携帯を使うたびに

テレビに見入るたびに

電灯をつけるたびに

いつもの道を歩くたびに

被災地の方々のご苦労が偲ばれる。

 

買い占めで品物の失せたお店を見て回った。

パンがあるではないか。

一人一本とはいえ、牛乳が並んでいるではないか。

お米も、水も、ラーメンも、姿を見せ始めている。

 

ほっとした。明日はまたもっと出回るだろう。

気になるのは原発。

しかし、あらゆる知恵が出され、志気高く作業する人々がおられる。

きっと、きっと、必ず、よい方向に収束するだろう。

それを固く信じる。希望の風は吹いている。

 

政治家の皆さんが党派を超え、利害を超え、

一丸となってこの難事に当たってくださるように

これが当面最大の祈りの課題である。

 
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歴史的世界的惨事の総責任を負う管内閣がんばって!

こんな時に総理大臣でいる菅さん、そして内閣の方々、さぞ苦しいでしょう。

平和なときなら、総理の座を奪いたい人も、大臣になりたい人も、政治家なら大勢おられるでしょう。でも、この惨禍の中では、中枢にいなくてよかったとさえ思うのではないでしょうか。それとも菅さんを蹴飛ばして総理の座につく勇気がおありでしょうか。

 

世界でも例のない災害ですから、歴史から学ぶこともできないでしょう。すべてが白紙なのです。今までにない知恵が要求され、力が求められています。弱い不完全な人間たちにどうして完全なことができるでしょう。

 

テレビで見ている限り、菅さん、枝野さん、その他の大臣始め、責任を負っておられる方々が命がけで取り組んでいる姿が伝わってきます。人命救助と人心の安心を願っていることだけは確かだと信じます。

テレビ局のクリーンで暖かい快適な場所の、座り心地のよいイスにずらりと並んで、机上や頭だけの理屈や批判をする方々には怒りを覚えます。すぐにチャンネルを変えます。

 

第一線で死にものぐるいで働いておられる方々に心から感謝し、声援を送ります。

私たちの代わりです。どうかがんばってください。

私たちも、今回に限って、優雅な観客席に坐していてはいけないと思います。

 

クリスチャンの方々は祈りという最強の方策を手にしています。

トップリーダーたちに神様からの知恵と力が与えられるように祈りの手をしっかり組み、ひたすらに祈りましょう。救助や復旧のための、最適なアイデアや指示が出せるように祈りましょう。

 

買い占めだけは止めましょう。情けないです。恥ずかしいです。

特に被災地から遠い東京の人たちがするなんて。

被災地の方々の気の遠くなるような悲しみや苦しみを想像しましょう。いいえ、テレビで見ているはずです。せめて、泣く方々に自分の心を添わせていっしょに泣きましょう。

 

原発事故が一刻も早く収束しますよう、

避難している方々が一日も早くお住いに戻れますように祈ります。

 

希望の風は吹いています。希望の風がまず心の中に吹き届きますように。

 
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日々の風から 友の安否を問うて

 

仙台と塩釜に住む友がいます。仙台のM姉とはこの2日にお会いしたばかり。塩釜の友とは数年、年賀状だけです。報道を見る限り姉妹たちの住む地区に直接の被害が及んでいる様子はありません。どちらの姉妹もかなり奥まった高台なので津波の恐れは考えられませんが、家の破損や怪我などは皆無とは言えないでしょう。お元気なお声が聞きたくてトライしましたが、もちろん電話が通ずるわけはありません。

 

ようやくNTT伝言板にメッセージを預けました。翌々日、メッセージが入っていました。

近くに住むM姉の娘さんからでした。私の家族もおじいちゃんもおばあちゃんも(M姉)も元気ですと。自分の頬に血が上って熱くなるのを感じました。ああ、よかった!!主よ、感謝しますと叫びました。伝言板の翌日、娘さんから直に電話がありました。まだ、電気、水道、ガスが通っていないが、とにかくなんの被害もなく元気ですとはっきり言われました。

 

そして今日の夕方、M姉が直接に電話してきました。つい半月前に聞いたお声ですが、なんと懐かしくうれしく聞こえてきたことでしょう。お互いに大声で呼び合い、喜び合いました。

 

M姉のお話をまとめますと、今、親戚が避難してきて、10人ほどで暮らしている。皆元気だが、電気、ガス、水道がないのでたいへん不自由である。水は総動員で給水車からもらってくる。しかし飲み水にしか使えない。ずっと顔も洗えない。お風呂はガスが復旧するまで入れないだろう。
卓上用のガスコンロで初めてご飯を炊いた。お米はとがずに。地震後初めて温かいものをいただいた。
スーパーなどはすぐ売り切れになる。朝の6時から並んで、一人5点しか買えない。5点も買えないときもある。ガソリンがないーーー。

でも、生きていたことを感謝しますと。

 

塩釜のH姉からは何度伝言板に入れても応答がありません。心配しています。


札幌の友から東京はどうですかと電話がありました。友人知人たちの関係者で東北に住んでいる方が多くおり、皆さんそれぞれ消息がなくて心を痛めているとのことでした。



被災地の上に、被災した方々の上に、

一日も早く救援の希望の風が届きますように祈ります。

 

 
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日々の風から 安否を問われて
 

 遠隔地の東京にいて

この年齢にして初めての大揺れに遭い、

机の下に潜って震えていたとはいえ、

無造作に積み上げたCDが何枚かとんだ程度で、

無傷であった私ごときに、

関西方面の友人たちからすぐに安否のメールが送られてきて、

すっかり恐縮しました。

 

11日のあの日、渋谷、新宿に行っていたかも知れないのです。

ちょっとしたことで前日に済ませていました。

11日であったら、帰宅困難者になっていたでしょう。

歩いて帰るには遠すぎます。足の弱い私を主はあわれんでくださいました。

 

それからはテレビにしがみついて見入りました。

あまりの惨事に茫然自失、時の経つのさえ気が付きませんでした。

余震を恐れながら、小四年生のMちゃんを学校に迎えに行きました。

防災ずきんをかぶって体育館に座り込んでいました。

私を見ると涙を流して飛びついてきました。

固く抱き合って無事を喜び感謝しました。

 

中一の男子Sくんは、JRが動かないので、

10キロ以上の重い鞄をしょいながら、1時間あまりを歩いて初めて徒歩帰宅。無事を感謝しました。

婿殿も、いつもより早い時間に歩いて帰宅。

ところが東京の西方面の教会へ行って長女は、乗り物がありません。メールやりとりの末宿泊することにしました。それでよかったと思います。翌日昼過ぎにやっと帰宅でき、被災地ではない場所にいる私たちもようやく家族がそろいました。

 

群馬県の次女は東京以上の揺れに遭ったそうで、その上停電で困惑していました。幸い教会も損傷はなかったとのことで一安心しました。

 

さて、ようやく気を取り直した私は、被災地方面の友垣を思い出し、今度はお一人一人の安否を問い始めました。もっと前に開始すべきだったと悔やみつつ、です。(つづく)

 

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日々の風から 被災地への祈り

 

被災地へどんなに思いを馳せても、

被災者の皆様にどんなに心を向けても、

なんの足しにもならないだろうと嘆きつつも、

ひたすらに全能の神様に祈ります。

 

これ以上危険が及ばず、寒さや飢えや不便からできるだけ守られますように。

不安や恐れや痛みや傷が少しでも取り除かれますように。

明日に向かって生きていく勇気と希望が与えられますように。


同胞たちがまた世界中の人たちが愛の涙を流しつつ

祈っていることを信じることができますように。

心からお見舞い申し上げます。

 
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日々の風から 光と風のアンバランス

3月10日

 

 ガラス戸越しに差し込む光がまぶしく輝き、熱と力を持って部屋を暖める。3月だもの、すっかり春なんだと、分厚い冬支度の縄目を解き、一枚、二枚と脱ぎ捨てて外出した。ところが、鋭い寒風の直撃を受け、思わず身を縮めてしまった。あわててコートのポケットに手を入れて手袋を探した。ない!そうだ、コートも替えたのだった。

 

光と風のバランスが悪い。光は春なのに、風はまだ冬なのだ。

これが春先というものかと、改めて思い直す。

いつだってそうだったではないか、去年も感じたではないか。一昨年もーーー。

光の麗しさに騙されてしまうのか、それとも風を嫌い、侮っているのか。

春を先取りしたがっているせいか、冬を追い出そうとしているのか。

自分の中に認識不足と矛盾がごちゃ混ぜになっている。

 

 

それにしても、風の冷たさには驚かされます。

あの『早春賦』は早春のいつごろを歌ったものでしょうか。

立春を過ぎたばかりか、3月の声を聞いてからでしょうか。

 

春は名のみの 風の寒さや

  谷のうぐいす 歌は思えど

  時にあらずと 声も立てず

  時にあらずと 声も立てず

 

もっとも、作者の立つ位置(南国と北国)では、大きな違いがあるでしょう。

きっと、光に比べて風の冷たさが際立ったのでしょう。

光と風のアンバランスが、詩人の創作魂を刺激したのでしょう。

 

光を愛で、寒風を嫌うわがまま者ですが、光も風も神様が造られたもの、人間の生存に係わるなくてならないものだと思うとき、冬の風も受け入れようと思えるから不思議です。

そして、光と風のアンバランスの中にも、主からの希望の風が戯れているのを見る思いがします。明日の春風を待望しつつ。

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