人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

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世相の風から  晦日の町風

寒さもいよいよ底だろうと願いながら、寒中の一日一日を首をすくめて過ごしています。今日が月末、晦日だとは知りながらも、ちょっとからだが空いたので、2,3の金融機関へ記帳しにでかけました。寒風は鋭く肌を刺してきましたが雲一つない青空からの強い日差しには、春がすぐそこに来ている気配を感じ、思わず首を伸ばし、背筋を伸ばしました。

 

ATMに行こうとしたら長蛇の列です。特にご高齢の男女が目立ちます。年金支給日ではないはずです。晦日だからでしょうか。私も列の後ろに繋がりましたが、なかなか動きません。機械に向かっている一人一人の時間が長いのです。高齢者なら仕方がありませんが、若い方もなかなか終わりません。通帳を何冊も持って次々に差し込んでいます。単純な作業しかしない私には理解できませんが、あらためてこうした無人の機械と取り組む人の多さに驚きました。窓口で職員さんと話しながら手続きするなど、昔の風景になってしまいました。

 

ある機関では、大きな張り紙に、店舗閉鎖の記事が出ていました。今後は○○支店へと案内されていました。ATMさえなくなるところもあります。いったいどういうことなのでしょう。自分の金銭でさえ、簡単には出し入れができないということです。やっかいな世の中になってしまいました。教会の一人暮らしの高齢者の方ですが、操作もままならず、信頼する近くの姉妹が同行してお手伝いしていますが、その役目は実にいやだとこぼします。さもあらんと同情します。解決の策は見あたりませんが、簡単に手続ができ、しかも振り込め詐欺の心配もなく、安心して暮らせるようにはならないのでしょうか。

 

最近のことです、笑い話のようですが、ある姉妹が、銀行の名前が変ってしまって、今では自分の通帳の銀行がない、けれども預金はあるが、これは使えるのでしょうかと訊かれ、びっくり。思わず、大丈夫、預金がなくなることはないから早く新しい銀行へ行ってくださいと大きな声を出してしまいました。こんな思いをしておられる方もいるのではないでしょうか。なんでも冬眠預金が3兆円もあるとか。冬眠どころか、切ない預金もあるのではないでしょうか。町に吹く風は季節に変わりなく冷たく厳しいと感じました。

 

 

 

 
世相の風から comments(0) -
書林の風から 『こころに残る言葉』その14から(ちくま文庫 小野寺 健)

 
新しい友人を作らなければーーーー

ウイリアム・モリスの《ひなぎく》を散らしたこぎれいな表紙に魅せられて衝動買いした一冊である。本の右側には海外の小説や評論から取った短い文章(ほどんど1,2行)が英文と和文で示され、左ページは800字からなるそれにちなむエッセーがある。全部で162篇載っている。一篇、一篇になるほどと頷かされ、時にはそのユーモアに笑いが生まれる。楽しくかつ有益。決してスピードでは読めない。一つ読んではページを伏せて考える。時に書き留めておきたいほどだ。おかげでちっともはかどらない。最近ずっとバックに入っている。

 

その中の一つを紹介します。

 

If a man does not make new acquaintance as he advances through life, he will soon find himself left alone

  From “ life  of  Johnson” by James  Boswell

 

年をとるとともに、新しい友人をつくらなければ、たちまち孤独になってしまう。

                           サミュエル・ジョンソン

 

著者小野寺 健氏14番目のエッセーで言われます。800字の一部です。

 

『友人のいない人生は考えられない。それでは寂しくてやりきれない。いい友人がいるかいないかは、多分に自分の器量に係わる問題だが、「いい友人を得るには、自分がいい友達になれなければならない」という諺もあって、意識的努力がひつようなのであろう。

 

一生続く友達はすばらしい。―――昔を懐かしむ友達だけではいささか寂しく話題はすぐにつきてしまう。人生の《今》を語り合える友達をつねに持っていたい。

そのためには、どんな時期にも自分がその時なりに魅力的で、いい友達になれる人間でなけばならないのだ。これは大事業である』

 

『年をとるとともに、新しい友人をつくらなければーーー』と、『人生の《今》を語り合える友達』のフレーズに深く考えさせられる。新しい友人ができるのはうれしいし、長い間の友人と、人生の《今》を語り合えるのは、なおうれしい。できたての友にはちょっとした緊張感があって新鮮で心が弾むし、長く続いている友人とは、時にむしょうに会いたくなり、語り合いたくなる。

 

本という友も、音楽という友も、一人旅もそれぞれに心を満たしてくれるが、人間の友に勝る友はない。それはイエス様から教えていただいた。

 

『わたしはあなたがたを友と呼んだ』とイエス様は言われる。イエス様の方から積極的に手を差し伸べてくださっている。握り返したときから友情が生まれるのだ。人からの手を待っているのではなく、イエス様のように自分の方から手を伸ばしたい。

 

讃美歌の一節に『友なき人の/友となりて/こころ砕きし/この人をみよ』を思い出す。

また『喜ぶ者とともに喜び、泣く者とともに泣け』も浮かんでくる。『人がその友のため自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない』の前ではことばもない。

イエス様はそのとおりをなさった。イエス様の弟子と称する私たちクリスチャンは師をまねて、小さなイエスにならなければと思う。

 

思いが錯綜してあちらこちらと迷走しているが、究極のところ、友を作るにテクニックはいらない、愛があればいい。友情を持続させるにもテクニックはいらない、愛さえあればいいとおもう。

 

あとになりましたが、この本、お薦めします。

 

 
季節の風から comments(2) -
日々の風から 大病院と町医者

 

中国茶




町医者の紹介状をもって、脳のCT撮影に、大病院へ行って来ました。それが昨日のこと。

直接レントゲンの受付へ行きました。勝手知ったる馴染みの病院ですので。すぐに順番がきて、わずか5分足らずで済みました。しかし、データをいただくためにはまた来院しなければなりませんでした。病院から直接町医者にデータを送るシステムはできていないようです。提携病院なのですが。そこで本日また指定時間に大病院に出かけていきました。すっかり準備されていて、サイン一つで受け取れました。

 

さて、いただいたデータを持って自宅近くの町医者へ直行しました。座る場所がないほど人でいっぱいです。いつもそうです。じっと待ちました。検査結果を知るまでは落ち着きません。かつてびっくり仰天、どん底へ突き落とされた経験がありますので、不安が過ぎります。

 

先生の前に腰を下ろすと、私の脳が画面に映し出されています。これが私の脳ですかと、まじまじと見つめました。父や母のは何度も見たことがあります。思い出すと微かに違いがわかります。でも写真を読みとる術は知りませんから先生のことばを待つばかりです。

 

「なんでもありませんよ。脳梗塞の跡もないし、きれいなものです」

このことばを期待していたものの、明言されるのは何と心地よいことでしょう。

ハレルヤ!主よ、感謝します。ありがとうございますと心の内に祈って、医師にもお手数かけましたと謝辞を述べました。「では、飛び跳ねます」と言いましたら、「あまり無理をしないでくださいよ」と真顔で言われてしまいました。まじめな気のいいお医者様なのだと思いました。

 

先だっての私の記事には悲壮感が漂っていたのでしょうか、友人たちが心配して電話やメールをくださり、恐縮してしまいました。皆様のお祈りと友情によって、無事に今回のハードルを越えることができました。心からお礼を申し上げます。

 

今回は大病院と町医者をかけずり回ってよく頑張ったと思っています。今の医療形態がこうなっているのなら、ひとまず従わねばならないと思いました。大病院にはいのちの瀬戸際に立たされた人たちが押し寄せてきているのです。私が居たわずかの時間にも救急車の音がし、CTの受付にも電話がかかり、救急ですとの声が聞こえ、職員がせわしく動いていました。

効率よく医療を施すためには、私のように回り道させられるケースがあってもしかたがありません。

 

結局、CTを撮って診断され、無罪放免となるまでに、大病院に3回、町医者に2回行ったことになります。時間、労力、費用を浪費しただけなのだろうかと思えないこともありませんが、今回に限ってはそうではない、これで良かったのだと感謝でいっぱいです。

 

数日、無風だった希望の風が、また新鮮な空気をいっぱいにはらんで、快く吹き始めました。

うれしくて、思わず買い求めた水仙の小鉢には、真っ黄色の花がしっかり首をあげて咲き出していました。

 

 

 

 
日々の風から comments(10) -
光(キッズ)の風から おばばバカにおつきあいを!

みお
 

孫娘Mちゃんの通うピアノ教室主催の発表会がありました。Mちゃんは土曜日なので参加できました。(日曜日と重なったら最初から出演固辞。教会優先です)昨年も土曜日でしたので出演でき、おかげで私も観客席に陣取りました。出演者は幼児から大人まで、総勢50人ほどでした。はじめから最後までですと長時間になりますので、Mちゃんの出番のころを見計らって出かけました。場所は建設中のスカイツリーから近い、地域の文化センターです。

パパはビデオ撮りに、兄のSくんはカメラと録音に精を出していました。

 

センターの近くには教会の姉妹たちが数人住んでおられるので、おばばバカの厚かましさを承知でお誘いしました。皆さん喜んで駆けつけてくださり、楽しんでくださいました。来年も土曜日になることを願い、期待しているのですが。

 

Mちゃんは音楽が大好きです。ピアノはもちろん、歌うことも、踊ることも、作詞、作曲もです。学校ではクラスの友人たち数人とグループを組んで、新曲に取り組んでいましたが、先週の音楽集会で、先生から出演を依頼され、全校生徒の前で披露したそうです。

以上、おばばバカでした。

Mちゃんの演奏曲目は、メンデルスゾーンの無言歌から、『胸騒ぎ』という曲です。表現の力量を問われる曲のようです。 

 

光(キッズ)の風から comments(4) -
日々の風から 何歳まで生きたいか

春の花

 体調に気になることがある。娘にもせっつかれて、町の医院でなく、大病の時に、何度かお世話になった総合病院へ行くことにした。

以下は孫娘Mちゃん(小学四年生)との会話である。

 

「あした、病院に行ってくるね」

「そうーー。あのねえ、何歳まで生きたい?」

「うーーん、いのちは神様の御手の中にあるのだから、神様次第よ」

「そうね。でも、自分としたら、どうなの?」

「Mちゃんの花嫁姿が見たいから、10年か15年くらいかな」

「私は結婚しないから。でも、それくらいなら、じき来ちゃうよ。

短いよ。100歳くらい生きなきゃ」

「100歳!そうね、元気で今まで通りなら、いいわよ。

でも、みんなに迷惑かけるのはいやだな」

「最後はだれでも、そうなるんじゃないの。それとも、あっという間に天国に行きたいんでしょう」

「そうね、そう願うけど、それも、みこころ次第ね」

 

昨年の夏以降、体力がワンランク落ちたと思う。また、感じる症状としては、時々めまいがあり、それと同時におう吐が伴う。頭が重くもやもやっとする。血圧が高くなったかなと思いつつ、日々を過ごししまったが、ついに近くの医院に行った。血圧の薬を出された。仕方がない。年齢相応の道だと観念して、服用しだした。まあまあ、落ち着いてきた。感謝。

 

ところが、新年以来、この短い間にめまいが3回も起こった。少し慣れてきたので、ぐるぐる回り体もふらつくが、床に就くことはなく、薄目で身の回りのことはしている。しかし、パソコンも読書も思うようにならない。そこで、病院に行くことにした。

 

予約なし、なのでどうなることかと案じつつであったが飛び込んでみた。幸い診察券はある。再来院の手続きをし、内科で受付していただいた。ざっと5、60人が待っている。これでは3時間はかかると覚悟をして座っていたら、以外に早く呼ばれた。

 

診察の前の問診であった。事情を話したら、かかりつけの医師に紹介状をもらって、こちらの予約センターに申し込んで日を決めてから、もう一度来てください。その方が早いですと。

また、今日は脳専門の先生はいないので、仮に他の先生に診てもらっても専門ではないのでまた来ることになりますとのことであった。

 

やれやれ、振り出しに戻らねばならない。町医者を飛び越して直接診察や検査をしていただいた方が早いかと思いきや、そうはいかなかった。急がば回れ、ではないが、希望の医療を受けるに近道はなかった。診察一つしてもらうのも厳しいものだと悟ったことである。

 

めまいなどは症状の無いときは何でもない。ひどくすっきりしている。このままでもいいのではないか、こんな思いまでして行たくないと、そんな気持ちがしきりにする。しかし、もし他の人がそうだったら私は間違いなく無駄でもいいから一度検査した方がいいわよと言うにちがいない。

乗りかかった舟なのだから、もう一がんばりしてみようと、横着になりがちな自分を奮い立たせている。

 

 

 

 

日々の風から comments(6) -
風の仲間たち 突然の召天

fuyu 


教会の友で
55年間もいっしょに歩んだ友が、突然、何の前触れもなく、心筋梗塞で召されてしまいました。暮れの26日の礼拝にも出ておられました。なんということかと、教会中ことばもありませんでした。ただただ茫然とするばかり。非常にタフな方で、78年間を全速力で突っ走ったとの表現しか思いつきません。病気知らず医者知らずのままで。もちろん賢い方ですから健康管理は怠りなかったでしょう。

 

実業家として一代で大きな仕事をし、大きな財を築かれました。彼の持っている独特の商才や経営術は、教会のためにも豊かに用いられました。大胆で独創的なアイデアや人を見ぬき、用いる知恵が豊かでした。そうした面からいつも教会をリードしておられました。

 

まだまだその豊かな賜物を教会のために発揮していただきたかったとは、だれもが一様に口にしたことです。どうして神様は彼のような有能な人をまるで誘拐でもするようにして天につれて行かれたのかと、嘆く声も諸処から聞こえました。

 

私は年の離れた長兄のように感じていましたし、彼も又、私のことをやんちゃな妹のように見ていたのでしょう、長年に亘って遠慮のない口調で語り合える素朴な関係でした。長電話で意見交換したり、時に膝を交えて語り合うこともありました。

 

出棺の時、彼とは一番近い弟のようなMさんが突然『○○さん、ハレルヤ!』と大声で叫びました。一番悲しかったMさんでしたが、天に凱旋していく姿をありありと理解したのでしょう、感極まって送る言葉を詠じたのだと思います。彼もまた涙よりその声を喜んだと思います。

 

彼の召天の意味は今はわかりませんが『後になればわかる』と神が言われるのですから、それに従いたいと思います。そして、いのちは主の御手の中にあり、生と死の支配者は神様であることをつくづくと知らされました。自分のいのちは自分の努力次第などとは、とんでもない思い違いなのでしょう。主は私たちの髪の毛の数さえもご存じなのですから。主の御前に厳粛な思いでひれ伏すのみです。

 

 
風の仲間たち comments(2) -
日々の風から ニューイヤー・コンサートへ


トリフォニー


 
私の住む東京墨田区は隅田川の東側で、いわゆる下町です。江戸時代から賑わった名所・旧跡が至る所にあり、歴史の味わい豊かな地域です。川の対岸には浅草が健在です。現在、一番有名なのは国技館でしょうか。さらに、今、全国的に話題を蒔いているのは高さ日本一の電波塔スカイツリーです。着々と空を目指して伸びているところ。もう一つ、トリフォニーホールという大規模なコンサートホールがあります。前置きが長くなりましたが、今年は、前々からニューイヤー・コンサートへ家族中で行こうと決めていました。

元祖ウイーンの楽友協会を会場にした本場をまねて、楽しい楽しいコンサートでした。

 

ハプニングもありました。次女が2日の礼拝を終えて参加するはずでした。チケットもすでに手に入れていました。ところが、31日に、教会員の姉妹が召されたのです。上京できる状況ではありません。3日、4日と葬儀になってしまいました。

 

さて、余った一枚を無駄にするわけにはいきません。行けそうな人を思い浮かべました。


そんな時、通りでばったりと教会の姉妹に出会いまして立ち話をしていたら、チケットを思いだし、誘ってみました。かなり多忙な方ですのでどうかと思っていたのですが、1日おいて行けるようになったと、よいお返事をいただきました。

こうして、私の臨席は次女でなかったけれど、次女もよく知っている姉妹が占めることになりました。最後のアンコール曲ラデッキー行進曲では、会場も手拍子を入れて、まるで本場とそっくりになり沸きに沸きました。新年に喜びをくださった主を崇めます。

 

 

 
日々の風から comments(2) -
日々の風から 新年最初の礼拝風景

新年の花



礼拝にはめずらしいお顔がかなり見えていて、お正月を感じました。教会からよそへ嫁いだ姉妹が、実家に帰ってきたとのことで礼拝に来られました。いつも日曜日は仕事になりご無沙汰続きの姉妹が、正月休みが取れたと言って出席されました。グループホームから自宅に戻った姉妹も、教会からの迎えの車で来ることができました。反対に、郷里に帰省した方々も何名かおられました。

 

礼拝の中で、今年成人になる《新成人》祝福式がありました。今年は3名。女子2名、男子1名です。女子たちは朝早くから母子室で振り袖の着付けをしてもらい、それはそれは見事な、一生に一度の晴れ姿で式に臨みました。男子は新調のスーツ姿。凛々しく美しい姿でした。三人とも四年生の大学生。親元にいて学生生活をする恵まれた方々です。ちなみに、三人ともクリスチャンホームの師弟で、ご両親や弟妹とともに家族をあげて教会生活を続けています。我が教会やこうしたクリスチャンホームの子どもたちが育っています。

思えば我が家の娘たちもかつては教会を賑わせたメンバーだったわけです。創立して62年、この歴史の実でしょう。教会の将来は主が確実に導かれると信じます。

 

今年の牧師が教会に示した主題聖句は以下です。

『また、私たちは、さらに確かな預言のみことばを持っています。夜明けとなって、明けの明星があなたがたの心の中に上るまでは、暗いところを照らすともしびとして、それに目を留めているとよいのです』第二ペテロ・1章19節

 

預言のみことばを固く持って、今年も、主の御前を雄々しく前進したいと祈りました。

この預言のみことばこそ主の《希望の風》なのですから。

 

 

 
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日々の風から 新しき年の初めに その1
 

2011年がスタートしましました。謹んで新年のごあいさつを申し上げます。お元気でこの日を迎えられたでしょうか。そうであることを願い祈ります。今年も、小さな身辺にそよぐ、イエス・キリストの《希望の風》をできるかぎり明瞭な言の葉を用いて書き綴っていきたいと願っています。不定期な掲載ですが、お訪ねいただけたら感謝です。

 

昨日も書きましたが、今年、我が教会では元旦礼拝がありません。カレンダーの状況からですが、今年に限ってそのようにした教会がいくつもあります。長女の教会も、次女の教会も同じです。多少の違和感はぬぐえません。明日の礼拝がいつもより待ち遠しく思えます。

 

私の今日一日はまったくふだんと変りませんでした。変っていたのは、いただいた年賀状をひとしきり眺めて読みふけったことです。すでに差し上げた方はいいとして、まだの方には、早速お返事書きに取りかかりました。投函ついでに、ふだんはめったに歩かない通りから通りへと散歩のつもりで歩きました。薄曇りでかなり冷えていましたので早々に帰宅しました。

 

長女ファミリーは車をおいて電車と徒歩で一回りしてくると出かけていきました。誘われたけど、彼らのペースに追いついて行く自信がないのでやめにしました。新年早々からそんな消極的でどうすると、内側からも声が聞こえますが、はやり断りました。

 

考えることや新しい心構えを迫られていることが二、三あるので、まずはそれに集中したかったのです。といっても特別に何をするのでもないのです。いつものようにパソコンの前に座り続けました。教会で担当している奉仕やその他で係わっている主に2つの組織のことで、今週にも早速開かれる委員会や例会の準備に手を初めました。はやり融通の利かない仕事人間なのかも知れません。高じて、パソコン依存症、パソコン中毒なのかも知れません。

 

しばらくぶりで、机上に置きっぱなしの一冊『道を照らす光』(日野原重明著・春秋社)の付箋のあるところを開きました。

『年老いているということは、もし人がはじめるということの真の意義を忘れていなければ素晴らしいことである』(マルティン・ブーバー)

このことばには人を奮い立たせる力が潜んでいます。新鮮な《希望の風》が吹いています

 

私は昨年から二つのことに挑戦しています。具体的にお話ししたら、ぷっと吹き出されそうですので控えますが、結構やる気になり、一人悦に入り、力を入れています。ブーバーのことばに刺激されたのではなく、後付けです。今年も主、ゆるし給わば継続したいと意を強くしています。○○の手習いです。ことを始めるに年齢制限は不要です。必要なのは常識と信仰に裏打ちされた冒険心ではないでしょうか。

 

『主を待ち望む者は新しい力を得、
  鷲のように翼をかって上ることができる』
               イザヤ40・31

 

 

 

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日々の風から 年末雑感 その3 元旦礼拝はカット

明日は元旦だが礼拝がない。例年、1月1日は日曜日でなくても新年礼拝と名づけて礼拝がある。ところが2011年は2日が新年最初の日曜日である。日曜日は教会では一番大切な礼拝の日、主の日、聖日である。そこで、我が教会では今年に限って1日の元旦礼拝はおこなわず、2日の日曜日から礼拝をすることにした。時に応じてこうしたことがあってもいい。

 

元旦に教会へ行かなくてもいいので、大晦日の夜を、時間を気にしないで過ごせるのは新鮮な気分である。めったにないことなので、明日の元旦一日も含めて有効に使いたい。

 

さて、2011年はどんな方法で聖書を読んでいこうかと考える。長年続けてきた通読が少少マンネリ化している。聖書66巻の名前と章の一覧表を片手に、ひたすら読み進めるのだが、ノルマを果たすように義務的に読んだり、走り読みしたりしている。読んでいながら、この読み方でいいのかなと思う。昨年もそう思いながら結果的にはそうしてしまった。最低一回は完読しましたよと、それで自己満足しているきらいがある。反省している。

今年は(こうして書いている間に、2011年が始まりました)どうしようと思案している。もう新年が始まったのに方策が決まらないのは困ったものだ。

 

聖書はクリスチャンにとってはいのちの書だ。神様じきじきのおことばの書だ。心して、喜び勇んで、感謝して、最高級のお食事をいただくように、開くべき貴い書物だ。どんな方法を採ろうとも、日々親しみ読み進めていこう。昨年は、若い姉妹と二人で対座して、新約聖書全巻を一節ずつ臨読した。とにかく読もうと意気投合して解説は最低限にして、ただただ読んだ。一週に一回できないときもあったが、12月末に黙示録2221節を読み終えたときは感動でいっぱいになり、思わず歓声をあげた。こうした読み方があってもいいと思う。

 

『しかり、わたしはすぐに来る。アーメン。主イエスよ、来てください』

 

主の2011年も『みこころが天でなるごとく、地にもなさせたまえ』と祈りつつ、主に期待する年でありたい。主の《希望の風》をしっかり見つけ、とらえたい。

 

 

 

 

 
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