人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

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日々の風から 年末雑感 その2 年賀状事情

正月の花

 クリスマスカードのやりとりが終わると、年賀状です。ですから元旦に届くように準備できたことは少ないのです。毎年のことながら申し訳ないと思います。

 

それにしても、振り返って昔のことを思い出すと、まずは手書き時代がありました。本文も宛名もせっせと書いたものです。どなたもおなじでしょうけれど。無理して毛筆をつかったこともありました。太めのサインペンもよく使いました。時々書き損じたりなど、苦労がありました。そのうちワープロが登場してくると、本文はそれで作成し、宛名は手書きをしました。それが長く続きました。せめて宛名くらいは丹念に手で書きたいと拘ったりしました。

 

しかし、今や両面ともワープロになってしまいました。また、データ化している写真集から適当なものを選んで挿入することが出来るようになり、カラフルなものが作れるようになりました。

 

年賀状に迷った時期がありました。クリスマスと新年の両方を視野に、レター形式で長々しいものをつくって、クリスマス前に送りました。ところが、元旦に年賀状をいただくと、お返事を書きたくなり、それも年賀状には年賀状を使いたくなり、結局、昨年辺りからはまた年賀状に逆戻りしてしまいました。これで落ち着くかどうか、来年のことはまだ決めていません。

 

年賀状と言えば、いわゆる喪中の方から暮れのうちにお便りをいただきます。そうしたお便りが増えています。いただいて始めて知ることもあり、その前に知らせを受けた方もあり、葬儀に参列した方もありますが、改めてしみじみと見入ることです。遠い知人からですが、96歳の母上を見送ったこと、さらに御自身が大病をされたと記されていました。

 

年賀状に戻りますが、今日は孫たちも自分のを作成していました。親のパソコンをどんどん使って、どこからかすてきなパーツを取ってきたり、自分の写真を入れたりして、びっくりするような斬新なのができました。それを、メールで送ってくるのですから、子どもにはかないません。親の方はまだまだ取りかかれないようです。 

 

 

 

 

 

 

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日々の風から 年末雑感 その1

 



年末雑感 その1

 

我が家を会場に、同じ地域に住む教会の姉妹たちと、最後のクリスマスを兼ねてランチ愛餐会をしました。三十年、四十年と一つの教会で毎週顔を合わせているので、顔ぶれは変わり映えしませんし、我が家に来ることも珍しくはありませんが、ひとときを濃密に接近して過ごすことは意味深いものです。

 

7名が小さな部屋の小さなテーブルを囲みました。最高齢者は82歳、この4月から我が家の隣りに越してこられた独り暮らしの女性、二番目の高齢者は78歳ですが、クリスチャン年齢は1歳になったばかりの初々しい女性です。ご息子家族が長年の教会員なのですが、ご本人はようやく信者になりました。お嫁さんの姉妹とご一緒に参加です。

 

一人だけクリスチャン予備軍の方も参加してくださいました。この方は、かつて教会が幼稚園をしていた頃、一人息子さんを通わせておられた父兄です。そのころ私も園に奉仕していました。またその後私の学習塾にもずっと通われました。教え子のお母さんという関係です。この20年ずっと教会にお誘いしてきました。ときどきお見えになりますが、まだ、イエス様との関係が正式になっていません。祈り続けている方です。

 

隣人のKさんについては、以前に書いたことがありますが、越してきて半年が過ぎました。相変わらず独り暮らしですが、教会の近くに来たことや、今では数名の女性たちがそれぞれ分担して係わっていることなどから、見違えるように元気になりました。明るい顔つきになり、以前には体のことや暮らし向きのことなど、愚痴も多かったのですが、それが出なくなりました。いそいそと教会に出かけ、デイサービスも楽しいようです。ほんとうに感謝です。

ただし、手放しで喜べないこともあります。老いは確実に進んでいます。できないことが多くなりました。それをご本人がちっとも自覚していないことが周囲の悩みの種になり出しました。それでも、係わっている者たちが相談し合い祈り合うことができるので、心強いです。

 

老いというのは一人一人、その現れ方が違うのには驚きます。父や母を看たとはいえ、こんなことは母はなかったし、母はしなかったなどと、戸惑うことも出てきます。小さな経験があまり役に立ちません。またまた勉強しなければなりません。

 

愛餐の食卓は持ち寄りです。いつもながらとても便利で楽しみです。主食、主菜、副食、デザートがバランスよくテーブルを飾り、栄養的にも過不足なく揃いました。ただし、勢いに任せてちょっと過食気味、カロリーオーバーだったかも知れません。(ごちそうを撮すつもりだったのに忘れて残念!)ともあれ、一つになって主を賛美し、みことばが開かれ、祈りが捧げられる集いには満足感が満ち満ちます。

 

皆さんの弾んださよならの声を聞き、カップを片付けながら、思ったことですが、宿を提供し、友を迎えられるのはなんと幸いなことかと。感謝でいっぱいになりました。今回都合で欠席した姉妹たちをも加えて、また近々次ができることを願いました。

 

20年来クリスチャン予備軍で、その先へ進めない友人がイエス様を個人的に知ることができるように、いっそう祈らねばとも迫られました。すてきな宿題なのですから。

 

 

 

 

 
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日々の風から 今年のクリスマス・トピック
 

クリスマスイブの24日夜に、たいていの教会では燭火礼拝(キャンドルサーヴィス)を

しますが、我が教会では昨年に続き23日(休日)にしました。24日はお仕事に就いている方々にはふつうの日なので、夜の7時に教会へ来るのは困難です。そこで休日の23日に変えたのです。

 

ほんとうに、休日のせいか、学生たちも、家族連れも、主婦たちも、いつもより大勢の方々が参加してくださいました。珍しいお顔も見えて、うれしいひとときになりました。

 

燭火礼拝は、ふだんの礼拝やその他の集会とまったく形式が違います。牧師のメッセージもありますが、賛美と聖書朗読が交互に組まれます。賛美はクリスマスの讃美歌、聖書はクリスマスの記述箇所が読まれます。その間は消灯し、明かりは机上のキャンドルだけです。

 

全員の賛美のほかに器楽だけの演奏(ピアノとトロンボーン)、独唱、そして教会聖歌隊の合唱が入りました。私は聖歌隊の末席に連なる者ですので、この日のために猛練習?してきました。今回は以前にも歌いましたが、ハレルヤコーラスをしました。出来映えはともかくも、20名ほどの仲間たちが一つになって一心に歌いました。心弾み、うれしさはひとしおです。まだ聖歌隊用のガウンはないので、上は白、下は黒と、色だけ統一して臨みました。

 

その後はティータイムです。教会の女性たちが腕を振るったスイーツとお茶が配られて、しばし歓談です。この夜は、どこのテーブルも話が弾み、ほんとうに時の経つのに気が付きませんでした。親しくしている近くの牧師家族がお菓子をたくさん抱えて飛び込んでこられ、いっそう盛り上がりました。いつの間にか青年たちがワーシップソングを歌い出し、会場はまたまた賛美でつつまれました。教会はこれをもってすべてのクリスマス行事を終了します。

 

今年のクリスマスで、一番の恵みは、末期ガンで入院中の女性が、ご主人といっしょに洗礼を受けられたことです。夫婦揃って受洗したいと強い希望を持っておられました。もう教会に来ることも難しくなったので、先週、病室を訪問しました。私は牧師夫妻に同行し、世にも麗しい出来事を目撃し、祈り、喜ぶ恵みをいただきました。

 

一人の人が、この世の生を終えようとするぎりぎりの所で、いわば崖っぷちで、キリストの救いに与れるとはなんという幸いであり、恵みでしょう。病室いっぱいにイエス様の十字架の愛と永遠のいのちが満ち満ちているのを感じました。晴れて教会の交わりに入り、兄弟姉妹として繋がったA姉は、落ち着いた笑顔で救われた事実を噛みしめているようでした。

 

『神はすべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます』

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日々の風から 今年のクリスマスエッセー




毎年、クリスマスの時期になると、エッセーや小説や童話や降誕劇を書いてきました。今年も導かれて一篇を書きました。


2010年 クリスマスエッセー

 

『思い巡らすマリヤ・おさな子と乳飲み子』

 

い葉のおけに寝ている/かわいいかおのイエスさま

お星がそらで やさしく/ ねがおをじっと見ている

(ふくいん子どもさんびかより)

 

マリヤは赤子のねがおを見つめ続けていたにちがいない。

遠いベツレヘムの家畜小屋にいることも、我が子を飼い葉おけなんかに寝かさねばならないことも、

時の経つのすらも忘れて、ひたすらに見入っていたにちがいない。

とりわけ、マリヤは口元を見つめていたのではないか。

赤子の口は楽しい夢でもみているように時々ほろこぶかとおもうと、大きく開けてあくびをする。

歪んだかとおもうとからだ中を波打たせて泣き出すのだ。

口元を見ていさえすれば赤子の様子が手に取るようにわかるのだった。

マリヤはそうしながらも、天使ガブリエルの告知から始まった出来事をじっと思い巡らしたはずだ。

「おめでとう マリヤ。主があなたとともにおられます」には、どんなに驚いたことか。

「あなたはみごもって男の子を産みます」に至っては気の遠くなる思いがしただろう。

しかし御使いの愛に満ちた説得と宣言に降伏して、ついに、

「あなたのおことばどおりこの身になりますように」と応答したことを、

つい昨日のことのように思い出していたにちがいない。

マリヤの思いはさらに先へ先へと巡っていく。

イザヤの言葉が浮かんでくる。

「見よ。処女が身ごもっている。その名はインマヌエルと呼ばれる」

「一人の男の子が生まれる。

その名は不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君と呼ばれる」

そうして、マリヤはまたしっかりと目を凝らして赤子を見つめ続ける。

この子は神の御子。御使いは確かにそう言われた。

いまにこのくちびるで神のことばを語るのだわ。

人を幸せにするいのちのことばを話すのね。

御子の最初のひとことを聞くのはわたし。

なんと、もったいないことかしら。

わたしは主のはした女にすぎませんのに。

だから、これからのち代々の人々は

わたしを幸いな女と呼ぶでしょう。

我がたましいは救い主なる神を喜びたたえます。

         ☆

マリヤはまたひとつのみことばを思い出した。詩篇だった。

「あなたはおさな子と乳飲み子の唇によって力を打ち建てられました」

なぜ神がよりによっておさな子と乳飲み子の唇を用いるのだろうか。

神様のお役に立つにはふさわしい人たちがたくさんいるではないか。

特に、いにしえから選ばれている宗教家たちなら大いに役立つではないか。

おさな子のことばは、母親にしかわからないほど、たどたどしいのだから。

ずっと、謎だった。どうしてもほぐれてくれない糸玉のようで、もどかしかった。

が、赤子イエスの口元を見ていて、ハッとした。

 

神は、この世でもっともか弱く、力のない赤子から、偉大なみわざを始めようとしておられるのだ。

わたしのような者を御子の母となさったのも、同じみこころなのだ。

おさな子と乳飲み子とは、この世の弱者たちのことにちがいない。

この世の底にそっと沈むように生きている人たち、

外からの助けがなければいっときも生きていられないか弱い者たち、

悪いことを企むほどの力も知恵もない善良な人たち、

そうした人たちに栄光を表わすのだ。

神のご計画はなんと深淵でしょう。

          *

そのときマリヤはひとかたまりの羊飼いが、そっと、そっと足音を忍ばせて、

飼い葉おけを取り囲むのを見たのだ。

「主がお知らせくださったこの出来事を見るために駆けてきました。

ベツレヘムの郊外の野原から。この赤子こそ救い主ですね」

ああ、この寒空に、この真夜中に、野を越え、丘を越えていちずに走ってこられたのね。

この人たちはもっとも貧しく低き人たちだわ。

神はこの人たちを敢えて選んで、いちばんに御子を崇めさせた。

ここにもまた神の真実があるわ。

          ☆

その後もマリヤは、イエスが十字架上でいのち果てるその時まで密着したにちがいない。

神の御子を託された母の責任として、

それ以上に、神の栄光を見る特権を喜びながら、そうしたにちがいない。

マリヤは御子が語り歩く一つ一つを自分の体に刻みつけるようにして聴き続けた。

とりわけ、ガリラヤ湖畔の丘の上で語られた教えは、音を立てて血の中を生き生きと巡っている。

あの赤子だったイエスの口が、かつてだれも聞いたことのない慰めに満ちた教えを説いたのだ。

          

心の貧しい人はさいわいです。天国はその人の者だからです。

悲しんでいる人は幸いです。その人はなぐさめられるからです。

野の花を見よ、空の鳥を見よ。明日のことを思い煩うな。

 

マリヤは体を振るわせながら聴き入った。

頬を伝わり流れる涙にも気付かないほど、我を忘れて聴き入った。

これほど麗しい教えがあるだろうか。

ここに愛がある。ここにいのちがある。

十字架を目前にしたイエスをエルサレム神殿で喜び迎えたのはおさな子たちだった。

マリヤは忘れない、無心に歌う子どもたちの賛美の声を。

「ダビデの子に ホサナ。祝福あれ。

主の御名によって来られる方に。ホサナ。いと高き所に」

それを聞いて御子は満足そうに群衆に向かって言われたわ。

「あなたがたは幼子と乳飲み子の口に賛美を用意されたとあるのをしらないのですか」と。

マリヤは、あの遠い日に、飼い葉おけの中で眠り続けていた御子の口元を思い出して深くうなずいた。

ああ、私は恵まれた女。

我がたましいは救い主なる神を喜びたたえます。

 おわり

 

 

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風の仲間たち  半世紀ぶりの再会

horesuto 

むかし、むかし、およそ半世紀前のことです。私は世界に名だたる一流商社に就職しました。そこは東京の下町育ちの私にはまぶしいほど華やかな開けた世界でした。仕事はきつかったけど、やりがいがあり、何よりも上司も、先輩も、心広き紳士、淑女たちであり、同期のサクラたちとは配属の課は違えど、熱く固い友情で結ばれ、毎日が楽しくてたまらないほどでした。かつて学校に行くのが楽しかったように、毎日いそいそと出勤したものです。よき時代だったのかも知れません。

 

会社はキリスト教には寛大で、自分の信仰を表明するに何一つ妨げになるものはありませんでした。女性にはミッション系の学校を出た人も多くおられました。

しかし私はわずか2年で退職し、家業を継ぎました。それからはずっと小さな世界に入り込み、今日に至っています。

 

近年、所属していた課の同窓会?が開かれるようになり、案内をいただいてきました。私は世間との交わりには敢えて消極的な姿勢を取ってきましたので、いつも無視、あるいは欠席で通してきました。ところが今年は心が動きました。その理由は、いたって俗っぽいのです。

 

会場となる場所がお仲間のお住まいで、六本木ヒルズやミッドタウンの近くのマンションの26階なのです。超高収入の有名人でなければ入れないでしょう。冒険心と好奇心が沸騰したと言ったら笑われるでしょうか。

 

こうして私はおよそ半世紀ぶりに当時の課の方々と再会することになりました。さすがに気後れがしました。人間、すがた形ではないと胸を張ってみても、歳月の正直な風雪に晒された我が身を眺めると、ひるまざるを得ません。私一人が年を取ったのではなく、皆さんも平等に50年を過ごしてこられたのだと言い聞かせつつも、気持ちがついていけませんでした。

 

指定された待ち合わせ場所に行きましたが、さて、どの方がお仲間なのかさっぱりわかりません。それらしき数人がおられたのですが、あまりに老人たちなので、まさかと思っていました。私の脳裏には当時の皆さんのお姿がちらちらするのです。

 

半分途方に暮れていましたら、それらしき人たちのひとりの老女が近寄ってきました。

「もしかして○○さんね。私、△△よ」ああ、やっぱりそうだったのです。こんなに、お年寄りになるんだと、茫然としましたが、しばらくするとかつての面影が見えてきました。ところが男性はまったく変っていました。もっとも、すでに後期高齢者レベルですから無理も無いでしょうけれど。こうして一瞬のうちに私の愚かな危惧は雲散霧消。懐かしい方々との再会成ったのです。

 

マンションの主は淡々と一行を迎えてくれました。まるで昨日もいっしょにいたかのようです。どこにも不自然な雰囲気が無いのがとても不思議でした。かつていっしょに仕事をした仲間同志とは、こんなにも簡単に50年の川を飛び越せるのでしょうか。しかし、何人かの方々はすでに地上の人ではなく、少なからず悲しくなりました。亡くなった男性の夫人が輪に加わっておられたのは愉快でした。

 

毎年12月に催す事にしているらしいのです。来年もぜひ来てくださいねと、幹事役から促されましたが、確約はしないままお別れしました。クリスマスの時期ですし、都合がつくかどうかわかりません。しかし、昨今、人と会うことの大切さをようやく発見したところですから、対象をクリスチャンばかりに限定せず、多少広げてもいいかなとも思っています。

 

一人一人に刻まれた人生の年輪は貴いものだとつくづく思いました。人生行路の詳細や秘事は知るよしもありませんが、ともかくも一生懸命生きてきたことだけはありありとわかります。そして、その働きは決して個人の益のためだけでなく、日本の、世界の、歴史の一端を築いてきたものでもあると思います。そして、特に男性の皆さんは、それなりに功成り名遂げ、悠々自適の余生を送る幸いな人たちなのかも知れません。こうした一群れを目の当たりにできるのも、視野の狭い私の人生にとって生きたよい教材になると思いました。

 

さて、この教材をどのように用いるかはこれからの私の課題です。それはそれとして、高層ビルの一室に坐して眺める景観は最高でした。夜景はいかばかりかと、さらなる欲心をかき立てられました。

 

 

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旅の風から 久々の乗り鉄『車窓楽』仙山線

仙石線2 仙山線4


仙石線3

 

上野

仙山線5

仙山線6



妹その1から声がかかって、3年ぶりで列車の旅をしました。日帰りで、ひたすら乗るだけ。
横着なものです。乗車券は《都区内》から《都区内》です。今回の目当ては仙山線です。

 

ルートは上野から、スーパー日立で仙台へ。仙台から山形。山形から新幹線で上野です。朝8時に乗って、山形で1時間の余裕を取って、上野到着はほぼ18時でした。いちばん長いのは上野から仙台までで、約3時間半でした。地図で見ると、海岸ぎりぎりを走るのかと思いましたが、ちらちらと見える程度。それでも首を伸ばしつつ、自然のママの海岸線を眺めて、たいへん満足しました。

 

仙山線は仙台と山形間を走ります。途中単線もあって、乗り鉄の醍醐味を味わいました。

芭蕉の句で有名な立石寺のある山寺では、下車したいと思いましたが、むなしく通過。

蔵王などうっすらと冠雪した山並みを見て、気候の違いに改めて感動しました。山形で初めて改札を出て、駅ビルでおそばをいただきました。おそばは盛りそばに限るとばかり、冷たいのを注文し、そば湯で暖まりました。

 

関東以北の東西を走る鉄道を、まずは乗りつぶしたいのです。

次回は磐越西線に挑戦したいです。

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日々の風から また一冊が生まれた

本



今年は自分の著書は出版できていませんが、2冊の本の編集に全力を注ぐことができ、大きな充実感とともに、感謝でいっぱいです。

上の本は、日本クリスチャンペンラブ関東が発行したものです。クリスチャンたちの信仰のあかし集です。

この本の特徴は、おなじテーマで、わずか400字(原稿用紙1枚)で書いた作品が収録されていることです。テーマは『花』・『鳥』・『風』・『月』で、四字熟語にまとめれば『花鳥風月』となります。それをタイトルにしました。

もう一つの特徴は、会員たちの自由詩があり、また童話・小説などフィクションも収めたことです。A4版で220ページの大冊です。

執筆者たちで分け合い、また、関係者に送っていたら、残部はわずかとなりましたが、興味をお持ちの方がおられましたら、ご連絡ください。

はじめのことばを理事長I・H師が、おわりのことばを私が書きましたので掲載します。


はじめに   伝わる不思議さ I・H師       

      

伝えようとする気持ちが強すぎると、かえって伝わらないことがあります。それは無理やり押し付けられる感じがあって、受け取る側の心が閉じてしまうからです。また伝える側も熱心なあまり、受け取りやすさへの配慮が足りなくなるからでしょう。

しかし伝える熱情が弱いと、なぜ伝えねばならないのかとの疑念を与えてしまいます。感情の伝達が、言葉7%、声38%、表情55%によるとまさに言われる通りです。

そのような伝達の一般的な流れがあったとしても、こと福音の受容に関しては、伝わるという事自体すでに神のみわざとしか言い得ないものがあります。言葉足らずの、しかも罪びとの証が伝わるとすれば、それはもうご聖霊による奇跡。

「私の心はすばらしいことばでわき立っている。私は王に私の作ったものを語ろう。

私の舌は巧みな書記の筆」(詩篇45・1)

「物書く人の筆として」(新共同訳)も、興味ある訳です。王のための祝婚歌ですが、ソロモン以上の王、つまりメシア詩篇として捉えると、花婿なるキリストへの憧憬・讃美が沸々と湧いてきます。その熱き思いをもってペンの仲間達が、ここに一冊の作品集を、祈りつつ編み出しました。


おわりに  書く力はどこから  希望の風            

 

昨年末の運営委員会で、二〇一〇年はJCPの原点に返って四百字のあかし文章を学びながら書いていくことが決まりました。主題テーマは『花鳥風月』。隔月例会ごとに『花』・『鳥』・『風』・『月』にちなんだ四百字作品を提出し、合評し合い、年末までには作品集を発行しようと目標を定めました。

当初は、原稿の集まり具合を危惧しましたが、予想は見事に外れて、ほとんど全員が力作を抱えて集ってこられました。たくさんの『花』が咲きました。

こうして、およそ一二〇篇の『花』『鳥』・『風』・『月』が集まりました。手書きの原稿はワープロの出来る兄姉が精力的にデータ化してくださいました。作品集の道が見えてきました。委員会はさらに大きな企画をしました。【詩歌の会】の作品と、【童話、エッセー、小説の会】の作品も載せましょうと。

かくして猛暑の夏は編集の時になりました。一冊が二〇〇ページを超えてしまい、うれしい悲鳴をあげました。

それにしても、この書く力はどこからうまれるのでしょうか。

これこそ、あがなわれた者の喜びからわきあがる福音力、宣教力ではないでしょうか。

『鉄の筆と鉛とによって刻み……つけたい』(ヨブ記十九章24節)

来年も、再来年も、敬愛する仲間たちと書き続けたいと、主に願うことです。



ついでながら、今年私が携わったもう一冊は、お茶の水聖書学院の20周年記念誌です。タイトルは『主に仕え 教会に仕える』です。
大勢の方々から寄せられた貴重な文章と、20年に亘る思い出の写真や資料が満載され、学院の宝物だと賞賛を浴ています。係わった者としての喜びを味わっています。

 

 






 
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