人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

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心の風から 8月の収穫

バラ園9 


振り返れば今夏は梅雨明け以来今日まで、ほとんど熱暑の連続でした。でした、とうっかり過去形は使えません。現在形、いや現在進行形です。ほとほと疲れました。おまけに、政界の醜態も加わって、何とかしてくださいと叫びたいです。実際、神様に私たちに国を哀れんでくださいと祈っています。ともかくも、今日で8月が終わります。暑さも醜態もまだ続くでしょうが、気持ちの上で一区切りできるのはカレンダーのおかげでしょうか。

 

この夏は、恩師の病状が思わしくなく、今も重篤ですので、毎日が気が気ではなく、ただただ祈りに明け暮れました。旅行も研修会で京都へ行っただけ。その2はありませんでした。

それでいいと思っています。私の中年以後の人生に意義を与え導いてくださった方が、今、新しい国へ旅立つための最後の準備をしておられるのです。感謝の思いをこめてじっと見つめていたいと思います。

 

そんな緊迫した状況の中でも、主は感謝な時を与えてくださいました。ランチやお茶をして小さな集いを何回も持つことができました。こんなに集中したことはありません。教会の姉妹たち、学院関係の姉妹たち、ペンの姉妹たち、妹たち、また、娘や孫たちとでかけました。

 

中でも、友人たちとは心ゆくまで語り合い、密度の濃い交わりができたことは、大きな収穫になりました。語らううちに、あれやこれやと心に掛っていた薄雲が消えていき、主にあって、友情が深まっていくのを感じました。

 

老いていくと、行動力が鈍ります。思っていてもいざとなると、腰を上げ、一歩を踏み出すのが億劫になるのです。でも、思っていただけでは改善あるいは前進しないこともあります。

まあ、いいか、どうにかなるだろう。こんな小さなことをしたって、何も変らない。そう思えばそれで済んでしまうようなことも、じっと祈りつつ、考えつつ、確信が持てたら、行動へと進みたいと思います。それくらいのエネルギーはいつも持ち合わせていたいと願います。特に人間関係において。一本のメール、一本の電話、一枚のはがき、小さな声かけを大切にしたいと思います。

 

いよいよ待望の9月を迎えます。涼やかな希望の風を期待します。

心の風から comments(3) -
書林の風から『西洋史とキリスト教――ローマ帝国からフランス革命まで』(黒川知文著 教文館)
 

堅い書物に齧りついています。暑気払いのためなどと不謹慎なことは申しません。著者が精魂込めて書かれたのです、いわば、命が注ぎ込まれているのですから、こちらもできるかぎり誠意を持って読んでいます。

微少ですが、著者を存じ上げています。過去に面識もあります。心から尊敬するキリスト者のお一人なのです。某大学の教授、また2つの大学の講師もしておられます。何度か講演をお聞きしました。たしか、ドストエフスキー論でした。ロシアも研究の対象で、ロシア文明論を発表したいと、おわりに、に書かれています。

 

過去には『ユダヤ人迫害史』を興味深く読みました。とにかくその研究心には驚かされます。しかし、単なる歴史学者ではありません。並行して聖書を深く研究しておられ、神学校も出ておられます。また創作にも熱心で、文学の才能も豊かです。神様は一人の方にどうしてこれほどまでに豊かな賜物を与えられるのか、不思議なほどです。

 

今まだ途中ですが、私が最近学びたいと思っている、中世の修道院と宗教改革の章はよい勉強になっています。本書は歴史の教科書ではなく、師の思うところが論じられているのですが、私は今のところ、中・高校生のように、史実を頭に入れるのが精一杯です。

 

とは言え、本書の特色が《はじめに》で述べられています。抜粋してみます。

『現在と将来において経済力を高く維持する国は、欧米諸国が中心となっている。これらを宗教の観点から見ると、キリスト教国であり、教派別に見るとプロテスタント国が圧倒的多数である』

『パレスチナという中東地域において発生したキリスト教が、どのように西欧に受け入れられ、どのように変化して今日まで継承されてきたのだろうか、西洋の歴史をキリスト教の観点から考察する』、『基本的には、経済的側面と宗教的側面から歴史を見ようとするもの』

 

さらに著者は述べています。

『第一に、本書は、主にプロテスタントの観点から西洋史を見るものである。従って、宗教改革の周辺が考察の中心となり……』

『第二に、本書は世界史の基礎的知識を持っている者を対象にしている。『世界史の教科書』でない。政治史、文化史、科学史等に関してはほとんど触れていない』

『第三に、本書は、経済的側面と宗教的側面から歴史を見ようとするものである』

 

第一章・ローマ帝国とキリスト教→ローマ帝国の中でキリスト教がどのように受容されて

いったのか。

第二章・西洋中世の世界→先住文化をキリスト教はどのように取り込んでいったのか、またそれを、どのように変えていったのか。

第三章・宗教改革の時代→宗教改革はどのように生起し展開し、歴史を変えていったのか。

後半は市民革命を扱っている。

第四章・英国宗教改革とピューリタン革命。

第五章・信仰復興とアメリカ独立革命

第六章・フランス革命とキリスト教。

 

新発見したことは、宗教改革者カルヴァンです。あの『キリスト教綱要』の著者ですから、世と隔絶した深窓において研究と執筆に専念した神学者・牧師と思っていましたが、全くの誤解でした。ルター同様、時の権力と命がけの戦いをしました。しかし、ジュネーブで地位を得てからは逆に政治的権力を使って、非情と思えるほど反対派を断罪し、彼によって追放された人や、死刑にされた人さえいたのです。激動の改革期の出来事として考えるべきなのでしょうか。

 

まだまだ読みが浅いので、著者が訴えたい大切なテーマをくみ取れないでいます。一つ感じることは、キリスト教が社会に与えた力の大きさです。人の魂の救いが原点ですが、それにとどまらず、家族を変え、地域を変え、村や町を変え、為政者を変え、国を変え、今日の欧米を作り上げた、そのダイナミックな力です。それが神様の真意なのか、神様の名を使っての人の変革なのか、それはわかりません。

 

欧米とはほど遠い、異教色の強い東洋の端っこに住むキリスト者としては、キリスト教の及ぼした影響力を理解しながらも、出来ることは、聖書の、特に、イエス様の生き様と教えに聴き耳を立てることに専心することだ思うのです。

『まず、神の国とその義とを求めよ』が足下から響き渡ってきます。

 

 

 

書林の風から comments(1) -
日々の風から 窓から涼風が
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まるで敵の襲撃から逃げるように、意識的に外出を避けて家の中に隠れた夏、こんな夏があったでしょうか。今年だけが特別に記録を破る暑い夏ではないはずです、でも、今年は、なぜかそうしています。2回の外出を1回で済むように工面したりしてなどして。

夏が嫌いなわけではなく、体調に特別な不安を感じるわけでもないのに、今年の夏ばかりは暑さに敏感になっているのはどうしてなのでしょう。

 

いままで熱中症と聞いても、他人事に思えてたいして気にしていませんでしたが、家の中にいても罹るとなると、いい加減にはできません。なにやら自分にも似たような症状があったりすると、おやっ、もしかして、などと気になります。

 

いつもは塩分控えめを当たり前のようにしていますが、この夏ばかりはお塩の瓶によく手が伸びます。枝豆やトウモロコシをいただくとき、多めにふりかけます。渇きを覚えなくても、水分摂取に気をつけます。梅干しの容器を引き寄せる回数も多いです。

 

独り暮らしの高齢者に熱中症の被害が及んでいると聞いて、ふと、あの友、この友が気になりました。訪問する気力もないので電話訪問です。お元気な声が聞こえてきます。お水、飲んでますか、お茶、飲んでますかと尋ねると、近くのスーパーから買ってきて、飲んでますよとお返事があり、ああ、守られて、何事もなく過ごしておられるなあと安心し感謝しました。

 

閉門蟄居ではありませんが、我慢在宅していると、友人たちから盛んにメールが飛び込みます。皆さん同じようにできるだけじっとしているようです。暗くなってから買い物に出るだけにしていますなどと。思わず笑いがこぼれました。

 

気の利いた夏便りができず、まことにお粗末ですが、夏旅行その2もなさそうです。長女ファミリーが、パパの小さな夏休暇をフルに使って、ここ数日出たり入ったりいそがしくしていました(大きなレジャーは諸般の事情で無理のようです)。時々誘われますが、腰が上がりません。行ってらっしゃい、気をつけてね。と手を振るのにとどめました。

 

日暮れがぐんと早くなっています。暑さはあっても、すでに薄暗くなっているので、とても妙な感じがします。今夜は窓を開け放すと、涼風を感じるではありませんか。おもわず、つけっぱなしだったかしらと、エアコンを見上げてしまいました。間違いなく窓からの風です。

ぐっと身を寄せて、涼風を体感し、楽しんでいます。もう、秋はそこに来ているのです。

 

 

 

 

日々の風から comments(0) -
世相の風から 生死不明の高齢者


バラ園7 

生死の判別しない長寿者がおられるというニュースほど驚かされたものはありません。

まず、たとえ同居していなくても、自分の親が誰とどこで暮らしているのか、元気なのかどうかさえ、答えられないとはどういうことでしょうか。中には、何年も会っていないと答えもありました。

 

私は思わず「自分の親ですよ。自分を生み、育ててくれた親たちですよ。しばらくは一つ屋根の下でともに暮らした親子ではないですか。赤子のあなたを胸に抱き、乳を飲ませ、おむつを替え、お風呂に入れ、衣服を着せてくれた親ですよ。子守歌を歌って寝かせてくれた親ですよ」

 

もちろん、いい親ばかりではないでしょう。虐待する親だっていますから。捨てる親だっていますから。また、子どもの生活状況も厳しい時もあるでしょう。親を思いながら、親孝行できない場合もあるでしょう。でも、でも、その所在くらいは知っておけないのでしょうか。

 

一方、国や地方などのお役所が、自分の国民の生死させ知らないとは、どういうことなのでしょうか。親子関係は人の想像を超えて複雑な事情が絡み合っていることもあるでしょうが、お役所は方法さえきちんとしてれば機械的に把握できるのではないでしょうか。これが国や地方自治体の基本的な働きではないでしょうか。私はずっとそう思っていました。住民票や戸籍はいったいなんでしょう。でも、きっと私はあまりにも政治の仕組みや、世の中の裏や人間関係の複雑さを知らなすぎるのかもしれません。

 

それにしても、いない親の年金を知らん顔して受け取っているとは、どういうことでしょう。親の年金をあてにする子どもの話は聞くことがあります。寝たきりや、認知症、施設にいる親のものを子どもが管理することはあるでしょうが、亡くなっても知らん顔とは、社会的に可能なのでしょうか。お葬式はどうしたのでしょう。死亡届は出さなくてもいいのでしょうか。

 

個人の自由もプライバシーもないいきすぎた管理社会は、もちろん大問題ですが、せめて国民ひとりひとりの生死くらいは、法治国家である国がきちっと知っていてほしいです。

 

しかし、ふと、考えますと、人の生死は、一口で片づけられる問題ではないかもしれません。たとえば、拉致された方の行方は親の願いや国を挙げての努力にもかかわらず、知ることは困難です。また、無縁仏として葬られている方々の数ははかり知れません。


小さなきっかけから明るみに出てきたこの度の問題は、今に始まったことではない人類の大問題であり、日本だけでなく、おそらく世界中に転がっている恥部であり闇なのかもしれません。

 

 

 

 

 

世相の風から comments(4) -
日々の風から 酷暑の京都へ


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夏の京都は冬の京都と並んで、その暑さ寒さは一通りではないとよく聞きますが、そんな悪評をものともせずに、クリスチャン・ペンクラブ研修会なんとこの地をの開催地に選んだのです。関東の者たちにとっては京都はあこがれの地ですから、報を聞いた当初は、学びはさておき遊びごころが先に立って、せっかくだからもう一泊して名所旧跡を訪ねましょうと、仲間たちと意気投合しました。

 

ところが夏になって、猛暑が続いて、日々暑さと戦ううちに、遊びごころは日に日にしなえ、東京駅のホームに立つのさえ億劫になってしまいました。同行の仲間たちは一様にハイ・エイジ。一人一人のお顔を思い浮かべ、体調を問い合い、励まし合いつつ、どうにか、一人もハプニングなく全員が決めておいた新幹線に乗り込むことができました。

 

名古屋を過ぎたころ、テーブルには思い思いのお弁当が広げられ、笑みいっぱいでお箸を使う光景に、○○年前の修学旅行が重なりました。旅は童心を呼び起こすのでしょうか。

 

大きな体格のその頭にお帽子を乗せたI牧師がツアコンよろしく先頭に立てば、私たちは生徒、あるいは観光客のようにぞろぞろと安心して後につき、地下鉄の改札を通りました。

いつもなにげなく使っているスイカがアウトでいっせいに怪訝顔、どうして使えないの、同じJRなのに、何とかならないの、などとつぶやきつつ、慌てて切符を買う有様。関東のお上りさん丸出しでした。

 

宿舎につくと、担当の関西地区の方々がかいがいしく出迎えてくださり、そこへ他の地域からも続々と参加者が到着。あちらこちらで再会の歓声が響き渡りました。日頃の日本人には見られない握手、ハグが当然のように繰り広げられました。一年ぶり、三年ぶり、もっと多くの歳月を経ての方々もあり、内心お互いの老いぶりに愕然としながらも、無事を喜び合いました。私はこの情景がいちばん好きです。間近に会い、顔と顔を合わせ、見つめ合い、声を聞き合うことはなんと心を燃やすものでしょうか。現代文明の頂点ITの威力など見る影もありません。

 

地上での再会ですらこれだけの喜びをもたらすのなら、やがての日の天上での再会はどれほど興奮するものでしょうか。まず、主なるイエス様との握手、ハグには何時間、何年費やしても足りないでしょう。そのあとは、懐かしい方々が続々と手を伸べ歓喜の涙に頬を濡らしながら待ち構えておられるでしょう。一人一人と心ゆくまで語らっていたら、それほどの時間が必要でしょう。これだけでも無限の時が要ります。天国には時間制限がないのはこんなことからも理解できます。『こうして私たちは主とともにいつまでもいるのです』のみことばを思い出しました。

 

現実は、うっとりと夢心地にさせてはくれません。1分の無駄もなくきちっとプログラムが立てられています。そのタイムベルトに乗って、研修会に引き込まれていきました。

今回は、近年に著書を出版した仲間たちが次々に講演をなさり、一冊の本を巡る隠れたドラマや資料集めや取材、また作品に込めた作者の意図などをじっくりとお聞きしました。

あらためて、創作心を刺激されたことでした。

 

 

翌日の午後、名残を惜しみつつ散会となりましたが、一歩外に出ればかんかん照りの京都です。しかも不慣れです。そもそも自分の宿舎が位置するところもおぼろ。受付でよくよく説明を聞き、一番近い名所を教えていただきました。そこは詩仙堂でした。その名前に惹かれてかねてから一度訪ねてみたいと思っていましたので、数名の仲間とタクシーに乗り込みました。

 

鹿威しの響く縁に坐したものの、開け放たれた庭から吹く風はやはり涼しいとは言えません。訪問の時期を間違えたのでした。それでも、いつ、再び来られるかわかりませんから、メインの詩仙の間に掲げられた36人の中国の詩人たちの肖像と漢詩をじっくりと眺めました。

 

逃げるようにして京都駅に駆け込み、予定よりずっと早い列車の席を取り、発車までのつかの間、甘い甘いケーキセットで一息つきました。日常が近づいてきた感じがしました。

 

列車は夕闇を引っ張るようにして走るのか、小田原を過ぎたころ、小さくなった富士山が黒々と浮かび上がって見えた時は、関東に帰ってきた、家路も近いと安心するから不思議なものです。真夏の旅物語の一つが終わりました。二つ目はどうなりますか。

 

 
旅の風から comments(4) -
風の仲間たち 話題の多い友


バラ園1

 

7月も今日で終わり。しかしこれから8月が来ると思うといささかうんざりです。今日が8月31日であたったらと思ってしまいます。暑さ寒さも何とやらーーに当てはめれば、あと50日は暑さとの戦いが続くことになります。夏とも暑さとも喧嘩したり戦ったりしたくないけれど、身構えて心引き締めて相対しないと、倒れてしまいそうです。

 

この暑さの中で、一人の姉妹S子さんが天に帰っていきました。お葬儀に参列してきました。親友というほどの仲ではありませんでしたが、忘れがたい方でした。話題の多い方でもありました。姉妹を偲び、主に栄光を帰する意味で、多かった話題に触れたいと思います。

 

S子さんは若い頃から不治の難病に冒され、苦しみ続けてきました。一年の半分は外出ができなくなり床に伏せっている他はありませんでした。心身の具合のいいときは、それこそ天使のように愛を振りまき,弱い人を助け、イエス・キリストを伝えて活躍しました。

 

お医者様とのつきあいが絶えたことのない歳月が続き、いわゆる婚期を逸し、ご本人もご家族も生涯独身を覚悟しました。きょうだいたちが一家を構えて家を出て行かれても、ご両親といっしょに静かで明るい、時には辛い月日を過ごしました。そのうちお父様がわりに若くして天に帰り、まもなくお母様も召天していかれました。S子さんは一人になってしまいました。時に、中年を過ぎ、初老にさしかかっていました。

 

ところがまもなく、まるで神様が連れてきたとしか思えない一人の男性と出会いました。

彼はすでに老年です。苦労の多い人生を経て、一人暮らしをしていました。

二人の心にいわゆる男女の愛が芽生え、燃えはじめ、結婚を考えるようにまでになりました。

S子さんの病を承知で、お世話をさせていただきますと宣言して、彼は周囲のOKを得、晴れて結婚なさったのです。静かな生活が始まりました。

 

ところが、数年しないうちに、S子さんがガンに冒され、手術、その後の化学療法など、厳しい状況になりました。不治の病を抱えつつ、新しい病とも闘わねばなりませんでした。

それでも一応乗り越えて小康の日々がありましたが、まもなく転移し、病院通いが頻繁になりました。

 

病状は悪化の一途を辿り、手術も不可能となりました。そうした状態では病院にはいられません。ついにご夫妻は在宅緩和ケアーの方法を選び、その道の医師、看護師、さらに介護のヘルパーさんたちとチームワークを組んで24時間体制の見張りが始まりました。

その間、ご主人は文字通り献身的に看護、介護し通しました。男性ながら見事なものでした。

 

やがて、いのちの主が、S子さんをご自分のみそばに呼び寄せるときが来ました。S子さんは信仰の人ですから、イエス様に迎えられる日を喜びをもって待ち望んでいました。しかし、自分をこよなく愛しているご主人のためには一日でも長く生きたいと切望していました。ご主人も愛する妻が主のもとの帰ることを納得し、送る覚悟ができていましたが、やはり、一日でも長く自分のそばにいて欲しいと願っていました。

 

お二人の祈りが聞かれて、S子さんは医師の診断を覆してびっくりするほど長く、あるときは治ってお元気になるのではないかと思うほどいのちと信仰にあふれた月日を過ごしました。

 

それでも、ついに7月の終わり近くに、最期の時が来ました。お葬儀でお聞きしただけですが、まだ意識のあった頃、ご主人の愛に感謝して、わたしはほんとうに幸せだった、ありがとう、ありがとうとくり返されたそうです。S子さんは詩人でもありました。新婚当時、喜びに輝く詩集を出されたこともありました。

 

ある種の物差しで測ればS子さん生涯は決して幸福とは言えませんでした。しかし、もう一つの、数少ない秤にかけると、彼女の生涯には愛という幸福があふれていました。イエス・キリストの愛と、イエス・キリストへの愛と、ご夫婦の愛があふれていました。周囲の方々もさりげなく穏やかにお二人を見守り、愛を注いぎ続けました。
それは最高の幸福ではないでしょうか。

 

S子さんの愛唱聖句

『しかし私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです』
                      詩篇73・28



主はS子さんの願いを聞き入れ、みそばに召されたのだと信じます。

 
風の仲間たち comments(0) -
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