人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

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日々の風から  夏ごもり中……
 

 夏生まれで、夏が好きで、夏は体調がいい、私は夏女などと触れ回って?いた頃がなつかしいです。さすがに数年前からは、その看板は後ろに隠し、夏と体調のご機嫌をおそるおそる窺いながら、それでも昼日中の外出は嫌いではありませんでした。

 

さて、今年はどうかと言えば、外出すると気分が悪くなるのです。その不快さがしばらく続き、ようやくこれは熱中症らしきものに違いないと気が付きました。かくて、できるだけ正午前後の外出は避けることにしました。冬には冬ごもりと言う言葉がありますが、夏ごもりもあっていい、そのように言い聞かせて、工夫することにしました。

 

その代わり、朝から晩まで今まで以上にパソコンと蜜なる時を持つことになりました。ところがパソコンも悲鳴を上げるのです。気が付くと、かっかと熱くなっています。交わりを拒否しているようです。酷使してごめんねとばかり、しばらく休憩せざるを得ません。では、読書しかないと、熱中すれば、目の奥がちかちかして痛みを発しています。無理はいけないと、これもほどほどで断念です。

 

それでは、掃除と洗濯と片付けものだと思い立ちって周辺を見回せば、整理するものがよく目につきます。ちょっと動くと汗だくになりますが、これもまた夏物語りのひとつだといい聞かせて、楽しむことにしました。

 

このようにして、思いのままに時間を我がものにできるのは大きな恵みです。長話になるのを承知で、ご無沙汰している友人と電話の交わりができるのもこんな時です。

 

あれやこれやと、とりとめもないことですが、幸いに頭は今のところよく動いてくれます。深く考えねばならないことや、気になっていることを思い巡らしていると、時々、ハッと気づかされることがあり、知恵が与えられ、勇気や、やる気も与えられ、どんなときも主がともに生きて働き、支えてくださっていることがよくわかります。

夏ごもりにも、希望の風は吹いていて、また楽しからずや、と詠える昨今です。感謝!

 

 

 

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日々の風から 二期制に違和感

 

近くの公立小学校や中学校が二期制を採っていると聞いて、かれこれ10年ほどになるのでしょうか。耳にしたとき、すぐ思い浮かんだのは、欧米の制度でした。小説やマスコミや現に留学していた娘の様子から知ったことですが、7月から9月まで3ヶ月もたっぷりと夏休みがあり、それがいかにも魅力的に思えました。

 

夏前に、その学年の試験などすべてが終わって、晴れ晴れとして夏休暇を迎えるようです。秋が新学期になるわけです。すっきりしているなあ、3ヶ月も休みがあったら、まとまったことができるのに、などとあこがれたものでした。日本もそれをまねたわけでしょうが、それにしても夏休みは今までの40日。秋は新学期ではありません。

 

現在、私営のミニ学習塾の生徒や孫たちの様子から二期制についてあれこれ考えさせられています。昨日から夏休みに入ったわけですが、まず、あの通知表がありません。良くても悪くても大きな一区切りの通知表がないのです。9月末になります。前日までふつう通りの授業で、給食もあります。夕方遅く、たくさんの荷物と、たくさんの宿題を抱えて帰宅しました。何ともメリハリがありません。気分転換ができるのでしょうか。

 

新中学生の孫も同じようです。こちらはもっと厳しいのです。休み明けの期末テストの課題と、宿題と部活の日程表を持たされたようです。勉強に取り組むか、いい加減にするかは本人次第ですが、休み明けすぐにテストともなれば、40日間ずっと重い荷物を背負い続けているようなものです。これをストレスと言わなくてなんでしょうか。

人生のリズムで、区切りとか節目は大切だと思います。心機一転のチャンスが、無し崩しにされています。ずるずる、だらだら、いつも目に見えない何かに追われ、気にしなくてもどこかで気にしている、この小さな緊張の連続は、心身を蝕んでいくのではないでしょうか。

 

子どもたちはこのもやもやした状態からどのように自分を保つのでしょうか。生命力旺盛な彼らですから、無意識に自己防衛が働き、巧みに逃れの道を見つけてそれなりに成長していくことでしょうが、人によっては思わぬところに破れが出て、正常な発達が妨げられるのではないでしょうか。もちろん3学期制がすべてを解決するとは毛頭思いませんが。

 

二期制が当初もくろんだ効果を発揮していないので、この制度は見直され、三期制にも戻していく学校が増えているとか。いいと思ったら採り入れ、悪かったら改めるにはばかる事なかれ、でもいいでしょうが、試されて、悪い結果を出した子どもたちはまさに犠牲者ではないでしょうか。

 

ゆとりの教育もそうです。あの時はほんとうに驚きました。円周率3.14を、なんと3にしたのですから。近頃あわてて元にしたようですが、一事が万事、あの頃の子どもたちの学力低下はお話になりません。心配した一部の親たちは学校を信用せず大枚を積んで塾勉強へと熱を入れました。高収入の師弟が高学力を身につけ、一流大学に進んでいく教育格差が悲しい社会現象を生んでいます。しかし、思えばそれは今に始まったことではありません。戦前戦後を通じて、貧しくて泣く泣く進学をあきらめた人たちは無数にいましたから。

 

教育制度に真っ向からもの申す積りはありませんが、あまり無理をすると、大切な1人の人間の心身が損なわれ、病む人を生み、犯罪を生み、社会の薄闇が深くなることは確かです。

 

周辺の子どもたちを眺めていると、だれもが公平にはち切れんばかりのエネルギーと成長力に富み、あっという間に入道雲を突き抜け、果てしない真っ青な空に突き進んでいるかのようです。そのエネルギーと成長する力を阻害したり、歪曲してはならないと、心底思います。

 

  『イエスはますます知恵が進み、背丈も大きくなり 
            神と人とに愛された』ルカ2・52

 

 
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日々の風から いよいよ夏本番 オーストリア旅行後日物語
 

このところブログが雨だれになっていました。でも、このたびは完全に一週間ブランク。雨だれどころではない、干上がってます。干ばつです。この一週間は連日外出、それもほとんど一日中、だからーーーなどと、泣きが入ってはいけませんね。


暑さのせいにもしません。私は7月女、夏に強い夏女だと長年、自負してきたのですから。確かに体調は悪くありません。辛かった今年の冬を思うとほんとうに感謝です。10歳も若返った気分です。ではなぜに? 加齢のせいにすれば、たくましい先輩から叱咤されます。

 

今日は所属している日本クリスチャンペンクラブの7月例会でした。あらかじめ決められている課題文を携えて行きました。礼拝、文章の書き方を学んだ後、45人の小グループに分かれて互いの作品を合評します。愛に富んだ讃辞や忠告に我が分身とも言うべき作品を晒すのです。これこそ成長の秘訣です。

 

学びタイムでは、私が自分の体験を通して気が付いたり教えられた、書き方の心得のようなものを語りました。先頃の《オーストリア旅行記》をテキストに、さらにオーストリア後日物語を披露しました。題して『美しき青きドナウの川風』です。以下が要約です。

 

最近、ドナウ川で思い出したことがありました。ずいぶん前でしたが、ドナウ3000キロを旅した宮本輝さんの紀行文『異国の窓から』を読みました。本棚の奥に眠っていたのを取り出しますと、そのそばには、この旅行から生まれた小説『ドナウの旅人』上下2冊も並んでいました。かつて私は、この紀行文からどうしてあのような小説が書けるのかと、マジックのような作家の力に目を丸くしたのでした。小説がよかったというよりも、紀行文と小説との違いの大きさに驚いたのです。

 

今回は、この2種類の本を前にして、距離では微々たるものであったにしても、同じドナウの川面を眺め、同じドナウの川風を肌に感じた者として、小説の見事さと同時に紀行文のすばらしさにあらためて驚異感嘆しました。そしてこの2種類の本は違ったものではなくて同時に生まれた双子だと気が付きました。

 

それはさておき、私たちも自分の人生という大きなボックスから、イエス・キリストのすばらしさを伝えるために、なにを取りだし、何を捨てるか、その選択が書く以前の大きな一仕事ではないか、そのためには、ため息をつき、頭を抱え、時に叫び出したくなるような格闘があるはずだ、そこから逃げて安直に書いても、人のたましいに触れ、たましいを揺り動かす作品は生まれてこないのではないかと、私が体験し、教えられたことを分かち合いました。

 

それはそうとして、ドナウ紀行文『異国の窓から』を再読しようと思います。もしかしてそれは、再び私をドナウ川へ向かわせる《美しき青き誘風》になるかもしれません。

 

 

 

 

 

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旅の風から 軽井沢の緑風

雲場池ひな

今週前半は軽井沢でした。お茶の水聖書学院の夏プログラム、サマー・スクーリングです。

毎年2泊3日ですが、卒業以来部分参加で過ごしてきました。それでも、皆勤したはずです。今年は同窓生たちが声を掛け合って全泊することにしました。創立20周年の記念の年なので、学院の来し方を振り返り、明日へのビジョンを語り合おうと、意気込んで出かけていきました。

 

今年は早くから夏気候のせいか、軽井沢もすっかり夏でした。夜になると雨が降りしきるものの、朝には上がって、昼は真っ青な空が見え、樹木をわたる緑風にすっかり魅せられました。かつて机を並べた友と枕を並べて過ごした3日間は、日常や年齢を忘れさせ20年前にタイムスリップさせてくれました。

 

考えて見ますと、日々の生活に不満があるわけではありません。日々には日々の希望の風がそよいでいます。毎年プラスしていく年齢にも不足があるわけではないのです。すべて神様からの愛のプレゼントです。感謝して喜んでいるのです。でも、でも、非日常は特別にうれしいものです。そこには心身をリフレッシュさせる快い刺激が満ちているからでしょう。

 

一回、一回の講義毎に、賛美があり、祈りがあり、みことばが開かれます。学びに集中し、忙しくメモを取りながらも、ふと心も頭も講義から離れて、先へ走ったり、過去へ戻ったりします。そうした思考の散策もまた楽しく貴重でした。講師の方々には内緒ですが。

 

今回の外部講師はOCC理事長の村上宣道師。日頃館内でよくお見かけし、また長年にわたってあちらこちらの特別集会でお話を伺ってきた大先生ですが、サマー・スクーリングの講師としては初めてお迎えしました。

 

先生の十八番とも言える『使徒の働き 9章31節』を、2回の講義でじっくり楽しく拝聴しました。私個人にとってもこの9章31節には深い思い入れがあり、みことばの一つ一つの文言を手がかりに、祈りに祈っているのですが、さらに深く教えられ、また、みことばへの信仰を固くさせていただきました。

『こうして教会は、エルサレム、ユダヤ、サマリヤの全土にわたって築き上げられて平安を保ち、主を恐れかしこみ、聖霊に励まされて前進し続けたので、信徒の数が増えていった』

 

村上師は、ここから実に多くの貴い説き明かしをされましたが、教会のいのちは、みことばと祈りにつきる、それがなおざりにされると教会はいのちを失うと強調されました。一人一人がみことばと祈りに徹底したら、教会は自ずから成長すると、御自身の体験と実践から話してくださったのです。深く頷かざるを得なかったし、ずっと探していた疑問に正解を得た思いでした。

 

教会の進展はプログラムや方策に最優先して、みことばと祈りなのです。個人個人の信仰生活そのものにかかっているのです。もちろん教会全体としての姿勢もですが。イエス様のお体である教会の一つの器官として組み合わされている一人として、なにはできなくても、みことばと祈りにいっそう徹底しようと、もう一度決意し、そこに召されていることに応答し、再献身を新たにしたことです。命がけで私たちを滅びから救い上げ、御自身の血で買い取られたイエス様の教会のためです。

 

 
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日々の風から いなごが食い尽くした年

 

今年も半分過ぎて、早や後半に入りました。ふとカレンダーを見ると、まだめくっていないのです。いつもなら、一日、二日前からそわそわしているのにーーー。老いのためか、あるいは月日の足の速さに負けてしまったのかーーー。

 

オーストリアの旅から帰って以来、写真の整理やブログの記事に6月いっぱいかかってしまいました。その後、ペーパーでの『希望の風』に編集し直して、ネットでは読んでいただけない友人たちに送る準備をしています。そんなわけで、旅のさなかに自分に課したいくつかの宿題は、まだ手つかずです。果たしてできるのでしょうか。

 

それにしても、主がすべての人に公平に与えてくださった時間という貴重な賜物は、持ち主の管理次第で、本人には時として悔いをもたらし、また与えてくださった神様を悲しませることもあるとつくづく思います。

 

自分の来し方を振り返って100点をつける人は地球上にだれ一人いないにしても、そんなことでは納得できない自分が居り、ついつい後ろを見がちです。

 

最近、その年でいまさらーーーと笑われそうなことに挑戦しています。自分ながら、よくする気になったと、密かに悦に入っているのですが、ふと、何でもっと早く、10年、20年前からしなかったのか、残念だ、などと、帰らぬ過去へ視線を向けてしまいます。今、できるようになったことを喜び、主に大いに感謝するのが、仮にもクリスチャンと称する者の態度でないかと、これまた悔やんでいます。

 

聖書にたいへんすばらしいみことばがありました。

ヨエル書2章25節

『いなごが食い尽くした年々をわたしはあなたに償おう』。

 

私の熱愛するイギリスの説教者ロイドジョンズ氏は言われます。


『空費された年々、不毛の年々、いなご、ばった、食い荒らすいなごがむさぼり食らい、見たところ何一つ残されなかった年々、そうした年々について神は言われる。「いなごが食い尽くした年々をわたしはあなたに償おう」と。神がおいでになれば、一年のうちに十年分を埋め合わせるような収穫をお与えになることができる。それが私たちの神である。それゆえ、二度と現在におけるあなたの時間を無駄に費やしてはならない。二度とあなたの精力を無駄に費やしてはならない。過去を忘れ、神の恵みによって今の自分になっていることを喜ぶがいい。喜ぶがいい。……』



私はロイド氏の確信に満ちたきびきびした語り口調がとても好きです。

 

いなごが食い尽くした年々を主が償ってくださるとは、なんという神の寛容でしょうか。

 

だから

『二度と現在におけるあなたの時間を無駄に費やしてはならない。二度とあなたの精力を無駄に費やしてはならない。過去を忘れ、神の恵みによって今の自分になっていることを喜ぶがいい。喜ぶがいい。……』

 

この年の後半も、主のあわれみにすがり、ロイド氏のアドバイスに従って、主に喜ばれる時間の使い方に心したいと思います。なによりも主とともにいる時間、ともにいてくださる主を喜ぶ時を最優先したと思います。

 
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