人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

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光(キッズ)の風から 我が家の春 その2 孫たちの受洗

 イースターに先駆けて、孫たち二人がそろって洗礼の恵みに与った。S君は小学校を卒業したばかりの12才。Mちゃんはすぐ4年生になる9才の少女である。昨年一年は信仰告白から洗礼の決意へ向かう躍進の年であった。教会の牧師と教師兼母である娘は、主から教会に託された魂としてじっと、あるいはそっと、二人の信仰の歩みに付き添ってきた。私はうすうす気づきながら、新生の日はいつになるのだろうかと、黙して祈りつつ待ち焦がれていた。

 

受洗準備の学び、教会役員の諮問会など、いくつかのハードルをクリヤーして、晴れの日に至ったのである。大人だったら一も二にもなく受け入れられることでも、年が若いと言うことでかえって難しかったそうだ。主の教会の一員として、大人だろうが子どもだろうが一人前の扱いなのだから。またその自覚をしなければならない。しかし教会の寛容と愛と祈りが幼い信仰をしっかり受け止めてくださった。過去に6年生の洗礼の例はあるが4年生はなかった教会であった。

 

待ちに待った日がとうとうやってきた。この式にはなんとしても出ずばなるまいとずっと思い願ってきた。私は自分の教会に事情を話して(皆さん大喜びしてくださった)娘ファミリーの奉仕する教会へ出かけた。礼拝の後、講壇下に設けられている洗礼槽が開かれて、彼らは次々に水に沈んで洗礼を受けた。孫たちが水中に沈むのを見て(もちろんほんの一瞬であるが)私は初めて強い衝撃を受けた。罪に死んで、キリストのいのちによみがえることが、はっきりと確認できた。牧師に抱き起こされて立ち上がった孫たちはほんとうに新生した。逞しく生き生きと水から上がった彼らが、何にも勝って美しく清らかに見えた。

 

思えば、孫たちの救いとその洗礼式を目の当たりに出来るなど、こんな恵みがあるだろうか。

主は私に世界一すばらしいプレゼントをくださった。これ以上の宝はない。

 

もちろん、我が子たちの救いのときも感動は天に達するほどであった。そして、親としての大きな責任をひとつ果たしたという安堵感もあったが、これからも手取り足取りで教育し導いていくのだとの新しい責任と緊張は大きかった。(受洗は長女が中学二年生、次女は中学一年生)

 

孫たちのことでは、両親がいるし、教会中が愛し見守っていてくださる。その安心感は大きい。おばばである私はむしろ引き下がっていたほうがいい。ただ一つ、祈ること、全幅の信頼をもって主に委ねることが私の大きな任務だと思う。

 

礼拝の中で、S君もMちゃんも講壇に上がって堂々と救いの証しをした。孫びいきと笑われてしまうが、実に立派な証しだった。神様が彼らを確実に御手の中で取り扱い、救いに導いていく軌跡を鮮やかに知ることが出来た。主は生きておられ、聖霊は勢いよく働いていることが息苦しいほどに伝わってきた。

 

私はまたも一つのみことばを噛みしめた。主の御名はほむべきかな。

『主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも、あなたの家族も救われます』(使徒の働き16章31節)

 

 
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日々の風から 我が家の春 その1 孫の卒業式
 卒業2卒業1

 

昨日は終了式。孫のMちゃんが無事に小学3年生をクリヤーした。『あゆみ』と呼ぶ、いわゆる通信簿をいただいてきた。まずまずの好成績。彼女の塾の教師でもある私は大満足。

 

そして今日S君の卒業式。S君は、小学6年間で3回転校した。ここは6年生の1年間だけである。しかし彼は、じきに溶け込んで、親しい友もでき、まるで6年間ずっといたように楽しんでいた。

今日も朝から数日来の寒さと冷たい雨が降りしきっている。
おばばの私もちょっと正装して臨席させていただいた。
思えば、娘たちの時以来だから、30年近くになる。

 

式には大いに驚いた。そのスタイルがすばらしい。時代はこうも変化しているのだ。まるで浦島太郎、いや浦島花子さんのような気がした。校内は卒業一色、壁面には作品が貼られ、どこにもお花の鉢があふれている。塵一つなく清掃され、整理され、床はピカピカに輝いている。

 

開会と閉会には5年生が演奏する。全員参加で多種の楽器を使っている。途中にもずっとBGが流れる。これは音楽の先生がピアノを演奏している。

 

卒業生は2クラスで合計54名。メインは卒業証書授与。その演出がすばらしかった。一人一人名を呼ばれて講堂の舞台に登って行く。中央に位置する校長先生の前に進む直前に、客席に向かって『誓いの言葉』を声高らかに述べるのである。実に堂々としている。マイクも使わないのに講堂一杯に若々しい声が響き渡るのだ。


ひとりひとりの『言葉』がよかった。中学生生活への希望が満ち満ちていた。私の心に留まった言葉は、友達をたくさん作って仲良くしたい、勉強と部活を両立させたい(これが一番多かった)医者になってやさしくしてあげたい、保母さんになるために進む、野球の選手になりたい(これも多かった)イラストレーター、デザイナー、ダンサー 科学者、パイロット、お父さんのように仕事し家族のために働きたいなどなど。
(希望やビジョンが小さくて定番過ぎるのを感じたが、21世紀初頭の日本の子どもとしては平均的なのだろう)

 

卒業生が舞台に上がり、一人一人が思い出を渡り台詞で繫いでいく。その間に全員で繰り返す言葉が入り、5年生へ贈る言葉、5年生から6年生へ贈る言葉、互いの合唱が入って音楽が豊かに取り入れられていた。ほんとうに子どもたちが主役だった。学芸会か音楽会に来ているような気さえした。子どもたちの立ち居振る舞いはきびきびしていてスピード感があり、先生方の指導が行き届いていると思った。

 

大人たちの訓辞めいた挨拶は3名だけ。それもロングではない。すっきりしていて飽きなかった。

 

6年生も、5年生も、いつの間にか涙、涙になり、さかん手の甲で目を拭い、鼻をこすっていた。父兄はもちろん先生方もいつの間にか泣き顔であった。おばばもついつい目が潤んでしまった。

 

卒業式はいつも次の世界への巣立ちの出発点である。若ければ若いだけ未来は広く大きく、冒険に満ちている。実に晴れやかだ。子どもたちの歌に、《希望の風に乗って》とあった。

こんな所に希望の風が出てきたと、一人、気をよくして頷いた。

 

54名の中には、ずっと休みがちだった生徒がかろうじて加わったと聞いた。よかった、よかった。数日前に骨折して入院、手術した生徒がいるとも聞いた。さぞ無念であろう。

 

一昨日は校庭の隅にタイムカプセルを埋めたとか。いつ掘り出すのだろうか。その時、全員が集まれるのだろうか。みんな元気で、自分の道を勇ましく進んで欲しい。社会が、世界が子どもたちを見守る責任があると強く思った。

しかし、何が起ろうとも、嵐の中でも挫折することなく生き抜いて欲しい、その強さ、逞しさを、提供するのが教育ではないかとも思った。

年寄りの責務はこの子どもたちのために祈ることだ。自分の孫ばかりでなく、神様の造られた美しい子どもたちのために、祈り続けることだ。

 

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世相の風から テレビ離れって?

我が家のアネモネ

 
昨今の現象で、テレビ離れが起っていると知って驚いた。それも若者に多いそうである。

活字離れ、本離れしたおおかたの人々がテレビに走ったのは昔ばなしのような過去のことだ。

では、テレビ離れした人たちはどこに向かったのだろうか。説明によれば、パソコンや携帯などのITでことを足しているらしい。

 

テレビでいちばんの視聴率稼ぎ手はニュースなどの報道番組だそうだ。それを、ネットで済ませるのだ。振り返れば、私も最近、ネットを開く度についニュースを見てしまう。

もともとテレビを見る習慣がないので、それまではラジオと新聞だった。それがネットで見るようになった今、ラジオのニュースは聴かなくなった。私のパソコン活用度はまだまだ限られているが、音楽も、それこそテレビもパソコンで見ているらしい。そう、映画なども見られるようだ。パソコンの前に座るだけでかなりの必要が満たされる。

 

買い物もネットからできる。銀行の口座管理もできる。手紙を出しに行かなくてもメールがある。文書も送れる。仕事をする人もいる。なんという便利さであろう。と、言うわけで、これではパソコンに釘付けになるのも無理はない。

 

外出しなくてもことが足りるのだからどうしても体を使うことが少なくなる。体力の低下に繋がらないだろうか。若いうちから足腰が弱くなると思う。筋力が衰えると思う。

人間が動物でなくて、植物化していっているように思える。若者で登山愛好者が減っているとも聞く。旅行もしかり。この現象はいったい何だろうか。時代の流れを説き明かすのは難しい。これは後世の人にお任せするしかないのだろうけれど。

 

テレビに戻るが、私がテレビを見ないのは時間がないからの一言に尽きる。それで通してきた。でも時々思ってきたことは、退屈するほどの時間が持てるようになったら、立派なテレビの前に陣取って、名画や名ドラマや世界の国々の映像を心ゆくまで楽しみたいということだ。テレビは老人の愛玩物になるかもしれない。

 

 

 
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聖書の風から 詩篇を愛して 我が祈りとしての詩篇119篇 その19
 

詩篇119篇は22の段落から成っています。今回はその16番目です。

 

第16段 アイン

 

 119:121 私は公正と義とを行いました。

  私をしいたげる者どもに私をゆだねないでください。

 なにか問題が起ったとき、感情は激し、義憤が高まり、自分の言い分を前面に出したくなるが、神様が見ておられることを思い、努めて自分を制し、神様のおしえに則って正しく振る舞ったと、詩人は言う。人生を信仰の戦場と意識するキリスト者の多くは、神様の御前に詩人と同じことが言えると思う。だからこそ、襲いかかる難問の餌食にしないでくださいと祈らざるを得ないのだ。

 

 119:122 あなたのしもべの幸いの保証人となってください。

  高ぶる者どもが私をしいたげないようにしてください。

 神様御自身が前面に乗り出して保証人になって欲しいのである。損になっても善をなそう努力するのだから、神を知らない悪者の自由にさせないでくださいと、詩人はなおいっそう強く嘆願の祈りをささげずにはいられないのだ。

 

  119:123 私の目は、あなたの救いと、

あなたの義のことばとを慕って絶え入るばかりです。

 神様に近づいていくと、願い事への祈りはもちろんだが、それが次第に質的に変化してくる。神様への信頼に加えて神様への情愛が高まってくる。それは人間同志の間に燃える愛に似ている。人格的交わりへの高まりと言えるのではないか。端的に言えば、主よ、あなたを愛します、なのである。

 

 119:124 あなたの恵みによって あなたのしもべをあしらってください。私にあなたのおきてを教えてください。

 神様が私を扱ってくださる理由は、こちら側の善ではない。私が神様に対してよくしたから神様がご褒美をくださるのではない。ただただ一方的な恩寵である。恵みである。恵みによってあしらわれるとき、不安はない。詩人は主のみ衣にすがりつくように恵みによる扱いを求めている。そしてさらにみこころを教えてくださいと願っている。

 

 119:125 私はあなたのしもべです。私に悟りを授けてください。

そうすれば私は、あなたのさとしを知るでしょう。

 私がどんなに足りなくても、弱く醜くても、心はどこにも向いていない、心底からあなたのしもべですと言い切れる確信と純真さは失ってはならないと思う。これはまごころからの信仰の告白ではないだろうか。そして主人であるお方へ大胆に真理を求めていくことで、自分もさらに深い真理を会得することが出来るのだろう。

 

 119:126 今こそ主が事をなさる時です。彼らはあなたのおしえを破りました。

 この節から詩人の心が立ち上がったように思う。なにか大事件が起きたのだろうか。主が決着をつけてくださらなければどうにもならないと切迫した思いに駆り立てられている。

 何よりも彼らは公然と神に背き、自分の義を通すために神様の教えを足蹴にしているのだ。神様の領分を侵しているのだから、神様に解決していただくしかない、詩人は断固として主に迫っている。

 

 119:127 それゆえ、私は、金よりも、純金よりも、あなたの仰せを愛します。

 神様の教えを破り、神様に敵対している者たちを見るにつけ、自分だけは何にも勝って主の言われることを守りたい。どんなに価値のある物にも勝って、慕い、愛したいと、詩人は奮い立って強く自分に言い聞かせ、また主のみまえに告白している。

 

 119:128 それゆえ私は、すべてのことについて、あなたの戒めを正しいとします。私は偽りの道をことごとく憎みます。

 前節に続けて、詩人は、それゆえに、と繰り返しながらたたみかける。生きていく途上のあらゆる場面で主の教えを正しいとし、決して悪や偽善に惑わされまい、罪に負けまいと敢然として胸を張るけなげな詩人の姿が見えてくる。

 

 

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風の仲間たち 訪ね訪ねて…
 

  
昨年
11月半ば、遠方の友人から病が見つかったので手術しますと連絡がありました。

簡単なのでじき退院してきます、そうしたらこれまでの不自由が解消して楽になるかもしれないと言われました。私より一世代上ですが、物言いもしゃんとして、しっかりした先輩です。ある活動を通しての友人で、細々ですが長年のおつきあいです。

 年下の私に好意を持ってくださり、電話でのお交わりが多いのです。年に一度ほど、全国規模の研修会があるときは必ず参加なさり、よく歓談しました。雄弁ではないけれど、味のある口調で、延々とご自分の人生史を聞かせてくださいました。

 

 十年ほど前、ご主人が亡くなって独り暮らしになりました。その自由を楽しんでおられましたが、まもなく、家屋敷をたたんでホームに入られました。お子さんたちもお孫さんもおられよい関係と聞きましたが、そのように決断なさったのです。ちょっとびっくりしました。いまでこそ、ホーム暮らしを選択するのは珍しくありませんが、そのころは勇気ある生き方と言えたのです。我が家をホームに置きながら、自由に旅をし、教会活動をして、快適に暮らしておられました。

 

一ヶ月もすればお元気でホームに戻っておられると信じて、連絡を入れましたが、お部屋の電話は応答なし。ちょっと心配になり事務所に電話したところ、退院はまだとのこと。それからです、私の彼女探しが始まったのは。入院の病院を教えていただいて連絡しました。お見舞いに行くには遠方過ぎるとのためらいがあったのは事実です。病院では転院しましたとのこと。その先はもう教えてはくれませんでした。ホームでも知らないの一点張り。

 

途方に暮れてしまいました。共通の友人たちを辿ってみましたが、わかりません。じっと祈っているばかりでした。ところが、つい先日、意外なところから210日に召天なさったと短い報告が届きました。こんなに驚いたことはありません。そしてこんなに残念だったこともありません。こんなに悔やまれたこともありません。もう、どうしようもありません。

不実を主に悔い、御国へ帰ったら真っ先に謝ろうと固く決意しました。

 

お子さんのお住まいがわかってホッとしました。遅まきながらアクションを起こします。

 

今回のことでつくづく思ったことがあります。お年の方の場合、それとなく、あるいははっきりとお子さんや近い方の居所を知っておくこと、入院や手術と聞いたら、簡単そうでも、カードを送ったり、お見舞いすることを怠らないこと。まったくはずかしいです、今頃こんなこと言ってるなんて。愛するとは祈ること、祈ることは、ふさわしい愛の業をすることなのに。

 

 

 

 

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世相の風から 親は鬼になれるのか・モーセを救ったパロの娘
 

ネットをしていると刻々とニュースがアップされてくる。否応なくタイトルが目に飛び込んでくる。昨今、自分の子を虐待するむごい親たちの痛ましい事件が多すぎるのではないか。

 

本能のままに動く動物たちでさえ、親の情愛は厚い。それなのに知情意を備えた、万物の霊長と豪語する人間が、他人ならいざ知らず、わが子の命を奪うとは、あまりにひどすぎる。

親は鬼になれるのだろうか。そんなこと認めたくない。現に今、我が子のために、我が孫のために、気も狂わんばかりに、身を捨てて、悪状況と戦っているご家族がおられる。

 

ちょうど、今、もう一つのブログ『聖書の緑風』で、モーセを救ったパロの娘の話を載せているところである。

 

時の権力によって、生まれたばかりの我が子を捨てざるを得ない母ヨケベデの苦悩と苦闘。

捨てられている赤子を見過ごしにできず、拾い上げて胸に抱く権力者の娘の母性愛。その愛が一つになって一つの命が守られたのだ。この赤子こそ数にすればわずかに一つの命だけれど、この命は成長して、エジプトの王を敵に回し、同胞200万人の命を救う一大リーダーになったのだ。彼こそは歴史にその名をとどろかせるモーセである。しかしパロの娘の愛があったればこそのモーセである。命を尊く思い、愛し育て、世話をすることは、なんと偉大なことだろう。

 

この話をしたら止まらなくなりそうです。

どうぞ、『聖書の緑風』をご覧ください。(リンクにあります)

 http://seisyo.jugem.jp/



最近つくづく思わされていることは、女性の、いや女性だけでなく、人間としての、いわば人生の大仕事は、子育て(子どものいない人や独身の人は、周辺の弱い人への愛)と、老いた親の世話(介護と看取り)に尽きるのではないかと。人間そんなに大きなことができる人ばかりではない。天才は稀少だ。大きな事は特別の人にお任せすればよい。平々凡々たる小市民は、自分よりさらに小さな弱い人たちを育て世話をする。これが人の本分ではなかと思う。神様の言われる隣人愛である。そこには、与える愛が与えてくれる、無限の清い喜びがあふれていると思う。その代償はじつに尊いのではないか。

 

『憐れみ深い者は幸いです。その人はあわれみを受けるから』マタイ5・7

世相の風から comments(4) -
心の風から 記憶の不思議

  

 
調べたいことがあって地図を繰っていた。オーストリアのザルツブルグを見ていたら、すぐ西のオーベルンドルフという町の名が目に入った。どこかで聞いた名前だなあと思った。すぐに思い出せるかと思ったが出てこない。オーベルンドルフ…、オーベンルドルフ…と声に出して言ってみた。わからない。また声に出して言ってみた。

 

町の名を言うたびに、私の胸には、なつかしいような、静かで清純で素朴な、ちょっとロマンチックで、信仰の香りまで湧き上がってきた。しばらくして言ってみるとまた同じ思いになった。でも具体的な事柄が出てこない。ルターの伝記にあったかしら、いや、ちがう。ゲーテやマンの小説かしら、バッハかな、いや、ちがう。ちがうことははっきり分かる。

歴史の教科書に出てくるような大層な事件に絡んだ街ではないことも断言できた。

確かに、聞きなれた地名なのだ。だが、記憶の蓋があかない

 

思い出せないことに軽く失望はしたものの、苛立ちはしなかった。

ところが、あの『きよし この夜』の生まれた町であることを知って、大いに失望した。

なんで、あんなに有名な街を忘れてしまったのだろう。毎年のようにあの曲のエピソードを読み、あるとき、自分のエッセーにも書いたことがあったのだ。それを忘れるなんて……。

 

それは、それとして、記憶ってどうなっているのだろうと、それがとても気になり、不思議でならないのだ。オーベルンドルフというたびに沸き起こるあの雰囲気はなんだろうと思うのだ。それは間違いなく、正確にオーベルンドルフの町を表していた。

 

ひところ、右脳とか左脳とかが話題になった。右脳人間、左脳人間などとも。これも私の脳の働き方によるのだろうか。ひどく興味深い。脳の老化にも関係があるのだろうか。

オーベルンドルフは思いがけないことを考えさせてくれた。

 

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日々の風から 弥生3月は希望の風の看板月
 

早くも3月です。寒風の続く日々にはどんなにかこの月を、この日を待望したことでしょう。

ですから、この日の真中に立つ今、何かを言わないではすまない気がします。

 

この冬は寒さが身にしみました。毎日外へ出るわけでない、外で仕事をするわけでもないのに、厳しかったなあと思います。体調が悪いのか、それともよる年波のせいなのかと、日々自問していました。身に着ける物を増やしたり、厚めにしたり、カイロを一枚、二枚と貼り付けたり、忙しいことでした。暖かい日があったとき、ふっと体が軽いのを感じて、ああ、あの不快感は寒さが原因だったのかと、難問が解けたようなうれしい気分になりました。

 

芽を出したチューリップが確実に成長し、ビオラの花数が増し、ミニ鉢のジュリアンがびっしりと開き、街路樹の枯れ枝に鈴なりの雀たちのさえずりがいちだんと高らかです。自然界は人間より先に春を感知しているようです。

 

一方で繰り返さない四季の中にいる人間の一生は、かなり複雑です。

つい今しがた、地方の友人が、親友のご主人が急に召天なさったと連絡してきました。私も存じ上げている姉妹のご主人でした。まだ70代とのこと。残された姉妹のお心の内を思いめぐらし、胸が痛みました。

 

また、昨今友人たちと心配しているのは、長年の信仰の友が日に日に老いの悲しい症状がいちじるしく現れてきており、もう独居を続けられないのでないかということです。体はお元気なのですぐには支援や介護の対象には該当しないのです。皆で額を寄せ合って思案中です。

緩和ケアーを受けている友人がいます。大きな術後の回復が遅れている友がいます。

 

3月は自然界の季節では春の訪れが音高く聞こえ、風は春風、まさに希望の風です。希望の風が胸を張ってわが世の春を謳歌できる月です。でも、3月の表情は一面だけではありません。春の中にも人生の四季があるのだと思います。

 

今朝の≪天声人語》の末文が心に残りました。

『悲しみの荒野にも緑の芽は吹く。春を喜べる日がきっと来る。

空を渡る風の励ましが、胸にしみるーーー』

 

イエス・キリストからの風の励ましを受けて、

イエス・キリストからの希望の風に乗って、

今月も、失望に終わらないイエス・キリストの愛に生かされていき    たいと祈ります。

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