人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

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先取り春一番 待ちに待った転勤烈風
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単身赴任していた婿さんがようやく東京に転勤になり、我が家から通勤できるようになりました。

 

三年前の今頃を忘れることはできません。同居の長女ファミリーが三重県に引っ越してしまったからです。その頃、母の介護が日ごとに厳しくなっていくさなかでしたから、一人残される私は年甲斐もなく?慌てふためきパニックに陥ってしまいました。

 

昨年の春、長女と孫たちだけは、仕事や学校の事情で、パパを置いて東京に戻りました。家族にとっては辛い決断であったと思います。単身赴任は今時珍しくもなく、話題にもならない日常茶飯事でしょうが、本来、ともに暮らすべき家族が離れるのは、夫婦だけの問題ではなく、子どもたちにも大きな問題だと思います。みんな、じっと辛抱しました。孫たちも朝な夕なに、いちばんに、パパが早く帰って来られるように祈り続けました。

 

あわれみ深い神様は、子どもたちの純な祈りを聞いてくださいました。大好きなパパをみごとに家族のもとへ返してくださったのです。東京に自宅があるからと言うだけで人事が進むわけではないようです。ですから、この度の朗報はまさに神様のご配剤があったと、私は固く信じて感謝しています。

 

さあ、この1,2週間は慌ただしくなるでしょう。パパの荷物が帰ってくるのです。3階は早くも整理や家具の移動が始まり、ふだんと違う物音がします。長女や孫たちの動きや声も一段と大きくなりました。私は、腰を上げたり降ろしたり中腰になったり、うろうろとしています。



今回の転勤烈風は、不安や恐れをもたらす荒々しい強風ではなく、春一番を感じる希望の風です。ともに祈ってくださった皆様に、心から感謝します。

 

 

 

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日々の風から 形にせずにはいられない
 

 近年、何やかやと書き散らす日々が私の『人生の習慣』(大江健三郎氏のことば)の一つになっています。このブログもその一環というわけです。不定期ですがペーパースタイルで発信しているレターが二つあります。それらはパソコンとプリンターがあればどうにか形に出来ます。ところが出来ないものがあります。分量のある作品のたぐいです。形(冊子や本)にするには専門家の手が必要になり、そればかりではなく、書くのとは別種の多大なエネルギーが要るのです。原稿を渡せば黙って本になるというのはおよそ素人の書き手には夢物語です。

(もちろん、経済を考えなければ、世には親切なシステムが山ほどありますが)

 

とはいえ、書き散らし、書き溜まったものをじっとパソコンだけに保存しておくのは私としてはいかにも不本意なのです。そこに言いしれぬ悶えがあります。じっと考えた末、半分自力、半分プロのお世話になって冊子(簡易印刷でしょうか)を作ることを思いつき、すでにかなりの原稿を形にしています。

 

原稿はすべてそのまま本になるスタイルに編集し、すぐに印刷できるように紙面割り付けをします。それを簡易印刷する印刷所にお願いします。

表紙はカラフルにしたいので、パソコンで作り、自分のプリンターで印刷します。表紙は、デザインから印刷までプロにしていただくとたいへんな価格になります。ここがいちばん費用のかかるところでしょう。製本は、こここそ、素人ではどうにもなりません。製本屋さんにお願いするのです。感謝なことに、地域に印刷屋さんも製本屋さんも見つかり、(家族、親族だけで経営)儲けにならない仕事なのによく面倒を見てくださいます。

 

今回は、2年ほど前に作った『聖書を愛して』(聖書66巻ウオーキング)を、改訂して制作しました。2年の間にすっかり在庫が無くなり、時々注文があるのに送ることができず残念に思っていました。そこで、リニューアルして再び形にすることができました。

 

お菓子でもアクセサリーでも、手作りというアットホームな分野がありますが、まさに手作りの本です。制作する者には苦労もありますが、完成したときのうれしさは大きいものです。自己満足と笑われても仕方ないのですが。

 

もしかして、人間には創世の初めから物作りの喜びが与えられているのではないかと思うのです。天地創造の神様に似た者として造られた人間なのですから、その幾分かがあるのではないでしょうか。

 

私は今、新しく生まれた一冊、一冊に新鮮な喜びを感じ、感謝して眺めています。心は早くも次の制作に動き出しています。次は、今書きかけのあれも……きっとそうしようなどと。そう思うと、俄然、筆に力とスピードが出てきて意欲的に進めることができます。希望の風は私には無くてならないのです。




 

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日々の風から 休日は大掃除と不要品処理の日
  

 11日は休日と言われても、この寒さでは浮かれて外出する気にもなれない。自然に、自分を取り巻く小宇宙に目が向く。かねがね気が付いていれけど、なおざりにしていたことが俄然見えてくる。大掃除と片付け物である。

最近、係わっている団体で記念誌を発行することになり、資料集めの声がかかっていた。20年に亘るノートや日記類や写真を広げてみていた。(近年はデータ化しているので物品として箱詰めされているのは多くはないが)。その時、

取捨選択して整理するべきだと気がついた。

 

時効にしていいものがかなりある。子々孫々に残すべきものは何一つない。残したら返って迷惑になるだろうと思うと、急にすべて処分したくなった。整理や処分ができなくなる時が来る。それは先輩の友人知人たちを見ていると明らかなのだ。自分は例外などとユメユメ思うまい。人の行く道は主が定めておられるとおり共通であり公平なのだと思う。負の遺産は残したくない。

 

勇みつつ、ゴミ袋を作っていく。が、ふと、胸が詰まってくる。感傷的になるのだ。若い時の整理処分とはだいぶおもむきが違う。思えば、父も母も不要な物を残さない人たちだったが、できる日々に潔く片付けていたに違いない。その胸中を察することもなかったが。

娘や孫たちが並んだ袋を見て、よくやったね、だいぶ出したねとほめてくれた。クロークの上段にはS君が快く上がって手伝ってくれた。

 気をつけなければならないのは、場所変えである。いつもの場所から移動すると、あとで探し物騒動になりかねない。

 

 小半日、一階と二階を何度となく往復し、整理処理が進んだ。あちらこちらに新しい空間ができた。風通しがよいとはこのことだ。ところが、喪失感であろうか、寂しさが漂ってくるのはどうしたことか。

 

 たかが、物の整理処分でこんなにもたついていてはならない。係わっているいくつかの立場も判断力のある内にすっきりと風通しよくしておかねばならない。できたスペースにはきっと希望の風が吹き込んでくる。それを喜び、楽しみたいものである。

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日々の風から 今がおもしろいJCPのHP
 我田引水、自画自賛ではありませんが、所属の日本クリスチャン・ペンクラブのHPがリニューアルされました。構成は変りませんが、背景画がすてきになりました。

HP管理人が苦心惨憺されました。彼女のブログに詳しい説明があり、おまけにクイズ付きなのです。どうか一度訪ねてくださいませ。
ブログのアドレスは下記です。
また私のブログのリンクでは『生かされて』です。

http://blog.goo.ne.jp/gurimu3181/   どうぞよろしく。





   
近くの梅園の梅花
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日々の風から 教会のお餅つきと思い出の餅つき
 

 

教会では毎年この時期にお餅つきをします。昨今は一つのファミリーがすべて担当してくださるので、私はもっぱら食べ役です。一昔、いや二昔前は、前の晩からもち米をとぎ、あんこを作り、当日は蒸かし役、捏ね取りなど、走り回って働きましたが、今では全くの傍観者になりました。

 

その頃独身青年だった男性たちが今ではクリスチャンホームの立派な家長になり、我が子たちを率いて指揮を執っていました。教会とはほんとうに大きな家族だなあと思います。

蒸し上がったもち米のにおいや、杵の音を聞いていたら、記憶の底にしっかりととどまっている幼い頃の餅つきの光景が思い出されてきました。

 

最近、その頃の思い出をぽつぽつと文章化していますので、ここに引き出してみます。時は終戦直後です。私たち家族はまだ東京に戻れず、母の実家に世話になっていたのでした。

 

お餅つき

 
 銚子市外川の町で、昭和二十一年、二十二年、二十三年、二十四年と四回新年を迎えた。暮れの二十八日になると本家に、数件の分家と本家の舟に乗り込んでいる漁師家族が集まってきた。


  夜明け前から土間のおくにある台所のへっつい(竈のこと)に火がおこされ、大釜に湯が沸き立った。それから延々と一日中、杵の音が続いた。杵を取るのも捏ね取りするのも船乗りの男衆たちだった。女性たちは餅米を蒸かしたり、つきあがったお餅をのし餅にしたり、時にみんなで食べる支度をした。


  ときどきつきたてをみんなで食べる。そのためにこそ、子こどもたちは片時も離れずに集まっていた。私も例外ではない。おかげですっかり手順を覚え、後年、教会のお餅つきに役立った。

 
  どのくらいのお米を用意したのだろう。我が家は少人数だが、それでも一斗、今の十五キロだったと母が言っていたのを思い出す。たしか、臼は一台だけではなかった。鏡餅にしたり、その場で食べるのは小振りの臼が使われた。それにしてもあの食糧難の時代にどこで大量の餅米を調達したのだろう。確か本家が一括して準備したようだ。

正月一ヶ月はそのお餅を食べ通した。

 
  二年目のお餅つきだったと思う。見慣れないものが登場した。大きなカーキ色の缶詰だった。開けると、知らないにおいがした。それは甘い甘いいちごジャムだった。あんこ代わりに、つきたてのお餅を、なんといちごジャムで食べることになった。小豆が手に入らなかったようだ。その代わりに、アメリカの放出物資のジャム缶が配給になった。 

 あんころ餅に慣れていたせいか、さすがに違和感があった。

 「なんだや、こんなもの、食えっかよ(食べられないよ)」と男たちには不評であった。

 「甘えけっとも、餅には合わねえわ。(甘いけれど、お餅には合わない)と女たちも顔をしかめた。みんなジャムをジャミ、ジャミと言った。


  私がジャムを食べたのがその時が初めてではなかったかと思う。ドラム缶を小さくしたようなカーキ色の缶にぎっしり詰まった暗赤色のジャムは忘れられない。一度にあんなに多量のジャムを見たのも今に至るまでない。

 
  お餅つきは二月にもう一度あった。暮れの時のように大がかりではなかった。のし餅は作らず、なまこの形にして寒餅を作るのだった。青のりや大豆やごまを入れたのも作った。

 切ると半月の形になった。それは冬の間のおやつになった。練炭の火鉢に餅網を置き、そこにかき餅(そういう名で呼んだ)を並べて焼いた。母が小皿に取り分けてくれるのが待ちきれないほどだった。

 

 今日の教会にはお雑煮と、あんこ、きなこ、大根おろし、それに、お醤油に生のニンニクをたっぷりすり下ろしたものが並びました。さすがに生ニンニクには手が出ませんでしたが、一度食べると、やめられないそうです。

 

 立春を過ぎたのに、このところの寒さはいっそう肌身に沁みます。東京は雪こそありませんが、とんがった強風が吹き荒れています。雪害に苦しむ地方の方々にお見舞い申し上げます。

 

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日々の風から  春を呼ぶ淡雪 

久々に関東地方に賑々しく降雪の予報がでましたが、この時期はおそらくみぞれか雨だろう、積雪するほどの雪にはなるまいと、高を括っていました。

 ところが、今回は予報の通り降ってくれました。雪を歓迎するような物言いで、お気に障る方々もおられるでしょうが、おゆるしください。

 

孫たちは、就寝間際まで、カーテンに頭を突っ込んで降りしきる雪を眺めては歓声を上げていました。明日は雪だるまが作れるだろうか、校庭に出してもらえるだろうか、雪合戦ができるだろうか、あの子はきっと手に雪だるま乗せてくるに違いないなどと話しては興じていました。その間にも、雪はみぞれから雨に変ってしまいました。雪遊びは孫たちの夢の中だけで終りそうです。

 

八ヶ岳山麓の友人から雪景色が送られてきました。そこは標高400メートルほどなのでめったに降らないそうです。それでも今冬は3度目。今日の雪はしばらく残るのではないかとのことでした。

 

明日は節分、そして4日は立春。東京の雪は春を呼ぶ淡雪でした。

秋に埋めたチューリップの球根から1センチ、2センチと芽が出ていたのには驚きました。

 

2月1日日野春 

 

日野春その2




 
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