人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

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日々の風から 待降節(アドベント)のキャンドルの火影で 
 
 

 

早いものです、今年も今日からアドベント(待降節)に入りました。アドベント (Advent) とはイエス・キリストの降誕を待ち望む期間のことで、1130日に最も近い日曜日(1127 - 123日の間の日曜日)からクリスマスイブまでの約四週間のことです。

 

今日は第1週です。第4週がクリスマス礼拝の日です。(今年は12月20日)

教会堂の講壇の脇に設けたクランツにキャンドルが1本立ちました。キャンドルは私の教会では礼拝の間中燃やし続けます。来週は二本になります。

不思議なことですが、アドベントに入ると心が高揚してきます。降誕を待つ心は、神の御子を宿したマリヤ以来、クリスチャンの遺伝子に組み込まれた現象なのかもしれません。

 

礼拝のあと、教会は年に一度の大掃除をしました。アドベントの前にするべきなのかもしれませんが、〜するべきとらわれず、他の行事との兼合いを見ながらです。今日ばかりは服装もお掃除ができるように楽なものにし、ぞうきんや手袋、エプロンなどを持参していきました。お昼は、キッチンもお掃除するので、今日だけは外からお弁当を買いました。

 

昨年の今頃を思い出しました。母が入院していましたから、お掃除も失礼してあたふたと病院に行ったのでした。今はわりに自由に時間が使えます。とうとう夕方5時過ぎまでなにやかやと動き回りました。ところが、どうしたわけでしょうか、今日は若者たちが一人も見えず、力仕事の男性も、掃除の女性も、おじさん、おばさん年代の方々ばかりでした。みなさん、若いときから何十年と奉仕を続けてきた仲間です。

 

昼食をいただきながら昔話に花が咲いたりして、思わぬ交わりになりました。久しぶりにとても懐かしい気分に浸りました。かつては教会学校の先頭に立った姉妹が80歳の坂を越した今、すっかり老人カラーでおおわれ、皆をまごつかせ、笑いを取っていました。しかしごく自然に受け入れ合い、教会ならではの和やかな信仰家族風景がありました。

 

しかし、明日から手術不可能なガンの再発で入院する姉妹がおられ、皆で祈り合い、涙で送り出す一コマもありました。抗がん治療が始まると言うことでした。アドベントで華やいでいるときですから、姉妹のつらさもひとしおではないかと、心中を思って胸が詰まりました。

 

天上のみ位を捨てて人間になり、地に降られた神イエス・キリストは、人の世の苦しみも悲しみもすべてご存じだと思うと、ほっと心の安らぎを覚えます。


人の善意も愛も有限です。しかし神の愛は永遠不滅です。イエス・キリストの愛が、慰めが、癒す力が、注がれることを信じて祈るばかりです。


そして、今日、今、とにかくも元気で生かされている恵みを感謝して、託されている賜物を用いて、なにがしかのお役に立ちたいと切に願います。アドベントはそうした思いを強めてくれるときなのだと思います。

 

日々の風から comments(2) -
心の風から ブログ再考
 

(我が家のアドベントカレンダー)

私のブログは200511月下旬からスタートした。今日あたりで丸4年になる。当時ブログがブームになって、友人たちが開き初めたので、それに触発されたことは確かである。さらにミクシイなるものも友人たちが盛んにやり始めたので、それにも乗って今日に至っている。その功罪を検証すれば話は尽きない。

 

ブログであるが、当初はずいぶんエネルギーを費やした。もともと書きたい病を持つ者はおおむね読んでもらいたい病者でもあるから、こんなに都合のよい場はないのだ。読者になってくださる方々は寛容なる我が友人知人たちなのも幸いだった。それを知っていればこそ、今日まで走ってこられた。

 

この機に、皆様には心からお礼を申し上げます。



この4年間に書いた記事は1080件とか。11000字として1080000字、400字原稿用紙換算で2700枚。数字で見る限りたいしたことはない。4年もかけているのだから。ちなみに、今読書会で読んでいるユゴーの『レ、ミゼラブル』(岩波文庫 4冊)は日本語訳で4000枚から5000枚とか。

 

文字数だけの比較などナンセンスで、何の益にもならないが、もし、ブログを書かず、まともに執筆に向かっていたら、2700枚の作品を生み出すことができたと言えないこともない。これまたナンセンスな話だが。

ブログの原稿はしっかり保存してあるが、さて、どうにも転用がきかない。書き捨てなのだろうか。惜しい気もする。

 

4年の間に、年齢も進んだ。一年増しに体力、気力が減退している。なによりも、情熱、別の言い方をすれば執着心が薄らいでいる。老化の一現象だろう。この先はどうなるのだろう。

 

老いの身にむち打ってもう一度新しい気持ちで書き続けます、とは言い難い。反対に、もうギブ・アップです、この辺でフィニッシュです、とはもっと言い難い。読者の忍耐に甘えつつ、マイペースでいきたい。そんな風に思っています。

 

これからもどうぞよろしくお願いします。

 

間もなく教会曆はアドベント(待降)に入ります。

クリスマスシーズンになると、書きたいことが沸騰してきます。

クリスマスの恵みは何よりの疲労回復剤です。希望の風ですから。

 

 

心の風から comments(5) -
世相の風から オバマさんのお辞儀

 

来日したオバマ大統領が天皇皇后両陛下とあいさつを交した時、深々とお辞儀をしたことが、アメリカでは大きな物議を醸しているそうだ。「アメリカの大統領ともあろう人がーーー」ということらしい。これは私にとって、たいへん意外な出来事であった。

 

ふだんはあまり意識しない国民感情という隠れた部分がはっきり見えた気がした。天皇制を擁護するとかしないとか、そうした命題はさておき、日本人だからだろうか、あのシーンに特にひっかかるものはなく、気にもならなかった。むしろ、三人だけで昼食をなさったとのこと、なんだか寂しいなあ、せめて皇太子ご夫妻も同席できなかったのかと、そこに違和感を持った。

 

日本のお辞儀は、欧米文化では、握手やハグの代わりなのだろう。握手してお辞儀をするのは挨拶の行為が一つ多いのかもしれない。まして、そのお辞儀が、長身の体を二つに折るほどていねいだったのが、不興を買ったらしい。

しかしこれはマナーだけの問題ではないようだ。なぜ、アメリカ人(全部の人でないことは確かだが)は気をもみ、批判するのだろうか。

まるで謝罪しているようだとあったが、どうしてそんな発想になるのだろう。

世界一の大国だという自負心がネックにあるのだろう。強い者は弱い者に頭を下げないものらしい。しかしお辞儀一つ、握手一つで国の威信が左右されるのだろうか。

 

ふと、一つのことわざが浮かんだ。

実るほど 頭の下がる 稲穂かな

農耕民族の文化はかの国の方々には理解できないらしい。

 

聖書も言っている。

謙遜は栄誉に先立つ。

柔和な者は幸いなり。その人は地を継がん。

 

世界が一つにならなければ平和も幸福もない21世紀、もっと柔軟になれないものか。おらが国節は考えものだ。握手もいい、お辞儀もいい、ハグもいいではないか。まずは美しいあいさつを交し合うことが第一だと思う。お辞儀や握手だけでは解決できない難問が山積していることはだれも承知している。それだからこそ、まずは挨拶だ。たとえ外交辞令であって、にこにこと微笑み、深々とお辞儀をし、固く握手し、しっかりハグし合うのは無駄ではないだろう。

 

オバマさんでなければ出来ない、アメリカの新しい外交スタイルではないか。決して『弱腰外交』ではないと思うが、いかがでしょうか。

 

 

世相の風から comments(6) -
日々の風から 新型インフルひとまず鎮静
ガーデニング

 

 孫たちの新型インフル騒動であたふたしているうちに、11月も半ばになりました。高熱は出たものの新型とは判定されず、しかしいまやすっきりと元気になって登校し、スイミングにも通いだし、感謝です。

 

今年は暖かい秋なのでしょうか。時に寒い日もありますが晴れると気温がぐっと上がって汗ばむほどです。我が窓景を飾る公孫樹並木もまだまだ黄葉には遠いのです。東京は年々暖かくなっていくような木がします。

 

教会の花壇がまだ夏バージョン。そこで礼拝後数名の兄姉と植え替えをしました。

夏草?を全部刈り取り、土を掘り返し耕しました。本来なら更地のまま数日は日光と風を通した方がいいのでしょうが、諸般の事情でこの日しかありません。

すぐに数日前に買っておいた苗を植え込みました。園芸に素人でしかない者たちが見よう見まねでするのです、きっと間違いも多いでしょう羞悪。

 

それでも感謝なことに毎回みごとに生長し花を咲かせ、教会員ばかりでなく、通りがかりの地域の方々に喜ばれています。信仰には無言の人々も、花の盛りの頃はわざわざ足を止め、話しかけてさえ来るのです。「花が伝道してる」といえるほどです。そんな思いも込めて作業しました。種類はいつもの花たちです。パンジーとビオラを一面に植え、手前には白のアリッサムをいれました。あとはチューリップの球根を埋め込むだけ、単純で小さな花畑です。

 

お花を植えたあとはどうしてこんなにすがすがしい思いになるのでしょう。とても不思議な気がします。頭から離れない問題や心にかかる煩いも遠のいてしまうほどです。草一本にも語らせ、慰めの力を与えられる神様をほめたたえます。

イエス様のおしえを思い出さずにはいられません。

 

 

マタイの福音書6章26節から

『空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。

あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。

 

なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。

しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。

 

きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。

 

そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。

 

だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。

 

だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります』

 

 

 

 

 

日々の風から comments(0) -
日々の風から 新型インフル子どもたちを襲撃

孫の6年生S君がダウンした。新型に直撃されたと思いきや、2度検査しても反応は出ないようだ。

 

先週、あの冷え込んだ数日、彼らはよりによって日光へ修学旅行に行った。行くまでも実行できるかどうか前日まで決まらなかった。何人かが新型に罹ってしまったから。それでも予定通り出発したが、途中で発熱し、保護者が現地まで迎えに行く場面もあったそうだ。

 

S君は元気に行って元気に帰ってきたが、間もなく咳がひどくなった。そしてついに発熱した。日曜日夕方、休日診療を探して診察を受けたが新型の反応は出なかった。月曜日も熱が続いた。熱が出たら登校禁止。欠席届を出して早々に近所の医院へ行った。なんとクラスの生徒たちがあふれていたそうだ。新型の子も何人かいた。だがS君の反応は出ない。普通の風邪の薬を服用しているが、今日も熱が続いている。

 

学校から連絡メールがあり(最近は学校も携帯メールなのだ)、明日から3日間学級閉鎖とのこと。実は先週いっぱい3年生のMちゃんのクラスが閉鎖だった。

新型インフルは子どもたちを直撃している。集団生活をしているからだろう。

なんとか早くワクチン接種はできなのだろうか。

 

昔、学校で注射された覚えがある。何の注射か忘れたが、みんな一列に並んで、腕まくりして大騒ぎをしながら受けたものだ。そのほうが簡単で全員一度にできる。そういえば、お医者さんは同じ針で何人もに注射していた。いまでは恐ろしいことなのだろうけれど。親がそれぞれ医院に予約して連れて行くのではもどかしい。共働きの子供は通院もままならないだろう。

 

一緒に住んでいればこちらも安全ではない。それぞれにマスクはしているが。

 
日々の風から comments(4) -
日々の風から 相次ぐ友の旅立ち

秋の花 


親しい友人の奥様が急に召されたとの報に、まさかと絶句していたところ、数日前から立て続けにさらにお二人の召天のお知らせをいただき、声も出ないほど驚いた。三人人の内お二人は80歳そこそこの高年齢ではあるが、お一人は53歳、まだ在職中であった。2日前まで職場におられ、急に入院され、ご家族が見舞っている前でみるみる容態が変わったという。

 

大きなショックと傷手を受けている。ご家族のお胸の内を思うと泣いてしまう。

皆さん全員がイエス・キリストを信じて救われ、永遠のいのちをいただいている方々で、誠実に主の御前を歩まれていたので根本のところでの悲しみはないが、それでも、もう少しこの地上でお交わりがしたかったと思う。

 

最年長の友とは、十数年、主の奉仕を通して深い関係にあった。若い時代は社会で立派な仕事をし、財を築かれた。定年後は迷うことなく宣教団体にはせ参じて、手弁当で奉仕に励んだ。手弁当どころか、経済的にきびしい団体を、私財をなげうって支えた。それはそれは見事な潔い捧げ方であった。すぐそばでじっくり見させていただいた。

 

その他、彼の働きを記したら一冊の本では収まらないだろう。なによりも謙遜であった。その姿勢に打たれ通しであった。体調異変があっても決して多くを語らず、まるで隠れるようにして天に帰って行った。終わりの幕の引き方からも、多くのことを教えられた。

 

ご自分の家の家庭集会から教会を生み出し、そこの教会を支えてもこられた。しかしあくまで一信徒として静かに忠実に教会に仕えておられた。

まだまだごいっしょに奉仕をさせていただきたかった。残念でたまらない。力が抜けたような気がしている。もし彼が天の御国へ帰ったのでないなら、私の嘆きはとどまるところを知らないであろう。

 

しかし、彼を筆頭に皆さんイエス様のみもとに行かれた。それを思うと、嘆きも悲しみも薄らぎ、心が和んでくる。

 

よく頑張りましたね。新しい天地で心ゆくまでゆっくりしてくださいね。お会いできる日を楽しみにしています。

 

そういえることを、つくづく幸いだと思う。

最大の望みは御国にあることを再確認し、御国に帰る日までイエス様とともに歩み続けたい。御国の主は、この地上でも真実な主であるのだから。


 

『彼は死にましたが、その信仰によって今もなお語っています』ヘブル11・4

『私たちの国籍は天にあります』ピリピ2・20

 

 
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日々の風から 木枯し一号
 日野春1
 (冬支度の親類宅)



季節の足はこんなにも速いものか。

あれよあれよという間に木枯しや積雪など真冬言葉が聞こえてきて、自分がどこにいるのかとめまいがするようだ。

しかし、驚くには及ばないのだ。昨日初めて東京地方を吹きまくった木枯し1号は、昨年より一日遅いそうだ。

 

季節の足はこんなにも速いのだ。

まだまだとのんびり構えていたが、あわてて冬物を着込む始末である。暖房も入れてしまった。机に向かっていても足下が冷える。膝掛けをたぐり寄せる。背中が何となくひやひやする。ベストを重ねる。そうして熱いお茶をすする。

 

久しぶりに小豆を炊いてお汁粉にした。昨年あたりはあまり関心を寄せなかった孫たちも大人のような顔をして食べている。おかしなものだ。

 

そう言えば、孫たちが小さいときはおなべができなかった。最近は大好きである。

これからは頻繁に登場するだろう。カレーやシチューを凌いで。そうそうおでんもいい。考えて見ると、寒いときの方がメニューの種類が多いように思う。

 

季節の足はさらにスピードアップするだろう。

11月は木枯らしにさらわれてしまう。

もう、クリスマスが見えてきた。

そうだ、日々の音楽をクリスマスミュージックにチェンジしなくては。


毎年、毎年聞いているが、クリスマスの歌は聞き飽きない。

この時期になると、クリスチャンであることが実に感謝だ。

ほんとうのクリスマスをこころからエンジョイできるからだ。

 

おや、私の心の足は季節の足を追い越したようだ。

季節の足と歩調を合わせて、去り行く秋をていねいに見送り、近づく冬を笑顔で迎えよう。クリスマスを待ち望みながら


日野春 

 

 

 

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