人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

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日々の風から 代理ママ奮闘の連休
紫式部
 

 この連休の期間中に、5年に一度のキリスト教界の大会、日本伝道会議が札幌で開催されました。娘二人も参加。私は留守番役に廻りました。

かくして、この数日、私は引退したはずの主婦をすることになりました。中でも孫たちのママ役が中心です。老いた代理ママはかなりの大役です。


孫たちは成長しましたから、私にまとわりつくことはありません。反対に私の手足となって助けてくれます。ゴミを捨てに行くことや、ちょっとしたお使い、配膳や食事後の食器をシンクまで運ぶこと、掃除機やモップがけ、洗濯物をたたんで自分の整理ダンスに収めることなどなど、よくやってくれました。

 

でも、私はいつもよりずっと活動し、疲れ果てました。一番の仕事は、なんといっても三度の食事の支度でしょう。ずっとお休みでしたから、お昼も給食がありません。毎回、食事しながら次の食事のリクエストを聞き、食材を点検し、お使いに行き、時間が来ると調理です。ママの味付けと微妙に違うらしく、お酢が多いとか、甘すぎるとか、きびしい?評価が入ります。それでも、よく食べてくれました。彼らの食欲につられて、私もちょっと過食気味でした。

 

ふと、シルバーウイークってなんだろうと思いました。敬老の日が入っていたのではないでしょうか。敬老の日に、おばばからママに役替えさせられるなんて、これはいったいどういうことでしょう。どこかで埋め合わせがあるのでしょうか。でも、はかない期待はやめましょう。元気で世話が出来る恵みを喜ぶことにします。

 

今朝から学校です。昨夜のうちにすっかり用意をしました。Mちゃんはさすがに女の子です、ひとしきり、シャツとスカートやスパッツ、靴下の組み合わせを考えていました。Sくんは?と聞けば、そんなの明日の朝で十分と素っ気ない返事でした。

 

朝食を終えると、子ども新聞に目を通し(Sくんは普通紙も)、健康カードの項目にチェックし、保護者の印鑑を押して、元気に登校していきました。

やれやれです。数日ぶりに我が家は静けさを取り戻しました。夕方にはママが札幌の風とともに帰宅するでしょう。そろそろ、モードチェンジをしてもいいでしょう。いつものおばばに。

 

 

 

季節の風から comments(0) -
日々の風から シルバーウイークとは!!??
 

 

知らなかったのです、こんな連休があるなんて。それもちゃんと立派な名前まであったなんて。だれが名付けたのでしょう、シルバーウイークなんて…。

敬老の日が入っているからシルバーなのですか。それとも5月のゴールデンウイークに対してですか。なにはともあれ、連休となれば、それっとばかり飛び出すのが私たち日本人の民族性なのでしょう。若葉マークほやほやの大臣様たちも、次々に飛び出してしまって……いいのでしょうか。

 

愛用品の不足があってJRの駅ビルに出かけてびっくりしました。いつも混んでいる館内がいやに静かです。人がいないのです。焼きたてパンのお店に並ぶ行列もなく、店先のテーブルで飲食している人は、なんと男性の老人一人っきりでした。みなさん、どこへ行ってしまったのでしょう。駅前の大通りを行き交う車もいつもより少ないのです。

 

夕方、東京駅へ行きました。パパの単身赴任先へ、初めて新幹線一人旅をした孫のSくんを出迎えるためです。実は、この連休に、我が家ではドキドキの計画をしたのです。選択肢にはパパが上京することもあったのですが、Sくんが一人で行ってみたいと言い出しました。初めてのことですから、ママも私も多少の不安はありましたが、本人の意志と神様のお守りを信頼して、決行させることになったのでした。

 

土曜日の出発の時は、さすがにママとMちゃんと私は新幹線の中まで入って確かめ、送り出しました。しかし迎えるパパは私鉄の入り口で待っていただけ。Sくんは複雑な名古屋駅を見事クリヤーしてパパと出会ったようです。

 

帰りも、私鉄の駅までで、後は一人で新幹線ホームまでたどり着き、乗り込んだようです。そして東京駅の私たちも、もうホームまでは行かずに、八重洲中央口の改札前で待ちました。大人でも間違えやすいところです。

 

東京駅の混雑はたいへんなものでした。やはりこの連休は多くの人が遠方へ行ったようです。そうそう、Sくんはいつもの淡々とした様子で改札口に現れました。しっかりマスクをしていました。彼の姿を見ていちばんホッとしたのはどうやらママだったと思います。

Sくんの冒険の旅はこうして無事に完了しました。この経験は彼にどんな影響を与えるのでしょう。机上の勉強では学び得ない大きな実力になると信じます。

 

ちなみに、Sくんは携帯を持っていません。携帯があったら冒険の旅とは言えないでしょう。当然でしょうが。

 

日々の風から comments(2) -
世相の風から 想像できない政治家の心
 

 


民主党、社民党、国民新党3党連立政権が誕生した。歴史の転換点であり、新しい政治がスターとしたと物々しい鳴り物入りである。たしかに野党が与党になって政権を担当するのだから新しいことなのだ。8月30日の総選挙以来この半月は、政治音痴の私もいつになくマスコミの報道に目をこらし、耳をそばだててきた。

 

ひとつだけ、強く心に占めるのは、一夜のうちに閣僚の一員になる方々のお心の内である。以前から予想していた方々もおられるだろうが、あれよあれよという間に大臣になった方もおられるのではないか。社民党の党首福島みずほ氏をおもう。同じ女性だからかもしれないが、ひどく興味を感ずる。

 

社民党と言えばルーツは日本社会党。長く野党として大きな存在だった。時代は飛ぶが、社民党の先代党首土井たか子(おたかさん)氏を思い出す。今は表舞台にお顔は見えないが好きな女性政治家である。福島みずほ氏はおたかさんの後を継いだ。並の女性でないのはもちろんだが、党首といえども国会にはわずか12名の同志しかいないのだ。超少数派ではないか。

 

政治家として、一党の党首として、たくさんの公的舞台を踏んでこられたであろうが、何しろ少数派、野にあって大いに働こうと思ってはいたものの、まさか大臣になるとは想像もしていなかったのではないか。

 

手放しで喜んだだろうか、ためらうものはなかったか。ひそかに想像のメスを差し込んでみたい。

 

とはいえ、環境適応力こそ女性の一大能力だ。すばやくモードチェンジして、腰を浮かさずに大臣の椅子に就いていただきたい。結構ユニークな発言をしておられる俊英な頭脳と、政治センスをお持ちのようだ。

 

『自民党と民主党はカレーライスかライスカレーかの違いでしかなく、私たちの社民党はオムライスあり、カレーライスでもライスカレーでもないのだ』

 さて、どのようにオムライスの存在を示せるのか、上手にオムライスカレーなる新品を提供できるのだろうか。

 

『出すぎた杭は打たれない』とも言い放った福島さん。勇ましいですね。

男どもの(女性もいるかも)鉄槌が届かないほど高く杭をのばして、他の大臣の方々と互角で活躍していただきたい。まずは消費者庁を家賃の安価な場所に移転するとか。その主婦感覚を失わないでいただきたい。

 

 

世相の風から comments(9) -
日々の風から 秋の詩に誘われて
 

すすきの原   高田敏子

 

さようなら さようなら

すすきのほのくり返す

さようなら

日がな一日

すすきは 風に

さようならを おくりつづけている

 

ごめんなさい

わたしはあなたに あのような

美しいさようならを したでしょうか

 

あなたにも あなたにも

いつまでもああして

手をふりつづけていたでしょうか

 

わたしはうかつにも

別離がいつもあることに気づかずに

すぎてきたように思う

 

わたしのまわりから いつとはなしに

時の流れのなかに

去っていった人たちのことが思われる

すすきの原

 

孫の学習書から見つけたこの一篇が、しんと心の奥底にしみいってきました。

詩の前で、深い感動に浸りました。詩人の発想のユニークさ豊かさ優しさにふるえました。

下手な感想は邪魔の一語に尽きますが、秋風になびくすすきの姿を別れのあいさつと見て取り、亡くなった人たちとどれだけ確かな別離の時を持っただろうと視線を自分に向け、自戒する詩人の心情に驚かされます。なんと謙虚で、ものものやわらかな心でしょう。なんと美しいことでしょう。

 

ごめんなさい

わたしはあなたに あのような

美しいさようならを したでしょうか

 

かつて自分の分身のように親しくしていた友人や親類とも、いつの間にか疎遠になった人たちがいます。もうこの世からいなくなった人はむろんのこと、遠方に行ってそれっきの人もいます。美しいさようならをしたかと問われてば赤面するばかりです。

 

あなたにも あなたにも

いつまでもああして

手をふりつづけていたでしょうか

 

胸がきゅっと詰まって涙があふれてきます。

非礼で非情な自分がいるばかりです。

 

風に揺れるすすきから、心の世界に深くはいり、こんなに情感あふれて表現できる詩人になんどもなんども感心します。これを書かせたのは詩人の能力だけではない、才能だけではないと思うのです。日頃の詩人の生き方がそのまま言葉を紡いだのではないでしょうか。

 

おそらく詩人はすすきの原を、時間をかけて見つめたのでしょう。

一時だけでなく、何日も見続けたのかもしれません。

通り一遍の見方ではなく、じっと、集中して、ながめたのでしょう。

すすきの原だけでなく、通りすぎる風にも、空にも、雲にも、辺り一帯を手のひらで撫でるように、見回したに違いありません。

 

同時に、視線を心に向けたのです。自分の周りからいなくなった、あの人、この人を親しくなつかしく、愛にあふれて思い出したのでしょう。

 

もしかしたら、初めにすすきの原があったのではなく、今は亡き人々への追憶の情耐え難く、一人すすきの原に佇んだのではないでしょうか。初めに友愛があったのではないでしょうか。どれだけ愛せたか問われたのではないでしょうか。

 

珠玉の詩の前で、感想は大きな蛇足と思いつつも、詩のいのちが私の手を取って導いてくれます。私は詩の後についていかねばなりません。美しいいのちを慕っていかねばなりません。すすきの原へ行き、詩人のように感じたいのです。風に手を振り、遠い人たちにいつまでもあいさつするすすきに会いたいのです。

 

 

 

日々の風から comments(5) -
日々の風から 世界一の電波塔 東京スカイツリーは我が町に建つ
スカイツリー100メートルスカイツリー6分の1


首都圏の地上デジタル用電波塔『東京スカイツリー』をご存じでしょうか。高さ610.58mは日本一どころか世界一だそうです。もっともドバイではもっと高いものが建設中だそうですが。かの東京タワーの2倍です。

それが、なんと我が墨田区、しかも徒歩で15分ほどのところに建ち始めたのです。

 

誘致の段階から街のあちらこちらに幟がはためいていました。私は内心、そんな高い大きなものが近くに出来ることに不安を感じました。大地震が起ったらどうなるのだろう、何かの時、標的にされてミサイルでも撃ち込まれたらたいへんだと考えたからです。

 

計画はどんどん進んで、4月から工事が開始され今5ヶ月、610mのうち130mまで出来てきたと聞いて、急に見てみたくなりました。2011年末には完成するそうで、1ヶ月に25mの勢いで伸び続けるのだそうです。

 

携帯を取りだして写していましたら、そこここに同じような人が群れていて、携帯やカメラを操作していました。

完成後はおそらく我が家の通りからも見えるでしょう。それも巨大に見えるでしょう。全貌を見るには、顎を痛くなるほど上に向けなければなるまいと想像しました。なによりもスカイツリーの名のように、夜はひときわ美しいのではないかと、急に親しみが湧き、楽しみになってきました

 

 

 

 

 

日々の風から comments(0) -
日々の風から そぞろ歩き 芥川龍之介生育の地発見
国技館

 

このところ再読している長田弘氏の一冊に「歩く人」という小篇があった。長田氏の文章は散文といえども詩である。強いて言えば《詩文》だろう。粒ぞろいのワードをつないだセンテンスがきっちりと生き生きと並んでいる。まだ跳ねている取れたての魚を売る漁港近くの魚屋さんのようだ。

 

きりりと引き締まった文体力は、私の生活全般にダイエット効果をもたらす。(生活全般なんて、およそあいまいな物言いだ。長田氏の読者とは思えない。自戒します)

「歩く人」に触発されて家から飛び出した。おりから恰好のウォーキング日和である。澄んだ大空には大きめのちぎれ雲がたゆとうている。日差しはかなり強いので紫外線対策は怠らない。夏のメイクと手袋と日傘で防備。

 

たくさんは歩けないので、JR錦糸町から両国まで、14号線の歩道を両国橋方向に向かった。横断するのは、江東橋を渡って、まず四つ目通り、次が清洲橋通り。右手奥にそろそろJR両国駅の様子が見えてきたので右折しようとしたら標識が目にとまった。『芥川竜之介生育の地』と看板があった。ひどく感動した。こんな近くにこんな有名人のゆかりの地があったなんて……

遠い街にいるような気がした。まるで旅人気分になった。思わず携帯のシャッターを押す。入り込んだ路地は横綱横町とあった。

 

当初は帰路も徒歩の予定であったが、早くも足の裏が悲鳴を上げている。仕方なくJRに乗ってしまった。両国から亀戸の二駅である。ホームのベンチに座り込んだ。目の前に国技館のみどりの屋根が見えた。

 

錦糸町から両国までわずか3000歩。途中、お花屋さんの前で2度足を止め、ゆっくり眺め回したりして、文字通りそぞろ歩きしたので、30分もかかった。

 

もう正午は過ぎてしまった。いささか空腹。しかしそこは長年の貧乏主婦感覚がしっかり身についている。めったなことでは外食しないし、一息も入れない。家に帰ればできるのだから。

かくして今日の散歩は締めて2時間、8000歩となった。反省は、履く靴を間違えたこと。一駅くらい何ほどのことと甘く見たのがいけなかった。

次回は謙虚にウォーキングシューズを履きます。

 

長田氏の一文を引用します。(『感受性の領分 岩波書店』から

 

歩くことから、はじめる。どこへゆくともきめずに、街を歩く。どこをどうあるいてもいいけれども、ゆっくりと、一人で歩く。歩くうちに、やがてこころがふッときれて、周囲の光景がふいにはっきりとしてきて、陰影と輪郭がとてもするどく感じられるようになってくると、いつか日常の何でもない光景の一つ一つがあざやかな場面のように、こころを通りすぎてゆくようにおもえる。

 

最後の結びの段落。

街を歩く。ともかくも、歩くことからはじめる。そのために必要なのは、いつでもたった一つの道案内の言葉だ。北米の詩人セオドー・レトキの次の言葉だ。

I learn by going where I have to go

行くことによって、どこへ行くべきか、わたしは学ぶ。

 


私のそぞろ歩きは決して哲学的でも、思想的でもない。多分に単純視覚的。

いちばん多いのは祈りに導かれることだ。いつしか主の名を呼び、祈っている


芥川の生育地


日々の風から comments(2) -
日々の風から パスポートの更新と期間 


パスポートの残り日数が少なくなった。このあたりで更新しておこうと思い立ち、手続きに必要なものを揃えだした。まずは写真を撮ることから始めた。前回は約十年前。老いに向かう十年とは、大きな歳月だ。しげしげと顔写真に見入った。それから鏡の前に接近して、現在の自分にまたしげしげと見入った。

「うーん。あまり変わっていないじゃないの」と小さく自己満足してみた。

幸か不幸か小さな写真だから細かいところは隠してくれる。

まずは一安心。そばにいた孫のSくんに訊いてみた。「どう?」

「変わってるよ、髪の毛の量がずっと少ないよ。ほら、みてごらんよ」

なるほど、そうだ。だが、きびしい評価である。ショックだった。

 

近くのスーパーの前に証明写真用のボックスがあるので、そこへ行った。Sくんがお供をしてくれた。彼はいち早くボックスのカーテンを開け、写し方を読んで、教えてくれた。「そこに座って、もっと座席を高くした方がいいよ。椅子を回せばいいんだよ、ちょっとどいて。回すから」

その調子で、次々にボタン押して、写すまでセットしてくれた。おかげで、まもなく4枚のワンシートができあがった。十年前とは大違いであった。

 

次はパスポート期間を何年にするかであった。5年か10年である。あと10年経ったら○○歳、もう海外旅行は無理かなと思ってしまう。長女は言う。「今回は10年でいいんじゃない。でもその次は5年かな」

自分でもそう思うけれど、はっきり言われると考え込んでしまう。愚かでおかしなものだ。そうなのだ、元気でいても、海外は無理だという年齢がすぐそこに来ているのだ。もっと現実を直視しなければいけない。

 

あるところに、人間は自分だけはそう簡単には死なないと思うものだ。災害があっても、悪い病が流行しても、まして自分だけはガンにはならない、ガンでは死なないと思うものだと書いてあった。変に納得した。新型インフルにしたってそうだ。すでにちらほらと死者が出て、問題は深刻化しているのに、案外のんきにしている。私だけかもしれないが。

 

神様が人を造られた目的をもう一度よく考えてみたい。生きていることがどんなに大きな恵みか、熟考したい。生かされている存在なのだと肝に銘じよう。

 

『主はあなたのすべての咎を赦し、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みと憐れみの冠をかぶらせ、あなたの一生をよいもので満たされる』

詩篇103篇から

 
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日々の風から 9月1日台風一過
 

政権交代の大嵐と台風11号に振り回された31日が終わって、今日からいよいよ9月がスタートした。

 

なんといっても9月は初々しい。

ようやく歩み出した秋の歩みがいかにも頼りなく、たどたどしく、もどかしい。

歩み具合によっては、駆け寄って手を差し伸ばしたくなる。

 

しっかりと勇壮な秋になってほしい。

豊かな収穫を運んできてほしい、穀物、野菜、果物、木の実などの。

爽やかな自然美を表現してほしい、空の色に、雲の形に、風のにおいに、

月の光に、星の輝きに、虫の音に、とりわけ草木の紅葉に。

 

おそらく自然は期待に答えてくれるだろう。自然は創造主に従順だから。

自然の営みには全能の神が直に働いているから。

 

生まれようとしている新政権に国民の期待は大きい。

昨日まで攻撃することしか知らなかった者たちが、一夜にして立場が逆転した。素早くモードチェンジして、奪取した座を最大限に用いてほしい。

 

外野は何とでも言える。

私もしょせん無責任な外野席で高みの見物をする一人に過ぎない。

 

だが、厳しく自己を戒めるのは、激変の世に漂うことがあっても、

永遠不変の神様に視線を定めて、たじろがないこと、うろたえないことだ。

 

 

 

子どもたちは40日間の休みを一気に乗り越えて

まるで昨日の続きのように、帽子をかぶり、ランドセルを背に、学校目指して駆けていった。同じでないのは真っ黒な顔、手足。伸びた背丈。

 

さあ、私も立ち上がりましょう。子どもたちのように。

神様が手のひらに乗せてくださったいくつかの働きのために。

今朝、開いたみことば
『あなたがたは、人をふたたび恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼びます』ローマ8章15節






 

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