人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

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旅の風から その4 フィレンツェ アルノ川対岸 ピッティー宮
 ピッティー宮


アルノ川



ベッキオ橋


ボーボリ庭園


日本人の団体観光客はあまり見かけませんでした。個人で歩いている人には時々出会いました。また、韓国の集団もいませんでした。アジア人の姿が極端に少ないと感じました。不況のせいでしょうか。

 

 ピッティ宮

 今回の目標の一つはアルノ川対岸のピッティ宮とそこにあるパラティーノ美術館、ボーボリ公園です。


 ピッティ宮はメディチ家はじめ歴代のトスカーナ大公の宮殿。部屋の一つ一つの豪華な装飾に見とれてしまいました。一部がパラティーナ美術館になっていて、ウフィッツィには及びませんが、ルネッサンスのお馴染みの巨匠たちの絵画がふんだんに陳列されていて、丁寧に見ていたら時間が足りません。それに、疲れ果ててしまいます。 贅沢ですが、有名な作品をつまみ食いしただけ。でも十分に満たされました。 宮殿の後ろの丘は広大なイタリア式庭園、ボーボリ庭園が広がっていました。

 帰途は念願のベッキオ橋を渡りました。橋といっても川が見えないほど両側にぎっしとお店が立ち並んでいるのです。それも全部キンキラキンの宝飾店です。本物を並べているのでしょうが、浅草の仲見世のような気がしました。わずかに橋の中央部分のアーチからアルノ川の流れが見えました。


 

  おわりに

わずか3日間、一日7時間の行程でしたが、万歩計は不思議なほど毎日21000歩前後を表示していました。ホテルへ帰ると案内書で今日のところを復習し、明日の箇所を丹念に予習しましたので、いつもの旅より身についたものが多いのではないかと思います。しかし、それを消化成熟させ、私なりに新しいものを生み出すためになお時間が必要でしょう。ひとまずこれにて擱筆。 

 




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度の風から その3 フィレンツェ ウフィツィ美術館

春

ウッフィツィ美術館

世界に名高いこの美術館を見学するには、日本から予約しておいた方がいいとのことなので、あらかじめ旅行社に頼んでおきました。朝9時の時間帯に予約しました。

まず、日本語の音声ガイドを借りました。展示室の番号と展示品の番号を入力すると詳しい説明が聞こえてきます。ガイドさんと一緒にいるようで、大変便利でした。約3時間、部屋から部屋へと歩きながら、世界の逸品を堪能しました。


 前回のとき、胸ときめかしたボッティチェッリの
『ヴィーナスの誕生』と『春』の前に再び立った時は、名画はいつ見ても新鮮な感動を与えてくれるものだと強く実感しました。
ダ・ビンチ、ミケランジェロ、
ラファエロ、フィリッポ・リッピ、ジョットなどの巨匠たちを次から次へといとも簡単に見歩くうちに、

もしかして、これは、一生のうちに何度もない貴重で贅沢なときなのかもしれないと思いあたり、感謝が込み上げてきました。


 棒のようになった足を休めなくては先に進めません。

テラスのカフェに崩れるように座りと、すぐ手の届くところにこの町のシンボルであるクーポラとジョットの鐘楼が、悠然と姿を見せているのでした。

 

町の風景・立ち飲み、立ち食い

 フィレンツェはメディチ家が作ったような町ですから、今も当時の繁栄ぶりを思わせる名残で満ち満ちています。とはいえ、町は思いの外小さく、道路も細く狭く不規則に走っていて、標示をよく確かめないと間違えてしまいます。

 町にはいたるところにBar(バール)書かれたお店があります。日本にもよくみかけますが、パンやコーヒーがあって、気を遣わないで出入りできます。

 ほとんどの人がカウンターの前でコーヒーなどを立ち飲みします。パンも袋ごと抱えて立ち食いです。店員さんと親しげに話をし、あっという間に出て行きます。どうして座らないんだろう、あれでは疲れがとれないのでは、と思いますが、イタリア人の習慣でしょうか。

 道路はもともと狭いのに、ぎっしりと車やオートバイが止まっています。体を斜めにしないと通れないようなところがたくさんありました。人々の歩調はきびきびして早足でした。物価は日本より高いように感じました。1ユーロが135円くらいでしたが、100円ならいいのにと思いました。ユーロになってから人々の暮らしが極端に厳しくなったと読んだことがあります。

バール


 

 
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旅の風から フィレンツェ3days 63000歩散策
 受胎告知

 母が昨年12月25日に天に帰り、この4月4日には教会墓地に納骨も済んで、介護に縛られていた心身が解放されました。ともに頑張った妹と、念願の地へ行こうと相談がまとまり、今回の実現となったわけです。しかし、自由の身になったとはいえ、風になったわけではないので、小さな日常の枠の中で計画を進めました。海外などめったに行けるものではないからといって、

計画を大きくしないこと、欲張らないことを第一にしました。

 

 目的

 私は、フラ・アンジェルコの『受胎告知』を見ること。

 妹は、ラファエロの絵のあるところ数カ所。

 

第一日目は、サン・マルコ修道院美術館を中心に

 第二日目は、ウフィッツィ美術館

 第三日目は、ピッティ宮

(パラティーナ美術館、ボーボリ公園)

 

 

 

サン・マルコ美術館(修道院)

 フィレンツェの町は東西3キロの小さな町です。ホテルは町の東に当たるサンタ・マリヤ・ノベッラ教会の脇に位置し、町の中心であるドゥオモ広場まで10分足らずです。ドゥオモとは、フィレンツェの代名詞ともいえるサンタ・マリヤ・デル・フィオーレのことで、(赤いクーポラのある教会、花の聖母寺)クーポラとジョットの鐘楼は町のどこからでも見えるので、道に迷っても心配はありません。 

 

ドゥオモから北東へ5分ほどで、今度の旅の第一目的サン・マルコ修道院に突き当たりました。

 名所中の名所なので観光客が長蛇の列だと聞いていましたが、休館日かと思うほど

ひっそりとして人影もまばらでした。朝早かったからでしょうか。

 
 待望の『受胎告知』は二階への階段が途中から右に折れて登り切った正面の壁に突然現れました。そのように聞いていたので、一段一段どきどきしながら上がっていきました。一つの絵を見るのに、こんなに緊張と期待をしたことはありません。


 壁画は想像していたよりずっと素朴に、ずっと清楚に、ぴったりの場所に描かれていました。

 何度写真で見てきたことでしょう。この絵から物語を書いたこともありました。懐かしい人に巡り会ったような暖かい思いがあふれてきました。興奮は消えて、しんと心が静まってくるのでした。近づいたり、離れたりして、しげしげと見入りました。

 
 今回初めて気がついたことは、ガブリエルとマリヤの視線でした。二人は決して見つめ合っているのではないのです。ガブリエルはひたとマリヤを見ていますが、マリヤの視線はどこか遠くに流れているようでした。しかしそれぞれの目は生き生きと命にあふれていました。


 2階はセルと呼ばれる小さな僧房が40室ほど並んでいました。一部屋は6畳くらいの広さでしょうか。壁際に細いベッドの後があり、小さな窓があるだけ。壁のスペースに、アンジェリコとその弟子たちのフレスコ絵(キリスト伝)が、どの部屋にも描かれていました。一部屋一部屋ゆっくりと覗いてみました。


 アンジェリコはたいへん信仰心が厚く、神様に全生涯を捧げて敬虔に生きた人でした。その生き方が見る者の心を洗い、静謐へと導くのだと感じました。いつまでも絵のそばにいたい、また来て、ここに立ちたいと強く思いました。

 

 

 

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旅の風から フィレンツェ 3days 63000歩の散策 その1
フィレンツェ地図

   杖とした地図
 

旅の見聞をまとめている最中です。私の不定期なニュースレターであるペーパーでの『希望の風』を制作しています。そこから、一部をアップします。

 

旅程

13日 朝9・35 ルフトハンザ航空711便で成田を出発。

フランクフルトで4008便に乗り換え、フィレンツェのアメリゴ・ベス・プッチ空港に17時30分到着。

JTBの現地係員日本女性に出迎えられ、ホテルまで案内していただく。

 

14日 今日から3日間は自由行動。

    7時ホテルで朝食後8時出発(晴天 日中23度)→サン・マルコ修道院へ フラ・アンジェリコの受胎告知などの壁画鑑賞→アンヌイティアータ広場から捨て子養育院→メディチ家礼拝堂→メディチ リッカルデ宮→ジョバンニ洗礼堂→ドウモ広場(昼食・休憩)サンタ・マリヤ・デル・フィオーレ礼拝堂→ホテルへ(午後3時)休憩後ホテルの周辺を散策・夕食

 

15日 朝食後8時に出発(晴天 25度)→ウフィッツィ美術館(日本から予約)音声ガイド機を借りて見学。美術館のバールで休憩→サンタ クローチェ教会・パッティ家礼拝堂・美術館見学→ドウモ広場のバールで昼食→サン・ロレンツォ教会→ホテルへ(午後3時)休憩後近くの中華料理店(北京飯店)で夕食。

16日 朝食後8時出発(曇り空 20度)アルノ川岸のオ−ニシサンティ教会→カッライア橋を渡る→サンタマリヤ・デル・カルミネ教会→サント・スピリト教会→ピッティ宮(パラティーナ美術館・ボーボリ庭園、陶磁器美術館)昼食・休憩→ベッキオ橋を渡ってホテルへ(午後3時)

休憩後、共和国広場のカフェ・コンチェルトで夕食(夕立にあう)

 

17日 朝食後 8時半にJTB現地係員マヌエラさんが来られ、空港へ案内。帰国の手続きをしてくださる。係員はここまで。

10時25分発ルフトハンザ4071便でミュンヘンへ。乗り継ぎ、714便で成田へ

18日 午前10時25分成田着

 

旅の動機

2005年10月に、親友のN姉妹とJTBの《旅物語イタリアまるごと10間》のツアーに参加し、北はミラノから南はナポリ、カプリ島までざっと巡ってきました。その時行けなかったところで、後々までも残念で仕方のない場所がありました。

 まだ、未踏の国々や名所がたくさんあるのですが、もし再び海外へのチャンスがあったら、もう一度イタリア・フィレンツェへと密かに願ってきました。サン・マルコ修道院にあるフラ・アンジェリコの壁画『受胎告知』が見たかったのです。もうひとつ、アルノ川に掛かるベッキオ橋を渡ってみたかったのです。

 

 チャンスはなかなか来ませんでした。先のわからない母の介護に明け暮れる日々の中で、海外旅行はどんどん遠のいていきました。閉ざされると、思いはかえって強くなるものです。『地球の歩き方』や『フィレンツェ』(若桑みどり)、NHK出版の『フィレンツェ・ルネサンス』などを繰ってはため息をついていました。(つづく)

 

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旅の風から 冒険の旅 海外編
どーも


冒険の旅 海外編

 

しばらくブログを無断欠載?してしまいました。冒険の旅海外編に全勢力を注ぎ込んでいました。詳しくは追々に書きたいと思いますが、とりあえず一報します。

 

妹とふたりで、イタリアのフィレンツェへ行ってきました。わずか数日ですが、ツアーを使わずに個人旅行のスタイルをとりました。安全のために、フィレンツェからは一歩も出ず、ひたすら地図をたよりに、かなり緊張しながら町中を歩き回りました。私にとっては大きな冒険の旅でした。疲れと時差で、頭も体もいつもの半分ほどしか働いてくれません。

 

たくさんの収穫を抱えたままですが、よく整理して記録に残したいと思っています。

 

 

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日々の風から 明日はイースター

桜吹雪1


明日はイースター

 

今週は、キリスト教会暦では受難週です。受難とはイエス・キリストが十字架で死なれ、復活されるまでの壮絶な苦しみを指します。明日12日の復活祭記念礼拝を前にして、教会では日々早天祈祷会が行われました。毎年のことですが皆さんといっしょにイエス様のお苦しみを忍び、祈り合いました。

今週は毎朝ヨハネの福音書から受難週の記事を読み、めいめいが心に感じたことを分かち合いました。

 

聖書はヨハネ18章33節から19章42節までです。聖書をお持ちの方はぜひお読みになってください。

 

ユダヤ人の告発によって捕縛されたイエス様は、ローマ総督ポンテオ・ピラトの前で裁判を受けます。イエス様には罪がないことは、この外国の総督まで認めるところなのですが、ユダヤ人指導者の執拗な告訴が通って、ついに十字架刑の判決がくだり、その日のうちに処刑されるのです。

 

この出来事にはおびただしい人が係わります。名前の記されている人だけでも多数に登りますが、ローマ兵や群衆まで加えたらどれほどの人数になるでしょうか。イエス・キリストの十字架は白日のもと、大観衆の前で起きた一大事件だったのです。そこに神様の深い偉大な御心を感じます。決して後世の幾人かが創作した話ではないのです。

 

あるグループは十字架刑をみて残忍な笑いを浮かべますが、弟子たちを初め、イエス様を慕う人たちは絶望の淵に落とされます。悲喜渦巻く混乱の場だったことでしょう。

 

これらの背後で、目には見えないけれど、神様が大権を発動して天地を揺るがす復活の大事業を進めておられたのです。静かに、ひそやかに。

 

このみごとなコントラストを、今年の受難週では特に強く感じ考えさせられました。

 

自分の内側や周辺に起こる思いや出来事に、心騒がせ、うろたえ、怒りにかられ、悲しみ、あるいは胸を痛めて右往左往する愚かな者ですが、そうした目に見える世界を越えたところで、神様の揺るぎないご計画が進められている、その偉大な事業の中に自分も参加の栄をよくしている、それは決して災いではなく、希望と将来を与える愛のプランなのだと、改めて確信しました。

 

イエス・キリストがどんな力も知恵も征服できなかった死に勝利されことは、

何にも勝る福音です。介護も医療も福祉も100%満たし解決する新しい救済の方法です。これを紹介し伝えなくてはならない、そのために声をあげねばならない、その責任があると強く迫られました。

 
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日々の風から  花は盛りを見るべし 
墨堤 3隅田川


お花見2お花見 1

 

『花はさかりを 月は隈無きを見るものかは・・・』と、かの兼好法師はのたまりましたが、今、満開のこのとき、これを見ずしては心が収りません。

 

新学期2日目の孫たちが帰宅するのを待って、お花見に行こうと、東武電車に乗りました。浅草で下車して隅田川の墨堤へ急ぎました。我が家から一番近い名所です。北の丸公園や千鳥ヶ淵も行ってみたいけれど、今日のところは時間が足りません。

 

電車で川を渡るときから両岸の桜は壮観でしたが、下に降りて、一本、一本を見上げながら、桜談義にも花を咲かせそぞろ歩くのこそお花見といえるでしょう。

 

花より団子の孫たちでさえ、あの色は白っぽい、あれはピンクだ、真っ白いのもあるなどと、鑑賞し、デジカメを向けていました。私は相変わらず携帯の写メール。かなり限界がありますが楽しまずにはいられません。

 

咲いたら散るより他はないのが花の命なのでしょうか、すでに散り始めているのがいかにも惜しいのです。孫娘の方は手のひらに受けようと奮闘していました。ひとそよぎの微風にもあたり一面桜吹雪になりました

 

 






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日々の風から 母の納骨式
 納骨の花

 

ついに母の遺骨を教会墓地に埋葬した。昨年の12月25日に神様のともに帰って行った時、納骨は桜の花の咲くころにと願い、準備してきた。すっかり春になり、あっという間に桜満開の日になった。参列者は直系の身内だけにした。二人のひ孫が加わったのは大きな主の祝福であろうと感謝した。

 

教会の墓地は、千葉県柏市鷺野谷にあるラザロ霊園というキリスト教式の霊園にある。地域の教会が経営している。霊園内はすべて教会やクリスチャンのお墓である。隣から隣へ聖書のみことばを刻んだ墓石がつづいている。そこにいると不思議なほど平安な思いみたされ、ほっとする。いつ来てもそうである。

 

11年前に召された父も納められている。母の遺骨は父と並べられた。これにもほっとさせられた。父母の魂はすでに神様のみもとに憩っていると知っていながら、そう思ってしまうのはなぜだろう。

 

墓の入り口がしっかり閉じられると、急に激しい寂しさに襲われた。それはじわじわとしたものではなく、体ごとなぎ倒されるような強烈な力だった。自分ながら驚いてしまった。あれからすでに3ヶ月が過ぎ、母の死は納得済みであったはずだ。それなのに、家に帰ってからもずっと物足りない。

 

母はほんとうに、もうこの世にはいないのだ。母はいない、もういない。

この世で母に会うことは、絶対にない。母はいない、もう、母はいないのだ。

 

もし、父母が天にいなかったら、私の悲しみや傷手は癒しがたいほど大きなものだろう。それはたぶん長い長い年月を経なければ消えてはいかないだろう。自分の死に対しても恐れと失望があるだけだろう。

 

しかし、いまや、父母は天にいる。私もやがてそこへ必ず行く。その確信は母はいないという寂寞感を埋めてあまりあるものになるだろう。そこに希望を置いて、しばらくの悲しみに耐えていこうと思う。

 

おりしも来週はイエス・キリストの復活を記念するイースターである。

この偉大な恵みを、もういちどしっかり理解し、味わい、何にも勝る宝としたい。


桜道 

 





















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日々の風から 希望の風吹く4月1日  

1月1日、元旦も強烈な1日だが、4月1日もまた普通の日とは思えないスペシャルデーだ。自分の現状に特別なことがあるわけではないが。

 

各地の入社式の模様をラジオで聴いた。迎える側も新入する方々もそれぞれ新しい決意で新しい環境に向かっていく意気込みが伝わってきた。不況風の荒れ狂うときだが、それだからこそ、いっそうがんばらねばとの強い決意がたぎっていた。単純だが、そこには希望と期待感があふれていて、とても新鮮だった。こちらの背筋も伸びたような気がする。

 

一方、社会の大きな働きを終えて老境にいる人々の群れから、いくつかの緊急ニュースが聞こえてくる。多くは健康異変である。聴く度に胸が縮む。数日前は、ペン仲間の初老の男性が突然喀血し、それが数回に及んだ。緊急で検査をして結果が出たと知らせをいただいた。結核や悪性腫瘍を心配したがそうした深刻なことではなく、弱くなった肺の毛細血管からの出血であるという。過激なことをしなければ日常生活は差し支えないそうだ。一安心、感謝であった。

 

暮れに大きな交通事故に遭った親友の奥様は、命の危機を脱し、数々の難関を乗り越えて、少しずつ快方に向かい、今は失った器官や機能のリハビリに励んでおられるとのこと。こちらも安堵し感謝した。

 

若い時代の挫折や失敗や病気や怪我は、今思うに、必ず解決、快復する、立ち上がれると、どこかに確たるものがあった。信仰力だと一途に信じてきたがそこには神様がすべての人に与えておられる気力、生命力があふれていたことは否めない。

 

この世の生の限界を間近に見たり、自分自身の中にも感ずる年齢に達した今は、心身の異変があるとすぐに人生の終焉に直結して考えてしまう。自分のことばかりでなく、人のことでもそう思ってしまう。そして、それは不信仰と決めつけることではなく、若いときには知るよしもなかった人生への理解が深まったからだといえないだろうか。

 

その時、万事を益としてくださる主のご存在が今までになく大きく生き生きと迫ってくる。このお方に自分のすべてをお任せし、主の最善というまな板の上の小さな鯉になることに、限りない平安と喜びを感じる。

 

神様は『私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできるお方』(エペソ3・20)なのだから。

 

 

 
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