人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

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銀(シルバーエイジ)の風から 母は希望の旅へ クリスマスの朝に 
記念の花

25日、イエス様がお生まれになった日に、我が母は国籍のある天の国へ帰って行きました。世界一美しいクリスマスの朝を旅立ちのときと定めてくださった神様の愛に深く深く感謝しました。26日、27日の二日にわたって、ずっと母の愛した我が家の自分の部屋で、家族葬をして送り出しました。長い間お祈りくださり、励ましてくださった皆様方に心からお礼申し上げます。
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日々の風から 孫たちと燭火礼拝へ

長女と孫たちが冬休みを一日前倒しして上京してきました。年末までの滞在です。クリスマス礼拝とキャンドル・サービス礼拝を、東京の母教会で迎えるためです。久しぶりに我が家は家庭らしくなりました。

昨日は私の教会が休日を使っての一日早い燭火礼拝をしました。毎年24日なのですが、休日のほうが出席しやすいのではと考えて、試みることにしたのです。時間も6時から7時にしました。例年になく大勢の方々が参加してくださいました。孫たちも初めての参加です。ママの育った教会でもあり、いつも祈り、祈られている間柄ですから違和感はなかったようです。思えば長女がここから巣立ってまもなく20年になろうとしています。しきりになつかしい、なつかしいと連発していました。

さて、今宵は、私が長女の任地先の教会へ、燭火礼拝に行くことにしました。楽しい梯子です。同じ年のうちに2回も燭火礼拝に預かるのはめったにあるものではありません。
これから病院の母の顔を見てから行こうと思います。今年、母は教会や家族といっしょにクリスマスをお祝いすることはできません。このところいっそう弱ってきています。新年13日の退院が可能かどうか不安です。ベッドサイドで祈ってこようと思います。


ルカの福音書2章
『きょう、ダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。
この方こそ主キリストです。
あなたがたは布にくるまって飼葉おけにねておられるみどり子を見つけます。
これが、あなたがたのためのしるしです』
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きのうの風から  今年のクリスマスエッセー 『さあ、ベツレヘムに行って』
クリスマスの夜
  今年のクリスマスエッセー 『さあ、ベツレヘムに行って』


クリスマスの時期になると、なにか一篇書きたくなります。クリスマスカードといっしょに送りたいと思うのです。できる年もありますが、毎年とはいきません。今年は羊飼いたちに目がとまり心が動きました。


 ルカの福音書2章15節
 『羊飼いたちは互いに話し合った。 さあ、ベツレヘムに行って、
主が私たちに知らせくださったこの出来事を見て来こようではないか』

あそこには 行きたくない
あそこに行くと ひどい目に遭う
あそこの人たちは、臭い、汚い 暗いとさげすみ あざ笑い
 ののしって、石を投げる人さえいる 
あそこには 行きたくない
あそこに行くと 悲しい目に遭うから

その夜のことは、今では世界中の人の知るところとなりました。イエス様がお生まれになった、あの夜のことです。あなたもご存じですね。特に、羊飼いたちが天使から御子のお誕生を告げ知らされるところは、いつ聞いても感動に満ちています。

ああ、できることなら、あのとき、あそこにいたかった。
天使のお告げを聞きたかった。
天使の歌声を聞きたかった。
羊飼いたちといっしょに家畜小屋へ駆けて行きたかった。
みどり子のイエス様を拝したかった。

なんとメルヘンチック、ロマンチック、ドラマチックでしょう。すべてのクリスマス物語がそう思えるように。
ところが、羊飼いたちがベツレヘムに行くのには、乗り越えねばならない厳しい山坂があったのです。心の山坂があったのです。
羊飼いたちはベツレヘムの町から離れた野原で羊の群れを飼っていました。それが彼らの生活を支える唯一の仕事でした。羊の群れは神殿の祭司から託されたものでした。羊たちは一匹、また一匹と神に捧げられるのでした。

羊飼いたちは祭司や町の人々のように律法の一つ一つをまちがいなく守ることはできませんでした。なにしろ野原が彼らの住まいなのですから。水で手足を清潔にすることもままなりませんでした。当然、律法の専門家たちは彼らを侮蔑したのです。臭い、汚い、暗いと声を荒げて。

羊飼いたちはじっと耐えていました。悔しくて悲しくて涙をこぼすこともありましたが、みんなで肩を寄せ合って我慢しました。
ひとつだけ、誇りにすることがありました。仕事です。神様に捧げる羊を育てていることでした。徹夜で出産を見守り、寒さや暑さからも守り、怪我ひとつさせずに育てるのです。声をかけ、膝に抱き、自分の上着を掛けてやるのです。その羊が愛する神様へ捧げられるのです。これほどやりがいのある仕事はないと思っていました。それを支えにして、喜んで、時に楽しんで、群れを養いました。

ベツレヘムの町には近寄らなくなりました。祭司のところにはリーダー格の二、三人が、まるで戦場に行くように緊張して出かけるのでした。
そんなわけですから、天使のお告げを聞いた時、みんな、しばらくは顔を見合せるばかりでした。口をつぐんだまま。

ベツレヘムの町に
救い主がお生まれになりました だって。
どうしてベツレヘムなのだろう。
ほかだったらいいのに。
一番行きたくない所じゃないか。

だれもがそう思いました。天使の軍勢が去ってもなお、星明かりだけの暗い空をじっと見つめていました。しかし、それは、ほんのしばらくでした。みんなの心にむくむくとまったく同じ一つの思いが生まれてきました。
「さあ、ベツレヘムに行って、主がお知らせくださった出来事を見て来よう」
彼らはいっせいに叫んだのです。
 
 時は真夜中です、夜道を行くのです。行きたくない町にいくのです。夜だからいじめる人はいないと安心はできません。夜だからこそ恐ろしい目に遭うかもしれないのです。でも、天使の知らせが彼らの心の闇を照らしていたのです。

飼い葉おけに寝ておられるみどり子こそ
待ちに待った救い主だそうだ。
救い主にお会いしなければ
救い主を拝さなければ

思いますに、
私たちにも行きたくないところがあります。会いたくない人がいます。遠回りしてでも避けてしまいたい、顔をそむけて素通りしてしまいたい、そんな深い心の闇があるのです。でも、そこに主がおられるとしたら、何をおいても、不都合な時間でも、心の葛藤があっても、行かなければならないでしょう。愛する主はベツレヘムにおられるのです。私が選んだところではなく、行きたくないベツレヘムにおられるのです。

『さあ、ベツレヘムに行って、主がお知らせくださった出来事を見て来ようではないか』


   羊飼いたちの勇気と信仰にならって、
   私のベツレヘムへ急ぎたいと思います。
      真夜中であっても、
      寒風肌刺す真冬であっても、
   主いますところに行きたいと思います。


十字架

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今日はクリスマス礼拝
ツリーいろいろ

今日21日はほとんどの教会でクリスマス礼拝が行われます。今年のクリスマスは今日がクライマックスでしょう。これからいそいで出かけます。よい一日でありますようように。この日、とくに病床ですごす方々のためにお祈りしましょう。
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風の仲間たち 年の瀬の旅立ち

親しい友がまたひとり駆け足で天に旅立った。そんなに急がないでと言いたかった。せめてクリスマスまで、せめて新しい年を見てからと、重篤の報を聞いてもなお、そう祈った。

68歳。すてきな夫人と2人の御子息を残しての旅立ちであった。地方から息子さんのおられる東京を終の棲家として上京なさり、ご家族そろって我が教会に転入会して2年足らずであった。彼は世界中を走り回った往年の企業戦士。退職してようやく悠々自適の生活を始めたばかりであった。不治の病に冒され、この一年はほとんど病院暮らしであった。

兄弟姉妹としてのお付き合いは期間が短かったが、話題が豊かで実に楽しい方であった。特に文学に深い知識があり、ちょっとお話ししても通じる世界があって心が弾んだ。これからもっとお話を聞きたかった。それが残念で仕方がない。

夫人とは頻繁にメールのやり取りを続けた。私が御主人の安否を問うと、夫人は必ず母のために祈っていると返してきた。月曜日の午後もメールした。しばらくして、午後2時6分召されましたと入ってきた。いつもは長文なのに、わずかにそれだけであった。刃のように胸に突き刺ささった。教会から危篤の報を聞きつつも、きっと数値が上がって快方に向かうと信じ希望を捨てることができなかった。それが砕かれてしまった。目の前に立ちはだかる残酷な死の正体にたじろぐ思いであった。

その晩、私は久しぶりにこころゆくまで賛美し続け、この年の瀬に、まるで区切りをつけるようにいさぎよく主の御ふところに飛び込んだ彼を偲び続けた。

彼はご家族に、お父さんはこの病気と最後まで立ち向かって戦う。負けないと言われたそうだ。つらい治療にも愚痴一つ言わず耐えた。しかし、それは単に生きながらえたいという生への執着ではなった。聞くところによると、医師から特別の治療法を紹介されたが、彼は、もっと生きられる有能な若い方が受けるべきだと、辞退したという。

戦いつつも死を受容した。彼を強く支えたのはイエス・キリストへの信仰であった。死は終わりではないという永遠のいのちへの希望、復活信仰に固く立っていた。天国への一足早い旅たちであることを疑わなかった。時がくれば、再会できると信じ切っていたのだ。そして、彼の信仰と希望は真実であると、私も固く信じ、その上に立っている。

教会堂はクリスマスの装いをしていたが、敢えて取り外さずに、その中で式を挙行した。
彼はむしろそれを喜んでいるだろうと推察したからであった。こうして、教会はクリスマス礼拝を前にして、一人の尊い魂を天に送ったのである。親族と教会員だけの、肉と霊の家族だけによる小さな家族葬であった。
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日々の風から 年賀状のこと
リース

長年にわたって、年賀状には力を入れてきた。ずっと手書きだった。ワープロが普及してくると、文面はそれを使った。当時は直筆でなきゃなどと、賛否がかまびすしかった。躊躇することもあったが、ワープロ派に徹した。そのかわり、宛名は手書きにした。ずっとそれを続けた。ところが数年前からは宛名までソフトを使うようになった。

もうひとつ、長年してきたことは、クリスマスカードである。クリスマスの時期になるとすてきなカードが送られてくる。いただきっぱなしはできない。カードを送る。自分から送るのも多数になる。そして、同じ方々にまた年賀状を送る。短い間に2つの書面を送っていた。楽しいけれど、大変な作業である。

幾人かの方から一年間の消息を載せたレターをいただくことがあった。クリスマスカードと新年のあいさつを兼ねていた。これは便利だし、内容があってとてもよかった。心がぐっと動いた。まねることにした。

かくして、3年ほど前から思い切ってレターに切り替えた。クリスマスと新年のお祝いを述べ、一年間のお交わりとお祈りを感謝し、自分の一年のトピックを書き込む。両面にして、裏面は家族欄にし、親ばか、ばばバカで笑われそうだが、孫たちの写真などを載せている。

思えば、こうしたこともパソコンを少しばかり使えるようになったからだ。作っているときの楽しいこと!時間がどんどん過ぎていくがやめられない。そして、今、その楽しい作業中なのである。

今年は特に、送る一人一人のために丁寧に祈ることにした。お祈りしますなんて書きながら、言葉だけのこともある。それでは嘘をつくことになる。言ったからにはきっちりと言葉に出して、主の御名によって祈らなければと、強く教えられた。実行します!

封筒の束を持ってポストに行く時のうれしさは格別である。投函の帰り道は賛美すら口に上る。クリスマスカードを兼ねているから、なるべく25日前にしたい。でも、過ぎてもおかしくないのがこの方法である。便利だと思う。最近は年賀はがきをクリスマスカード代わりに使う方もおられる。そんなお便りがちらほらと届く。これも一案ではないか。キリスト者の自由というところか。
今、作業は4分の1ほどのところにきた。がんばれ、がんばれである。
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銀(シルバーエイジ)の風から 母の退院事情

母が、食事が摂れなくなって10月2日に入院してから70日が過ぎました。その後も平行線でしたが、発語はないものの視線を合わせ問いかけへのうなずきはありました。聞こえておりわかっているようでした。しかし点滴漬けのため浮腫がひどくなり、体内にも水が滞留しているとのこと。主治医となんども時間をかけて話し合いを重ね、胃ろう造設を決断しました。高齢のためかなりリスクはあったのですが、一つ一つ乗り越えて、いまでは順調に高栄養リキッドを摂取しています。浮腫もとれ、点滴も外れ、時々発語するようになりました。

ここまで回復して医療行為が減ってくると、救急病院としては入院させておくわけにはいかないらしいのです。それは法律で定められているとか。私が見るだけでも、家に連れて帰れるのではないかと思うほどです。とは言え、全くの寝たきりで、移動させるだけでも音をたてて壊れてしまいそうなのですが。

もし、施設に行くとすると、療養型老人病院というのだそうです。病院付きの相談員の方が主治医と家族の間に入っていろいろ話を聞かせてくれるのです。わかったことは、次の段階の病院は近辺では探しても無理だとのこと。そこで、再び在宅介護を選びました。今まで以上に訪問看護師とホームドクターとヘルパーさんのお世話になりながら、なんとかやっていこうと決めました。

さて、退院ですが、病院側は年末までにはと考えていたようです。関係者で状況を確認し話し合いましょうとのことで、アマネさん、訪問看護師さん、相談員、婦長さん、私と、集まりました。席上、ケアマネさんは、年末年始はヘルパーさんがいません、訪問看護師さんは1月10日以降でないと訪問できませんと、現場の実情をよくよく話されました。病院側は事情はよくわかりましたと受け止めてくださり、最終決断は主治医からということになりました。

昨日、主治医と面談。母の状況を詳しくお話しいただきました。
主治医はあっさりと、1月13日連休明けを目指しましょうと言ってくださったのです。
ほんとうにほっとしました。クリスマスや新年を家で迎えさせたいとは思いながらも、介護や医療のプロたちのいない日々は不安がいっぱいです。病院にいてくれたらこれ以上の安心はありません。願ったとおり、願った以上になりました。

この病院も決して評判上々ではありません。でも、今回、母の主治医になった方は若手と呼べる年齢とお見受けしますが、実に親身です。自分のおばあちゃんだったらどうするだろうと考えると言われたこともありました。ゆっくりゆっくりいきましょう、急ぐことはありませんと何度も言われました。ずいぶん慰められました。

大勢の方々の祈りがあるからです。なによりもイエス様が母を心配してくださっているのです。私は先生にも感謝していますとお礼を申し上げましたが、同時に主にハレルヤと賛美し感謝の祈りを捧げました。

今年の創作四字熟語に『窮々病院』というのがあって心に残っていますが、母の場合に限ってひそかに『悠々病院』と呼びたくなりました。本当はそんな病院ではないのです。
こうした事情により、母はあとしばらく病院のお世話になります。引き続き覚えてお祈りいただきたくお願いします。
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日々の風から 我が落ち葉の記
並木

我が家は銀杏並木に面している。東京の下町だから自然に乏しいことは甚だしい。だから四季折々に見せてくれる銀杏の顔はたいへん貴重であり、楽しみである。それが、今、黄葉真っ盛りである。毎日飽かず眺めている。一人で喜んでいる。

ところが、散ってくると大変なことになる。歩道の色が変わるほど積もっている。歩道だけならいいけれど、我が家の玄関先にも降り積もる。

今年も長い竹箒を新調した。朝な夕なに落ち葉掃きである。
今朝もせっせと掃いていると、通りがかりの人が声をかけてくる。「たいへんですね」、また一人声をかけてくる。「まだまだ続きますね」顔がほころんでいる。
私は楽しくなった。一本の銀杏の木が小さな交流を作っているのだ。落ちて朽ちるばかりの枯葉が、人の人との間に会話を生んでいるのだ。

午後になると、通りに小型のトラックが止まり、大きな音がして、数人の人たちが落ち葉をかき集めていた。歩道と車道側に積もったのを、送風機で一定のところに集め、それをまとめてトラックに積んでいた。なんと我が家の玄関先まできれいにしてくれた。区役所の仕事らしい。

ちょうど行き合わせたので、「ありがとうございます」というと「これからもまだしばらく落ちますね」と元気な声が返ってきた。通りはさっぱりとしてしまった。

全部の葉を落して裸木になるにはあとどれくらいかかるだろう。
気ぜわしい日々ではあるが、小さな自然の営みを見つめ続けたい。
一本の樹木、一枚のわくら葉が教えてくれる豊かなメッセージに耳を傾けよう。

天地創造の時から、創造主の御業に素直に従ってきた小さな生物たちの物語を聞き続け、できることなら書き留めたい。歌ってもみたい。
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日々の風から 母娘のきずな

教会で婦人会主催のクリスマス集会が開かれました。恒例なのですが。参加者は女性のみ。ただし牧師だけは例外です。今回はチェリストをお迎えし、メッセージと演奏を楽しみました。そのあと、これも恒例ですが、持ち寄りによるお食事会をしました。参加者がそれぞれ思い思いに手料理を持ってくるのです。主食から始まって、お肉料理などの主菜、サラダ類、スープ、それに、お楽しみのスイーツです。テーブルいっぱいに彩りよくお皿が並びました。

今回特に印象深い光景がありました。
教会員の女性二人が、期せずして施設に入居中の母上たちを、車いすごと、お連れしたのです。骨折から車いす生活になってしまい、諸事情からホームのお世話になっておられる方々でした。まだ80歳そこそこ。歩行は困難ですが、我が母に比べればまだまだお若くお元気です。

つい最近まで母上たちはご自分の家庭でしっかり生活しておられ、娘たちは実家を離れて暮らしていました。親たちが元気な時は頻繁に実家にはいかないものです。遠方にいればなおさら行き来の回数は減ります。

ところが、親たちが年をとってきて、怪我や病気をすると、とたんに子どもたちは飛んでいくのです。介護が必要になれば、まるで自分の子どものようにケアーをするようになります。これは古からの順送りというもので、決して珍しくはないのでしょうが、かいがいしく車いすを押して教会に連れてくる姉妹たちに、たいへん感動しました。

姉妹たちは、なんとかして老いた親たちにイエス・キリストを伝え、救いにあずかってほしいと切望しています。親たちは元気な時は、神様の話を聞こうともしないし、めったに教会に来るものではありません。
しかし、弱くなって、娘の介護を受けねばならなくなったとき、固く閉じた心の扉が開いたのでしょうか、素直に教会に来られました。教会の交わりを楽しみ、教会の温かいもてなしを喜んでおられました。

姉妹たちは勇ましくも母上たちをそれぞれ車いすごと車に乗せて、ホームへ送って行きました。そのほかにも、ふだんはめったに教会には来ない母たちをお連れした女性たちがいました。こうした母娘像はかつてはあまり目にしませんでした。我が教会では新しい現象です。彼女たちは熱心に母たちにキリストを伝えています。老いた母たちがイエス様を信じる日も近いと思います。天国へのパスポートをプレゼントできるのは最高の親孝行でしょう。どんな行き届いた介護もこれに勝るものはありません。

それに比べて男性信徒の母たちが教会に来られるチャンスは多くはありません。在宅介護ができないのは無論ですが、ホームにもそうそう訪ねていけないのが現状のようです。年をとって頼りになるのはやっぱり娘だと、そんな一面的なことを言い張るつもりはありません。それでは娘以上に介護なさっている息子たちから抗議がでるというものです。しkし往々にして母娘、あるいは父娘のきずなは強いと思いました。

ですから、息子に介護される母や父のために、教会はもっと愛の手をさしのばさなくてはと、このたびの光景を見て気がつきました。実現のために、働きかけて行きたいと願いました。
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風の仲間たち 早すぎる召天
紅葉


四日ほど長女宅へ行っている間に、懇意にしているH牧師から、電話と葬儀の詳細を書いたFAXが届いていました。心配していたT子姉がついに天に帰ってしまったのです。T子姉についてはつい、10月14日のブログに縷々と書きましたので覚えてくださっていると思います。あの日、私は姉をお見舞いしたのでした。

T子姉は昨年末手術不可能で余命一年と宣告されましたが、自宅療養をしながらどうにか普通の生活を続けてこられました。私が伺った時も、重い病を抱えているとはとても思えないほど、しっかりしておられました。

11月に入って、おもわしくない症状のために入退院を繰り返していました。危篤で担ぎ込まれたこともあったようでした。
つい10日ほど前、T子姉は苦しい病床から童話を書きました。ぜひ見てほしいと、H師を通してFAXが送られてきました。判読困難な個所もありましたが、命をかけて書いたものだと思うと貴く切なく、入力の手も震えてしまいました。初めて書いた童話とのこと。それはそれは美しい物語でした。

次に、お別れのことばが送られてきました。葬儀の時使ってもらいたいとのことで、まさに遺言です。童話よりももっともっと胸をえぐられるような思いで、清書入力しました。
それを送って、1週間と経たないうちに、姉は天に帰ったのです。勇ましく天に駆け上ったようだった、壮絶だったと、電話口のH師は語られました。

明日、告別式です。参列してきます。
昨年奥様を天に送り、今また教会の柱であったT子姉の葬儀を司式する、敬愛するH牧師の胸中を思うとつらくてたまりません。信仰に立って、雄々しくこの試練を乗り越えていかれると信じますが、なにかの励ましになれればと思います。その現場から祈ろうと思います。
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