人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

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日々の風から ゲリラ豪雨なんて…

何と荒々しいことでしょう。ゲリラ豪雨なんて、なんともいただけない気象でありませんか。夏の終りに台風が猛威を振るうことはよくよくわかっていますが、新顔のゲリラさんとはまだまだお馴染みになりたくありません。神出鬼没と言う言葉を思い出しました。今風ならやはりゲリラとなるのでしょう。

甲府の先から数日の予定で母の介護に参戦した妹は、鉄道が不通になってついに帰宅できず、もう一泊して、今朝早々に発ちました。いつまた奇襲があるかわかりませんから。

午前中にあたりがまっ白になるほどの激しい雨がありました。と、ぱっと暑い陽差しが照るつけ蒸し風呂のよう。午後になると黒雲が不穏な表情で飛び交い、またまだあふれるほどの大雨です。近くへお使いにも行けません。遠雷の音が絶えず、稲光りも走ります。

こんな気象では私の心は定まりません。ついつい外に目が向きます。じっと読書、書き物とはとてもとてもいきません。凡人たる大きな証拠でしょう。

8月も明日を残すのみ。行く夏を惜しんで静まりたいところです。

子規の句集を繰っていたら、こんな句が目にとまりました。

  稲妻に こころなぐさむ ひとやかな
        ( 寒山落木第五 明治29年)

子規の心中はとんと測りかねますが、また聞こえ始めた雨の音に耳を傾けつつ、思いめぐらしたいと思います。
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日々の風から また買ってしまった、習慣もの
最近、外出のついでに必ず駅ビルの書店に立ち寄る。お目当ての本を目指してストレートに書棚へいく、のではない。立ち読み読み逃げするつもりでもない。半分物色の調査?である。岩波文庫の前に立つ。残念ながら申し訳程度にしか並んでいないが。

ネット読書会《カラマの会》の課題本がそろそろ読了となる。9月いっぱいである。3年目の今年はボーランドのノーベル賞作家シェンキェービッチの『クオ・ワディス』3巻である。ローマは悪名高きネロ皇帝の治世下で、初期キリスト教徒が世にも凄惨な迫害の儀税になるのだ。小説とはいえ、クリスチャンなら生涯に一度は読んでおきたい参考書ともいうべき書物である。みんなで読めてよかったと満足している。

ところで心は早くも次回へ走っている。何にしようか。一人で読むのではない。10名からの仲間の読書力がエンジンだ。多少の困難は乗りこえていける。皆さんもそう思っておられると思う。次回のもみんなで決めるのだから楽しいのだけれど、目星があってもいいのではないか。そんな魂胆で、私は書店に寄るのである。

ここまでは入り口です。本論は以下です。

文庫を探しつつも、すぐ下の平積みされている新書が目に入る。新書には巧みなタイトルがついている。タイトルで勝負しているようだ。
先だっては『脳が冴える15の習慣』に捕まった。有益であったと感謝している。
と、またまた《…習慣》とあるではないか。ついに近寄って両手で持ち、拾い読みしてそのままカウンターへ行くことになった。道々読み続け、あっという間に読了。まるで一杯の紅茶とケーキのようであった


『70歳生涯現役 私の習慣』東畑朝子著(講談社α新書)です。
氏は栄養や食事指導ですっと活躍して来られた方。77歳の今日まで独身を通され、男社会の中で粘り強く仕事一筋に生きてこられた方です。女性としても見習うことの多い大先輩です。実益豊かな内容ですので、後日改めてご紹介したいと思います。

一つだけお断りしておきますが、
《70歳 生涯現役》につかまったのではありません。まず、私には70歳はもう少し先に聳える山です。近づきつつあるところ。また、生涯現役ですが、私には今している仕事にしがみつく、頑張って手放さないという思いはありません。東畑さんも一流の、それも独特のお仕事をしてこられた方ですから、一人でもできる働きを持っておられ、その需要もあるので、ご自分の状況に合わせてぽつぽつと続けていると言われます。たしか、若い日の30分の1ほどだそうです。

さっと目を通しいて、一番心に残っているのは
《ちょっと太目で大丈夫》という箇所です。
男性と女性では健康の状態は少し違っていて、女性の場合、標準の数値より、少し太め、ほんの少し高血圧、やや高脂血が最も元気溌剌としている、と言われます。ただし、男性は標準数値より少し痩せているくらいが健康だとあります。詳しくは書けませんが、ふむ、ふむと納得して喜んでしまいました。

《習慣もの》には飛びついてしまいますが、さて、そのうちの一つでも本当に自分のもの、自分の習慣になったら、買い甲斐、読み甲斐があるというものです。がんばらなくっちゃ。

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聖書の風から 詩篇を愛して 我が祈りとしての詩篇119篇 その8
酷暑には勝てませんでした。しばらく中断していましたが、涼風に励まされて、学ぶ思いに導かれました。

秋立つや 心も立ちて 聖書(ふみ)ひらく    (愚作)


第4段落 ヘー (続き)
119:36 私の心をあなたのさとしに傾かせ、不正な利得に傾かないようにしてください。

前節の35節では、詩人は神様のみことばに従って生きることを喜んでいると告白している。その心と魂は神への愛で満ち満ちていたはずだ。しかし、人は移ろいやすいものだ、小さな事にも動揺し、たった今確信を持って右と言っていても、次の瞬間には左だと言いかねない。詩人の前には神様への純情を迷わせる何かが起こったのだろう。だが詩人は敏感に悪の臭いを嗅ぎ取ったのだ、すぐに《不正な利得》に靡いていかないようにと祈っている。罪は冒さないに越したことはない。敵の襲来を察知したら、さっと祈りの城に身を潜めることだ。

119:37 むなしいものを見ないように私の目をそらせ、
あなたの道に私を生かしてください。

前節で《不正な利得に傾かないようにしてください》と祈った詩人は祈りによって傾きかけた心を立て直したのだろう。幸い危機を脱しが、彼はそこで留まらず、さらに確かな支えを祈る。《むなしいもの》に視線を馳せ、じっと見詰めてしまわないように、そうした状況が起こったらすぐに目をそらさせてくださいと。転ばぬ先の杖を求めている。危機管理を主に願っている。主の守りがなかったら《むなしいもの》と知りつつも、心傾けてしまうことがあるものだ。

119:38 あなたのことばを、あなたのしもべに果たし、あなたを恐れるようにしてください。

心を尽くして主を信頼し従う者への恵みは大きなものだと、神様はつねづね約束しておられる。そのおことばとおりになさってくださり、ますます神を第一に敬い畏れかしこむように、あなたの力で導いてくださいと詩人は嘆願する。自力では人は神を恐れることはできないのだ。信仰は神からいただくものだ。そして、祈り求める者には神は惜しみなく与えてくださる。求めなさい、そうすれば与えられますとあるように。

119:39 私が恐れているそしりを取り去ってください。
あなたのさばきはすぐれて良いからです。
絶対的に義である神様のみまえで、恥ずかしい思いや不面目な思いをしたくないと、詩人は自分の内面を見つつ訴える。

119:40 このとおり、私は、あなたの戒めを慕っています。
どうかあなたの義によって、私を生かしてください。

私は弱く、醜くく、不誠実だけど、神様を慕う思いはこれこの通り嘘偽りはないのです。できることなら、はらわたを取り出してご覧いただきたいほどです。誇るものはなにもありません。ただ神様の義だけが盾なのです、拠り所なのですと、捧げきっている詩人の心情が伝わってくる。地には汝のほか我が慕うものなし、が浮かんでくる。
聖書の風から comments(4) -
風の仲間たち 危機を生きる その2

72歳のM兄が現在までの9か月に渡る闘病のいきさつを話されました。
M兄は72歳。私とは50年来の教友(教会の友)です。彼は私より1,2年早く大学生になってすぐイエス・キリストを信じました。私は中学3年生の時でした。M兄は大変優秀な方で超一流私大を卒業後、外資系のこれも超一流の会社に入社しました。私の教会では、俗な言い方ですが出世頭でした。日本が経済的に高度成長するかなり前の時代です。

それこそ会社人間になりきって、ひたすらに働き通しでした。すてきな女性と結婚し、お子様にも恵まれ、順風満帆のエリート街道を進まれました。その中で信仰と仕事をみごとに両立させる、離れ業を見せてくださいました。兄は若き日に与った信仰を第一に、キリストの心を自分の心として精一杯キリスト者としての志を貫きました。

規定の定年年齢より少し早めに退職し、以後は専門を生かして起業し、ハードな働きを続けていました。いつもいつも力に満ちてたくましく生きていました。

M兄が話しますに、自分で体の異変に気がついたそうです。パソコンが打てなくなりました。難なくしてきたブラインドタッチができない。自分では間違いなく作業しているつもりなのに違ったキーを叩いている。わずか数行に数時間をついやしていた。懇意の医師に相談し、まもなく専門機関へ紹介され、すぐ入院し脳の精密検査をしました。

脳への直接治療や手術はしないで済みましたが、高次脳機能の半側無視という障害が残ったそうです。説明されてもなかなか理解できない高度な症状です。さすが頭のよい人だけに病気も高度で難解だと愚かしい事を考えてしまいました。

脳を病んだわりには手足言語などの身体には何の不自由も出ませんでした。以前と変らずお元気でした。しかし、半側無視の障害はどんなにリハビリしても再び回復することはなく、今まで無意識にでにもできたいつくかのことが、スムーズにできないそうです。彼のこれからの日常には人知れず厳しいものがあるにちがいないと思いました。

彼は明るく元気に言うのです。
今まではアクセルを踏みっぱなしだった、ブレーキがあるなんて気がつかなかった。スローペースにしてブレーキを使うことを教えられた。特に驚いたことは、神様は人間の体を絶妙に巧みに造られたこと。一つの機能は使えなくなっても、他の機能がそれをカバーするようになっている、それがわかったと。今まで気がつかなかった多くの神の力を知らされ、与えられた。この病は神様からの最高のプレゼントである。

この病は神様からの最高のプレゼントだと、自然体で言えるM兄に拍手しました。何と立派でしょう。これからも元気で生きていってほしい、いや、彼ならきっとそうできると確信しました。

教会も高齢者社会の現象から免れません。50余年前に高校生、大学生、青年だった方々が今や70歳の坂を越えているのです。配偶者を亡くされた方や介護のお世話になっている方もおられます。現在重い病の中の方もおられます。教会ではできる範囲で情報を公開し、具体的に知った上で真剣に祈り、見舞い、キリストの愛の活動を展開しています。
風の仲間たち comments(6) -
風の仲間たち 危機を生きる  その1

2週に渡って礼拝で2人の兄(男性信徒)があかし(信仰体験談)をしました。深くたましいを揺さぶられる感動のお話しでした。
S兄は入院中の病院から御家族に支えられてやってきました。終わると同時に病院に戻られるのです。兄は40分もしっかりしたお声で話をされました。68歳になられます。
半年ほど前に、病気が発見され、現在最新の治療を受けていますが、医師からはいつ「あちらに、持って行かれるかわかりません」と宣告されたそうです。病名を書くことにためらいを覚えますので、敢えて伏しますが死と直結する血液に関わる二つの病気と闘っています。

50年近い会社生活を終えて、ようやく手にした自由時間を、読み残している読書や研究に惜しみなく使いたいと図書館巡りから手を着けたばかりでした。現役時代は、典型的な企業戦士で海外生活も長く寝食を削られる激しい働きをしてこられました。お仕事のお話しをなさるとき、S兄の顔はほころびいかにも楽しそうに生き生きとしてきました。誇りを持って働いてきたことが伺われました。
日々の生活の中で食欲が極端になくなったのと、体力の減少にただならぬ事を感じて検査を受けたのでした。一つの病気の治療をしているうちにもう一つ難病が見つかり、初めて事の重大さを知りました。

目前に死を感じたとき、初めて死とは怖いものだと知ったそうです。人が死ぬ存在であることは知っていたし、何よりもイエス・キリストの信仰によって必ず天国へいけるのだからと信じ切っているが、これまで築き上げてきた自分の人生と無関係になると思うと、寂しくむなしく恐ろしかったそうです。

その葛藤や煩悶は長く続きませんでした。裸になって神の前にひれ伏し、真剣に神と対座し祈りを深めました。もっともっと聖書を読もう、旧約は日本語聖書で、新約は英訳で、と決めて読みはじめました。慣れ親しんだ文語訳聖書も開きました。

S兄は今、自分を支えているみことばを紹介しました。
詩篇23篇4節
『たといわれ、死のかげの谷をあゆむとも わざわいをおそれじ、なんじ我とともにいませばなり。なんじのむちとなんじの杖 われを慰む』

S兄は病床の慰めは教会の祈りだと言われました。教会の皆さんが自分のために祈ってくださっているのがほんとうによくわかる。霊の力でよくわかると言われました。兄の口ぶりから、単なる儀礼で言っているのではない、本当にそうなのだと強く納得させられました。魂の奥底にびんびんと響きました。

非常に厳粛な思いで聞き入りました。単に病の状況からの同情や感動ではなく、体験者でなければ語りえない真実を見せていただいたからです。まことの信仰者でなければ話しえない神への深い信頼を見せていただいたからです。生も死も積極的に神にゆだね、生きるも死ぬるも主のためなりと言える澄んだたましいを目の当たりにしたからです。




季節の風から comments(6) -
日々の風から 再開した日常
安中花火

蝉の死骸が路上に転がり、
伸びきった日々草が萎れかかり
フラワーショップの一隅には売れ残りの鉢が小さく集まり
Uターンラッシュが報じられ
日暮れが早くなった。

我が家では私の夏休みも終わって、ホームから帰宅した母がいつものように身じろぎもせずに寝ている。朝8時にはモーニングケアーのヘルパーさんが明るい声で入ってくる。

いただいた梨を大根おろしのようにおろし器ですってみた。試食してみるとさっぱりとしておいしい。これなら母も秋の味覚が味わえる。

さあ、小さな日常がまた始まった。
いつもの凡々たる営みが新鮮に感じられる。
多少気温が下がったぶん、心身に精気が戻った気がする。

この日常からは、逃れようと思ったってできないのだ。
ここにいるしかない、ここを生きるしかない。
開き直るのではなく、これも神様からのプレゼントなのだから、
喜んで拝受し、積極的に関わっていこう。

頭の中に、机の上に、たくさんの課題が積まれている。
ふと、するべき事があるっていいなあ、できるって、しあわせなだあと思う。
イエス様の視線を感じる。
私にできる範囲のものを、選び分けて、そっと届けてくださったのだ。
神の国からの宅配だ。

5時には母の様子と今後のケアー・プランニングに、ケアーマネさんが訪れる。
神様からの大仕事、母の介護に精一杯係わろう。


日々の風から comments(10) -
日々の風から 63回目の8月15日に思う

昨日は63回目の終戦記念日。敗戦記念日なのだが終戦でも間違いではないだろう。無条件降伏したのだから。幼なすぎたので戦争の苦しみは知らない。父が応召されなかったため、子ども4人の6人家族はどうにかこうにか生き延びてきた。貧しかったが極限の苦しみを味わうことはなかった。もっとも知らなかっただけなのかも知れない。父母はそれなりに必死の時もあったろう。

友人、知人に大陸から引き揚げてきた方がおられる。もちろん皆さん子ども時代だったからその様子をつぶさに話してもらったことはない。近年になって、藤原てい氏の『流れる星は生きている』に出会い、大きな衝撃を受けた。娘たちに薦め、しばらくは会う人みなに語っては推薦した。沢地久枝氏のいくつかの自伝的作品からも身震いした。

省みるに、戦争体験がないためか、戦争や平和のことでは、この63年をいい加減に生きてきたと思う。どこかで何かが起こると、いっとき憤慨したり、涙したり、心を痛めることはあっても、そのために、新しく行動を起こしたことはない。恥じ入るばかりだ。

近くは、拉致問題に真剣に取り組んでいる無名の友人がいる。ごくふつうの主婦だ。立派だなあと思う。申し訳程度に、祈っていますからというだけ。

何もしていないけれど、そしてこれからも何もできないだろうけれど、8月15日を素通りすることだけはできない。
ちょっぴり立ち止まり、後ろを振り返ったり、明日を思ったりしたい。
なによりも、明日、明後日の、地域や日本や世界や地球を思う。
深い憂いと熱い祈りを捧げて、真の平和を願いたい。

そして、イエス・キリストの説教に耳を傾けたい。
『平和をつくる者はさいわいです。その人は神の子と呼ばれるからです』


日々の風から comments(7) -
日々の風から 私の夏休み
大仏殿

紙か

法隆寺

夢殿

正倉院




2週間滞在していた孫たちが帰るに当たって、私も同行して数日を過ごしてきました。私の夏休みです。婿殿も休暇に入ったので、めったにない家族そろってのバカンスです。宿泊する大きな旅は無理とのことで、近隣を日帰りで楽しむことになりました。

しかし、とにかく暑い。Y市は海も山も近いのに、東京から比べるとずっと南に位置するせいか、暑さの濃度が密だと感じました。陽差しに力があるのです。同じ夏でも所によって違うものだと、文字どおり肌で感じました。

それでも、元気にせっせと外出しました。男たちは海へ釣りに、女たちは中部国際空港セントレアをはじめて見学しました。こんなに立派なものをよくぞ作ったと、日本の国力に感心しました。

翌日は奈良へ行きました。暑い奈良へなぜ?といえば、ちょうどSくんが勉強しているところなので、実際に見てこようというわけです。本当に久しぶりに東大寺南大門をくぐり、大仏殿に入りました。大仏を前したSくんの第一声は「思っていたより小さい!」、正倉院では「大きい!」でした。いい勉強ではありませんか。
Mちゃんは鹿に触りたくて近寄っては逃げられ、時に追いかけられて叫び声をあげていました。

斑鳩の里へも行きました。前回はいつだったか、思い出せないくらい昔のことです。
そして、おそらくもう一度来ることはないだろう、そんなことまで思いを馳せ、しばし暑さを忘れました。

東京駅へ降りたって、一瞬、ああ、東京は涼しいと感じました。山手線も総武線もいつもよりずっと人が少ないのです。珍しい光景です。まさに夏休みなのでしょう。
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光(キッズ)のから 頼もしい孫の手

母のショートステイの時に、家で使っているエアーマットを持ち込むようにと、ホームドクターからアドバイスされました。
寝たきりになり、自力では指一本動かせないのですから、(手はどうにか動きますが)ベッド上の体位のために高性能のエアーマットを使っています。モニターが別に付いていて凹凸や空気圧や空気の流れを自動的に調節してくれます。

ホームでももちろん寝具はその人にふさわしい対応がされていますが、慣れたものがいいと言うことで運び込むことになりました。
マットもモニターも大層な重量ではないのですが、寝ている母を車いすに移動させ、電源を切ってモニターを外し、マットの空気を抜き、たたんで持てるようにして、車に積み込には手間と体力が要るのです。さらに、ホームに入室したらまたもとのようにセットしなければなりません。

「僕がするよ、いっしょにホームへいってセットするよ」
滞在中のSくんが快く申し出てくれました。
何とこころ強く頼もしい孫の手でしょうか!!
彼の手がまぶしいほどに光ってみえます。もちろん希望の風がさわやかです。
こんな喜びを味わえるなんて、生きててよかった!
思わず恵み深い神様に感謝しました。

折りたたんだマットとモニターをいれた大袋を抱えて、Sくんはホームからの迎えの車に乗り込んでくれました。母は車いすのまま、私は着替えや最近とみに増えてきた医薬品の箱を提げて同乗しました。

母に割り当てられた部屋は3階の個室でした。職員さんに誘導されて入室すると、Sくんは早速電源を探して差し込み、モニターのスイッチを入れました。職員さんがびっくりしながら顔一面をほころばせてSくんを眺めていました。

母はそのまま昼食の始まる食堂へ向かっていきました。
10日間のホーム生活が守られるようにとひたすら神様に祈りつつ、いつものように多少後ろ髪を引かれる思いで託してきました。

私の夏休みが始まりました。2週間の東京滞在を終えて帰る孫たちに同行して、数日過ごしてこようと思っています。
光(キッズ)の風から comments(4) -
日々の風から 今年の暦は正直もの
ようやく立秋、早くも、とも言いたい。例年、皮肉にもこの時期が一番暑く、またその暑さがひどく身に応える 。だから立秋と言われても、単に暦の上の遊びに過ぎないとつぶやいてきた。まして、ここ一日、二日の異常な猛暑と、朝早々からの暑さをみると、今年もその轍を踏むことまちがいなしと、変な確信をした。

案の定、今日はあの激しい雷雨もなく、朝から焼けるような陽差しが照りつけた。
これでも立秋かと、ため息さえ出た。しかし、空気が澄んでいるのだろうか、空がくっきりと青いではないか。蝉たちの泣き声が、せき立てられているようにひときわせわしく激しい。悲鳴のようだ。

夕方になると、雲が天空高くなびいている。うっすらと赤みを帯びて。風が微かながら涼を含んでいる。と、夕闇がすぐ近くに来ていた。日の暮れ方は秋ではないか。

立秋の日にさやかに秋を感じたのは珍しいことだ。酷暑の中にも溶かされない秋があった。7時半すぎ、祈祷会へ急ぐ道すがら、出会ったのは昨日の風ではなかった。《風の音に驚かれぬる》であった。

今年の暦は嘘をつかなかった。秋を見せてくれた。連日の暑さ見舞いに来てくれたのかも知れなった。まだまだ暑さは続けけど、小さい秋は日に日に大きくなるから、待っていてねと、予告してくれたのだ。萎えていた心身にわずかながら精気が戻った気がした。
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