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2023.08.01 Tuesday
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日々の風から 雨の5月末日
風薫るはずの気高き5月も、この数日は雨と寒さに見舞われて見る影もない。せっかく整理した冬物を取り出す始末である。とは言え、今日でお別れの2008年5月31日に、名残を惜しまずにはいられない。 この1か月を振り返って、一日として途絶えることのなかったイエス・キリストの愛に感謝する。すべてを知っておられ、すべてを見ておられ、すべてをお心に留めてくださっている全知全能の主を思うとき、心の嵐は宥められ、心の汚れはすすがれ、萎れていた心身に希望の風と光りが注がれるのを感じる。こうして1か月の旅路を進めることができた。 いつも皆さまに祈られ、お心にかけていただいている母は、要介護度5の勲章?のおかげで、介護制度の恩恵を十分に受けながら、主の御手の中で静かに静かに生かされている。 今月はまた一つ介護の種類が増えた。週1回、訪問介護士のお世話になることになった。昨日手続きがあって、早速問診やら診察(こうしたことばを使っていいのかわかりませんが)があった。ヘルパーさんではできない医療行為や診断をしてくださり、逐一ホームドクターに連絡してくださることになっている。栄養指導などもあり、献立のヒントもいただいてありがたいことである。 こうした最中にあっても、感謝なことに私はいつもの通りいくつかの奉仕に係わり続けている。母の介護や弱い体力に支障があり、関係者のご迷惑になるようなことがあれば、いつでもストップしようと覚悟をしているが、今のところ支えられている。ブログもなんとか継続できている。明日のことはほんとうに神様しかご存じないのだ。 今日、生きていることは、生かされているのであり、今日、していることは、させたいただいているのだ。今日一日がなんとうれしく貴いことだろう。 雨降りしきる夕方、教会に係わりのあった79歳の男性の葬儀に参列してきた。ここ数年、よく教会に見えていたが、ついにイエス・キリストを信じるに至らず、死去したのであった。当然仏式の葬儀である。しかし、ご遺族の許可をいただいて、牧師夫妻とともの式場に駆けつけ、棺の前で祈りを捧げてきた。ご遺族の上に、イエス・キリストの平安と助けを切に願う。 明日はいよいよ水無月六月に入る。初日1日が主の日、日曜日なのがうれしい。襟を正し、背筋を伸ばして教会に行きましょう。 2008.05.31 Saturday 20:51
聖書の風から 詩篇を愛して 我が祈りとしての詩篇119篇 その2
この膨大な119篇全体には大川のように、神様のことばへの愛があふれ流れている。その水源は、詩篇1篇にあるように『昼も夜もそのおしえを口ずさむ』詩人の魂にあると思う。聖書は神様からのラブレターとよくいわれるが、この詩篇は人間の側からの神様へのラブレターといえるのではないか。 旧約聖書には直接にはイエス・キリストの名はない。ただし、全体を通して救い主イエス・キリストが表現され、イエス・キリストの愛がちりばめられているのを否定する人はいない。イエス・キリストという固有名詞を知らなかった旧約の人々の悲しさを思う。『主よ』とか『あなたは』などの、人格的呼びかけの中に人々の深い信仰と信頼と愛を感ずる。 新約のめぐみに生かされ、直接にイエス・キリストとの豊かな交わりをいただいている者としては、この詩篇のキーワードすべてにイエス・キリストを当てはめ、置き換えたいさえと思う。そしてそれは間違いではないだろう。イエス・キリストの光りに透かしながら読んでいくと、詩人の魂と一体になったような気がしてくるし、素朴な喜怒哀楽の感情に共鳴し、肯いてしまう。かくして、119篇は我が祈りになるのである。 導かれるままに、ところどころにコメント入れたいと思う。 第2段落 《ベース》 119:9 どのようにして若い人は自分の道をきよく保てるでしょうか。 あなたのことばに従ってそれを守ることです。 《若い》ということばから『あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ』(伝道者の書12章1節)を思い出す。若い人が自分の道をきよく保つとは、おもに道徳的意味が込められていると思う。青春の情熱に捕らえられて、軌道を逸してしまうことは、ことの大小を問わず万民が経験していることだ。しかし後になって悔恨の涙のもとになることもある。イエス・キリストに固く従えば、その危険から守られることは疑いなしだ。 しかし、きよさを保つのに年齢は関係ない。どのエイジにいても自力できよさを保つことは不可能だ。中年にも、老年にも、後期高齢者?にも、終焉のベッドにいても、おそおらく完全にはきよさを保てないだろう。イエス・キリストに寄り頼み、従う以外には。 119:10 私は心を尽くしてあなたを尋ね求めています。どうか私が、あなたの仰せから迷い出ないようにしてください。 尋ねるとは、seek、捜すこと。あなたを尋ね求めるとは、主がどのようなお方であるか、調べて、探って、求めることをいうのだろう。山上の説教『求めばさい、そうすれば与えられます。捜しなさい、そうすれば見つかります。たたきなさい、そうすれば開かれます』を思い出す。イエスさまがわかったら、もう迷わないで、イエスさまのもとにとどまり続けたいと祈り願わずにはいられない。 (続きます) 2008.05.29 Thursday 22:53
聖書の風から 詩篇を愛して 我が祈りとしての詩篇119篇 その1
毎年元旦からスタートしている聖書通読はようやく詩篇にたどり着いた。新約は黙示録を残すのみ。最近ペースが乱れている。もっとも毎年のことで、なかなか計画通りにはいかない。それも見込んで、設定だけは高めにしている。 詩篇は楽しい。119篇で足踏みをしている。いつもはさっさと駆け足だが、今回は行きつ戻りつしている。親しんでいる有名な句に出会うと、遠方の旧友に巡り会えたようでひどくなつかしい。聖書とは、みことばとは、不思議なものだ。生きている。いのちがある。愛の手が差し伸べられる。その手を握り返せば、すぐに心の交流が始まる。 119篇は150篇の中でもいくつかの特徴を持っている。ひとつは、節の数が最も多いことだ。なんと176節に及ぶ。私の聖書(新改訳第三版)ではおよそ10頁を使っている。ちなみに最短は117篇でわずか2節である。どうしてこれが独立しているのか首をかしげたくなる。 その、176節であるが、これは22で割り切れる。この22という数字はベブル語アルファベットの数だそうだ。176節を22で割ると8となる。119篇は8節づつ一区切りにした22の段落で構成されている。22の最初の文字がベブル語アルファベッド順で始まっている。 日本語で例えれば、いろは歌なのだ。神様への感謝や賛美、嘆きや苦悩や嘆願など、心の深い営みで満ちているこの詩篇が、ことば遊びを使って作られているのに驚いてしまう。紀元前に作られたであろうに、ことばへの豊かな感性と知性、文学性などがあふれている。神のことばを命がけで愛し守ってきた民族ゆえのゆとりのようなものを感ずる。ユダヤ文化の底の深さをかいま見る思いがする。 一貫して見られるのは、《あなた》という神への語りかけである。もちろん《私》がである。 祈りを詩の形にしたものだ。全篇切なる祈りである。ここにいいようのない親しみを覚える。どこを切り取っても、私自身の祈りに換えられる。 176節のどれにも必ず『みことば』『みおしえ』『戒め』『さとし』『さばき』『仰せ』『道』『定め』など、同じ意味のことばが挿入されている。これも一つの技巧であろう。119篇はない形式的にもスマートである。 22の段落からいくつかの句をピックアップしてみたい。 最初の段落は《アーレフ》で始まる。日本語では皆目わからないが。 119:1 幸いなことよ。全き道を行く人々、主のみおしえによって歩む人々。 119:2 幸いなことよ。主のさとしを守り、心を尽くして主を尋ね求める人々。 119:3 まことに、彼らは不正を行わず、主の道を歩む。 119:4 あなたは堅く守るべき戒めを仰せつけられた。 119:5 どうか、私の道を堅くしてください。あなたのおきてを守るように。 119:6 そうすれば、私はあなたのすべての仰せを見ても恥じることがないでしょう。 119:7 あなたの義のさばきを学ぶとき、私は直ぐな心であなたに感謝します。 119:8 私は、あなたのおきてを守ります。どうか私を、見捨てないでください。 冒頭の《幸いなことよ》は、たいへん聞き慣れた句である。そもそも詩篇はこの句を持って幕を開ける。第1篇はこの第一段落とよく似ている。 詩篇第1篇 『幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座につかなかった、その人。まことにその人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえをくちずさむ』 2008.05.27 Tuesday 20:53
日々の風から 術後4年の検査結果
4年前のゴールデン・ウイーク明け一番で手術台に乗せられてから早4年が過ぎました。その間ひと月、あるいはふた月毎に診察に通い続け、検査をし続けてきました。今回は手術の月でもあるので、いくつかの検査を受けました。その結果を聞かされました。 診察室で、大きな写真を前にして、説明を聞くのは気分のいいものではありません。まず、診察室に入るときから極度の緊張が走ります。何を言われるのか全くわからないのです。祈りながらも身構えてしまいます。素早く写真に視線を走らせますが、わかるはずはありません。ずっと係わってくださっている主治医は、異状はありませんね、と淡々としたものでした。 血液検査の表も見詰めながら、コレステロールが少し高めですが、問題はありませんと添えられました。私にとってはコレステロールなど問題ではないのです。もう一つの病の目安である肝機能の数値が気になります。ハッとするほど下がっています。悪くなっていない!これも実に感謝でした。 とは言え、凶状持ちであることに変わりはありません。無罪放免ではないのです。よくよく認識し、身を低くして神様の御前を歩みたい、いただいているいのちを有効に使いたいと、再決意しました。 『あなたがこの王国にきたのは、もしかしたらこの時のためではないか』 エステルの使命を我がこととし、今、私に託されていること、母の介護を初め、あのこと、このことのために全力投球しようと、心が燃え立つのを感じました。 ふと、何と単純人間なのだろうと思うのです。検査結果が黒だったら、きっとおろおろとうろたえて、首の折れるほどうつむいて、力を失い、挙げ句の果てに神様にまで恨みつらみを持ち込んだことでしょう。私のいくじなさをすべてご存じの神様は、苦笑しながら、だだっ子をあやすように、気前よく、恵みを注いでくださったのです。 『主のよくしてくださったことを何一つ忘れるな』 みことばを心に刻みつけます。 2008.05.24 Saturday 21:31
旅の風から 旅の空はみどり色
冒険の旅といっても実は娘宅滞在にすぎません。ぎっしり詰まった日常の枠の中へ転がり込むだけ。私だけが非日常というわけです。婿殿は早朝から職場へ、子どもたちは学校です。孫たちが帰宅するまでの数時間を有効?に使いました。 折から季節は青葉の候。ちょっと遠出になりますが、奈良の長谷寺に挑戦しました。有名な牡丹も終り、紫陽花はつぼみを付けたばかり。花の姿はどこにも見えませんでしたが、そのかわり新緑一色でした。緑の香りが濃厚に漂っていて、いかにも健康によいと 感じます。体内空気の總入れ換えとばかり、なんども深呼吸をしました。 思い出せば、長谷寺にきたのは娘たちが10歳に満たない真冬、12月30日でした。思い立って(思い詰めてではないのです)奈良見物にやってきたのでした。かれこれ30年も昔のことです。399段の緩やかな登廊をなつかしく歩きました。 2008.05.22 Thursday 13:36
旅の風から 五月冒険の旅 私の場合
ゴールデン・ウイーク中はじっと在宅でしたが、母が予定通りりショートステイに行っていますので、私も予定通り旅の風に乗ることにしました。 行き先は長女宅、孫たちとの逢瀬を楽しむためにです。三重県に転勤して一年が過ぎてしまいました。Sくんは10歳5年生、Mちゃんは7歳2年生です。すっかり地域に馴染んで東京では出来ない体験をしているようです。若葉と戯れる五月の光のような孫たちは、私にとってはまさに希望の風です。 2008.05.20 Tuesday 16:58
日々の風から 不在苦情の声しきり
母のショートステイ中に、日頃からため込んでいた雑事(ご想像ください)を果たすために、メモを片手に走り回っています。いつもの小間切れ時間をつなぎ合わせた長いフリータイムがひらひらしているのです、つい、欲張って、次から次へとはしご状態です。 ついに、なんども電話してるんだけど…と言われてしまいました。もっとも携帯でやりとりしている間柄からは苦情はありません。どこにいようと授受ができますから。また、携帯からパソコンのメールも覗けますし、返事もできますので問題はありませんが。 ところが、当の私がすっかり疲れてしまいました。これを自業自得というのでしょう。これでは何のための自由時間かと、くださった神様の御前でしきりに反省です。もっとも寛容なる神様は黙って苦笑しておられるでしょうが。 今日こそ家から一歩も出ないぞと、固く?決心して、家事に精を出しています。それに、お見舞いカードを書かねばならない友がいます。教会の長年の友に、大きな病が見つかって、一人の姉妹は来週早々に手術、もうひとりの姉妹は、大きな治療が始まりました。 母の様子も気になるので、昼食時に合わせて訪ねてみます。土、日曜は職員の手も足りないようですので、せめて母の食事介助くらいはしてきます。 それにしても、介護制度は感謝です。日参してきている妹が、こんないい制度はないね、でも、いつまで続くかな、これではいくらお金があっても足りないでしょうといいましたが、その通りだとひそかに思います。ところが政府は見直すとか。早晩厳しくなっていくのでしょう。 2008.05.17 Saturday 10:57
銀(シルバーエイジ)の風から 母が冒険の旅に
母は要介護5の勲章をいただいていますが、体調は安定していると言っていいのでしょう。ホームドクターのお墨付きをもってショートステイに出かけました。母にとっては冒険の旅、送る側の胸中にも一抹の不安がよぎります。 ホームのご迷惑になってはと、予め問うてみましたところ、全く問題なしとのこと。ケアマネさんやヘルパーさんからは、この間に少しお休みくださいと、ねぎらわれてしまい、プロの手におゆだねすることにしました。 お願いすることをA4の紙に箇条書きにし、入院時から飲み出した何種類もの薬を朝、昼、夕と一回分ずつ小袋に詰め替えて用意しました。かくして、母は職員の方々に笑顔で迎えられ、わずかの期間ですがいつもの個室の住人になりました。 さあ、この間、私は時間を気にせずに走り回ります。正直言って、頭の上に低く被さっていた天井が開いて、高く澄んだ青空が広がったような気がするのです。多少の胸の疼きを抱えながらですが、母にとっても介護する者にとっても主のご配慮と信じ、恵みとしていただくことにします。 2008.05.13 Tuesday 21:30
書林の風から D・M・ロイドジョンズ『一日一言』渡部謙一訳(いのちのことば社)
今年は、元旦から朝のデボーションの時にタイトルの一冊を繰ることにしている。365日分ある。過去、スポルジョンの『朝ごとに』、『夕ごとに』はなんども使ってきた。また開くだろうが、今年はひとまず休んでいただいた。 今日まで一日分ずつ読み進んできて、毎日が楽しみである。心が走って先を読みたくなるが、これは単なる読み物として使っていないので、ブレーキをかけるのに苦労はしない。読んでは味わい黙想し、祈ってはまた読む。親友たち2人も同時スタートしているので、よく話題にしてはそれぞれの一日の旅路の活力にしている。五臓六腑にしみ入る清冽な霊の飲料である。 D・M・ロイドジョンズは1899年英国ウエールズに生まれた20世紀最大の説教者の一人である。30年間も、かのウエストミンスター・チャペルの牧師を務めた。69歳で引退したあとは文筆活動や講演を通して世界のキリスト教界に大きな影響を与えた。1981年に天に帰る。2度の世界大戦の経験が説教に色濃く反映されている。 彼は27歳で片田舎の牧師になるまでは、ロンドンで一番古い由緒ある病院の、名高い医師ホーダー卿の主任臨床助手を務めた有能な医師であった。ところが突然すべてをあっさりと捨てて牧師になってしまた。それは大きな評判となる事件だった。 牧師を引退するのもまた電撃的であった。執筆活動により多くの時間を費やさねばならないとの確信からだった。彼はそれを聖霊の導きと信じたのだ。彼のこの選択は正しかったと思う。今、このような名著を私ごときが読めるのだから。そして信仰生活の襟元をただすことができるのだから。 461頁にも及ぶ大冊です。その一頁の一部分を紹介します。 (ロイド師は山上の説教をもとに語っておられる) 「あなたは、キリスト者が非キリスト者(クリスチャンでない人のことではない)といかに本質的に違っているか知っているか、自問してみよう。この王国に属しているか。キリストによって支配されているか。キリストは王だろうか。主だろうか。生活の場でそれを現しているか。それが大望だろうか。 『幸福の使信』(〜心の貧しい者は幸いです〜山上の説教中の八福の教えを指すと思われる)を考えるに、これと似た人だけがし真に幸いなのである。もし、私がこれを聞いてとっさに、耳障りと感じ、性に合わず、嫌いな性格か型や生き方だと感じるなら、私は残念ながら単にキリスト者でないということである。 もし私がこれに似た者になりたくないとしたら、私は新しいいのちを受けとっているはずはない。しかし、もし私が自分を無価値な者と感じていても、これが私の願望であり大望であるなら、私の中には新しいいのちがあるにちがいない。私は神の子どもであるにちがいない。天の御国の、神の愛する御子の王国の市民であるにちがいない」 こうした切れ味のよい小刀のような口調がほどよいスピードで続いていくのである。眠りこけ、怠惰になっている私の信仰の瞼や手足を突いてくれる。ハッとする。自分の都合のよいように解釈しやすい傾いた信仰の背骨を矯正してくれる。痛みが走るが、後は爽やかだ。ロイド師の手にある物差しは聖書的で福音そのもの、歪みが無く真っ直ぐである。 もう一冊『旧約聖書から福音を語る』(いのちのことば社・中台孝雄訳)も並行読んでいるが、心打たれる名説教集である。ロイド師の著書が続いて翻訳出版されるように願う。 こころからお薦めします。 2008.05.10 Saturday 11:24
日々の風から アフター ゴールデン・ウイーク
日本の三大民族大移動期ともいえるGWが終わった。幸か不幸か移動民族の一人にはなれなかった。いつもの日常が、時にせわしく時に緩慢に過ぎていった。傍観者ではあったがが、いくつかのさざ波が寄せてきて、GWを味わう場面があった。 転勤で地方にいる甥っ子カップルが母を見舞いに来てくれた。また、一人暮らしをしている姪も帰省していて、立ち寄ってくれた。かわるがわるベッドサイドから顔を近づけて名乗っていた。母はうなずき、時に昔の呼び名で孫たちを呼んだ。 母の発語のことであるが、病院では一言も出なくなってしまった。ところが家に帰ってきて声が出るようになったのだ。最初の一言が「アーメン」だった。就寝前の祈りの最後でいつものように「イエス様のお名前によって祈ります。アーメン」というと、なんと「アーメン」と聞こえてきたのだ。確かに母は以前のように祈りの終りを合わせたのである。 私がどんなにうれしかったか、どんなに感動したか、どんなに神様に感謝したか、ご想像ください。そして、ごいっしょに主をさんびしてください。 しかし今だにめったに発語しない。が、最近は一日に数語ほど単語を言うようになった。そばに来る人の名前を言う。食べているものを質問すると、おかゆとかトマトなどと答える。その度に、妹も私も大喜びをする。ちょうど片言を言いだした赤ちゃんの一言一言のようで、その度に顔を見合わせては笑い転げてしまうのである。 母の状態は安定している。来週には予約してあるショートステイに行けそうである。退院からちょうど1か月、寝たきりではあるが、表情も以前の母のようになってきた。母の全存在を神様がしっかり見守り、御手の中に収めておられることを実感する。そして私にはイエス・キリストの平安を与えてくださっている。 GWが終わって、いつものように絶え間ない車の音が聞こえてくる。あたりの空気がピンと張って立ち上がったのが感じられる。それが体内にまで伝わってくる。五月晴れの空を見上げ、さあ、また前進しましょうと、新鮮な思いが沸き上がってきて、なんとも爽快である。そこには希望の風が絶えない。 ピリピ4章6、7節 『なにも思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝を持ってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます』 2008.05.07 Wednesday 17:52
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