人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

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日々の風から あっという間に桜花満開


今年の桜は気が短いのか、膨らんでいくつぼみを楽しむ暇もなく一気にわっと咲いてしまいました。もう満開です。そのスピードに気持が追いついていけません。これで夜半の嵐が吹いたら、明日には散ってしまうのでしょうか。花のいのちは短いとはよく承知しているものの、これでははかな過ぎるというものです。

幸い、今夜は花冷えのようですから、しっかり枝に掴まっていてくれるでしょう。せめてあと一週間とどまっていてほしい、散り急がないでと懇願したい思いです。あんなに厳しい冬をじっと耐えたのですから、もう少し称賛を浴びる時期があってもいいのではないでしょうか。

短いとはいえ、人の一生のほうがまだ時間の余裕があると思えます。それに、花は毎年ほとんど同じ咲き方しかできませんが、人は知恵や知識を駆使して違った咲き方もできるというものです。これは人間にしかできない特技でしょう。神様が愛を込めて創造した人間だから、そのような特別な恵みと特権を与えられているのだと思います。

花を咲かすのは青春時代だけではないと思います。三十代、四十代はもちろん、中年時代も、熟年時代も、老年時代も、後期高齢者(こんな言葉が今春から使われ出しました)時代も、ふさわしい花を咲かせ、実をつけることができるのです。

話題に翼が生えてあらぬ方へ飛んでしまいました。
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日々の風から 孫前線北上中!
学校が春休みになりました。かねてからの予定通り、長女と二人の孫たちがやってきます。
ただいま車中です。刻々とメールが入ってきます。といいますのも、今回は鈍行を乗継いでの、ちょっとした冒険の旅なのです。交通費節約のためもありますが、体験教育の意味もあります。時刻表を調べながらローカルの普通電車に次々に飛び乗り、東京を目指すのです。私も一度は挑戦してみたい!

一昨日は一年生のMちゃんが真夜中に9度5分まで熱が上がったそうで、延期かと危ぶみましたが、それっきりで収まったとのこと。昨日は終業式に出席できました。やれやれ。

時刻表係は新5年生になるSくんです。しばらく前から丹念に研究したようです。
電車博士がんばれ!

遠距離は新幹線が主流になってしまい、長女も月2回ほど東京の教会へ奉仕にやってきますがもちろん新幹線。日帰りですから。子どもたちはともかくも、長女が固い座席の長旅に耐えられるかと、私は母親としてちょっぴり心配なのです。

やっと座れた!とメールが入りました。座席がないこともあるようです。座ったのでおにぎりを食べているとありました。やれやれ。よかったね。

こうしていつまで待つのでしょうか。午前中には彼らの日常が詰まった段ボール届くはずです。それも待たねばなりません。

長く広げた路線図を追っていると、車中気分になってきます。彼らの笑い声が聞こえ、春いっぱいの希望の風が吹き込んできます。

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日々の風から 驚愕の召天
ミモザ




深い親交をいただいているご夫妻の、奥様の方が、先週受難週の最中に突然天に召され、十字架の死に合わせるように金曜日に葬儀が行なわれました。一日遅れて、栃木のお宅を訪問しました。芽吹き前の大平山が青みを帯びてくっきりと聳えていました。

ランの花に囲まれた遺影の前で、胸が破れて思わず「主よ、早すぎませんか」と叫んでしましました。67歳、信仰の最前線をひた走りに走った二人といない、あっぱれなクリスチャンでした。

姉妹のことを話したら一冊の分厚い本になるでしょう。ご主人に当たるH兄(今は牧師になられました)に、《一代記》の編集を依頼されたことからご夫妻とのお交わりが始まりました。彼のことはこのブログ2006年9月に『イエス・キリストの営業マン』として8回ほど書きましたので、興味のある方はご覧ください。

取材のために栃木のお宅になんどお邪魔したことでしょう。その度に夫人お手作りのおもてなしを受けました。同席されることもたびたびで、ご主人を置いて、女同士で話が弾んでしまうこともありました。そのとき、H兄よりもむしろ、夫人の人生史を書きたいとさえ思ってしまいました。

姉妹は24歳でイエス・キリストに出会ってから天に帰る日まで、自宅と教会以外の道を歩いたことがないほど、ひたすらに教会中心の信仰生活を一徹に貫いた人でした。母の祈りの声を聞き、奉仕の後ろ姿を見て育った4人のお子様は全員ご立派なクリスチャンになりました。二人のお嬢様は牧師の方と結婚され、今、教会の中心でご奉仕しておられます。

H兄は一流会社の営業マンとして、家庭を顧みる暇もなく働きに働いた方ですが、ある出来事から生き方の向きを逆転し、定年後の人生を丸ごと神様にささげて、ついに牧師になられました。つい最近のことです。自費をはたいて昨年は教会堂を建て、地域の方々にイエス・キリストを伝えています。夫人はH兄にとってなくてならない片腕、いや、両腕、両足だったのです。

姉妹は長年持病と闘っておられましたが、勇ましく日常の雑事と取り組んでおられました。
そのさなかの召天なのです。立ったまま天に帰ったとしか思えません。H兄は、まるでエノクのようだと言われましたが、私はエリヤのようですと申し上げました。夫人は、天から差し向けられた特別な馬車に乗って天に駆け上がっていったのです。

姉妹の生き方、死に方をうらやましく思います。
信仰の人は死んでもなお語ると聖書にありますが、葬儀のすぐ後に、何人もの人が悔い改めて教会に帰ったそうです。彼女は死後もなお伝道しているのです。

遺されたH師とご家族、生まれたばかりの教会と教会の方々に深い慰めがありますようにと祈ります。H師をご存じの方々、ともに祈ろうではありませんか。

姉妹の愛唱みことば
『主はモーセに答えられた。「主の手は短いのだろうか。わたしのことばが実現するかどうかは、今わかる」』民数記11章23節
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日々の風から 今日はイースター
今日の日曜日は、キリスト教会にとってクリスマスと並ぶ特別な日です。イースターまたは復活祭と言って、イエス・キリストのよみがえりを喜び祝う記念日です。

クリスマスのシンボルはクリスマスツリーですが、イースターには、エッグ(ゆで卵)が登場します。卵をカラフルに染めたり、絵や文字を書いたり、シールをかぶせたりします。こどもたちは卵探しのゲームに興じます。もちろん全員に配られます。

あなたも礼拝に参加したらイースターエッグをいただけますよ。なによりも、死を打ち破って復活したイエス・キリストの恵みをいただけます。ぜひお近くの教会におでかけください。

私は教会まで2分の所に住んでいます。これから出かけます。礼拝では聖歌隊による特別賛美があります。バッハの『主よ、人ののぞみよ 喜びよ』です。私もその一員に加わります。リハーサルが始まります!


「イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。
また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」ヨハネ11:25〜26
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聖書の風から みことばのしずく ナルドの香油 マリヤのしたこと その2

(18日の続きです)
ベタニヤ村のマリヤは、ある日、大切にしてきたナルドの香油を十字架目前のイエス様に注ぎかけてお慰めしたことから、イエス様にたいへん喜ばれほめられました。
 この場面からいくつもの大切なことが教えられていると思います。
その一つは、イエス様は私たちのささげもの(大小にかかわらず)を喜んで受け取ってくださり、神さまの栄光として用いてくださることです。そんなつもりもない、考えもしない、ささやかなささげものが、主に喜んで用いられるとしたらこんなにうれしいことはありません。受け取られた主は、それを最善、最高、最適に、私たちにしてみれば思いもかけないところに用いてくださるのです。マリヤも自分のささげた香油がまさかイエス様の埋葬のためだとは考えもしなかったでしょう。

そしてさらに主は、今後、福音が語られるところどこででも、世界中でこの人のしたことが語られる、それはマリヤの記念となると言われたのです。これは聞き捨てにできないお言葉です。救いのメッセージが語られるところでマリヤの香油物語も語られるというのです。当然マリヤはすばらしいことをイエス様にした女性としてたたえられるでしょう。現に今でも私たちはマリヤを話題にし、教材にして、学びの対象としています。今後世界中のどこででもこの女のしたことが語られる、とのイエス様の預言は的中しているのです。

さて、マリヤに目を注ぎます。なぜマリヤがとっておきの大切な財産を、それこそ湯水のように一度に使ってしまおうと思ったのでしょう。
マリヤはその時、自分のいちばん大切なものをささげずにはいられなかったのです。そういう思いに迫られたのです。前々から計画していたことではなかったと思います。その時、なにか自分以外の強い力に押し出されて、憑かれたように壺を取りに行き、その壺を割り、注いだのでしょう。ある種の興奮に支配されてしまったとも言えます。感極まってどうしようもなかったのでしょう。霊の衝動、霊の激動といいましょうか。

私たちも時としてイエス様を身近に感じて、つまり主の臨在に触れて、叫び出したくなるような感動、歓喜を体験することがあります。悲しくはないのに泣けてしかたがない。明るい輝きに満ちた喜びで涙があふれてくるような経験をします。きっとマリヤもそのもっと濃密な思いに占領されたのでしょう。

そのとたんに主への愛がほとばしり出たのです。イエス様が慕わしくて、恋しくて、なにもかもささげてしまいたい、自分自身はもちろん、自分の持てるものをすべてささげてしまいたい。それがマリヤにとってはナルドの香油を注ぐことだったのです。いちばん大切ものを思い切ってささげることのできるマリヤ、自分のものを、しかもこの世の中の物差しで測っても十分価値のあるもの、つまり財産をたいへん上手に使ったといえます。

ベタニヤのマリヤ、外側から見れば、姉がじれったがるほど機転が効かなくてたもたしている、世の中のことに疎く、消極的、そんなマリヤですが、内面をよく探ってみますと、驚くような賢さを備えた女性だと思います。『福音が語られるときこの人のしたことも語られるでしょう』と言われるような賢い生き方をしたいものです。

聖書にはマリヤについて他に2つのエピソードを記しています。その一つは、マリヤがイエス様のおそばから片時も離れずじっとお話を聞き続けていたので、腹を立てた姉のマルタが、イエス様に、妹も手伝いをするように言ってくださいと声を尖らせたときでした。イエス様は、どうしても必要なことは一つだけで、マリヤはそれを選んだと言われてマリヤを弁護し、ほめたことです。

もう一つは、兄弟ラザロの突然の死に際して、葬りが終わったところへ来られたイエス様の前で泣いたことからふたたび村中が泣き、ついにイエス様も涙を流された出来事です。もちろんイエス様は単にもらい泣きをしたわけではないのですが、このすぐ後に、イエス様は神様としての力を発揮してラザロを墓の中から呼び出したのです。ラザロが生き返ったことは、イエス様のよみがえりの前知識となりました。マリヤはここにも深く係わったのです。

このところ、ベタニヤのマリヤにしげしげと視線を注いでいます。マリヤとイエス様の間にある強い絆、交わりの豊かさに心奪われます。マリヤはイエス様についていちばんたいせつなものをいち早く見抜き、それをいち早く我がものにしたと思えるのです。

十字架以前に葬りの香油を注いだマリヤは、十字架以後に約束されたイエス・キリストの遺産を、生前すでに贈与された世にも幸いな女性だったと思えてなりません。
                                    終り

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旅の風から 疲れている暇はない
入院中の母の病室が変わっていました。おやっと思った瞬間、ああ、退院が近いなと感じました。比較的安定している高齢者ばかりのお部屋でした。1,2日すぎてから病院側から呼び出され、退院を宣告されました。退院とは普通なら喜ばしいことなのでしょうが、複雑な心境です。

もちろん病院側としてはもう医療行為は終わったと判断したのでしょうから、怪我は順調に回復しているのす。病院側は、リハビリはこれ以上よくなることは望めないから自宅で介護をしてくださいとのことでした。リハビリ専門の病院への転院もほのめかされましたが90歳を過ぎた人が行くようなところではないようですし、療養型病院も難しいようです。

医療から再び介護制度を利用して、在宅しかないかなと思いました。しかし、母の状態は術前とは大きく違ってしまいました。まったく自力では立てません。食事もいまのところペースト食です。これではどうがんばっても私一人の手に負えません。

改めてケアマネさんや家庭医に相談しながらプランを立てていくことになります。病院側は準備の整うまであと少し預かりますと言ってくれましたので、今月いっぱいには見通しを立てて母を迎えようと決めました。知恵や方法が与えられるだろうと緊張しながらもほのかに希望を持っています。

長女家族が、今のうちにこないかとしきりに言ってきます。孫たちも再三電話をしてきます。Sくん、Mちゃんの声を聞くと、もう心も体もあちらへ向いてしまいました。幸い母はずっとしっかりしてきました。半日はベッド脇で、車いすに座っています。ペースト食も完食です。留守の間は妹たちに頼んで、旅の人になることにしました。いよいよ苛烈な介護戦線へ行くための備えができればと願っています。
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聖書の風から みことばのしずく ナルドの香油 マリヤのしたこと その1

今週は受難週。イエス・キリストの最後の一週間が大きくクックローズアップされる。新約聖書の四つの福音書は、どこもこの記事を丹念に書き込んでいる。この時期、イエス・キリストと係わった人は数え切れない。その後の人生を180度変えられた人もいる。

『百万人の福音誌』2000年イースター号に、特集『キリストの十字架』が企画され、一文を依頼された。私は『復活を見た人々』と題して、ペテロ、イエスの母マリヤ、ローマ人百人隊長の3名を取り上げた。今、その誌を書棚の隅から取り出してたいへん懐かしく繰って見ている。その他、イエス様の十字架を無理矢理担がされたクレネ人シモン、イエス様とともに十字架につけられ、悔い改めて救われた強盗、イエス様に墓所を提供したアリマタヤの富豪ヨセフも忘れられない。

伝説の女性、ベロニカ(ビア・ドロローサ・ゴルゴタへの途上、倒れたイエス様に駆けよってお顔の血と汗を拭いたと言われる女性)では、小さな創作を書いたこともあった。

今年はベタニヤのマリヤに心が傾く。マリヤは受難週の水曜日に当たる日に、翌々日にはイエス様が捕縛されて十字架刑に処せられるとはゆめゆめ知らなかったであろうが、自分の宝物である高価なナルドの香油を一壺丸ごと注ぎかけて、満座を驚かせ、イエス様からはたいへん喜ばれた、受難週の花とも言える女性である。

以前にマリヤについて講義したことがあり、その原稿がそのままあるので、ここに掲載します。


ときは十字架を数日後に控えたある日のベタニヤでの出来事です。ヨハネはこの日を十字架の六日前、エルサレム入場前日と記していますが、他の福音書は受難週の間にはいっています。
覚えておきたいことはこの出来事の数日後にイエス様が十字架にかかったと言うことです。イエス様を取り巻く情勢はかなり緊迫し、危険が迫っていたことは確かです。もっともそれを知っておられたのはイエス様以外にはだれ一人としていませんでした。

イエス様が弟子や村人たちと食事をしている最中でした。突然なにを思ったのかマリヤがつかつかとイエス様のおそばに近寄り、大事そうに抱えてきた壺を割って、中の香油をイエス様に振りかけたのです。香油とはすばらしくよい香りのする油のことです、高価な香水や近頃はやりのアロマオイルをイメージするとよくわかるのではないでしょうか。

マリヤの持っていたナルドの香油、ナルドとはインドの奥、ヒマラヤの山奥に生息するナルドと言う植物の根から採集した油だそうで、当時ローマ帝国では輸入していたそうです。聞いただけでどんなに高価なものかが想像できます。ユダヤの片田舎に住むマリヤがどうしてそのような高価な油を所持していたのか知りませんが、マリヤは裕福な家の娘でもあったのでしょうか。祖母や母の形見であったかも知れません。この日までマリヤは少しも無駄にしないように注意深く大切な大切な宝物として保存していたことでしょう。マリヤがそんな高価な香油をそんなに多量に持っていたなどとは村の人の誰も知らなかったのかも知れません。マルタは姉ですから、もしかしたらマリヤと同じようにあるいはそれ以上の量を持っていたと推察することもできます。

マリヤはその高価な香油の壺を割ってイエス様に注いだのです。計算高い居並ぶ人たちがとっさに見積もったところによると三百デナリに相当するというのです。デナリとは当時のお金の単位です。一デナリが標準的労働者の一日分の賃金だそうです。たとえば一デナリ一万円として三百万円です。二万円とすると六百万円にあたり、これは驚きに値する金額です。そんな高額なものを一度に使ってしまった、いや、流してしまったと言うことです。しかも入っていた壺を割ってですから、あとかたもなく、一滴も残さずにすべてを使い尽くしてしまったということです。容器さえないのです。残ったのは、えもいわれぬ香りの充満です。香りは部屋中にあふれ流れたのです。弟子をはじめ列座の人々が腰を抜かすほど驚いたのも無理からぬことです。

驚いた人々の最初の思いは、マリヤはすばらしいことをした、ではなかったのです。
非難です。なんてことを、もったいない、無駄なことを、もっと他に使い方があるはずだ、三百万円もするものをむざむざと流してしまうなんて、
それでもたりなくて、そこにだれもが納得する一見もっともらしい常識論、道徳論を持ち込みます。
そうだ、むざむざと流すなら、それを売ってお金に換え、貧しい人たちに寄付したらどんなに助かる人がいることか、それを考えないで無駄に流してしまうなんて、と言うことです。そして激しくマリヤを責め立てます。とくに数日後にイエス様を敵方に売り渡すイスカリオテのユダが先頭に立ってマリヤを責めたようです。

彼らの考えももちろん一理ありです。それこそだれも非難できない正当な理論です。
しかし周囲の人たちが考えることをマリヤだって知らないわけがないでしょう。突然他の世界から来たわけではないのです、同じ文化や習慣、常識の中で生きてきたのですから、だれでも考えることはとっくに考えているのです、それをすべて承知でマリヤは壺を割ったのです。

なぜでしょう。マリヤはその理由を一言も言いません。釈明していません。その変わりイエス様がなさっています。イエス様は周囲の人たちと全くちがう視点でマリヤの行為を見、理解しました。そしてそれをマリヤに代わって明確なことばで人々に伝えました。イエス様は言います
『なぜ、この女を困らせるのです。わたしに対してりっぱなことをしてくれたのです。 貧しい人たちは、いつもあなたがたといっしょにいます。しかし、わたしは、いつもあなたがたといっしょにいるわけではありません。この女が、この香油をわたしのからだに注いだのは、わたしの埋葬の用意をしてくれたのです。 まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、この福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。』マタイ26・10〜13。マルコには
『この女は、自分にできることをしたのです。埋葬の用意にと、わたしのからだに、前もって油を塗ってくれたのです』ともあります。

イエス様がおっしゃるのは、マリヤは今この時でしかできないことをした、自分にできる範囲の中で最善、最高のことをした、精一杯のことをしたのだ。わたしがもうじき死ぬので、早々と埋葬の油を塗ってくれたと言うことです。これがイエス様の解釈ですが、いちばん正しいのです。

ところでマリヤはイエス様のおことばにあるように、埋葬のために香油を注いだのでしょう。そこまでは考えていなかったでしょう。そんなことは微塵も思わなかった、思い浮かびもしなかったでしょう。しかしイエス様は一座の前ではっきりとそう言われたのです。そして事実、イエス様は数日後には十字架にかけられるのです。イエス様の遺骸は当然埋葬されるわけです。その時にベタニヤのマリヤが駆けつけて香油を塗ることはありませんでした。他の弟子たちや女性たちが携わりました。

この事実を見ますとイエス様のお体に最初に埋葬用の香油を塗ったのはマリヤと言うことになります。もちろんこの時はイエス様はまだ生きておられましたが、ご自身の意識は十字架に集中しておられたのでしょう。ですからマリヤの香油をそのように受け取られたのです。イエス様はマリヤの香油を単に自分を愛して、自分のためにささげられたその場限りのプレゼントだとは思わなかったのです。神さまの大きな大きな仕事、十字架は神さまの御業の中でも最大級の大仕事です、その十字架にかかわる働きとして受け取りそのために用いてくださったのです。主の御業のため、主の栄光のため、すなわち、救いの働きの一端として用いてくださったのです。これはなんという大きな、巧みな活用法でしょうか。(続きます)


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日々の風から 今週は受難週 

主はポンテオ・ピラト(当時のユダヤの総督)のもとに苦しみを受け
十字架にかけられ
死にて葬られ
よみにくだり(使徒信条の一部)

今週はイエス・キリストが十字架にかけられるという苦難を受けたことから、受難週といわれます。教会暦では、今日はイエス様が都エルサレムに入った日で、棕櫚の日と呼ばれます。受難週の日々は次のようです。
日曜日 棕櫚の日曜日 エルサレム入城
月曜日 宮きよめ
火曜日 宮での論争
水曜日 ナルドの香油
木曜日 洗足日 最後の晩餐
金曜日 受苦日 十字架にかかる 墓に葬られる
そして日曜早朝にイエスは復活されたのです。23日は復活を喜び祝う復活祭(イースター)です。

 礼拝でも勧めがありましたが、今週はイエス様の贖いの恵みを深く思いつつ、イエス様のより近くで、静かに過ごしたいと思います。皆さまの受難週の上にも主の豊かなお導きがありますように。

『神は罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって神の義となるためです』コリント第二5章21節
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心の風から 弱く不甲斐なく愚かな者よ、汝の名は…
クロッカス


全く予期していなかった母の入院からまもなく1か月、術後3週間が過ぎた。手術のすぐあとに主治医は、術前の状態になるまでリハビリに励んで帰っていただきますと言われた。しかしここは救急病院ですから術後3,4週間で退院してもらいますとも言い添えた。その期限がきている。

母は、体力はだいぶ回復してきている、食欲もある。しかし、術後1週間ごろ、末梢性顔面神経麻痺の症状が出て食べ物の嚥下に支障が起こり、以来ペースト食をいただいている。微熱が続いたときもあった。それもあってか、今のところ退院の言葉は出ていない。リハビリは車いすに座るようになっただけ。それも抱えられて。まだ自分の足腰では立てない。立てないどころではない、ベッドにばかりいるのだから筋肉は落ちるばかりだろう。
いつもうつらうつらしていて、言葉数もめっきり少なくなった。

一体どのような状態で帰ってくるのか。在宅介護ができるのか、私の頭はそればかりだ。むやみに思い悩んでいるつもりはないが、なぜか最近ひどく疲れている。体だけでなく心も疲れていると自分で感じるのだ。鬱ではないかと思うことさえある。外へ飛んでいく気になれない。面倒な気がするのだ。かといってじっと家にいても、バリバリと仕事するわけでもない。読書に没頭することもない。これは疲れにちがいないと自己診断している。
何と弱く不甲斐なく愚かな者かと自嘲したくなる。

この1,2か月家族に病人を抱えた友人から便りがあり「疲れているみたいです。風邪と思って病院に行ったら、精密検査をしましょうと言われました。来週から忙しくなりそうです」記してあった。そうだ、彼女も疲れたのだ。私も同じかも知れないと思った。

さて、どのように脱出しようかと思う。体の疲労と心の疲労を同時に改善する方法があるだろうか。クリスチャンではないですか、イエス・キリストがおられるでしょうと言われてしまいそうだ。

わかっているのです、主のもとに駆け込むことこそ万能薬であることを。
『私のところに来なさい。…やすませてあげよう』とのみ声も聞こえている。私のする唯一のことは主のもとに行くことだ。そうだ、立って主のもとに行こう。

『神は我らの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け』詩篇46篇
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世相の風から 統廃合されるかつての学舎

東京大空襲の頃を思い出していたら、その頃のことが次々と浮かび上がってきた。ちょうどそこへ『閉校記念誌』を見せていただくことになった。近くの小学校が116年の歴史の幕を閉じて、この春をもって閉校することになり、記念文集を作ったのだ。それが見たくて、貸していただいた。思い出のある小学校なのだ。卒業したのではないが2年間通った学校なのである。

終戦4年後の昭和24年8月15日に、私たち家族は身を寄せていた母の郷里から東京へ引き揚げてきた。どうして8月15日にしたのか、そういえばいまだに聞いていない。

地域の小学校に入った。9月1日2学期の始業式の日だった。前日に東京下町に大被害をもたらしたキテイ台風の襲撃に遭った。我家の被害についてはまたいつか書いてみたい。

台風一過、目にしみるような青空を今でも思い出す。全校生徒が校庭に並んで始業式が行なわれた。今のように講堂や体育館があるわけではない。それで、空の青さを記憶しているのだが、そのままずっと青い空の下にいたのでよけい脳裏に焼き付いたのだろう。

クラス別になっても、入る教室がないのだ。担任の先生を囲んだのは青空の下であった。青空教室と呼ばれた。教室に入れる日と校庭で勉強する日があった。

2年すると、生徒数が増えたので、近くに新しい学校ができた。地域割で私は新しい学校へ移ることになった。真新しい校舎だったが、相変わらず青空教室の日もあった。

その後、地域にはさらに二つの小学校が誕生した。4つの小学校のまま今日まで30年以上が過ぎた。人づてに聞こえてくるのは、生徒数の減少である。統廃合の声も久しく聞き続けた。なにしろ1年から6年まで各学年が一クラスしかない。その人数も減り続けている。とうとう、私が最初に入った小学校と、4つ目にできたところが一つになることになった。

116年とはたいした歴史だ。開校したのは1891年(明治24年)生徒数は35名だったと記念誌は語る。最高は1933年(昭和8年)で2904人、最低は2000年(平成12年)の196人。現在は309人。ここで116年を終わりにするのだ。

新しい学校が次々にできていった時代からその一つ一つが消えていく時代になった。
もちろんこの現象は全国的に同じではないらしい。いまでも振興地域は次々に新設もあると聞く。私の住む地域は東京ではあっても過疎地域なのだろう。多いのは高齢者である。

統合して一つになる学校は新しい校名になるらしい。かつて学んだ学校の名が消えるのは何としても寂しい。

ところが、転勤中の孫たちが帰京すると、統合された新しい名前の学校に行くことになる。彼らに何の違和感もないだろう。戸惑うのは私ばかりか。時の流れ、歴史の推移を直に肌に感ずる。
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