人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

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みことばのしずく ハガル・荒野のもう一つの民族の母 その5

ハガルの産んだイシュマエルは、サラの膝の上で、アブラハムの慈愛に満ちたまなざしの中で、すくすくと成長したことだろう。実際にはハガルが乳を与えたのだろう。しかし表面的には「イシュマエル様」と呼ばねばならなかったかも知れない。
ハガルの毎日が苦渋と忍耐そのものだったことは想像に難くない。しかしハガルは負けなかった。あの、シュルへの泉のほとりで出会ったエル・ロイの神様が、いつもいつも自分を見ておられる、その信仰力があったからだ。あの時「彼女のもとで身を低くしなさい」と言われた神のことばを心に刻みつけて、サラのそばで仕えたに違いない。

13年が過ぎようとしていた。イシュマエルはアブラハムとサラ夫婦、そして一族にとっては大切な跡取りある。押しも押されぬ後継者だ。ハガルも自分の立場をわきまえ賢く振る舞えたのではないか。手の届くところに我が子がいる、成長していく姿をま近に見ることができるのは、すべての苦労を忘れさせる何にもまさる喜びでありまた密かな誇りでもあったろう。

ところが驚天動地、だれも想像しなかったことが起こった。90歳のサラが子を産んだのだ。アブラハムはなんと100歳であった。神様の約束は実にサラによる世継ぎであったのだ。この意外な出来事はアブラハム夫婦にも大きな驚きであったが、いちばんショックを受けたのは言わずもがなハガルであろう。ハガルの心中の混乱ぶりはいかばかりであったか。お世継ぎ様イシュマエルは一転して邪魔者になるやもしれない。自分たち親子は追い出されるかも知れないと恐怖さえ覚えたことだろう。

サラの産んだ正統な世継ぎはイサクといった。いままでイシュマエル一人に注がれていたアブラハムとサラの愛情が手のひらを返すようにイサク一辺倒になったのは当然のことかも知れない。さらに一族郎党下男下女に至るまで、すべての視線はおさな子イサクに向けられてしまった。少年イシュマエルがその状況をどこまで感じていたか、それは測りかねるが、ハガルは気の狂うほど苦しんだに違いない。

イサクの乳離れの宴が盛大に催された。乳離れの年齢は聖書には確かな数字では記されていない2歳か3歳だろうか。イサクとイシュマエルは13違いである。イサクが2歳ならイシュマエルは15歳の立派な少年である。席上で一つの事件が起った。聖書は語る。
『そのとき、サラは、エジプトの女ハガルがアブラハムに産んだ子が、自分の子イサクをからかっているのを見た。それでアブラハムに言った。「このはしためを、その子といっしょに追い出してください。このはしための子は私の子イサクといっしょに跡取りになるべきではありません」』

それまでもサラは強い女主人であったが、自分の子を産んでからはいっそう強くなり、ハガルには傲然たる態度だったろう。サラはイサクが生まれた時点で即刻二人を追い出したかったに違いない。が、アブラハムはそうしなかった。ハガルの子イシュマエルをも愛したのだ。確かに自分の子なのだから。憐れみもあったろう。自責の念もあったろう。
サラは十数年間、煮えくりかえる怒りを抑えてきた。それが宴席でついに爆発したのだ。二人を追い出してくださいとアブラハムに詰め寄るのである。

世に三角関係のもつれは珍しくないが、理由はなんであれ、敗者には哀れを感じてしまう。
板挟みで悩むのはアブラハム、ああ悩める人アブラハムよ。後年、信仰の父と仰がれる偉人もこの時ばかりは見る影もない。(あと一回続きます)

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みことばのしずく ハガル・荒野のもう一つの民族の母 その4

前回までの要旨
アブラハムの子を宿したハガルはサラのいじめに耐えきれず、ついに逃亡。故郷エジプトへ通じるシュルの泉のほとりまでやってきます。孤独と恐怖のただ中で一つの声を聞きます。「サラの女奴隷ハガル。あなたはどこから来て、どこへ行くのか」それは神でした。


シュルへの泉のほとりで声をかけられたハガルは、夢中で、しかし即座に答えた。
「私の女主人サラのところから逃げているのです」この返答は確かに偽らざる現状を示している。しかし、質問の半分でしかない。「どこへいくのか」との問には答えていないのだ。ハガルは答えられないのだ。自分でもわかっていないのだから。

どこへ行くのか、ですか。どこへ、どこへ。ハガルは改めて自分に問うてみたと思う。ほんとうに、私はどこへ行くつもりなのだろう…。どこへ行ったらいいのだろう…。
今まで以上に、背中がぞくぞくするほどの孤独感と、立ちすくんでしまいたいような恐怖に襲われたことだろう。

そんなハガルを見透かすように再び声がした。
『あなたの女主人のもとに帰りなさい。そして、彼女のもとで、身を低くしなさい』
はっとしてハガルは辺りを見回した。この荒野に人がいるはずはない。
ハガルはとっさに理解したはずだ。それが神の声であることを。

あなたは神様ですね。アブラハムとサラの神様ですね。あなたは私とは無縁のお方だ思ってきました。エジプトの奴隷など相手になさらないと思っていました。とても悲しく思っていました。事実、あなたは一度も私には現れてはくださいませんでした。

でも、今、あなたはこんな死のような地で私に近づいてくださいました。あなたは私を見ておられたのですね。私のすべてを見ておられたのですね。私はひとりぼっちではないのですね。あなたは私の《エル・ロイ(ご覧になる神)》なのですね!

ハガルは夢から覚めたよう思いであったろう。
そうか、戻るのか。戻ればいいのだ。サラさまのもとに帰ればいいのだ。お詫びして置いていただくのだ。そしてこの子を産むのだ。育てていただくのだ。この子にとってはそれがいちばんの幸せに違いない。

なおも声が続いた。
「その子をイシマエルと名づけなさい。
主があなたの苦しみを聞き入れられたから。
その子は野生のろばのような人になり…」

ハガルは身を翻して振りかえった。今来た道がくっきりと映る。凍てついた心に温かさが戻ってきた。

こうしてハガルは再びサラのもとに帰り、無事に出産するのである。
ハガルは荒野で出会ったエル・ロイの神を我が神として、イシマエルを育てていったことだろう。
しかし、ハガルは再び苦難に追いやられることになる。(続きます)








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銀(シルバーエイジ)の風から  母の骨折から一週間
白梅

手術を待つ母
手術前の母です


一夜明けて(このことばの重さを感慨深く味わっています)、母はいつもの母に戻りつつあります。術後のその夜は越すに越せない深い闇なのです。多少経験がありますので、思い出しました。

朝食が出て、厳しかった空腹から解放されたようです。まだ痛みが続き、体を動かすときは顔をしかめていますが、じっと我慢をしているのでしょう。それにしても、回復は思ったより早いのではないかと手応えを感じています。改めて、母は健康に恵まれているのだと思いました。

救急病院なので90歳といえども怪我人の一人としての扱いです。すぐにリハビリのプログラムが組まれ、専門の方がついて訓練がはじまりました。訓練と言っても、もともと一人での歩行はできなかったのですから、限界があります。起立できることまでが目標です。
はたしてそこまでたどり着けるかと、私は半信半疑なのですが、期待してお任せすることにします。

ちょうど週間がたちました。私の心身もこのペースを覚えてくれたようです。心が少し広がりました。病院への道を一本遠回りして、梅園の梅を覗きました。

一足早い春が来ていました。
銀(シルバーエイジ)の風から comments(7) -
銀(シルバーエイジ)の風から 母の手術ともかく終了

手術は2時間ほどで無事終了しました。すぐに執刀医に呼ばれて説明を受けました。レントゲンで見たときより骨折が複雑で、しかもこの数ヶ月の間に起った骨折もあったとのことでたいへん驚きました。急きょ予定外の施術もしたそうですが、今後、使い方によっては脱臼の恐れがある、それが心配要因ですと言い渡されました。

病室に戻った母は、今日一日の絶食がかなりきつかったのかしきりに空腹を訴えています。また、術後の痛みもあってなかなか寝付けないようでした。手術がどのようなものなのか90歳まで一度も経験したことがないのですから、戸惑いも恐れも大きいのでしょう。点滴の管も気になってしかたがないのです。見ていてハラハラします。
面会時間が終了となりましので心を残しながら帰ってきました。専門家たちと、多くの方々の祈りの手と何よりも神様の御手にゆだねます。

お祈り、お見舞いありがとうございます。
銀(シルバーエイジ)の風から comments(9) -
銀(シルバーエイジ)の風から 転倒して入院した母のその後

母のことでは皆々さまからたくさんの温かいお見舞いやお励ましのおことばをいただき、心からうれしく感謝申し上げます。祈られているとは何と力強いことでしょう。
母は落ちついています。あまり痛がりもしません。それは大きな救いです。

昨夕、主治医と面談しました。怪我は右大腿骨頸部骨折と言って高齢者によくある骨折のようです。人工骨挿入の手術をすることになりました。木曜日午後4時からと決まりました。いろいろ心配がありますが、医師にお任せするしかありません。

術後どのような状態になるのか、それも心配の大きな部分です。在宅介護が無理になる恐れもあります。先のことは全くわかりません。ひたすらに主の最善を祈るのみです。ぜひ続いてお祈りください。



銀(シルバーエイジ)の風から comments(8) -
銀(シルバーエイジ)の風から 母が転倒 救急で入院

16日夕方、母が家で転倒し、痛がるので救急車のお世話で近くの病院に行きました。レントゲンの結果は右大腿骨骨折とのこと。唖然としました。幸い、頭は異常なしでしたが。即刻入院となりました。おそらく手術になるだろうとの見解でしたが日曜が入ったので、本格的な診断と治療は今日からです。

最近は、救急でもなかなか希望の病院に入れませんが、日頃、何かのときはお願いしたいと思っていた町の病院に入ることができました。歩いて通える距離で、母も以前は時にお世話になっていたので安心したようです。

母は初めかなり痛がっていましたが、落ちついてきて、昨日は食事も進むようになりました。先のことは何もわかりません。新しい戦いが始まりました。緊張しています。

教会では祈りの声と手を高く上げて力強い祈りが始まりました。神様の最善を心から信じることができ感謝です。皆々さま、覚えてお祈りください。
銀(シルバーエイジ)の風から comments(25) -
みことばのしずく ハガル・荒野のもう一つの民族の母 その3

夫アブラハムから高慢なハガルの処分権を手に入れたサラは即刻決行した。
『サラが彼女をいじめたので…』と聖書は語る。いじめたとは…。具体的なことは記されていないが大いに見当はつく。身分の上下は明白である。もともと権力を持っているサラがさらに夫からのお墨付きを持っているのだからことはしやすい。隠れてする必要もない。陰湿ないじめではない。制裁に近いものだったに違いない。ハガルはいたたまれなかった。ついに『彼女はサラのもとから逃げ去った』のである。

それにしても、ハガルの胎内に宿る小さな命について、三人の親たちはどう考えていたのだろう。神様のご計画を実現するために信仰を持ってサラの申し出を受け入れたアブラハムは正真正銘の父親ではないか。また、言い出しっぺの張本人サラは、一時の激情に駆られてハガル母子を追い出してどうするつもりなのか。そして、ハガルは身重の体を抱えてどこへ行こうというのか。

ハガルは荒野へ逃げていったのである。心の荒野を抱えて、はてしなく広がる荒野をさまよったのだ。ハガルの心中を行き来するものはなんであったか。あたりはまったくの荒野、身を寄せる一本の樹木すらない。出身地エジプトへ向かう隊商路シュルの道らしきものはあっても人影はない。色濃く覆うのは空恐ろしいほどの静寂のみ。
ハガルを荒野へ追いやったパニックはまだ続いていただろうか。多少は落ち着きが戻ってきただろうか。足は故郷に向かっていても、身重の女が一人でいけるわけがない。心はむしろ出てきたところに引かれたのではないか。

アブラハムもサラも私をこのままほって置くわけがない。じきに使いの者が迎えにくるにちがいないと、そんな期待を抱かなかったろうか。
いや、だれに頼まれても帰らない。あんな辛い思いは二度としたくない。
そうだ、このまま死んでもいい、この子といっしょに死んでもいい…。

だが、実際には死ねるものではない。それどころか行く手に広がる荒野を見ていると不安や恐怖すら感ずる。このまま夜になったらどうするのか…などと。

泉のほとりに来ていた。ふいに、何か気配がした。動くものを感じた。風ではなかった。ぬくもりがあった。声が聞こえた。
「サラの女奴隷ハガル。あなたはどこから来て、どこへ行くのか」神であった。
(続きます)


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みことばのしずく ハガル・荒野のもう一つの民族の母 その2

敬慕する女主人サラから代理妊娠を依頼されたハガルは、どんな思いだったろう。いい話だと思ったか、とんでもないことだと思ったか、どちらであろう。どう思ったにしろハガルには逃れの道はなかったろう。主人の命に従うほかはないのだ。ちょうどそこにあった格好の道具のようにひっぱりだされたと言える。そこには人格の尊重は見られない。

いや、あったのだろうか。サラはハガルの意志を聞いただろうか。
引き受けてくれますか、いやならいいのですよ。あなたの意志次第です。決して強制ではありませんからねと、サラは優しく言っただろうか。例えそうであっても、ハガルは首を横には振れなかったであろう。

みごとに、まことにみごとに、ハガルは妊娠した。創世記16章である。ところが事態は思わぬ方向に向かっていく。聖書はこう記している。
『彼女は自分が身ごもったのを知って、自分の女主人を見下げるようになった』
これが大きな事件に発展していくのだ。妊娠したハガルは、なんと、大事な主人サラに対して高慢な態度をするようになったというのだ。しかしこれは当然と言えば当然かもしれないのだ。だがアブラハム夫婦には計算外だった。特にサラにはまったくの番外。自分の作ったシナリオのどこにも出てこないことだった。サラは憤然とした。黙ってはいなかった。押さえていたプライドや憤懣が火のように吹き出した。
『私に対するこの横柄さは、あなたのせいです』と夫に詰め寄ったのである。

ハガルはどうして急変したのだろう。サラからの申し出があったときは、そこまでのいきさつと今後のこともよく理解したはずだ。自分が産んだとしても決して自分の子ではない。乳を与え育児をしたとしても、母として、するのではない。それは仕事なのだ。
子どもはサラの子、アブラハムの息子、一族の大切な跡取りである。自分とは立場上親子の繋がりはない。子どもはご主人様なのだ。

本能として与えられている母性は日に日に目覚めていく。子への情愛が激しく高まっていく。この子はだれの子でもない、私の子。私は母なのだ。サラ様が母ですって。とんでもない。あの老女に子育てができるわけがない。私が育てるのだ。産んで育てるのだ。この子は私の子。だれにも渡さない。跡取りになるのは結構。父親はアブラハム様だもの。悪いけど、サラ様は無関係だわ。

エジプト人のハガルが胎内に息づく我が子を感じながらそう思ったかどうか、単純な想像に過ぎないが、ハガルはサラに対しては以前のようにはなれなかった。秘めても心の内は外に出るもの、匂うものである。サラは鋭く見て取り、嗅いでしまったのだ。

アブラハムは大いに当惑しただろう。火のように、はたまた鋼鉄のようになった二人の女性を扱うすべを知っているはずがない。アブラハムは逃げの一手でいく他はなかった。
『あなたの女奴隷はあなたの手の中にある。あなたの好きなようにしなさい』これは理にかなってはいるが、サラに対してもハガルに対しても無責任の何者でもない。

さあ、そこでサラは逆襲に出た。(続きます)

聖書の風から comments(4) -
みことばのしずく ハガル・もう一つの荒野民族の母 その1
しばらくの間、『創世記』からハガルという女性について考えてみたいと思います。

創世記のアブラハム物語にはハガルという不幸な女性が登場する。教会の説教ではあまり真正面から取り上げられることはない。しかし、神様は彼女にも目をかけ祝福を与えられた。神様がアブラハムやサラを大いなる者とされたように、ハガルもまたもう一つの民族の母となった。現在のアラブ人の祖なのである。

ハガルは、正妻サラの提案によって、アブラハムの子を産むことになり、その過程で思っても見なかった苦しみに遭う、たいへん損な役回りをさせられた女性である。貧乏くじを引かされ、無理矢理に主役たちの人生に引きずり込まれた脇役である。

ハガルはサラの女奴隷で、エジプト人だった。サラだけに仕えていたサラお気に入りの下女だったのだろう。ちなみにサラは見る影もない老女と思いがちだが、そのころアブラハムは数百人の下僕と莫大な冨と家畜の群れをもつ族長、日本の徳川以前になぞらえると地方豪族の頭首であろうか、お殿様であり、しがたってサラは奥方様なのだ。

ハガルは16章に初めて名前が出てくるが、アブラハム一行は12章でエジプトに行っている。カナンの地に飢饉があったのでエジプトに避難したのである。ハガルはその時から何らかの理由でアブラハム一族に加わったと思える。サラは一時パロの宮殿にいたから、もしかしたらハガルはそこでサラに巡り会い、サラに仕えるようになったのではないか。もしエジプトの宮廷にいたとしたら、例え仕え女であっても、美人で利発な娘だったと思う。そしてハガルはサラを慕い、サラもハガルを可愛いく思い、二人はまるで母娘のようだったのではないか。

いまだに跡継ぎがいないことが、アブラハム夫婦の最大の悩みであるとは、家の者たち全員が周知していたにちがいない。口にこそ出さないけれど、奴隷の子にいたるまでひそかに先行きに不安と強い関心を抱いていたことだろう。主人夫婦の老いぶりを見れば、もしかしたら、使用人の中からでも跡継ぎに指名される者があるかもしれないと考えたかも知れない。サラのそば近くにいたハガルにはなおらさ、苦悩の程が我がことのように思えたにちがいない。そうこうしている間にも、歳月人を待たず、主人二人は老いていく。
神様は『あなた自身から生まれ出て来る者が、あなたの跡をつがなければならない』と言われる。親類縁者ではいけない、まして家にいる者は対象外である。苦渋の末サラに一つのアイデアが生まれた。――子を産めない私に代わって、ハガルがアブラハムの子を産めばいい。私はその子を自分の子として認め、育て、神様に跡継ぎにしていただこうーー
サラは心を決めるとすぐに夫アブラハムに提言した。ところで、サラの女心が心底承知したのだろうか。どうか想像する以外にないが、ここは深読みしないでハガルを追っていく。(続きます)


 
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世相の風から 今、気になること
世相に疎い私ですが、聞き耳を立てずにはいられないことが2つあります。いわずもがな、餃子事件とアメリカの大統領選のゆくえです。餃子は正に日常ど真ん中のことです。あの製品は使用したことはないけど、生協は利用していますから。
たんたる食中毒ではなく、毒物が検出されたとは、犯罪ではありませんか。中国でのことか、日本でのことか、真相が明らかになるのは時間の問題でしょうが、事件の裏にある動機は一体なんでしょう。とても気になります。

アメリカの大統領選は興味津々たるものがあります。野次馬ではいけないのでしょうが、野党のお二人の候補者が気になります。アメリカ史上初の女性大統領が誕生するのか、はたまた黒人初の大統領が生まれるのか、これは隣の国の私だけでなく、世界中の関心事ではないでしょうか。与党、野党ともまだまだ煩雑なプロセスがあるようですが、アメリカの民意はだれに集結していくのでしょう。

女性大統領も大いに結構。我が国にも大きな影響を与えてほしいと切に願います。また、黒人が選ばれたら、それは正にアメリカが大きく変わったことを意味するでしょう。昨今のことは知りませんが、差別時代のことを思うと夢のようではありませんか。キング牧師の祈りや涙が報われることにも繋がります。神様のみわざを一面的に軽々しく判断してはなりませんが、ここにもまた歴史の主である神様の大みこころが働くことを信じ、祈ります。


詩篇9篇8,9節
『主は義によって世界をさばき、
 公正をもって国民に裁きを行なわれる。
主はしいたげられた者のとりで、
苦しみのときのとりで』



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