人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

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日々の風から 今日は1月ラストデイ

気が早いので月めくりカレンダーはすでに2月ですが、今日は1月の晦日です。今年も1か月が終わるのだと思うと、今日はちょっとしたスペシャルデイではないでしょうか。

昨日は、日中は10度を越えてひどく暖かく感じました。なにより陽差しに力を感じました。体が軽くなるから不思議です。気温と光がそうするのでしょう。風も違っていました。希望の風の匂いが満ちていました。

今朝も窓越しの光がまぶしいのです。体が自然にすばやく動き出して、寝具の大洗濯が始まりました。何もかも洗って新鮮な陽に当てたい気になりました。キッチンに立つと、小さなほこりやごみが気になりました。冷蔵庫の中も気になり、朝食も後回しにしてお掃除となりました。あの寒さの日々には全く見えないものが見えてしまったのです。

ついでに、光が心の中にも差し込んできました。これは太陽光線ではないでしょうが。
突き詰めるのが億劫で蓋をしてきたいくつかの事柄が見えてきて、ジックリ考えたり、反省したり、怠っていたことをするように促されました。光の中にはイエス・キリストがおられたのです。

ふいっと主の祈りが浮かんでしました。
『みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。我らに罪をおかす者を我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ…』

教会では、長年の友がくも膜下出血で倒れ、昨日手術でした。緊急連絡を取り合って祈っています。親友の奥様が急性緑内障発作のため来週手術との報をいただきました。昨日1年ぶりに再会した友はまもなく入院、開腹手術をします。厳しい難題と戦うおひとり一人に、イエス・キリストの奇跡的な癒しと平安が与えられますように。お元気になって、近づいている春を楽しく迎えられますように。
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日々の風から 新年初乗り新幹線 
抹茶ロールケーキ


今年も娘たちのところへ往復する幸いな冒険の旅?が何度できるでしょうか。まずは、今年初の新幹線に乗って長女宅へ行ってきました。日曜日夕方、わずか2日間ですから簡単な旅装で東京駅へ駆け込みました。いつもの売店でSくんの好きな芋ようかんとMちゃんの好きなあんこ玉の詰め合わせを買います。これは忘れてはなりません。
ついでながら、私の必携品、アーモンドチョコと柿の種も調達します。
座席は間際に買ったせいか三人掛けの窓側でした。幸い真ん中は空席。名古屋までそのままでした。

駅には婿殿とSくんが出迎えてくれました。いつものようにSくんが改札の向こうで手を振って合図です。私の手からさっとバッグを取ると、どんどん階段を下りていきます。その早いこと。パパはぎりぎりのところまで車を寄せて待機、5分ほどでマンションに到着となりました。「ママとMちゃんは食事の支度だよ」とSくんが話してくれました。

Mちゃんはドアーから飛び出すような勢いで飛びついてきました。まだ小学一年生ですから大仰にハグできます。さすがにSくんとはさらりとしてきました。残念ですがしかたありません。日本人なのです。

この23日でSくんは満10歳になりました。その夜は私を交えての誕生会です。Mちゃんの伴奏でハッピー バースデーを歌い、お祈りがささげられ、1と0のキャンドルが点火されたケーキが運ばれました。ケーキはSくんのご希望で、今年はマロン入抹茶ロールケーキです。ママの初作品です。ささやかな宴ですが、私にとっては天国の前味です。神様はよくぞこのようなお恵みを備えてくださったものだと、胸がいっぱいになりました。

実は今回の旅にはもう一つ訳があったのです。長女が出張のため、留守番役を頼まれたのでした。月曜日、下校するMちゃんを所定の場所まで迎えに行き(Sくんは一人で帰宅)二人の宿題を確認し、夕飯を準備し、お風呂を支度し、と、一日ママ代わりをしました。

帰りの車中にメールが入りました。Mちゃんからです。「えーん…行かないでよ〜また来てね!グスン…」思わず携帯を握りしめて、こちらはホロリ…でした。
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日々の風から 春は来るのだろうか
冬の桜樹


立春まであと一息。せめて暦の上だけでも春という字がみたい、ことばが聞きたい、そんな日々ではありませんか。思いますに、今冬の寒はかなりきついのではないでしょうか。もっともっと厳しい寒さに耐えておられる方々にはこんな愚痴は通用しないでしょうし、これしきのことで音を上げているのは滑稽でしょうが。

日が延びて、つい1か月前にはすでに闇が降りていた5時ごろまでも、まだ明るいのがなんともうれしいことです。夕方の家事にも多少ゆとりができました。買い物がてらに立ちよった公園には、男の子たちがわいわいと遊んでいました。ひどい寒風の中ですが。ほほえましくなりました。

毎年楽しんでいる桜樹は空いっぱいに細い枯れ枝を差し出していました。満開の春の日を想像するのですが、とても実感できません。枯れ姿を写そうとして携帯をかざしましたが、寒気が強くて手が痛くなりました。これほどの寒さは初めてです。

ほんとうに春はくるのか、桜は咲くのか、などと考えてしまいました。でも、春は来るのでしょう。桜は咲くのでしょう。希望の風は吹いているのです。
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光(キッズ)の風から 大きな悲しみとすばらしい喜び あれから10年 
今からちょうど10年前、父が召天した翌日に、初孫Sくんが誕生しました。長女はその2日前から入院していました。微弱陣痛のために時間がかかったのです。私は無我夢中で病院と産院を行ったり来たりしました。結局長女は祖父の葬儀にはでられませんでした。しばらくしてからも、祖父の死を実感できないと言っていました。

Sくんは元気いっぱいで生まれてきました。我が子誕生とは一つも二つも違ったしみじみとした幸いを噛みしめ喜びを味わいました。そして、親バカから今度はばばバカに変身して、新しいいのちの誕生に熱狂することになりました。

そのSくんが10歳になったとは、驚くばかりです。昨年の転勤騒動で今は生活の場が違いますので時々しか会えませんが、会うたびに背丈も伸び、言動も違ってきて、その成長ぶりには感嘆せずにはいられません。

とりあえずメールで誕生カードを送ったら、メールで感謝のカードが届きました。10歳記念に自分のアドレスを取得したそうです。IT時代の子どもですから、否応なしにパソコンとは深く係わっていくことになるのでしょう。

最近のエピソードです
長女が、育児日記にはSくんが2か月の時から聖書の話しをしてあげたと記録してあると話しますと、彼は「よし、僕がおとうさんになって赤ちゃんが生まれたら、生まれたての赤ちゃんに創世記から聖書を読んであげることにしよう」といったそうです。立派なお父さん像ではありませんか。

あと10年で成人です。私は今おかしな欲望を募らせています。20歳の青年Sくんをこの目で見たいものだと。

来週は遅ればせながらハッピーバースデイのお祝いに駆けつけたいと思っています。

 

光(キッズ)の風から comments(9) -
銀(シルバーエイジ)の風から 大きな悲しみとすばらしい喜び あれから10年 その1
父が天に帰ってちょうど10年になりました。1998年1月22日早朝のことでした。86歳を迎えたばかりでした。父は元旦の夕方に倒れたのです。意識を失って救急車で家を出てから22日間、昏睡から覚めることなくそのまままっしぐらに天に駆け込んでいきました。脳出血でした。高齢と出血の部位や大きさから手術はできないと診断されました。

元旦の朝はいつもの年のように母と私と3人で新年礼拝に行きました。父はその20年程前に洗礼を受け、正式に教会員として数えられ、地味ではありましたが信仰生活を続けていました。母はまだ未信者でしたが。

その日、教会から帰ってきて、簡単にお昼を済ませました。夕方からはこれも恒例になっている新年会が予定されていました。父母の身からでた子どもや孫たちが集まるのです。
昼食を終えた父は、まもなく奥の部屋で午睡を取りました。近年、そうした習慣でした。

母と私は、宴の準備に追われていました。
一番下の妹家族が一番乗りで到着。妹の主人や孫たちとは一年ぶりの再会です、挨拶やら近況などひとしきり話に花が咲きました。気の早い父はいつもなら最初から座に着いているのですが、しばらくしても入ってきません。声を掛けて呼びました。応答がありません。。
さすがに母が部屋に行きました。と、母のけたたましい叫び声。意識はなく尋常でない父の様子を見て大騒ぎとなり、救急車となり、近くの病院へはこばれました。その後も眠り続けるだけで反応はありませんでした。22日間の入院中、一度も目覚めることなく息を引き取りました。

父は86年の生涯中、ただの一度も大きな病で入院したり手術したことはありませんでした。ある時から血圧が高くなって、薬のお世話になってはいましたが、ほとんど風邪一つ引かないできたのです。最初で最後の入院でした。

私はじっと父の死を考えました。何と勇壮な死に方だろうと感動すら覚えました。元旦の礼拝のとき、私の耳にはいつもよりずっと大きな声で賛美歌を歌っている父の声が響いてきました。元気がいいなあ、今年も健康でいけるでしょうと思った矢先でした。

父の魂は礼拝中にすでに天国へ向かって走り出し、地上の命は午睡中に終わりを遂げたのだと、そのように解釈しました。地味な人生を送った父には似合わない大胆な終焉でした。
それも、すべて神様のなさったこと、神様のご計画だったと、ただただ感謝でした。

あれから10年。今、介護老人2年生の母は、父亡きあと8年間は一人でしっかり生きていました。なにはともあれ、かっきり88・5歳まで、一人で外出し、買い物をし、自分の食事を支度し、身の回りのこともいっさいしてきました。母もまた、いまだに大きな病はありません。入院も手術も未経験です。血圧すら正常値です。ただし介護される身になりましたが。


そして、なんと、父の亡くなったその翌日、長女家族に第一子Sくんが誕生したのです。(続く)
 
銀(シルバーエイジ)の風から comments(0) -
聖書の風から みことばのしずく《さあ、天を見上げなさい》その4(終わり)

神様に『外に連れ』だされ『さあ、天を見上げなさい』と促され、『あなたの子孫はこのようになる』と、わかりやすいサンプルをみせられたアブラハムは、心底納得した。
その時の状況を聖書は明快に『アブラハムは主を信じた。神はそれを彼の義と認められた』と短く記している。

神様はこの時をじっと待っておられたのだと思う。神様はアブラハムのこの心が見たかったのだ。神様のおことばへの深い信頼、つまり不動の信仰が生まれるのをじっと待っておられたのだ。
神様も待っておられただろうが、アブラハムも待ち続けた。『神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました』(ローマ4章21節)と、後世、使徒パウロは説明する。アブラハムは信仰の旅路の必携品として忍耐という杖を片時も手放さなかったにちいがいない。
そして、ついに神様はその信仰を見て、我が意をえたりとばかり即座に《彼を義と認めた》のである。

この出来事は以後キリスト教の歴史を貫く一大真理となった。
信仰による義を用いて神様はイエス・キリストによる人間救済の事業を完成させた。
使徒パウロはこの真理に堅く立ってローマ人への手紙やガラテヤ人への手紙を書き、マルチン・ルターは宗教改革を推進し、私たちの信仰はこの上に立って初めて健全なのだ。これ以外にクリスチャンの信仰の足場はない。今も自分の信仰を吟味するなくてならぬ物差しでもある。

それにしても、一大真理の原型が、まだ、モーセの律法ができるはるか昔に、一人の流浪の老人と神様の間に生まれたのはじつに愉快なことではないか。神様の真理や啓示は決して大所高所から居丈高に下されるものではないのだ。神様は、どこにでもいるような一介の老人のかそけき小さな信仰を嘉して、彼の頭上に義人という冠を乗せ、信仰の父という太鼓判を押されたのだ。あふれ出る神様の愛が実に楽しい。深遠な場面なのだが、ユーモアさえ感じるのは私の読み込みであろうか。

そしてこの時からアブラハムと神様と間には大人同士の友情が生まれ、関係は深く親しくなっていく。『わたしはあなたがたを友と呼びました』(ヨハネ15章15節)とのイエス様のお声が重なってくる。

さて、その日神様は約束を更新する。それは以前のものよりずっと具体的であった。
「わたしはあなたの子孫に、この地を与える。エジプトの川から、あの大川、ユーフラテス川まで。 15:19 ケニ人、ケナズ人、カデモニ人、 15:20 ヘテ人、ペリジ人、レファイム人、 15:21 エモリ人、カナン人、ギルガシ人、エブス人を。」これが内容である。
もちろんこれもあくまで約束である。所有権を登記したというようなことではない。

18章になると神様は『わたしは全能の神である』とご自身について明かす。アブラハム99歳の時である。信仰のスタートをしてから25年の歳月が経っている。神様はアブラハムの信仰の成長に合わせて、徐々にご自身を表し、より深い理解と関係作りをなさったのだと思う。神様は計り知れないほど大きなお方である。一度に全容を見せられても、理解できないばかりか消化不良を起こしてしまうかも知れない。

私たちにできることは、今日、今、『さあ、天を見上げない』とのおことばに従うことだと思う。私の小さな狭い星空でなく、神様が造られた星空を見上げることだ。その時神様の約束が明らかに示され、愛のみ声が聞こえてくるのではないだろか。

『あなたの指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星を見ますのに、
 人とは何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。
 人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは』(詩篇8・3〜4)

新約時代の夜空には、宵の明星、明けの明星であるイエス・キリストが一目でわかるように大きく明るくあたたかく輝いている。希望の風も勢いよく吹いている。



『信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい』
ヘブル12章2節
     
(終わります)








 

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聖書の風から みことばのしずく《さあ、天を見上げなさい》その3
神様のお声の通りにアブラハムが見上げた夜空は満天の星!
満天の星とは重宝なことばである。そう言えばだれでも自分の記憶にある星空を思い浮かべる。山で、海辺で、南国で、北国で見た夜空、あるいは幼い日のふるさとの星空を思う。間違っても東京には満天の星空はないが。しかし今、3500年前にアブラハムが見た星空をだれが見ることができるだろう。想像すらできないのではないか。

だが、アブラハムにとっては特別の景観ではなかったはずだ。むしろ、毎晩のように眼にしていたもの、見慣れたものだったにちがいない。また、神様が《外に連れ出した》ところは、遠隔の地ではなかったろう。住まいの入り口からほんの少しのところだったように思う。つまり、アブラハムはいつもの場所からいつもの夜空を眺めたのだと思う。変わりばえしない日常のただ中のことに違いない。

神様が私たちにお声をかけ、恵みを示してくださるのは、なにも特別に取り分けた時間や場所ではない、もちろん、そうしたこともあるだろう。しかし神様はたいてい私たちの日々の真ん中に御自ら体を動かし足を運んで手を差し伸べられる。《外に連れ出して》《さあ、天を見上げなさい》と容易な方法をお使いになる。ちょっと場所と視点を変えさせるだけなのだ。ハガルが荒野で見つけた《そこにある泉》と本質的に同じだと思う。(ハガルについては別の時に書いてみたい)

アブラハムは、神様に手を引かれるようにして戸口の外へ出た。神様に頬をつつかれるようにして空を見上げた。暗い夜空を、ふんだんに金粒や銀砂をまき散らしたような星空を。
すると、星たちの瞬きが生き物のように見えた。小さな生き物たちが息をしているように思えた。いつもの見慣れた星空とはまるで違っていた。新しいものを見た気がした。いままで星空がこんなにも美しいとは気がつかなかった。アブラハムの心に大きな感動の波が押しよせてきた。
耳元に神様の声が聞こえた。『星を数えることができるなら、それを数えなさい』
そんなこと、無理ですよ…どうやって数えるのですか、こんなにたくさんですから…。
神様は返事を期待してはおられなかった。追いかけるように『あなたの子孫はこのようになる』と言われた。

突然、十年以上も半信半疑だったこと、つい先ほどまで受け入れがたかったことが、すっとお腹に入った。ああ、ほんとうに、わたしの身から出る者がこのようになるのですね。信じます!感謝します!そのとき、アブラハムの全身は体感できるほどあたたかい神の愛に包まれていたと想像する。(続きます)

  書き始めたらついつい長くなってしまいました。
  まもなく終わりますのでご辛抱ください。
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聖書の風から みことばのしずく《さあ、天を見上げなさい》その2

12章でアブラハムは神様からの呼びかけに応答して、妻のサライと甥のロトをつれて、神様の《示す地》、今のパレスチナ、聖書によればカナンの地へ移住していった。彼は農耕民ではなく遊牧民である。一所に定住することはしなかった。
13章ではアブラハムは甥のロト一族と別れることになる。ロトはあの悪徳の町ソドムとゴモラの近くの低地へ移動した。
14章では、カナンの王たちが二つに分れて戦争をし、ロトの家族がエラムの王ケドラルオメル等に連れ去られてしまった。報を得たアブラハムは自分の郎党318人を引き連れて追跡し、戦いの末、ロトを救出する壮烈な出来事が記されている。
15章《さあ、天を見上げなさい》はそれらの後のことである。

アブラハムの心の奥深くにとどまるのは神様の約束である。そもそもカナンへ信仰の旅路を始めるに当たって神様は『あなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるにしよう』と明言なさったのだ。75歳の時だ。アブラハムは祝福だけを目当て神様に従ったのではないだろうが、神様が言われたことだから必ずそのようになっていくと信じていたに違いない。

15章《さあ、天を見上げなさい》までにどのくらいの年月が経ったのか正確には記されてはいない。しかし憶測できる資料がある。次の16章では86歳のアブラハムが妻サライの女奴隷ハガルに子どもを産ませていることから、15章のアブラハムは85歳ではなかったと思っている。約束を信じてスタートしてから10年経っていたと言える。

10年間、アブラハムは信仰的にも道徳的にも実に正しく生きてきた。甥のロトに対しては年長者としての当然の権利を捨てて彼の利益を優先させ、また命を投げ出すほど愛を注いだ。神様の約束を固く胸に秘めて黙々と従ってきた。でも、大いなる国民どころか、子ども一人持つことができないでいる。カナンに入ってもまだ一坪の所有地もない。しがない流浪の民に過ぎない。いつ周辺の部族に襲撃されて皆殺しに遭わないとも限らない。アブラハムの苦悩は深く、恐れは大きかったに違いない。

その心中を見透かすように神は声をかける。『アブラハムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾である、あなたの受ける報いは非常に大きい』と。アブラハムはうれしかっただろうか。それとも、ああ、主よ、また約束手形ですか…。と言わなかっただろうか。聖書では、あなたは私に子どもをくださいません。私の跡継ぎは親類のものがなるのでしょうか。それとも家の奴隷の一人がなるのでしょうかと言っている。精一杯の抗議のようにも聞こえる。それは身を捩るほどの悲痛な叫びではなかったか。

神様はすぐに『それらの人があなたの跡を継いではならない。ただ、あなた自身から生まれ出てくる者があなたの跡を継がなければならない』と断言する。その時彼の脳裏を、75歳の老妻サライの皺深い顔が浮かんだか、それはわからないが、神様のおことばとは言え、受け入れがたいものがあったに違いない。

神様はまたもやそんなアブラハムの心中を手に取るようにご存じだったに違いない。アブラハムを外に連れ出したのである。《外に連れ出した》とは意味深い。視界の狭い家の中にいて、じっと考え込んでばかりいても、堂々巡りするばかりということがよくある。だからであろう、神様は外に連れ出したのである。時は夜。空には無数の星が瞬きいていた。
外に連れ出した神様は開口一番『さあ、天を見上げなさい』と言われた。アブラハムは物言う暇もなく言われたとおりにした。

アブラハムの物語はここが一つのクライマックスである。天を見上げる単純な行為が、その後、神様の大いなる真理を、後のことばで言えば福音の原点を生み出す糸口になるのだ。
『さあ、天を見上げなさい』と促す神様は一体なにを見せようとするのだろうか。アブラハムは何を見て、何を思ったのか。それを通して神様は私たちに何を語ろうとしておられるのだろうか。(続きにします)











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聖書の風から みことばのしずく《さあ、天を見上げなさい》その1
なばなの里

なんといっても創世記最大の有名人はアブラハム。彼は《信仰の父》と呼ばれる。このところ、彼に向かっていままでになく思いが伸びていく。そのうちに姿代わりをしたアブラハムが見えてきた。いや、そうではないだろう。聖書の中のアブラハムが変身するはずはない。彼を見る私の目が変わったのだ。

今まではある角度からしか見ていなかった。だが、一面だけでなく、横顔や、後ろ姿が見えてきた。彼への理解と親愛の情が以前より少しばかり深まってきたと思うのだ。深く研究したからではない。たくさんの本を読んだからでもない。名講義や名説教を聞いたからでもない。もちろんそうした外側からの影響もあるだろう。自力です、などと傲慢不遜なことを言うつもりはない。あるとすれば、一年ごとの加齢、登り行く老いの坂道が、語りかけてくるのことが大きな原因だと思う。

私は今、アブラハムのことを、《私のアブラハム》、《アブラハムを愛して》と表現したいとさえ思う。自分ながら興味深いことだと思っている。アブラハムは長い間私には近づきがたい偉人であったから。

振り返れば、アブラハムは私が教会へ行き始めた幼い日に、最初に出会った人物だった。教会の老牧師は、いつもいつもアブラハムを語った。おはこの説教だった。
必ず創世記12章1節が開かれた。
『あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、私が示す地へ行きなさい。そうすればわたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるにしよう』

アブラハムは神に従って《行き先を知らずして》出ていった、信仰とは神に絶対服従することだと師は力説した。続いてアブラハムがひとり子イサクをささげる箇所が開かれた。ここでも問答無用、絶対服従が説かれた。そして老牧師はご自身の献身の顛末を語った。それは現代のアブラハムであった。生まれ故郷を捨て、全財産を捨て、それまでの社会的な高位をかなぐり捨てての献身であった。

アブラハムも、先生も、私にとっては巨人であった。手の届かない雲の上の超人であった。すばらしい模範だった。彼らの後に従おうと懸命に信仰に励んだ。
若い日に、こうした教えと訓練を受けたことを、私は生涯の宝だと思って深く感謝している。しかし、アブラハムは依然として遠い人であった。

アブラハムは75歳で信仰を持ち、175歳で亡くなった。その間100年、神様に従い通した。何と長い歳月だろう。100年間も従順に信仰生活を継続したのだ。気の遠くなるような歳月ではないか。
しかし、最近になって気がついた。私も信仰生活が50年を過ぎたのだ。アブラハムの半分を行ったのだ。それがわかったとき、不敬虔かも知れないが「アブラハムさん」と親しみを込めて声をかけたくなった。「あなたの信仰のあかしを聞かせてください」とかたわらに座したくなった。

アブラハム物語は創世記12章から25章8節まで延々と続く。一つ一つの文章の主語は三人称のアブラハム(16章まではアブラム)である。第3者が語っているのだ。単純に正確にアブラハムの信仰生涯が語られている。それを読んでいくのであるが、ふと、アブラハム自身が顔を覗かせて、「そのときわしは…」「そこでわしは…」とか、「あの時の神は…」「神とわしは…」などと、語っているような気配を感じる。そうして読んでいると、物語がお腹の奥にまでじんじんとしみ込んでくる。アブラハムといっしょに現場にいるような気がしてくる。
15章5節『さあ、天を見上げなさい』との神様のお声をアブラハムといっしょに聞いている自分がいる。アブラハムと共に満天の星空を見上げる自分がいる。(つづく)
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日々の風から 冬ごもりは読書がいい
21日の大寒にはまだ日があるが、昨日、今日の寒さは底に来ているのではないか。昨夕から外出する気がしない。じっと家にいる。成人の日で休日だから交通量も少なく、時が緩やかに過ぎていく。いつのまにかユックリズムの波の背にいる。
 
無理に思い詰めるのではないが、昨今係わっているひとつひとつが浮かんでくる。その係わり方を吟味してみる。今の椅子に座り続けていていいのか、引き際はいつがいいのか。会社ではないから、確たる規約もないし、露骨な肩叩きもない。それだけにすべては自己責任にかかっている。年齢で考えようか、それとも担当している役割の状況次第にするべきかなどなどが、群雲のように消えたり浮かんだりする。
その間に、読みかけの本を取り出す。私は並行読書。いつも3,4冊は開いている。そして、そのときの心が欲したものを取り上げる。今日はこの1,2年、ほんとうに気が向いたときに開く『子規句集』(高浜虚子選 岩波文庫)を繰った。

冬ごもりの句を拾ってみる。明治28年の作品である。(寒山落木 巻四より)

冬籠
 冬ごもり世間の音を聞いている

 冬ごもり顔も洗わず書に対す

 雲のぞく障子の穴や冬ごもり

 琴の音の聞えてゆかし冬籠

人病んでせんかたなさの冬ごもり

冬籠書斎の掃除無用なり
 
 黙して味わうのみ。子規は好きである。その生涯が身にしみる。
 
 

 
 

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