人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

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日々の風から 2007年よ さようなら
ようやくパソコンを開いたら早や11時過ぎ。さすがに人使いの荒い大晦日です、一日中、目一杯こき使われました。年越しそばの準備は私の恒例行事です。必ずエビの天ぷらを揚げます。今までエビ嫌いだったMちゃんが食べたのにはびっくりしました。長女担当のクリきんとんが明日を待たずに登場し、すでにお正月気分です。

2007年365日が今日で過ぎ去るのだと思うと、やはり一抹の感傷感に襲われます。ダイアリーを繰ってみたり、いただいた手紙やカードを眺めてみたり、身辺のあれこれを思い出してみたりと、ふだんはしないことをしたくなります。

そして、今年もブログやミクシイで多くの方々とすばらしい交流をいただきました。たくさんの記事を拝見し、また、読んでいただきました。刺激いっぱいの一年でした。ありがとうございました。
来る年も、どうぞよろしくお願いします。


わがたましいよ。 主をほめたたえよ。
 主のよくしてくださったことを 何一つ忘れるな』詩篇103篇






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日々の風から 今年最後のショック
3週間ぶりに友人たちに会ったところ、一人の兄弟が開口一番「ふっくらしましたね」と、いうではないか。あいさつ代わりにあっさりとではあるが、私にとっては何よりも恐ろしい刃を突きつけられた気分だ。
「えっ…」次のことばが出ない。とっさに両手が頬を押さえている。超スピードで頭の中に走るものがある。クリスマスで何かと食べ過ぎた、特にスイーツ類を… 孫たちと3食しっかり食べているからだ…運動不足だ… などなど。

ショックを押さえきれなくて、次の部屋にいる姉妹に告げてみた。「あら、お顔は変わりませんよ。でもお身体がふっくらしたかしら」と返ってきた。
まっ、それでは全体的にということではないか。ますますショックは大きい。

それでなくても丸顔に生まれついた。一度もやせたことはない。食べた量がすぐに体重に現れる。やっかいな体質、体型である。標準の数値ぎりぎりを保持することに並々ならぬ?努力をしているつもり。でも、ちょっと油断すると直線は大喜びで右上に駆け登る。

まだお正月がある。でも、この時期にいわれてよかった。意識しよう。明日からダイエット、は禁句にしよう。今日から気をつけよう、そう言い聞かせた。


今日は越年感謝礼拝、今年最後の礼拝である。振り返れば、今年の元旦礼拝から始まって、52回の日曜日すべての礼拝に出席できた。なんども危機があったけれど欠席せずに済んだ。木曜夜の祈祷会は1回欠席した記憶がある。

もし、家族にいのちに係わることがあって時間をとられていたら、礼拝も祈祷会もパスせざるを得ないだろう。自分の体調に異変があったら欠席するだろう。そうした事態に遭うことがなかったのは何という感謝であろうか。どんなに大きな力と愛で守られてきたか、改めて実感するばかりである。
『御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう』ヨハネの手紙第一・3章1節









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日々の風から 車中で読書
母が2泊で今年最後のショートステイに出かけました。この間に外出の用事をいくつか済ませなければなりません。長女と孫たちは教会の祈祷会へ朝早くから出かけてしまいました。彼らとはまだ一度もいっしょに外出していません。クリスマスプレゼントの交換もまだです。夕方どこかで落ち合おうと話がまとまりました。

用事を済ませて、さて、長女たちと会うまでには1時間あまりもあります。母が在宅ならばどうしたって家に戻るのですが、今日はその必要もありません。と言って、町を歩き続けるのは疲れるし、ひとりでコーヒー店にいるのも所在ない…。

そこで乗ったJRから降りないことにしました。時間を計りながら適当なところでUターンすることにして、端の方に座を占めて、やおら本を開きました。これは結構な読書環境ではないかと、内心笑みを浮かべて、時間つぶしにかかりました。時々睡魔と交わりつつ、公共の場のなかの私だけの空間を満喫?しました。

車中読書は決して新しいことではありませんが、私には日常の移動で、読書できるほど乗っていることはあまりありません。一番よく使うお茶の水までも、わずか10分足らずです。それに、座れることはめったにありません。ですから、本は持って出るものの開かず終いが多いのです。

Uターンしていると携帯が鳴って、メールでなく電話です。気にしていた友人からです。飛び降りたのが東京駅でびっくり。ホームからかけ直し、なんと20分話し続けました。友人の問題は神様のお導きで進展があり、どうやら一件落着のようで感謝でした。

長女たちに会えて、最近話題のモールへ入りました。東京、有楽町周辺はめまぐるしく様変わりしています。いつの間にこんなところが出来たのかしらと、驚くばかりです。ちょくちょく行っているはずなのに、浦島太郎感覚に陥ってしまいます。変化のスピードにあわせる必要もありませんが、時代の風を肌に感じるのも悪くありません。
決して希望の風ではありませんが…。




日々の風から comments(4) -
日々の風から 三度サンタがやってきた
プレゼント

今度のサンタは宅配便のお兄さん。午前10時にやってきて段ボールをおいて飛ぶように立ち去りました。次女からのものでした。ちょうど長女家族が滞在しいていますから、甥や姪や義兄まで、ひとりひとりにカードを添えた袋が詰まっていました。早速リボンをほどいてプレゼントを手にし大喜びをしました。私のは、写真のようなクッションです。

クッションカバーが手製です。ローラーアシュレ(次女の好きなブランド)の生地で作りました、とカードにありました。ミシンかけは多忙を極める日々の中で、気分転換になるようです。

私の日常もかなりハードで動きが多いので、クッションを背にしてくつろぐ時はあまりありません。でも、上手に時間管理をし、プレゼントを活用して気分転換やリラックスタイムを心がけねばと思います。

昨晩の燭火礼拝を最後に、教会のクリスマス行事はすべて終了しました。この間に、たくさんの祈りをささげ、たくさんのさんびをし、いくつもの会食の時があり、親しい人、珍しい人のとの交流がありました。賑やかで楽しい時期を過ごしました。ああ、今年もよいクリスマスだったと、ほっと一息ですが、ふと、心探られるものが残ります。

今年はサンタが三度もやってきて私を楽しませてくれましたが、さて、私は人のためによいプレゼントをしただろうかと。今、まさにガンと壮絶な戦いをしている友が二人います。
彼らは教会に行きたくても行けない、家族とクリスマスを祝うこともできない状態です。
また、昨今、がんを宣告されて、手術を待っている友がいまいす。肉親を亡くしたばかりの友がいます。家業が不振になって、早朝からパートに出始めた友がいます。それらの方々に何かできることがあるはずです。何もしていない自分を恥じたのでした。

イエス・キリストのご生涯を思います。旅先の飼葉おけに生まれ、十字架の上で死んだ神の御子は何のためにそうしたのかと、あらためて思います。自分のいのちさえ惜しまずに与え尽くしたその生き方を、死に方を思います。師に倣わなくて何の弟子でしょう。
救われて52年、献身の生涯を望みながら、その小ささ貧しさに深く頭を垂れるばかりです。


『彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。
だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。 
彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。
しかし、【主】は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。 彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない』イザヤ書53章より



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日々の風から 二度目のサンタは真昼に来訪
サンタクロースは二度も来るものでしょうか。そんなジョークをいいたいほどうれしい訪れがありました。来たのです、孫たちが。私にとってこれ以上のサンタはなく、これ以上のプレゼントもありません。

冬休みに入ったので長女家族がクリスマスとお正月をするために上京しました。今回は車です。一度大渋滞にあってからは、車はこりごりと言っていました。夏休みの時は、荷物は宅配にしましたが、今回は一切合切積み込んでやってきました。時間帯を工夫した効果で、四日市から東京まで300余キロを5時間弱ですんだのです。感謝でした。

今朝は早々に自分たちの所属教会へ出かけていきました。東京の西部ですので雨が雪になりはしないかと心配しましたが、無事に行きました。

今日23日はどこの教会もクリスマス礼拝です。4本のアドベンツクランツが赤々と燃えて、待ちに待ったクリスマスです。お互いに、メリークリスマス!とあいさつを交わして、私たちもいつもより興奮しています。いつもよりおしゃれもしました。クリスマスカードを交換したり、特に親しい方々とは小さなプレゼントをいただいたり、贈ったりしました。

礼拝の中で、夏以来ずっと練習してきた《ハレルヤコーラス》を披露しました。総勢20人弱ですが、どうやら大きなミスもなく歌い遂げられたようです。いい気分でした。

午後、牧師夫妻が母を訪ねてくださいました。いっしょに賛美歌を歌い、お祈りをしました。そのあと、一人の姉妹がカードを持って訪ねてくださり、ひとしきり母に話しかけてくれました。母にはよい刺激にもなって感謝でした。

続いて明日24日は夕方から恒例のキャンドルサービス礼拝です。ティータイムもありますので、そのために夕方から受け持ち分のケーキを焼きました。さすがに足腰が痛くなりました。快い疲れといえます。

思えばこうして一年一年を過ごして、もう52回のクリスマスを数えたことになります。その間にはいくつもの人生の嵐に遭遇しましたが、不思議に一度もクリスマスを逃したことはありませんでした。つくづくと力強い神さまのみふところに抱かれ続けてきたのだなあと実感します。一年毎にクリスマスの味が芳醇度を増していきます。


『ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる』イザヤ9章6節
 





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日々の風から サンタは夕方やってくる
本の表紙

昨日夕方、印刷屋さんが出来立ての湯気の立っているような、ふわふわの本を届けてくれました。正にサンタクロースがきたのです。イエス様のお使いです。こんな事ってあるのでしょうか。
心にあった童話の本の出版、でも、夢でした。ところが導かれて、あっという間に出来あがりました。ほんとうに、サンタからの、いや、イエス様からのプレゼントとしか思えません。冬至のいちばん短い日足が沈む夕方に、サンタはやってきたのでした。

今回の本には【童話を愛して 創作童話集】と名を付けました。A5版にしましたので、ワイドです。聖書に由来したものやクリスマスにちなんだ童話を収めました。
著者の欲ですが、多くの方に読んでいただきたいと思います。お心が動きましたらご注文ください。
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昨日の風から クリスマスに想う その6 あふれるクリスマスミュージック
この時期、町中のいたるところから賛美歌やクリスマスミュージックが聞こえてきます。スーパーはもちろん、駅ビルも、小さなショップもみんな、きよしこの夜やジングルベルです。レパートリーも増えました。教会以外でこんなにもクリスマスの歌が、聖書の世界が、堂々と歌われるのは実に喜ばしいことです。もれ聞こえる賛美歌に惹かれて教会へ入っていった人たちは数知れません。そのまま教会にとどまり続けた人たちはおおぜいいます。
 以前に書いたエッセーを載せます。
歌が生まれるクリスマス  
 
賛美歌『きよしこの夜』を知らない人はいない。この歌の誕生物語もまた有名である。歌は、オーストリヤの北西、オーベンドルフの寒村にある小さな教会で生まれた。
 時は二〇〇年ほど前の雪深い夜のこと、予想外のことが起きてムーア先生はあわてていた。明日はクリスマス・イブだというのにオルガンが鳴らないのだ。もう、修理はまにあわない。ムーア先生は音楽教師のグルーバーを呼ぶと、昨夜作ったばかりの詩を広げた。霊想満ちる詩であった。グルーバーはギターを抱くと、まるで旧知の曲のように爪弾いた。
 こうして、不朽の名曲は沈黙のオルガンのかたわらで産声をあげた。
 ご降誕に相前後して、二千年前のユダヤには三つの賛美が生まれている。
 第一は言うまでもなくマリヤの賛歌(マグニフィカート)である。乙女マリヤは、天使ガブリエルの受胎告知に信仰の従順で応答した。
 が、単身逃げるようにしてナザレを旅立つ。ユダの山里を目指して。親類の老女、祭司ザカリヤの妻エリサベツに会うためであった。エリサベツはつい六ヶ月前、奇跡的に子を宿した。マリヤは救い主の母になるという未曾有の大役に不安とおそれを覚えていたのかもしれなかった。
 ところが祭司夫人は『私の主の母がこられるとは、なんということでしょう。胎内で子どもが喜んでおどりました』と感嘆の声をあげて若き田舎娘マリヤを抱きしめた。謙遜と柔和が匂いたつような歓迎ぶりにマリヤの張りつめた心がやわらかくなった。なによりも命を宿す女性の豊かさと美しさに胸がふるえた。
 ふいに歓喜が吹き上げて、マリヤは高らかに歌声をあげた。
   わがたましいは主をあがめ
   わが霊は、救い主なる神を喜びたたえます。
 こうして、不滅の賛美はエリサベツの笑みのかたわらで誕生した。
歌声は老祭司ザカリヤにも聞こえたであろう。老いた妻の懐妊が信じられなくて、神から口を閉ざされ、深い沈黙の中にいたのだ。
愛息が生まれると、たちまち唇は解け、ザカリヤはマリヤに劣らず歌いにうたった。後世、ドミニクスと呼ばれる二つ目のクリスマス賛歌である。
三つ目は、赤子イエスが産声をあげ、飼葉おけにねむるころ、ベツレヘム郊外の野原に野宿する羊飼いたちが聞いた、天使の歌声グローリヤである。世の底辺を這うように生きていた彼らは、星々のささやきにまさる天群のコーラスに歓喜した。彼らはそろってご降誕の現場に駆けつけた。
三つの賛歌はイエス様の子守歌になったにちがいない。


今年のクリスマスには、信仰の先人たちにならって新しい歌をうたいたい。
世の理不尽な沈黙やわが心の闇を裂く、新しい歌をうたいたい。 








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昨日の風から クリスマスに想う その5 ベツレヘム通りの人々
新約聖書の2番目『ルカの福音書』には、イエス・キリストご降誕のいきさつが詳しく美しく書かれています。感動せずにはいられません。マリヤとヨセフが、住民登録のためにナザレから100キロあまりの旅をして、はるかベツレヘムに到着し、宿を探す場面は映像を見ているようにリアルです。古来小説にエッセーに劇に、絵画に音楽にと、あらゆるジャンルで作品が作られてきました私も、まねごとをして楽しんでいます。朗読劇を書いてみました。昨年3カ所ほどで使われました。読んでいただけたら幸いです


降誕劇  ベツレヘム通りの人々        

 (音楽が流れる中で、ナレーターが語り出す)
マリヤとヨセフはようやくベツレヘムの町にたどり着きました。ロバの背に揺られるマリヤも手綱を取るヨセフにも、疲労の色が濃くにじみ出ています。
 日が傾いて、黄昏の空は刻一刻と暗さを増し、早くも冷え冷えとした夜風が吹き始めました。
 二人は町の中央広場を抜け、役所の前を通り、メインストリートを上っていきます。両側は名を誇る旅館や店舗が建て込み、競い合うようにあかあかと灯をともしています。道は緩い上り坂。ロバが荒い息を吐いています。(音楽止める)

ヨセフ はやく宿を決めよう。長い旅だったね。さぞ疲れたろう。
マリヤ いいえ、あなたこそ私を気遣ってお疲れでしょう。
 
 ヨセフはぐるりと辺りを見回し、一番豪壮な建物に入って行きました。

ヨセフ 宿泊したいのですが、できるだけよい部屋をお願いします。
従業員 (慇懃に)お名前は?ただいま予約リストをお調べします。
ヨセフ 予約はしていませんが、泊めていただけないでしょうか。
従業員 (じろじろとヨセフを見ると急に態度を崩して、声高に)無理だね。うちをどこだと思っているのかね。ここは迎賓館だよ。国の偉い方や祭司長の皆様のお宿さ。おや、ガリラヤなまりだね。世間様を知らないね。
ヨセフ 私はナザレのヨセフと言いますが、ダビデ王の子孫で…
従業員 もうたくさんだよ。ダビデの子孫など掃いて捨てるほどいるってことくらいわかってるだろう。ま、よそを探すんだね。
数人の従業員たち口々に ダビデの子孫だってさ、アハハハハ

 ヨセフは憮然としてマリヤのそばに戻りました。

マリヤ こんな立派なところは私たちには不釣り合いですわ。
ヨセフ マリヤ。君のお腹にいる赤ちゃんはこの世のどんな王も比較できない、王の王、主の主だよ。全世界の救い主だよ。そのお方が泊まるところだもの、迎賓館どころか宮殿でもいいはずだ。
マリヤ そうですね、でもヨセフ、イエスはこの世の王として生まれるのではないでしょう。金や銀のきらめきを喜ぶでしょうか。私のような貧しい田舎娘を母に選んだお方ですよ。
ヨセフ おお、そうだった。私のような田舎大工を父に選んだお方だった。
天の神よ、おろかな我を赦したまえ。
 
ヨセフは天を仰いで祈ると、ふたたびロバの手綱を取りました。すこしずつ道
幅が狭くなり、両側の建物も低く、小さくなっていきます。

ヨセフ このあたりで探してみよう。
おや、マリヤ、苦しそうだが、もしや……
マリヤ ときどきお腹が張ってきます。お産の前触れだと聞かされています。でもまだ大丈夫です。
ヨセフ そりゃたいへんだ。待っておいで。こんどこそ宿を決めるからね。

 ヨセフは一件の建物に入っていきました。と、マリヤの耳に甲高い女性の声がき
こえてきました。

宿の女主人 無理ですよ。急に泊まらせろと言われても。あなたもよくわかってるでしょう、町は住民登録の人であふれているのですよ。いまごろ空いているところなんてありゃしませんよ。男の方一人なら相部屋もできますが、奥さんとご一緒じゃねえ。ごめんなさいよ。

 ヨセフは向かい側の一件にも入っていきました。

宿の亭主 無理、無理。超満員だよ。家族の部屋さえ使っている有様だよ。もう数日早かったら何とかなったのになあ。役所の手続きもいっこうにはかどらなくて滞在が長引いているのさ。みんないらいらしているんだ。

 ヨセフはさらに数箇所あたりましたが、全部断られてしまいました。

ヨセフ これは困ったことになった。マリヤ、具合はどうかね。もう少し先に行ってみよう。
マリヤ どんなところでもいいのですけれど…。きっとどこかイエスが生まれるのに一番ふさわしい場所がありますよ。神さまが用意してくださっていると信じます。
ヨセフ そうだとも。最高の場所があるよ。神に期待しよう。

 ヨセフは気を取り直してまた一軒の入り口に立ちました。辺りは家々の明かりも
まばらになり、通りには闇が漂っています。

主人  なに? 泊めてほしいだって? 道々断られて、ここまできたんだろう。当然だよ。今のこの町の事情を知っているだろう。
妻   おあいにくさま。うちは一見(いちげん)さんはとらないのよ。こう見えても迎賓館の別館ですからね。
主人  奥さんの出産が始まりそうだって。ますます泊められないね。
    (声を落として)でも、この先には宿はもう一軒もないよ…
妻   お産ですって。なんでまたこんな時に、間の悪いこと。この忙しいのにと
でもないことだわ。
(小さな声になって)わるいけど…泊めるわけにはいかないわ。
 

ヨセフは無言で出てくると、手綱をきつく握って歩き出しました。この先には宿はないとわかっていても引き返すわけには行きません。あたりはさらに暗くなり、道は凹凸が多くなり、ロバの一足一足にマリヤの体が大きく揺れました。
 さて、迎賓館別館では夫婦の話が続いています。

妻  (泣き声で)あなた、わたしたち、ひどいことをしたんじゃないかしら。出産間際の人を追い返してしまって。
主人 うーん。実を言うと、あの男の顔は気の毒で見ていられなかった。なんだか胸がズキンズキンしてたまらんよ。
妻  迎賓館別館だなんて、とんでもないうそをついてしまったわ。恥ずかしいわ。針で刺されたようにちくちくと胸が痛むわ。
主人 わたしはとっさに計算してしまった。お金が取れるような客じゃないってね。わたしはいつもいつも商売のことばかり考えてしまう。
妻  ああ、私って、冷たい女だわ。
主人 そう、わたしもだ。冷たい男だよ。
妻  わたしには愛がないのよ。思いやりがないんだわ。神さまに申し訳ない。
主人 そう、わたしも愛がない。神にお詫びをしなくてはいけない。
妻  あなた、あの二人、どこまで行ったでしょう。
夫  先に進んでいったようだけど、この道は崖下のヤコブの家でおしまいだ。ヤコブの家は町で一番貧乏だから、人など泊められないよ。一部屋で家族中が暮らしている。あとは家畜小屋だけだ。
妻  様子を見に行きましょうよ。
夫  次第によってはうちに泊まってもらおう。

 宿の夫婦はいそいで通りに出ました。そこへ数人の人たちが急ぎ足で近づいてきます。みんなヨセフを断った人たちでした。

男1 わたしは高飛車に追い出してしまったんだが、悪いことをしてしまった。心が責められてたまらなくなって、探しにきたんだ。
女1 私もけんもほろろに追い返したの。そしたら、急に胸が締め付けられるように苦しくなってしまった。ひどいことをしてしまったわ。あの人たちはどこでしょう。
男2 わしも心が騒いでたまらなくなった。神に赦しを乞いながら出てきた。
男3 旅人をもてなしなさいとは我らの神の大切な戒めではないか。知っていながら、情けのないことをしてしまった。
 
数人の男女は口々に反省し悔いながら、マリヤとヨセフを探して坂道を上ってい
きます。
 

さて、ベツレヘムの町から拒否され、どこにも泊まるところの無いマリヤと
ヨセフはどうしたでしょう。この答えは教会学校の生徒たちなら全員正解でしょ
うね。そうです。家畜小屋に泊まることができました。
町はずれに住む一番貧しい家族が、全員で歓迎し、こんなところですがと、申し
訳なさそうに言いながら案内してくれたのでした。

マリヤ ヨセフ、神さまはちゃーんとよい場所を用意してくださったのですね。
    暖かい人たちの心と、この静かさがイエスにはいちばんでしょう。
ヨセフ よかった、よかった。ほっとしたよ。でも、一時は不安になってしまった。このままじゃ、野宿しかない。それではイエスや君に申し訳ないと思ってね。
マリヤ わたしも不安でしたわ。ふっと、かすかに、神さまを疑ってしまいました。
ヨセフ わたしもだ。神に怒りを抱いてしまった。こんなに大きな使命を果たそうとしているのに、なぜ部屋ひとつくらい用意してくださらないのだろうと。
マリヤ 受胎を告知されたとき、『わたしは主のはしためです。おことば通りこの身になりますように』と明け渡したのに…、不信仰でした。
ヨセフ 『神にはなんでもできないことはない』と頭ではわかっていても、不本意なことがあると、すぐ不信仰になってしまう。私は罪深い人間だ。

 マリヤとヨセフは頭(こうべ)を垂れて祈り始めました。
 マリヤの出産がはじまりました。

そのころ、ベツレヘム通りの人々は家畜小屋の近くまで近づいていました。

(人々が口々に)
* 空を見てください。見たこともない大きな星が光っていますよ!
* ほんとだ。なんと大きな星だろう。明るくて太陽のようだ。
* あっ、星が動いている。下にむかって降りて来ている。
* 光がますます強くなって、まぶしいですね。
* あっ、家畜小屋の真上で止まった!。
* わかった。小屋の中にあの旅人たちがいるに違いない。
* きっとそうです。そうです。
* みなさん、あのふたりは特別な方々かもしれませんね。
* そう思います。神さまのお使いかもしれません。
 
そのとき、ずっとはるか上空では、小さな星々が申し合わせたようにいっせいにちかちかと揺れながら光りはじめました。その光のあいだから、こぼれるように天使たちの歌声が響いてきました。ベツレヘムの町は光と歌声のなかに包み込まれていきました。
家畜小屋のまわりでは、ベツレヘム通りの人々がきよい厳かな気持ちにあふれ、全員が手を組み合わせてお祈りをしていました。
 そして、家畜小屋の中では、生まれたばかりのイエス様を囲んで、マリヤとヨセフが感謝のお祈りをささげていました。
 
    賛美歌114番の1節と4節を全員で歌う。
 
            おわり





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日々の風から 忙中の閑を見つけて
師も走り、クリスチャンも駆け回るこの12月ですが、よく見ると小さな閑があちらこちらに散らばっています。年をとって歩調がスローになったので見えてきたのでしょうか。

窓越しに見える銀杏の街路樹が黄色に変わっていく様を、日になんども眺めます。木枯らしにちぎれ飛ぶ雲のゆくえに視線を馳せることもあります。公園の落ち葉の中にわざわざ踏み込んでいったり、買い物のついでお花屋さんの前に足を止めて、鉢物や切り花を眺めたりします。そうすると、不思議に心身が軽くなるのを感じます。緊張が解きほぐれていくのです。

いつもこんなにも張りつめているかと、愚かしくなってきます。何にこだわり、何を心配し、何に煩悶しているのか、一つ一つ実態をあげることはできないけれど、いつも何かに絡みつかれて、心身の自由を奪われているのです。これが人生というもの、生きることだとしたら、どこか間違っていると思うのです。

『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげます』イエス・キリストのやさしいお声が聞こえます。
忙中の閑のなかに聞こえてくるのです。忙殺されているときは聞こえないのです。自分で自分の目を覆い、耳を塞いでいるのでしょう。

あの日、マリヤとヨセフはベツレヘムの町で宿泊するところを探していました。ところが一軒残らず断られていまいました。宿屋の主人たちは目の前の忙しさにあわてふためいて、マリヤのお腹に神の御子が宿っているのを見分けられませんでした。見えていたら、先客を立ち退かせてもスイートルームにお通ししたでしょうに。

いよいよ来週はアドベント満ちてクリスマス礼拝です。忙中の閑をみつけて、主のみこえを聞き分け、神の御子を我が心のゴールデン・シートにお迎えしたいものです。
日々の風から comments(4) -
日々の風から クリスマスに想う その4 みことばによるクリスマス・ページェント


アドベント(待降節)の日々は、聖書の中のクリスマスにちなむ箇所をよく読みます。あちらこちらのクリスマス集会でも同じような場所が開かれます。そこで、集めてみました。これらの箇所を朗読して、その合間に、これもお馴染みのクリスマスの賛美歌を歌うと、一つのクリスマスの催し物になります。聖書箇所を抜き書きしてみます。

聖書の引用によるクリスマスページェント
《その方(イエス・キリスト)は恵みとまことに満ちておられた》

待降の預言
イザヤ7章14節
それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。

イザヤ書9章6節、7節
ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。

マリヤへの受胎告知
ルカの福音書1章26節〜38節
ところで、その六か月目に、御使いガブリエルが、神から遣わされてガリラヤのナザレという町のひとりの処女のところに来た。
この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリヤといった。
御使いは、はいって来ると、マリヤに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」
しかし、マリヤはこのことばに、ひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。
すると御使いが言った。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。
その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。
彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」
そこで、マリヤは御使いに言った。「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」
御使いは答えて言った。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。ご覧なさい。あなたの親類のエリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女といわれていた人なのに、今はもう六か月です。神にとって不可能なことは一つもありません。」
マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。
ユダの山地 マリヤとエリサベツ
ルカの福音書1章39節〜45節
そのころ、マリヤは立って、山地にあるユダの町に急いだ。
そしてザカリヤの家に行って、エリサベツにあいさつした。
エリサベツがマリヤのあいさつを聞いたとき、子が胎内でおどり、エリサベツは聖霊に満たされた。
そして大声をあげて言った。「あなたは女の中の祝福された方。あなたの胎の実も祝福されています。私の主の母が私のところに来られるとは、何ということでしょう。
ほんとうに、あなたのあいさつの声が私の耳にはいったとき、私の胎内で子どもが喜んでおどりました。によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。」

降誕 ベツレヘムの夜 
ルカの福音書2章1節〜7節
そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。
これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。
それで、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った。
ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。
ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。

天使の合唱と羊飼いの礼拝 
ルカの福音書2章8節〜18節
さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。
すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。
きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」
すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して言った。
「いと高き所に、栄光が、神にあるように。
地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」
御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合った。「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。」
そして急いで行って、マリヤとヨセフと、飼葉おけに寝ておられるみどりごとを捜し当てた。
それを見たとき、羊飼いたちは、この幼子について告げられたことを知らせた。
それを聞いた人たちはみな、羊飼いの話したことに驚いた。

東方の博士たちの礼拝 
マタイの福音書2章1節〜11節
イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。
「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」
それを聞いて、ヘロデ王は恐れ惑った。エルサレム中の人も王と同様であった。
そこで、王は、民の祭司長たち、学者たちをみな集めて、キリストはどこで生まれるのかと問いただした。
彼らは王に言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれているからです。
『ユダの地、ベツレヘム。あなたはユダを治める者たちの中で、決して一番小さくはない。わたしの民イスラエルを治める支配者が、あなたから出るのだから。』」
そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、彼らから星の出現の時間を突き止めた。
そして、こう言って彼らをベツレヘムに送った。「行って幼子のことを詳しく調べ、わかったら知らせてもらいたい。私も行って拝むから。」
彼らは王の言ったことを聞いて出かけた。すると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。
その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。
そしてその家にはいって、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。

インマヌエルの主イエス・キリスト
ヨハネの福音書1章14節
ことばは人となって、私たちのあいだに住まわれた。
私たちはこの方の栄光をみた。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。
この方は恵みとまことに満ちておられた。


クリスチャンの方もそうでない方もこの時期ですから、聖書のみことばを味わっていただけたらと願います。
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