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2023.08.01 Tuesday
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日々の風から クリスマス集会のスタート
昨年の今日のブログの最後にはこんな事が書いてありました。 今日は霜月11月の晦日。夕方、曇り空が切れて、西の空がほのかに赤く染まり、東上空には月齢何日になるのでしょうか、半月ほどの月がくっきりとかかっていました。時刻は4時半を過ぎたばかり。なんと日足の短いことでしょう。 いざ、明日からは12月、クリスマスの月に入ります。クリスチャン走るの月です。大いに走って走って、ベツレヘムまで走る心意気で、御子イエス・キリストのご降誕をお祝いしようではありませんか。 笑いたくなりました、ほとんど同じことを考えていましたので。天気だけは昨年とは全く違って時々地面が濡れていて雨模様ですが。でも、さして冷たい雨ではありません。でも、これを時雨というのでしょうか。今は暖冬時代なのか、身をすくめるような冷たさや、かじかんだ手に息を吹きかけるような寒気はありません。 それはさておき、いよいよクリスマスシーズンです。まず明日は教会の婦人クリスマス会。教会のクリスマス行事としてはトップバッターです。例年、講演会とそれに続いてティーパーティーをしてお祝いします。今年は区内の子育て施設の長をお招きしています。どんなお話が聞けるか楽しみです。 それに続くティータイムも楽しみです。それぞれが持参した自慢の?お料理がテーブルいっぱいに並べられます。ご飯もの、おかずもの、それにスイーツ類が彩りよくバランスよく登場します。何が出てくるか、興味津々です。かく言う私は、もうひとりの姉妹とケーキ盛り合わせの合作です。これは婦人会からの依頼。40人分は必要です。いつごろからかスイーツ専門となり、他のお料理を出せないでいます。ま、それもいいでしょう。 この時期は聖書にあるクリスマスの記事をまとめて読むことにしています。明日から始めましょう。イザヤ書の予言、マタイの福音書、ルカの福音書、それにヨハネの福音書冒頭はイエス・キリストの降誕を預言的に、歴史的に、信仰的に、さらに文学的に記述しています。忙しいときですが、みことばを味わう時間をたっぷりと持ちたいと思います。そこから詩やエッセーや童話や小説が生まれるくらいに読み込みたいと思います。 2007.11.30 Friday 23:15
日々の風から 晩秋の午後は図書館へいくのがいい
突き抜けるような青空の下を、木枯らしが吹き荒れて黄葉、紅葉を散らす午後と、冷え込んだ曇天の下を肌を刺す冷気がひそやかに木々を揺すってすぎていく夕暮れ時と、どちらが好きかと問われたら、なんと答えましょう。 どちらもすてきと言ってしまうのは、答えにならないでしょう。でも、どちらも晩秋のおもむきたっぷりで、なんとも胸かき立てら、二者択一など適用できません。 気が気でなかった仕事がようやく手を離れ、娘からもこの秋いっぱい死にも狂いで取り組んでいた大仕事がひとまず片づいたと連絡があって、この午後は肩の軽いこと、心のほころぶことといったらありません。 ここ数日なにかと手のかかった母も今朝から落ちついています。そこで、午後は本とCDの返却をしに図書館へ出かけていきました。 曇天の下を、かなり強めの風が吹き付けていました。もう、手袋も必要だと実感しながら、思わず、空いている左手をコートのポケットに入れました。帽子も合った方がいいと思いました。すっかり冬なのです。ちょっと早いのではないでしょうか。 先週、新刊の書棚にあった一冊、スザンナ タマーロの『私の声を聞いて』が思ったほど時間がかからずに読み終えたので、この際、続けて彼女の作品を読みたくなりました。 だいぶ前に、世界的に評判になった『心のおもむくままに』を読んだ記憶があるのですが、とっさに内容が思い出せません。では、これも借りていきましょうと、ハードカバーの重たい本を3冊カウンターに持っていきました。さて、さて、期日までに読めるでしょうか。 しっかり読めれば、感想もまとめたいと思いますが。 かくして、極端に短くなった午後はまたたく間に暗くなりました。まだ5時前です。おかしなもので、早くも夕飯の支度にかかってしまいます。そして、準備ができればもう、頂く他はありません。夏より2時間も早い夕食となりました。秋の夜は長い、の続きで、冬の夜も長いといえます。 さあ、夜は祈祷会です。互いのために熱心に祈り合うつもりです。明日は、1日の婦人クリスマス会の準備でケーキを焼きます。いよいよクリスマスシーズンが走り出します。 2007.11.29 Thursday 18:51
日々の風から こころ引き裂かれて
友人の牧師先生から、私もよく存じ上げている姉妹の病気を聞かされたのは、まだ一ヶ月足らずのこと。膵臓がんが見つかったそうで、早々に入院、月曜日に手術なさった。ずっとお元気で、病気の気配さえ見えない方であった。信仰もしっかりしていて、教会の模範信徒、友人も頼りにしている姉妹である。 術後の様子を聞いてみた。と、意外なお返事であった。 「すっかりまいってしまいました。ショックでねえ。開腹したけれど、広がりすぎていて取りようがない。結局そのまま閉じてしまったんですよ」 こんなことってあるのだろうか。せめて、せめて、患部だけは取り除けなかったのだろうか。抗ガン治療もなし。余命一年と宣告されたそうである。 もっとも、目覚めたばかりのご本人にはまだ真相は伝えてはいないようだ。もう少ししたらはっきり告げると、ご主人が言われたそうだ。悲痛な思いになった。 姉妹は、波乱に満ちた人生の荒波を乗りこえ乗りこえて、60代半ば。ようやく穏やかな昨今を迎えた。友人の教会にご家族で招かれて、生き生きと教会生活を楽しんでおられた。これからは、受けた神の恵みを、文章を通しいて伝えていきたいと、我がペンクラブにも出入りするようになった矢先だった。 きっと治ると私は信じている。こんなことがあってはならないと思っている。でも、当分は辛いことであろう。心が引き裂かれる思いである。 愛する大切な教会員の苦しみを前にして、友人の牧師の苦悩は大きく深い。 もっともご本人は病気のことは最初から知っており、心の準備はできている、天国信仰で、からっとしてますよと聞かされて、多少は、胸が収まるが。 祈ってくださいと、友人は悲痛な声を出している。祈りますともと、私は背中を伸ばし腰に力を入れて答えた。今私にできることは祈ることだけ。闘病の力が与えられ、いやしの業が行なわれ、なによりも平安と希望が与えられ、今年のクリスマスをお祝いできるようにと。 『わたしの名を恐れるあなたがたがには、義の太陽が上り、その翼には癒しがある』マラキ4章2節 2007.11.28 Wednesday 10:51
日々の風から 今日はブログ記念日
信越線 磯部駅 思い出しました、今日がブログ記念日であることを。これで丸2年続けたことになります。 三日坊主の性癖はないとしても、継続力だけが数少ない特技の一つだと密かに自負しつつも、よくも続けられたものよと、感慨深く思いました。とはいえ、最初のペースは持続できていません。明らかなペースダウンです。 最初はかなり大きな緊張や意気込みがありました。今はどうなのかと問われると、どう答えたらいいのでしょう。初心は決して忘れてはいませんが、感情の高揚は収まったと言っていいでしょう。 ペースダウンしたのは、怠慢ではなく、体力の低下です。言い訳けかも知れませんが。 身辺があわただしいとも言いたいのですが、これもずるい責任転嫁かもしれません。 ともかくも丸2年、書き続けることができたのは、大きな喜びであり感謝です。読んでくださる方がおられればこそ、できたのです。時に空しくなることがあります。ちょっとお休みしようかなと思うことがあります。そんな時に限って、読んでいますよ、ずっとコピーしています。友人に配っていますなどと、びっくりするような声が聞こえてくるのです。 あんな記事でも読んでくださる方がおられるのなら、その方お一人のためにも、書くぞと、力が湧いてきます。不思議なものです。励まされると生き返るのです。 3年目に入るに当たって、もう一度スタートした頃を振り返り、歩いてきたブログ街道を辿ってみて、意を新たにしたいと思います。 うたい文句である《人生の逆風の中で見つけた希望の風》を、キリストの香りとともにお届けしたいと思います。いざ、いざ、前進! 2007.11.26 Monday 21:41
日々の風から 冬枯れの中にいたプレ・サンタクロース
Yちゃん、いや今ではれっきとしY先生、女性牧師である。子どものころからおつき合いが続いている。まだ独身のまま地方教会で奉仕しておられる。電話があった。以下はY牧師のお話。 久しぶりで団体の大きな集会に出席しました。珍しい方々のお顔が見え、ご挨拶や立ち話をしました。そこで、思いがけないことがありました。2人の老婦人との再会です。 お一人は94歳。入居しているホームから一人で来られたとのこと。かくしゃくとしてお元気そのもの。老いのわびしさなど微塵も見えないのです。20年も前に一年間ほどお交わりをしましたがその後はお目にかかることもありませんでした。が、ちゃんと覚えていて、あなたのためにずっと祈り続けていましたよと肩を叩かれました。びっくりして、何とも言えないうれしさがこみ上げてきました。クリスチャンの愛とはなんと真実なのでしょう。 もうお一人は87才になられる一人暮らしの方です。泊まりにいらっしゃいとお声をかけられました。近況をお話ししているうちに、老後の事にも話題が進んだとき、年を取ってもちっとも心配することはないと確信に満ちて言われました。お元気で明るくしゃきっとしておられるお姿を見て、言われることが嘘偽りでないと実感しました。 そして別れ際に、これはあなたへのお小遣いよ、自分のために使いなさいと、ぽんと袋を渡されました。びっくりして固くお断りしましたが、首を振ってさっと立ち去りました。しばらく茫然としましたが、その愛が分かって、心が温かく燃えだしたのを感じました。 こんなお年寄りたちがおられる。キリストの教えの通りに信仰を貫き、悠々と生きておられる、老いることもこわくない、そう思いました。 お二人の老女たちは神さまがクリスマスに先立って送られたサンタさん、いや、天の使いに違いない。そう思った。 Y先生、地方の小さな教会での宣教は戦い激しいことでしょうが、神さまは全部知っておられ、見ておられ、今日も天の使いを送って愛を示してくださったのだと思いますよ。 御教会のクリスマス諸行事では、私たちのために天の位を捨てて人として降誕された、救い主イエス・キリストを大胆に語ってくださいね。またグッド・ニュースを聞かせてくださいね。私も及ばずながら祈り続けていますから。 『初めに、はじめにことばがあった。ことばは神とともにあった。 ことばは神であったことばは人となって、私たちの間に住まわれた。 この方は恵みとまことに満ちておられた』ヨハネの福音書1章 2007.11.23 Friday 20:18
心の風から せっぱつまったとき
このところ身辺があわただしい。担当している奉仕がふくらみ続け、パソコンから離れられない。これではいけないのだ。気がつくたびに小休止するが、頭や心は簡単にはストップできないものだ。そこが人間と機械の違いかも知れない。 その上、心騒がす問題に取りまかれている。係わっているいくつかの組織からときどき火の手が上がる。人間の集まりだからだろうか。でも、そういって達観してはおられない。火の粉は飛んでくる。降りかかる火の粉は払わねばならない。 せっぱ詰まってくると、視界が狭くなる。いつのまにか、全体を見回せるところから足元しか見えない低い地に這いつくばっている。自分中心、自己保身の言動がエスカレートしていく。 『ああ、できれば、どこで神に会えるかを知り、その御座にまで行きたい』(ヨブ記23章3節) 旧約聖書に登場するヨブほど大きな災難、困難に遭遇した人はいないであろう。息子、娘は災害で死んでしまい、莫大な財産は一夜にして奪われ、自分自身は重病に陥った。妻から親友からも愛想をつかされ、まさに四面楚歌のただ中で懊悩苦悩した。 その時、ヨブは上記のように叫び祈った。ヨブは苦難の解決を願ったのではなく、神さまに会いたい。神さまのおられるところに行きたいと願った。長い煩悶に末、その結論に達したのだ。 心底、ヨブのように思う。これは逃避ではない。一番確かな方法ではないか。 ヨブはまだ、イエス・キリスト以前の人であったから、救いの道は今の私たちほど明らかには知らなかった。 今は恵みの時である。神さまの恵みとまことが、インマヌエルの主となって顕れた。すぐそばにおられるイエス・キリスト御もとに駆け込み、荒々しい思いや息づかいをしずめていただたい。主はそうしてくださる。そして、十字架の犠牲で勝ち取った愛の薬を塗布して、傷を癒し、知恵を与えて正しい生き方を教えてくださるだろう。 目をイエス様に転じたい。『信仰の導き手であるイエスを仰ぎ見つつ…走ろう』と固く激しく思う。 2007.11.21 Wednesday 07:51
日々の風から 木枯らし第1号がやってきた
日々の風から 木枯らし第1号がやってきた 午後4時に教会から帰宅。もっともその間に母の昼食の支度に一度戻っているが。礼拝後は、来年の教会の行事について、全員で話し合うときがあった。今年を踏まえて、あれこれ検討し、たくさんの希望や要望が出された。楽しいときでもあった。 それが終わって臨時役員会。それが終わって婦人委員会に顔を出したら、クリスマス祝会のメニューを立案している最中であった。その場で、例年のようにケーキ作りの役を振られた。健康が与えられて、元気でご奉仕ができるなら、こんなに幸いなことはないのだ。 夕食の買い物に出た。強い風が吹きつけて、街路樹の葉が飛び散っている。思ったほど冷たい風ではないが、この風は木枯しにちがいない。公園に入って桜の木の下に行ってみた。地面が見えないほど葉が積もっている。春には花びらで埋まっていた。枯葉の上に乗ってみる。いい気分である。行く秋と、姿を見せ始めた冬の間にすっぽりと包まれたようで、幻想的でさえあった。 空を見ると夕焼けが終わって、風に飛ばされた青黒い雲が乱雑に散らばっている。この景観にもまた胸がときめく。小さな秋が、小さな冬がたまらなく愛しい。甘くはない日常だけど、神さまはそこここに楽しみや喜びを備えてくださっている。努めて落ちついて、それらを発見して感謝したいものだ。 豊かな気持になったとき、友人たちの顔が見えてきた。先週、母上を亡くされた親友、昨日から大きな病でご主人を病院に送った姉妹、20日に膵臓がんの手術のために入院する地方の姉妹、夜には電話をし、また祈ることにしよう。主の託されたたくさんの仕事がある。 まずは母に夕食をさせ、就寝の準備をしよう。これが第一の務めである。 『あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない』 エステル記4章14節 2007.11.18 Sunday 23:11
日々の風から 長崎ツアー付録・迫害の光と陰と闇を思う ――殉教者と隠れキリシタンと転び者――
キリシタン長崎殉教者の旅、ブログ絵画展を終えまして、改めて旅を思い出し、絵画をながめて、再び余韻を楽しんでいます。実は、仲間たちと文集を作ろうとしています。旅先の勢いで決まってしまい、担当は私が指名されました。お役に立てばと、お引き受けし、作業が始まっています。まもなく完成の時期なのですが、計画通りに行かないのは世の常、カレンダーとにらめっこです。一人分の原稿は1200字としました。きっかりの人もいればややオーバー、大量にオーバーの方もおられ、楽しい限りです。自由に受け付けることにしました。 私も一文書きましたので、絵画展のついでに長崎ものの付録としてアップします。 迫害の光と陰と闇を思う――殉教者と隠れキリシタンと転び者―― 迫害の嵐は悲しくも信者たちを三種類の群れに分けた。第一は殉教者、第二は隠れキリシタン、そして三番目は転び者(棄教者)である。 旅の一日目、三十度を超す強烈な日差しの中を長崎は西坂の丘に上がった。 二十六聖人のレリーフが力強く建っている。あまりの厳粛さに声も出ない。彼らは京都から極寒の西国路を裸同然で連行されてきたそうだ。いったい、彼らの胸中を去来するものは何だっただろうと、悲壮な気持になっていたとき、ガイドさんの声が耳を打った。 彼らは処刑場が見えてくると、急に早足になり「いよいよ栄光の時が来ました」と喜びの声をあげたというのだ。また「私の十字架はどれですか」と、己が十字架に駆けよって慕わしく口づけしたそうだ。 これにも私は声が出なかった。なんという勇者たちよ、彼らこそ真の勝利者ではないかと、ただ感嘆するばかりであった。彼らは迫害の光ではないか。 おそるおそる自分に問うてみた。いざというとき彼らのようにできるだろうかと。確信など皆無だが願望だけはある。光に憧れるのだ。 二日目。平戸から大橋を渡って生月島に渡り島の館を見学した 「納戸神」を目の当たりにした。家の奥の奥の納戸に、薄汚れてよれよれになった手ぬぐいほどの布きれがぶら下がっていた。はげ落ちたマリヤの像がみえた。(観音の容貌だった)これが隠れキリシタンが命がけで守った信仰の対象か。隠れの人たちは、表向きは仏教徒の振りをし、仏教の催事に参加し、死ぬとお寺に葬られた。偽りの生活をしながら、家族ぐるみ集落ぐるみで徳川二百数十年を隠れ通した。 私は隠された主を思って泣いた。 「信仰とは心に信じて義とされ、口で告白して救われる」のではなかったか。彼らには私の貧弱な想像力では描ききれない複雑な事情があったであろう。しかし、隠れにはなりたくないと思った。彼らは迫害の陰ではないか。 三日目は長崎外海(そとめ)町にある遠藤周作文学館と『沈黙』の舞台を歩いた。 「人間がこんなに哀しいのに主よ、海があまりに碧いのです」の碑の前で眼下に広がる五島灘をながめた。遠藤は転び者を復権させた。確かに彼らに踏み絵を踏ませ信仰を棄てさせたのは、だれもが持ち合わせている人の弱さであろう。決して海の碧さのせいではない。が彼らは陰よりも深い迫害の闇ではないか。 いざというとき、キリストを否む者にはなりたくないと強く激しく思った。 神さまが望まれるのは、はたしてどの群れであろうか。 2007.11.17 Saturday 19:13
風の仲間たち 友人の絵画 長崎殉教の地 最終回
これで最後です。ご鑑賞くだされば幸いです。 平戸城 山田教会 生月大橋 平戸カトリック教会(ザビエル記念聖堂) 以上で希望の風ブログギャラリーは終了です。ご来訪感謝いたします。 2007.11.15 Thursday 08:56
風の仲間たち 友人の絵画 長崎殉教の地2
我が誇りの友である森登兄の絵画を掲載します。長崎殉教の地訪問の旅からです。 黒崎教会 遠藤周作文学館 出津教会 田平教会 日浦亭 あと4点あります。アップの作業に不慣れですので、いったんストップします。 2007.11.14 Wednesday 15:37
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