人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

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旅の風から 長崎・平戸・生月キリシタン殉教の歴史ツアー
中浦ジュリアン
天正遣欧少年使節のひとり中浦ジュリアン像 後に穴吊りの刑で殉教した。

ガスパル様
平戸の隣の島生月の最初の殉教者ガスパル西玄可殉教の地に立つ十字架碑


27日から29日まで、長崎、平戸、生月の地に殉教の血をながしたキリシタンの足跡を辿ってきました。皆さまのお祈りに支えられて、抱えきれないほどの恵みと学びをして、無事に羽田に降りたちました。

途中、何が起るか分からない高齢者の一行でしたが、ひとりも体調を崩すことなく、疲れた様子もなく、ハードなスケジュールをこなすことができました。3日間とも30度を越える暑さでした。水のボトルを手に手にアップダウンの多い地を歩きに歩きました。

忘れないうちに文章化しておきたいと思います。でき次第、アップしていきたいと思っています。まずは、シャメールから2つをお目にかけます。
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旅の風から キリシタン迫害と殉教の歴史 長崎実踏の旅へ
この春からO聖書学院研究科では、日本のキリシタン迫害と殉教の歴史を調べてきました。有志がテーマに沿った課題を分担して調べ、クラスで発表してきました。総仕上げとして長崎へ行って来ましょうと意気投合し、先生以下13名が明日から2泊3日で出かけることになりました。訪問地は長崎と平戸、生月島です。

ショートすぎるのですが、欲張るのはやめて、参加者の各種状況に合わせた設定となりました。なにしろ年齢幅は60歳から77歳までで、高齢者ツアーであることは否めません。さて、どんな旅になりますやら、多少気がかりなこともありますが、頼みとするツアコンが、イエス・キリストであることを確信していますので、平安です。
行って参ります。皆さまのお祈りも当てにしています。
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日々の風から シャメールの名月
今夜は中秋の名月です。こんなにみごとな満月はめったに見られないでしょう。
これは東京下町の月です。

十五夜

私の尊敬する知人たちには超一流のカメラと超一流の技術を持つカメラマン(プロではないのです)がおられます。その方々の名月はいかばかり美しいでしょう。私の感動はこんな形にしか表現できません。
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日々の風から 主にある友情は希望の風
寅さんの像

友人の教会は年に2度、信徒主導の集会を開催していると聞いていた。ある時、その集会にお話しに来てもらえないかとオファーをいただいた。喜んでお引き受けした。
今日、準備した原稿を抱えて出かけていった。行き先はあの帝釈天と寅さんで有名な京成柴又である。休日とあって、朝から人出が多かった。駅前に立つ寅さん像をカメラや携帯に収めない人はいなかった。

教会は20年ほど前に建て替えたそうで、3階建てのりっぱな会堂であった。教会の起源は友人の家庭集会にあった。戦後まもなくとのこと、50余年の歴史を持っている。

そこで、思いがけない再会があった。こんなに驚いたことはない。懐かしいMご夫妻がはるばる茨城の地から、私の来るのを知って出かけてこられたのであった。Mご夫妻はこの教会の牧師夫人と若き日にいっしょの教会で信仰をはぐくんだお仲間であったそうだ。

Mご夫妻は、私が住んでいる家の後ろ隣りに住んでおられた。ご主人と私が幼友達である。と言ってもだいぶ年齢差があるのでいっしょに駆け回って遊んだ記憶はない。
今はなきご両親が熱心なクリスチャンであった。私が通っている教会がスターする以前にすでに所属の教会があったのだろう、ずっと、そちらで信仰生活をしておられた。

長じて、一人息子のMさんはすてきなクリスチャンの女性と結婚された。クリスチャンの鏡のような方で、ご両親にもよく仕え、教会の奉仕も熱心になさっておられると聞いた。児童伝道に重荷を持ち、いまでもご奉仕を続けておられる。

30年にもなるだろうか、茨城に越して行かれた。私があわただしい人生を送っていたせいか、以後は年賀状のおつき合い程度になっていた。が、私が書物を出すと、必ず読んでくださっていた。

そして、今日、出かけてこられたのであった。母の安否を問うてくださった。うれしかった。ご夫妻の誠実なお心を丸ごといただいた思いがした。

帰途、ひどく心が弾んでいた。私ごときを招いてくださった友人の主にある友情、再会の喜びを運んできてくださったMご夫妻の主にある友情、さらに私を歓迎してくださった教会の牧師先生ご夫妻や教会の皆さんが、一様にイエス・キリストの温かく澄みきった【希望の風】をそよがせていたのだ。
いただいた【希望の風】の中で、暑さで傷んだ心身が癒されていくのを感じた。


『教会はキリストのからだあり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです』エペソ1章23節




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日々の風から 日曜日は神さまの決めた聖なる日 
秋の花

一週間という日の区切りの起源が聖書にあることは、たいていの人は知っているでしょう。
神様は全知全能の力を働かせて、天地宇宙万物を創造されました。聖書は『初めに神が天と地を創造した』ときっぱり言い切って、66巻の冒頭を飾っています。その神が、6日間ですべてを完成させ(最後の日に人間が造られました)、7日目は働くことをやめて安息なさったのです。

『神は第7日目を祝福し、この日を聖であるとされた』とあります。この日は他の6日と違って特別に区別された日です。イエス・キリスト以前の時代には、聖書の民ユダヤ人たちはこの第7日目を大切にし、神様が休まれたように、日頃の仕事をやめて神様にささげました。

今私は、遠藤嘉信先生の最後の著書『初めに、神が』を読み出しています。走り読みできない箇所ばかりです。引用してみます。


安息日は新約時代にも守られていました。キリストも安息日を誰よりも大切になさいました。イエスは「安息日の主」とよばれました。イエスの弟子たちも安息日を守りました。彼らはキリストの昇天後も安息日ごとに会堂でユダ人たちに教えました。…

それから、次第に彼らは週の最後の日から週の初めの日へと会合の日を移行させていったように思われます。初めは、並行して行われていたようにも考えられますが、ユダ人の安息日ではなく、キリストの復活を記念とするために、キリストの復活のあった週の初めの日に、パンを裂き、聖書を読み、祈りを捧げるために集まり始め、その日が主の日として定められていきました。

この日は、キリストの十字架のみわざの完成の日、完璧な神の救いのみわざの完成を祝う日です。天地創造、出エジプトの救い、そしてイエス・キリストによる罪からの解放、この祝福のみわざを、神はご覧になって良しとされたのです。』

続けます。

『この恵みの祝いの席に加わらない特別の理由を私たちは見いだすことができません。主の日を辞退することのできるどんな理由が考えられるでしょうか。…

日曜日の礼拝を守ることは大切なことです。私やあなたが本当に主のみわざを心から信じて喜んでいるか、そのことを何よりも大切に思い、また神がその完成を喜び、満ち足りておられることに、心から共感しているかどうかということではないでしょうか。


神の救いを本当に感謝して、主との交わりが豊かであるならば、それを厳しいとは少しも思いません。それは当然のことなのです。
楽しい演出がなければつまらない所なのか、十分に配慮されなければ参加したくない場所なのか、それとも私たちを創造され、私たちを命をかけて救われた神が招いてくださる聖別された日、祝福の日、そのみわざを喜ぶ所、喜ぶ時であるかどうか、ということです。
『神は第7日目を祝福し、この日を聖であるとされた』。

クリスチャンとして、救われて以来50年余、ある時は喜び勇んで、またあるときは義務的に、通い続けた聖日礼拝、教会生活ですが、今改めて、そのルーツと恵みを教えられて、自分自身のあるところを確認し、感謝しています。

イザヤ書58章13〜14節
もし、あなたが安息日に出歩くことをやめ、
  わたしの聖日に自分の好むことをせず、
  安息日を「喜びの日」と呼び、
  【主】の聖日を「はえある日」と呼び、
  これを尊んで旅をせず、
  自分の好むことを求めず、むだ口を慎むなら、

そのとき、あなたは【主】をあなたの喜びとしよう。
  「わたしはあなたに地の高い所を踏み行かせ、
  あなたの父ヤコブのゆずりの地で
  あなたを養う」と
  【主】の御口が語られたからである。


さあ、今度こそ秋本番でしょう。秋風の中に【希望の風】を見つけて、身も魂も新しいいのちに生かされ、先へ先へ進みたいと願い祈ります。







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書林の風から 遠藤嘉信著『もしかしたら、この時のため』その2
くり返しになるが、本著はこの6月に48歳で天にお帰りになってしまった遠藤嘉信師の遺作である。牧師であり、期待の旧約学者であった先生が、近づいてくる死の足音を聞きながら命を賭して書かれた渾身の説教集である。

ユダヤ人は壮絶悲壮な歴史を持つ特別な民族のようにおもう。ナチスの手によって600万人も殺害されたのは、まだ誰もが知るつい60年ほど前の出来事である。

紀元前5世紀もこの民族には存亡の危機があった。ペルシャ帝国に残留するユダヤ人たちが1人残らず根絶やしにされようとしていた。王から厚い信任を得て飛ぶ鳥の勢いを誇る大臣ハマンの陰謀によって、ユダヤ人虐殺の高札が立てられたのである。

ところが、相前後して不思議としか言えないことが起っていた。ユダヤ人の娘エステルが王の寵愛を一身に集める王妃の座にいたのだ。なぜユダヤの小娘が王妃になったのか、ユダヤ版シンデレラ物語は、聖書に詳しく記されている。ぜひ直接聖書を読んでいただきたい。聖書には書いてないが、神様が予めこうした道筋を作って、ちょうどその時エステルが王妃の座にいるようにご計画なさったに違いないのだ。信じる者には神の御手がよく見える。

エステルは孤児である。いとこのモルデカイが養い親になって、育てられた。モルデカイは民族の一大事を知ると、王宮に使いを出してエステルに事の次第を告げ、ユダヤ人の命乞いを直訴せよと命じる。

エステルは王の寵姫である。すぐさま飛んでいって、ハマンの陰謀を暴き、私の民族を助けてくださいと言えば、必ずや聞き入れられるはずである。
ところが、現実は厳しかった。ペルシャには一つの動かし難い法令があって、たとえ妻であっても、許可なしには無断で王に会うことはできないのだ。王から声がかかって寝所に赴くか、謁見の間にいる王から金の杓を差し伸べられなければ、近づくことはできないのであった。現実はメルヘンの世界ではない。不思議はあってもファンタジーはない。

エステルはちょうどこの時期、30日間も王の召しがなかった。王に会うためには謁見の間に赴き、金の笏を差し伸ばしてもらわねばならない。気まぐれな王のこと、その時の虫の居所が悪ければ、金の笏は伸びない。そうなれば、狼藉者として処罰されてしまうのである。命はないとみなければならない。

たとえ大恩ある養父モルデカイの命令であっても、エステルがひるむのも無理はない。が、
モルデカイは容赦しない。そして言うのである。「あなたがこの王国に来たのは、もしかしすると、この時のため」ではなかったかと。

さすがである、エステルは命がけの決断をするのである。「もし私が死ななければならないのなら、私は死にます」と。エステルは侍女たちと全ユダヤ人に3日3晩の断食を促す。つまり、断食祈祷である。命がけの祈りで準備し、直訴を決行しようというのである。

結果を言えば、エステルは王から金の笏を差し伸ばしてもらい、「どうしたのだ。王妃エステル。何がほしいのか。王国の半分でもあなたにやれるのだが」と気前のよいことばを得ることができた。この続きは、どうぞまた、聖書を開いていただきたい。エステルの大勝利、ユダヤ人はあわやというところで救済されるのである。

「もしかすると、この時のため」
エステルはこの時のために王妃にさせられた。そして、神のみこころのとおりに働いた。使命を果たしたのである。



遠藤先生はあとがきで語っている。
『もしかすると、この時のため、というモルデカイの言葉は、神の栄光を生の究極の目標とするすべての人間が、そして、神が祝福のご目的を持ってこの世界を間違いなく治めておられると信じる信仰者であるならなおのこと、常にあらゆる局面で考慮すべきことではないだろうか』
『特殊な事態においてばかりではない。たとい個人の小さな決断の際にもそうなのである』
先生は続ける。
『エステルが、自分の民のために命がけで王の笏を目指したように、勇気を持って、恐れを克服し、時に命すら投げ出す覚悟が求められる。臆病者、小心者は主の兵卒に連なることはできない』

もしも先生が、若さの勢いで、知恵に任せて、机上だけでペンを走らせたのなら、私は年上という誇れない立場からではあるが、100%肯定はできないだろう。
目の前に死期を見ながら『もしかすると、この時のため』と、神のみこころを受け入れ、従おうとするいのちがけの勇気と信仰を知り、感じるだけに、涙なしには読めない。
が、そんな感傷を振り切って、自分にとっての『もしかすると、このこの時のため』を鋭い目で確認しないではいられない。
あるのだ、今日の私の『もしかすると、この時のため』が。
逃げて、避けて、曖昧にして、すり抜けてはいけない私にとっての、使命があるのだ。

少し長くなりましたが、ご辛抱ください。そしてあなたにとっての『もしかすると、この時のため』を果たすことができますように。『私は死ななければならないのなら、死にます』と決断できますように。イエス・キリストにあって。
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光(キッズ)の風から 孫を泣かせて
レオタード

長女家族が三重県に転勤して半年になる。まだ半年?と思ったり、もうそんなに?と感じたりする。今の時代、通信手段が幾通りもあるから、互いの距離感はずいぶん短縮されていると思う。電話があり、携帯があり、メールがあり、さらに次女も入って3人だけの書き込みサイトもある。それぞれがブログを設けているので、それを眺めたりもできる。

孫たちとはもっぱら電話と携帯メールである。それでも、お互いに超過密スケジュールの日々だから、毎日ゆっくり電話する暇もない。携帯で短文のメールが行き交うことが多い。私は電車やバスの中、電車のホームで書くことが多い。

昨日の夕方、昼間の残暑がうそのように消えて、早々に闇が迫り、ひんやりした風が入ってきた。風に誘われたのだと思う、机上の携帯に手が伸びて、書いてしまった。
おーい、Sくん、Mちゃん、いつになったら帰ってくるのよー はやく帰ってらっしゃいよー。寂しいヨー。

今日になって長女からメールがあった。私のメールを聞いたとたん、Sくんが突っ伏して泣いたという。Mちゃんは胸が詰まって泣きたいけど泣けなかったそうだ。

ママはびっくりした。いつも二人は、大陽もはじき飛ばすほど明るく快活にしているのにと。そこで、帰りたいのと聞くと、帰りたいよーと涙声が返ってきたそうだ。胸の中に押し込めていたノルタルジアが突然吹き出しのだろう。

そこで三重県に来てよかったこと、今楽しんでいることを一つ一つピックアップした。
東京ではしていなかったこともいくつか加わって、三重県の今は神様の恵みで満ちていることを確認し合って、感謝の祈りをささげたという。

さしずめ、Mちゃんが始めたことはピアノのお稽古とバレー。バレーは写真のようなレオタードを来てレッスンするそうだ。着てるところが見たいよーと言ったら、わざわざ着替えたシャメールが来た。今度はいる来るの?と問えば、クリスマスにとのこと。彼らはこんどは冬休みになったらやってくるのだろう。そう、サンタさんのように大きな荷物を担いで。待ち遠しいこと!
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日々の風から 長嶋亜希子夫人の訃報にショック
長嶋亜希子夫人の訃報にはたいへん驚いた。安倍さんの辞任以上の驚きとともに、一足飛びに40年ほど前が思い出された。昭和39年10月東京でオリンピックが開かれ、日本中が沸きに沸いてまもなく、お二人は11月に電撃婚約、明けて1月に電撃結婚なさった。これも日本中が沸きに沸いた大ニュースであった。

長嶋選手と王選手は私の年代の者たちにとっては青春のシンボルであった。日本中野球一色の時代だったと思う。お年寄りから子どもまでどこかのファンだった。私はもちろん巨人だった。そして長嶋と王に応援した。その長嶋さんがオリンピックのコンパニオンを務めた才女亜希子さんに一目惚れして、あっという間に結婚したのは、今も時に思い出すほどの強烈な出来事だった。

先年、長嶋さんが病に倒れたのも大きなショックだった。あの時、奥様はどんなに心配しどんなに一身投げ打って看病なさっただろうと、そのご苦労を想像していた。
ところが、奥様が亡くなってしまった。詳しいことは知らないが、急なことではなかったか。まだ64才とは若すぎる。長嶋さんの嘆きはいかばかりであろう。
長嶋さん、胸中お察し申し上げます。

もちろん、彼らのような有名人と面識があるわけではないが、同じ時代を歩いてきた仲間のような親近感があるものだ。その、人生の仲間の一人が早々とこの世を去っていく。世の習いとは言え、しみじみと胸に迫ってくるものがある。
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書林の風から 遠藤嘉信著『もしかしたら、この時のため』その1
エステル記

読み終えてもなかなか手放せず、くり返しページを繰っては深い思いに浸っている。内容に感動するのはもちろんだが、著者の人生を思うからである。多少面識もあって、存じ上げている先生であった。

過去形など使いたくない。でも、先生は48才の若さで、奥様と二人のお子様を遺して、この6月23日にいっさんに天に駆け上ってしまわれた。非常に進行の速い病魔に襲われ、病床生活はわずか1年2か月であったとのこと。病床で命をかけて書かれたのが本著である。最後となったのがもう一冊ある。

本著は副題にーー際に立つエステルとその勇気――を有している。旧約聖書『エステル記』の講解説教集ある。先生は一つの教会の牧師でもあられたが旧約聖書学者として、神学校で教鞭を執っておられた。深い確かな研究にしっかりと裏打ちされた名説教集である。

それにもまして、病との熾烈な戦いとその終わりを予感しながらの著作である。その現実があるがゆえに、読む者を捕らえて離さない強い気迫が全編に満ちている。こうした説教集はあまりないのではないか。まして、老年の作ではなく、壮年真っ盛り、ようやく人生の充実期に入ろうとしている時である。一人の人間として、その苦悩はいかばかりであったろう。計り知れない苦悩の中で、計り知れない信仰を獲得して、そこから生み出された説教である。
そして『エステル記』は旧約聖書歴史書の最後に位置している。ここに不思議な導きを感ずる。ちなみに最後の書は『初めに、神が』で、創世記の初めの初め、1章から3章までが説かれている。

私事になるが『エステル記』は聖書の中でも最も親しみ、最も好きな書である。私が最初に50枚のエッセーを書いたのもエステル記からであった。『異国に散った星』とした。
娘たちはまだ小学生でもなかったころ、絵本になったエステル記を、無我夢中で読んでいた。あのころ、我が家は今思うに、最も厳しい戦いの最中にあった。

『エステル記』から私は計り知れない勇気と希望をいただいて、現実と真正面から戦うことができた。真正面からとは、信仰という武器を用いてということである。おそらく娘たちも同じだったのではないか。


先生の著作を開く前に、『エステル記』の内容を紹介したい。

エステルとは女性名で、星を意味する。ペルシャ名であるがユダヤ人である。ユダヤ名ではハダッサといい、ミルトスの木の意味である。エステルはペルシャに住むユダヤ民族の一人である。彼女が不思議にもペルシャの王妃になったころ、悪漢ハマンは国内のユダヤ民族を絶滅しようと奸計を図る。民族の危機を知った養父モルデカイは王宮のエステルに、王妃の座を使って王に民族の命乞いをせよと促す。その時のモルデカイのことばが、本著の「あなたがこの王国に来たのは、もしかして、この時のため」である。
エステルは苦悶の末、命を賭して王に直訴し、聞き入れらて、あわやというところでユダヤ民族が救済されるのである。その勝利までを物語るのが『エステル記』なのだ。ストーリーは非常にスリルに満ちドラマチックである。一般的な聖書のイメージを破る痛快な冒険小説のようだ。子どもがこの書を好きになるのも大いに頷ける。私もその類で好きなのだ。
しかし、遠藤先生が、その危機の中でなぜ『エステル記』なのかと考えてしまう。読んでいる内に次第に謎は解けていくのだが。(また続きを書きます)
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日々の風から  最近の日課
ハレルヤの楽譜

いくら気が早い商戦でもクリスマスの準備はまだでしょう。ところが私の部屋からは毎日ハレルヤコーラスが響き渡っているのです。ヘンデルの『メサイヤ』の中のあの一曲です。私の部屋だけではありません。そもそもは教会です。8月早々から聖歌隊の練習が始まりました。今年は我が教会にしては一足飛びにハイレベルに挑戦です。

数年前から演奏活動もなさるミュージシャンご夫妻が客員として在席しておられます。しばらくすると我が聖歌隊を指導してくださるようになりました。聖歌、賛美歌、ゴスベルなど、特別行事の度に練習の成果を発表してきました。そして、今年はハレルヤコーラスなのです。
10月末に、所属する教団宣教区の大会があります。その時に、それぞれの教会で練習を積んだこの曲を合同で賛美することになりました。最終の目標はもちろん今年のクリスマス礼拝ですが。

各パートを入れたCDが配布されました。そういうわけで、私の部屋から毎日ハレルヤコーラスが響き渡っているのです。CDだけではありません。CDに合わせて猛練習をしているのです。私のパートは年齢不相応にもソプラノなのです。長年、メロディーしか歌ってきませんでしたので、他のパートには行けません。

最低メロディーは一日も早く覚えなければなりません。教会での週1回の練習ではとてもとても間に合いません。そこで夕飯を終えたひとときが練習タイムというわけです。幸い、今我家には階下に耳の遠い母がいるだけ。歌っても少しも迷惑になりません。

毎日練習することがこんなにも効果的だとは知りませんでした。どうしても歌えなかった箇所がよく聞こえてきて、歌えるようになってきました。びっくりしつつ密かに大喜びしています。達成感は快感です。汗びっしょりで歌っていると、さわやかな気分になってきます。ストレス解消にもなるのでしょう。

これからもクリスマスまで、私は練習を続けるでしょう。日課の一つに組み込んだのですから。恥ずかしながらまだ出ない高音があります。それもきっと出るようになると信じています。メロディーに信仰を乗せて、心から美しい賛美をささげられるようにと願うのは実に楽しいことです。


『キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい』
コロサイ人への手紙3章16節
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