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2023.08.01 Tuesday
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旅の風から 冒険の旅?孫たちとの3日間
火曜日の朝、5時起きして、母もいつもより1時間早く起床させ、すべてのプロセスを予定通りこなして、8時半には車いすに座らせることができました。幸いカラリと五月晴れ。 少し早めでしたがホームに送り届け、そのまま東京駅へ直行しました。おみやげは孫たちの大好きな舟和の芋ようかん。浅草名物です。 長女宅へはこれで3回目ですが、最寄り駅から家まで一人で行くは初めてです。タクシー乗り場へ出るまでに、1回間違えて迷いました。こんなはずではなかったのですが。 その後は順調に進み、孫たちの学校へも間違えずにたどり着きました。校門から飛び出してきた赤いランドセル姿のMちゃんを見たときは、ほっとするとともに胸がいっぱいになりました。S君は4年生ですからあと1時間もしないと下校にはならないのですが、もう、ひとりで帰宅できます。Mちゃんもすっかり土地の子のようです。慣れた道のようで、今度はこっち、こんどはこことと、ずんずん先へ立って私を案内するのです。私の方がお世話になる格好でした。そして、もう幼稚園時代のように私の手にすがることはないのです。 たくましくなったと喜びつつも、物足りない気がしました。 採点されたテスト用紙をみせてもらい、宿題を済ませたころ、M君も無事帰宅。今回の私のお役目はここまででしょう。メールで知らせて完了です。大役?を果たして、朝からの緊張が解けたのかどっと疲れが出ました。 地元の教会を見学 新しい地に来るに当たって、長女家族が一番気がかりだったのは、礼拝に通う教会です。娘は東京の教会が仕事場でもありますから、毎週とまでは行きませんが日曜日は日帰りで上京しています。残されたパパと孫たちは地元の教会へ行くことになります。Y市にはいくつも教会がありますが、同じ団体の教会はありません。そこで、他の団体に属する教会へ行くしかありません。幸い、さほど遠くないところに格好の教会がみつかり、今のところそこで礼拝を守っています。 大きな教会で、たいへん活発に活動しています。まず幼稚園があり、宣教師による規模の大きい英会話教室も開いているとのことで、早速S君もMちゃんも別々のクラスですが入会しました。ちょうどMちゃんのクラスの日だったので、私も同行しました。大きな立派な会堂が丘の上に立っていました。平日なのに、まるで日曜日のように教会の方々が出入りしているのでびっくりしました。中年の婦人が私を礼拝堂に案内してくれました。教会の歴史を話してくださいました。自分たちがなぜこの教会に来るようになったのかも話してくださいました。イエス・キリストともに生き生きと生きておられ、教会生活を楽しんでおられることがよく伝わってきました。 50代前と見られる働き盛りの牧師先生が執務室から出てこられ、私の話し相手になってくださいました。階下ではクラスのないM君が若い伝道師の方と盛んにおしゃべりしていました。思わぬところで教会見学ができて、たいへん参考になりました。週報には300人教会を目指してとありましたから、その数字に近い人たちがいるのでしょう。日本の教会としては大きい方でしょう。平日でも訓練された信徒たちによる小さな集会がいつくもあるようです。キリストの生きた体である教会の見本を見た気がしました。 四日市石油コンビナートを見学 写真は石油コンビナートで有名な四日市港です。ポートビルという塔にあがってコンビナートを一望しました。よく晴れていたので、遠くに知多半島の中部国際空港セントレアもかすかに見え、後ろには鈴鹿山脈がかなりはっきり見えました。これも思わぬ学習となりました。 たかが娘宅に行くのに冒険の旅などと名付けて我ながら滑稽でしたが、振り返って見ると、私にとっては紛れもなく冒険の旅でした。そして、旅とはどんなに小さくとも冒険の名に値すると肯いています。 そうそう、母もホームへの冒険の旅から無事帰宅できました。感謝です。 2007.05.31 Thursday 23:03
旅の風から 今月2回目長女宅へ
三重県Y市に移転した長女宅へ、今月2回目の訪問です。長女が会議で出張するので、留守番に来て欲しい、下校する孫たちを迎えに出て欲しいとのこと。子どもたちの送迎は親も参加することになっているそうです。昨今、都会田舎を問わず、子どもの周辺には危険が一杯ですから、こうした対策は必要でしょう。というわけで、東京のおばばまでかり出されることになりました。 すでに2回行っていますが、今度は駅からひとりで行かねばなりません。うまく行けるでしょうか。すでにキーを渡してもらいましたが、無人の家に入っていくのもちょっとした緊張です。さらに、時間を見計らって、孫たちの学校へ行くのです。すでに前回下見をしましたが、覚えた通り行けるでしょうか。校門で孫たちに会えるでしょうか。ちょっとドキドキです。 まず母をホームに送り届けます。順調にすべての支度ができて、計画通り8時半に母を車いすに乗せることができるか、こちらも不安です。無事に予定の新幹線に乗れるでしょうか。ちょっとした冒険の旅に出るような気分です。 それにしても、長女たちが帰京するまでに、いったい何度往復することになるのでしょうか。きっちり数えていこうと思います。 これもあれもすべて、愛なる神さまのお計らいの中にあるのだと信じます。主はこの小さな冒険の旅にも必ず同伴してくださいますから、小さな不安や緊張を越えた大きな平安はいただいていますが。 さあ、戦闘開始!冒険の旅に出で立ちましょう。 2007.05.29 Tuesday 06:54
日々の風から 緑陰の集会
日々の風から 緑陰の集会 今日は教会暦では聖霊降臨日。ペンテコステと言って、クリスマス、イースターに並んで教会の3大記念日のひとつです。あまりに有名なクリスマスと、ちょっとは知られているイースターに隠れてこちらは一般にはほとんど知られていません。特に日本では、商売のネタにならないせいか、知名度は低いものです。ちょっと残念です。 ペンテコステは教会の誕生日とも言われ、教会にとっては大切な日です。 イエス・キリストが十字架で死なれて50日目のこの日、弟子たちが集まっている真ん中に、三位一体の三位格の聖霊が下ってきました。この時から弟子たちはそれまでの臆病風はどこへやら、勇気凛々でイエス・キリストを伝え始め、多くの人々が信仰を持ち、大きな群れになりました。これが最初の教会です。聖書には最初の教会の様子が書かれていて、2000年後の私たちも見習うべきことがたくさんあります。 礼拝後には定例の婦人会を野外に移して開きました。車で5分ほどのところにわりにおおきな公園があります。亀戸中央公園といってかつて日立製作所の工場のあった跡地です。 桜の時には一人で来ましたが、今は緑一色。日差しが強く心配しましたが、格好の緑陰がありました。教会から運んだ小さな腰掛けを輪にして坐りました。広いので讃美歌を歌ってもさほど目立たず、歌声は空に吸い込まれていきました。チェーン店の安価なお弁当がとてもおいしく感じられました。五月の薫風のせいかもしれません。 いつものメンバーなのですが新鮮で心も広がり、本音で語り合うことができました。自然の快風もさりながら、ペンテコステの聖霊の風が吹いているのを感じました。それは確かに希望の風でした。 2007.05.27 Sunday 22:53
心の風から 私の問題だろうか
三週間前の検査結果を聞きに、朝早くから病院に出かけた。ようやく3年が経過しての検査である。一区切りの段階と言えるらしい。悪いところが出たら困るなあと、思いはそればかりである。自分の体調から判断すれば、今は元気だと思う。周りからも言われる。でもそれが絶対の証拠にはならない。レントゲンだの超音波だの血液検査だのと、ミクロの世界で検査した結果がでるのだから。 病院の様子がずいぶん変わっていた。予告されていたが、待合い場所の椅子の配置も変わり、雰囲気まで変わっていた。ちょっと戸惑うほどだった。受付にカードを入れて、待っていた。隣に坐った人から話しかけられた。初老の男性らしい。よく見なかったが。この人も変わり方に驚いたようで、それを言いだした。適当に相づちを打ち、返答もした。 と、主治医はどなたですかと聞いてきた。とたんに私の口も心も閉じてしまった。失礼な!との思いが走った。そんなことは、言いたくありませんと、言い切った。男性からは次の言葉がなかった。私の返事が意外だったのだろうか。私はバッグから本とりだして読み出した。男性はそっと席を立っていった。 心の中を不愉快な気分が行ったり来たりしてなかなか消えないのである。男性に悪気はなかったのかも知れない。しかし、非常識ではないか、無神経すぎるとますます思えてくる。体の中を覗き込まれたような悪寒が走るのである。これをセクハラと呼びたい。それとも私がナーバスになりすぎているだろうか。大したことではないのだろうか。 いやいや、ことは病院である。同性であっても初対面の人に尋ねることではないと思う。 いかがでしょうか。男性の方はどう思われるでしょうか。女性は意外なところで傷ついたり不愉快な思いをしています。それは若い人だけではありません。年寄りなら何を言ってもセクハラにはならないとお考えでしょうか。 ふだん私はどちらかというと鈍感。あまり気にしない方だと思っている。でも、今度のことは実に、実に不快であった。 一日経っても消えないので、書いてしまいました。 そうそう、検査結果ですが、すべてクリヤーしました。お祈りしてくださった方々に感謝します。特に一抹の不安があった肝臓の数値が今までで一番よい価でした。神さまの恵み以外にありません。 2007.05.25 Friday 15:52
心の風から 母をデイサービスに送り出して
水曜日は母の唯一の外出日。デイサービスに出かけていく。今日はセンターに行く日よと声をかけると、ああ、そうと言って、起床の時から外出着に着替える。入浴用具一式の入ったバッグを車いすにかけて、迎えの車を待つのである。お天気がいいと少し早めに出て外の空気に触れ、花壇や街路樹を見ることにしている。今日は朝から日差しが強かったので、日傘を差し掛けた。 9時16分、母を乗せた車が去ると、いまではほっとするのだ。自分の気持の変わりように驚いている。昨年の10月から行きだしたが、当初、私の心中は穏やかではなかった。いやな思いをしながら行っているのではないかと母を案じたり、介護から少しでも逃れたいから行かせるのでないかと自分を責めたり悔いたりして悶々とした。始めてのショーステイの時は、居ても立ってもいられなくて、朝に夕に様子を見に行ったりした。 そうした葛藤は今はほとんどない。慣れたというのが一番正解だろう。私だけでなく、母も慣れたのだと思う。あちらでの時間がどれほど楽しいとかいやだとかの問題ではなく、日常の当然として受け入れているのだ。環境に順応したということだろう。 当初は、母が出かけると、私も一目散に外出した。しかし、昨今はちがう。むしろ、いつもより家にいる。食事、おやつ、トイレ、と時間を気にしなくてもいいから、抱えているもろもろの仕事に専念できる。帰りの車が到着する4時26分まで、束の間ではあるが、いまではたいへん貴重なありがたい時間となった。 お昼過ぎに、近所の病院に再々入院した、教会員のお母さんを見舞った。93歳になられた。久しぶりにお会いしたが、ほとんど記憶が薄れていた。思い出したようであるが、それを言葉にするのが難しいようであった。母より4歳年上になる。母の明日を見るような気がした。少しづつ、少しづつ、老いの坂を上っていくのだ。想像していたよりずっとお穏やかないいお顔をしておられた。この分ではまもなく退院になるだろう。 手を取って、顔を近づけて、神さまの平安と癒されることをお祈りした。クリスチャンではないけれど、祈りの最後にアーメンと和してくださった。 2007.05.23 Wednesday 14:58
銀(シルバーエイジ)の風から 母と主の祈り
母のために、教会の姉妹が色紙に【主の祈り】を書いてプレゼントしてくださった。彼女は教会の看板も書く筆達者である。母が昨年の7月に救われて洗礼を受けてから、まもなく一年になる。クリスチャンとして教会員の末席に加えられたが、礼拝に出席できるわけではない。一番大切な教会生活ができないのである。しぜん、みことばとの係わりも薄い。せめて、せめて主の祈りくらいは暗誦しなければと、ずっと考えていた。 姉妹は色紙といっしょに筆で手紙もくださった。大きな字である。読んで聞かせようと母に見せたところ、どれどれといって音読し始めた。まあ、なんと、すらすらとりっぱな読みぶりである。一瞬、びっくりした。読めるの?どうして読めないの、このくらい。 そうか、読めるのか。当たり前かもしれない。時々記憶が混線したり、喪失したりするので、文字もすっかり忘れてしまったのではないかと思いこんでいた。 老化とは複雑なものである。こちらの想像通りではない。失礼をしてしまった。 りっぱに手紙を読み終えた母は、今度は色紙を手にして、これもまたみごとに読みこなした。当然、私も唱和して、思わぬ主の祈りの時となった。思えば、母と主の祈りをしたのは始めてである。感動であった。これからも祈ろうねと、母のテーブルに立てかけた。 贈ってくださった姉妹にほんとうに感謝した。姉妹は40半ばになるだろうか。青春の入り口で病に倒れ、ずっと一年中お医者様通いである。それでも近ごろは心身共に強くなり、教会生活を楽しみ、自分にできる奉仕をよくしておられる。看板書きもそのひとつ。私の担当する学び会のプリント整理はもっぱら姉妹にしていただいている。面倒なことでもていねいにしてくださるので感謝である。 病床にある方や高齢者のために大きな字で聖書のみことばを書いて贈っている。とても喜ばれている。それがまた姉妹の元気のもとにもなっているようだ。我が母も、姉妹の愛のプレゼントによって主の祈りを祈ることができた。 愛の授受するところ、イエス・キリストの、澄み切った希望の風が吹いている。 2007.05.21 Monday 15:43
日々の風から 新会堂完成へ
またまた引っ越しの手伝いに行ってきました。群馬県A市にある次女の奉職する教会が、この度新しく教会堂を建築しました。今までの所から少し離れたところです。周囲にはまだ畑や藪がありますが、徐々に宅地化されており、教会の前はわりに交通量のある道路が走っています。また、信越本線の電車の音が聞こえてきます。 教会と娘の住まいが移転しますので、個人の引っ越しとはまた違って大規模です。教会員の皆さんが総出で働いていました。私は娘の住まい方を整理し、ひたすら段ボールをつぶしました。つい先ごろは長女家族の引っ越しで同じことをしました。 これはいったいどういうこと?どうしてよりによっていっしょの時期なの?と不思議であり、おかしくさえなりました。 ともあれ、念願の新会堂が完成した喜びは何にも勝るものです。こんな恵みをまのあたりにさせていただけるなんて、なんと私は幸いだろうと、神さまのみ業の不思議さに深く深く感動しました。 公の感謝の会、献堂式はしばらく先ですが、来週の聖霊降臨日、ペンテコステに最初の礼拝を持つそうです。 今朝は、早朝に娘と木の香り満ち満ちた会堂で、賛美の声を合わせ、みことばの分かち合いと祈りをささげました。娘は声を詰まらせていました。喜びが大きいだけに、ここまで来るのには大きな試みがあり、これからも乗り越えて行かねばならないことがいくつもあるからでしょう。母親として、また公同の教会に属する者として、私はますます祈りに徹していかねばなりません。これが私のこの教会に対する大切な奉仕ではないかと思いを新たにしました。 妹に母を託してきましたので、長居はできません。娘は一泊じゃね…と不満げですが、致しありません。数日あればきちんとなるでしょうが、また、来られるでしょうと言って、新幹線に飛び乗りました。 ちょうど雨上がりで青空が覗き、新緑をまとった妙義山が柔らかく見え、ずっと先にひときわ高く浅間山も出ていました。 娘たちのことに係わりながらですが、こうしてたびたび列車に乗るチャンスがあり、土地土地の空気と風物に出会えるのはうれしいことです。母の介護で外出は厳しい状況になるだろうと覚悟していますが、これは主のあわれみなのでしょう。 2007.05.19 Saturday 19:36
日々の風から 讃美歌はときには子守歌に
荒々しい世相にこころが曇ります。いつの間にか不穏な世界へ突き進んでいく政治情勢、自分の母親をあそこまでしなければならない人の心の闇と狂気…どうなっているのでしょう。 このところの荒々しい天候にも驚かされます。かろうじて、ずぶぬれを免れましたが。 玄関先の傘立てから、愛用の傘が消えてしまいました。とても寂しい思いをしています。 教会の祈祷会で歌った讃美歌が静かにこころに流れています。まるで子守歌のようだと感じつつ、歌いました。就寝前にもう一度歌うつもりです。ご存じの方は歌ってみてはいかがでしょう。ご存じない方は、歌詞を味わってください。 聖歌475 主イエスのみそばに 隠れ家あり 罪もいざないも 知ることなし (折り返し) 贖いぬしよ われをそこに かくまい給え み恵みもて 主イエスのみもとに 休み場あり 荷を解き下ろして 憩いを得よ 主イエスのみもとに 慰めあり 憂いも悩みも 消え去るべし 主イエスは医者なり その御手もて いかなる傷をも 癒し給わん 『あなたはわたしの隠れ場、わたしの盾。私はあなたのみことばを待ち望みます』 詩篇119篇114節 2007.05.17 Thursday 23:02
心の風から 愛の摂理に思いを馳せて
ここ10日ほどのうちに私の周辺では生き死にの出来事が重なりました。若くして、2名の方が亡くなりました。お一人は、4月8日のイースター(復活祭)の日に、病床洗礼を受けた52歳のHさん。教会員ではありませんでしたが過去になんどか教会にお出でになりました。奥さんは再婚の台湾女性。ご自身も2人のお子さんを抱えての再婚でした。 昨年の2月に胃の手術をしてから、まもなく幾つもの臓器に転移、最後は脳でした。教会に助けを求めて来られ、以後2か月ほど、牧師夫妻が深く関わり、そのうちにイエス・キリストを信ずる信仰に導かれて洗礼に至ったのでした。洗礼式には私も陪席しました。 葬儀にも2日間出ずっぱりでお手伝いしました。 奥さんが痛ましい限りでした。棺をつかんで号泣するのを、身内の方々が抱きかかえていました。これから、なさぬ仲のお子さんたちとどうやって生きていくのでしょう。もっともお子さんたちはすでに成人して、とっくに家を離れているようでしたが。 52歳で亡くなるのはあまりにも早すぎます。 この日曜日に長女の教会で葬儀。そのために長女家族はわざわざ三重県から駆けつけたのですが。こちらは40半ばの女性。まだ小さいお子さんがおられるとか。ご主人のお気持ちはいかばかりでしょう。少し前まで、その道ではかなり活躍しておられた方でした。ご主人もそうですが、一人娘を失った80過ぎの老母が、平常心をなくすほど嘆き苦しんでおられたようで、娘もどうやって慰めたらいいのか途方に暮れたと言っていました。 まだ40代ではあまりにも若すぎます。残念なことです。 一方で、友人の、93歳になるお母様が体調を取り戻して退院した、一安心だけど、さて、在宅介護のこれからが一段と厳しいと話していました。もうひとり、ずっとご様子を聞き続けている方は96歳。肺炎を起こして危篤になり、遠方の親類まで呼ばれて覚悟をしたのに、その後回復して退院、友人は入居するホーム探しで走り回っていると言っていました。さらに99歳でかくしゃくとしておられるお母様のことを、70歳になる我が友人が話してくださいました。最近、ミニ自分史までお作りになったのです。 断っておきますが、若い人が亡くなって残念、お年寄りがいつまでも長らえていて残念などというのではありません。そこまで不謹慎ではありません。これが人の世のならいなのかとつくづく思うのです。今に始まったことではないでしょうが、ごく身近なところで立て続けに起ると、無関心ではいられません。しかし、いたずらに嘆いたとてどうなるものでもありません。 不条理を引っ提げて神様の前に出る他はありません。生老病死をお心一つにおさめる絶対者の前に帰るしかありません。被造物にすぎないのですから。 今は分からなくても、やがてすべてのことが判然とする日がくる。一分も異論を挟む余地のない明解がある、難解な方程式をたちどころに解き明かす唯一の原理は、神の愛なのだと固く信じます。愛の摂理に思いを馳せます。 飛躍しすぎている、薄っぺらで、一元的で、脳天気、現実逃避だと言われますか。 『神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています』ローマ人への手紙8章28節 2007.05.16 Wednesday 20:53
聖書の風から 詩篇を愛して その14 詩篇25篇 神の真理の小道を求めて
しばらく中断していましたが、また折々に続けます。 詩篇25篇1節から5節 主よ。私のたましいは、あなたを仰いでいます。 わが神。私は、あなたに信頼いたします。どうか私が恥を見ないようにしてください。私の敵が私に勝ち誇らないようにしてください。 まことに、あなたを待ち望む者はだれも恥を見ません。ゆえもなく裏切る者は恥を見ます。 主よ。あなたの道を私に知らせ、あなたの小道を私に教えてください。 あなたの真理のうちに私を導き、私を教えてください。あなたこそ、私の救いの神、私は、あなたを一日中待ち望んでいるのです 突如として降りかかってくる思いがけない厄災や、どう考えても理不尽としか思えないことに遭遇したとき、真っ直ぐに主を仰ぎ、主に信頼できたら、ことの半分はすでに解決したようなものだ。頭ではその原理が分かっている。でも、そうできないで、いたずらにうろたえ騒ぎ、結局はから周りしてしまう。そんな愚かなことが多い。 詩人のように、一日中主を待ち望み、主に祈り通せたら、なんと幸いだろう。 『主よ。あなたの道を私に知らせ、あなたの小道を私に教えてください』と祈って主の方法で、神の真理で、問題に当たることができたら、どんなにいいだろう。 『あなたの道』『あなたの小道』とは美しい表現ではないか。この小道はどこにあるのだろう。遠くにあるのではないだろう。茂みに隠れているかも知れないが、よくみれば、もしかしたら、すぐ足元にあるのかも知れない。それは『狭い門』から入る道であろう。 恨んだりつらんだり、すねたりふくれたり、時にかっかと怒ったり、悲嘆の谷に沈んだりを、やめて、一日中主を待ち望み、信頼の瞳にしか映らない『あなたの小道』を見いだして、歩みたいものである。きっと、イエス・キリストが門を開け、だれがいなくてもともに歩んでくださるだろう。 2007.05.14 Monday 23:01
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