人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

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日々の風から 私のゴールデン・ウイーク
私のG・Wなどと正面切って看板を掲げることはないのです。もしかしてどんなに奇抜なプランがあるのだろうかと、気を持たせてしまったとしたら、おゆるしを。
この時期に、例えば旅行などしたことはありません。大勢の人が移動していてどこもかしこも人、人、人ですから、そこへ入り込む気はありません。人の中は好きなほうです。人がいて当然の繁華街に、人がいないと返って寂しく白けた気分になります。でも、でも、この時期は過去にも遠出したことはありません。

我が家のそばを走る道路の交通量が極端に少なくなるのは、お正月とお盆休みの頃と、このGWの時期です。昨日から、シーンとしています。のどかな感じさえします。植え込みのツツジが満開です。並木の銀杏がいっせいに芽吹いています。ぐんぐんと葉が大きくなっていきます。そんな姿を楽しむのが私のGWなのです。
今年はいっそう外出が厳しくなっています。母のことがありますから。週一回は来てくれる妹たちもこの週はそれぞれのGWで来られません。ちょっぴり恨めしいけれど、しかたないでしょう。

それでも、いつくかのプランを立てました。まず、ミニ花壇の整理と植え込みです。チューリップもパンジーもそろそろ終りです。次の花を植えなければなりません。この期間にそれをしようと思います。教会の花壇もできたらと思っています。

もうひとつ、イチゴのコンポートを作ろうと考えています。イチゴはジャムがいいけれど、それほどきっちり煮つめないで、ジャム一歩手前くらいにしておくととても便利です。ヨーグルトにかけると気分まで豊かになります。そのまま冷凍して、暑くなったら、アイスやシャーベット代わりにいただくのもよし。牛乳の中にピンクのシロップとイチゴを入れるのも手軽な楽しみ方です。あまり大粒でないものでお値段が安いのが見つかったら、少したくさん作れるのですが。イチゴは火にかけているときの匂いが最高です。

その2つができたら、今年のGWはよしとしましょう。もちろん聖書通読に拍車をかけて、そろそろ読了としたいです。新年からスタートした皆さま、進行状況はいかがですか。この時期に調整しないと計画通りにはいきません。

昨年、ネット読書会をしましたが、それが『カラマの会』として存続することになりました。今年もちょっとした大作に取り組もうとしています。スタート時期は未定ですが、視野に入れておかなくてはなりません。なにしろ時間泥棒が以前にも増して横行していますので。

今日の礼拝は、この期間中は帰省なさる方もあって空席が目立ちました。午後のプログラムもなく、一息です。その代り、ジュニアの生徒たちが2泊3日で、教会を宿にキャンプをしています。彼らはどこにいても楽しいのでしょう。仲間がいればそれで十分なのでしょう。それが青春なら、私もその条件を満たして、青春の風を楽しみたいと思います。

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日々の風から こんなに美しい朝に
もみじの若葉
若葉2


こんなに美しい朝を迎えてしまっては、じっと家にはいられないとばかり、近くの公園目指して飛び出していきました。公園と言っても猫の額ほどなのですが。それでも、桜をはじめ多少の樹木が備えられ、季節の顔を見せてくれます。空の青さと風の心地よさが、さらに朝の美しさを上質にしています。

こんなに美しい朝を、楽しみ喜べるとは、何という幸いでしょう。生きている、生かされているとは何と貴いことでしょう。自分の現状がどんなであれ、今、生きて、歩いて、歌って、自然体で顔をほころばせて、我がうちに息づくいのちを実感できるとは、何という感謝でしょう。

若い頃は、生きていて当然でした。病気や死があるのは知っていましたが、他人事でした。いくつもいくつも生と死の崖っぷちを辿って来て、今ようやく、生かされていることがわかるようになりました。自力で生きているのではなく、私を支配する創造主の御手の中で、生かされているのを知るのです。この生を大事に生きなければ、美しく生きなければと思うのです。

生かされている自分がいとしくなります。神が生かしてくださっているその貴さのゆえに、
生かされている自分がうれしく美しく思えるのです。

春が過ぎ去っていき、夏が駆けよってきます。季節のはざまに立って、刻々と明度を上げる陽光を浴びていると、詩人になったような気がしたり、考える人になったように思えるから不思議です。

一通り家事を終えてもまだまだ外は明るいので、きっと美しい夕方に違いない、このまま家にはいられないと、閉めかけた鍵をなおして、路地を抜けると、思いがけなく夕焼け空に出会いました。みごとな夕焼けでした。茜色でなく、紫がかった高貴な夕焼けでした。
東の空を振り仰ぐと、かなりの高さに、月齢10日ほどでしょうか、半月が薄い雲を透かして小さく上ってきていました。風は思いの外ひんやりしています。4月を終わらせる風なのでしょう。
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書林の風から 塩野七生『ローマ人の物語XV ローマ世界の終焉』(新潮社)
ローマ人の物語


塩野さんの本を読み出したのはいつ頃だったろうか。92年から始まったこのシリーズの第一巻を待ちかねて求めたのだから、それよりも数年は前であろう。最初に読んだのは『ルネサンスの女たち』であった。おもしろく読んだ。以来立て続けに読み進んだ。

『水の都の物語』は忘れられない。あの時から水の都ベニスをベネッツィアはと呼ぶようになって、それまでの観光地ベニスとは全く違った姿で私を虜にした。
ベネッツィアの地図を飽かず眺め、運河や橋や路地の名前を覚え、訪れる日を待ちこがれた。それは、感謝な事に一昨年かなえられた。既製のツアーに潜り込んだだけであるから、行きたいところを残して去らねばならなかったが、それでも、十分満足だった。

ところで、話はベネッツィアでなくローマである。塩野さんの語るローマである。脱線です!
塩野さんは92年に第一巻を出すについて、今後毎年1冊、15年かけて15巻書くと宣言した。その大胆不敵さに仰天した。15年先までのことをどうして公言できるのだろう。1年先だってどうなるか分からないのにと、気の小さい私はひとごとなのに冷や冷やした。

以後、毎年毎年出るたびに買い続け読み続けてきた。今は文庫本になったらしいが、ハードカバーで400ページを越える。ずっしりと重い。手軽には読めない。正に格闘しつつの読書である。塩野さんの筆力は強い。ぐいぐいと引っ張られ、やめられない。読み終わるとぐったりしてしまうほどだ。だから、自分の状況を見定めてからでないと読み出さなかった。何もかも手につかなくなるからだ。

こうして、15年、最後の一冊になった。今は少しづつ読めるようになった。15年のうちに私の読書力が後退したのだろう。今日はこの辺でと、伏せてしまえるようになった。
私は確かに塩野さんのファンではあるが、彼女の歴史観に同意しているわけではない。特にキリスト教の解釈には大いに反論がある。時に読みたくないところもあり、腹の立つこともある。しかし、だれのローマよりもおもしろい。読まざるを得ないのだ。

 この一冊もまだ半ばである。併読している方に興味が乗り出すと、ローマが後回しになる。もしかしたら塩野さんの牽引力も15年の間に多少弱くなったのかも知れない。もう70歳を迎えたであろう。すさまじいエネルギーを持った巨人であることには間違いない。その意味では大いに尊敬し、憧れる。楽しい人に出会ったものだと喜んでいる。
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心の風から 時の速さは係わる人の数に比例するのか
時の速さについて、昨今の自分の身辺から考えさせられていることがあります。
長女家族が移転してまもなく一ヶ月。家の中は音なき世界にいるように森閑としています。もっとも自宅周辺は大きな道路あり、私鉄電車も走っていて、外界の騒音はたいしたものですが。唯一の同居人の母は、私の介助がなければ歩けないのですから、ノイズメーカーにはなりません。

音がないと空気の動きもないのでしょう、家の中は今までになくゆったりとしています。時が止まっているのではないかと思うほどです。今までとのギャップが大きすぎてまだまだ慣れません。とはいえ、静かな分だけ物思うときが増えてきて、いい加減にしてきた様々なことを心ゆくまで思い巡らすことができ、自分磨きに貢献してくれていると感じています。

孫たちとのたわいない会話や娘とのやりとりなど係わる人の数に比例して時間は消費されていたように思います。いまはその分が余裕となっているはずです。時間という貴重なプレゼントをいただいたように思います。

この新しい時間を、有効に使わなくては、使えるはずだと、いくつかのプログラムを立てて、一日24時間を区切ったりつなげたりして計算しています。
ところが、どうしたことでしょう。物理的にはあるはずの時間が前にも増して不足しています。一日が、一週間が、瞬く間に、大きな翼をもった鳥のように、私の手元から飛び立っていくのです。あれよ、あれよで、早や4月も終りが見えてきてしまいました。

時間の流れは係わる人数には比例しないなど、おかしな法則を見つけました。これは私だけのことでしょうか。時間の使い方が下手な証拠でしょうか。どこに原因があるのでしょうか。こんな、どうでもいいことを考えているからでしょうか。
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日々の風から 今日は同窓会
ガーベラその1

年に一度の同窓会総会へ出かけます。お茶の水なので30分ほど。気が楽です。それに、久々の方もおられますが、いまだに月1回の学び会で顔を合わせる兄姉がおられますから、まるで肉親の集まりへ出かけるようです。もっと蜜かも知れません。総会の議事もさりながら、親しき友との語らいが至福の時なのです。いそいそと出かけます。


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日々の風から  揺れるばばごころ
がく紫陽花
がく紫陽花

孫から電話がかかってきました。4年生のS君からです。
「こんなこと、考えたんだけど。どう?僕たち明日は名古屋に行くの。パパはお仕事で、ママはどうしてもライフセンターを探して本を買いたいんだって。ついでに、名古屋を探検するから、来ない?」
「えっ、私が?名古屋に?明日?」
「そう、のぞみに乗ればわけないよ」
「のぞみねえ…」
「ねえ、会おうよ。いいじゃん」
その時、一瞬私の心は恐ろしい振幅でぐらぐらと揺れたのです。
不可能ではない。2,3時間いっしょに過ごしてとんぼ返りすればいいんだもの。ええと、8時過ぎに家を出て9時当たりの新幹線に乗れば、11時ごろには会える、そして…
そこへ、母の姿が割り込んできたのです。
ああ、でも、どんなに急いでも帰宅は6時過ぎになってしまう。
だめ、だめ、そんなに長く一人にしては置けない。たとえ、食事を準備しても、無理、無理。足元を見つめたら揺れが止まって、平静心が戻ってきました。

諄々とわけを話して、明日はちょっとパスね。でも、できない事ではないから、次の時は行くからね。おばちゃんたち(妹たち)に前もって頼んでおけばできるよ。
「そうか、しかたないね。じゃ、僕たち先に探検しておくからね」
さすが、S君、あっさりとわかってくれました。

ほっとしたものの、大きな揺れは戻しがあるもの、たびたび余震に襲われました。そういう方法もとれるのだ。今の時代だもの、日帰りができるのだった。次のチャンスはのがさないからなどなど、しばらく思いが消えませんでした。

午後になると、シャメールが入ってきました。観覧車に乗っているS君とMちゃんの大写しです。と、今度は次女からです。出張で宮崎県日南海岸にいると。飛行機で来ればすぐだよ、お母さんも来てみたら。南国って感じで、珍しいよ。
思わぬところからまた揺さぶられてしまいました。

とは言え、今日の私はといえば、行動力旺盛な彼らをちょっぴりうらやみつつ、暖かくて外出日和の今日に限って、近くのスーパーにすら行かずに、ひたすら家にこもって、明日の教会奉仕の準備にかかりきってしまいました。かくして、行く春の土曜日は暮れていきます。
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日々の風から 同病相憐れむ?
白マーガレット  カラーマーガレット


コンビニでは使えない振替用紙からの入金をするために(ちなみに、銀行は要りませんが、郵便局だけの振替用紙はそろそろやめて欲しいのですが)近ごろあまり行かなくなった郵便局へでかけ、ついでに近くのスーパーへ入ろうとしました。

ぎゅっと腕を捕まれて、見れば古くからの知人です。以前は私の家の真向かいにいました。新設道路敷設のため立ち退きになり、同じ地域ですが替え地へ移転しました。もう30年も前のこと。ときどき道で出会ったときは声を掛け合い安否を問い合い、立ち話になることもありました。でもいわゆる世間話でおわりでした。

「お母さん、いかが?」
さっそく切り出してきました。実は彼女のお姑さんと母が、最近デイサービスでいっしょになります。母たちはずっと向こう三軒両隣りの仲でしたから、年は取っていてもお互いに覚えていて話しをするらしいのです。

彼女は私と同年齢。もう40年以上も前に地方から嫁いできたのでした。母一人息子一人のところへ。姑さんは戦争未亡人で、ひたすら一人息子を育てて一生を送ってきたのでした。
優しい優しい一人息子なのです。そこへ嫁いで来た彼女はさぞ見えない苦労をしたでしょう。でもよくよくできたお嫁さんでした。お姑さんはのほうも我が家の嫁は世界一と褒めちぎり、嫁なる彼女も、実の母よりかわいがってくれるわと、世間には言っていました。

今はすっかり老いたお姑さんを在宅介護しているのです。私とほぼ同じ状況です。私を道の端に引き寄せるようにして、彼女はしゃべり出しました。
「こんなこと、介護している人にしか話せないわ。分かってもらえないから。家の義母はね……」と、積りに積もったものが山ほどあるのでしょう。洪水のようにしゃべり始めました私が母のことを多少でも挿入しようとしますと、聞こえているのかいないのかまったく聞く耳持たずで、とにかく、延々とお姑さんのことばかり。すっかり驚いてしまいました。

この人、若い頃から一人で耐えてきたのだなあ、真向かいに住んでいながら、ちっとも気がつかなかった、そんなことを考えてしまいました。
「もう96歳になったのよ。でもしっかりしてるの。特にお金のことはね。最近は財布がない、誰かが盗った、孫の子どものせいにしたりしてたいへん。ショートステイなんてとんでもない。誘ってみたけど、ぜんぜんよ。第一パパが甘いの。行きたくないところへ行かせることはない。俺が世話をするよって。でも、できるわけがないでしょう。
デイサービスだって、あんなところつまらないって文句ばっかり。渋々行っての。ちょっとおつかいかに行くんだってどこへ行くのって、しつこくきくのよ。でもね、お下のほうはまだ自分でできるの。それだけは助かるわ」

けっして悪口ではなく、現状なのでしょう。母一人子一人の家で何十年と仕え、気がつけば70歳が見え始めているのです。「家族だけで旅行でも行ってみたいわ。夢よ、夢よ」
美人ですてきな女性でしたが、まじまじと顔を合わせてみて、皺深いのに驚きました。
話を切るのに困りましたが、やがて「がんばりましょう」「がんばりましょうね」で、別れることができました。

母に、お嫁さんに会ったと話しましたら、お姑さんがセンターで「お宅は娘さんでいいね」と言ったそうです。母はウフフと笑っています。これ、いったいどういうことでしょうか。彼女もお姑さんも辛いのです。母と私には義理の仲のストレスや苦しみだけはありません。

こんなに開かれた時代なのに、家庭と言う密室は外からは見えません。案外旧態依然としているようです。その中で、世間体を気にして恥だけはさらすまいと、口を閉ざし涙を呑み込んでいるのです。分かってもらえそうな人にしか心情を明かさないのでしょう。遅ればせながらそんなことに気がついて、足元を確認するフットライトの一つにさせてもらいました。
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日々のの風から 孫たちと老母の昨日今日
姫りんごの花


孫たちが思いがけなく三重県Y市に転勤、転居してしまって(いいえ、転勤は孫ではなく婿殿で、転居は長女家族でした)まだ一ヶ月も経っていません。近ごろ居ないことを強く実感するようになりました。

母はなにも言いません。寂しいねとも、どうしているだろうかとも。もしかして、全部忘れているのではないかと思って、尋ねてみました。
「みんな、いないね。わかってるの?S君の声も、Mちゃんの声もしないでしょう」
「転勤したんだよ。転勤だよ」
「そうね」
「早く帰ってきてくれないかねえ」
「えっ、そんな風に思ってるの」
「思っているよ」
 切なくなりました。何も言わないけど、じっと胸にしまって考えているようです。時として、老人性の障害が入り込んでいると思うこともありますが、どうして、どうして、なかなか正常ではないかと思いました。

孫たちですが、毎日長電話です。長女とではありません。孫たちとです。よくかけてきます。学校であったことが中心。事細かに説明するので長くなるのです。さすが女の子、Mちゃんは長いです。それに、ぴかぴかの一年生ですから。
「明日、4時間か5時間かどっち、当ててみて」
「そうね、5時間!」
「当たり!初めてだよ。初めての5時間。S君は6時間だよ」

「初めてお掃除した。教室と廊下」
「Mちゃんは何をしたの」
「掃く係」
「たいへんだったね。真面目にやったの」
「やったよ、でも遊んでいるみたいだった。楽しかった」こんな会話が延々と続いてしまうのです。

私は自分の部屋に大きなコルクボードを取り付けました。仕事のメモを貼っておくためもあるのですが、今、一番大きくスペースを占めているのは写真です。あちらから送られてくるシャメールをパソコンに取り込んで写真用紙にプリントします。それを次々に貼っていきます。写真はインクが要ります。じきなくなって、ヨドバシへ走っていきます。まったく、笑いものでしょう。でも、ばばばかも楽しいものです。
そして、母ではないですが、「早く帰ってきてくれないかなあ」とため息です。

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日々の風から ノロ・ウイルス騒動
今月の母のショートステイは16日から20日までの4泊5日。2月1日に予約電話の殺到する中からようやくゲットしたのでした。
ところが、4月に入って、ホームから連絡があり、ノロ・ウイスルが検出されたとのこと。保健所の許可が出るまでは無理ですとキャンセルされてしまいました。もちろん、危険なところへは行けません。しかたのないことですけど、いささか残念です。

ステイ中にあの事もしましょう、あそこへも、ここへも行ってきましょうと、かなりびっしり計画を立てていました。全部ボツにしなければなりません。自分自身を納得させるにも少々手間がかかりました。

一つだけ決行しました。妹にたのんで、群馬県A市の次女のところへ行ってきました。2月に上棟式をした新しい教会堂の工事が順調に進んでいるとのこと、もう外装はすんで、今、内部もほとんどできあがった、5月中旬には教会も、娘も移転することになったと聞いて、ステイ中にぜひ見に行かなければと、新幹線の切符も取っていたのでした。

当初は一晩泊るはずでしたが、それは無理。日帰りとなりました。それも、滞在時間はかっきり5時間。11時に東京駅を発って、5時には帰途の列車に乗り込みました。乗車時間は59分です。

新会堂をくまなく見せてもらって、感動そのものでした。礼拝堂にはいると、身が引き締まり、熱い熱いものがこみ上げてきました。ここで、皆さんが神様を礼拝するのだ、こんなにすばらしいすてきな場所で、さんびと祈りをささげるのだと想像するだけで胸がドキドキするほどでした。

小さな群れに神さまがくださった恵みはなんと大きいものでしょう。このところで、神さまのために、地域の人々のために、福音が宣べ伝えられ、愛の業が行われるのです。
全国にいる大勢の主にある方々がこの教会のために祈り支援してくださっていることも聞きました。愛の結晶としての新会堂なのだと、改めてうなずき、娘とともに感謝の祈りを捧げました。妙義山は雨に煙っていましたが、貴重な一日になりました。



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心の風から 『約束の旅路』を観賞して その3
映画を見て2日、3日と日が過ぎていくと、大波のようにうねっていた感情が収まってきます。また、記憶は恐ろしいスピードで消えていきます。そうした自然現象、生理現象に素直に身を任せて、なお継続している思いや消えていかない記憶をたどってみます。

見た直後よりいっそう鮮明になってくるシーンがあります。初めと終りのスーダンの難民キャンプの場面です。まるで白黒映画のように色のない白茶けた風景が広がります。そこにアップで映し出されるのはシュロモの実の母です。初めは、シュロモは9歳の少年、ラストはイスラエル軍の青年従軍軍医としてです。母は、ラストの母は十数年の歳月と哀しみのためにすっかり色香をなくした初老の女性になっています。シュロモの対比はすんなり受け入れられますが、母の姿は胸をえぐります。別れてから再会するまで同じキャンプの片隅で、ずっと同じ姿勢で、息子を待っていたのだろうかと思うほどです。

「行きなさい、生きて、そして何者かになるのです」と、少年を追い立てて未知の世界に送り込む母の姿に、母という存在の強さと愛を感じます。自分のことは投げ捨てて、息子の行く手に待っているものを信じ、どんなことがあっても生きることを望む母、こうした母があるからこそ、人は生きていけるのでしょう。

全編を流れる何とも言えない哀愁を帯びたメロディーは、母の胸中を代弁しているようです。母は限りなく悲しいのです、死ぬほどに苦しいのです。ひたすらに、手放した息子を思って、おそらく、祈り通していたのでしょう。「行きなさい、生きて、そして何ものかになるのです」これは母という母の叫びでしょう。

自分の老いた母を見ながら、昔の母を思い出してみました。私の母も、ここまではっきりと私の背中を押したことはなかったけれど、むしろ、母を後ろにどんどん自分の道を歩いてきたのだったけれど、私の選択を一度だって反対したことはありませんでした。有言無言で協力応援してくれたのでした。ずいぶん犠牲になってくれました。その母はシュロモの母のように「行きなさい、生きて、そして何ものかになるのです」と叫んでいたのでしょう。

翻って母としての自分はどうだろうと、考えました。シュロモの母のように背中を押したこともありますが、むしろ私の母のように賛成し協力し、祈り続けてきたと思います。私の心のメロディーもまた「行きなさい、生きて、そして何ものかになるのです」をフォルテで奏でています。さらに神のために、イエス・キリストのためにと、ワンフレーズを挿入しながら。


この映画をみごたえのあるもにしている現実社会諸問題、難民のこと、肌の色、宗教の違いによる差別、ユダヤ人とは?イスラエルとは?などは中途半端な知識ではお呼びもつかない大きなテーマです。手も足も出せません。

ただ、どんな状況下でも、生きぬくことこそ意義と価値があることがわかりました。また、どんなに非常なときでも、人は自分のアイデンティーを探し、それがわかると、自立してたくましく生きていけるのだと、分かりました。何よりも己を捨てた愛によって人は生かされるのだと、心から納得できました。それらが、今自分が到達している心境、持ち合わせている信条と合致していることも確認できました。

時にはよい映画をみるのもよいものだと思います。名作を読み、名画を見、名曲を聴くのにも勝る収穫と楽しさがあります。映画は総合芸術なのでしょう。(終り)

追記 下手な観賞録でした。百聞は一見にしかず、です。ご自身の目で確かめ新しい感想をお聞かせください。


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