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2023.08.01 Tuesday
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聖書の風から 詩篇を愛して その12 詩篇23篇 死の陰の谷も恐ろしくはない
詩篇23編 ダビデの賛歌 主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。 主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。 たとい、、私はわざわいを恐れません。 あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。 で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。 まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。 私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。 詩篇の中でいちばん有名で、いちばん愛されているのがこの23篇。みんなこれだけは暗誦する。せずにはいられない魅力がある。5歳の孫娘Mちゃんも時々大きな声で口ずさんでいる。 この詩からは、かのダビデ王がまだ一介の羊飼いの少年であった頃、豊かな牧草地で羊たちを遊ばせながら、竪琴をかき鳴らしている姿が浮かんでくる。確かに、ダビデにはそうした美しい思い出があったろう。しかし、ダビデの生涯のほとんどは、戦いの連続であり、いつもいのちの危険と隣り合わせであった。 ダビデは危機迫る中で、つまり、《死の陰の谷を歩》き、《私の敵の前》なのに、主がともにいてくださるので、そこは《緑の牧場》であり《いこいの水のほとり》なのだと、高らかに吟ずるのである。 この詩を貧困の中にいる友に、病苦の中にいる友に、愛を喪失した友に、誤解や中傷に苦しむ友に、送ることがある。また、送られることがある。どんな人をも慰め励まし勇気づける、いのちあふれる詩である。インマヌエル(神我らとともにいます)の主のそばにいることほど幸いなことはない。そこはまさに緑の牧場である。 希望の風がそよいでいることは言うまでもない。 2007.01.31 Wednesday 21:31
世相の風から 《女性は子どもを産む機械》発言に怒ります。
咲ききっている白梅 新しい年が始まって正確には1か月が終わっていないのに、世の中を吹きまくる風は厳しく険しい。風の表情を見極めようとする暇もなく、次から次へと押しよせてくる。感度のいいアンテナを立てているわけでもないので、めったな感想は言えない。半分口を開きかけるのだが、力不足を感じてたいてい閉じてしまう。 しかしである。これはかっかと怒ってもいいと思う。《女性は子どもを産む機械》とは!! これを言った人が厚生労働省の大臣とは、なんとしても胸が収まらない。あまりにもお粗末ですぎる。情けないではないか。 その道の専門家たちが、特に女性たちがりっぱなご意見を持って抗議しているのはうれしいことだ。陰ながら応援するしかないが、女性としてのプライドにきちっと立って暴言の行方を見守りたい。 2007.01.30 Tuesday 19:16
日々の風から 花より団子?
今日こそは、ミニ花壇の傷んだ花を整理して新しいのを入れようと、勇んで出かけました。 駅ビルの前のフラワーショップで品定めをして適当なのがあったので、重いから買うのは帰りにしましょうと、他のお店へでかけました。案内のハガキが来ていたお店で小さな買い物をしたら、くじを引かされて、なんと化粧石けん一年分が当たりました。当たるようになっていたのでしょうけど。 一年分とはつまり12個です。当然いただきましたが、ずしっと重い。それを提げて6階のいつもの書店へ行きました。午前中なので体力にも余裕があって、いつもす通りする雑誌コーナーに立ち寄りました。文藝春秋二月特別号が目に入って、ぱらぱらとページを繰っていると衝動が突き上げてきて、ついに買ってしまいました。重い! 地下へ下りていき、お昼を待っている母の昼食をと考えている内に、たまにはサンドイッチにしましょうと、パン屋さんへ寄って、ついでに母の好物のあんパンなども買って、早くも包みが3つになってしまいました。重いこと! お花屋さんの前まで行きましたが、もう買う気持は失せてしまいました。折から、予報にあったのかどうか、雨が降りしきっています。お花どころではありません。 そんなわけで、花より石けん、花より本、花よりパンとなってしまいました。 一食なくても花を愛でる、詩人ではないなあと、ちょっと寂しさを感じつつ、雨に打たれて家路へと急ぎました。またたくまに月曜日の午前中が飛んでいきました。 2007.01.29 Monday 17:30
日々の風から 人はその友によってとがれる
事務局を預っている団体の定例会がありました。隔月でしています。今日は20名ほどが集いました。年代を言えば、30代、40代はまばらで、50代、60代、70代となります。会の趣旨が、クリスチャン生活の中で、神さまからいただいた恵みを文章で発信していこうというものですから、経験の浅い若い人は活動しにくいかもしれません。年配者が多いのは当然なのでしょう。 今日は新年最初の定例会なので、出席者全員が今年の文章活動計画や抱負を語り合いました。最初に司会者から一人の持ち時間は3分までと言い渡されましたが、老いも若きもだれひとりオーバーすることなく、見事に予定の時間で語り尽くしました。見事と言わねばなりません。こうしたスタイルを取るとき、時にルールが無視され、あってなきがごとしになりかねないのですが、この会はいつも判で押したように時間が守られるのです。 文書が書き慣れくると、語るときも、書くときのような精神作用が働くのでしょうか。そのまま文章に出来るような語りかけになるのは、みなさんさすがです。だれやらの文章読本に、日常会話も書くように語れとあって、たいへん衝撃を受けたことを思い出しました。 もうひとつ感動したことは、ほとんどの方が、具体的に今年の文章活動の志を抱いておられることでした。ハガキや手紙をこまめに書いていくと、文章活動の大切な基本を言われた方から、イスラエルに行って来たので旅行記をまとめたい、童話集を出版するなど、一人一人の胸から文章への熱い思いがほとばしっていました。 私も、皆さんの勢いに触発されて、ちょっと大きなことを言ってしまいましたが、さてさて、実現にいたるでしょうか。それは今年の努力次第なのです。がんばらなくっちゃ! 刺激や情熱を与え合う友との交わりはすばらしいものです。もう一つすばらしいのは、全員が一人のお方イエス・キリストの方に向いていることです。イエス・キリストを慕い、愛し、仕えようとしていることです。この志を一つにして、私たちの小さな団体は今年もイエス・キリストのすばらしさを文章で伝えいこうと、老いも若きも立ち上がっています。 今日は作品集『わたしの名前』が配布されました。自分の名前の一文字、一文字を頭にした折り句も収録されていて、楽しい文集になりました。 『鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる』箴言27章17節 2007.01.27 Saturday 23:28
書林の風から 日野原重明『いのちの言葉』その6 老いを楽しむこと・続き
昨日に続き、日野原氏の著書から考えます。 《老いを楽しむこと》を開きます。 老いを育てる 子どもは親が育てる。青年は教師が育てる。中年は社会(職場)が育てる。だが、老人は自らが育てる。 老人を育てるものはないのだろうか。自分で自分を育てるとはどういうことだろうか。それは寂しく悲しく厳しいことではないか。心身共に退行していくのに、少しでもそれを食い止めるために人手が必要ではないか。老人こそ引っ張ってくれるものが欲しいのだ。ところが日野原氏は自分で自分を育てるのだとのたもう。 わかるような気もする。老人は前半生で十分成熟したはずだ。自立したはずだ。そのため込んだ成熟力自立力を知恵に変えて、今後に生かしていくことが求められるのだろう。 さらに氏は言われる。 老いて心を豊かにするには 老人が内的に自らを豊かにするには、いくつか必要なことがあると思う。 友との交わりを持つこと、何か新しいことを創めること、若い人から断絶しないこと、今日の一日に自分を高める努力をすること、からだと頭とを十分に使うこと。 これが自分で自分を育てることの具体例であろう。私はどうだろう。もっとも氏の言われる老人とは、あの新老人説によれば、75歳以上が対象のようだから、現在地点では部外者と言わざるをいないが。 しかし、列挙されている事柄を今のうちから極力心がけるにしくはない。なにごとも泥縄式ではうまくいかない。付け焼き刃では役に立たない。 2007.01.26 Friday 22:28
書林の風から 日野原重明『いのちの言葉』その5 老いを楽しむこと
この章には20の小文が列を成している。ご自身が今、そこを生きておられ体験しておられるゆえか、ひとつひとつ至言である。一つ一つに大きくうなずく私も部外者ではないからだろう。2,3引用して考えてみます。 自由な時代 人間がほんとうに自由になる時代が、人生の最後に来る。 短い文章だけれど、深い意味が込められていると思う。氏の言われる自由とはなにをさすのだろうか。まずは、長年係わってきた仕事を退職して、時間が自由に使えるようになった、その自由があるだろう。これは最も大きな自由と言える。物理的自由とでも言えようか。退職したら、あれもしたい、これもしたいと、長年馘首して待ち望み、待ちこがれて、ようやく我がものとなった自由はどんなにうれしいことだろう。なんの束縛も無しに、24時間まるごと自分の思うように使えるなど、若いときには不可能だったろうから。 その夢のような自由が、人生の最後に来るとなると、ちょっとひるんでしまう。制限付きの自由、手の平にすくい上げた水が、どんなに上手にしても漏れてなくなってしまうように、せっかく手にした本当の自由もいっときのことで、まもなく死によって幕となるのだ。はかない束の間の自由というわけである。それが本当の自由な時代といえるだろうか。 心の自由も考えられる。ガムのようにこびりつき、執着していた事柄が、いつのまにか溶けて消えてしまう、あるいは受け入れて消化してしまう、包容してしまう、そんな弾力のある精神活動ができてきて、心が広く軽く自由になっている。人生の最後にはそうした境地があると、氏は言わんとしているのだろうか。 心身共にほんとうに自由になる時代、人生の最後にはその自由を得たいものである。自動的に来るのだろうか。氏の言葉にはそんな気配がある。しかし、自動的には来ないだろう。 人生の最後とは、第二の人生のことだろうか。もっと最後の方の、死に近い時期を指しているのだろうか。 2007.01.25 Thursday 23:20
光(キッズ)の風 孫のSくん 9才の誕生日
今日はSくんの誕生日です。満9歳になりました。4月からいよいよ高学年4年生です。誕生祝いはパパのいる土曜日にすでに済ませました。つい先月、クリスマスプレゼントをいただいたばかりなのに、またまた多誕生日プレゼントです。もっとも親たちも私もささやかな日用品ですが、それでもSくんはほくほくと満面の笑みです。 ママが腕を振るった大好きなチョコレートケーキの大きな一切れを瞬く間に平らげていました。最近食べっぷりのよさにびっくりです。 私のプレゼントは図鑑のシリーズの一冊です。昔からお馴染みの地域の書店に依頼したのですが、当日に間に合わず、しかたなく目録をわたして勘弁してもらいました。 今日23日は正真の誕生日です。終わったからなにもないではかわいそう、ママは夕食に好物の一品、私はアイスクリームを進呈しました。またまたハッピーバースデイを合唱。 今日は2回目、学校でもうたってもらったよ、ですって。音楽の時間に、クラス全員が歌ってお祝いしてくれたそうです。なかなか豊かな学校生活ではないかと、担任の先生のお顔を思い浮かべて、うれしくなりました。 ついでにMちゃんですが、いよいよ小学校へ入学です。今日は校長先生の面接があったそうです。もちろん兄のSくんの学校です。区立ですが、となりの区です。今は地域に縛られず自由に選べる時代です。Mちゃんは大分緊張し、恥ずかしくてもじもじしていたようです。 大寒の寒風の中で、枯れた木の枝々に小さな芽がふくらみ始めていますが、子どもの成長も目を見張るようです。そのたくましさは植物をはるかに凌ぎます。体よりも、心の成長に驚きます。さすが神様の傑作だからでしょう。子どもは希望の風の代表です。 2007.01.23 Tuesday 22:37
日々の風から 退院した友へ そして、再び風邪の床にいる友へ
退院した友へ 昨年12月25日に、大手術というスペシャルなプレゼントをいただいた友人が、3週間の入院生活を終えて、無事に退院し、いま自宅で療養中です。今朝は電話でしばらくお話しできました。当初の予想をはるかに越えて検査結果がよく、また術後の経過も良好で、日に日に回復しておられるようでした。 姉妹は何よりも心持ちにおいてお元気でした。すっかり癒されたと信仰に堅く立って信じているので、あれこれとよけいな心配は一切していません。その信仰が良薬に勝る回復力となっているのです。早々に職場復帰を願っておられます。その気持はよくわかりますが、ゆっくり、ゆっくり歩み出してね、決して急がないでと、念を押したことです。 こんなに暖かくていいのかしらと、町を歩けば、春の花ビオラが満開。近づいて携帯のシャッターを切りました。小さな見舞いです。 再び風邪の床にいる友へ 先週、発熱したと知らせがあり、まもなくよくなったとのことでしたが、今日、また発熱とか。お気の毒です。熱は辛いものです。早くよくなってください。 大寒にしては明るく強すぎる日差しを浴びて、この一輪もいっそう輝いていました。 お見舞いです。 2007.01.22 Monday 22:36
日々の風から わがままで天の邪鬼
今日の礼拝メッセージ『これが道だ、これに歩め』はヨハネの福音書14章6節『私は道であり、真理であり、いのちなのです』をてきすとにして、特に道について語られました。 イエス・キリストこそ唯一の救いの道であり、天国に通ずる道であり、十字架の犠牲によって示された道である。この道に従っていくとき、真の平安と永遠のいのちを得ることができる。この道を、いつでもだれにでも確信を持って示すことができるようにしたいと勧められました。 礼拝後はそのままの席で、隣り合わせた友と祈り合いました。月に一度はいつもの祈祷会の他にこうした祈りの時を持っています。配布された祈りの課題の一覧表に従って祈っていきます。今日は特にセンター試験を受けている教会員の子弟のために祈りました。 今日は目につく課題は、我が家を初めとして、介護する人、される人が増えてきたことです。私の場合はまだ母を一人にしておけますし、日曜はたいてい妹がきてくれます。また教会が近いので、用があれば何度でも往復できますが、乗り物に乗って来なければならない方々は、礼拝に出席できない状況です。最近も未就学児3人を抱えた主婦の姉妹が、嫁ぎ先の舅が倒れて病院通いや家事のために難儀していると報告があり、皆で祈り合いました。またお子さんのいない80才近い老ご夫婦が、二人とも相次いで大きな手術し、同じ病院で治療を受けているとのこと、厳しい現実に胸を痛め祈り合いました。 夕方、近くのスーパーに行く途中で、深紅の花を咲かせている椿を見つけ、ほっと一息つきました。交通量の多い道路際なので、葉も花も生気に欠けますが、寒風の中の紅は胸に灯がともったように安らぎを与えてくれます。 それにしても、大寒なのに、今年はぴりぴりぞくぞくするような寒に遭いません。暖冬です。昨年はもっともっと寒かったと思います。暖かいのは楽でうれしいけれど、もう梅が咲いたなどと聞くと、ちょっと不満です。雪国の方々には申し訳ないことですが。 寒が強ければ嘆き、暖かいとつぶやき、我ながら、わがままで天の邪鬼だと苦笑です。 さあ、新しい1週間も、風邪をひかないで、小さな日常に励みたいものです。 2007.01.22 Monday 10:04
書林の風からネット『カラマーゾフの兄弟』読破ツアー終了感謝会実現!
昨年の8月15日に、9名のメンバーが同じ船、いや飛行機?に乗り込んで、ネット『カラマーゾフの兄弟』読破ツアーという、奇妙な旅に出ました。その様子は旅日記と称して6回に渡ってこのサイトに発信してきました。興味を持って応援してくださった方々もおられ、励ましをいただきながら、9名は4か月と10日の旅を無事終了して、12月25日、クリスマスの朝に、それぞれ懐かしの我が家に旅装を解いたのです。なんといってもあの岩波文庫4冊を全員が読破したことは大きな快挙です。 メンバーのお一人一人が貴重なまた楽しい思い出として御自分の人生史に色彩豊かに書き込んでくださったことを伺い、言い出しっぺ、旗振りをした者にとっては、二重三重の喜びになりました。 どこからか、一度ほんとうに会いまみえて総括をしたいとの声があがり、メンバーの方の骨折りで話が進められ、なんと、今日、感謝会が実現したのです!うそみたいな話です。 人生っておもしろい!冒険するってこういうことなんだ、と久しぶりにワクワクしながら会場に急ぎました。こんな年齢ですから、多少なりとも会合の経験はあるのですが、今日は、若者のように華やかな緊張がありました。 私は全員を存じ上げているのですが、初対面の方々も当然おられるわけです。旅日記を回覧し合っていますので、文章の上ではすっかりお馴染みなのですが、実物と想像とが大きく違っていて、驚く場面もあり、その意外性がまた楽しく、会は大いに盛り上がりました。 9名のうち、お一人は教会の奉仕がずっと前から入っていて欠席、泣く泣く欠席ですと連絡がありました。もうお一方は奈良県にお住まいですので、無理というものです。欠席者2名のみで、7名がいそいそと集まったのです。 全員がクリスチャンでした。そうでない方もおられたら大歓迎するところでしたが、今回はこうした構成になりました。ちょっとリッチなランチを囲んで、話が尽きるわけがありません。気がついたら2時間あまりが過ぎていました。 会は続けましょうと、全員が挙手をして決定。また、課題の本が出されて、いつの日か旅の人になるのです。 ツアコンはこれまた全員の挙手で再任となりました。がんばらなくっちゃ! 2007.01.20 Saturday 22:48
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