人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

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日々の風から ブログ記事を一年間書き続けて その3 文章にも賞味期限がある?
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一年間ブログ記事アップに追い立てられて、他に何もできなかったと、恨みっぽい言訳をしました。反省しています。
毎日書けたのだから、毎日読んでくださる方がおられたのだから、神様がその志を与え、必要を与えて志を導いてくださったのだから、大いに感謝して喜ぶべきなのでした。『すべてのことについて感謝しなさい』とはイエス様の願っておられるところでした。

何様でもないのです。なんと傲慢でしょう。他に何もできなかったなんて…。他に何をしたいというのか、欲張りにもほどがある!そのように思い至りました。皆々さま、おゆるしを!

マイレターを出せなかったもう一つの理由をお話しします。
当初、ブログ記事を整理編集してレターを出せばいいと考えていました。あれやこれやと選択したものをプリントアウトして、あらためて紙面で読んでみました。

ところがです、はたと何かに突き当たって前に進めなくなってしまいました。
読み返してみると、どれもこれも納得できる文章になっていないのです。どこか水っぽいのです。味が抜けているのです。つまり、鮮度が落ちているのです。
ああ、文章にも賞味期限があるのだと、始めてそんなことに気づきました。
するめのように噛めば噛むほど味が出てくる、そんな文章をめざしているのに、萎れた小松菜のような、かすかすのりんごのような文章を集めてどうなるのか。
というわけもあって、マイレターの制作は中断してしまいました。では今後どうするのか、目下思案中です。ブログの一年間の落とし子で、ブログ2年目の最初の課題です。




今日は霜月11月の晦日。夕方、曇り空が切れて、西の空がほのかに赤く染まり、東上空には月齢何日になるのでしょうか、半月ほどの月がくっきりとかかっていました。時刻は4時半を過ぎたばかり。なんと日足の短いことでしょう。
いざ、明日からは12月、クリスマスの月に入ります。クリスチャン走るの月です。大いに走って走って、ベツレヘムまで走る心意気で、御子イエス・キリストのご降誕をお祝いしようではありませんか。











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日々の風から ブログ記事を一年間書き続けて その2 他に何もできなかった…
ブログ記事を書き始めたころ、ある構想が生まれました。これらの記事の中のいつくかをマイレター『希望の風』に使おうと。ブログにあるカテゴリーはレターに準じたものです。初めからジャンル別にしておけば、レター編集の時に便利だろうと考えたからです。

ところがです。マイレターがなかなか出せません。なんどか手を染めたのですが、いまだに完成できないでいます。2つ理由があります。

一つは、毎日毎日ブログ記事を書くのに追われすぎて、時間が足りなかったことです。
誰に頼まれたのでもなく、強制されたのでもないのに、まるでノルマのようにし続けました。今もそうですが。
スタートしてしばらくは夢中で乗りに乗って楽しさいっぱい、るんるん気分で走っていました。そのうちにペースは崩したくないとばかり、意地と我(が)に両腕を取られながら、足を引きずって、それでも継続せずにはいられませんでした。

間をおいてぼつぼつとしようと決めかかると、必ずと言っていいほど、毎日楽しみにしていますなどと、メールやお手紙まで来るのです。
あんな雑な文章なのに、楽しんでくださる方がいると思うと、恐縮と感謝でいっぱいになり、よし、やめないぞとばかり、奮い立ってキーボードを叩きました。

最近、計算してみたのですが、一日約1000字書いたとして、一年365日で365000字、400字詰め原稿用紙換算で900枚書いたことになるのです。私の文章生活で、1年にこれだけの量を書いたことはまだありません。
うーん、継続の実だなあと、一人感心しました。ということで、つまりは、この一年はブログを書くだけで精一杯であった、他に何もできなかったと言うお粗末な次第なのです。

もう一つ、レターが出せないでいる理由があります。それは、その3で書いてみます。







日々の風から comments(11) -
季節の風から ドラゴンフルーツを食する
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沖縄特産のドラゴンフルーツ、ピタヤと初めてまじまじと対面しました。楕円形でようやく手のひらに乗るほどの大きさです。しかし形と色に一瞬ぎょっとさせられ、しりごみしたくなります。
サボテン科の果実とのこと。
切り口の赤たるやなんとも毒々しい。しかしきつい匂いはなく、意外とさっぱりしています。甘さもうすく、ものたりないほどです。こわがらずに一度おためしあれ。
季節の風から comments(0) -
日々の風から ブログ一年、ミクシイ半年を迎えて その1
昨年の11月末から、手取り足取り教わりながらおそるおそるブログを始めて、ちょうど一年になりました。6月からはミクシイにも首をつっこんで、いなかのネズミよろしく、大都会、ネット世界の隅っこで毎日目を白黒させています。

最初の記事はこうです。
ブログ名【希望の風】は私のニュースレター名からとりました。由来は聖書のことばです。『希望は失望に終わることがない』と『風は思いのままに吹く』を結びました。風は天地創造の神、愛と赦しの神イエス・キリストと聖い霊を表しています。
人生稼業は60年を越えましたが、希望の風のつばさに乗り、ブログの世界への旅立に、夢膨らませ、胸をときめかせています。

一年を終えて、多くの発見があり、知り、学び、感じました。反省もあります。
そして、最初の志《希望の風を提供する記事を発信すること》の前にあらためて立っています。


ブログやミクシイのいちばんの特色は発信者(書き手)と訪問者(読み手)の間に大きな時間差がないこと、リアルタイムの人間関係、その同時性にあると言えましょう。
言い換えますと、すがたは見えねど、すぐそばにいる人に語り、返事が聞こえてくる臨場感があることです。

ここ十数年、折々のレターや小冊子や本の形で、なにがしかのことを発信してきました。発信する部数も決まっており、受信者のお顔もおよそ存じ上げていて、いわば仲間同志的安心感がありました。発信すれば必ず返信があって、いっとき、喜びや感謝など、満足感を味わいました。しかし、いっときなのです。一年中発信しているわけではありませんから。書くことは孤独なわざだなあと、時に嘆息することもありました。

ネットへの発信は、お馴染みの方々だけでなく、見ず知らずの方も読んでくださるのは、不安もありますが、喜びはしとしおです。そして、なんと言ってもコメントはうれしい限りです。同席しておしゃべりしているような気楽さがあって、なんともおもしろくおかしいのです。全くの知らぬ者同士が、いつのまにかお隣さんなのですから。ハンドルネームで呼び合えるのも親しさを増してくれます。《希望の風さん》、《希望氏》などと呼ばれるのにもすっかり慣れて、いい気分です。

ネットが作る人間関係には想像を超えた恐ろしい落とし穴があるとよく聞きますが、幸いなことにこの一年、私の周りには、私の人生を豊かにしてくださるすばらしい方々が集まってくださり感謝でいっぱいです。

考えてみますと、希望の風を送ろうと気張って始めたネットへの旅立ちですが、かえって私の方が希望の風をいただいてしまったようです。予想しなかった財産ができました。
2年目はさらに財産を殖やせるかもしれません。それはそれとして、私も蓄財をシェアーしなければいけません。『与ふるは受くるより幸いなり』ですから。


確かなことは一日ごとに、一ヶ月ごとに老いに向かっていることです。次の言葉を握って、明日からの新しい旅に向かいたいと思います。

『年老いているということは、
もし人がはじめるということの真の意義を忘れていなければ
すばらしいことです』マルティン・ぶーバー

『ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています』コリント人への手紙2・4章16節

季節の風から comments(10) -
日々の風から 長女の出張・子守りと大守りの大役
土曜日、日曜日と大きなイベントの奉仕が終わって、今日は牧師休日にならって休養したいところですが、思うようにいかないのが現実のようです。長女が、属する教団の委員会で大阪へ出張です。1泊なのです。もう手がかからないとは言え、二つのいのちを預けられたようなものですから、気を抜くわけには行きません。母の介護はいつも通りですから、さしずめ子守りと大守り(?)の両方をすることになります。

月曜日だけはお友だちと遊べる日のS君ですが、今日は取りやめて、妹のMちゃんと遊ぶことになっています。ママから頼まれたようです。ここ数日、出張を知ったMちゃんはママの周りにまとわりついてしくしく、涙ぽろぽろでした。幼稚園から帰ってきて、ママもにいにい(Sくんのこと)もいなかったらかわいそうです。
わたし(おばば)がいるんだからいいじゃないのと、内心思うのですが、口に出せない雰囲気です。

早く帰ってきたS君といっしょにMちゃんをお迎えに行きました。明日は、Mちゃんは週一度のお弁当持ちの日です。お弁当も作らなければなりません。途中で買い物を済ませました。
明日の朝はどうなるのでしょう。二人の朝食を用意し、S君を送り出し、母を起床させて、着替え、洗面、朝食をさせ、Mちゃんのお弁当を用意して園まで送らなければなりません。
(パパはおそらく孫たちが寝てから帰宅し、翌朝はまだ寝ている内に家を出るでしょう)


帰宅した二人は予定の通り、それぞれのプログラムをこなしています。S君は宿題、Mちゃんはピアノのレッスン。もうお風呂も入れるようにしましたから、私が夕食の支度をしているあいだに二人は入浴となるでしょう。その間に母の夕食です。
さて、就寝まではなにをしましょうか。きっと二人がアイデアを出してくるでしょう。
季節の風から comments(2) -
日々の風から バザー疲れでブログも書けず
午前中、いつものように礼拝を捧げて、午後から、準備してきたバザーがオープンとなりました。いちばん心配したお天気もまずまずで、スタートの1時半を待ちかねるように地域の人たちが集まってきました。2時間ほどは戦場のようでした。喫茶室も満員で、私は作ってきたショートケーキにコーヒーを添えたセットを出すのにかかりっきりでした。

また、懇意にしている牧師がフィリピンのセブ島を支援をする宣教に係わっていますので、
今人気のドライマンゴーを取り寄せてもらい、販売しました。利益の幾ばくかがスラムの子どもたちのために使われるということで、その働きもアッピールしながら、買っていただきました。

ずっと忙しさが続いたせいか、後かたづけのころにはへとへとになり、動きもスローモーになって、数分のところにある我が家への道が遠く感じられ、足が重くてなりませんでした。
そんなわけで、今日はこのへんでストップします。


明日はブログ一周年記念日です。この一年、よく書いたと思いますが、よく読んでくださる方々がおられたからです。感謝します。
日々の風から comments(6) -
日々の風から 今年最初のクリスマス
今日は所属する日本クリスチャン・ペンクラブのクリスマス集会でした。私にとって今年最初のクリスマスです。このシーズンになると、教会だけでなく、係わっているキリスト教団体がたいていクリスマスの集いを持ちます。できるだけ出席します。クリスマスのメッセージを聞き、クリスマスにしか歌わない讃美歌を歌うのはかけがえのない喜びです。

理事長であるI牧師が『クリスマスの喜びと哀しみ』と題してメッセージしてくださいました。クリスマスは御子イエス・キリストの誕生を祝う時、伝道の時、神が私をどんなに愛してくださったかを知る時、主が再びおいでになることを待つ時など、いくつも喜びがあるが、哀しみもまたある。

当時のユダヤの王ヘロデは、救い主誕生の知らせを知って、自分の地位が脅かされるのではないかと恐れを抱き、ベツレヘム周辺の2歳以下の男の子を全員虐殺した。
今の世にも子どもをねらうヘロデがいる。怒りと哀しみを覚える。
また、救い主を知ろうともしない世の人々に怒りと哀しみを覚える。
クリスマスの喜びと哀しみの両面を知り味わいながら、救い主の誕生を感謝し、父なる神様を拝めよう。

とかく浮かれやすいクリスマスであるが、喜びとともに哀しみもあることを思い、深く静かに神様のみまえにぬかずきたいものです。

礼拝の後、今回は音楽ゲストをお迎えしてのクリスマスコンサートでした。
題して『みことばと讃美によるクリスマス物語、この方は恵みとまことに満ちておられた』。
音楽伝道ボランティアの0ご夫妻がトロンボーンとピアノでクリスマス名曲や讃美歌を演奏してくださいました。一同、心ゆくまで聞き入り、至福の時となりました。


クリスマスこそ希望の風の吹くときです。希望の風の中に身を置くとともに、希望の風であるイエス・キリストをプレゼントするサンクロースにならねばと思います。

『この方《イエス・キリスト》は恵みとまことに満ちておられた』




季節の風から comments(2) -
日々の風から ようやくできるようになった!
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CDからMDへダビングはどうにかできるようになっていた。
ところが、一枚の中には、私の好みなのだが、聞かなくてもいい楽章や曲がある。作曲者や演奏者には申し訳なく、またこんな聴き方で音楽が好きですなどとは言えないだろうが、BGM的に流したいとき、テンポの早いのや大きな音量は避けたいのである。アダージョやラルゴ、ラルゲットだけを聞きたい、ずっとそう思ってきた。

最近、自分の好みだけを選んでダビングできるようになった。私にしてみればひとつの快挙である!ようやくできるようになったのである!
どこかで、どなたかが、笑っておられるだろう。そんなことが…と。
うれしくなった私は、手持ちのCDをとりだして、次から次へとコピーしている。得意になって娘にも押しつけるようにしてプレゼントした。

女性は機械に弱いとか、年寄りだからねえと、自他共に許す風潮があるが、ちょっと悔しい。ITもそうだが、マニュアルに首をつっこむようにして読み、指示のようにしてみても、うまくいくとは限らない。降参して、若い者に手取り足取り教えてもらい、できるようになったと喜んでいても、しばらくすると、白紙状態である。聞くは一時の恥とばかりまた、おずおずと聞く。それが三度、四度となると、その度に我が評価は下がるばかりである。

今、一つだけ念願の業ができるようになった。立て続けに10枚ほど作った。それにしても、MDのラベルはどうしてあんなに細かいのだろう。小さな文字を書くのは辛い。
そうだ、パソコンで作ればいいのかもしれない。
まだまだ使いこなしたいことがたくさんある。小さな挑戦をしていきたい。









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季節の風から ようやくおでまし我が家のツリー
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今年は暖冬のせいでしょうか、それとも日々があわただしいのでしょうか、ようやく我が家のツリーが登場できました。オーナメントも昨年と同じです。違うのは手伝う子どもたち(孫たち)の大きくなったことと、役に立つことです。もう、おばばの出番はありません。できあがったツリーを楽しむのみです。
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聖書の風から 詩篇を愛して その6
詩篇第9篇 余すことなく語り告げる

私は心を尽くして主に感謝します。
あなたの奇しいわざを余すことなく語り告げます。
私は、あなたを喜び、誇ります。
いと高き方よ。あなたの御名をほめ歌います。

主はしいたげられた者のとりで、苦しみのときのとりで。
御名を知る者はあなたに拠り頼みます。
主よ。あなたはあなたを尋ね求める者をお見捨てになりませんでした。
主にほめ歌を歌え、シオンに住まうその方に。
国々の民にみわざを告げ知らせよ。

貧しい者は決して忘れられない。
悩む者の望みは、いつまでもなくならない。

主よ。立ち上がってください。人間が勝ち誇らないために。
国々が御前で、さばかれるために。
主よ。彼らに恐れを起こさせてください。
おのれが、ただ、人間にすぎないことを、国々に思い知らせてください.


詩人は過去に、神様がどんなに力強いお方であり、自分のような弱く貧しい者を決して忘れず助けてくださったか、麗しい体験があるのだろう。その《奇しいわざを余すことなく》語り告げずにいられないのだ。黙ってはいられないのだ。

福音を知って、その恵みに与ると、伝えずにはいられない。あの人に、この友に、あの孤独な人に、失意にいる人に、理不尽な扱いをされている人に。
詩人のように私もいただいた《奇しいわざを余すことなく語り告げ》たいものだ。
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