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2023.08.01 Tuesday
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日々の風から この月の最後の日に思うこと
10月の最終日です。またひと月が過ぎ去りました。今年もあと2か月。区切りの日ですから今日一日を振り返り、記録しておきたいと思います。昨年のこの日、一昨年のこの日と、数年間の記録を読み返しています。 昨年の今日を読んで、驚きました。 階下で大きな音がするので飛んで下りてみると、部屋の中で母が転んでもがいていたとあるではありませんか。一瞬、数日前のことかとびっくりして、確認したはずの日付をまた見てしまいました。母の横転はすでに始まっていたのでした。まだ怪我に繋がらないのがなによりの感謝です。 危なっかしい母の状態を判断しながら、O聖書学院の祈祷会へ駆けていきました。 学院では、後期のクラスが順調に始まり、夏の終りに大きな手術をなさった学院長も無事に復帰し、重責を負ってくださるS兄も危機を脱して回復の途上にあると、うれしいニュースが報じられていますが、それだけに感謝の祈りを捧げずにはいられません。 ともに祈った同窓のI兄としばらく歓談して、走るように帰宅しました。 やれやれ、母は無事でした。感謝。 昨日熱を出して幼稚園をお休みしたMちゃんは、今朝は朝から体温計を離さず、頻繁に測って、なおった、なおったと大声を上げて、どうしても行くと言い張って合点しません。ママは半分首をかしげながらも、登園させました。午後、無事に帰ってきました。 S君は社会科見学でお台場へ。ガスの科学館、臨海副都心、水の科学館、若洲海浜公園を見学したそうで、重たいお弁当?の入った大きな?リュックを軽々と背負って出かけました。お天気も上々でよい一日でした。 長女は幼稚園の母の会の昼食会で、銀座へ出かけて行きました。おつきあいだからと顔をしかめながらも、個人では絶対に入らない高級レストランへ行ってご満悦です。ちょっぴりうらやましいことです。 先週から北海道へ渡って、札幌と苫小牧の教会へ出張奉仕した次女も、無事に帰ったと報を受けとり、一安心しました。 明日は母が2回目のデイ・サービスに出かけます。知人に会ったせいでしょうか、心待ちにしているようで、ほんとうに感謝です。明日は入浴もできるとのこと。持ち物に一つ一つ名前を書いて用意をしました。まるで幼稚園の支度のようです。 これが2006年10月31日の一日です。 過ぎ去った時はどこに行くのでしょう。消滅するだけでしょうか。時は消耗品でしょうか。 人の心に記憶として居場所を得る事もあるでしょうが、その記憶が消えてしまったら、どうなるのでしょう。 神様の記憶袋にだけは、永遠に失われることなく、蓄えられるでしょう。神様は涙の一粒一粒さえも皮袋に入れて保管してくださるとか。 やがての日に、天の御国で、イエスさまとともに、過去の日々と再会するかもしれません。悲しみも涙もぬぐいさられて様変わりした苦難の日々にも会えるかもしれません。 2006.10.31 Tuesday 21:12
書林の風から 新刊到着
その出版社の案内広告を見て、即座に注文しました。 いつもなら、まず現物を書店で見たり図書館へリクエストしますが、お気に入りの詩人長田弘ですので、迷わず購入となりました。ハードカバーの本を我が物とするときは、文庫本とは違う新鮮な気分になり、わくわくします。 2006.10.30 Monday 22:11
光(キッズ)の風より 歯が抜けた…
大人でしたら悲しい一大事ですが、孫娘Mちゃんです。初めて乳歯が抜けたのです!しばらく前から動き出したので、気になって気になってしかたがありませんでした。私も何度かさわらしてもらいました。かわいいものです!米粒ほどの可憐な歯がゆらゆらしていました。 とうとう、昨日がその日でした。教会から帰って来るなり、わたしのところへ口を押さえて飛んできて「抜けたか、抜けないか、どっち?」。 さあて、こんな時どんな返事をしたらいいのでしょう。すなおに「抜けた!」と言いますと、手を放して「当たり!ほーらねっ」と口を突き出しました。うれしいうれしい一大事件が起きたように飛び跳ねています。さらに「となりの歯もうごきだしたんだよ」ですって。私は写メールとデジカメに収めましたが、ママもしたそうです。さすがにアップするのはやめにしました。ご想像いただくだけで十分でしょう。 自分の時も、娘たちの時も、思い出があり、たわいないことですのに、なぜか感動の波が押しよせてきて、泣きたいような思いに駆られます。いのちが光ってまぶしいのです。 美しいものを見せてもらって、胸がすっと広がりました。そこに希望の風が吹き込んだのはいうまでもありません。 2006.10.30 Monday 17:58
日々の風から 合同宣教大会へ
かねてから計画されていた近隣諸教会との合同宣教大会へ、礼拝後出かけていきました。合同とは、我が教会が所属する教団の千葉宣教区のこと。我が教会は東京では最東端なので、千葉県下の諸教会と組んでいます。17の教会の有志たちが、千葉県印西市にある東京基督教学園のチャペルに集合しました。りっぱなパイプオルガンが鳴り響き、その伴奏で讃美歌を歌い上げると、教会とは違って感情が盛り上がり、まことに荘厳な気分になりました。 集会では二人の信徒が選ばれて、どうしてクリスチャンになったか、その体験を語りました。一人は我が教会の男性です。彼は昨年のクリスマスにイエス・キリストを救い主と信じて洗礼を受けました。 40歳そこそこである日突然、脳出血で倒れ、一命は取り留めたものの右半身不随と失語症の後遺症のための悩み苦しみ、一時は死さえ考えた事があったけれど、子どもの頃に通っていた教会へ再び導かれて、信仰を持ち、どん底から救われましたと、失語症を患ったとは思えないはっきりした力強い口調であかししました。彼の声が大きなチャペルに朗々と 響くと、彼のこれまでを知っているだけに涙がにじんできてなりませんでした。 もう一人は他教会の中年の女性が立ちました。海外駐在員の妻として不自由なく華やかに暮らしてきたが、現地で導かれてクリスチャンになったこと、働き過ぎで夫が病に倒れてからは、いっそう信仰に励み、今では家族全員が救われて、恵みの中に生かされていることを話してくださいました。 それから、各教会から応募した聖歌隊が、私も参加しました、あらかじめ練習してきた『キリストの愛 我に迫れり』を讃美しました。すばらしし歌詞とすばらしい曲で、歌詞も作曲も日本人クリスチャンアーティストによるものです。こよなくいい気分で歌いました。 その後、新進の若手牧師がメッセージをしました。マタイ14・22〜23節から『わたしのところに来なさい』とのイエス・キリストのおことばを通して、苦難の時こそイエス・キリストに会うチャンスだと、力と確信に満ちた説教をしてくださいました。 終わって外に出るともう秋の日は落ちていました。教会から6台の車に分乗して来ましが、まだそれぞれに乗り込んで、一路教会へと走りました。 今日も私は妹に母を託して、参加できました。このところ母はわりあい落ちついていますので助かります。ドアを開けるのももどかしく家に飛び込んで、待ちかねている夕食を支度し、テーブルに並べて、ようやく一息つきました。 多忙でしたが、充実したよい聖日を与えられたと心から感謝しました。 2006.10.29 Sunday 22:02
旅の風から 文学碑のかたわらに咲く野菊
さすがに野菊が植えてありました。これがなくてはいくらなんでも雰囲気が出ません。無理に持ってきて植えたものでしょう。でも、秋の空の下の野菊はどんな花にまさってぴったりです。畑の畦にも咲き乱れていました。 2006.10.28 Saturday 20:26
旅の風から 野菊の墓文学碑
30分ほど畑の中を歩いて、ようやく文学碑にたどり着きました。碑は小高い森の奥にありました。若い日に読んだっきりです。この日のために読み返しておくべきだったと、碑の前に来て悔いたことです。文学散歩なんて言えないなあと、恥じ入りました。 2006.10.28 Saturday 20:20
旅の風から 野菊の墓までのねぎ畑
渡し舟で江戸川をわたると千葉県になります。野菊の墓の文学碑まで、見渡す限り畑が広がっています.ほとんどがブロッコリーと長ネギの畑でした。 これは長ネギ畑です。関東のネギは白い部分が長いほど上等です。そのために土を高く盛り上げて白い部分を多くする工夫がされています。 2006.10.28 Saturday 20:16
文学散歩 矢切の渡し
柴又帝釈天のみごとな彫刻と庭園に見とれつつ、歩を進めて、江戸川の土手へ。川面を見下ろしながら、持参したおにぎりなどでお昼をしました。 次は手漕ぎの渡し舟に乗って対岸へわたります。有名な矢切の渡しです。 2006.10.28 Saturday 18:01
旅の風から 柴又〜矢切の渡し〜野菊の墓 文学散歩
柴又帝釈天です。 数か月前から計画していた文学散歩はここからスタートです。 おだやかな行楽日和になって、一行数名の足取りは軽やかです。 2006.10.28 Saturday 17:48
銀(シルバーエイジ)の風から 『晩年の美学を求めて』から《単純労働の重い意味》を考える
昨日に続いて曾野綾子著『晩年の美学を求めて』を開きます。そろそろ終りです。 今回は《単純労働の重い意味》です。曾野さんの言わんとするところは、高齢者は原則として責任ある地位についてはいけない。続けられる保障がないからだ。政治家は平均寿命を過ぎたら、もう立候補しないくらいが常識だ。老年になったら、どんな人も特殊な人でなくなる。高齢になっても美しい仕事がある。社会がつまらない仕事と、時にバカにするような仕事に甘んじて働くことである。重大な継続的意味を持つ仕事は死ぬ危険性が少ない若者にやってもらい、高齢者はつまらない仕事をする。それを甘んじて受ける姿勢を社会に定着させなければならない。 これは私も大いに納得して肯定します。会社員なら否応なしに定年で退職しなければならないから、弊害はすくないでしょう。しかし、です。定年制の曖昧な公的機関、私的組織では、いわゆる老害がまかり通っています。本人が気づかないことは残念ですが、鈴をつける人がいない場合が多いのです。 さて、自分はどうなのかと、問われると、戸惑います。もちろん重職になど就いていませんから、そんな心配するほうがおかしいのです。しかし、これからは努めて単純労働、単純奉仕に徹していこうと心がけていきます。 あなたのしていることは誰にもできませんよ、代われる人はいませんよ。もう一年、してください。いま辞められたら、つぶれてしまいます。 いいえ、そんなことはないのです。今日、総理大臣が代わっても、なんの混乱もないのです。まして……です。 《晩年の美学を求めて》はまだまだ課題がありそうです。何を自分の美学としましょうか。せめて一つや二つは確たるものを会得してそこに立ちたいものです。 最後に曾野さんは《木陰で重荷を下ろすとき》として、一つの祈りを紹介しています。 「主よ、あなたが、あの人のことを、引き受けてくださいますから、一切をお任せします。私の力ではなく、あなたの力で、私の愛ではなく、あなたの愛で、私の知恵ではなく、あなたの知恵で、お守りください」 重荷を下ろすというのは老年や晩年の知恵である。そっと人目を避けて、木陰で重荷を下ろせば、爽やかな微風がきっと汗ばんだ肌を、そっと優しく慰めてくれるものだ、と。 さすがに曾野さんはクリスチャン。神のみふところに一切を委ねて、イエス・キリストのもとに重荷を下ろすことこそ、究極の晩年の美学でしょう。 詩篇37篇5節 『あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる』 2006.10.27 Friday 22:30
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