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2023.08.01 Tuesday
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日々の風から ああ 7月は往く
7月1日のブログに《7月は私の月》、《7月はドラマチックな月》と、ずいぶん思い切ったことを書きました。その7月も今日が最後です。振り返ってみて、その通りだったと深く実感し、その通りにしてくださった神さまにあらためて無限の感謝を捧げます。 私の誕生日のその日に、母がイエス・キリストを信ずると信仰の決心をした、ドラマ中のドラマがありました。私の生涯があと何年残っているか知りませんが、2006年の7月を決して忘れることはないでしょう。 そして、この7月に、遅ればせながらですが、輝かしくもイエス・キリストの花嫁の座を得た母が、まるで根を切られた草のように日に日に枯れていくのです。すさまじい勢いで老いが噛みついてくるのです。防ぎようがありません。 ベッドからの起き伏しが困難になったので、急遽電動ベッドを入れました。浴室にもシャワー椅子を入れました。これからは介護制度を利用するようになるでしょう。 昨日、昨年より12日遅れで、梅雨が明けて、夏本番です。母にとって暑さとの戦いは熾烈を極めるのではないかと、ハラハラしています。 2006.07.31 Monday 22:19
日々の風から 伝道礼拝とバーベキュー
気象庁からまだ梅雨明け宣言のお墨付きはありませんが、今日はまさしく夏日夏空夏風です。第5主日の礼拝に出かけていきました。 今日は歓迎伝道礼拝と銘して、教会員の家族、友人、地域の方々などにキリストの福音を伝えることをモットーとした礼拝スタイルです。説教も初心者を対象にしたキリスト教の入り口のお話です。 説教の前に一人の姉妹があかし(どうしてイエス・キリストを信じたか)をしました。地方から上京してOLをしている女性です。 彼女は子どもの頃、母親に連れられてよく教会に行ったが、思春期の頃は離れてしまった。しかし自分にも社会にも将来にも不安になり、再び聖書を読み教会へ行くようになった。ついに信仰の決心をしてイエス・キリストを受け入れた。教会生活を続けているうちに、心の揺れも消えて、今は平安な思いで会社勤務にもいそしんでいると、話しました。 テキストは新約聖書『使徒の働き』17章、ギリシャのアレオパゴスの丘でのパウロの説教の箇所が開かれました。説教題は『ノーと言われる神さまと出会うこと』です。 人生は出会いによって決まるとよく言われるが、本物の神と出会うことは最も大切である。聖書の神は霊である。見える形をとらない。霊とは人格があるということ。神は人格的交わりを持ち信頼関係の中におられる。 聖書の神は罪にははっきりとノーという。人が信仰の対象として造った像を偶像といってもっとも忌み嫌う。まもなく終戦の月8月を迎えるが、ご自身のいのちを差し出して平和を作られた真の神さまに出会って、間違った平和論、歴史観を正し、世界平和のためにも心を尽くしていきたい。 礼拝には、地域から『憲法9条の会』のメンバーが数人来られました。牧師は先般この会で聖書から平和について語りました。 午後は、伝道イベントとして夏休み『バーべキュー大会』をしました。壮年男性たちが器具から食べ物までいっさいを準備、教会駐車場を会場に、折からの真夏の太陽直射の中で、焼き肉、焼きそば、ホットドッグ、ハンバーガー、サラダ、スイーツを作りました。食べ放題に、子どもたちや若者たちが沸いていました。中年男性兄たちの流した汗は減量にかなり寄与したことでしょう。ご奉仕に感謝! 2006.07.30 Sunday 18:46
日々の風から 花火は隅田川
地元贔屓で申し訳ありませんが、花火は隅田川が日本一と確信しています。しかし、会場で見たことはありません。昔は我が家の玄関先で見えたのですが、昨今は表通りまで行きます。音もそこそこ聞こえて毎年大いに満足しています。 今年はもう少し会場の近くまで行こうと誘われましたので、花火好き人間としては断る勇気がありません。第一会場の言問橋に近づき、通行止めになった車道にシートを敷いて見物しました。周辺は同じような人たちであふれ、ちょうどお花見のようです。屋台もこのときばかり店を張っていました。浴衣姿が多く、中にはカップルで着込んでいる人たちもいてびっくりしました。 さて、花火はさすがに近くがいちばんです。空中を上っていく音まで聞こえ、開くとほとんど同時に爆発の音がして、耳だけでなく体の中まで響き渡りました。この音こそ花火の醍醐味です。色もくっきりと細かいところまでよく見えて、ますます《花火は隅田川》を強めました。とは言え、どこの花火も好きです。チャンスがあればどこへでも飛んでいきたいほどです。 この地域に、さきごろ新東京タワー建設が決定したこともあって、お祝いの花火があがり、コンクールにも出品がありました。あっという間の75分、第2会場とも合わせて約2万発が真夏の夜空を飾りました。 一瞬の興に浮かれる愚を感じつつも、私にとって花火は真夏の夜の夢のひとつです。気がついたら爽快な気分になっていました。来週は江戸川とか。そこまでは行けないでしょう。 2006.07.29 Saturday 22:32
心の風から 我が夏休みはいずこにありや
学生でもなし、勤め人でもないのだから、夏休みなんて無関係でしょう、毎日が夏休みでしょうといわれもしかたのない立場だが、長年の習慣で、夏はスペシャルシーズンである。世をあげてバカンスに浮き足立っていれば、私の足だって浮くというものである。バカンスとは変哲もない日常から初体験の非日常への小さな旅立ちである。そしてバカンスは計画しているその時からすでに始まっているのだ。むしろ待っている間が何とも心躍るのだ。期待という希望の風が日に日に強まっていく。 ところが、である。今年は我が夏休みいずこにありやと少しばかり嘆きの声をあげたくなる。思いがけなく母の介護が飛び込んできた。来るべくしてきた時ではないか、むしろ遅すぎではないか、ずっと自由に楽しんできたではないかと、またまたどこからか慰めとも非難ともつかない声が聞こえてくる。心の風のささやきであろう。 そうなのだ、今夏は老いた母に密着である。逃げ出せる状況ではないが、もしその可能性があったとしても、私のささやかな信仰や、良心や、肉親愛が激しく戦いを挑んでくるだろう。勝負は自ずから分かっている。負け戦はしたくない。 我が夏休みの所在など探すのはやめよう。《ここも神のみくになれば…》讃美歌の一節が思い出される。心の向きを変えて、この状況を有効に使おう。開き直るのではなく、負け惜しみでなく、神さまのプレゼントしてこの夏を拝受し、居ながらにして介護という初体験の非日常へ旅立っていこう。私のバカンスはここにありと言い切れるように。 2006.07.28 Friday 22:29
日々の風から うれしい反響
母がクリスチャンになったあの劇的出来事を、『母の救い』と題して文章にし、メールでペーパーで発信しました。暑中見舞いも兼ねてです。ところがすぐにあちらこちらからうれしいお便りをいただき、反響の大きさに驚いています。 皆さん一様にこの度のことを心から喜んでくださっています。さらにそこへ様々なコメントがつけられています。自分の老親もまだ信仰を持っていない、そのために祈ってはいるが、88歳になっても救われるのを知って、希望が与えられた。もっと祈り、勇気を出して福音を伝えようと決心したと言う方が多くおられたのには驚きました。 母の救いが皆さんに希望を与えている、励ましを与えているとは何と幸いなことでしょう。母は多少でも神さまのお役に立っていると言うことではないでしょうか。自分からはなにも能動的な働きかけができないのに、救われたという事実が、母に主の働きをさせているのです。母は用いられているのです。神さまの栄光のために使っていただいているのです 神さまに用いられるとは、何も特別なタラントや才能がなくても可能なのです。頑張って、背伸びして、無理して、主の働きをする人もいるでしょう。それはたいへんりっぱです。でも、弱くても、健康でなくても、若々しくなくても、主はみ心のままにどんな土の器をも巧みに使われるのです。そのことがよく分かりました。 救われたからには、お礼の意味も含めて、少しは神さまのお役に立ちたいと願わない人はいないでしょう。母にその信仰があるかどうか分かりません。でも、主は用いておられる。 私はこうした主の名人技、秘技を発見するのが好きです。 小さな日常をこつこつと主の前に誠実に歩んでいく、そのごく自然な生き方が自分でも知らないうちに神さまのお働きに使われる、そんなキリスト者でありたいと願い、祈りを深くしています。 2006.07.27 Thursday 22:17
光(キッズたち)の風から 夏休みの子どもたち その3 キャンプ帰り
月曜日から2泊3日で山中湖の施設へキャンプに出かけた孫たちが帰ってきました。 留守の間のことですが、家の中は静寂そのもの。空気の時間の流れがいつもの半分以下に感じました。子どもたちのいない間のママは好機到来とばかり書斎にこもって仕事に没頭。私もなかなか集中できなかった仲間たちの作品集の編集作業に精を出しました。思ったよりずっと早く進み、肩の荷が下りました。 さて、昨日午後ようやく帰宅した孫たちは、何と、静かなのです。楽しくなかったのかな、具合でも悪いのかしらと、そっと見ていましたら、わかりました。3日間楽しみすぎたのでしょう、体力の限界なのでした。せき立てられて夕食を済ませると、声もなく寝てしまったようです。でも一晩の睡眠でまたまた新しいいのちに満ち満ちて起き出してくるでしょう。 大人だけの時間も時にはいいけれど、子どもの気配がない家庭はしぼんでたるんだ風船のようです。 今日からまた、孫たちのリズムとスピードに体当たりされながら、刺激にみちた時間が始まるでしょう。なにやら気が張ってくるから妙なものです。 2006.07.27 Thursday 06:44
聖書の風から ヘブル人への手紙 視線の向けどころ
差出人も分からず宛先もはっきりしない文書を手紙と呼べるだろうか。本書はその点ではちょっとミステリアスな手紙である。それだけに人の好奇心や想像力を刺激してきたらしい。差出人にはパウロを始め新約聖書に顔の見える多くの人が候補にあげられている。だが決め手はない。宛先はおよそパレスチナ以外のユダヤ人だと言われている。 内容もかなり難しい。とくに前のピレモンへの手紙の余韻を引きづりながらだと、とまどってしまう。しかし読み進むうちに、大祭司としてのイエス・キリストがはっきり見えてきて、厳粛な思いになる。神様の御前で取りなしのご労をとってくださるイエス様に非常な親しみを覚える。ふと、ピレモンの文が思い出され、オネシモをとりなすパウロがこの手紙のイエス様と重なってくる。 また、この手紙から信仰とはなにかが鮮やかに見えてくる。 『信仰がなくては神に喜ばれることはできません』の一節には忘れられない思い出がある。日本が生んだ世界的な大伝道者本田弘慈師が、ことあるごとに叫ぶようにまた噛んで含めるように用いておられた。いまでも耳の底から先生の声が響いてくる。 特に11章、12章は信仰街道の頼もしいエンジンとなってくれる。弱くなったとき、疲れたとき、失意に陥ったとき、希望の風を感じなくなったとき、力になる箇所である。 『信仰の創始者であり、完成者であるイエス・キリストから目を離さないでいなさい』を読むと、視線の向けどころが間違っているのに気付き、正される。 イエス様から目をそらすから、不満や不平や失望落胆に取り付かれてしまうのだ。イエス様だけを見ていたら、微笑むイエス様に微笑み返さずにはいられないではないか。ああ、信仰とはこのことなのだと、わかってくる。難しいようでやさしいヘブル人への手紙が私はとても気に入っている。 2006.07.26 Wednesday 11:03
日々の風から 新しいリンク追加
新しいリンク先を追加しました。我が教会のホームページです。7月1日にようやくオープンしました。今ごろ?と笑われそうですが、何事にもお家の事情があるのです。その代わり、やるからには見栄えのあるものをと、牧師先生が張り切っておられます。ちょっとのぞいてご覧になりませんか。おすすめします。 2006.07.25 Tuesday 22:22
聖書の風から ピレモンへの手紙 キリストの愛と赦しのサンプル
牧会書簡とよばれる4つのうちの最後である。この手紙は他の3つとはまったく色合いが違って非常に私的である。パウロは親しい友ピレモンに、彼の奴隷オネシモの罪を赦し彼を受け入れて欲しいと懇願している。ピレモンはパウロによってキリストの救いに導かれたコロサイの人である。 オネシモはピレモンの奴隷であったが、盗みをしてローマに逃亡した。その彼が神さまの不思議な導きでパウロに出会い、回心した。パウロはオネシモを主人であるピレモンに送り返すに当ってこの手紙を書いたのだ。オネシモの負債は自分が償うから、赦してやってほしいとつよく訴えている。パウロは次のように書き綴っている。 『彼は、前にはあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにとっても私にとっても、役に立つ者となっています。そのオネシモを、あなたのもとに送り返します。彼は私の心そのものです。もしあなたが私を親しい友と思うなら、私を迎えるように彼を迎えてやってください。もし彼があなたに対して損害をかけたか、負債を負っているのでしたら、その請求は私にしてください』 これを読んでいると、イエス・キリストが神様のみ前で、私のために弁護しているお姿が彷彿としてくる。かつて私は主人である神さまを足蹴にして罪の世ローマを闊歩していた。ところがイエス・キリストがわざわざ探しにきてくださって、私の罪の代わりに御自分の命を差し出して償い、無罪の者として神さまの元に送還してくださったのだ。 神さまの元には、私たち一人一人のために書き送られたイエスさまのこのような手紙が大切に保管されているのではないだろうか。やがて神様のみ前に立つとき、読み上げられるであろう。特に、次の一文が読まれたときは、泣き崩れるであろう。 『もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、すなわち、愛する兄弟としてです。私を迎えるように彼を迎えてやってください』 2006.07.25 Tuesday 07:45
光(キッズ)の風から 夏休みの子どもたち その2
こんなに大きなリュックを背にして、孫たちは今日から2泊3日のキャンプです。孫息子が卒業し今は妹の通う幼稚園のある教会のCSが毎年行っています。園児の参加は年長さんからです。兄のほうは経験済みですが、妹は親から離れるのは初めてのこと。夜に泣きだすのではないかと心配ですが、これはおばば(私のこと)の取り越し苦労かもしれません。 それにしてもこの大きな荷物!重さで後ろにひっくり返りそうです。背負ったとたんに肩が痛いと悲鳴を上げていました。このほかに小さいリュック、水筒があります。兄は虫かごと虫取り網も提げています。バスで往復ですから、遠道を歩くことはないようで、多少胸を撫でています、それは私のこと。孫たちのいない2泊3日はその数倍も長く感じるでしょう。 2006.07.24 Monday 15:19
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