人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

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日々の風から 一年を振り返る 
 大晦日になると、どうしたって今年1年を振り返ることになります。資料となるものは2冊の手帳とパソコン内のダイアリーです。

 あんなこともあった、こんなことも。小さな旅もしたし、大きな旅もできた。あの家に赤ちゃんが生まれた、親類のお年寄りが相次いで2人亡くなった。親しい友人を数名も天に送った。自分の健康も定期検査の度にドキッとさせられて……。
 少し遠くなった出来事がもう一度よみがえってきます。その時の感情もついてきて、胸がいっぱいになります。

人間関係もいつも満月とはいきませでした。自分の体調や気分が多分に影響していると思うのですが、些細なことが気になったり、傷ついたり、それで失望したり、落胆したり、不愉快になったり、腹を立てたりと、1年365日、日々の風は決して快風ばかりではありませんでした。
 とりわけ、自分自身の内に潜むエゴや無慈悲、狭量、能力不足などとは、激しい葛藤がありました。

 そんな戦いで疲れ果てているとき、私のかたわらに立っておられるイエス・キリストに気がつきました。イエス・キリストは愛と赦しに満ち満ちた両手を広げて、私を受け入れてくださるのでした。傷ついては癒され、失敗しては赦され励まされ、失望の時は明るい希望の風を送ってくださり、こうして2005年も大晦日の今に至るまで、支えられました。

 改めて、いただいた信仰のすばらしさ、イエス・キリストを信じることのすばらしさに、感涙の時となりました。

 2006年も、イエス・キリストから視線を離さずに、仰いでいこうと思います。

『信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい』
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季節の風 元旦の食卓のために
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コーヒーアーモンドケーキに娘が挑戦、初めてですが大成功です。いただいたレシピのおかげのようです。
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季節の風から 大晦日の日の出・太平洋千葉県銚子沖
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魚釣りに出かけた家族から大晦日の日の出がとどきました。



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季節の風 栗きんとんに挑戦
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孫がさつまいもの裏ごしを手伝っています。さすが男の子、力があります。
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日々の風から ああ 大晦日!
 今年も、一年の最終の日を、なにはともあれ元気で迎えることができ、こんなにうれしいことはありません。
 
 生き抜いてきたなあと感動です。
 いや、自力で生きてきたのではなく、神さまの恵みによって生かされてきたのだと、実感し、感激と感謝でいっぱいです。
 確かに、確かに、生かされてきたのです。自分で生きているのではなく、生かされているのです。

 さあ、一日、おせちの準備にいそしみましょう。夜は年越しそばを囲みましょう。
 
 その後は2006年の始まる一瞬を心待ちにしながら、新しい年への期待や願いを神さまに祈るときにするつもりです。毎年毎年そうしてきましたが、今年もいっそう心を込めてそうしたいと思います。
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季節の風から 歳末の繁華街
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並木の電飾がクリスマス以上に賑やかなストリート。ここには季節の自然美はありません。木枯らしが遠慮がちに吹いていました。
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世相の風から 人口減時代到来とは…
 23日の新聞が、明治以降、人口が増え続けてきた日本社会が、大きな転換期を迎え、今年生まれた子どもの数が死亡者数を1万人下回って、人口の自然減が始まった、と報じていた。大きな衝撃を受けた。寒々とした寂しさを感じた。

 人口が増え続けていたころ、これでは狭い日本は人であふれ、海に落ちてしまうのではないか、地球からこぼれてしまうのではないかと愚かな心配をしたことがあった。食糧の奪い合いで戦争が起るのではないかとも思った。

 いざ、人間の数が減りだしたとは、心配を越して空恐ろしい。この現象は日本だけでないらしい。それだけに人類の未来を考えてしまう。いつかは国が滅び、世界も衰退してしまうではないか。

 その原因と対策は?などとは、あまりに問題が大きすぎて、一介の素人が何か言っても的はずれ、みみずのたわごとでしかないかもしれない。それこそ専門家の方々が豊富なデーターや知識を駆使して考え、論じて名案を出してくださるだろう。が、それはそれとして、目をそらしてはけないと思う。近くの人たち、友人知人たちと、考え、語りあっていきたい。
 
 少子化はほんとうに寂しい。中学1年生の時、クラスは9クラスあった。1クラスは64人だった。教室の後ろまでびっしりと机が並び、通るのがたいへんだったのをよくよく覚えている。その母校が今や1学年全体でも60名足らず、それも減り続けていていると聞いた。
 
 教会の活動の一つ、子どもの集会である教会学校の子どもたちも激減した。かつては地域の子どもたちが押すな押すなと集まってきた。100人を超えることもよくあった。今はどうだろう、ひと桁のことさえある。子どもたちの群れが発するいのちにみちた歓声は町のどこにも聞こえない。公園は子どもよりお年寄りが多い。それはそれとしていいけれど。
 
 いつから、どうして、こうなってしまったのだろう。
 
 天地創造の始めに、神さまは人間に向かって言われた。
 『生めよ。ふえよ。地を満たせ』と。
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季節の風より 初対面の果物
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友人から珍しいくだものをいただきました。
カリフォルニア産でクレープフルーツの一種ですが、初めて見ました。
イスラエル産のスイーティーに似ていますが、大きさは2倍もあって、甘くてジューシーです。1cmもある真っ白な厚い皮に包まれています。
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日々の風から 忙中の閑
 暮れの忙中に閑があったわけではありませんが、無理に時間をひねり出して銀座へ出かけました。親友と映画を見るためです。こんな時にわざわざ出かけるほど映画ファンではありません。それどころか前回は数年前になるでしょう。ふだんテレビすら見ない暮らし方をしていますが、新聞の広告を見て興味が沸きました。

 まずタイトルに惹かれました。『綴り字のシーズン』。
 広告には、言葉は、たった一言、わずか1文字でも相手の心に響けば絶大なパワーで、人の人生さえも変える。少女は、たった1文字で家族を救う、とありました。

 言葉とか文字についてはいつも少なからず関心を抱いています。それを主題にするとは、どういう物語だろう。もう一つは、家族問題を扱っていること。それと、耳にしたことのあるスペリングコンテストにも関心がありました。

 優秀な両親と兄のいる4人家族の平凡な妹は、単語の綴りを正確に言えるかどうかを競うコンテストに、次々に優勝していきます。彼女は卓越した言語能力をもっていました。

 それまで兄を溺愛していた父親は、手のひらを返すようにその愛情を娘に向け、全国大会に備えて付きっきりで特訓します。その辺りから、潜在していた家族の問題が表面化してきます。少女は自分のせいで家族が不幸になったと思いこみます。

 全国大会の最終まで勝ち進んで、最後の単語になったとき、少女はわざと間違ったスペルを言って優勝の座を捨てるのです。
 少女の犠牲を知った父と兄、そして母がこの時から不思議に癒されていきます。1文字に託された少女の愛が、バラバラになった家族の絆を一つにしたのです。
 1文字の背後に大きな犠牲の愛がありました。文字はいのちそのものでした。いのちに満ちた愛が家族を救ったのです。

 綴り字はさておき、言葉の力を信じています。
 とりわけ、神のことばを信じています。神のことばにあるいのちと愛に生かされている確信と体験があるからです。

『始めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった』
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日々の風から 少年の涙
 同居の娘が、子どもたちがまだ起きない早朝にでかけました。今日は一日2人の孫と過ごすことになります。
 いつもの時間に兄の方が起きた気配がしました。着替えたらリビングにくるだろうと心待ちにしていましたが、いっこうに足音が聞こえません。おやっ、と多少心配になり、様子を見に行きました。

 小2になる彼が、まだ目の覚めやらぬ妹の枕元にじっと座っています。見ると、目が真っ赤です。早く、着替えようね、と言いかけたとたん、彼の目から大粒の涙があふれました。びっくりです。
「起きたとき、ママがいないなんて、さびしいよー」
そう言うと、また涙が数滴頬を走るではありませんか。
 なにか慰めや励ましの言葉をかけようと思いましたが、見つかりませんでした。そっとしておく方がいいとも思いました。
 それよりも何よりも、私は大きく感動していました。なんといじらしく、可愛らしいんだろう。こんなにも素直に泣けるなんて、なんと貴いことだろう…。
 美しいものを見たなあと胸がいっぱいになりました。とても懐かしい気がしました。私の内にはいつのまにか消えてしまった情感でしたから。

 子どもが親を慕うのは本能かもしれません。親が子のために心砕くのも、人を恋い慕うのも、本能の一種かもしれません。しかしこの素朴さが何よりも大切ではないかと思うのです。そのたぐいまれな美を目の当たりにできる、我が身をつくづく幸いだなあと、神さまに感謝しました。

 彼はすぐに立ち直り、ママに言われたからといって、せっせと夜具をたたみ、着替えをして、いつもの彼に戻りました。
 4歳になる妹はわかっているのかいないのか、泣きもせず叫びもせず、朝の食卓につきました。

 午後になって、昼寝をさせてから、娘に報告しようと、携帯を取りました。
何気なく送信メールを開けると「ママ、いまどこにいるの。さびしいよ」とあり、涙顔の絵文字がいくつも続き、女の子が大泣きしているスタンプが貼り付けられていました。
 いつのまに送信したのだろう。口にも態度にも出さないのに、わずか4歳の子に、こんな感情があり、ここまで表現するとは…、またまた言葉も出ないほどの感動でした。

  よく友人たちから、お孫さんといっしょでうらやましいわと言われます。もちろん感謝していますが、毎日毎日感動しているわけではありません。あたりまえ、日常事になっているのです。
 でも、今日は改めて考えさせられました。
 美しいものや幸いは、日常のただ中にあるのだと。それを見つけ続けることが、神が与えられた人生の宿題であり、生きることの本質ではないかと、少年の涙から教えられました。
 涙の中に希望の風が光っていました。
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