2023年の快風 今年も8月を迎えて
今朝は連日のカンカン照りがひとまずストップしたのか、ホッと息つく暇が出来ました。
「危険な暑さ」と警告が出て、ますますじっとしていました。これではますます心身の力がなくなってしまうのではないかと、逆な心配も生まれした。
このところ、酷暑と高齢とで体調がすぐれず、服用の薬の影響もあって両手がこわばっています。困ることがいくつも出ています。その一つがパソコンのキーを打つことです。ミスタッチ、スローの連続で困り果てています。もっとブログをアップしたいと願いながらもできません。いつも読んでくださっている方々には申し訳なく思います。しばらくはペースダウンになるだろうと存じます。おゆるしください。
今年は終戦何年でしょうか。78年でしょうか。日本にとって、世界にとって忘れてはならない月です。個人的にも今も強烈に覚えていることがいくつかあります。8月は世界の平和を特に願い祈る時ではないでしょうか。先日友人からその教会の「私の8月15日」と特集した文集をいただきました。10年前の再版だそうです。寄稿者の大半の方はこの10年に間に天に帰られたとか。生々しい体験談を拝読して、改めて戦争の悲惨さを思いました。戦争はドラマの世界では無く、現実に起こったことなのだと実感したことです。
日本は特に原爆の体験国です。世界に率先して核の脅威を訴える責任があります。政治のカラーに関係なく、当然のこととして、体験者として戦争に反対し平和を訴えて行かねばと強く思います。平和は作り出すものだとイエス様は言われます。あの「八福の教え」の中の一つに「平和を作る者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから」とあります。平和を作る者にならねばと思います。
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関東地方は7月22日土曜日に正式に梅雨明け宣言が出た。これまでも関東は梅雨らしらぬ猛暑が連日続いて、すでに真夏ではないかと思うほどであったが、こうして公に宣言が出ると、スッキリするから不思議なものだ。今までの暑さは予行練習のようなもので、いよいよ夏本番と覚悟が決まる。「梅雨明け10日」と言われるから、これからしばらくは一年中でいちばん暑い「盛夏」なのだ。暑さに用心しなければと、ちょっと緊張感も生まれる。一番怖いのは熱中症であろう。家の中に居ても罹ると言うから、高齢者には厳しいことだ。友人たちからめまいがします、微熱がありますと報が来る。それぞれほとんど在宅中心で、ベッド生活の方もおられる。暑いからねえとのひとことで片付けられない危険を感ずる。
教会で子どもたちのワンデイサマーキャンプが行われた。ワンデイと言っても礼拝後の1,2時間の短時間である。メインは恒例のスイカ割りである。みんな炎天下の駐車場に集まって、ビニールシートの上に鎮座したスイカめがけて戦った。一歳児から小学6年生までが真剣勝負をした。さすがにスイカの頭に割れ目を入れたのは6年生の男子だった。手にする武器はボール紙だから真っ二つというわけにはいかなかったが、あとで食べるには都合がよかった。取り囲むスタッフたちは日傘や帽子で対策した。ひととき大きな歓声が真っ青な梅雨明け空に飛び散った。
それぞれの家族が持参のランチと、切り分けられたスイカを楽しんだ。私はギャラリーとスイカのお相伴に与り、早々に退散したが、子どもたちはスタッフに導かれて賛美やゲームやメッセージの時があったようだ。子どもたちにはどんな思い出となっただろうか。
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まるで造花のような10センチほどの向日葵の鉢を買った。この季節になるとよく見かける。たった一輪だけが造ったようにバッチリと咲いている。小さいけれどたくましい命に惹きつけられる。毎年のように、あとさきを考えずに買ってしまう。ミニ花壇の隅に地植えするのだが、たいていその一輪が終わるともう、花火の消えた空のように空しいばかりになる。今年もいつものことだろうと終わりを思いながらも、切り花を買ったと思えばいいと自答した。
ふと、丹念にお水をやり、肥料も与えようと思った。
思えば、現役時代の延長で、季節ごとに苗は植えるけどそのあとの世話をていねいにしないままで来た。花は自力で咲くものと思っていた。事実、よく咲いて楽しませてくれた。
昨今、ガーデニングに余生を傾注する友に聞くに、朝に夕に花柄を取り除いたり、雑草を抜いたりして庭で時を過ごし、水やりだけでなく肥料も施すと言う。私の花壇は猫の額ほどだから5分ほどしゃがんで見回ればなにがしかの世話ができる。そうすることにした。花たちは自力で咲くものと思ってきたが、手をかけると、すぐに効果が分かるほど咲き方が変わってきた。花は咲かせるものだと悟った。
ひまわりであるが、例によって最初の一輪が枯れてきた。よく見ると、脇に蕾がついている。固い小さな蕾・・・。これが咲くことがあるのだろうかと半分疑いながらも特別に目をかけて水やりし、肥料もサービスした。
蕾が咲き出したのである。日に日に大きくなる。全体の背丈も伸びている。びっくりした。
今までは最初の一輪が終わると抜いてしまっていたのだ。ああ、申し訳ないことをした、じっと待っていたら咲いたかもしれないのにと深く反省した。このひまわりはどれくらい大きくなってくれるだろう。夏本番はこれからである。きっとびっくりするくらい伸びるだろうと期待している。かつて、国語の教科書で覚えた一首が浮かぶ。
向日葵は 金の油を 身にあびて
ゆらりと高し 日のちひささよ
前田夕暮
しかし、花のいのちは主のもの。主が成長させ咲かせるのだ。忘れてはならない。
『私が植えて、アポロが水を注ぎました。
しかし成長させたのは神です。
それで大切なのは、
植える者でも水を注ぐ者ではありません。
成長させてくださる神なのです』
第一コリント3章6、7節
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藤井聡太くんが楽しい。天才だから楽しい。いつの時代にも、どんな分野にも、だれも足元にも及ばない才能ある人がいるものだが、今、絶頂は藤井聡太くんだろう。まだ20歳がいい。うんと強くなって雲上の人になってほしい。それ相応の長期にわたって。
私は将棋のことなんてこれっぽっちも知らない。だから彼の強さの意味も知らない。ただ、試合に勝って行く姿にほれぼれする。熱狂的ファンの心理はそんなものではないだろうから、ただのミーハーおばばであるが、若者がぐんぐんと力を伸ばして世相に快風を吹かせてくれるのが楽しい。今の時代、青年たちの評価は必ずしも良いものではない。価値観が全く違うからだろうが、青年たちに不満を感じていつまでも自分の地位を譲らない偉い?人たちが多い。話が曲がってしまったが、彼らは天才には脱帽するのだろうか。もしかしたら、自分のすぐそばに天才の力を秘めた若者がいるかもしれないのだ。
話しはまた曲折するが、フィギュアスケート選手時代の浅田真央さんも羽生結弦さんも体操の内村航平さんもかつての水泳の北島康介さんも楽しかった。彼らには「華」があった。
天才には努力で到達した人にはない「華」があって、それが人を魅了するのだと思う。
しかし、人、世の中、大衆、ファンは贅沢である。天才の「華」を楽しみ称賛するが、むごく残酷でもある。一朝気に入らないことが起これば紙屑のように捨てる。あるいは記憶の荒いざるからこぼれ落ちるのも気にしない。だから天才くんたちよ、世の人気には見向きもしないでまっしぐらに「天分」を発揮し、不眠不休の研鑽を重ねてはるかに見上げる金字塔を築いてほしい。それが天才君たちの使命かもしれない。
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長男さん家族と同居の、私と同年齢の老女が、我が教会に転入してこられた。一年半になる。ご家族はクリスチャンではない。が、ご家族同意の上で、老姉はひとり教会生活を続けておられる。同じ老女だし、話を聞けば似たような境遇でもあるので、お互いに共感することろ多々あり、意気投合して、礼拝後は毎回しばらく話が弾んだ。
教会はコロナ以来、いっせいに食事するチャンスがなくなった。教会のキッチンは3年以上休眠している。午後のプログラムのある人たちはお弁当を持参したり、近くで調達して三々五々いただいている。辺りを見回して、老女二人はコンビニに行くことにした。私は自宅が教会のすぐそばのこともあって、コンビニで何か買う習慣はない。ふだんもほとんど行ったことがない。ところが老姉妹と、お財布を手に、コンビニ通いが始まったのである。たいてい、孫娘がついてきてなにかとアドバイスしてくれるのだが。
おにぎりの包装の手順がうまくできず、みなに笑われた。カップ麺も時間を計らずにお湯を入れてうまくいかなかった。そんな時期が過ぎ、ようやくコンビニにも慣れた。
最近、思いがけない話を聞かされた。老姉妹からである。長男さんのお仕事の関係で、遠方へ転居することになったのだ。姉妹は割り切っておられるようだが、私のショックは大きい。大きすぎるのだ。こんなことってあるだろうか・・・。
世の中の動きは素早い。あっという間に姉妹は6月末で東京を発つ。別れを惜しむ暇もない。涙を流すときもない。
一つだけ、ホッとすることがあった。姉妹は現地の教会を探すことなく、当面、籍はそのままで、ZOOMで礼拝を捧げ、祈祷会その他もZOOMで参加することにした。今の時代ならではの恩恵であろう。とはいえ、姉妹とコンビニに通うことはなくなった。笑われずにおにぎりを作れるようになったのに、何とも残念である。
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我が教会には大人のCSともいえる「成人科クラス」がある。かれこれ27年も続いている。
ずっと担当してきた。コロナ禍は休会、この半年はZOOMで開いてきたが、いよいよ6月から礼拝後に行うことになった。快挙である。ZOOMが苦手の方もおられ、対面を待望してこられた。逆に、ZOOMなら在宅で気軽に学べるからと新規に参加した方もおられた。
共々、対面に一斉に加わり、かつてなかった大勢になった。
今までにも扱ってきたが今は「聖書66巻」を1書ごと取り上げ、対面再開は「サムエル記・上」からである。あらかじめ学びの要点を記したプリントが配布されている。A4版両面1枚ほどの手引書である。分かち合いのための「質問」が設けられている。以前は私が毎週作成していたが、昨今は教育担当の牧師が作ってくださる。当該聖書は原則通読することになっている。皆さん、プリントにコメントを書いておられる。クラスのリードは以前と同じく私が受け持った。
礼拝後(コロナ前は礼拝前30分毎週)すぐなので、お茶の用意をした。今後は月1回、一時間で行う予定になっている。子どもたちのCSは月2回礼拝後である、礼拝の中では毎週子どもメッセージと賛美と暗唱聖句のタイムがある。
コロナ禍が緩んで、教会の行事も対面が多くなった。まだまだコロナは油断できないので、感染対策はし続けているが、ひところの緊張感は薄らいでいる。このまま完全終息を願うばかりである。教会に来る人たちの数も多くなり表情も明るい。思えば厳しい時期を通ったものだ。よくぞ乗り越えてきたと、感謝とともに大きな安堵の息をつく。
『民よ、どんなときにも神に主に信頼せよ。
あなたの心を、神の御前に注ぎ出せ。
神は我らの避け所である』
詩篇62篇8節
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今年3月に88歳で亡くなった大江健三郎氏からは小説以外からも多くのことを学んだ。
その一つに、再読・リリーディングがある。かつて読んだ書物をまた読むということである。よくすることではあるが、たいていは一度しか読まず、その後は書棚の飾りになっていることが多い。しかし大江氏は「リライティング」とともに「リリーディング」を勧めておられる。氏のアドバイスに促されて、昨今は思い出すままに実行している。まずは大江氏の著書からと、文庫本を繰りだした。「キルプの軍団」。いつ買ったのだろうか、いつ読んだのだろうかとそれすら思い出せない。読みだしたがまったく記憶にない。しかしまもなく記憶の扉がきしんだ音を立てて開き出した。最後まで鮮やかなによみがえってきた。でも、私はそのまま新刊を読むように当時よりも思い入れ深く楽しみ出した。
新発見があった。本書は、大江氏のよく使う手法にあるように、他の書物が登場する。今回は並行してディケンズの小説が取り上げられている。主人公が『骨董屋』を読んでいくのである。本文の引用も、しかも英文まで飛び出してくる。『骨董屋』はまともに読んだことはないが、先ごろ、イギリスのBBCが作成したドラマ『ディケンジアン』を観るチャンスがあった。これはディケンズの全作品を一つにしたもので、あらゆる人物が不潔極まるロンドンの下町を背景に登場するのだ。ドラマは中途で終わっている。なんでも資金繰りが悪くて完結には至らずとか。観られなくなったのがとても残念なのだ。余談。また余談だが、『骨董屋』はドストエフスキーの『貧しき人々』の原風景だそうだ。ドスト氏が自ら話している。
『骨董屋』の悲しきヒロイン、ネルは『貧しき人々』のネリーで、名前までほぼ同じ。ドスト氏は正々堂々とディケンズを真似たのだ。そんな内容豊富な「キルプの軍団」を楽しんだ。本家の方の内容はスリリングな、現実にありそうなお話であった。例によって「大江family」勢ぞろいであった。当の大江氏は主人公「オーちゃん」の名父親役を演じて頼もしかった。今回の再読は以前あまり気にしなかった『骨董屋』が奥行と深い味を添えてくれた。
「ネル」という名ではもう一人悲劇の子どもを思い出す。『フランダースの犬』の少年「ネロ」である。初めて彼の死を知った時は思わず声をあげて泣いてしまった。大聖堂のルーベンスの絵の下で、愛犬パトラッシュと一緒に冷たくなっていた少年ネロ・・・。
改めて『再読』の悦楽を知った。書棚の本を老女の豊富なタイムを使って再読してみようかと、壮大なプランが浮かんだ。「一千一夜」続くのはないか。シェヘラザードは命の危機をかけてペルシャの王に毎夜物語ったが、老女は、先の短い命の果てを視野に、王ならん、自分自身に向けて、毎夜、毎夜、読み続けるのもありではないか。老いるのも悪くない。希望の快風は思わぬところに吹く。
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つかの間であろうけど、梅雨の晴れ間は貴重だし、
こんなうれしいことはない。
家じゅうを開け放し換気をしてみる。
大物洗濯はもちろんである。
朝から多忙なことである。
ただし、湿度はかなり高いが
どことなく家の中を新しい空気が動いている気配を感じる。
よく見るとレースのカーテンかかすかにそよいでいる。
風は生きているのだ。
それを感じ取る自分も生きているのだ、
上からのいのちで生かされているのだと実感する。
いのちに満ち満ちた麗しい天上のもてなしを
いただいるのだと思い、
思わず感謝の笑みが生まれる。
今朝はどなたもホッと一息し、
つかの間の青空を見上げておられるのではないか。
そういえば、今朝、S子さんが
月一度のソロ旅に出かけたはず。
陽を浴びて発つことができてよかった。
旅の祝福を祈ります。
さて、この午後の空模様はどうなるのだろう。
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礼拝後、私たちはいっせいに教会前の道路の清掃に繰り出した。前もって準備した軍手やゴミ拾いの大きなトング、ごみ袋を手に手に、思い思いの掃除用スタイルに身を装って。大きな帽子や作業用の上下を着込んだ人もあった。道路わきの植え込みの雑草の始末がいちばんの大きな仕事だった。時間は30分と区切った。教会前を中心に左右、時間の許す限りの範囲とした。子どもたちは遠くの方から空のペットボトルやドリンクの瓶などを、宝探し気分だろうか、見つけては歓声をあげて大人たちの袋に投げ込んでいた。終了後は冷たいお茶とコンビニのおにぎりがふるまわれた。この準備は数名の高齢者が担当した、私も含めて。
今回の掃除は墨田区の区内一斉清掃活動「クリーンキャンペーン」に応募したことから始まった。参加資格は区内の会社や自治体、町会、クラブなどである。教会も申請した。所属する町会にも伝えた。区からは無料でゴミ袋が配布され、ごみ収集日には多量であっても優先して処理していただけるのだ。
教会は日ごろなんとなく地域とは別の世界のように思われがちである。双方で一線を画するところがある。教会は地域のお祭りには参加しないし、地域も教会のイベントに参加しては来ない。遠くから眺めている雰囲気だ。しかし地域はそれとなく鋭く教会には視線を馳せている。それを感じるから、教会はできるだけ門戸を開いて歓迎のムードを作っている。花壇には季節の花をふんだんに咲かせ、折々にチラシを配布して案内している。しかし、それは「いつでも自由に来てください」の招きである。来るのを待っている姿勢である。
イエスさまは「全世界に出て行って福音を宣べ伝えなさい」と言われた。「出て行って」と言われた。今回、教会はイエス様のスピリットをもとに、道路へ出て行ったのである。なんだ、それが宣教かと笑われるだろうか。私たちは地域宣教を祈りつつ、老いも若きもまず道路へ飛び出し、地域を掃除したのである。主はほほ笑んでくださったと信じる。
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一年でいちばん昼が長い時期になった。いつも昼の長さに合わせて生活時間を調整するはずなのに、今年は出遅れている。冬の時間と同じくせわしく夕食の支度をし、お風呂に入り、一連の用事を済ませるが、空を見ればまだまだ明るい。何だ…急ぐことはないのだとようやく気がついて、少しずつ後ろ倒しにしている。梅雨入り前の6月は5月に勝って麗しい。特に夕方がいい。この時期に旅行したこともあった。宿泊の学び会をしたこともあった。
思えばコロナの3年間は歩きに歩いた。夏に向かうと昼間は暑いので夕方を選んだ。7時になると川べりの街灯がいっせいに灯った。空は見事な夕焼け。天上にいる心地して、幸せ感に満ち満ちた。ところが、コロナから一応解放された昨今、体力が落ちてしまって、あのころの様に歩けないのだ。強くなった足腰のはずなのに、体全体が弱くなっているように思えてならない。悔しく寂しくもあるが、いっときのことでまた元気になるだろうとも思たったりする。しかし、無理はしない。自然でいい。何事にも「時」があるのだから。
『私の時は、御手の中にあります』
詩篇31・15
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初夏に長い旅に発ったのはかの松尾芭蕉である。「奥の細道」の始まりは今の5月16日だと言われている。初夏とは5月上旬から6月上旬の期間を指す。一年中でいちばん美しく爽やかな時期と言える。特に旅するには最適であろう。
3年に及ぶコロナ禍で、誰しもが足枷をはめられたように外出できなかった日々から解放され、大手を振ってどこへでも制限なしに行けるようになった今年の初夏ほど旅が輝いたことはなかったろう。半ば「フレイル」に近づいていた私でさえ、家人の同行で他県へ出かけ、光に踊る新緑の美を味わうことができた。初夏に旅したということである。
草の戸も 住み替はる代ぞ 雛の家
大方の説によれば、芭蕉はこの句を吟じて、深川の芭蕉庵から弟子の曾良と奥州、北陸路へ向かったという。「奥の細道」である。時に芭蕉は46歳であった。当時としてはかなり年配、初老と言える。150日に及ぶ旅であったそうだ。もちろんすべて徒歩である。道路が舗装されているわけではない。履物はわらじ。しなやかなウオーキングシューズなど思いもよらない。また、体調だっていつも爽快とは言えず、旅疲れが重なり、病に伏す日もあったのではないだろうか。青年ではないのだから。
芭蕉を旅へいざなうのは「片雲の風」ばかりではないだろう。つき動かすのは詩人の魂、あるいは創作への情熱、強い使命感ではないだろうか。使命感と言っても人から任命されたり託されたりするものではなく、自分の内側にある自分を生かすスピリットだと思う。もちろん、旅の行く先々で彼を待つ句会の期待も動力の一つではあろうけど。かくして芭蕉は行く手に垣間見える病も、さらに死をも認知しながら、旅を行くのではないだろうか。
旅に病んで 夢は枯野を 駆けめぐる
この句は、奥の細道で作られたものではないようだが、死を眼下に入れながら、なお消えない詩人魂の高揚を響かせて余りあるものがある。
旅の話題をもう一つ。一転、雰囲気は変わるが。彼女はご主人を天に送って一年余になる八十路を往く老女である。長い老々介護だったせいか、その間に覚悟もできつつあったのか、意外に早く立ち上がった。一人暮らしである。新年早々にとどいた便りには、これからは月に一度ひとり旅をしたいとあった。彼女らしいとは思いつつも、思うことと実行との間には天と地ほどの隔たりがあるともいうので、一人頷いていた。
春浅いころ、今月は一泊で熱海に行って来ました、来月は伊豆高原を予約しましたと報が入りさすがにびっくりした。ほんとうに実行したのだ。パソコンで往路、復路を調べ、ネットから予約するそうだ。せっかくだからグリーン車にしますと。そうして、那須高原、裏磐梯、来月は猪苗代湖だそうである。意気盛んな彼女が吹き上げる快風は私を快く包み込んでくれる。「行って来ました、来月は○○を予約しました」と報を心待ちにしている私である。
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前回に記しましたが、係わっている団体の「ニュース レタ」に寄せた一文をここに転載します。今回のメイン―マは「アフターコロナに向かって」です。レターのスタイルはA4版縦3段組ですが、この紙面はいつもの様式にしました。
アフター(のち)ということ
世界はコロナ惨禍からウイズコロナへ、今や「アフターコロナ」の様相である。しかし、ほんとうにコロナウイルスが消滅した「アフター」の日が来るのだろうか。世の中は「アフターコロナ」をどういう意味で使っているのだろう。
コロナ禍が始まって約一年を過ぎた2020年の暮れに、この『文は信なり』は初冬号に『私とコロナ禍』として特集を組んだ。私は【疫病とキリスト者 歴史を振りかえって】の一文を寄せた。おもに二つの書物から、古代から近年に至るまでの疫病(伝染病)の推移を調べ、それをベースにした。そこから規模も流行期間も被害も最大のものはペストであることを知った。
今回、その時の書物『ペスト大流行』を読み返してみた。前回もこころ惹かれて引用したが、著者の村上陽一郎氏は『・・・ほとんど稚拙とさえいえる一筆一筆に込められたアンジェリコの祈りは、死の淵を見たヨーロッパの魂が、芸術的な美しさを超えた、ひたすらなる信仰の内面に立ち至る瞬間を、鮮烈に我々に示している。猛々しく荒れ狂う悪疫のあとにぽっかりと空いた静謐な平和と祈りの時間・・・。ヨーロッパはその後もはやつつましく神の前に首を垂れる謙譲さを二度とその手に握ることはなかった・・・。黒死病の後に訪れた沈黙の祈りこそ、「最後のヨーロッパ」のほんとうの光であったかもしれない』
その時、村上氏はキリスト者ではないかと思った。今回、再び氏の本を繰るに当たって、氏がカトリック信者であることを知った。日本ではクリスチャンは超マイノリティであるが、社会的にも大きな影響力を与え得る著名人にキリスト信者がおられるのは私には大きな喜びであり、頼もしく思った。
ペストについて触れていく。
ペスト(黒死病)の流行では何といっても一四世紀の半ばから中世ヨーロッパを襲ったものがいちばん有名であろう。この時、人口の三分の一、あるいは四分の一が犠牲者となった。この急激な人口減少が社会の体制を大きく変えたとは定説である。
しかしペストはいきなりこの地で発生したわけではない。ペストと正確に名付けられないまでも明らかにそれ以前から広範囲でパンデミックをくり返していたという。
ペストの今のところの最後のパンデミックは一九世紀末中国大陸に始まったもので、日本にも及んだ。私などは読んだことも聞いたこともなかった。ちなみにペスト菌が明確に発見されたのは一八九四年のことである。日本の北里柴三郎も一役を買っている。それにしても、有史以来、災厄の元凶となった極小の細菌の正体が判明するまでに何という長い年月かかかったことか。
今回のコロナウイルスによるパンデミックは、日本では二〇二〇年早々であった。三年あまり前である。その時まもなく疫病(感染症)の正体は新型コロナウイルスによるものだと断定された。ペスト菌の発見までの歳月に比べるとなんという速さであろう。
さらに、流行のさなかに、ワクチンが作られ、政府が率先して全国民に無料で接種させた。また感染者には、特効薬ではないにしても症状を抑えるあらゆる薬や治療が施された。医療費は差別なくすべて無料、企業や商店は休業補償された。国は莫大な財政を投入して国民を守った。関係者が連日対策会議を開いて、一般の人に感染対策の方法を示してくれた。その指示に従って私たちは外出を自粛し、消毒し、マスクで武装した。
WHOの最近の統計によるとこれまでの感染者数はおよそ七億六千万人、死者は六八九万人ほど。正確ではないだろうけど。ワクチン接種数は一三三億回に及ぶ。つまり、地域差はあっても世界中が一つになって戦ったのだ。さらに私たちは居ながらにして映像で感染状況を逐一知ることができた。ペスト禍時代とは天と地ほどの違いがある。科学や医学の進歩のおかげにまちがいない。私たちは幸いな時代に生きていると言える。
かつて、情報のほとんどない時代、人々は大きな天災や伝染病に襲われると決まって「神の怒り」や「神の裁き」だと信じて、まずは自らの生き方を反省した。ふだん疎遠だった教会に駆け込み、献金をし、熱心に祈り、善行に励んだという。反対に、自暴自棄になり、悪行に走った人もいたらしいが。災厄は人の心や魂に訴える力があった。
さて、今はどうだろうか。このたびのコロナ騒動で、自分の心や魂、生き方にまで領域を広げ、考え、行動しただろうか。今ごろになって考え直している。
あのころ何度か発令された「緊急事態宣言」と「アフターコロナ」を並べてみる。「激戦中」と「戦後」と置き換えてみると「アフターコロナ」が、何とも心地よく響いてくる。
ここで冒頭に戻るが、「アフターコロナ」とは何を意味するのだろうか。まさか、「コロナ以前」に戻ることではないだろう。そうだとしたら「前」と「後」の意味がない。コロナは確かに甚大な被害をもたらしたが、世界を変える何かをしたに違いない。善なるほうへ。
世界八十億人の、砂粒にも当たらない私一人に限って言えば、以前の生活スタイルは革命の様に激変し、今は百点を付けたいほど満足した日々を過ごしている。キリスト者として、ますます愛といのちに満ち満ちた神に接近し、信頼し、その庇護に感謝している。
世に恒久平和や平安はない。次々に大禍がやってくる。人類は翻弄され続けるだろう。
私は見えない世界に目をそそぐ。真の平和と平安に満ちた不動の世界に。
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いくつかの喜びや楽しみを与えられたGWは早くも飛び去った。それを書こうと思っていたが、思うだけで時が過ぎてしまった。日常の歩みがますますスローになり、すべて計画倒れが現状である。一つだけ予定通り進んだことがあった。係わっている組織の「ニュースレター」を発行できたことである。長年取り組んできたことであるが、原稿の募集から始まって、集まったデーターの整理、編集、印刷(家庭用のプリンターで)、ホチキス止め、
発送係りの方にまとめて郵送するまで、無事に完了した。ささやかな作業であるが、達成感は十分。自己満足の域であることは承知している。支えてくださった主に感謝するばかりである。
話しはだいぶ趣きを変えるが、先日、若い友人と話をしていた。成人したばかりの初々しいお嬢さん。洋々とした未来が果てしなく続くジェネレーションである。何かのついでに「毎日の暮らしの中で、これさえなければずいぶんらくだと思うことがあるのよ」と何気なく言った。愚痴ったわけである。と、彼女は「私にもあるわ。いくつかあるわ。だれにでもあるんじゃない」と意外な答えが返ってきた。びっくりした。「そう!あなたにも?」「あるわよ」彼女は淡々と応じる。「そうなんだ。人生のとげ、パウロのいうとげのことかしらね」「そうよ。それがあるから人は成長するんだと思う」なにやらうら若い乙女にすっかり諭されてしまった。
これさえなければ・・・、反対に、これさえあれば・・・。人生のいつの場面でも必ずついて回る状況がある。しかし、これはないものねだりというものなのだろう。主がそれぞれにふさわしく備えてくださっている人生にクレームをつけることなのだろう。詩篇の詩人のように『測り綱は、私の好む所に落ちた。まことに、私への、すばらしいゆずりの地だ』と、いただいている人生に100%の感謝をささげ、主をほめたたえる者でありたい。
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コロナ以来だろうか、久しぶりに幼馴染のY子さんに出会った。幼馴染と言っても中学生からの友人である。そのころこの地域に移転してこられた。同級生になった。が、まもなく結核を患い、以後入院生活が続いた。クラスの先生が率先して手紙を書かせ、まとめて送ってくださっていた。親友の間柄とは言えないが、同じ町内なので今に至るまで時たま道で出会うことがあった。そのたびに立ち話が続いた。病気がちだったのだろうずっとご両親と暮らしておられたが、今は一人暮らしである。お話上手で話題も豊かで、いくら時間があっても話は尽きないのだ。今日も握手をし合って別れるまでに一時間が過ぎた。
「自分と同じ年齢の人と話がしたかった。でも近所で会うのはあなただけよ」と言って、最近のご自分の体調を縷々と説明された。「私も、そうよ」と一致する事柄がいくつもあり、自分の状況を確認するうえで大いに参考になった。結核以後も大きな病をいつくも経験されたが、八十路の坂を杖もつかず上りつつある。背中にはリュック、手には買い物袋を提げていた。食料品だと言う。三度の食事を始め、生活管理も怠っていないようだ。今日はY子さんから慰めと励ましをいただいた。「昔の80歳と今の80歳はまったく違うのよ。100歳時代だから」という声に引きこまれ、「元気でね」と手を固く握り合って別れた。この次に路上で会えるのはいつかわからないが、その時はまた長話になるだろう。思わず笑みが生まれた。
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突然に真夏日の報が出ていたが、梅雨前は湿度が低いから高温になってもさほど驚くことはないとは、私の長年の持論である。怪しい自己判断と言えるが。
夕方近く買い物に出かけた。さすがに午後一番の散歩は控えたので歩いていない。そこで遠方の大きなスーパーに出かけた。夏向けに整えたい日用品があったので。
歩き出して、ひどく胸が苦しくなった。めったにない頭痛がいやにきつい。小刻みに立ち止って深呼吸をくり返した。いっそ戻ろうか、いやいやそんなことはしたくない。でも、途中で倒れるかもしれない。そんな思いさえ頭の隅をかすめた。なんと、弱くなったことか。たかがこれしきの事に・・・。
スーパーに入り、冷房が心地よく、のろのろと店内を巡っているうちに不調はすっかり収まってきた。無事に帰宅できたことを感謝したが、あとで考えるに、もしかして軽い熱中症だったのかもしれないと思った。梅雨まえだからとか、夕方だからとか、甘い自己判断を反省した。パラソルはいつも使っているが、お水も持つべきだったかと悔いることしきり。真夏の外出への警鐘を早くもいただいたことに感謝する。
今朝は一転、冷風に身がすくむ。なんという荒々しい気温差か。ついて行けない。昨夜すっかり夏バージョンに衣替えの整理をしたばかりなのに、少し早まったか。そういえば梅雨寒という言葉もあった。 そうだ、まだまだ4月なのだ。昨日が異常だったのだ。
自然界も人の世も思い通りには進まない。突然という現象が起こる。そのたびに慌てふためく。神様の呼吸にはとうてい合わせられない。
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