心の風から 記憶ちがい、勘ちがい

  • 2019.02.22 Friday
  • 18:03

心の風から 記憶ちがい、勘違い

 

最近、ひとりの人を調べていて、過去の人だから書物に頼るばかりだが、書かれている出来事が著者によって一致していないのに気が付いて驚いてしまった。著者の一人は親類縁者で、主人公とは親しい間柄だから、昔話としてではあるが出来事について直接聞いている。もう一人は学者で、綿密に資料に基づいて事実関係を調べている。主人公の年表も作成している。もう一人は晩年の主人公に直接インタビューしている。

 

私が驚いたのは、主人公の生涯にとって二つとないような大事件のとき、主人公の親はすでに亡くなっていた。年表によればである。しかし親類に当たる人の著書には、その事件の時にはすでにこの世にいないはずの親が大きく影響を与え、事件の原因にもなっていると説いている。これはおかしいではないか。明らかに記憶ちがいではないか。思い込みで書いているとしか言いようがない。

 

私は主人公にとってあってはならない悲しい大事件がなぜ起こったか、その真相が知りたくてたまらないのだ。だから、あれこれと資料を探している。何とかして理由が、原因が、またそこに直接かかわった人がだれであるのか知りたいのだ。ところが、信用していた親類縁者の本には、すでにこの世にいないはずの主人公の親がでてくるのだ。著者は親の心の内にまで想像の筆を差し込んでいる。著者の勘ちがいにちがいない。

 

「記憶にはございません」、「全く覚えていません」は、どこかで、偉い方々が逃げ切るための方便としてよく使うセリフであるが、実際問題として記憶ちがい勘ちがいは大いにありうる事だとつくづく思った。自分を振り返ってみても、覚えているようで覚えていないことも多い。年代も曖昧な部分も多い。ましてその時自分が言ったこと、相手が言ったことをその通りに覚えているかと言えば、自信はない。もちろん、あの時のあの人の一言で死ぬような思いをしたとか、反対にあの一言で生きる力が生まれたとか、鮮やかな記憶もあるが、全体としては不正確である。まして、自分以外の人のことについては、早く言えば霧の中である。

 

話が枝葉にまで分かれて、本筋が見えなくなってしまったが、私には著者たちの記憶ちがい、思い込み、勘ちがいからいくつかのことを発見した。あることを、一人の人の言うことだけで鵜呑みにするのではなく、複数の人の言うことや、本を読み、比べること、その大切さと、また楽しさを知った。それらを使ってなにか大層なことをしようとは毛頭思ってはいない。ただ、その作業が実に楽しいのだ。すでに世の多くの方々はしておられることだろうが、私はこの歳になってようやく発見した新しい世界なのである。

 

すぐに「白」だとか「黒」だとか決めて、それを振り回して判断の物差しにしたがる私であるが、待て待て、神様じゃあるまいし、白も黒も一応受け止めて、灰色も緑も黄色も赤もあることを知って、深く大きく考えていきたい。そのためには、もっともっと読み、聞き、調べる作業を深めていきたい。手元に集まった資料を咀嚼消化する時間も楽しみたい。つまり思いめぐらすこと、思索することを楽しみたい。できればそれらをベースにして、隠し味にして、エッセーなり、童話なり、物語などに挑戦してみたい。

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  • 2020.05.31 Sunday
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