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日々の風から 五月晴れと呼べる日はわずか

 

今日のお天気は理想的な五月晴れではないだろうか。日差しは強くまともに浴びるのは怖い。帽子か、それより日傘がいい。しかし吹く風は正に薫風、緑の下では緑風と呼びたい。速足で長く歩けば汗ばむが不快なほどではない。空は真っ青である。湿度はどれほどであろうか。からりとしている。遠出はできなかったが、家の周辺を3度も廻った。もったいなくて日暮れ前にもう一度近くの公園を巡った。こんな日はめったにない。それに、5月も下旬に入った。五月晴れと名づけられる日は幾日あるだろうか。この日を喜び感謝せずにはいられない。

 

 

 

昨日は教会ではペンテコステ礼拝が行われた。「ペンテコステ」とはギリシャ語で50と言う意味である。主の復活の日から50日目、12弟子、女性たちを始め120人ほどのイエス様の弟子たちが祈っていた。そこへ突然に激しい風が吹き響き渡って聖霊が下った。聖霊は三位一体の一位格の神様で、いわばイエス様であり父なる神様でもある。

 

礼拝の説教は、聖霊が下ったすぐ後に、ペテロの説教によって3000人もの人が救われた大きなみわざを記す聖書記事から、現在の教会がこのペンテコステの祝福のみわざを得るための備えについて語られた。第一は、心を一つにして祈ること。第二は聖書を重んずること、第三は神に従順にしたがう献身が必要であること。

 

三つの教えはいわば信仰生活、クリスチャンの基本である。だれでも祈っている、聖書を読んでいる、神に従う思いは強く抱いている。しかし、どこかで不徹底であり、自己流が混じっている。一人では祈るが、親子、夫婦、特に教会で大勢が一致して祈ることは足りないかもしれない。祈祷会が振るわない。聖書は片時も離さない、しかしみことばを100%信じているかと問われれば、理屈や言い訳が入る。神に従い神に捧げることもしているが、全き献身ではない。自分のご都合が入る。ああ、こんな基本ができていないのだ。伝道しにくい世の中になったのではないのだ。私一人の態度がいい加減なのだ。これではペンテコステの礼拝に集っても形式にすぎない。この日の説教で、深いところを探られ抉られた思いである。

 

 


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  • 2019.02.13 Wednesday
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