希望の風
人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

日々の風から キリストが十字架にかけられた日(受難日)

日々の風から キリストが十字架にかけられた日(受難日)

 

聖書によれば、イエス様は木曜日の夕方からユダヤ民族の三大祭りの一つ過ぎ越しの祭りの宴を、愛する12弟子とともにエルサレム内の一室で持たれ、楽しまれた。その後、いつものように谷の向こうのゲッセマネの園に入られて祈りをして過ごした。その最中に弟子の人一人、イスカリオテのユダがかねてよりひそかに計画していたように、ユダヤ人の祭司長たちにイエスを売り渡した。ユダは師を銀貨30枚で交換した。イエスはすぐに逮捕され、ユダヤ人議会で裁判され、さらにユダヤの総督ポンテオ・ピラトのも前で裁判を受け、ついに十字架刑を言い渡された。夜が明けてから、イエス様は公衆の面前に引き出され、郊外のゴルゴタの丘で、他の二人の極悪人とともに十字架につけられ、息絶えた。

 

さて、聖書はイエス様の十字架の意味を次にように明記する。

キリストは、「十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました」。Iペテロ2:24

キリストは「罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです」。 汽撻謄3:18

「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです」。IIコリント5:21

キリストは、「私たちのためにのろわれたものとなって……くださいました」。ガラ3:13

「多くの人の罪を負うために……ささげられました」。ヘブ9:28

「彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた」。イザ53:5

「主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた」。イザヤ53・6

 

私たちキリスト者は文字どおり、イエス・キリストは私の罪の身代わりとなって十字架に掛かってくださったと信じる。イエス様は私を罪から救い出してくださった救い主である。しかし、だれも「聖霊によらなければイエスは主です」と告白することはできない。私が救われたのは一方的な恵みによりあわれみによるものである。知識も資格もいらない。この恵みがすぐそばに差し出されいる。受け取ってください。

 

今日のみことば

【十字架上の七つの言葉】教文館 加藤常昭著

 

『わが神、我が神、なぜわたしをお見捨てになったのですか』

マタイ27/46

 

 

 

 

 

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