人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

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天の星のように―母エバから母マリヤまで 美しき姉妹たち
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日々の風から 年賀状雑感

日々の風から 年賀状雑感

 

年賀状のやり取りは日本の社会的な大きな習慣の一つであろう。子どもから大人まで全員参加する。個人も家族も、企業までがあいさつと宣伝を兼ねて使う。安価で便利なコミュニ―ケーションのツールだと思う。もちろん例外も多々あるだろう。

 

年賀状の全盛時代はいつ頃だったのだろうか。昨今はずいぶん変わってきたように感ずる。

私自身の中にも夢中になって書いた時とは意識が違う。やり取りした友人たちが老いてきたことは大きい。もちろん自分も。

 

いただいた賀状の中で考えさせられるものがいくつかあった。90歳近い姉妹から、昨今の体調や身の回りの環境が具体的に添え書きされていて、年賀状は今年最後にしますとあった。無理もないと思った。

 

また、長い間お世話になりましたときっぱりと過去形の友人があった。ああ、これでお仕舞にしようということかと察した。寂しかったが。

 

ショックだった一枚があった。実はだいぶためらった。先輩だし先にいただいては申し訳ないと思って書いた。ためらったというのは近ごろ老いが著しく目立ってきていたから。三が日もだいぶたってから返事の賀状が届いた。儀礼的な一文のみ。ボールペンだろうか鉛筆だろうか、かすれてところどころ判読不可。もう、来年はいいからという意味か、精一杯頑張って出されたのか、友の心が汲めなかった。悲しかった。

 

ユニークで楽しくなったのは、携帯Eメールからとパソコンメールに届いたものだった。携帯の友人は、往年は筆達者であったが数年手足が痛み出して病んでいる。それでもEメールでくださった。「謹賀新年」がピカピカ光って動いているのだ。ユーモラスで楽しく、使いたくなった。パソコンの方は大きな図柄の元気あふれる一通だ。これもいいなあと思った。

 

若い人たちのからは早く読んでください、見てくださいとの声が聞こえてくるようだ。お仕事のことやご家族の写真が張り付いている。充実した生活ぶりがあふれている。年賀状の一等賞は何と言っても6人の子どもたちがずらりと並んだ一様である。ご両親たちは子育てで天手古舞だろう、食べさせて着せて学ばせて寝かせるのに無我夢中であろう。しかし見ているかぎり思わず笑いたくなる。実に楽しい。神様の守りと祝福を祈らずにはいられない。

 

総じて、やはり年賀状はいいものだ。大切な友人たちの一人ひとりの現況を思い浮かべながら、出すも止めるのも知恵をいただいて係わっていきたい。

 

 

今日の聖書通読から

 

レビ記27章30節

『こうして地の十分の一は、地の産物であっても、木の実であっても、みな主のものである。それは主の聖なるものである』

 

ローズンゲン1/11より

『彼が担ったのは私たちの病、彼が負ったのは私たちの痛みであったのに、

私たちは思っていた、神の手にかかり、打たれたから、彼は苦しんでいるのだ、と。

イザヤ53・4

 

『罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。

わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです』

第二コリント5・21

 

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コメント
 実は、年賀状を出すのは今年で最後にしようと思って断りの文面を用意していたのですが、娘に、「まだまだ、やめるべきではない」と言われて考え直し、なんとか続けることにしたのですが…、希望の風さんのブログを読ませていただき、やっぱり続けることにしてよかったと思いました。やはり年賀状はいいものですね。
| サムサム | 2018/01/11 2:51 PM |
考えてしまいますよね。でもご高齢の方からいただくとうれしくなり励まされます。いつか全く出せなくなる日が必ず来るのですから、出来るうちは出したほうがいいかも。
これも「あかし」の一つだと思います。
| サムサムさん | 2018/01/11 4:58 PM |
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