人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

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天の星のように―母エバから母マリヤまで 美しき姉妹たち
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日々の風から 断捨離後遺症 

日々の風から 断捨離後遺症 

 

断捨離完了などと大げさな勝利宣言をしてしまって今さらであるが、前後左右、アップダウンする情けないわが心境を隠すのはフェアーでないと思い恥をさらします。

 

実は、私の断捨離は「捨」の他に部屋の模様替えも含めて部屋そのものも替える大掛かりな改革、革命ともいえるものであった。おなじ小さな一軒の家の中ではあるが常住する「わたしの部屋」を替えたのである。これがまた一大決心なのであった。思うところがあってそうした。

 

最初は小さな断捨離であったが日ごとに規模が大きくなった。今の内なら大抵のところは自力でできると、若い者たちが出払った日中に、ひとりでせっせと汗を流した。ところが汗といっしょに涙も流したのである。今だから言えるが、大声で泣きながらゴミにした。

そんな自分をバカみたいと笑う自分がいるのだが、感情というものは理屈には絶対に屈しない。

 

「捨」とはわずか一文字にすぎないがほんとのところ「捨」なんてないのだ。自分の生きた確かな跡であり、その時は「いのち」でもあったものだ。それを捨てるとは、自分の人生を消していくことに他ならない。片手をもぎ取り、片足を切る、そんな思いになった。私が無くなっていく、私が消えていく、死ぬような思いになった。

 

なんどか大波にさらわれてアップアップしたが、次第に感情は収まってきて理屈が勝つようになってきた。かつては大事であり必要であったが、今、今日を生きるために不要であれば、「捨」でいいのだ。明日のことはあまり深刻に考えなくてもいい。「明日は明日自ら思い煩わん」とイエス様も言われた。そういうことからも断捨離は「己を捨てて我に従え」の実践編、応用編として腑に落ち納得できてくる。

 

時々揺れ戻しが来る。余震のようなものであろうか。後遺症と言ったが、後々まで残る負を引きずるものではない。それはわかっている。

 

みことばの励ましをいただいた。

『ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろの物を忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目指して一心に走っているのです』ピリピ3章13、14節

日々の風から : comments(3) : - : kibounokaze :
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コメント
そうでしたか。大声で泣きながらの断捨離だったのですか。そのお気持ち、痛いほどよくわかります。
わたしの場合、一旦は家を捨てようと思って今のところに来たのですが、家内が残していったすべてを処分するというは、ほんとうに難しいことですね。箪笥の引き出しを開けるだけで涙です。そのこともあったりして、結局、先送りをしているのですが……。

| サムサム | 2017/07/10 1:33 PM |
私の断捨離はまったく私だけのものです。状況が違いますよ。サムサムさんはまだ何も触らなくていいと思います。「天の下の全てには時がある」と神は言われます。うるわしい「神の時」があるのです。自分のもので、もういいかなと思うものは処分したらいいと思いますが。奥様の物は次世代にお任せになったほうがいいです。
| サムサムさんへ | 2017/07/10 9:13 PM |
仰る通りですね。ありがとうございました。
「神の時」を待つようにいたします。

| サムサム | 2017/07/11 8:42 AM |
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