人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

日々の風から 配偶者を亡くす

日々の風から 配偶者を亡くす

 

 

 

前回は高齢者の悲しい現実を考えてみたが、まだまだ続きを書いてみたい。

 

それとは別であるが、年末から今日までのわずか2か月のうちに、親しい友が二人、立て続けにそれぞれの配偶者の死に見舞われた。お一人は奥様を、もう一人の友はご主人を天に送ることになってしまった。見ていられないほど痛ましい。奥様を亡くされたH兄は85歳、ご主人を失ったK姉は72歳。ご主人は73歳であった。まだまだこの時代では若いと言える。

 

85歳のH兄がとても心配である。仲間たちと祈りつつ何かと励ましている。しかし急いで解決できる事柄ではない。応急手当などない。兄は最近ようやくポツリポツリと心情を話すようになった。「ほんとうに自分の半身だった。いっしょにいる時は気がつかなかったが、自分が半分なくなってしまった、何をどうしていいかわからない」と。亡くなった奥様は持病があって、家事その他日常のことにH兄はずいぶんかかわってこられた。食事の支度もほとんどH兄がされてきた。H兄はまさに主夫であった。しかし東京オリンピックまでは大丈夫だろうとよくお二人で語ったという。奥様の持病は直接命に危険を及ぼすものではなかった。

 

死は突然であった。それだけにH兄の打撃は大きいのである

今だに得意であった食事すら作れない、一時は不眠症になり気が狂いそうだったそうだ。ようやくどん底から抜け出た気がするがと話された。ご自分の思いを外に出せるだけでも前に向かっていると思う。『受容、傾聴、共感』を思い出してH兄のお話を聴いている。

 

K姉はまだまだお若い。十年以上も難病のご主人を在宅介護しながら、時にデイサービスやショートステイを利用してはご自分も目いっぱい活動してきた。それでも周りの者は共倒れになるのではないかとハラハラした。最近ではK姉の体調にある症状がでて、手術も視野に入ってきていた。しかし、入院なんかしていられないと断ったそうである。ご主人の死はその矢先であった。ご主人は弱いながらも持病の方は死に至る病ではないからまだまだ戦いは続くものとK姉は覚悟していた。それを受け入れていた。それだけに喪失感は大きい。

 

死は突然にやってくるものだとつくづく思う。元気で普通に暮らしている最中の死は、突然だったとはだれもがわかるが、ずっと病を負い、たとえ病床にあっても、死は突然だと思う。医学や医師の計算通りになることもあるが、私には、死は、不意に訪れると思えてならない。父の時も母の時もそうだった。覚悟はしていたが、やはり不意であった。

 

生れる時も同じことが言えるのではないだろうか。今は出産時については医学の力が強いようであるが、体内に命そのものを得るには、ある方々にとっては言いしれない苦闘があると聞く。

 

いのちの主権者は神様なのだ。いのちの源は神が創る。地上にいのちをもたらすのは神様のわざ、地上の命を終わらせるのも神様である。

『主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな』

 

感謝なことにH兄もK姉も神を信ずる方々である。神のみわざとして受け入れて、これから始まる新しい一人の人生を豊かに生き抜いてほしいと、そればかりを切に祈っている。

 

 

 

 

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