人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

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天の星のように―母エバから母マリヤまで 美しき姉妹たち
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旅の風から 上五島のカトリック教会群を巡る旅 その9 大曽教会→鯛の浦教会

旅の風から 上五島のカトリック教会群を巡る旅 その9 大曽教会→鯛の浦教会

 

 

 

 

 

 

 

見学の時間ですが、教会から次の教会までおよそ15分、見学時間は20分程度です。道路はアップダウン、急カーブの連続ですから走行距離は短いと思われます。教会も、ヨーロッパの大聖堂のような規模はなく、素朴な「村の教会」ですから、短時間で見学できます。もちろん、じっくり立ち止まり、座り込めば、もっともっと長く鑑賞できますが、団体行動ですから分刻みの予定が立てられています。しかし、私たち一行は、息せき切って歩き回ることもなく、思い思いにスマホをかざしカメラを向けて楽しみました。ただし、教会はほとんど高台にあるので急な階段を上り下りするのはたいへんに骨が折れました。

 

大曽教会・濃淡の赤煉瓦の教会・上五島で一番美しい教会

「大曽教会」はさらに国道384号を北上した青方湾を見降ろす丘の上に建っていました。上五島で一番美しいと言われる教会です。この教会の壁面は色の違う赤煉瓦で積み上げられ芸術性と重厚さを感じました。正面には八角形のドームを戴いた鐘塔が高くそびえていました。はじめの教会は禁教令が廃止された明治6年から間もなくの1979年(明治12年)に木造で建てられましたが、現在のものは1916年(大正5年)に、長崎県下に数多くの教会建築を残した郷土出身の鉄川与肋が設計施工して建てたものです。11年もの年月をかけたそうです。美しいカーブの半円アーチの窓の花柄ステンドグラスは西独製とか。鮮やかに輝いていました。

 

午前中最後の見学になるのは鯛の浦教会です。時刻は11時20分を過ぎています。正午に昼食会場の「扇寿」に到着できるかと、心は早やひそかにランチに向かっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鯛ノ浦教会・煉瓦作りの旧聖堂は資料館

北上を続けた国道384号線を右へ、つまり東へ行き、途中から県道22号線を南下すると鯛ノ浦教会です。この教会は旧会堂は資料館になり、現在はその前方に建てた新会堂を使っています。この集落の人々は外海の出津から移住してきたキリシタンの子孫に起源をもち、五島崩れの迫害を受けています。1871年(明治3年)には「鯛之浦の六人斬り」呼ばれる残忍な出来事がありました。胎児を含む2家族6人が有川村の郷士に殺害されたのです。さすがに下手人の郷士四人は入牢、引き回しのうえ切腹を命ぜられました。

 

「巡礼ガイドM氏」はずっと淡々と穏やかな口調で説明され、個々の凄惨な迫害の場面はあまり語りませんでした。しかし、この時は声を高くして語られました。バスが現場近くの集落の中をゆっくりと進んでいるときでした。村は人影こそありませんでしたが沿道の畑はよく耕され、作物が青々と葉を広げ、平和そのもののようです。そんなおぞましい殺戮があったとはとても考えられません。しかし現実のことなのです。しかもたかだか150年ほど前、元号は明治なのです。

 

「歴史は読むのではなく、見るものである」、「歴史を知るとはその場に立つこと以外にない」と言われた堀田善衛氏の言葉を思い出し、粛然とさせられました。

 

初めての聖堂は1903年(明治36年)のことです。潮風による破損が激しかったために、1979年(昭和54年)年に現在の聖堂が建てられました。旧会堂には旧浦上天主堂の被爆煉瓦を用いた鐘塔があります。その他は木造です。そのコントラストに深い味わい感じました。新しい聖堂建設には一世帯80万円を献金したそうです。捧げる信仰のたくましさと美しさを胸に刻みました。

 

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