<< January 2019 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>

旅の風から 上五島のカトリック教会群を巡る旅その4  五島のキリスト教史と最初の訪問、福見教会へ

旅の風から 上五島のカトリック教会群を巡る旅 その4

五島のキリスト教史と最初の訪問、福見教会へ

 

 

 

 

 

 

今回の旅行の目的は『上五島のカトリック教会群を訪ねて』です。《カトリック教会群》です。有名な教会を一つ二つ見学するのではありません。上五島には今現在活動している教会が29もあるそうです。私たちはそのうちの10か所を巡ります。どうして、こんなに小さな島にそんなに多くの教会があるのでしょうか。そんな素朴な疑問が生まれます。

 

日本に初めてキリスト教を伝えたのは、ご存知の通り、スペイン人イエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルです。彼は1549年に鹿児島に上陸し、翌年、平戸で宣教を開始します。ザビエルは2年ほど滞在して中国宣教に向かう途中で病のため亡くなります。その後、コスメ・デ・トーレスがザビエルの働きを継承します。そこへ合流したポルトガルの宣教師ルイス・デ・アルメイダが1566年に五島へ渡り、宣教活動をスタートします。これが五島とキリスト教の最初の出会いです。

 

五島の藩主宇久純尭(うくすみたか)はキリシタン大名になりますが、その後の秀吉、江戸幕府による禁教令のために五島の信仰は一掃されてしまいます。しかし一部の信徒たちは潜伏キリシタンになって隠れた確かです。1597年に秀吉の迫害によって長崎の西岡で殉教した26聖人の一人、聖ヨハネ五島は島の出身者です。

 

その後年月が経って江戸時代中期に、五島藩は大村藩領から開拓民を移住させます。1797年(寛政9年)、外海地方から108名が五島へ移住しましたが、ほとんどが潜伏キリシタンだったようで、五島におけるキリシタン信仰がひそかに復活しました。移住者が土地を与えられたことを知ると外海地方からは続々と3000人以上の人たちが渡ってきます。しかし、移住民たちは山間部の僻地や小さな入り江などに住んで小さな集落を作りました。潜伏キリシタンはこうした集落に隠れ住んで信仰を維持し、特に明治維新前後の激烈な迫害をたえました。

 

幕末の1865年、居留地長崎の大浦に建てられた天主堂に浦上の潜伏キリシタンがプチジャン神父に信仰を表明し、これ以降続々と長崎各地で多くのキリシタンが表に出てきます。ところが江戸幕府のキリスト教禁止政策を引き継いだ明治政府は、「浦上四番崩れ」と呼ばれる過酷な弾圧を加えましTら。五島各地のキリシタンにも、長崎で指導を受けた信徒によってカトリックの教義が伝えられて、多くのキリシタンが信仰を明らかにしていきます。これに対して五島藩はキリシタンを捕え、「五島崩れ」と呼ばれる弾圧を繰り返しました。しかし政府は諸外国の圧力に屈し、1873年(明治6年)250年に及ぶキリスト教禁教令の高札を撤廃します。ここにようやく、キリスト教は晴れて日の当たる場所に出られるようになりました。

 

五島のキリシタン達は、キリスト教の信仰が認められると五島各地に次々と聖堂(教会堂)を建てていきました。教会は小規模のものが多いのですが、長崎にある日本最古のカトリック教会、国宝大浦天主堂建立直後に建てられて100年以上の年月を経ている建物もあり、その後建てられた新しい教会群とともに、今も五島のカトリック信徒たちが熱心に教会生活を続けています。今回の旅では、会堂で祈る方々の群れに加えていただくチャンスがありました。カトリック教会独特の祈りのスタイルをつぶさに体験し、考えらせられることが多々ありました。

 

最初の訪問、福見教会へ

ジェットホイルで下船した私たちはすぐに貸し切りバスに乗って最初の教会「福見教会」へと急ぎました。国道384号から右に折れ県道22号を10分ほど東に進むと五島灘に向かって立つ「福見教会」に着きました。教会は見上げるような階段を上ったところに建っていました。以後、多くの教会は岸壁のてっぺんか丘の頂上にあって、そのたびにため息をつくほどでした。

 

その代償のように眼下には青く深い海が広がって、塩の匂いを含んだ海風がそよいでいました。キリシタンたちは目を凝らしても見えない水平線のかなたの、福江島外海(そとめ)地区から、移住あるいは逃げてきて、ひっそりと集落を作ったそうです。教会の前にはどこも同じように統一された青地に白い文字で書かれた案内板がありました。またどこの教会にも鐘楼が建っていました。この教会の鐘は近くの「お告けのマリア修道会福見修道院」のシスター達が朝昼夕欠かさずに鳴らしているそうです。

 

≪教会と鐘の音≫は平和のシンボルとしてあこがれさえ掻き立てられますが、先輩キリスト者たちの血と涙とうめきの戦利品であることを忘れてはならないと心に銘じました。時刻は夕方5時になろうとしています。予定ではもう一つ、浜串教会へ行くことになっています。私たちは今度は急坂を下りてバスに乗り込みました。

 


スポンサーサイト

  • 2019.01.16 Wednesday
  • -
  • 11:10
  • -
  • -
  • -
  • by スポンサードリンク

コメント
コメントする








   

search this site.

profile

categories

selected entries

archives

recent comment

recommend

recommend

美しき姉妹たち
美しき姉妹たち (JUGEMレビュー »)
三浦 喜代子
最新本です。
ぜひお読みください。

links

sponsored links

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM