人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

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天の星のように―母エバから母マリヤまで 美しき姉妹たち
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銀(シルバーエイジ)の風から 90歳の誕生日

 

我が教会の姉妹が卒寿を迎えられた。いまや教会一の長寿者である。都営住宅に独居住まいをしておられる。天涯孤独である。一人娘だったそうだ。20年ほど前に召されたご主人も係累がおられなかった。

 

姉妹は体調を崩すことはあっても大きな病に苦しめられることなく今日の日を迎えた。彼女の日常は、週に4回はデイサービスに行く。木曜と日曜は教会である。毎日宅配の給食サービスを受けている。週一回は家事のヘルパーさんのお世話になる。教会への送迎は教会員がしている。こうしたルーティンでなんとかひとり暮らしを続けている。聴力はないに等しいが、さっさと歩くし、いわゆるボケはない。したがって介護度は1しか認定されない。食欲は至って旺盛。時にハラハラするほど早食いをする。


何にもまして驚くのは、
88歳までは年一回、聖書を完読していたことだ。習慣になっているのだろう、毎日旧約4章、新約1章のペースを続けてこられた。このところ、乱調気味だが、テキストを用いてのデボーションは欠かさないようだ。

 

もう一つ驚くことは、私が担当する成人科クラスを欠かしたことはない。補聴器を耳に、一番前に座るのだ。聖書輪読の時は裸眼で読まれる。分かち合いも要領よくまとめて語る。

成人科の学びは何人もの兄姉が80台までは続けられなかった。ところが姉妹は90歳でなお、学ぼうとしておられる。

 

姉妹の誕生祝は、教会でも婦人会でも行った。今朝は礼拝前の成人科でもお祝いしようと、私は昨日からデコレーション・ケーキに取り組んだ。先週は教会には来たけれど、元気がなくずっとソファに横たわっておられた。今朝はどうかなと案じたが、はやり欠席するとのこと、お迎え当番から連絡があった。しかし、皆で姉妹の健康を祈りつつ、ぬしのいない誕生祝をした。

 

礼拝後、数名の姉妹たちとケーキを持って訪問した。教会から車で10分足らずである。ドアのチャイムを鳴らしても聞こえないのはわかっているので、送迎の姉妹は合鍵を持っている。それを使って我が家のようにドアを開ける。それでも90歳の老姉妹は気が付かない。居間のふすまを開けると、炬燵に臥せっておられた。

 

外出できる身繕いであった。朝、一度は教会へ行こうと思ったのだろう。私たちを見るとやおら起き上がり、押し入れから座布団をだし、お茶を入れようとした。それをおしとどめて、安否を問い、誕生祝を述べ、ハッピー・バースデイを歌った。うれしかったのだろう、満面の笑顔になった。体調も特別悪そうに見えなかった。このところ朝は厳しい冷え込みが続いているから、体力気力ともにダウンしたのだろう。明日からは、先月から始まった一週間のショートステイに出かける。あまり好きでないらしいが。

 

90歳で、たった一人で、暮らしていけるだろうかと思ってしまう。もっとも、90歳は主からの姉妹への特別な賜物であり、ご計画の中にあることだから、自分に当てはめて考えることはよけいなことかもしれない。

 

姉妹は祈った。「教会の皆さんがよくしてくださるからさびしい思いもしません。皆様の上に神様の祝福が豊かにありますように」。確かに、姉妹にとって、教会生活はなくてならないものである。教会から離れたくないといつも言われる。教会は姉妹にとっては文字通り神の家、自分の家なのだ。数十年の交わりを毎週続けているのだ。思えば教会とは不思議な存在である。かつて、教会の外で活動していた方々も、今は教会だけですとよく聞く。教会はこの地上の最後の砦なのである。

 
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銀(シルバーエイジ)の風 隣人の介護認定調査
 

親しい教会の友が、我が家の裏隣りのアパートに移り住んできてから一年あまりが経ちました。当初は、一人暮らしがいよいよ限界だと、皆が判断して、たまたま教会の近くの今の場所に移転していただいたのでした。身体はわりあいお元気なのですが、衣食その他の判断などで、不都合が目立ってきたのが理由でした。

 

当初は半年持てばいいねと、それとなく話し合っていましたが、どうして、どうして、守られて、今日もお元気です。しかし、老いの坂は平で続くことは無いようで、かなりのスピードで下り坂です。介護認定を受け、週一のデイサービス、週一の家事援助を受けていますが、今日は半年に一度の認定調査がありました。

 

区役所から委託された専門の方が来られて、小一時間、姉妹を中心にして様々な調査がありました。私は近くの教会員と2人で立ち会いました。姉妹は、係員に対して、礼儀正しく立派に振る舞い立派な受け答えをしました。30年も前のことを正に今の日常として、ユーモア交えて巧みに物語りました。身体テストも元気いっぱいでした。

 

これでは、介護度を下げられるのではないかと、内心心配になりました。調査員は何を基準に判断するのでしょう。多少の時間、姉妹を抜きにして、質問がありましたが、例え事実であっても、すぐそばで姉妹が聞いているところでは話しづらく、ひそひそと声をひそめたりして、現状を伝えようと努めました。もう一人の姉妹は、あとで電話しますと言っていました。

 

半日経って、今日の調査のことをあれこれ思いだし祈っていて、とても悲しくなりました。姉妹の老いも悲しいし、その弱くなってしまったことを他の人に話す自分がとてもいやになりました。姉妹、ごめんなさいねとつぶやきました。姉妹は今日のことをどこまで理解したか、察したかはわかりませんが、いい気持ちではなかったでしょう。ほんとうにお互いに辛いことです。

 

往年の姉妹は忠実な主の働き人でした。多くの魂を救いに導き、人を助け、見舞い、慰め、励まし、教えた人です。それだけに姉妹を姉とも母とも慕う方が大勢いるのです。私もその一人です。そんな仲間たちが今の姉妹をケアーしています。

 

衣服を点検する人、寝具の係り、細かい掃除や冷蔵庫を見る人、ゴミ出しの人、病院の付き添い、時に食事の差し入れ、美容院に連れて行く人、金銭管理をする人など、みんなでそれぞれ分担します。

 

半年とだれもが思った一人暮らしが続いています。今でもいつまで持つかしら、そのときはどうしましょうなどと話しています。しかしみんな主がいちばんよいことをしてくださるでしょう。主は姉妹を愛しておられるからと、心配の中にも希望の風を見いだして祈り続けています。ところで、姉妹は老いを知って知らずか、わりに持ち前の明るさで日々飄々と淡々と心静かに平安に暮らしています。それは感謝です。

 

 

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銀(シルバーエイジ)の風から 自分ではわからない
 

 思い返せばこのカテゴリー、銀(シルバーエイジ)の風では、介護していた母のことを書いてきた。その母も天に帰ってしまい、早や二年半が過ぎた。いまでは、我が家で最年長は私なのだ。長女ファミリーは時に笑いを込めて私を《長老》という。

 

10年、20年といっしょに活動してきた仲間たちが老いてきている。老いの様相には個人差があり、形も種類も違う。外見では、年のわりには若く見えるとか、年相応だとかなんとでも言えるが、さて、問題は中身である。

 

身体内部の初期の老いの特徴は自分ではわからないの一言に尽きる。

持って回ったいい方で申訳わけありません、早く言えば、遠耳と認知症です。

耳が遠くなることについてですが、最近とみに家族に言われるのです。

お母さんの部屋の電話が鳴っているわよ、聞こえないの。

さっきから何度も呼んでるんだけどーーー などなど。

聞こえて初めて自分の現実になるのだが、その前の部分で他の人がどれだけイライラしたか、ある種の努力をしたかなどはいっこうにわからない。

 

認知症はどうだろう。まだ自分にはその徴候があるとは思ってもいないのだが、(そこが問題だと言われると返す言葉もないが)身近に、公式に認定されている人や明らかな予備軍、灰色の予備軍がちらほらとおられる。しかし、その症状は認定されている人も予備軍も、自分ではまったくわからないのだ。わからないから当人は暢気なものである。気にもしていないから愉快といえば愉快だが、困ることが多い。

 

灰色とまでは言えない認知予備軍と遠耳がミックスした老人世界の現象はすさまじいものだ。勘違い、聞き違い、自己流判断、記憶喪失などでごった返している。みんなで一つのことをするのが容易ではない。だから、リーダーは体力も、知力も、特に忍耐力に富んだ中年がいい。もっと若くてもいい。

 

菅さんの後はぜひ若い人にお願いしたい。思い切って若い人に。頭の回転も歯切れもいい若い人にお願いしたいものだ。自分の老い振りがわからない人は困ります。

 

 

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銀(シルバーエイジ)の風から  新しき隣人 デイサービス・デビュー

416日のブログに書きました新しい隣人が、新しい生活を始められて早や1ヶ月が経ちました。80歳を過ぎて生活圏を変えることがどんなにマイナスになるか、よく聞くところです。係わる教会の有志たちはずいぶん心配しました。ところが、K姉はみごとに高いハードルをクリヤーしたのです。

 

以前の生活を惜しんで落ち込むこともなく、近くのスーパーで日用品や食料を整え、ずっと行き慣れている駅ビルやモールにも毎日のように出かけて楽しんでいるようです。しかし老いが進んでいる事実は動かしがたく、ついに介護認定を受け、判定もいただきました。そこで介護サービスを受けるように進めていきました。

現在のK姉にいちばん適したサービスはなにかと、係わる者たちでとことん話し合い、

週1回のデイサービスと週1時間のお掃除をお願いすることになりました。

 

ケアマネさんには、母がお世話になった施設とヘルパーの事業所を推薦しておきましたが、その通りになりました。

 

サービスを受けることについて、牧師夫人を初め係わる者たちが代わる代わる話して聞かせました。初めてのことなので、完全には理解できなかったでしょう。不安があったでしょう。何で私がーーーという葛藤もあったでしょう。

 

デイサービスの前日の夜に、持ち物に名前を書き、バックに収めて用意しました。

翌朝、K姉といっしょに迎えの車を待ちながら、母を思い出しました。同じように玄関の前に出て待っていたのでした。

 

「娘さんですか」と迎えの職員に声をかけられ、思わず笑ってしまいました。でも、そうなのだ、母と娘ほどの年齢差はないとしても、主にある家族として、K姉は私の母であり姉なのだと改めて思いました。そして、母を介護した経験が、このような形で用いられることに感謝し、主は不思議なことをなさるなあと、感慨深く思いました。

 

私たち皆がいちばん心配したことは、いざ、その時になって、拒否しないかということでした。とにかく祈ろうと連絡を取り合いました。ところが、なんと、K姉はすんなりと車に乗り込み出かけていきました。手を振って見送ったとたん、熱いものがこみあげてきました。

 

帰りは、出迎えは不要、一人で出来るとのことでした。到着時間を少し過ぎてから、姉妹宅に行きました。どんな感想が出るかと、これもまた半分心配していましたが、

なんと、姉妹は上機嫌。食事もおいしかった、同じような年代の方々が大勢おられて、いろいろお話しでき、ゲームにも参加し、お風呂も良い気分だったと。念のため、ノートを見せていただきますと、しっかりそのことが記されていました!!。

 

「あんなに良いところが、こんな近くにあるなんて、毎日でも行きたいくらいよ」ですと!

 

もともと姉妹は保育士さん。その上、子どもの集会、教会の交わりなど、人の集まるところの経験は豊かです。弁舌の立つ方で、社交家で、いつも楽しい話題を振りまいています。それがよかったのかもしれません。何にもまして、イエス様がK姉の老後をしっかり見つめ、守り、導いておられるのだと確信しました。

 

こうして、K姉は大きな恵みの内に、デイサービス・デビューができました。

K姉の老いは驚くほどのスピードですが、主もまた力強く立ち上がってくださり、思いに勝る速度で事を進めておられます。主はご自分の翼にK姉を乗せて、五月の空を飛翔しておられるようです。そこに希望の風が吹いているのは間違いありません。

 

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銀(シルバーエイジ)の風から 真夏の真昼に
 かんな
ロゴス氏より拝借
 

ドアーを閉めて通りへ出た。向こうから、見るからに超高齢の女性がシルバーカーに体をあずながらそろりそろりとやってくる。付き添いはいない。ああ、まるで母のようだ、そう思った。よく見ると顔の形も体つきも母に似ていた。地域の方に違いないが向こう三軒両隣りの方ではない。

 

すれ違いざまに、私は老女性の正面で立ち止まった。

「おいくつになられますか」訊いてしまった。

老女性は歩みを止めて少し腰を伸ばすと、私の顔を見た。驚いた様子もない。穏和な表情である。が、返事がない。ああ、きっと聞こえなかったのだと思って、もう一度質問した。

 

こんどは「年はいくつですか」と訊いた。聞こえたようだった。

「92歳です」とはっきり答えてくださった。

よく見ると、顔のしわの具合まで母のようだった。

「お元気ですね。暑いからお気をつけて」

老女性は目を細めてほほえんだ。すっかり邪気の消えた清い笑顔であった。

私はそのまますれ違った。が、どうしたことだろう、ふいっと涙がこみ上げてきた。自分ながら意外なことだった。しばらくするとそんな自分がおかしくなった。

私は後ろを振り返りはしなかった。もちろん老女性もそうであろう。

 

夏真っ盛りなのに、街路の公孫樹に早くも黄葉が見え、公園の桜の葉も赤付いているのがあった。蝉の遺骸も転がっていた。すっきりしない夏である。このところ巨大な積乱雲に会っていない。

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銀(シルバーエイジ)の風から 母の召天から半年

 

(ロゴス氏より拝借)


母が天に召されてちょうど半年になった。昨年の12月25日に、母は90歳と11ヶ月10日の地上の生涯を終えて、イエス様のみもとに帰って行ったのだ。その時、いつもは狭い天国の門もかなり広く開けられ、天のみ使いたちが総出で歓迎の歌声も高らかに、母を出迎えてくれたことだろう。

 

半年が過ぎて、感慨を新たにしている。まだやっと半年であるが、ずいぶん前のことのように思えることもあるし、つい昨日のことにも思える。茫然とすることもある。これでよかったのだと一人うなずくこともある。

 

つい数日前に、一人の友から電話があった。母のことを最近知りましたと。かつて我が家のごく近くに住んでおられたが、郊外へ越して行かれた。それから長い月日が経ってしまった。気になってはいたのだが、知らせないできてしまった。

 

友は、教会の方の墓参で霊園に行ったついでに、我が教会の墓地にも足をのばしてくださった。墓誌に母の名が刻まれていたのでびっくりしたと、わざわざ連絡してこられ、翌日遠くから訪ねてくださった。うれしかった。

友はお母さんにはお世話になりました。特に父が亡くなったとき、遠路にもかかわらず参列してくださったことは忘れられないと。ああ、そんなことがありましたかと、私は遠い記憶に思いをはせた。

 

友の来訪は、召天半年のよい記念になった。

今日は、すぐ下の妹と、かつての母の居間に座して、昼食をした。

母を永遠の都、天に御国へ迎えてくださった神様の恵みを感謝した。

 
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銀(シルバーエイジ)の風から 母は希望の旅へ クリスマスの朝に 
記念の花

25日、イエス様がお生まれになった日に、我が母は国籍のある天の国へ帰って行きました。世界一美しいクリスマスの朝を旅立ちのときと定めてくださった神様の愛に深く深く感謝しました。26日、27日の二日にわたって、ずっと母の愛した我が家の自分の部屋で、家族葬をして送り出しました。長い間お祈りくださり、励ましてくださった皆様方に心からお礼申し上げます。
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銀(シルバーエイジ)の風から 母の退院事情

母が、食事が摂れなくなって10月2日に入院してから70日が過ぎました。その後も平行線でしたが、発語はないものの視線を合わせ問いかけへのうなずきはありました。聞こえておりわかっているようでした。しかし点滴漬けのため浮腫がひどくなり、体内にも水が滞留しているとのこと。主治医となんども時間をかけて話し合いを重ね、胃ろう造設を決断しました。高齢のためかなりリスクはあったのですが、一つ一つ乗り越えて、いまでは順調に高栄養リキッドを摂取しています。浮腫もとれ、点滴も外れ、時々発語するようになりました。

ここまで回復して医療行為が減ってくると、救急病院としては入院させておくわけにはいかないらしいのです。それは法律で定められているとか。私が見るだけでも、家に連れて帰れるのではないかと思うほどです。とは言え、全くの寝たきりで、移動させるだけでも音をたてて壊れてしまいそうなのですが。

もし、施設に行くとすると、療養型老人病院というのだそうです。病院付きの相談員の方が主治医と家族の間に入っていろいろ話を聞かせてくれるのです。わかったことは、次の段階の病院は近辺では探しても無理だとのこと。そこで、再び在宅介護を選びました。今まで以上に訪問看護師とホームドクターとヘルパーさんのお世話になりながら、なんとかやっていこうと決めました。

さて、退院ですが、病院側は年末までにはと考えていたようです。関係者で状況を確認し話し合いましょうとのことで、アマネさん、訪問看護師さん、相談員、婦長さん、私と、集まりました。席上、ケアマネさんは、年末年始はヘルパーさんがいません、訪問看護師さんは1月10日以降でないと訪問できませんと、現場の実情をよくよく話されました。病院側は事情はよくわかりましたと受け止めてくださり、最終決断は主治医からということになりました。

昨日、主治医と面談。母の状況を詳しくお話しいただきました。
主治医はあっさりと、1月13日連休明けを目指しましょうと言ってくださったのです。
ほんとうにほっとしました。クリスマスや新年を家で迎えさせたいとは思いながらも、介護や医療のプロたちのいない日々は不安がいっぱいです。病院にいてくれたらこれ以上の安心はありません。願ったとおり、願った以上になりました。

この病院も決して評判上々ではありません。でも、今回、母の主治医になった方は若手と呼べる年齢とお見受けしますが、実に親身です。自分のおばあちゃんだったらどうするだろうと考えると言われたこともありました。ゆっくりゆっくりいきましょう、急ぐことはありませんと何度も言われました。ずいぶん慰められました。

大勢の方々の祈りがあるからです。なによりもイエス様が母を心配してくださっているのです。私は先生にも感謝していますとお礼を申し上げましたが、同時に主にハレルヤと賛美し感謝の祈りを捧げました。

今年の創作四字熟語に『窮々病院』というのがあって心に残っていますが、母の場合に限ってひそかに『悠々病院』と呼びたくなりました。本当はそんな病院ではないのです。
こうした事情により、母はあとしばらく病院のお世話になります。引き続き覚えてお祈りいただきたくお願いします。
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銀(シルバーエイジ)の風から 母の容体

母が入院して半月経ちました。母のために多くの方々が心配し、何よりも貴いお祈りをしてくださっていること心感謝します。この間の様子を記してみます。

母は夏以来次第に食欲が無くなり、熱も上がったり下がったりしていました。ホームドクターの配慮で、半年前に大腿骨骨折で入院手術した病院に入ることができました。点滴や特別食で炎症を押さえ、体力をつけようと、病院では適切な治療をしていただいています。

私は食事時には付き添って介助をしていますが、ますます食が細くなってきています。そのぶん点滴が増えています。熱は収まってきているようです。担当医から、状況を聞かせていただきました。

よくはなっていないのです。年齢と母の限界もあるのでしょう。しかし、病院は療養型の老人病院ではありません。緊急病院と指定され、救急車が絶え間のないほど入ってきます。母のように体力をつけるために入院している人はいません。周りの人たちは怪我をしたり、内臓の手術をした人たちばかりです。ということは、早晩退院を迫られることになるのです。よほど容体が悪くなれば別ですが、今の状態では置いてもらえそうにありません。

まだ、告げられてはいませんが、そんな気配を感じます。もともと在宅介護では無理だと判断されて入院になったのですが、いっときの症状が収まれば帰宅しなければなりません。退院できることは、ふつうで言えばめでたいことでしょうが、このまま帰されたらと思うと不安がいっぱいです。ショーステイはとても無理でしょう、せっかく大騒ぎをして予約したのもキャンセルしました。

信頼できる病院で、手厚い治療や介護を受けることなど、いまの日本の制度では夢物語です。介護制度と医療制度があって、その区分が微妙です。同じ事をしていても、在宅なら介護保険、病院なら医療保険で、その手続きも厄介なものです。その間に立って、ケアマネさんがよく動いてくれます。

今、私は病院に日参するだけで、在宅介護のときのように心身を酷使することからは免れています。しかし、何とも言えない気分なのです。日に日に弱くなっていく母を目の当たりにするのはとても辛いのです。辛いと言う表現もぴったりではありません。まして悲しいとか苦しいとか、そういう感情でもないのです。とにかく、重いのです。これは一体なんでしょう。

母はクリスチャンですから、行き先も決まっています。ちっとも心配は要らないのです。それなにの、気が滅入り、悄然とするばかりです。眠りも浅く、力が出ません。
母はほとんど食べられずうつらうつらとしていますが、声を掛ければ聞こえるのか目が開きますし、うなずくくらいの反応は示します。家にいるときと同じように淡々とした表情です。それは安心なのです。しかし、です。私が鬱々としているのです。困ったことです。
自分のたましいの奥底には、静かにひそやかにキリストの慰めが満ちているのを覗き見ることができます。ですから、パニックになったり混乱したりすることはないのですが、自分で自分がどうにもなりません。これを愚痴というのでしょうか。


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銀(シルバーエイジ)の風から ああ1321万人の物語

1321万人とは、敬老の日にちなんで発表された日本の75歳以上の方々の人数である。総人口に対して10.3%という。ざっと10人の一人が後期?高齢者なのだ。史上初なのはいうまでもない。この人たちが何らかの形で老いと戦っておられるのだ。一人一人にかけがえのない大きな人生物語がある。我が母を筆頭に、知り合いの人々を思い浮かべてしみじみとそう思う。そして人が生まれてから地上を離れるまでの歩みは決して簡単でははなく、特に老後はあらゆる面で厳しいと実感する。

母の最近を物語りたい。
皆様にはいつもお心遣いをいただき、お祈りしていただいて、感謝でいっぱいです。

2月に、大腿骨骨折、緊急入院、手術して人工骨を挿入した。4月に寝たきりで退院。以後、自分の足で立つことができなくなった。立つどころか寝返りもできなくなった。母の生活圏は畳一畳ほどのベッド小宇宙である。三食ともとろみ食を介助で摂取している。

日々と言えば、朝8時から1時間は訪問ヘルパーによるモーニングケアー、その後朝食。午後5時にヘルパーさんによる身体介護。水曜日は訪問入浴日。お風呂屋さんが大きなバスタブと看護師さんを連れて3人のチームでやってくる。月2回はホームドクターの診察、最近は週1回、訪問看護師さんが巡回してくださる。

先月から、エンシュアリキッドという総合栄養補助食品、一日一缶250ccが加わった。
薬もだんだん増えている。すこしづつ介護の種類が増えている。以前はなかった体位交換も2時間毎にさせなければならない。軽くなったとはいえ、大人一人の体重はかなりである。腰を痛めかけている。その時だけ、コルセットをシッカリ着装してとりかかっている。

母は昼も夜もほとんど眠っている。発語もめったにない。しかし声をかけるとシッカリうなずく。わかっているのだ。痛いところも苦しいこともないらしい。それだけが感謝。
この9月に介護度の更新があった。やはり要介護5であった。介護で使える点数がいちばん多いランクだ。ケアマネさんとよく相談し、計算して、目一杯使っている。

たびたび書かせていただいているが、介護制度の恩恵に十分に浴している。皆さん、プロの知識と経験でほんとうに熱心に介護してくださる。もし介護制度が無くて、今の状態の母を世話しなければならないとしたら、どうなっているだろう。

月に10日くらいはショートステイに託することができる。この時は時間を気にしないで外出することができる。これは何という幸いだろうか。申し訳ないほどだ。

かつて、私の愚かな人生観の中に母の介護はなかった。思いがけないことだった。否応なしに割り当てられた、正直いって避けて通りたい役目である。だが、老いていく母と密着する中で、老いの正体をしっかり教えられている。未知の世界の学習をしているのだとおもう。負け惜しみに聞こえるかも知れないが、貴い体験だとおもう。

命を生み育てる母としての役割と、子としての親の介護は、神様が人に与えた人生の大仕事だと思えてならない。神が創造したいのちに直接係われるのは、もしかたしら、たいへんな特権なのかもしれない。最近そのような思いに導かれている。
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