人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

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風の仲間たち

風の仲間たち 一気に猛暑 教友を天に送る

 

この猛暑もまだほんの短期間なのに、一か月遅れだった長い梅雨の日などすっかり忘れて、もうへなへなしています。改めて、夏は確かに来るんだなあと、妙なことに感心している有様です。しかしすでに八月です。今年の暑さは昨年に限って比べれば1か月は雨の中に隠れて、過ぎてしまったといえます。9月いっぱいは暑いとはいえ、先が見えたように思うのは愚かな判断でしょうか。暑さ対策の気休めにしているのですが。

 

この猛暑の中で、60年以上もともに教会生活に励んできた友、T兄を天に送りました。我が教会は今年創立70周年を迎えます。今は5人目の牧師を迎えています。草々の5年ほどの間に信徒になった人が現在わずかに4人、その一人が召された兄で82歳です。4人の中のしっぽが私です。最長老は88歳の男性、次が85歳の女性です。(現在の教会員には、96歳を頭に10名ほど私より高齢の方がおられますが、草創期の方々ではありません)

 

私が中学3年生の時、兄は早稲田の大学生でした。外資系の世界的企業に就職し、高度成長期の日本をまさに背負うがごとく、企業戦士として世界を走り回って働きました。単身赴任もあり、ご家族そろっての転勤もあり、出張は年がら年中で、礼拝もままならない時期がありました。しかし、教会の大切な時には必ず論を尽くして教会中を納得させ、教会の歩みをいつも主のみ心にかなう道に導かれました。私は彼の論にたいてい同調できました。

 

T兄は70歳を過ぎたころからいつくかの病に襲われましたが、何度も何度も奇跡的に回復し、よく、礼拝で主のみわざを証しされていました。しかし今回はついに力尽きたのです。もちろん神の時だったのです。容体が急変する数時間前まで、意識ははっきりしていて、自力で歩き用を足していたそうで、いかにも勇敢な兄らしい最期でした。万全を尽くした医療環境の中で、自宅から天に帰られました。理想的な生き方死に方をされたと、思い返しています。前夜式、告別式と、全葬儀に思いを込めて参列しました。

 

『主の聖徒の死は、主の目に尊い』詩篇116:15

『こうしてヨブは死んだ。年老いて、満ち足りた生涯であった』ヨブ42:17

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風の仲間たち 幼なじみを天に送って

 

先月29日に、突然梅雨上げ宣言があって以来、まるで息もつけないような暑さの日々を過ごしてきました。もっとも、小さな生活の中にも、さらに何やらサッカーの大会などもあって、日ごろの静けさが破られ、あわただしく賑やかにまた騒々しくもありました。今朝は、オヤッとあたりを見廻すほどの涼しい気配、大いにホッとしています。神さまのご配慮に感謝します。

 

先頃、幼なじみの友人が召されました。友人とは召される近くまで交流がありましたので喪失感と感慨は思った以上に大きく、今も心の底に哀惜の情が留まっています。友人は病んでからしばらくして我が教会で救われ、以来、細々とではありますが教会生活を唯一のよりどころとしてきました。残念ながら事情によって教会でお葬儀をすることができませんでした。召されてふた月ほど過ぎてから、親族から教会へ短い一報があったきりでした。教会は礼拝の中で姉妹を偲ぶ時を設け、いちばんかかわりの深かった私が思い出を語りました。その時のメモをここに記して私自身の記念にもしたいと思います。

 

おはようございます。

×月×日に召されたM・T姉とは、まもなく70年の長きにわたる友達ですがエッセンスだけを短くお話しします。姉妹はこの町で生まれ育った方です。H橋の土手の近くに住んでいました。私は小学五年生の時同じクラスになりました。中学もいっしょでした。その後は他の区に移転され、私たちは別々の道を歩みましたが、ちょくちょく会っていました。いっしょに旅行もしました。姉妹がお元気だった青春時代の楽しい思い出は尽きません。

 

ある時、三十代か四十代かに病気になり、それ以後はお仕事も出来ずずっと病院通いが続きました。そんな中で私は「教会に来てみない?」と誘いました。姉妹はこの地域をよく知っていましたし、移転前の最初の教会も知っていましたので、わりあい素直に来るようになり、やがて、受洗し、礼拝の交わりに加えられていきました。いつしか姉妹にとっては教会生活が大きなウエイトを占めるようになり、とても楽しんでいたと思います。教会の皆さんも、弱い姉妹をいたわり気遣って温かくしてくださいました。二人暮らしのお母さんが施設に入られた時期、みんなでよくお見舞にも行き、お母さんも病床洗礼を受けられました。

 

お母さんが亡くなった後は一人暮らしになりました。身よりは妹さんだけです。妹さんがすべてのお世話をされていたようですが、詳しいことは分かりませんでした。ある時、骨折して歩行が無理になった時、3年ほど前でしょうか、終の棲家になった隣の県の施設に入居しました。そこへも教会から折に触れて何人かの女性たちと訪問してきました。

 

最後にエピソードをご紹介します。

今年の3月初めの事です。姉妹が召される20日ほど前になりますが、はがきが来て、ドーナツが食べたいから送ってほしいと言ってきました。驚いて施設に電話をかけ、話を聞きますと、毎週教会に通っていたころ、JRの駅のそばのミスタードーナツに寄ってよくひと休みしたそうです。あのころがとても懐かしく、いつも決まって食べていたドーナツがどうしても食べたいというのです。2個でいいから送ってと。施設ですから通常、食べ物を送ることは禁止されているのですが、その時私はこの願いはかなえてあげたいと思いました。

 

姉妹のリクエストするドーナツを2つだけ、朝一番で買いに行ってすぐに送りました。3月初めなので傷むこともないと思いまして。まもなく電話があり、おいしかったわと満足そうな笑い声が聞こえました。そしてしばらく昔の思い出話をしました。私は毎月カードか電話でコンタクトを取ってきましたので、その後、4月半ばにもカードを送りました。今から考えると、その時、姉妹はすでに御国へ旅立った後だったのです。

 

姉妹は病弱だったこともあって、70歳過ぎまで生きていられるのは神様のおかげだと、とても喜んで、お互いに健康に気を付けてがんばりましょうねと明るく言っていました。ですからこんなに早く召されるとは、私も、そしてご自分でも思ってもいなかったと思います。詳しい事情は分かりませんが、つい20日前に姉妹と話したことを思うと、突然に召されたのかなと、そして、それが神様の最善の時だったと信じます。姉妹はよく『神のなさることは時に適ってうるわしい』とのみことばを愛唱されていました。姉妹を天に送って、寂しさはひとしおですが、主のみわざのゆえに、心から主の御名を崇めます。以上。

 

 

 

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風の仲間たち 私のお手本

 

 

先日、書き仲間の先輩を囲んでお祝いをした。お祝いの理由は米寿を迎えられたこと、お国から叙勲されたこと、私たちの小さな組織に30年にわたって属し、活動のすべてに一度も欠かすことなく参加され続けたことであった。模範的な先輩であり私のお手本である。

 

彼は奥様をだいぶ前に亡くされて以来、ほとんどお一人暮らしである。一時期ひそかに心配したこともあったが、心も生活も立て直して、今ではすっかりマイペースで進んでおられる。彼はご自分を「プログラム人間」と呼ぶ。つまり、一日24時間をきっちり時間割し、その通りに活動するそうだ。お話を聞いていると実に楽しい。マネしたくなってくる。

 

掃除も洗濯も買い物の時間ももちろんある。お食事つくりは大事なプログラム。何にもまして驚嘆するのは、聖書を読みお祈りをし、その後午前中はたっぷり研究と執筆に当てる。これがすばらしい。聖書研究から始まって内外の文学者の働きを調べてはまとめている。資料を求めて月一回は上京し、神田の古書街を歩き、銀座の教文館へ行かれる。その辺りでお食事とか。判で押したように長年続けてこられた。夕方は讃美歌や唱歌を小一時間歌うそうである。これがなんとも珍しくおもしろい。触発されてこれだけはすぐに始めた。執筆の中に時々俳句集があり、短歌集があり、短詩集がある。多彩である。

 

こうして彼は90歳への坂をゆっくりと上っている。最近、杖を用意しましたと言われたが、この日、それは見当たらなかった。東京まで約2時間を往復されている。皆で書き合った色紙を本棚に飾っていますと早速メールがあった。彼の足跡を辿らねば。

 

 

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風の仲間たち ステーキが食べたい!

風の仲間たち ステーキが食べたい!

 

私より10才近く年上の尊敬するT姉に数か月ぶりでクリスマスのごあいさつを兼ねてメールした。その前にカードを郵送したが、いつもと違って音沙汰がない。ご高齢とは言え昔取った何とかで、打てば響くようにすぐにメールで反応できる頼もしい方なのだ。それを当てにして、メール会話が楽しめると思っていた。

 

メールにはすぐにお返事があった。「もう一か月になるのですが、いろいろ慣れなくて時間ばかり経ちます。今お風呂から上がったところです」。「?????」。何も聞いてないが、なにか変化があったに違いないと察して「どちらにおられますか」と訊いた。「あら、年賀状でお知らせしようと準備したので、とっくにご存知かと勘違いしました。子どもたちが私の健康を心配して手配してくれました」

 

T姉にはお若い時から喘息の持病がある。ときどきひどく病むことがある。入院騒ぎもまれではない。それさえなければいたってお丈夫である。この夏は海外旅行もされた。心も意志も強い方である。いちばんの特技は忍耐力と信仰力であろう。決して平たんではなかった人生を乗り越えてこられた。お子様たちもそれぞれに親思いの優しい方々のようだ。

 

どんな施設に入られたのかわからないが、介護認定はされているかどうか。だから特養などとは無関係に違いない。杖も使わずに自力で歩いておられる。今は高齢者向けの様々な施設があるようだ。私はそんなに詳しくはないが、有料老人ホームの類だろう。超高級な施設でないことは確かだ。セレブではないから。さしずめ、今はやりの「サ高住」かなと推察する。

 

外出も外泊も自由にできるそうである。姉妹は積極的にそこのプログラムをこなし、慣れて行こうとしているらしい。たぶん適応能力は抜群と思う。ふと「お食事は満足ですか」と質問した。すぐに「ステーキがたべたい」と返信が来た。びっくりした。施設のお食事は高齢者向けに計算しつくされた健康食なのだろうが、ちょっと物足りないのかもしれない。一瞬笑いたくなったがふと、T姉の心中を思うと胸が詰まった。私は返信できなかった。

 

 

 

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風の仲間たち 「日本クリスチャン・ペンクラブ」創立65周年記念感謝会

風の仲間たち 「日本クリスチャン・ペンクラブ」創立65周年記念感謝会

 

 

16日土曜日、台風18号が九州から不気味に進行中の朝、東京は前日の雨も止んで外出には支障のない日よりとなった。会を主催する側にとっては、当日は最高に緊張が高まる時だ。うれしさというよりも、戦場に行くような気持ちである。ついにその日だ、一日が波乱なく済むようにと願うばかり。「水汲むしもべ」に徹するべく当日の準備のために早くから家を出た。

 

お客様の見える前にすべて整った状態にしておきたい。あたふたしているところはお見せしたくないと願う。しかし時間は限られている。そこであらかじめ一日と流れと自分の担うところを一覧にして配布し確認していただいていた。開室と同時に部屋に入ると、正面に設定された今日の会を記した真っ白な釣り看板が大きな文字で迎えてくれた。まずは一安心。

 

見とれているうちに皆さんが流れるように、熟練した作業員のように、またたくに会場が整った。テーブルや椅子は、あらかじめの配置図のように出来上がった。受付には座席表も用意した。いの一番に、いちばん遠方の関西からペン友が入場となった。5年ぶりなのに、昨日もお会いしたような気がしてくる。それでいてなつかしさが熱くこみ上げてくる。会うっていいな、再会ってすばらしいなと胸が詰まってくる。   

 

午後から講演してくださる本日の賓客、船本弘毅先生とご夫人が到着され、私には最高に心張る一瞬であった。講師をお引き受けいただいてから半年余り、お手紙で、お電話でなんども往来があり、すっかり親しい気持ちを抱かせていただいた。高名な方なので実名を記す。実は本来なら私たちのような小さな会がお招きできるような方ではない。神さまの不思議な導きで実現に至ったのである。いくつかのエピソードがあるが、残念ながら省略する。

 

プログラム通り、予定通り11時に開会となった。まずは、いつも例会ように、礼拝を御願いしている親友のY女性牧師から説教いただいて、一同主の御前に頭を垂れた。最後に最長老87歳の今日まで一度も例会を欠かしたことのないK兄に感謝の祈りをしていただいた。

 

さて、いよいよ感謝の昼食会である。12時はスタート。それまでに配膳がある。ここで時間をロスしたくない。しかし、願った以上に静かに手際よくお昼が並べられた。お弁当もお茶も予定通りに届けられていた。お客様たちは三々五々席を立ったりして友人たちとお話をし、歓談されていていた。ごく自然にそうした流れができて、ここにもほっとした。

 

司会の姉妹のリードで賛美と祈りがささげられ、小さなどよめきの中でいっせいにお弁当の蓋が開いた。食べているときは至福の時、だれも怒りながら食べる人はいない。座はますます和やかに華やかに包まれていく。いつも思う、神様の下さった恵みの中で、食べることは思う以上に大きな位置を占めるのではないかと。

 

食べながらであるがプログラムは進んでいく。「賛美タイム」である。仲間内で音楽の賜物のある方が演奏してくださる。外部の演奏家ではない。そこが我が会の頼もしいところ。もちろんリーダーの姉妹は、いくつかのコーラスグループを率い、ソロ活動もされているプロであるが、ここでは奉仕者の一人である。姉妹がテーブルにやってきて、予定より一曲よけい歌いたい、最後に全員で「アメイジンググレイス」を賛美したいがという。姉妹は会場の雰囲気をつかむのが上手である。会を盛り上げ楽しませてくれる。OKを出す。

 

私は姉妹に特別に一曲を注文していた。最近、他のところで知り、ぜひ65周年には歌っていただきたい思いがあった。ヘンデルの「ああ 感謝せん」である。この65周年にこの賛美をもって主に心からの感謝をささげたかった。姉妹はみごとにご自分の歌にして歌いきってくださった。私はたった一人で聞いているような心の深まりを覚えながら聴き入った。

 

ああ 感謝せん ああ 感謝せん

わが神 今日まで 導きませり  アーメン。

 

げに主は わが飼い主

強き手もて われを守りませり

 

ああ 感謝せん ああ 感謝せん

わが神 今日まで 導きませ離り

 

 

プログラムは順調に進んでいる。いよいよこの日のメイン、特別講演「書くこと、話すこと、伝えること」の時間がやってきた。わずかな時間に、かねて打ち合わせておいたように、手早く机上のお弁当の空箱やお菓子の包み紙などが集められ、昼食会は終了。ゴミはどんどん地下に運ばれ、会場はすっきりした。

 

先生のお話は歯切れよくわかりやすく、ひとつひとつ心に落ちた。と言っても克明にメモを取ることもなく、残ることを期待しながら聴き入った。ルターはじめ、古今の偉人たちが顔をのぞかせ、エピソードの花が咲き、時間の経つのを忘れた。ひとつ記憶にあるのは、長野県と言えばかつては岩波文庫が一番売れた読書県だった。今は書店のない、下から二番目とか。これには驚いた。

 

私たちは「読まず、書かず、話さず」の現実の中にいる。重大な時代に生きている。ペンクラブはこのただ中にいる。この中で、借り物ではなく、自分の信じていることを書く、確たる答えをえるまでは一歩たりとも引かない、その覚悟で書くことである。聖書の言葉を正しく伝えることが最も大切である。宗教改革はそこから始まったと、締めてくださった。

 

我が意を得たりであった。不器用と言われようと、頑固と言われようと、面白くないと言われようと、真理は一つである。イエス・キリストの福音を言葉に綴るほかはない。師の渾身のメッセージに何を付け加えようか、すべては蛇足である。終わりのあいさつなど要らない。賛美と祈りで短く閉じた。

 

当日キャンセルは一人もなく全員出席。こんなことは珍しいのではないか。

 

ああ 感謝せん ああ 感謝せん

わが神 今日まで 導きませり  アーメン。

 

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風の仲間たち 復活の力によって

風の仲間たち 復活の力によって

 

 

我が愛する友が、晩秋のころから持病が悪化してお気の毒な状態が続いていた。緊急を要する状態ではないのですぐ命に危険が及ぶことはないのだが、そのかわり即効薬も治療もない。じっと家に閉じこもっているだけである。体が弱くなれば心も弱くなる。消極的になる。友はクリスマスも新年もひたすら在宅であった。時々お訪ねしても以前のように話に花が咲くこともなく、いたたまれずに早々に引き上げるしかないのだった。そのうちにメールも電話も途絶えてしまった。独居ではあるがご親族がおられるのでその点では安心であったが、ご親族も首をかしげる状態が続いた。

 

昨日、突然携帯が鳴った。友からではないか。まるでたった今目を覚ましたような、晴れやかな声が響いてきた。すぐ伺いたい旨を伝えた。飛んで行った。マンションのチャイムをドキドキしながら押した。ドア越しに明るい声が漏れて、すぐに戸が開いた。笑顔いっぱいの友の顔があった。なんということだろう。理解に苦しんだが、良くなったみたいと、友は案外平然としている。人間も冬眠するんだと思ったり、春のエネルギー、その元である復活のイエス様のいのちによって強められたのだと悟った。友は「イースターおめでとう!」いった。私も「イースターおめでとう。主よ、感謝します」と祈って手を取り合った。

 

まだ背中や腰が痛くて長く座っていられないけどと、ベッドに就いたので失礼してきたが、途絶えていたメールも復活して以前の交流が始まった。どうかこのままさらに快方に向かいますようにと祈るばかりだが、数か月の暗闇から抜け出せ、私の心にも春の陽が差し込んだ。

 

 

 

 

 

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風の仲間たち 友人とのクリスマス・ランチ
日々の風から 友人とのクリスマスランチ



 

ペン仲間の友人たちとは例会や学び会で頻繁にお会いしていますが、ゆっくりよもやま話をする時間はありません。会はプログラムに追われ、あわただしく散会します。夕方も迫ってくればどうしても足も心も家路に向きます。残務のやり取りをするのが精いっぱいです。
 
かねてから一人の友とゆっくり話をしたいねと言い合っていましたがようやく実現となりました。姉妹は東京近県の方ではなく遠方から参加されています。文章談義もできたらと、帰郷の列車までの数時間をごいっしょすることにしました。デイトの場所はスカイツリー。姉妹は初めてということですので、ジモティーの私がお薦めしたのでした。しかしツリーに上るのではなく傍らのビルのレストランで会いました。
 
近頃スカイツリーも外国人が多く混雑していましたが、さすがに師走に入り、クリスマスには間があるせいか空いていました。空いているとホッとします。それでもツリーを背景に盛んに写真を撮っている人たちがおられ、シャッターを、いえ、スマホを押すのを頼まれました。私はスマホは苦手、そこで使い慣れている姉妹がお手伝いしていました。
 
姉妹とはお店のはしごをしながら4時間も話し続けました。文章談義、文学談義はほんのわずかで、ひたすら身辺のことが中心でした。「あかし文章」の会話編といえましょう。これもまた、楽しからずや、ではありませんか。私はたいへん楽しかったのですが、姉妹もまたいろいろ話せたと、夜遅くにびっしりとメールがきました。雪が積もらなければ一月の例会には参加しますと言い残してエスカレーターを下って行きました。私は区内循環の100円ミニバスに乗り、10分ほどで帰宅しました。友人たちとのクリスマスランチは来週も続きます。

 
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風の仲間たち 遥けき常総路へ
風の仲間たち 遥けき常総路へ
 
 

茨城県は東京の隣だと思っていたがそうではなく、埼玉県あるいは千葉県を経るのである。上野駅を起点とする常磐線(現在は多様化している)を使うので親しみやすく何人もの友人がいる。しかし友人たち一人一人の居住地をよくよく調べてみると、同じ茨城県でも広域にわたっていることがわかった。この度、茨城でも西部に当たる下妻市に出かけることになった。書き仲間との、いえば遠足である。お弁当持参にしたことで遠足感が強まった。
 
なぜ下妻かと言えば、仲間の一人(この教会の先生でもある)の教会を集会場所として使わせていただくためである。しかし下妻は交通の便はいいような不便なような、つまりかなり遠方である。わりに近い位置にある私でさえ、苦心した。茨城県には、筑波学園都市の発展に伴って「つくばエクスプレス」が走るようになった。東京の秋葉原からつくばまでである。これが大動脈になった。これは私にとって大変重宝な乗り物である。しかし、下妻は一本では行けない。途中の守谷で関東鉄道に乗り換える。関東鉄道はさすがに単線ではないがローカル線の見本のような鉄道である。つくばエクスプレスは最高速度130キロ、自動列車運転装置 (ATO) による自動運転を行う最新の乗り物である。それがのどかな田舎を走る、そのアンバランスがおかしいほどである。
 
関東鉄道下妻駅の隣の「大宝駅」で、まずは紫陽花で有名な大宝神社アジサイ園に寄った。この駅は無人駅であった。神社の裏山に紫陽花が空を覆う大樹に交じってそこここにのびのびと花を咲かせていた。300種類もあるという。アップダウンの一山を巡った。
 
大宝駅から下妻へ一駅を乗って、駅前からタクシーで友人の教会へ向かった。すでに正午を過ぎていた。早速、めいめいが思い思いに持参した昼食をいただいた。先生がサラダやおつゆを用意してくださり楽しい午餐となった。
 
さて、そのあと二時間ほどは予定通り集会のプログラムに従って進めた。まずは友人は(今は牧師先生、ここに教会堂を建て、牧師として主の働きに熱闘する宣教の器である)が、今日までの半生を証しされた。献身の証しと献堂武勇伝である。先生とはとは、30年も前から主にあっておりおりにお付き合いをしてきた、かけがえのない親友である。この地には教会堂の立つ前から何度か訪れており、姉妹のビジョンを聞きともに祈りを重ねてきた。
 
その後、参加者一人一人が近況やら手がけている働きやらをじっくりと語り分かち合った。
会堂の周辺には緑があふれ、紫陽花があふれ、外へ出れば見渡す限り畑が広がり、果てしなく空が広がっていた。こうした中にいるといつのまにか心も広がって行く。今回は老老介護の3人の姉妹が欠席された。老親介護真っ只中の2人の姉妹は、やりくりがついて参加できた。一息つけたそうである。親の介護が終わって何とか参加できる私など常連は、いまや介護予備軍であり、その束の間を泳がせていただいている。
 
帰途は筑波山を真ぢかに見上げながらつくばに出てエクスプレスに乗った。筑波山は子どもの頃、遠足で登った思い出があるがその後はご無沙汰である。この山は、冬のお天気の良い日には御茶ノ水の高いビルからも見える。姿も長い裾野がしなやかで美しい。
 
距離も時間も短かったわりにははるばる遠路を旅したような満ち足りた一日であった。一人一人の物書くスピリットが刺激され、明日の働きに繋がることを願い祈った。

 

 
 

 

 
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日々の風から 友の詩文から
日々の風から 友の詩文から
 


85歳になる親しき信仰の友から小さな冊を手渡された。折々にパソコンで清書した短文を綴っては簡単にホチキスで止めた30ページほどの詩文集である。小さな集いでお顔が会うと、必ずにこやかに寄って来られて差し出すのである。寡黙で目立つような言動はないが、年齢にふさわしい風格のにじみ出る存在である。しかし、内側には30年ほど前にお会いしたとき変わらない火が燃えている。消えない火である。イエス様への愛と書斎仕事、つまり読書と執筆への熱い炎である。

85歳と言えば長寿には驚かない現代でもれっきとした高齢者ではないか。私は、身近な人だけによりいっそう友の生き方、歩み方に敬服している。
 

いただいた冊子からまるで独り言のような友の声が聞こえてきた。
 
【病気】
 
神さま
インフルエンザにかかって
何日か
不自由な日々を
送りました
 
なにしろ
85歳です
寝込んでも不思議ではありません
でも
毎日
起きて
いつもの通りの生活を
続けました。
こんな思いをするのは
何年ぶりでしょうか
妻が召天してから初めてです
 
だから
不安なこころもありました
このまま
召されるのかな と
でも
まだまだ
やりたいことが
残っています
ここで中止するわけにはいきません
だから
イエスの手を
いやしを
お願いしました
 
二週間たって
いつもの生活に戻った思いがしました
 
さあ
あなたにやくそくしたことを
しなければなりません
うそはつけません
 
いつものように
いつもの学びを
いつもの想いを
展開しなければなりません
やりたいことを
しなければなりません
 
わたしの
行く道を
あなたの光で
照らしてください
ただ
信じる道を
歩かせてください
ゆっくりした歩きですが
 
 
【おしゃべり】
 
神さま
わたしは
どのくらい
おしゃべりしているでしょうか
 
わたしは
7時間 寝ています
だから
起きている時間は
17時間です
 
そのうちには
食事や
家事や
勉強や
試作や
遊びの
時間があります
 
でも
一緒にいる息子と話すのは
一日
そうですね
一時間?
いいえ
30分
そんなにありません
 
15分
そんなものでしょうか
 
短すぎますが
でも
あんまり
話すことはありません
 
ましてや
他の人と話すことは
儀礼的なことが多いだけです
 
だから
 
夕方
大きな声で
下手な歌を
20分も
歌っています
 
誰にも
遠慮せずに
大きな声を
出して
歌っているのです
 
ほんとうに
おかしなことです
 
でも
 
考えてみたら
一番長く
お話をしている人がいました
 
あなたです
あなたには
なんでも話せます
人には言えないことも
 
何時間でも
 
だから
 
わたしは
おしゃべりかもしれません
 
こんな詩文が6つほど綴じられていた。85歳とは、私にとって3000m級の剣峰を2つも3つも越えねばならない地点である。そこへ到達できるかなどは考えることではないが、可能であっても友のような日々を送れるか、はなはだ心もとない。しかし、身近な手本に勇気をいただき感謝して、友の足跡をたどって行こうと思う。
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
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風の仲間たち カレブの様な親友
風の仲間たち カレブの様な親友
 
昨日の日曜日は、田植えがすんで五月の陽光に水面光る栃木路を、友人の教会の創立10周年記念礼拝に駆けつけました。友人は聖書学院同窓の兄弟(今は牧師先生)で、すでに後期高齢者の年齢に達しましたが、リタイア―後、聖書の学び、その後、開拓伝道に飛び込みました。地域の人々のために身を粉にして働き、私財を投じて教会堂も建て、主の日の礼拝を続けて10年が過ぎました。
 
現在も10年間前と少しも変わらない情熱と健康を神様から賜って、日々東奔西走しておられます。85歳のカレブがヨシュアの前に来て「私は45前と同じように今も壮健です」と言うのを思い出しました。10周年の喜びの報をいただいたとき即座に、何をおいても「行ってこの大いなる光景を見て来ようではないか」と迫られたのです。H牧師とは個人的もいくつものエピソードがあって私には楽しい親しい友人です。
 
記念礼拝には、会堂にあふれる人々が参列していました。ふだんはいつもの教会員と簡素な礼拝を捧げているのですが、この日ばかりはゆかりの方々が遠路とを問わず来ておられました。説教者はH牧師の苦難の時代に支え続けた恩師と呼ぶO牧師夫妻が関西から招かれていました。
 
H牧師のお働きをこの十数年垣間見てきて、トータルすると、弱っている人、危機にある人、病んでいる人、飢えている人々の救済と救霊に的が絞られていると感じています。たった一人の人のために全力投球してきたのです。集まったひとりひとりがH師の実践される愛によってイエス様に結ばれました。「私はこの時に助けられた」、「あの時に飛んできてくださった」との証しが退きも切らず語られました。私はあらためて深く感動しました。
 
イエス・キリストの伝道がそうであったと、思い出しました。
『それから、イエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやされた。また、群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた』(マタイ9章27節5節)
 
『あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。……この最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです』(マタイ25章36〜40節)
 
イエス様がほんとうに喜ばれることは何か、私たちにさせたいと願っておられることは何か、伝道とは何かを深く考えさせられ、そのひとかけらでも真似をしたいと、自らを正しました。
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