人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

風の仲間たち 復活の力によって

風の仲間たち 復活の力によって

 

 

我が愛する友が、晩秋のころから持病が悪化してお気の毒な状態が続いていた。緊急を要する状態ではないのですぐ命に危険が及ぶことはないのだが、そのかわり即効薬も治療もない。じっと家に閉じこもっているだけである。体が弱くなれば心も弱くなる。消極的になる。友はクリスマスも新年もひたすら在宅であった。時々お訪ねしても以前のように話に花が咲くこともなく、いたたまれずに早々に引き上げるしかないのだった。そのうちにメールも電話も途絶えてしまった。独居ではあるがご親族がおられるのでその点では安心であったが、ご親族も首をかしげる状態が続いた。

 

昨日、突然携帯が鳴った。友からではないか。まるでたった今目を覚ましたような、晴れやかな声が響いてきた。すぐ伺いたい旨を伝えた。飛んで行った。マンションのチャイムをドキドキしながら押した。ドア越しに明るい声が漏れて、すぐに戸が開いた。笑顔いっぱいの友の顔があった。なんということだろう。理解に苦しんだが、良くなったみたいと、友は案外平然としている。人間も冬眠するんだと思ったり、春のエネルギー、その元である復活のイエス様のいのちによって強められたのだと悟った。友は「イースターおめでとう!」いった。私も「イースターおめでとう。主よ、感謝します」と祈って手を取り合った。

 

まだ背中や腰が痛くて長く座っていられないけどと、ベッドに就いたので失礼してきたが、途絶えていたメールも復活して以前の交流が始まった。どうかこのままさらに快方に向かいますようにと祈るばかりだが、数か月の暗闇から抜け出せ、私の心にも春の陽が差し込んだ。

 

 

 

 

 

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風の仲間たち 友人とのクリスマス・ランチ
日々の風から 友人とのクリスマスランチ



 

ペン仲間の友人たちとは例会や学び会で頻繁にお会いしていますが、ゆっくりよもやま話をする時間はありません。会はプログラムに追われ、あわただしく散会します。夕方も迫ってくればどうしても足も心も家路に向きます。残務のやり取りをするのが精いっぱいです。
 
かねてから一人の友とゆっくり話をしたいねと言い合っていましたがようやく実現となりました。姉妹は東京近県の方ではなく遠方から参加されています。文章談義もできたらと、帰郷の列車までの数時間をごいっしょすることにしました。デイトの場所はスカイツリー。姉妹は初めてということですので、ジモティーの私がお薦めしたのでした。しかしツリーに上るのではなく傍らのビルのレストランで会いました。
 
近頃スカイツリーも外国人が多く混雑していましたが、さすがに師走に入り、クリスマスには間があるせいか空いていました。空いているとホッとします。それでもツリーを背景に盛んに写真を撮っている人たちがおられ、シャッターを、いえ、スマホを押すのを頼まれました。私はスマホは苦手、そこで使い慣れている姉妹がお手伝いしていました。
 
姉妹とはお店のはしごをしながら4時間も話し続けました。文章談義、文学談義はほんのわずかで、ひたすら身辺のことが中心でした。「あかし文章」の会話編といえましょう。これもまた、楽しからずや、ではありませんか。私はたいへん楽しかったのですが、姉妹もまたいろいろ話せたと、夜遅くにびっしりとメールがきました。雪が積もらなければ一月の例会には参加しますと言い残してエスカレーターを下って行きました。私は区内循環の100円ミニバスに乗り、10分ほどで帰宅しました。友人たちとのクリスマスランチは来週も続きます。

 
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風の仲間たち 遥けき常総路へ
風の仲間たち 遥けき常総路へ
 
 

茨城県は東京の隣だと思っていたがそうではなく、埼玉県あるいは千葉県を経るのである。上野駅を起点とする常磐線(現在は多様化している)を使うので親しみやすく何人もの友人がいる。しかし友人たち一人一人の居住地をよくよく調べてみると、同じ茨城県でも広域にわたっていることがわかった。この度、茨城でも西部に当たる下妻市に出かけることになった。書き仲間との、いえば遠足である。お弁当持参にしたことで遠足感が強まった。
 
なぜ下妻かと言えば、仲間の一人(この教会の先生でもある)の教会を集会場所として使わせていただくためである。しかし下妻は交通の便はいいような不便なような、つまりかなり遠方である。わりに近い位置にある私でさえ、苦心した。茨城県には、筑波学園都市の発展に伴って「つくばエクスプレス」が走るようになった。東京の秋葉原からつくばまでである。これが大動脈になった。これは私にとって大変重宝な乗り物である。しかし、下妻は一本では行けない。途中の守谷で関東鉄道に乗り換える。関東鉄道はさすがに単線ではないがローカル線の見本のような鉄道である。つくばエクスプレスは最高速度130キロ、自動列車運転装置 (ATO) による自動運転を行う最新の乗り物である。それがのどかな田舎を走る、そのアンバランスがおかしいほどである。
 
関東鉄道下妻駅の隣の「大宝駅」で、まずは紫陽花で有名な大宝神社アジサイ園に寄った。この駅は無人駅であった。神社の裏山に紫陽花が空を覆う大樹に交じってそこここにのびのびと花を咲かせていた。300種類もあるという。アップダウンの一山を巡った。
 
大宝駅から下妻へ一駅を乗って、駅前からタクシーで友人の教会へ向かった。すでに正午を過ぎていた。早速、めいめいが思い思いに持参した昼食をいただいた。先生がサラダやおつゆを用意してくださり楽しい午餐となった。
 
さて、そのあと二時間ほどは予定通り集会のプログラムに従って進めた。まずは友人は(今は牧師先生、ここに教会堂を建て、牧師として主の働きに熱闘する宣教の器である)が、今日までの半生を証しされた。献身の証しと献堂武勇伝である。先生とはとは、30年も前から主にあっておりおりにお付き合いをしてきた、かけがえのない親友である。この地には教会堂の立つ前から何度か訪れており、姉妹のビジョンを聞きともに祈りを重ねてきた。
 
その後、参加者一人一人が近況やら手がけている働きやらをじっくりと語り分かち合った。
会堂の周辺には緑があふれ、紫陽花があふれ、外へ出れば見渡す限り畑が広がり、果てしなく空が広がっていた。こうした中にいるといつのまにか心も広がって行く。今回は老老介護の3人の姉妹が欠席された。老親介護真っ只中の2人の姉妹は、やりくりがついて参加できた。一息つけたそうである。親の介護が終わって何とか参加できる私など常連は、いまや介護予備軍であり、その束の間を泳がせていただいている。
 
帰途は筑波山を真ぢかに見上げながらつくばに出てエクスプレスに乗った。筑波山は子どもの頃、遠足で登った思い出があるがその後はご無沙汰である。この山は、冬のお天気の良い日には御茶ノ水の高いビルからも見える。姿も長い裾野がしなやかで美しい。
 
距離も時間も短かったわりにははるばる遠路を旅したような満ち足りた一日であった。一人一人の物書くスピリットが刺激され、明日の働きに繋がることを願い祈った。

 

 
 

 

 
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日々の風から 友の詩文から
日々の風から 友の詩文から
 


85歳になる親しき信仰の友から小さな冊を手渡された。折々にパソコンで清書した短文を綴っては簡単にホチキスで止めた30ページほどの詩文集である。小さな集いでお顔が会うと、必ずにこやかに寄って来られて差し出すのである。寡黙で目立つような言動はないが、年齢にふさわしい風格のにじみ出る存在である。しかし、内側には30年ほど前にお会いしたとき変わらない火が燃えている。消えない火である。イエス様への愛と書斎仕事、つまり読書と執筆への熱い炎である。

85歳と言えば長寿には驚かない現代でもれっきとした高齢者ではないか。私は、身近な人だけによりいっそう友の生き方、歩み方に敬服している。
 

いただいた冊子からまるで独り言のような友の声が聞こえてきた。
 
【病気】
 
神さま
インフルエンザにかかって
何日か
不自由な日々を
送りました
 
なにしろ
85歳です
寝込んでも不思議ではありません
でも
毎日
起きて
いつもの通りの生活を
続けました。
こんな思いをするのは
何年ぶりでしょうか
妻が召天してから初めてです
 
だから
不安なこころもありました
このまま
召されるのかな と
でも
まだまだ
やりたいことが
残っています
ここで中止するわけにはいきません
だから
イエスの手を
いやしを
お願いしました
 
二週間たって
いつもの生活に戻った思いがしました
 
さあ
あなたにやくそくしたことを
しなければなりません
うそはつけません
 
いつものように
いつもの学びを
いつもの想いを
展開しなければなりません
やりたいことを
しなければなりません
 
わたしの
行く道を
あなたの光で
照らしてください
ただ
信じる道を
歩かせてください
ゆっくりした歩きですが
 
 
【おしゃべり】
 
神さま
わたしは
どのくらい
おしゃべりしているでしょうか
 
わたしは
7時間 寝ています
だから
起きている時間は
17時間です
 
そのうちには
食事や
家事や
勉強や
試作や
遊びの
時間があります
 
でも
一緒にいる息子と話すのは
一日
そうですね
一時間?
いいえ
30分
そんなにありません
 
15分
そんなものでしょうか
 
短すぎますが
でも
あんまり
話すことはありません
 
ましてや
他の人と話すことは
儀礼的なことが多いだけです
 
だから
 
夕方
大きな声で
下手な歌を
20分も
歌っています
 
誰にも
遠慮せずに
大きな声を
出して
歌っているのです
 
ほんとうに
おかしなことです
 
でも
 
考えてみたら
一番長く
お話をしている人がいました
 
あなたです
あなたには
なんでも話せます
人には言えないことも
 
何時間でも
 
だから
 
わたしは
おしゃべりかもしれません
 
こんな詩文が6つほど綴じられていた。85歳とは、私にとって3000m級の剣峰を2つも3つも越えねばならない地点である。そこへ到達できるかなどは考えることではないが、可能であっても友のような日々を送れるか、はなはだ心もとない。しかし、身近な手本に勇気をいただき感謝して、友の足跡をたどって行こうと思う。
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
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風の仲間たち カレブの様な親友
風の仲間たち カレブの様な親友
 
昨日の日曜日は、田植えがすんで五月の陽光に水面光る栃木路を、友人の教会の創立10周年記念礼拝に駆けつけました。友人は聖書学院同窓の兄弟(今は牧師先生)で、すでに後期高齢者の年齢に達しましたが、リタイア―後、聖書の学び、その後、開拓伝道に飛び込みました。地域の人々のために身を粉にして働き、私財を投じて教会堂も建て、主の日の礼拝を続けて10年が過ぎました。
 
現在も10年間前と少しも変わらない情熱と健康を神様から賜って、日々東奔西走しておられます。85歳のカレブがヨシュアの前に来て「私は45前と同じように今も壮健です」と言うのを思い出しました。10周年の喜びの報をいただいたとき即座に、何をおいても「行ってこの大いなる光景を見て来ようではないか」と迫られたのです。H牧師とは個人的もいくつものエピソードがあって私には楽しい親しい友人です。
 
記念礼拝には、会堂にあふれる人々が参列していました。ふだんはいつもの教会員と簡素な礼拝を捧げているのですが、この日ばかりはゆかりの方々が遠路とを問わず来ておられました。説教者はH牧師の苦難の時代に支え続けた恩師と呼ぶO牧師夫妻が関西から招かれていました。
 
H牧師のお働きをこの十数年垣間見てきて、トータルすると、弱っている人、危機にある人、病んでいる人、飢えている人々の救済と救霊に的が絞られていると感じています。たった一人の人のために全力投球してきたのです。集まったひとりひとりがH師の実践される愛によってイエス様に結ばれました。「私はこの時に助けられた」、「あの時に飛んできてくださった」との証しが退きも切らず語られました。私はあらためて深く感動しました。
 
イエス・キリストの伝道がそうであったと、思い出しました。
『それから、イエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやされた。また、群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた』(マタイ9章27節5節)
 
『あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。……この最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです』(マタイ25章36〜40節)
 
イエス様がほんとうに喜ばれることは何か、私たちにさせたいと願っておられることは何か、伝道とは何かを深く考えさせられ、そのひとかけらでも真似をしたいと、自らを正しました。
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風の仲間たち 立春から一週間
風の仲間たち 立春から一週間
 

一月は一日一日が遅く感じましたが、二月はすでに十日を過ぎ、あたふたとしています。
 
立春の朝に旅立った老聖徒の最期や葬儀の様子を、じかに係わった友人から直接に聞くことができました。昨今、神さまのお働きをもどかしく感じる不信仰に陥っていたのですが、友人が間近で遭遇した出来事は、まるで奇跡の連続、生きた神様の御業がいくつも重なっていて驚くばかりでした。
 
私のさもしい根性のせいでしょうか、神様は私の願っている周辺ではじっと座っておられ、遠くのほうでは生き生きと立ち働いておられるのだと、不公平感さえ抱くことがあります。
いえいえ、そんなことはないのでした。主は一見、沈黙しておられるように思える事柄の内にも働いておられ、人には測り知ることのできない御心で着実にご計画を推進されているのでした。そのことを改めて思い直し、不信仰をお詫びし、信じ直し、主の御名を賛美しました。
 
老聖徒はこの冬は越せないと医師に宣言されていました。ご家族は悩みつつも、年明けてついにご本人に告げたそうです。そうかとうなずいて静かに受け入れ、寝込むほどでない時は、いつものように奥様との生活を続けておられました。
 
突然のように天に帰ったその前日、H老兄は新車を購入し、銀行に行って支払いを済ませ、車のキーは自宅の玄関のキーといっしょにしてあり、上着のポケットに入っていたそうです。たぶん、運転しただろうとはご家族のことばです。机の上には完了と大きく書かれた車の請求書が乗っていたそうです。H老兄の心の内は見当もつきませんが、明日のことは主に全くお任せして、最後の覚悟をしつつも、昨日と同じように今日を過ごしたのだと思います。
 
老聖徒はわずか一年半前に、遠方に住むクリスチャンのご子息が、わざわざ教会を訪ねて、老夫妻を導いてほしいと依頼してこられ、以後、教会の熱心な祈りの中で伝道が行われ、わずかの間に信仰告白にまで導かれ、洗礼の恵みに与ったのでした。その後、嘘のように体力が回復し、昨年の真夏には、明日をも知れない82歳の老体にもかかわらず、重い草刈り機を持ち出して教会の駐車場の雑草を除去する奉仕をされたそうです。その時の汗まみれの中の笑顔がまぶしかったと友人は聞かせてくれました。
 
この地方は告別式、その後の火葬のあと、すぐに納骨までするそうです。すべて終わって親族だけが残った時、孫の一人が、まだ残っていた牧師に、求道中のまま長く怠っていた自分に気が付き、経緯を話し始め、今日、ハッキリさせたいと意思表示をしたそうです。そして、両親を初め親族の集まる中で、涙の悔い改めをし、イエス様を受け入れ、帰ったら無沙汰をしていた地域の教会に行くと告白しました。なんという御業でしょう。まるで絵に描いた話のようです。どこかで聞いた話のようです。救いのモデルパターンのようです。こんなことが現実にあるのです。老聖徒は最大、最高の伝道をしたのです。用いられた牧師と教会は主の栄光を目の当たりし、主の聖名を心から崇め、賛美したそうです。私もハレルヤ!
 
 
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風の仲間たち 竹馬の友とのランチはお鮨
風の仲間たち 竹馬の友とのランチはお鮨



かつて、向こう三軒両隣の近さで戦後まもない時代を過ごしたS子さんと、今でも時どき会っています。60年以上の友です。辞書の定義通りの竹馬の友、幼なじみと言えるでしょう。けんか友達でもありました。今は他の区に住んでいますが遠くはないので、わりに頻繁に電話がかかってきます。お昼やお茶をいただきながら、身辺のよもやま話をし合います。待ち合わせ場所はたいてい浅草です。次に多いのが銀座、上野。下町っ子なのです。
 
とはいえ、S子さんは、ひところは年に何回も海外を旅し、日本の百名山を何十と征服し、ミステリーの本は今や海外ものも含めてほとんど読みつくし、いまだに趣味は数学の難問を解くこと、他の友人と古事記や日本書紀を読み合っている宇宙人的女性です。クリスチャンではないので、私にとっては数少ない貴重な未信の友なのです。
 
私と会うときは浅草が多いのは、私に合わせているのでしょう。私には好都合な場所です。今日も、スカイツリーの足に触るようにして浅草に行きました。S子さんは今日は何を食べたいかと必ず訊きます。たいてい私の言う通りなのがおかしいのですが。私はあらかじめ考えておきます。今や、料理は決まってしまいました。お鮨、天ぷら、中華の三種類をその時の気分でいただいています。今日はお鮨です。お店も決まっています。笑えるほどに同じことを繰り返しています。食事の後は浅草の時は新仲見世通りをまっすぐに進み、オレンジ通りと交差する角の舟和の本店に行きます。喫茶室があります。さすがに名物でも「いも羊羹」は無視して、コーヒーをいただくのです。ミスマッチかもしれませんが、メニューにあるのです。
 
S子さんがしみじみと話したことが胸の中に留まっています。
「いつのまにかこんな年になってしまった。やりたかったけど、どうしてもできなかったことがいくつもある。しかしいまさらどうにもならない」と。私も同感です。あの戦後の混乱期です、一般庶民の家は皆一様に貧しかったのです。例外はあるでしょうが。大学へ行くのすらわずかの人でした。S子さんは超優秀で勉強の虫、がむしゃらに勉強して現役でT大へ入りました。それでも、もっともっと専門に進みたかったと言います。しかし働かざるを得ませんでした。それは私も同じで、見果てぬ夢がいくつもあります。しかし、クリスチャンになって、無い物ねだりをする我執から解放されたことは何よりの幸いです。
 
S子さんは50代でご主人を亡くしました。息子と娘はそれぞれ結婚し、今やお孫ちゃんもいて、暮らしは独居ですが、そこそこの戸建ての家があり、悠々自適、健康そのものでしかも健脚です。かつての職場のお仲間といまだに軽い登山はしているようですし、町歩きも相当にこなしています。明日は、新聞に掲載中の「三四郎」が歩いた千駄木、根津、谷中界隈を歩くと言っていました。一方で「最近、ミスが多い。忘れ物や落し物が多い。この先どうなってしまうのだろう。自分に自信がなくなる」と不安げです。それはお互い様なのですが、自分だけが頼りの人生観、生き方には限界があるなあとつくづく思いました。
 
S子さんは私がキリスト信者であることをよく知っています。ですから、日曜日に誘ってくることはありません。今では、あなたは行けないわねと、こちらが断る前にその一言が自然に出てきます。私の食前の祈りの間は、有声の時も無言の時も静かに待っています。私の方がいくつか年上ですが、いつか彼女の心が干からびて荒野に伏すような時があったら、神の愛のいのちの水を差しだしたいと祈っています。
 
帰り際に、S子さんは息子が立ち寄っておいて行ったからと、キウイの袋を渡してくれました。私は、友人から送られた掘りたてのさつま芋数本を手渡し、じゃあねと、次回には触れずに別れました。たぶん、新年も終わって立春を過ぎたころだろうと推測しています。
 
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風の仲間たち 天に帰ったS姉の蒔いた種と実
風の仲間たち 天に帰ったS姉の蒔いた種と実
 
私の教会で、私より信仰歴が長くて存命しておられる兄姉は私を加えて5名しかいません。改めて数えてみて驚いてしまいました。現在、60名ほどの教会員が毎週礼拝を守っていますが、5名以外は、80歳、90歳以上でも私よりあとに教会員になった方々です。あとは年齢の若い人たちです。その、5人の内の一人のS姉が月曜日に天に帰られました。
 
S姉は子育てを終えて、これから第二の人生を始めようとする時、突然のように病に倒れ、20年以上施設にいることになってしまいました。ですからこの世の物差しで測ると決して幸福な人生だったとは言えないでしょう。一番親しいご主人や子ども、孫たちとも頻繁には会えなかったし、会っても元気に交わりができる状態ではなかったのです。教会にももちろん来られないので、ときおり、婦人会の有志たちが施設へ慰問し続けてきました。しかし、こんなに急に召されるとはだれも思わなかったのです。ですから、私たちは一様にびっくりしましたが、神様だけが一番良い時をご存知で、よい日を選ばれたのだと考え直しました。
 
S姉のご主人は先の5名の中のお一人で、最高齢です。3人のご子息はそれぞれご家庭を持って別に住んでいますから、ご主人は長い間一人暮らしをしています。息子たちは教会員ではないので、お葬儀はおそらく家族だけで教会とは関係なく行うのだろうと思っていました。ところが教会を会場にしてすることになりました。これは私には予想外でしたが、長年教会生活をしてきたご主人とS姉妹の信仰の表明であり、それに息子たちが賛成したのでしょう。
 
前日の午後、私は牧師夫妻とともに、S姉妹のお宅へ伺い、納棺式に立ち会いました。驚いたことに、夫妻のマンションのお宅には、あふれるほどの人たちがいたのです。S姉は20年も施設にいたのですから、日ごろは忘れられた人で、お気の毒だとさえ思ってきました。もともとS姉は6人きょうだい、夫君も地方に一族がおられ、その関係だけでもかなりな人数になります。また、夫妻は男ばかり3人の子どもがおりますから、お嫁さん、孫たちも集まっていました。部屋の奥に、色とりどりの花かごに囲まれて眠るS姉はさぞうれしく満足したことでしょう。なによりも私はうれしくて、こうした場を設けられた神様に感謝しました。
 
3人のご子息たちは赤ちゃんの頃からご夫妻に抱かれて教会につどっていましたから、ふいっと、〇〇くん、□□ちゃんと自然に呼んでしまったほどで、ここ30年ほどの空白は嘘のようでした。告別式にはさらに多くの親族、知人が会場の教会に来られて、近頃にない大勢のお式になりました。S姉は、教会が設けていた幼稚園の初代の教師でしたから、地域からもかつての園児やかつての父兄が参列していて、それにはまたびっくりしました。私はその幼稚園の最後に奉仕した者ですので、懐かしいお顔にも出会うことができ、私まで恵みのおすそ分けに与りました。
 
S姉妹の蒔いた種が確実に成長しているのを目の当たりにして、考えることがたくさん与えられました。姉妹を通して働かれた神のわざは決して終わってはいない、種はさらに成長し続け、実をつけるはずです。種を蒔く人と、収穫をする人は違うでしょう。それぞれに担当があります。大切なことは働きを継続させることです。
 
S姉妹から働きをバトンタッチした者として、地域におられる隠れた主の種を見つけ、もし、なにか栄養分が足りないのなら施さねばなりません。それが後継者の働きの一つでしょう。さしずめ、私は一人の老女性と懐かしい再会をしましたので、できるだけ接近し、もういちど主の教会への道を整えたいと強く思い願いました。S姉の大切な人でもありましたから、天国で永遠の再会ができるようにと願います。もしかしたらS姉はその宿題を出して行かれたのかもしれません。ちょっと難題ですが、主に導いていただいて挑戦したいと思います。
 
『一粒の麦、地に落ちて死なずばただ一つにてあらん。もし死なば、多くの果を結ぶべし』
ヨハネ1224
 
 
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風の仲間たち  手術を拒否して
風の仲間たち  手術を拒否して
 
信仰歴も年齢も数年上の尊敬する友が、70歳を過ぎてから数回大きな病に見舞われた。
最初は脳梗塞だった。再発した。しかし数年をかけて治療とリハビリでほとんど以前と変わらない回復をいただいた。お若いころのように姿勢よく軽やかに歩く。多少歯切れが悪いが、はっきりと大きな声でスピーチもなさる。2年前は、筋肉の病気になった。この時は食事も摂れなくなりすっかり痩せて別人のようになり、筆談する始末であった。しかし頭ははっきりしておられた。全て乗り越えて回復された。
 
最近、顎にガンが発生した。正式な病名は忘れたが、ほほの下に大豆粒ほどの赤い腫物がある。最初、手術すると聞いた。しばらくお会いしなかったが、礼拝に見えた。兄は皆に報告した。名のある医療機関の2つ、3つで検査したが、一様にすぐ手術すると診断された。術後のリスクも調べたがどうしても手術する気になれない。リスクは日々の生活にかなり支障をきたす。この年齢まで生きてこられた、生かされてきた、もう、なにがあってもいい、だから、手術をしないことにした、この先は神さまにゆだねると、いつものようにきっぱりと、
しかし確信をこめて語った。患部は痛くも痒くもないそうだ。
 
私は厳粛な気持ちで友の決断を聞いて、しっかり胸に収めた。私だったらどうするか、今は何も言えないが、友の選択に大賛成である。潔い信仰の勇気に感動したのである。私は友のそばに駆け寄って、主の最善を力いっぱい祈るからと声を掛けた。
 
信仰のある無しに係わらず、決断はいつも個人の意志である。決断に至る過程において、信仰は大きな役割をする。生死を握っておられるのは全能の神であること、神のお心ひとつで、生かされもするし、死ぬことにもなる。人間の努力を越えた神の領域はお任せするしかない。愛である神様は、一人一人にとっての最善をなさるのだ。友にはそれが分っている。
何よりも貴い、心の平安をまずいただいている。大きな戦いに向かう友に、神様が備えた恵みであろう。
 
私は私の信仰で、このかけがえのない友が病魔から勝利して、まだまだしばらくこの地上に生きてもらいたいと、信頼する神様に命乞いをするつもりだ。
 

『私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません』
   ローマ
83739
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風の仲間たち 一通のメール『日々忙しくて感謝』から

 

SMSメールが飛び込んできた。「日々、何かと忙しくしていて、感謝です」とあった。忙しくしていて感謝とはーーー。深く胸にとどまった。姉妹は忙しいことを感謝してるんだ、とあらためて思ったからだ。私などは雑用に追われていると、いつのまにかしかめっ面になり、ブーブーと不満の笛を鳴らしてしまう。


姉妹の笑顔が浮かんだ。行動派である。じっとしているのが好きではないのだ。かといって、おしゃべりする時は、どっしりと腰を据えて、いちばん多く話しする。時の経つのなどお構いなしだ。もっともおしゃべりも行動の一部かもしれないが。ご主人は足腰を痛めてほとんど在宅である。リハビリを兼ねて週2回はデイサービスに行かれる。そのお留守の間が姉妹にとっては、快適なフリータイムなのだ。もちろん、理解のあるご主人だから、在宅の日々も姉妹を決して拘束しない。姉妹は蝶のごとくひらひらと、習い事に、教会奉仕に、学びにと、花から花へと飛んでいく。「何かと忙しくて感謝」と喜々としておられる。

 

ふと、私と同年齢前後の、親しい友人10名を思い出して、聞いている限りの姉妹たちの日々を思ってみた。私のようにシングルは2名。お一人は生粋の独身貴族。お一人は5年前からメリーウイドウになられた。あとの8名のうち、ご主人と二人暮らしが5名、同居のシングルのお子様のおられる方が3名で、孫と同居の方はいない。ご主人様方は全員リターアーされて在宅である。8名の男性のうち3名はデイサービスを利用しておられる。因みに年齢は60代後半から70代なかばである。デイサービスへ行かれる3名の方々は、病歴があり、現在も少なからず闘病中である。ご家庭でのお世話が大変な姉妹もおられる。

 

10名の女性たちは、それぞれに家庭の事情を抱えながらも、特別な病気はなくすこぶるお元気である。老親と同居している方はいない。4名の姉妹が、施設の親たちを時々見舞ったり、別に暮らす親を覗いたりしている。後の6名は介護の戦いはすでに終えてしまった。

 

「忙しくしていて感謝」とのメールから、思いが四方八方へはじけてしまったが、忙しく動けることが感謝とは、今の状況を積極的に受け入れて、明るくたくましく生きている証しなのだ。この際、忙しいことの内容は問うまい。絵に描いたような楽しいことばかりでないことは確かだ。泣くことだって、怒ることだって、しょんぼりすることだってあるのだ。それも忙しさの範ちゅうであろう。

 

エネルギッシュな友の便りに励まされて、目の覚める思いがした。心の隅に立ち込めるいくつかの暗雲に気を取られてはならない。雲はとどまってばかりはいない。やがて動く。いつか消える。後に残って動かないのは澄みわたる青空である。青空は消えない。動かない。

 

 

 

 

 

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