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2018.05.06 Sunday

書林の風から 『百代の過客<続>』ドナルド・キーン 金関寿夫訳 講談社学術文庫

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    GWは去った。風とともに去りぬ、ではなくて、五月の薫風を残して去った。その風を楽しんでいる。風は本のページをめくってくれた。少し前に紹介した800ページ近く、厚さ3.3僂傍擇峙霏腓癖幻頬椶任△襦いくら読んでもまだまだ半分もいかない。速読できないこともある。副題は【日記にみる日本人】である。作者の視点のユニークさ、鋭さに驚く。確かに日本には「日記文学」と呼ぶジャンルがある。他の国の事は知らないし、日本の日記文学についても知ることは少ない。ただ、平安時代に紀貫之を始め多くの文人たちが日記を書き、それが今に至るまで残っており、学校でもそのさわりを学んだ覚えがある。

     

    しかし、作者のキーン氏は全く違う見方で多くの日記を紹介している。名前を一度も聞いたことのない人たちの日記、それも文学ではない日記を丹念に読み込んでいる。途方もない作業である。日本文化の研究家とは言え、外国の方だと思うだけでただただ驚くばかりである。この膨大な本を、たとえエッセンスだけでもまとめたいと思えども、難業である。

     

    しかし、この本にはぜひ挑戦してほしいと願う思いでいっぱいである。キーン氏は、日本人には日記をつける習慣が強い位置を占めているという。そういえば私なども小さい時から日記を付けてきた。一年の初めに日記帳を買った。「三日坊主」などと嫌味なことわざは日記の事でよく使われた。

     

    とりあえず目次を紹介する。簡単なコメントを付けてみた。

     

    *遣米使日記・作者は村垣淡路守範正・日米修好通商条約を批准するため万延元年(1860年)にアメリカへ派遣された使節団の副使として渡米。その旅日記である。

    *奉使米利堅紀行・作者は幕府の軍艦奉行、木村摂津守喜毅・有名な咸臨丸に乗り込む。艦長は勝海舟だが、勝は日本を出る前から発熱し、航海中もずっと船酔いのため自分の船室を出ることはほとんどなく、艦長としてはあまり役に立たなかったそうである。 

    *西航記・作者は福沢諭吉・幕府が派遣する。ヨーロッパの各国へ。

    *尾蠅(びよう)欧行漫録・作者は市川渡・先の福沢諭吉らの使節団の副使の従者・自分は馬のしっぽにくっついた蠅ほどのものであると卑下している。諭吉とは違う視点で見て書いている。使節団員中、物事を一番しっかり観察した人。

    *仏英行・作者は幕府の官僚柴田剛中・幕府が派遣した第四回使節団。横須賀に建てる製鉄所の建設準備のためにフランスとイギリスを訪問する。

    *航西日記・作者は渋沢栄一・幕府の公式使節団6つの内の最後。フランス政府の要請によって慶応3年(1867年)送られた。時にパリで万国博が開かれていた。団長は将軍慶喜の弟徳川昭武、30人の幕吏で組織された。渋沢は財政方面で注目されていた。

    *米欧回覧実記・作者は久米邦武、使節団の正式書記官として任命。明治政府がアメリカとヨーロッパへ初めて派遣した使節団。大使岩倉具視率いる48人。副使として木戸孝允、大久保利通、伊藤博文など明治政府の重要高官が加わる。それぞれの国へ散るたくさんの留学生とともにアメリカの飛脚船アメリカ号に搭乗する。

    *航西日乗・作者は成島柳北・明治4年、東本願寺現如上人のヨーロッパ旅行に随行。幕府官僚の子。西洋に通じていたことから外国奉行に任命されるが明治の代になってすぐに職を辞す。二君に仕えるのを拒否したからである。当時の他の日記にはない洗練された文学的な文体。書くのが楽しいから書き、人を楽しませるために書いた。

     

    以下なお23の日記が続く。中には漱石日記、新島襄日記、一葉日記、津田梅子日記、子規日記、啄木日記などなども収録されている。初めの方の日記で、あの幕末の動乱期の中で、幕府がアメリカにヨーロッパに、6回も公式使節団を派遣しているのを知ったことは大きな驚きであった。幕府は自分たちの世が続くことだけに汲汲としていたと思っていたが、大きな認識不足であった。歴史観が間違っていたのかもしれない。今後この本についてここで触れることはないだろうが、じっくり読んでいきたい。

     


    2018.04.14 Saturday

    書林の風から 堀田善衛著『スペイン断章』からドナルト・キーン著『百代の過客・続』まで。

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      書林の風から 堀田善衛著『スペイン断章』からドナルド・キーン著『百代の過客・続』まで。

       

      2017年1月から堀田善衛著『スペイン断章』から始まった新しい読書は、今までの文学街道と並行して新しく歴史街道を増設してくれることになった。私の読書街道は複線化したと言える。堀田氏の『ゴヤ』や『ミシェル・城館の人』などを心楽しく読んでいった。

       

      そこから私はダイレクトに西ヨーロッパの一つ一つの国の歴史を読みだした。スペインを始め、フランス、ドイツ、イギリス、イタリア、オランダへと進んだ。河出書房新社の「ふくろうの本」シリースは教科書のようだ。作家の私感が色濃く入らず、その国の歴史が整理された。

       

      堀田氏の「歴史は読むものではなく見るもの」との至言に一時は大いに納得したものの、至言の先に光る針の痛みを胸に感じる中で、ついに見に行けない現実もあるのよと開き直り、もっぱらペーパー上の歴史を楽しんだ。イタリアでは、好きなフィレンツェで足踏み、個性派の塩野七生の『わが友マキャベリ』、若桑みどりの『フィレンツェ』に再び捕まってしまった。これらは講談社学術文庫にある。

       

      ヨーロッパはもういい〜〜〜そんな思いになったのは、スペインを始め、あのオランダまでもが、世界に進出して行って、アジア、アフリカ、南アメリカで残虐の限りを尽くした事実をいっぺんにまとめて知った時からである。もちろんその前に、自国内や隣国にも同じことをした。今、観光地として世界中の人たちを呼び集めている栄光に輝く都市や建造物の一つ一つは、凄惨な陰謀、殺戮、略奪 凌辱、侵略、戦争の結果ではないか。これはもちろんヨーロッパだけでなく、世界で大国と呼ばれる国々一つ一つに言えることである。日本の国も遅ればせながら悪行を重ねた。私は世界の歴史にげんなり、うんざりしたのである。これは堀田氏のいう「歴史は読むものではない」のことばを軽んじたからか。私の論は正に机上の空論なのかもしれない。

       

      講談社学術文庫を書棚に戻すにあたって、最後尾の案内の部分を見ていた。次は何を読もうか。目に留まったのが、ドナルド・キーン著『百代の過客・続』。幕末から維新を経て、幕を開けた近代日本の、日本人を取り扱っている。私は、日本に帰ってきたのである。しばらく落ち着いて本の中へと旅してみる。

       

      今日の聖書通読から(4/16)

      伝道者の書11章1節

      あなたのパンを水の上に投げよ。

      ずっと後の日になって

      あなたはそれを見出す。

       

      ローズンゲン4/16

      人の歩む道は御目の前にある。

      箴言5・21

       

      わたしは良い羊飼いである。

      私は自分の羊を知っており、

      羊もわたしを知っている。

       

       

       

       

       

       

       

       

       


      2017.10.12 Thursday

      書林の風から 雑読の楽しさ【カメラが撮らえた幕末300藩「藩主とお姫様」】

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        日々の風から 雑読の楽しさ【カメラが撮らえた幕末300藩「藩主とお姫様」】

         

        図書館へ行くと思いがけない本に出会う。本命のものは予約しておき連絡が来ると借りに出向くのだか、それだけで帰ってきてしまうのはもったいない。そこでひとしきり館内を巡り歩くことになる。昨今は幕末から明治初期に生きた女性たちを拾い読みしている。会津若松の新島八重、大山捨松など有名人はいくらでも本があるから楽しめる。昨年、思い立って冊子にした「若松賤子」は資料が少なかったので書く気になった。そのつながりで、興味深い女性たち浮かび上がってくる。

         

        今、机上にあるのは【カメラが撮らえた幕末300藩「藩主とお姫様」】と題する文庫本サイズの本である。カメラが撮らえたとある通り、ほとんど全ページが写真なのだ。大名家の藩主とお姫様たちが美しく盛装してカメラに収まっている。驚いてしまった。御姫様(奥方様)は和装の人もいるが鹿鳴館時代の方はヨーロッパの宮廷の貴婦人たちのような夜会服を着ている。一人ひとり見応えがあり、数奇な生涯が紹介されている。最初に登場する姫は徳川慶喜の長女鏡子である。大河ドラマになった篤姫は「大奥に送り込まれた島津の姫君」とのコメントで全身写真もある。会津の箇所では紋付き袴で帯刀した新島八重の写真があり、坂本龍馬の妻お龍、姉の坂本乙女も登場している。コメントによれば、乙女は身長5尺8寸(約174センチ)体重30貫(112キロ)の大柄な女性だったとのこと。

         

        維新前後の大混乱の激動の時代に、肖像画でなく写真を写したことがまず驚きであり、それらが残されており、さらにコンパクトな一冊にまとめられているのは、私にはほとんど驚異でしかない。藩主とその妻(姫時代の実家に当たる藩の様子)の生涯はドラマ以上のドラマであり、美しき姫たちが時代の犠牲にされながらも気丈に生き抜く姿には、深く感動する。女性は強いと思う。芯の強さに勇気付けられる。読むだけでとても記憶にとどめて置くことなどできないから、いつでも見られるようにそばに置いておきたい。

         

         

         

         


        2017.01.27 Friday

        書林の風から 未知の人、未知の世界へ――読書街道から

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          書林の風から 未知の人、未知の世界へ――読書街道から

           

          「堀田善衛」古い人である。生まれは大正7年(1918年)没年は1998年。名前だけは耳底にあるが著書を開いたことはなかった。まったくもって私の読書街道は貧弱なのだ。

          それが、昨年晩秋辺りからまるで本人ご自身が近づいて来こられたような肉感を感じさせながら私の前に表れた。――いつまで私の存在に気がつかないのか――とじれったそうなのである。まずは手ごろな文庫本2冊を私のバッグに押し込んだ。『スペイン断章』の上・下巻である。

           

          ああ、紀行文ね、ちょっと心が動く。

          しかし、スペイン〜〜?

          ここで私の食わず嫌いが頭をもたげる。旅行には目がないほうだが、どうもスペインには興味やあこがれがない。と言って皆無ではない。断片的には、プラド美術館には行きたいなあとか、フランシスコ・ザビエルの出身地バスク地方ってどんなところだろう。カトリックの巡礼地最後のサンティアゴ・デ・コンポステーラは見届けたいなどの思いがちぎれ雲のように漂ってはいた。

           

          文庫本上巻の裏表紙の一文をまず読んだ。「歴史は読むものではなく見るものである――。スペインに強く魅せられ長く滞在した著者が、急峻な山々を分けて訪れたイベリア半島で眼にする有史以来現代史に至る、転変著しい歴史の足跡。感動と経験の積み重ねのなかから人間への深い洞察がにじみ出る、ノンフィクション文学の傑作」。

           

          下巻の表紙裏の一文にも目を通す。「ヨーロッパ文化とアラブ文化の接点にあったスペインは、刻々の時代の爪痕を断層のように残す。キリスト教の奇蹟伝説、近くはスペインの内戦。その時代を動かそうと燃え盛った情熱の行く末とは―――。作家はスペインに腰を据え、人びととの触れ合いのなかで、人間とその歴史を、自らの眼で見据え、再発見する」

           

          『歴史は読むものではなくて見るものである』との冒頭の言葉に深く納得しつつもスペインに長く滞在することなんてできない、滞在どころかたかが数日だって行けないんだから、と反発しながらもページを繰ることになった。すなわち、スペインという国を総なめする旅に参加することになったのである。当然ながら、私の幼稚なスペイン観が打ち砕かれ、現地へ行って「見て、住んだ」著者の世界に引き摺り込まれたのである。私のスペイン観は見事に変身した。それは単にスペイン観を変えただけでなく、今抱いている世界観にも大きく及んでいる。歴史は読むものであってもいいと思った。

           

          堀田善衛氏は1952年「芥川賞」を受賞し、多くの小説を書いている。活躍のジャンルは広く、私としては大江健三郎氏を凌ぐ方ではないかと掛け値なしに言いたい。ノーベル文学賞をなぜ受賞できなかったのかと残念なほどだ。また稿を改めます。

           


          2016.06.28 Tuesday

          書林の風から 『みんな彗星を見ていた・私的キリシタン探訪記』星野博美 文芸春秋社

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            書林の風から 『みんな彗星を見ていた・私的キリシタン探訪記』星野博美 文芸春秋社

             

            昨年末から気になっていた本である。新聞の書評を切り抜いて机の前のボードに貼りつけたはいいが、買おうか図書館かと迷っているうちに日が過ぎてしまった。折しも、ノン・フィクション好きな姉妹が、キリシタンものだからとわざわざ知らせてくださった。図書館はリクエストが多すぎてようやく借りたとのこと。姉妹を追いかけてみましょうと、買うことにした。早速ネットで注文した。ハードカバーで462ページの大冊がきた。著者の星野さんはクリスチャンではないがプロテスタント系ミッションスクール出身で、キリスト教をたっぷりと肌に擦りこまれた人ではないかと思う。引きこまれて読んだ。

             

            目次を見るだけでも心そそられた。

            第一章 リュート

             キリシタンの時代

             縦割りの西洋梨

             リュートとビウエラ

             楽器の進化

            第二章 植民地

             澳門

             世界市場

             千々の悲しみ

            第三章 日本とスペイン

            世界分割

            家康とスペイン

            嵐の前ぶれ

            第四章 有馬

             リュートとマンドリン

             有馬のセミナリヨ

             原城

             1614年

             聖人と福者

            第五章 大村

             大村家の苦悩

             純忠の影

             鈴田牢

            第六章 第殉教

             空白の二年半

             つまずき

             カルヴァリオの丘

             絵に描かれた真実

            第七章 スペイン巡礼

             バスクへ続く道

             ビトリアへ

             ラ・ハナ

             ロヨラとバスク 

             

            400年前の日本にはスペイン、ポルトガルなどからいわゆる南蛮文化が押し寄せてきていた。戦国末期から江戸時代初期である。とくに華々しかったのはキリスト教の浸透であった。しばらくは物珍しさから寛容であった為政者は、やがて禁教に走った。弾圧と迫害、虐殺が徹底して行われた。それを星野さんは「東と西が出会った」と表現し、「その現場にいた人たちはどのような葛藤を感じたのか、異文化はどう受容され、拒絶されたのか。それを自分の体で感じてみたい」と思い立ち、体で感じるための試みや旅が始まって行く。

             

            まず星野さんは(1966年東京生まれの女性、ノンフィクション作家)は天正遣欧使節としてローマに行いった四人が秀吉の前で音楽を演奏するが、その時使われた楽器リュートに興味を抱き、神田神保町の音楽院でレッスンを受けはじめる。この好奇心と実行力は、さすがにプロのすごさだとまず感動した。しかしリュートが主役でないことは明らかだ。読者歓迎の門口の花かご役である。

             

            本著は日本キリシタン史を知るのにも役に立つ参考書ともいえる。イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルから始まって、日本で活躍し、その名を知られている宣教師たち、九州のキリシタン大名たち、「天正遣欧少年使節団」のこと、秀吉による長崎での「26聖人の殉教」、家康と宣教師たちの動向、仙台藩による支倉常長率いる「慶長遣欧使節」、マニラに追放されたキリシタン大名高山右近、島原の乱原城など、本や映像でもたびたび出会ってきた出来事が次々に登場する。知らなかった初めての事件もあり、勉強になった。

             

            最後に星野さんはスペインのバスク地方へ冒険の旅に出る。バスク地方はザビエルの出身地であるが、星野さんは日本へきて布教し殉教までした宣教師たちがどんな場所から来たのかを知りたいと思った。「キリシタン宣教師の入国者名簿」を調べてくと意外な事実が見えてきた。地図上に、出身地を赤○で囲んでいくと、スペインのバスク地方にかたまっているのに気が付いた。マニラの宣教師もバスク出身者が多い。それから星野さんは宣教師の出身地を一つ一つ訪ねていく。

             

            最終章のスペイン巡礼にはその旅の様子が詳しく語られている。現地の人々や教会を守る神父との交流を通して、400年前の人々と、現代に生きる人たちの心が結ばれる一瞬を星野さんは実体験する。星野さんは信仰心を強調せず、迫害されても追放されても潜伏し続ける宣教師を、単に布教のためだけとは考えない。神父にとっては生まれたばかりの信徒の行く末と信仰の成長が気がかりだからと解く。神父たちは信徒の告解を聴きつづけるために残るのだと。それが真の使命だと。今の、教会用語では「牧会」であろう。

             

            確かに、現代でも、信仰を持ってもじきに教会を離れ信仰を忘れる人たちが多いのを見たり聞いたりするが、その原因は「魂のケアー」つまり「牧会」の不十分さから来ていることもあると、そんなことを思った。

             

            牢に繋がれた宣教師たちが、あの手この手で監視の目を盗みながら、本国やマニラの仲間たちに書簡を送り続けている。その中には苦難の中にいる日本のあの人、この人を金品で援助するようにとまで書かれている。そんな資料が残っているらしい。驚くばかりである。それらの一つ一つを星野さんは探して訪ねて、この一冊をものした。知られざるキリシタン史であるが、もっと知らねばならない、考えねばならない、そして今、もっと行わねばならないと強く迫られた。

             

             

             

             


            2015.12.09 Wednesday

            書林の風から 今年のノーベル文学賞作家 スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチさん

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              書林の風から 今年のノーベル文学賞作家 スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチさん
               



              先日図書館でスヴェトラーナさんの本を借りようとしたら一冊もありませんでした。無いのを承知で尋ねてみたのです、話題の人ですから。それからしばらく諦めていたのですが、いよいよ授賞式の時期になり、受賞者たちが続々とストックホルム入りをしてノーベルウイークを過ごしているのを知って、また図書館で探してみました。残念ながら彼女の講演は聞き逃しました。本は一冊だけありました。『ボタン穴から見た戦争』白ロシアの子供たちの証言という本です。借りてきました。まだ読んでいませんが、怖いような気がしています。
               
              ベラルーシという国さえ馴染みがなく、調べなければわかりませんでした。近くは旧ソ連邦の構成国の一つ「白ロシア共和国」でしたが、ソ連崩壊後の1991年に独立し、ベラルーシ共和国となったそうです。白ロシアとベラルーシと同じ意味です。
               
              『ボタン穴から見た戦争』の著者紹介によりますと、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチは、社会の大きな流れの陰に隠れた小さき人々の声に耳を傾ける新しいタイプのルポルタージュ作家として旧ソ連時代から著作を発表していたとあります。
               
              また、訳者のあとがきによりますと、第一作目は『戦争は女の顔をしていない』で、二作目がこの本です。ともに1941年、ナチス・ドイツに侵攻され占領され、残虐の限りを経験した生き残りの人々の証言集です。一作目は女性たちの証言、本著はそのとき〇歳から14歳だった子供たちを、「孤児院育ちの人々の会」などを訪ねてその体験を丹念に取材、記録したものです。
               
              ――爆弾が落ちるところを見たくて怖がりながらも、ひっかぶったオーバーのボタン穴から覗いていたジェーニャ――など200人以上を取材、その中から101人の子供たちの感覚で受け止められた「戦争」の話だそうです。

              読んでみます。

               
               
               
               

              2015.10.30 Friday

              書林の風から ノーベル文学賞

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                書林の風から ノーベル文学賞
                 
                私の趣味は読書と、月並み過ぎて一笑される看板を恥じらいもなく掲げてうん十年、文字通りの趣味なので、好きなものをつまみ食いしただけだから、読書界の深さ広さなど知る由もなく、昨今ではただの趣味でよかったと、なお、好きなものだけを追かけている。ノーベル文学賞は世界最高峰の賞だから、だれが受賞するのかも毎年興味深く見ている。特に日本人では川端康成と近くは大江健三郎のお二人が受賞しているのは誇らしい気がしている。
                 
                今年はベラルーシ人のスベトラーナ・アレクシェービッチさんである。国もあまりなじみがない上に女性なので興味が強まった。読んでみたいと思った。すぐに図書館に行ったが、何もなく、ふと、昨年の受賞者の本を探してもらった。フランス人のパトリック・モディアノ氏である。この作家のことも気になって、その時の新聞を切り抜いておいた。読もう読もうと思っている間に一年が過ぎてしまったのだから、怠慢は言うまでもないが、月日の速さに驚くばかりである。氏の書棚に案内されて、見れば何冊も並んでいた。小さな図書館なのにと驚いたが、さすがにノーベル賞作家のせいだろう。3冊借りてきた。改めて昨年の10月9日朝日新聞の切り抜きを読んでみた。
                 
                モディアノ氏は今年70歳。受章の理由は『記憶を扱う芸術的手法によって、最もつかみがたい種類の人間の運命について思い起こさせ、占領下の生活、世界観を掘り起こした』、またスエーデン・アカデミーの事務局長は『彼は記憶やアイデンティティー、失われた時を探し求め、時代を超越した主題を書いている。繰り返しこの主題に回帰し、作品すべてが一つのジグソーパズルのように結びついている点がユニークだ』とたたえた、とある。
                 
                『作風は抒情的でミステリアス』の一文に惹かれた。氏の父はユダヤ人で、仏での迫害は切実な問題だった。フランスでは『モディアノ中毒』という言葉があるほど人気が高く、最も偉大なフランス作家の一人と言われている。
                 
                そんな前知識を持って作品を読みだした。初めに『パリ環状通り』、そしていまは『失われた時のカフェで』の頁を繰っている。しかし、である。う〜〜〜んと首をひねったり、ため息をついたりしている。ひとことで言えばわからない――――である。まるで抽象画を見ているようだ。考えてみれば私の読書はいわゆる世界名作全集に名を連ねる、だれでも知っている古典ばかりなのだ。20世紀の人では、プルーストまで。ジョイスになるとわからなくなってきた。今読んでいる『失われた時のカフェで』の題名でプルーストの『失われた時を求めて』を思い出し、どこかで重なる所があるのだろうかと、そんな思いで読んでいる。感想はまだ言えないが『作風は抒情的でミステリアス』は大いに感じている。もう数冊読んでみたい気にはなっている。それが氏の文学力かも知れない。
                 
                半年ほどしたら今年の受賞者ベラルーシ人のスベトラーナ・アレクシェービッチさんを読んでみたいと思っている。そもそもベラルーシという国すらよく知らないのだ。彼女は受章のことばを『私ではなく、私たちの文化、歴史を通して苦しんできたこの小さな国への受賞だ』と語っている。心に深く残る言葉である。
                 

                2014.01.24 Friday

                書林の風から ネット読書会今年の課題本『ウジェニー・グランデ』バルザック 続き

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                  ネット読書会今年の課題本『ウジェニー・グランデ』バルザック 続き

                   

                  バルザックの『ウジェニー・グランデ』は、過去のどこかで読んでいるのですが、どんな本だったかは全く記憶にありません。そのころはたいてい学校の図書室の本でした。自分で買うことはしなかったと思います。どしどし本を買えるほどお小遣いはありませんでしたから。

                   

                  『ウジェニー・グランデ』に決まって、いざ本を買おうとしたら新刊はなし。そこで中古を取り寄せました。汚くはないのですが、いかにも中古そのものです。周囲がすっかり黄ばんでいますし、印字がかすれています。そのうえ、何と小さい文字でしょう。実に読みにくい。幸いなのは、280ページほどで、大した厚さではないことです。しかも一冊だけです。これなら我慢できる範囲です。

                   

                  ところが、お仲間の一人が、中古で、中央公論世界文学全集を購入したとのこと。新品同様であるとのことでした。当時の定価は390円であったそうです。ところがです、そのとたん、ふだんよれよれしている私の記憶が勢いよく動き出しました。中央公論の文学全集、390円!この二つのフレーズが鍵でした!

                   

                  この本、持っているはずだと閃光が走ったのです。飛んで行って調べますと、私の書庫の一番上の棚に、ずらりと静かにしっかりと並んでいるではありませんか。頑丈な箱入りですが、箱の背文字は焼けてほとんど読めません。ようやくバルザックを見つけまして、中身を取り出しました。中は鮮やかです。きれいな赤なのです。そこに、『ウジェニー・グランデ』が収録されていました。もどかしく頁を繰りますと、読んだ形跡があり、本文中に私が付けたのに違いないしるしがあったのです。

                   

                  奥付には、昭和40121日初版印刷、1210日初版発行、定価390円とあります。記憶が動き出して、いろいろ思い出しました。この全集は私が390円を工面して、毎月楽しみにしていたものでした。数字が記憶を呼び戻したとは、ちょっと切ない話ですが、たぶん、毎月この額を別にしておいて買い続けたのでしょう。昭和40年とは西暦1965年です。

                   

                  なんと今から49年前のことです。ところがこの全集がこの書棚に納まったのはわずか14年前です。その間私は5回は移転しています。毎回この全集を持って歩いたとは思えません。実家に預けっぱなしだったのかもしれません。49年間、約半世紀の自分の歴史が思い出されてきました。喜怒哀楽を包み込んだたくさんの出来事を、です。なにやら胸が熱くなり、涙もじくじくしてきました。

                   

                  若いころに読んだ本をもう一度読むことは、単に再読するだけに終わらない思わぬ付録がついていました。人生の深い味わいということでしょうか。老いを生きることの豊かさを知った思いです。(おわり)

                   

                  2014.01.23 Thursday

                  書林の風から ネット読書会今年の課題本『ウジェニー・グランデ』バルザック

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                    ネット読書会 今年の課題本『ウジェニー・グランデ』バルザック 

                     

                     

                     

                     

                    2006年に本好きな友人たちと始めたネット読書会『カラマの会』は、今年2014年は9年目を迎えました。今年選ばれたのは、オノレ・ド・バルザックの『純愛 ウジェニー・グランデ』なる一冊です。この会の趣旨は、ひとりでは読めない名作です。当然、長編大作が狙われます。キリスト教文学には限定しませんでした。

                     

                    今までに読破したのは『カラマーゾフの兄弟』、『白痴』、『悪霊』、『エデンの東』、『クォ・バディス』、『レ・ミゼラブル』、『こころ』、『戦争と平和』、『デビッド・コパーフィールド』です。偏りすぎているかもしれません。ドスト氏の人気は否定しがたいものがあります。いっそドスト氏の全作品に挑戦したいという意見もあります。トルストイだってもっと読みたいのです。日本からは漱石が入りましたが、感想はさんざんでした。理由は多岐にわたりますのでここで触れませんが、今後日本文学が登場するチャンスはないかもしれません。

                     

                    メンバーは10名ほどですが、わりに高年齢の方が多いです。青春時代に、世界文学日本文学の世界を経験した方々です。大作を中途止めにした方もおられます。生噛りのままの方もいます。未消化なのは全員かもしれません。その代り、郷愁は大きなものです。そこで、楽しく読み合いましょうということになったのでした。

                    バルザックがあまり読まれていないので、今回取り上げることになりました。バルザックと言えば『人間喜劇』に集約され、膨大な本があります。大作もありますが、まずは小品で、あまり心にかかる負担が大きくないものを選びました。こうして今年は『ウジェニー・グランデ』に決まったのです。

                     

                    ところが、この文庫本は新刊がありません。びっくりしました。駅ビルの書店などでは他の本すらないのです。大文豪バルザック氏も時代の波には逆らえないのでしょうか。図書館しかりです。図書館がです。これはもっと驚きました。今やネット界に頼らざるを得ないのです。一人一人が赤茶けた中古本に甘んじなければなりませんでした。

                    ところが、意外なエピソードもありました。(続く)

                     

                     

                    2013.07.17 Wednesday

                    書林の風から 夏の勢い・幸田文とブラームス

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                      小さなきっかけから一人の文学者の大きな世界へ引きずり込まれてしまった。その人の名は幸田文。誰一人として知らぬ有名人なのに、いままでしっかり対面したことがなかった。今回は、文さんの方から手が出てつかまれた気がするほど、引力が強い。一冊、また一冊と文庫本を開くうちにはや12冊。今や私の足腰が立ち、逆に私の方から追いかける気持ちになっている。

                       

                      岩波から全集が出ている。1994年から1997年まで、全巻23冊である。図書館に行ったら、墨田区ゆかりの作家として特別コーナーに並んでいた。そうなのだ、幸田文は私と同じ墨田区で生まれた。もっとも生地は、当時、東京府南葛飾郡大字寺島村と呼ばれていた。そこに関東大震災に遭ってこの地を離れるまで、19歳まで、暮らし続けたのだ。震災直後は千葉県四街道市に避難、その後は小石川に転居する。父親露伴はこの家を蝸牛庵と名付けた。露伴は、蝸牛庵とは、家がないということ、身ひとつでどこへでも行ってしまうということさ、といったそうな。

                       

                      幸田文全集は23巻である。今のところ読破しようと、大きなことを思っている。大きすぎるかもしれない。夏のエネルギーに乗せられて、心身が高揚しているせいかもしれない。

                       

                      しかも、この暑いのにブラームスの、それも大曲を聞き続けている。暑苦しいではないかと思われそうだが、理屈などなんのその、体の奥にずいずいっと快く入っていく。幸田文とブラームスなんて、どこにもリンクするところがないとおもう。ミスマッチの代表のようだ。もっともマッチさせようと思ったわけではない。自然の成り行きである。しかし、もしかしたら、幸田文がブラームスを呼んだのかも知れない。とかく不思議に満ちているのが真夏の世の夢だから。

                       

                      これから時どきこのブログに幸田文が登場するかもしれない。ちなみに幸田文といえば終生着物(きもの・和服)を着続けた人である。『きもの』という小説もある。自伝的小説だが、その主人公の名は、るつ子なのだ。一瞬、ルツ記を思い出したのは私だけではないだろう。幸田文もルツ記を重ねていることは疑いない。

                      キリスト教の色濃い環境で育っている。聖書は体いっぱいに入っているはず。ところが幸田文はそれをきものの奥に隠してしまったのか書き物にはほとんど出てこない。洗礼も受けている。家庭で日曜学校を開いて、子どもたちの世話をし、お話までしているのだ。先ごろのブログにも書いたが、私はこの謎に迫ってみたい。真夏の世の夢で終わらせたくない。

                       

                       

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