人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

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天の星のように―母エバから母マリヤまで 美しき姉妹たち
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世相の風から イートインって?

世相の風から イートインって?

 

最近、スーパーの一隅やコンビニ、お弁当屋さん、自家製パン屋さんなどで簡単に飲食できるスペースが設けられ、利用している人たちをよく見かける。なあるほど〜〜〜いいアイデアだなあと思う。商売する人たちはよく次々に新しいこと考えるものだと感心してしまう。

 

若い人やお勤めの方が一人でスマホ片手に飲食されているのは当たり前の風景だと気にもしないが、近所の方であろうか、高齢の方々がコーヒーなどをいただきながら談笑しているのはなんともホッとする光景である。むかしの時代を思い出す。あのころ大人たちはイートインではないが路地のかたわらでよく話し込んでいた。下町風景かもしれないが。

 

高齢の方々が、一軒家で一人暮らしをしたり、団地の一室に閉じこもっていると聞く。孤独死までには至らなくでも、さまざまな悲劇につながりかねない。もちろん地域にはその気になればケアーの準備は十分あるが、その気のない人は取り残されてしまう。そんな方々でも、買い物のついでにイートインで気軽に一息つき、一休みできる。お友達がいなくても周りに人がいる。人が見える。声が聞こえる。それだけでもどんなに力付けられることだろう。

 

人とは、人と人の間に生きる、人間なのだ。神様は創造のはじめからともに生きるように配慮してくださった。夫でなくても、妻でなくても、子どもでなくても、24時間いっしょにいられなくてもいいではないか。努めて友を作ることが必要だと思う。そのためには多少の犠牲がいる。イートインに出かけるのもひとつの努力であろう。束の間であってもいいではないか。ひと時小さな交流ができたら、それこそ血液循環がよくなるであろう。

 

 

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世相の風から 宅急便一考

世相の風から 宅急便一考

 

昨今我が家もついに宅配便の玄関チャイムが頻繁に鳴るようになった。私自身は何事も時代遅れだから、ネットで品物を買うことなどおよそ興味がなかった。だいたいが通販にはあまり信用を置かなかった。靴下一足、大根一本だって自分の眼で見て確かめて頷かないと買えなかった。ところが、おやっと思ったことがあった。「本」が買えることだった。家の若い者たちにたびたび箱が届く。本が届く。私もほしいと思っていた本がすいすいと届く。マネをしたくなった。

 

手取り足取りして教えてもらううちに自力でできるようになり、それが届くとうれしくなった。かつて郵便屋さんが手紙を配達してくれるのを待つのに似た気分なのだ。今ごろは手紙はほとんどメールに変わって、手紙の代わりに物が配達されるようになった。大きいものから文庫本一冊まで、またたく間に運んでくださる。はじめのうちは恐縮するほどありがたかったが、だんだん慣れてくる。頼めばすぐ届くのが当たり前になってくる。恐ろしいほどだ。

 

世間が騒ぐようになって第一に思うことはやはり配達してくださる方のことだ。仕事なのだから当然のことと言えばそれまでだが、人手不足だそうで負担は大きいようだ。通りを見れば車で移動する人ばかりではない、リヤカーで運んでいることもある。かつては飛脚がいた。あの人たちは手紙だけでなく物も届けたそうだ。

 

宅配であるが、こうした高齢化社会、ネット社会が進むと、どうしても利用してしまう。たぶん私に限っても徐々に増えることは間違いない。お世話になるという思いである。ほんとにありがたいと思っている。配達の方には愛想よくしお礼を言うのはもちろんだが、おおもとの会社が知恵を出しあってよりよい方法を考えていただきたい。

 

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世相の風から 3・11から6年・原発いじめ

 世相の風から 3・11から6年・原発いじめ

 

あの日の恐怖を今さながらに思い出す。遠く離れた東京にいても、私の70年を超える人生の中でもあれほどの底知れない不気味さに震えたことはない。さらに原発事故が重なり、思えば一か月、二か月は、日常の半分以上は宙をさまよっていた。いまなお苦悩の中におられる方々の思いはいかばかりであろう。

 

最近いやなニュースが大きく聞こえてくる。原発いじめである。これにはほんとにびっくりした。被災された方々に支援できない心苦しさはいつもある。思いの中にすぎないが同情心だけはあふれているつもりだ。日本中の人たちが同じ思いだと疑わない。それなのにである。いじめるとは何事であろう。それも大した理由がないのにいじめると聞く。まして、賠償金をうらやましがって、せびる人たちまでいるという。それも子どもたちが、である。どうして日本人の品性がここまでみじめになり下がってしまったのか。いつからそんなにさもしくなったのだろうか。寒々とした思いになる。犠牲になった命、失った財産、故郷は戻らない。せめてその何百万分の一、いや海辺の砂粒の一つでも、補えるように「まことの愛」を、物心両面から贈りたい。

 

 

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世相の風から キレる高齢者と失語高齢者

世相の風から キレる高齢者と失語高齢者

 

 

自分が高齢者であるのはわかりきっているのだが、運転ミスをはじめ高齢者の不祥事を知ると、いつのまにか自分を部外者にして、困ったことだと批判心が活発になる。それを踏まえつつであるが、こんな記事がに目に留まった。「キレる高齢者・増える暴言、暴力トラブル」。

 

かつては老人のイメージは、年をとると性質はま〜るく穏やかになって、物分かりがよくなって、若い人たちのかたわらで物静かに微笑みをたたえている。さまざまな欲得からも解放され、高潔な人格の人になっていくと、こうではなかったろうか。私は単純にそう思っていた。

 

ところが、それは絵空事ではないかと思うようなことをよく見かける。ま反対なのだ。柔軟性がなくなり、自己主張が強くなり、つまり頑固になり、自制のタガが外れたように非常識なことをズバズバいうようになり、自分は決して悪くない、いつも正しいのである。私自身も他の人に言わせれば当てはまるのかもしれないが、戸惑うようなことに出くわすのだ。

 

それはさておき、記事では、今までと人が変わったように突然、人の中であろうとお構いなしに怒鳴ったり、果ては暴力までふるう人が増えているという。これはいったいどういうことだろうか。理由に、脳内の神経細胞が減少し徐々に萎縮して、その脳の変化が行動にも表れていく、すなわち脳には感情、理性、意欲、思考を司る前頭葉の部位が萎縮して機能が低下し、その結果感情を制御できなくなったり、判断力が衰えたりすることで、性格の変化が起こるとあった。つまりは老化現象ということであろうか。老化を避けられる人はいない。とすると、高齢者になるとみなキレる人になってしまうのだろうか。もちろんそんなことはない。老いてほんとうの賢者になる人だってたくさんおられる。

 

「キレる高齢者」と反対に「失語高齢者」を私はよく見かける。この言葉はどこにもない。

私が今思いついた造語である。説明すると、お元気な方であっても、お話ししていてもどうも言っていることが要領を得ない。半分意味不明。言葉が足りず、また、言葉が出てこないのだ。言葉を忘れてしまったような症状である。「失語」なのだ。何かの病気の後遺症ではないのに。これはどういう原因によるのだろうと思っている。

 

思い当たることは、耳が遠くなって人の話が聞きにくい、あるいは聞こえない。独居の方は話し相手がないからしゃべることが極端に少ない。家族がいても、耳が遠いとついつい話しかけるのが面倒になり、会話が少なくなるのでしゃべらない。そのうちに言葉を失っていくのではないか。また、思いはあるが、それを口に乗せるまでに時間がかかる。それが自分でも億劫になり、つい、頷くくらいで済ましてしまう。また、家族は忙しいから、お年寄りの相手をしているどころではない。老人が口を開く前に、二言も三言も先取りして言ってしまう。かくして老人の物言う場がなくなっていく。ついに「失語」状態になる。私はそんなふうに推測してみた。

 

突然人が変わったようにキレる高齢者も反対に物言わなくなる人も、日ごろのストレスの結果だそうだ。親身になって話を聞いてくれる人、しゃべる機会を与えてくれる人がいたら、そうした悲しい現象も緩和されるのでないだろうか。

 

記事には、解決策として「受容、傾聴、共感」が大切だと結んでいた。「受容、傾聴、共感」とは知識としてはだれでも知っているし、そういう心構えで人と接していると自負する方は多い。しかし、実際は難しい。上から目線でそんなふりをしても、高齢者は人生を歩いてきた人たちである、確たる「人格」、「個」があるから、返って怒りや悲しみが増すばかりであろう。

 

私はこの一文を閉じるにあたって、何を「結語」としようかと思う。見聞きしている高齢者のこうした悲しい事態を深く心にとどめ、思いめぐらすしかない。

 

『それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、

あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。

互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、

互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、

あなたがたもそうしなさい。

そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。

愛は結びの帯として完全なものです』 

コロサイ312〜13

 

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世相の風から トランプ氏第45代アメリカ大統領に就任

世相の風から トランプ氏第45代アメリカ大統領に就任

 

このブログはいつか再読する日もあろうと思い、

この激震的出来事を記しておきたいと思う。

後の日のために記録しておきたいのである。

この日以来この人によって世界がどのように変わっていくのか、

この人にどれほどの影響力があるのか、

良きにつけ悪しきにつけ話題に事欠かないだろうから、

できるだけ目を離さずにいようと思う。

世界がこれ以上悪い状態にならないように

切なる祈りをささげながら見つめていきたい。

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世相の風から 小池劇場に気を取られて

世相の風から 小池劇場に気を取られて

 

都知事選のころから都政にいや応なしに目が向くようになった。政治には音痴と、ずっとそっぽを向き、政治の風に吹かれることもないだろうと思っていたが、昨今は今までとは違う風圧を感ずる。ひとえに「小池劇場」のせいだろう。これは私に限ったことではないだろう。私のごく小さな周辺でも、すぐに話が出て、花が咲く。「劇場」と言っても単なる観劇ではない。自分たちの生活に直結する問題が展開されていくのだから、他人ごとではないのだ。

 

築地市場には30分もあれば行ける。時に出かけることもある。移転すると知って以来、あまりいい感じはしなかった。郷愁があるからだろう。東京の歴史が消えてしまうようで、無意識の内にも一抹のさびしさがあるからだろう。しかし、移り変わりは世の習い、良くなってくれればそれでよしとしなければと納得したことであった。

 

ところが思わぬ問題が噴出して、びっくり仰天である。報道の一つ一つに釘つけになった。まだまだ先は見えないが、あまりのひどさにあきれ果て、心の隅には、政治の世界ってこんなことなんだと、怒りもそこそこに早くも白け気分になった。野次馬にすぎないから無責任を決め込んでいられるが、渦中にいる新都知事さんはさぞ大変だろうと思う。政治家に同情するなんていままでなかったことだが、今度ばかりはハラハラするくらい気持ちが接近している。一歩も体を動かすわけではないのに、見聞きする、それだけでかなり疲れてしまう。

 

小池さんはもちろん超人、巨人であろうが、生身の人間であり、しかも女性である。女性は弱いなんて私自身少しも思っていないし、現に女性の方が生命力はあることは確かだが、男社会にトップとして立つのは容易ではないとは推察する。女性が上に立つのには男の4倍働かねばならないとは以前から聞いているが確かだろう。4倍も5倍も活躍して、いや応なしに表沙汰ざたになってしまったたくさんの闇の部分がはっきりと解決されることを願っている。都民は、国民は、みなそう願っていると思う。

 

 

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世相の風から スーパーが消える

世相の風から スーパーが消える

 

日常の買い物を近所の二つのスーパーで済ませることが多い。どちらのお店もおよそ買うものが決まっている。私の家を中心にすれば北と南のま反対にあるので、一日のうちに両方へ行くことはない。ましてこの真夏にはいくら近くてもあっちにもそっちにも行く気になれない。どちらもいかない日もあるくらいだ。

 

ふと北の方のお店に行ってみた。閉店の貼り紙があった。びっくりである。夏休みではないのだ。閉店なのだ。どういうわけだろうと、なんとなく満たされない思いのままいろいろ考えてみた。そういえば昨今いつ行っても閑散としていた。私の頻度も少なくなっていたかもしれない。と言って、南の店にせっせと通うほどでもない。

 

人口減少か、高齢化か、不景気か、よくわからない。あるニュースで、スーパー化するコンビニとあった。スーパーよりコンビニの方が手軽で利用客が多いとは聞いてはいたが、いたるところにあるコンビニが敏感にお客のニーズを感じ取って、形を変えているのだ。つまりスーパーの働きもしているのだ。日常のあらゆる必要に的確に答えているのだ。コンパクトなお店で用が足りるならわざわざ広いスーパーの店内をうろうろことはない。そのほうが便利である。だから、なまじっかなスーパーは利用者が減るのだろう。コンビニは昔の雑貨屋の面影がある。何でも売っていた。子どものお菓子までもあった。

 

もうひとつ大きな理由はネット買い物をすることが多くなったのではないだろうか。あれほど便利なものはない。机の上のPC、いやそれも時代遅れで、手元のスマホからどんどん買い物ができる。スマホさえあれば歩いていようと電車の中であろうと注文できる。時間指定で、ちょうどよい時に玄関先まで届けてくれる。重い物もかさばる物も、文庫本の一冊まで何から何まで届けてくれる。今や年間37億個の荷物が宅配されているそうだ。宅配便とはかつてのように贈り物だけに限らないのだ。自分で注文したものが自分宛てに届くのだ。実はそのほうがずっと多い。我が家も宅配便のチャイムが鳴らない日はない。お店は閑古鳥が鳴くわけである。社会現象とはおもしろいものだ。現象なのだ、だれかが仕掛けたのではない、仕掛け人もいるかもしれないが時流ができるのは総意があるからだ。かくして、世は大きく流れていく、変わっていく。

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世相の風から 真夏の饗宴その2 大雨のオリンピック閉会式

世相の風から 真夏の饗宴その2 大雨のオリンピック閉会式

 

台風9号で東京は土砂降り。外出もあるが緊急ではないので控えることにした。ふと、思いついてリオ・オリンピックの閉会式の生中継を観ることにした。最後の最後で生を観た。あちらも激しい雨が降っていたようだ。あの会場は青天井なのだとわかってびっくり。東京はどんな会場になるのだろう。当然屋根があると思っているけれど。

 

オリンピック旗を受け取った都知事の和服がびしょ濡れになったのではないかとつまらぬことに気が走った。和服姿はよかった。たぶん和服だろうと予想されていたようであるが、色まではわからなかった。赤ではないかとの予想もあったが、あの会場では赤は平凡だ。飲み込まれてしまう。真っ白ではない、薄いグリーンがかっていたように思えるが、それに金の帯が引き立った。よく考えられたのだろう。いざというとき、やはり和服は特別な役割をする。もっとも私が日本人のせいもあるだろう。それにしてもブラジルは雨の国なのだろうか。聖火を消すのに滝のような雨が用いられた。

 

テレビではあるが、長時間、趣向を凝らしたショーを観て、大いに愉快だった。オリンピックの功罪は多々あるだろうが、小さいようで大きい地球上の、ふだんはなじみの薄い国々の人々が、一堂に会するのは大きな意義があると単純だがそう思う。人と人を隔てる宗教、人種、信条、貧富などの不幸な壁をいっときでも脇に置いて、一つになれるのはこんな時しかないだろう。そこには世界の平和に向かう小さくとも新しい発想やアイデアや友情の種がまかれるにちがいない。私はそのように信じ祈ります。

 

 

 

 

 

 

 

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世相の風から 戦後71年 争いのない世界を

世相の風から 戦後71年 争いのない世界を

 

 

世界中を巻き込み、日本の国が大敗した先の戦争から71年。

その歳月とともに生きてきて、当時とその後の10年、20年、30年を振り返ると、

現実のこととは思えないほど遠い日の気がする。

記憶もおぼろの幼い時だったせいもあるかもしれない。

 

この71年、世界はさておき、日本の中では戦争と呼ぶ出来事はなかった。

平和の定義は多様だが、戦争のないことをその一つにすれば、日本は平和であった。

いまも平和である。

そしてかろうじて安全でもある。

 

世界からは「水と安全はただ」の国としてうらやましがられてきた。

平和のありがたさ、戦争のないことの幸せを噛みしめた人たちが亡くなっていく。

戦争を知らない人たちが政治を司るようになっている。

世界の情勢もそうである。

あちらこちらで、当時以上の惨劇が繰り返されている。

だから、だから、いざというときのために戦える備えをしていいのだろうか。

法律を変えてまでそうするべきなのだろうか。

 

真の平和が末永く保持されるように、日本のため、世界のため、祈り続けます。

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世相の風から 真夏の饗宴 都知事選終わる

世相の風から 真夏の饗宴 都知事選終わる

 

 

今回の都知事選ほどまじまじとその経緯と付き合ったことはなかった。なぜだろう。もともと政治には音痴のひとことで平然と片づけてきた。ところが昨今、特に今回は自分としては深入りしている。大きな原因はネットでニュースを見ていることだと思う。いつのまにかネット―サーファーになっていた。これはよくない。大波に飲み込まれない前に引き上げようと思うけれど。

 

劇場型選挙はどうのこうのとその賛否は両論あり、良し悪しもあるだろうけど、候補者の政策などを熱心に読んだり、演説会に行ったりはとてもできないので、映像で手軽に見聞きできるのは大変ありがたい。またリアルタイムでハプニングも飛び込んできて、下手なドラマを見るよりずっとスリリングだし迫力もある。

 

候補者たちの活動を目の前に見ていると、おのずと伝わってくるものがある。その人の中身まで見えるものだ。怖いほどよくわかる。また応援?する人たちからもドラマが起こる。品位なきパワハラ、セクハラめいた毒舌合戦には嫌気がさしたが、無責任かもしれないが面白かった。近県の友人たちが、私も一票を投じたいと叫んでいたがさもあらん。私は痩せても枯れても、いや、老いても一票があるのよと、胸を張って朝早く投票所に行った。

 

かくして東京中を、いやおそらく日本中を巻き込んだ都知事選は終わった。300万票に近い票を獲得して新知事になった百合子さん、頑張って、大いに頑張って、みなと協力して、一身賭けて、投げ捨てて、都政に励んでいただきたい。

 

 

 

 

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