人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

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世相の風から コロナワクチン接種券届く

世相の風から コロナワクチン接種券届く

すずかけ(プラタナス)の木の実 

                                               

私の区では4月1日から接種案内の発送が始まったと報じられた。しかし私の手元に来るのはいつのことやらと期待しないでいたが、なんと早々に届いた。早いなあ、役所の方々は残業に残業を重ねておられるのだろうと思った。いつになくワクワク気分で封を切る。受付は5月1日からとのこと。だから実際にこの腕に注射針が差し込まれるのはずっと先のことだろう。しかし静かに待てばよい。

 

映像でも多くの人たちが心待ちにしている話題が活発に報じられている。「これで孫に会いに行ける」と、ある老女性が顔をほころばせていたのが印象的だった。そうか、いままでじっと我慢していた自粛から解放されるのか。電車に乗れるのか、友人と会えるのか、ランチを楽しめるのか・・・。だが、どうなのだろう、そんなに有頂天になっていいのだろうか、疑い深い私は眉をひそめる。

 

月に一度はお世話になる町のかかりつけ医に行き、帰り足で隣の薬局へ入った。一人の老女性がカウンター越しにスタッフとさかんに話をしている。見覚えのある紙片を振りかざしている。ワクチンの接種案内書であった。えっ!? どうして薬局に・・・。耳に飛び込む声は、どこに行けばいいのか、いつごろになるのだろうか、どうしたらいいのか、などなど同じことを繰り返している。スタッフは書類を読みながら丁寧に何度も説明されていた。理解したのかどうか、女性はああ安心したと書類をバッグにしまい込んだ。

 

どこかの区では受付開始後わずか一時間後に予定数に達し終了したそうだ。大臣は全員に行きわたりますからと強調されていた。私もそう思う。もうワクチンがありませんなどとは、まさか今回はならないだろう。焦ることはない。それに、2度受けても、効力は半年ほどだそうだ。さもあらん、インフルエンザワクチンも数カ月である。一生に一度ではない。ただ、かかりつけ医で簡単にできるようになったらいいのだが。いずれそうなることを願う。コロナは現在、関西などで変異種による感染が拡大している。明日、東京に同じことが起こるかもしれない。第4波はすぐそこにとまで言われている。

 

5月から一年越しの一つの学びが、リアルで始まる予定だが、果たして実現できるだろうか。申し込み手続きは済ませたが、ほんとうに参加するだろうか、自分に問うている。いまのところかつての高揚感が失せているのだ。コロナによる悪影響だろうか。「フレイル」現象に陥ってしまったのだろうか。

 

コロナがきっかけで始まった新しい生活スタイルの中で今まで知らなかった新しい発見が今の私を喜ばせ楽しませてくれている。SimpleSilentな生活である。当初掲げたSlowはなくなりつつある。新しい生活プログラムで多忙なのだ。野山ならぬ都会を駆け巡っている。運動靴を履いて。どうやら「都会の老仙人」になり切ってしまったようだ。

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世相の風から コロナはどこまで

世相の風から コロナはどこまで

 

 

こんなにフットワークのいいウイスルがいるだろうか。

こんなにわがままなウイスルがいるだろうか。

東の果てから西の果てまで

北の果てから南の果てまで

地球上は隅から隅まで彼らの快い運動場だ。

とはいえ、彼らは人にくっついて動いているだけなのだ。

人から人へが、このウイスルの性質らしい。

だから、人がうつしているのだ。

 

濃厚接触とはよく言ったものだ。

わずか1〜2m離れていれば、彼らはうつれない。

単独では空気中に3時間ほどしか生きられない。

思えばかよわい生き物ではなか。

 

なにが彼らを強くしたのか。

 

人しか考えられない。

天災ではなく、人災かもしれない。

 

これ以上彼らをのさばらせないために、

人間様が賢くならなければいけない。

確かな治療薬もワクチンもない現在、

行き来も、集まりも、避けなければならない。

 

彼らをばらまいてはならない。

お金をばらまいても、特効薬にはならない。

 

 

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世相の風から 荒れ狂うコロナウイスル旋風

世相の風から 荒れ狂うコロナウイスル旋風

 

今や、おそらく世界中がコロナで一色ではないでしょうか。コロナは目に見えない風に乗って世界中を駆け巡っています。感染者、死者は日に日に数を増すばかり。それにつられて、マスク、マスクと、今やマスクが救いのヒーロー扱いです。でも、マスクって本当に特効薬なのでしょうか。もちろん私も着装しています。この時期特有の花粉や埃予防のためにも。

 

真偽ないまぜで、様々なニュースがコロナに負けず世界中を駆け巡っています。こんなにも一つの出来事で世界がひとつになって騒然としたことがあるでしょうか。情報の功と罪であることに間違いないでしょう。情報を取捨選択する個人個人の良識がどれほど重く問われることでしょうか。しかし多かれ少なかれ、コロナ鬱に影響されています。大きなイベントから小さな集まりまで、自粛要請が出ていることから、外出の機会が減っています。自己防衛の一つでもあります。わずかな集まりもやめています。楽しみにしていた会食も延期です。

 

東京の感染者数が減ってきているとの報に出会いました。1000万を超える人口を抱える東京で、そうした現象が出てきていることにホッとします。まさかフェイクニュースではないでしょう。一人一人の防疫の力でしょう。このまま鎮静化に向かってもらいたいと日夜祈るばかりです。

 

『滅びのあらしの過ぎ去るまでは

あなたの翼の陰をわたしの避け所とします』

詩篇57・1

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世相の風から 新型コロナウイルス 異常風景

世相の風から 新型コロナウイルス 異常風景

 

 

今や連日連夜コロナオンリーである。情報から目が離せないとはこのことだ。山奥にいるならまだしものこと、下町とはいえ都会の真ん中いるのである。すぐ近くの都立病院には早々に感染者が収容されていると聞いた。

 

わりに早い時間に近くのスーパーに行った。途中、ドラッグストアーの前に初めて見る風景、長蛇の列に出会った。何事だろうと通り過ぎて、あっ、マスクを求める人たちだと気が付いた。なんということか。びっくりである。

 

そんなことを関東以外に住む友人と話をしていた。翌日、マスクが送られてきた。こちらもビックしたがうれしかった。マスクのプレゼントなどおそらく後にも先にもこれだけだろう。いざとなったら洗濯して使おうと思っていた。大事なハンカチを洗うようにていねいに手洗いして屋内に干せば使えるだろう。

 

ついでに友人のいうのには、そこは避暑地で、あちらこちらに別荘があり、退職者たちが第二の人生を送っている地域であるが、この時期、いつもは静かな場所だが、なんと、人が押し寄せているという。車のナンバーを見ると、とんでもない遠方から来ていることが解かり、スーパーにはいつになく人があふれているという。つまり、危ない地域から避難してきているのだ。さもありなんである。できる事なら騒動が収まるまでしばらく逃避するのもいい。

 

友人は、こんなに多くの人たちがあちらこちらから押し寄せてきているのだから、ここも安全じゃない。保菌者がいるに違いない。ウイスルはばらまかれているに違いないと。それもありかもしれない。要するに防ぎようがない。しかし必ず収まる。そう祈るばかりである。

 

 

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世相の風から 新型肺炎とコロナウイルス

世相の風から 新型肺炎とコロナウイルス

 

中国で新型の肺炎が流行っていると知って、

ああ、またかと軽く他人ごとに考えていたが、

とんでもない話になった。

今や、日本ではチャーター機で

現地におられる日本人を帰国させる騒ぎになった。

日に日に死亡者が増え、罹患者数もうなぎのぼりだ。

手のつけようがないとはこのことか。

 

今や地球は一つだ。

裏側も表側もない。南も北もない。

遠い国も近い国もない。

こんなにも人々が往来しているとは

一つ所に何十年と住み着いている者には考えも及ばない。

しかし、人々とともにウイスルはやってくる。

手洗いや、うがいや、マスクはするものの、

完全ではないことは確かだ。

恐ろしい世の中になったものだ。

 

 

 

 

 

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世相の風から 変貌する師走の我が町

世相の風から 変貌する師走の我が町

 

 

小学校脇にあった小さなお店とその家屋の解体が始まった。ごく普通の2階建て家屋だったが、3、40年前になるだろうか、奥さんがお店を始めた。町では「金魚屋さん」と呼ばれ、親しまれた。はじめは子供相手に金魚やメダカを売っていたが、やがて立派な水槽や熱帯魚も売るようになり、そのころ、家庭でも水槽を備えて珍しい魚を飼うのは流行ったが、ブームでもあったのか、お店の前はいつも人だかりがしていた。

 

ご主人も手伝うようになり、お店は繁盛した。働き者の御夫妻だった。奥さんは朝早くから家の前の道路を清掃し、落ち葉一つないほどきれいだった。道行く人に愛想よく声をかけ、金魚を買わない私でさえ懇意になり話し込むこともあった。

 

数年前から、奥さんの姿が見えなくなった。街路樹の周りも雑草が伸び放題、お店も開いているのかいないのか、薄暗いままになった。たぶん、老齢化しているとは感じていた。そのうちに「町の風」が教えてくれた。奥さんは脳梗塞で倒れ、ご主人がお世話していると。そのうちご主人の姿もぱったりと見なくなった。また町の風が教えてくれた。ご主人が、認知症になり、すでに施設に入所し、奥さんは別の施設にいるとのこと。どこにでもある風景であり風聞であろう。しかし、往年の奥さんの笑顔と、眼鏡をかけ、箒を持つご主人の顔が大きく目の前に見えて、切ない思いになった。

 

町の風である隣家の婦人が「しょうがないよ、みんな年取っていくんだよ。施設の費用のために、この家は売りに出されている。子どもたちが決めたらしい」と教えてくれた。数日前から作業員が動き出した。やがて家全体に足場が組まれシートがかぶせられた。今朝、郵便ポストに行く途中に、重機の音がしてあの巨大な壊し手が縦横に動いているのが見えた。

 

町の風である隣家の奥さんとご主人が現場近くに立ってじっと見つめていた。そういえば、その家の一代前の人たちともあいさつを交わしてきた。住みだしたのは戦後すぐだろうから、かれこれ70年になるだろう。この家は三代でこの地での暮らしを終えたのだ。もちろん三代目はどこかに元気に生きているだろうが、もうこの近辺とは無関係だ。

 

我が家の数軒先の家も、近ごろ売りに出され、今は流行りの駐車場になっている。小さいながらも工場を経営して家はビルに建て直し、町会の役もして活躍していた。3代目で、売りに出した。初代は我が両親と同じ世代、2代目は私と同じ世代、3代目は我が家の娘と同級生だった。別れの挨拶もなく、いつのまにか駐車場になってしまった。戦前に生まれずっと同じ地にいる私は、町の移り変わりをじっと見てきている。今、町には高層マンションがいくつも聳え建っている。アジア系の外国の人たちの姿が目立っている。

 

 

 

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世相の風から 戦後74年 昭和20年8月15日

世相の風から 戦後74年 昭和20年8月15日

 

今年も終戦記念日が巡ってきた。

74回目という。戦後74年になるということだ。

あの日のことを言い表すには、

昭和20年8月15日という呼び名が

私にとっては一番実感がわく。

幼いながらその日を知り、ずっとずっと聞き続けてきたからだろう。

また、1945年の表現も使い慣れた。

 

今年新しい元号になったが、私には今では西暦が一番慣れ親しんでいる。

おそらく今後、令和は使わないだろう。

とはいえ、

全国戦没者追悼式で代替わりした天皇ご夫妻が参列し、

お言葉を述べられたのは新鮮だった。

先の大戦を経験しなかった人たちに、

戦争を嫌い、平和を愛し、

平和のために尽くす人たちが勢いを増すことを願うばかりである。

 

台風10号も恐ろしい。被害がないように、素早く通り過ぎていくように祈ります。

 

 

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世相の風から 母の日に

世相の風から 母の日に

 

母の日は今やこの時期の商売の一大広告塔になっている。母の日の起源やスピリットなどどこへやら、とにかく「セール」である。そしてシンボルは「カーネーション」である。昨日、駅前のお花屋さんに近づいてみた。なんと大行列である。いままでも人だかりはあったが、こんなに多くの人がお店を取り巻いていたのには驚いた。今まで見た事もない人員整理のポールまで立っている。とてもおかしく楽しく愉快な気持ちで眺めた。

 

一人ひとりにインタビューしたらどんな答えが聞けるだろうか。遠方のお母さんに送るのなら、当日の夕方では間に合わないだろう。同居のお母さんさんにだろうか。近くに住むお母さんにだろうか。実母だろうか。ご主人のお母さんだろうか。若い女性が多かった。鉢を抱える人も、花束の人も、ほんの数本の人もいた。バレンタインの時の「義理チョコ」を思い出した。とにかく世間の風の手前、「義理カーネーション」でも送らねばという人もいたかもしれない。一人ひとりの理由と心情を知りたい思いになった。たくさんのドラマがあるだろう。贈り物は人の心を和らげるし、なだめる。愛と呼ばれる行為はしたほうがいい。

 

お母さん側からは「その気持ちだけでいい」との意見が多いそうだ。気持ちってなんだろう。目に見えない気持ちはどうやって伝わるのだろう。もちろん日ごろの関係でわかるだろうが、行為や物で伝えるのも一つの方法ではないか。受ける側は素直に感謝して受ければいい。電車の中で席を譲られるのと同じように。素直にシンプルに。贈るほうも「ありがとう」。受けるほうも「ありがとう」。そこに美があり、愛が見える。希望の風が吹く。

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世相の風から 時代の節目を迎えて

世相の風から 時代の節目を迎えて

 

天皇陛下が自らお仕事を退いて、

いわば自発的に退職されて、

後継者に譲るのは、

まことにご立派なことで、

地位が高い方ほどなかなかできないことだろう。

まして一存ではいかないことだけに、

よくご意志を貫徹されて今日の日を迎えられたと感動する。

30年間、よくぞ激務をこなされたと思う。

 

退位に伴って元号も変わるか、

私はずっと西暦で通してきたし

これからも西暦を使うつもりなので、大きな感慨はない。

先ほどある友人から、

「平成の30年間は個人的にはどんな時代でしたか」と質問され、

はたと考え込んだ。彼女は、

「私はガンになったことと、3・11が一番大きな出来事でした」と言われた。

彼女のように、自分の歴史を振り返る良い節目の時かもしれない。

しばらくそのことについて思いめぐらしてみようと思った。

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世相の風から 池江璃花子さんのきびしさ 

世相の風から 池江璃花子さんのきびしさ 

 

池江さんの発病を知って以来、気にしていました。私の住む地域に近いところにおうちがあるようで、あのスイミングクラブの場所はよく知っています。この地域の子どもたちが通っていますし、送迎バスをよく見かけます。そんなことから親近感を抱いていましたので、発病の報にはびっくりでした。こんなむごいことがあるだろうかと、胸が痛みました。

 

久々にコメント出ましたが「思ってたより、数十倍、数百倍、数千倍しんどいです。三日間以上ご飯も食べれてない日が続いてます。でも負けたくない」の声に、またまた切ない思いをしています。治療を受けた人なら、彼女の発言に大きくうなずくでしょう。ほんとに、思いをはるかに超えて、言葉ではとても表せない状況だと、推察します。小さな体験ですが、したことがありますから。

 

しんどいという語彙は東京の下町にはありませんが、実に言い得ていると思います。「数千倍しんどい」が最適な表現だと思います。しかし、あれだけの偉業を成した方ですから、メンタルは強いでしょうが、体と心は一体です、気持ちがくじけることがあるかもしれませんが「負けたくない」を最後までつらぬいてほしいと願います。

 

最初のころ、彼女が「神は耐えられないような試練には会わせない」と言われましたが、聖書のことばです。神のことばです。今もそのみことばを握りしめて戦い抜いてほしいと願っています。ちなみにみことばは「耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます」と続きます。「脱出の道」が備えらますように。

 

コリント第一・10章13節

『あなたがたの会った試練は,

みな人の知らないものではありません。

神は真実な方ですから、あなたがたを、

耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。

むしろ、耐えられるように、

試練とともに脱出の道も備えてくださいます』

 

 

 

 

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