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2018.04.27 Friday

世相の風から 北朝鮮と韓国、南北両首脳会談

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    つい先ごろまで、ミサイルを発射し続けて世界を脅かしていた北朝鮮、ならず者国家と言われて世界から恐れられ嫌われていたリーダーが、今日は何と韓国の首相と今まで見たこともないような笑顔で握手し手をつなぎ、ハグしあっている。この変わり方は何か。世界中がいろいろに批評しているが、私は映像を見ているだけの野次馬だが、ミサイルを打ち上げるより、笑顔で握手する方が見ていて心地よかった。この先の事は分からず、お芝居かもしれないが、仲良くしようとする姿は歓迎したい。一つの民族が一つになれる日を期待したい。

     


    2018.03.10 Saturday

    世相の風から 7年目の3・11とキリスト教会の働き

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      被災地の復興が思うように進んでいないと報道されている。被災された方々の計り知れない苦悩苦闘がなお続いていることを諸処で聞く。あの当時は日本中が何らかの形で立ち上がった。それが歳月とともに形を変えていっている。同じ形で継続している働きもあり、打ち切ったところもあると聞く。キリスト教界も教派を越えて力強く参加した。各教会もできるだけのことをした。支援物資を送ったり、ボランティア活動に参加した。

       

      友人たちの教会の係わり方がずっと聞こえてきている。我が教会の所属する教団はある地域に3年ほど前から一つの教会を建て上げた。専任の牧師が派遣されて物心両面から活動をしている。全国の教会はそれを支えている。また、仮設住宅の方々を対象にカフェを開いていたグループが、ついに仮設が閉鎖されることになり、近くの教会が引き続き活動を続けることになったと聞いた。最近の事である。活動は並大抵ではないが教会にとってはうれしいことである。信仰を持たれた方も誕生しているそうである。

       

      私の友人の教会では、被災地に建てた新しい教会が軌道に乗り、毎週の礼拝を始め、いわゆる教会の活動が順調に進んでおり、月に一回は親教会から大勢が出向い特別に集会を開いているそうである。友人は茶道の師であることから、お茶会を開いてふるまっている。昨日は30名の方が集って喜ばれたとメールがきた。

       

      音楽の出来る方々が毎月コンサートを開いていることも聞く。また、ある幼稚園に月二回園児や父兄のメンタルのカウンセリンを続けている知人もいる。被災地を、被災者を決して忘れてはいない。私などは物言う資格もないものだが、それでも祈りにおいて支援する。

       

       

       

       

       


      2018.02.03 Saturday

      世相の風から デパートもスーパーもコンビニも〜〜〜

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        世相の風から デパートもスーパーもコンビニも〜〜〜

         

         

         

        近年、日本の各地で、デパートもスーパーもコンビニもじわじわと閉店し消えているそうである。いわゆる百貨店が統合したり店じまいし、それでも売り上げが減少し続けているのは知っていた。思えば、私自身がいわゆる有名デパートへはおよそ行ったことがない。母とよく出かけたのはいつ頃だったのだろう。古き良き時代だったと括弧で括って思い出の袋にしまい込んでしまっている。それはそれでよい。

         

        ところが日用の必需品のため日々出かけるスーパーも閉店しているという。さらには今や全盛時代と思っているコンビニも場所によっては撤退しているそうな。いろいろな理由があるらしい。人口が減っていることや高齢化は何事にも共通するが、大きな理由はネットでの買い物の急激な普及だという。自宅のPCから、いや、自宅にいなくても歩きスマホでも買い物ができる。出勤時の電車の中で、軽く指先を滑らすだけで、帰途、指定したスポットで受け取ることさえできる。これではわざわざお店へ出かけていくことはない。

         

        しかし、しかしである。昔人間だからネット買い物はあまりしない。ほとんどしないと言えるだろう。やっと使うようになったのは「本」である。助かってはいる。思わず病みつきになりそうに心惹かれることもある。忙しい人たちが利用するのも無理はないと思う。

         

        しかし、しかしである。買い物に行ける限り、近くのスーパーを始め駅ビルの商業施設、そして東京駅や銀座などへも出かけて行ってじかに物を見て、比べて、確かめて買い物をしたいし、また人の中へ出ていきたい。バーチャルショッピングはむなしい気がする。

         

        近県に住む友人がいる。彼は月に一度は2時間ほどかけて上京し、神田の古本屋街で目的の古書を探し、獲物を手に入れるといそいそと銀座へ向かうそうだ。そして決まって古くからある洋食屋でお昼をいただく。さらに歩き続け、決まった喫茶室で一休みするという。彼のような昔人間は時代遅れだろうし、これからの時代には存在しないだろう。

         

        すべての事が自宅の機器操作ひとつで足りるようになったら、電車もバスも、車も要らなくくなるだろう。仕事も在宅で済むようになりつつあるから通勤ラッシュなんて消えるかもしれない。通りを走るのは配達の車がほとんど、町を行くのは配達の人たちばかり。しかし、病院へは行かねばならない。保育園や学校へは通わねばならない。しかし、高校、大学は自宅で授業が受けられるだろう。在宅医療も増えていくとか。家からどこにも行かなくてもいいのだ。そのうち人間の足は退化するだろう。お暇老人の愚にもつかぬ妄想でした。

         

         

        今日の聖書通読から

         

        第一サムエル・7章12節

        『そこでサムエルは一つの石をとり、

        それをミツパとシェンの間に置き、

        それにエベン・エゼルという名を付け、

        ここまで主が私たちを助けてくださったと言った。』

         

        ローズンゲン1/22より

        『神よ、慈しみはいかに貴いことか。

        あなたの翼の陰に人の子らは身を寄せます』

        詩篇36章82節

         

        『自分の確信を捨ててはいけません。

        この確信には大きな報いがあります』

        へブル・10章35節

         

         

         


        2017.11.22 Wednesday

        世相の風から 歩きスマホ

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          世相の風から 歩きスマホ

           

          みんな手にしているのはスマホである。よくもこんなに普及したものだと感心する。一時期は携帯電話を耳に当てながら歩いたり自転車に乗ったり、車を運転する人たちをよく見かけたが、今はもっぱらスマホに見入っている。歩きながらよく画面を見られるものかと驚いてしまう。目は一つの物を見ていたら他のものを見ることはできないと思う。ちらちらとは見られるが、集中は一つだと思う。だからうっかりするとぶつかってしまうのだ。

           

          最近、今まで経験したことのないような接触に出会う。駅のホームが多いがバッグやリュックが当たってくる。体当たりもある。足がぶつかる。こんなことはなかったことだ。みな片手にスマホを持ち、操作しているのだ。老人がふらふらよろよろしてぶつかるのではない。若い人なのだ。当たる力が違う。恐いことだ。老人は杖こそ使わない人でも自分ひとりを保つのに精いっぱいだ。そこにぶつかってこられたらよろけてしまう。しかし用心のしようがない。歩きスマホへの警告アナウンスがよく聞こえてくる。しかし聞こえているのかいないか、何しろ操作しながら画面に集中なのだから。歩きながらだけはやめていただきたい。

           

           


          2017.05.20 Saturday

          世相の風から イートインって?

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            世相の風から イートインって?

             

            最近、スーパーの一隅やコンビニ、お弁当屋さん、自家製パン屋さんなどで簡単に飲食できるスペースが設けられ、利用している人たちをよく見かける。なあるほど〜〜〜いいアイデアだなあと思う。商売する人たちはよく次々に新しいこと考えるものだと感心してしまう。

             

            若い人やお勤めの方が一人でスマホ片手に飲食されているのは当たり前の風景だと気にもしないが、近所の方であろうか、高齢の方々がコーヒーなどをいただきながら談笑しているのはなんともホッとする光景である。むかしの時代を思い出す。あのころ大人たちはイートインではないが路地のかたわらでよく話し込んでいた。下町風景かもしれないが。

             

            高齢の方々が、一軒家で一人暮らしをしたり、団地の一室に閉じこもっていると聞く。孤独死までには至らなくでも、さまざまな悲劇につながりかねない。もちろん地域にはその気になればケアーの準備は十分あるが、その気のない人は取り残されてしまう。そんな方々でも、買い物のついでにイートインで気軽に一息つき、一休みできる。お友達がいなくても周りに人がいる。人が見える。声が聞こえる。それだけでもどんなに力付けられることだろう。

             

            人とは、人と人の間に生きる、人間なのだ。神様は創造のはじめからともに生きるように配慮してくださった。夫でなくても、妻でなくても、子どもでなくても、24時間いっしょにいられなくてもいいではないか。努めて友を作ることが必要だと思う。そのためには多少の犠牲がいる。イートインに出かけるのもひとつの努力であろう。束の間であってもいいではないか。ひと時小さな交流ができたら、それこそ血液循環がよくなるであろう。

             

             


            2017.03.17 Friday

            世相の風から 宅急便一考

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              世相の風から 宅急便一考

               

              昨今我が家もついに宅配便の玄関チャイムが頻繁に鳴るようになった。私自身は何事も時代遅れだから、ネットで品物を買うことなどおよそ興味がなかった。だいたいが通販にはあまり信用を置かなかった。靴下一足、大根一本だって自分の眼で見て確かめて頷かないと買えなかった。ところが、おやっと思ったことがあった。「本」が買えることだった。家の若い者たちにたびたび箱が届く。本が届く。私もほしいと思っていた本がすいすいと届く。マネをしたくなった。

               

              手取り足取りして教えてもらううちに自力でできるようになり、それが届くとうれしくなった。かつて郵便屋さんが手紙を配達してくれるのを待つのに似た気分なのだ。今ごろは手紙はほとんどメールに変わって、手紙の代わりに物が配達されるようになった。大きいものから文庫本一冊まで、またたく間に運んでくださる。はじめのうちは恐縮するほどありがたかったが、だんだん慣れてくる。頼めばすぐ届くのが当たり前になってくる。恐ろしいほどだ。

               

              世間が騒ぐようになって第一に思うことはやはり配達してくださる方のことだ。仕事なのだから当然のことと言えばそれまでだが、人手不足だそうで負担は大きいようだ。通りを見れば車で移動する人ばかりではない、リヤカーで運んでいることもある。かつては飛脚がいた。あの人たちは手紙だけでなく物も届けたそうだ。

               

              宅配であるが、こうした高齢化社会、ネット社会が進むと、どうしても利用してしまう。たぶん私に限っても徐々に増えることは間違いない。お世話になるという思いである。ほんとにありがたいと思っている。配達の方には愛想よくしお礼を言うのはもちろんだが、おおもとの会社が知恵を出しあってよりよい方法を考えていただきたい。

               


              2017.03.13 Monday

              世相の風から 3・11から6年・原発いじめ

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                 世相の風から 3・11から6年・原発いじめ

                 

                あの日の恐怖を今さながらに思い出す。遠く離れた東京にいても、私の70年を超える人生の中でもあれほどの底知れない不気味さに震えたことはない。さらに原発事故が重なり、思えば一か月、二か月は、日常の半分以上は宙をさまよっていた。いまなお苦悩の中におられる方々の思いはいかばかりであろう。

                 

                最近いやなニュースが大きく聞こえてくる。原発いじめである。これにはほんとにびっくりした。被災された方々に支援できない心苦しさはいつもある。思いの中にすぎないが同情心だけはあふれているつもりだ。日本中の人たちが同じ思いだと疑わない。それなのにである。いじめるとは何事であろう。それも大した理由がないのにいじめると聞く。まして、賠償金をうらやましがって、せびる人たちまでいるという。それも子どもたちが、である。どうして日本人の品性がここまでみじめになり下がってしまったのか。いつからそんなにさもしくなったのだろうか。寒々とした思いになる。犠牲になった命、失った財産、故郷は戻らない。せめてその何百万分の一、いや海辺の砂粒の一つでも、補えるように「まことの愛」を、物心両面から贈りたい。

                 

                 


                2017.02.15 Wednesday

                世相の風から キレる高齢者と失語高齢者

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                  世相の風から キレる高齢者と失語高齢者

                   

                   

                  自分が高齢者であるのはわかりきっているのだが、運転ミスをはじめ高齢者の不祥事を知ると、いつのまにか自分を部外者にして、困ったことだと批判心が活発になる。それを踏まえつつであるが、こんな記事がに目に留まった。「キレる高齢者・増える暴言、暴力トラブル」。

                   

                  かつては老人のイメージは、年をとると性質はま〜るく穏やかになって、物分かりがよくなって、若い人たちのかたわらで物静かに微笑みをたたえている。さまざまな欲得からも解放され、高潔な人格の人になっていくと、こうではなかったろうか。私は単純にそう思っていた。

                   

                  ところが、それは絵空事ではないかと思うようなことをよく見かける。ま反対なのだ。柔軟性がなくなり、自己主張が強くなり、つまり頑固になり、自制のタガが外れたように非常識なことをズバズバいうようになり、自分は決して悪くない、いつも正しいのである。私自身も他の人に言わせれば当てはまるのかもしれないが、戸惑うようなことに出くわすのだ。

                   

                  それはさておき、記事では、今までと人が変わったように突然、人の中であろうとお構いなしに怒鳴ったり、果ては暴力までふるう人が増えているという。これはいったいどういうことだろうか。理由に、脳内の神経細胞が減少し徐々に萎縮して、その脳の変化が行動にも表れていく、すなわち脳には感情、理性、意欲、思考を司る前頭葉の部位が萎縮して機能が低下し、その結果感情を制御できなくなったり、判断力が衰えたりすることで、性格の変化が起こるとあった。つまりは老化現象ということであろうか。老化を避けられる人はいない。とすると、高齢者になるとみなキレる人になってしまうのだろうか。もちろんそんなことはない。老いてほんとうの賢者になる人だってたくさんおられる。

                   

                  「キレる高齢者」と反対に「失語高齢者」を私はよく見かける。この言葉はどこにもない。

                  私が今思いついた造語である。説明すると、お元気な方であっても、お話ししていてもどうも言っていることが要領を得ない。半分意味不明。言葉が足りず、また、言葉が出てこないのだ。言葉を忘れてしまったような症状である。「失語」なのだ。何かの病気の後遺症ではないのに。これはどういう原因によるのだろうと思っている。

                   

                  思い当たることは、耳が遠くなって人の話が聞きにくい、あるいは聞こえない。独居の方は話し相手がないからしゃべることが極端に少ない。家族がいても、耳が遠いとついつい話しかけるのが面倒になり、会話が少なくなるのでしゃべらない。そのうちに言葉を失っていくのではないか。また、思いはあるが、それを口に乗せるまでに時間がかかる。それが自分でも億劫になり、つい、頷くくらいで済ましてしまう。また、家族は忙しいから、お年寄りの相手をしているどころではない。老人が口を開く前に、二言も三言も先取りして言ってしまう。かくして老人の物言う場がなくなっていく。ついに「失語」状態になる。私はそんなふうに推測してみた。

                   

                  突然人が変わったようにキレる高齢者も反対に物言わなくなる人も、日ごろのストレスの結果だそうだ。親身になって話を聞いてくれる人、しゃべる機会を与えてくれる人がいたら、そうした悲しい現象も緩和されるのでないだろうか。

                   

                  記事には、解決策として「受容、傾聴、共感」が大切だと結んでいた。「受容、傾聴、共感」とは知識としてはだれでも知っているし、そういう心構えで人と接していると自負する方は多い。しかし、実際は難しい。上から目線でそんなふりをしても、高齢者は人生を歩いてきた人たちである、確たる「人格」、「個」があるから、返って怒りや悲しみが増すばかりであろう。

                   

                  私はこの一文を閉じるにあたって、何を「結語」としようかと思う。見聞きしている高齢者のこうした悲しい事態を深く心にとどめ、思いめぐらすしかない。

                   

                  『それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、

                  あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。

                  互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、

                  互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、

                  あなたがたもそうしなさい。

                  そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。

                  愛は結びの帯として完全なものです』 

                  コロサイ312〜13

                   


                  2017.01.21 Saturday

                  世相の風から トランプ氏第45代アメリカ大統領に就任

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                    世相の風から トランプ氏第45代アメリカ大統領に就任

                     

                    このブログはいつか再読する日もあろうと思い、

                    この激震的出来事を記しておきたいと思う。

                    後の日のために記録しておきたいのである。

                    この日以来この人によって世界がどのように変わっていくのか、

                    この人にどれほどの影響力があるのか、

                    良きにつけ悪しきにつけ話題に事欠かないだろうから、

                    できるだけ目を離さずにいようと思う。

                    世界がこれ以上悪い状態にならないように

                    切なる祈りをささげながら見つめていきたい。


                    2016.10.03 Monday

                    世相の風から 小池劇場に気を取られて

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                      世相の風から 小池劇場に気を取られて

                       

                      都知事選のころから都政にいや応なしに目が向くようになった。政治には音痴と、ずっとそっぽを向き、政治の風に吹かれることもないだろうと思っていたが、昨今は今までとは違う風圧を感ずる。ひとえに「小池劇場」のせいだろう。これは私に限ったことではないだろう。私のごく小さな周辺でも、すぐに話が出て、花が咲く。「劇場」と言っても単なる観劇ではない。自分たちの生活に直結する問題が展開されていくのだから、他人ごとではないのだ。

                       

                      築地市場には30分もあれば行ける。時に出かけることもある。移転すると知って以来、あまりいい感じはしなかった。郷愁があるからだろう。東京の歴史が消えてしまうようで、無意識の内にも一抹のさびしさがあるからだろう。しかし、移り変わりは世の習い、良くなってくれればそれでよしとしなければと納得したことであった。

                       

                      ところが思わぬ問題が噴出して、びっくり仰天である。報道の一つ一つに釘つけになった。まだまだ先は見えないが、あまりのひどさにあきれ果て、心の隅には、政治の世界ってこんなことなんだと、怒りもそこそこに早くも白け気分になった。野次馬にすぎないから無責任を決め込んでいられるが、渦中にいる新都知事さんはさぞ大変だろうと思う。政治家に同情するなんていままでなかったことだが、今度ばかりはハラハラするくらい気持ちが接近している。一歩も体を動かすわけではないのに、見聞きする、それだけでかなり疲れてしまう。

                       

                      小池さんはもちろん超人、巨人であろうが、生身の人間であり、しかも女性である。女性は弱いなんて私自身少しも思っていないし、現に女性の方が生命力はあることは確かだが、男社会にトップとして立つのは容易ではないとは推察する。女性が上に立つのには男の4倍働かねばならないとは以前から聞いているが確かだろう。4倍も5倍も活躍して、いや応なしに表沙汰ざたになってしまったたくさんの闇の部分がはっきりと解決されることを願っている。都民は、国民は、みなそう願っていると思う。

                       

                       


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