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2018.09.15 Saturday

世相の風から スターは一夜にして誕生!

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    台風や大地震の被害状況を知って、心を痛め、うろうろしていたところ、突然に、「大坂なおみ」さんが日本だけでなく、世界中の絶賛を浴びて大スターになった。申し訳ないけれどグランドスラムで優勝されるまではあまり存じ上げなかった。そんなわけで私にはびっくり仰天の出来事であった。しかし、文句なくうれしい!これを快挙と言わずに他に何があるのか。おりしも日本中が痛みに苦しみ悲しみに沈んでいた真っ最中だった。しかもなおみさんの母上は北海道の方だ。現に祖父の方は住んでおられる。かの地は未曽有の災害のただ中にあるが、この朗報は言いしれない力と希望になったことだろう。

     

    それにしても、今や、マスコミのどこを見ても「大坂なおみ」一色である。彼女のせいではないが、世相の風とはこうも時の話題に大揺れに揺れるのかと、多少斜めに構えたい思いも沸く。なおみさんにはますます大いに活躍していただきたいが、日本列島どこにもおられる被災者の涙の拭われる日が一日も早く来ますようとの祈りも忘れてはならない。そのように自分自身を戒めている。

     


    2018.07.10 Tuesday

    世相の風から 梅雨前線による大雨被害

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      あまりにも広範囲で,

      あまりにも大きな被害ではありませんか。

      自然界は、日本の国は、

      どうなってしまったのでしょう。

      よその国でも起こっているのでしょうか。

      自分の小さな身辺の、

      小さな記事を書こうと思っているのですが、

      とてもできません。

      心も目も、報道から離れられません。

      被災された方々が

      一日も早く穏やかな日常生活に戻れますように、

      しばらく沈黙して祈り続けたいと思います。


      2018.06.19 Tuesday

      日々の風から またも大地震

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        大阪北部地震に見舞われて直接に被害を受けた方々、

        恐ろしい思いをした方々、

        日常生活が非日常になって、

        不便や苦痛を強いられている多くの方々に、

        小さな心からですが、お見舞い申し上げます。

         

         

        先週一週間は世紀の政治ショーと呼ばれる日朝首脳会談について、外野のお偉方が声高くもっともらしく賛否両論の花火を打ち上げ、マスコミ界を賑やかにしていた。ところで、主役を演じたお二人は今、どんな顔をし、どんな思いをしているのだろうか。暇な私はあれこれひそかに想像の小羽をパタパタさせている。

         

         

        今日の聖書通読箇所

        第二コリント13章13節

        主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、

        あなたがたすべてとともにありますように。

         

        ローズンゲン6月19日 新約聖書の箇所から

        第一ペテロ・1章18〜19節

        あなたがたが先祖伝来のむなしい生活から贖われたのは、

        金や銀のような朽ちはてるものにはよらず、

        キリストの貴い血によるのです。

         


        2018.06.13 Wednesday

        世相の風から 米朝会談 二人の怪(快)物たちの出会い

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          世相の風から 米朝会談 二人の怪(快)物たちの出会い

           

          昨日はほとんど一日中テレビ漬けであった。これだけは見逃せないではないか。世界中が注目し、観た人たちは、政治のプロもアマも、強い感想があったに違いない。プロたちの大きな声ばかりが聞こえてくるが、叫ばなくても口に出さなくても、考えさせられたことはたくさんあるだろう。私ごときでも、家人や友人と語り合ったのだから。

           

          政治音痴の私の感想を一言でまとめれば、顔と顔とを合わせて、互いにしゃべり、しかも会食したことは文句なしによかったと思う。それだけである。大きな問題がすぐに解決するわけがないではないか。居ながらにして自分の国にとっての利益ばかり求めるのはおかしいではないか。

           

          34歳?の青年と72歳の初老年の対面は父親と息子のように思えて、世紀の出来事という大仰な触れ込みを消して、何かしらほほえましいユーモアさえ感じた。つい先ごろまで、互いに罵倒し合い、恐ろしい武器さえちらつかせていた二国、二人が、おなかの中はともかくも、手を差し出して、握手したのだ。何度も何度も手を握り合ったのだ。お芝居であってもいい、それができたことはよかったと、超単純人間は思ったことである。もちろん、二人を舞台に乗せるまでに陰で労したいくつかの国、大勢の人々の力も大きかったと思う。いくつかの会場に添えられた白と緑の盛花がいかにも涼しげで心和んだ。

           

          『平和を作る者は幸いである』マタイ5・9

           

           

           


          2018.04.27 Friday

          世相の風から 北朝鮮と韓国、南北両首脳会談

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            つい先ごろまで、ミサイルを発射し続けて世界を脅かしていた北朝鮮、ならず者国家と言われて世界から恐れられ嫌われていたリーダーが、今日は何と韓国の首相と今まで見たこともないような笑顔で握手し手をつなぎ、ハグしあっている。この変わり方は何か。世界中がいろいろに批評しているが、私は映像を見ているだけの野次馬だが、ミサイルを打ち上げるより、笑顔で握手する方が見ていて心地よかった。この先の事は分からず、お芝居かもしれないが、仲良くしようとする姿は歓迎したい。一つの民族が一つになれる日を期待したい。

             


            2018.03.10 Saturday

            世相の風から 7年目の3・11とキリスト教会の働き

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              被災地の復興が思うように進んでいないと報道されている。被災された方々の計り知れない苦悩苦闘がなお続いていることを諸処で聞く。あの当時は日本中が何らかの形で立ち上がった。それが歳月とともに形を変えていっている。同じ形で継続している働きもあり、打ち切ったところもあると聞く。キリスト教界も教派を越えて力強く参加した。各教会もできるだけのことをした。支援物資を送ったり、ボランティア活動に参加した。

               

              友人たちの教会の係わり方がずっと聞こえてきている。我が教会の所属する教団はある地域に3年ほど前から一つの教会を建て上げた。専任の牧師が派遣されて物心両面から活動をしている。全国の教会はそれを支えている。また、仮設住宅の方々を対象にカフェを開いていたグループが、ついに仮設が閉鎖されることになり、近くの教会が引き続き活動を続けることになったと聞いた。最近の事である。活動は並大抵ではないが教会にとってはうれしいことである。信仰を持たれた方も誕生しているそうである。

               

              私の友人の教会では、被災地に建てた新しい教会が軌道に乗り、毎週の礼拝を始め、いわゆる教会の活動が順調に進んでおり、月に一回は親教会から大勢が出向い特別に集会を開いているそうである。友人は茶道の師であることから、お茶会を開いてふるまっている。昨日は30名の方が集って喜ばれたとメールがきた。

               

              音楽の出来る方々が毎月コンサートを開いていることも聞く。また、ある幼稚園に月二回園児や父兄のメンタルのカウンセリンを続けている知人もいる。被災地を、被災者を決して忘れてはいない。私などは物言う資格もないものだが、それでも祈りにおいて支援する。

               

               

               

               

               


              2018.02.03 Saturday

              世相の風から デパートもスーパーもコンビニも〜〜〜

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                世相の風から デパートもスーパーもコンビニも〜〜〜

                 

                 

                 

                近年、日本の各地で、デパートもスーパーもコンビニもじわじわと閉店し消えているそうである。いわゆる百貨店が統合したり店じまいし、それでも売り上げが減少し続けているのは知っていた。思えば、私自身がいわゆる有名デパートへはおよそ行ったことがない。母とよく出かけたのはいつ頃だったのだろう。古き良き時代だったと括弧で括って思い出の袋にしまい込んでしまっている。それはそれでよい。

                 

                ところが日用の必需品のため日々出かけるスーパーも閉店しているという。さらには今や全盛時代と思っているコンビニも場所によっては撤退しているそうな。いろいろな理由があるらしい。人口が減っていることや高齢化は何事にも共通するが、大きな理由はネットでの買い物の急激な普及だという。自宅のPCから、いや、自宅にいなくても歩きスマホでも買い物ができる。出勤時の電車の中で、軽く指先を滑らすだけで、帰途、指定したスポットで受け取ることさえできる。これではわざわざお店へ出かけていくことはない。

                 

                しかし、しかしである。昔人間だからネット買い物はあまりしない。ほとんどしないと言えるだろう。やっと使うようになったのは「本」である。助かってはいる。思わず病みつきになりそうに心惹かれることもある。忙しい人たちが利用するのも無理はないと思う。

                 

                しかし、しかしである。買い物に行ける限り、近くのスーパーを始め駅ビルの商業施設、そして東京駅や銀座などへも出かけて行ってじかに物を見て、比べて、確かめて買い物をしたいし、また人の中へ出ていきたい。バーチャルショッピングはむなしい気がする。

                 

                近県に住む友人がいる。彼は月に一度は2時間ほどかけて上京し、神田の古本屋街で目的の古書を探し、獲物を手に入れるといそいそと銀座へ向かうそうだ。そして決まって古くからある洋食屋でお昼をいただく。さらに歩き続け、決まった喫茶室で一休みするという。彼のような昔人間は時代遅れだろうし、これからの時代には存在しないだろう。

                 

                すべての事が自宅の機器操作ひとつで足りるようになったら、電車もバスも、車も要らなくくなるだろう。仕事も在宅で済むようになりつつあるから通勤ラッシュなんて消えるかもしれない。通りを走るのは配達の車がほとんど、町を行くのは配達の人たちばかり。しかし、病院へは行かねばならない。保育園や学校へは通わねばならない。しかし、高校、大学は自宅で授業が受けられるだろう。在宅医療も増えていくとか。家からどこにも行かなくてもいいのだ。そのうち人間の足は退化するだろう。お暇老人の愚にもつかぬ妄想でした。

                 

                 

                今日の聖書通読から

                 

                第一サムエル・7章12節

                『そこでサムエルは一つの石をとり、

                それをミツパとシェンの間に置き、

                それにエベン・エゼルという名を付け、

                ここまで主が私たちを助けてくださったと言った。』

                 

                ローズンゲン1/22より

                『神よ、慈しみはいかに貴いことか。

                あなたの翼の陰に人の子らは身を寄せます』

                詩篇36章82節

                 

                『自分の確信を捨ててはいけません。

                この確信には大きな報いがあります』

                へブル・10章35節

                 

                 

                 


                2017.11.22 Wednesday

                世相の風から 歩きスマホ

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                  世相の風から 歩きスマホ

                   

                  みんな手にしているのはスマホである。よくもこんなに普及したものだと感心する。一時期は携帯電話を耳に当てながら歩いたり自転車に乗ったり、車を運転する人たちをよく見かけたが、今はもっぱらスマホに見入っている。歩きながらよく画面を見られるものかと驚いてしまう。目は一つの物を見ていたら他のものを見ることはできないと思う。ちらちらとは見られるが、集中は一つだと思う。だからうっかりするとぶつかってしまうのだ。

                   

                  最近、今まで経験したことのないような接触に出会う。駅のホームが多いがバッグやリュックが当たってくる。体当たりもある。足がぶつかる。こんなことはなかったことだ。みな片手にスマホを持ち、操作しているのだ。老人がふらふらよろよろしてぶつかるのではない。若い人なのだ。当たる力が違う。恐いことだ。老人は杖こそ使わない人でも自分ひとりを保つのに精いっぱいだ。そこにぶつかってこられたらよろけてしまう。しかし用心のしようがない。歩きスマホへの警告アナウンスがよく聞こえてくる。しかし聞こえているのかいないか、何しろ操作しながら画面に集中なのだから。歩きながらだけはやめていただきたい。

                   

                   


                  2017.05.20 Saturday

                  世相の風から イートインって?

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                    世相の風から イートインって?

                     

                    最近、スーパーの一隅やコンビニ、お弁当屋さん、自家製パン屋さんなどで簡単に飲食できるスペースが設けられ、利用している人たちをよく見かける。なあるほど〜〜〜いいアイデアだなあと思う。商売する人たちはよく次々に新しいこと考えるものだと感心してしまう。

                     

                    若い人やお勤めの方が一人でスマホ片手に飲食されているのは当たり前の風景だと気にもしないが、近所の方であろうか、高齢の方々がコーヒーなどをいただきながら談笑しているのはなんともホッとする光景である。むかしの時代を思い出す。あのころ大人たちはイートインではないが路地のかたわらでよく話し込んでいた。下町風景かもしれないが。

                     

                    高齢の方々が、一軒家で一人暮らしをしたり、団地の一室に閉じこもっていると聞く。孤独死までには至らなくでも、さまざまな悲劇につながりかねない。もちろん地域にはその気になればケアーの準備は十分あるが、その気のない人は取り残されてしまう。そんな方々でも、買い物のついでにイートインで気軽に一息つき、一休みできる。お友達がいなくても周りに人がいる。人が見える。声が聞こえる。それだけでもどんなに力付けられることだろう。

                     

                    人とは、人と人の間に生きる、人間なのだ。神様は創造のはじめからともに生きるように配慮してくださった。夫でなくても、妻でなくても、子どもでなくても、24時間いっしょにいられなくてもいいではないか。努めて友を作ることが必要だと思う。そのためには多少の犠牲がいる。イートインに出かけるのもひとつの努力であろう。束の間であってもいいではないか。ひと時小さな交流ができたら、それこそ血液循環がよくなるであろう。

                     

                     


                    2017.03.17 Friday

                    世相の風から 宅急便一考

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                      世相の風から 宅急便一考

                       

                      昨今我が家もついに宅配便の玄関チャイムが頻繁に鳴るようになった。私自身は何事も時代遅れだから、ネットで品物を買うことなどおよそ興味がなかった。だいたいが通販にはあまり信用を置かなかった。靴下一足、大根一本だって自分の眼で見て確かめて頷かないと買えなかった。ところが、おやっと思ったことがあった。「本」が買えることだった。家の若い者たちにたびたび箱が届く。本が届く。私もほしいと思っていた本がすいすいと届く。マネをしたくなった。

                       

                      手取り足取りして教えてもらううちに自力でできるようになり、それが届くとうれしくなった。かつて郵便屋さんが手紙を配達してくれるのを待つのに似た気分なのだ。今ごろは手紙はほとんどメールに変わって、手紙の代わりに物が配達されるようになった。大きいものから文庫本一冊まで、またたく間に運んでくださる。はじめのうちは恐縮するほどありがたかったが、だんだん慣れてくる。頼めばすぐ届くのが当たり前になってくる。恐ろしいほどだ。

                       

                      世間が騒ぐようになって第一に思うことはやはり配達してくださる方のことだ。仕事なのだから当然のことと言えばそれまでだが、人手不足だそうで負担は大きいようだ。通りを見れば車で移動する人ばかりではない、リヤカーで運んでいることもある。かつては飛脚がいた。あの人たちは手紙だけでなく物も届けたそうだ。

                       

                      宅配であるが、こうした高齢化社会、ネット社会が進むと、どうしても利用してしまう。たぶん私に限っても徐々に増えることは間違いない。お世話になるという思いである。ほんとにありがたいと思っている。配達の方には愛想よくしお礼を言うのはもちろんだが、おおもとの会社が知恵を出しあってよりよい方法を考えていただきたい。

                       


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