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2018.07.18 Wednesday

日々の風から 安否を問われて

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    (写真は、梅雨明け前の一日、3・11で

    大きな被害に遭った地域を訪問した時のもの)

     

     

    長年、こちらから便りをしてもめったに応答のない友から、電話が掛かってきた。なんと、お元気ですかという安否確認のたぐいだった。友が言うには、そこへ行けばたいてい私がいるある学び会に行ったら、姿がないのでどうかしましたかとのことであった。翌日、もう一人の友からも電話があった。彼らはいまだに家の電話族なのだ。話の内容は同じようなものであった。自分が安否を問われてしまったと、味わったことのない立場に立たされて、ほんのしばらくの間、なんとも居心地の悪い奇妙な気分になった。

     

    近年私は意識的に外出の場を減らしている。自分の年齢、体力などをよく見極めて、優先順位を明確にするようにしている。もちろん彼らにはそんなことまで言えない。心配してくださる友情をうれしく思い、感謝するばかりである。思えば友とはありがたいものだ。電話口で時の経つのも忘れて、ともに学んだ日々のこと、旅したこと、懐かしい恩師たちに話が広がっていった。同じ思い出を共有しているのはなんと貴重で豊かなことだろうか、御国へ帰ったら、日がな一日あの友、この友と語り続けるのだろうか。たぶん、永遠にできるだろう。そんなことにまで想像が深まって、至福のひとときになった。失礼を詫びながら、急いで暑中お見舞いのカードを送った。

     

     


    2018.06.29 Friday

    日々の風から もう梅雨明けとは!!

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      朝からの暑さに辟易して、まだ梅雨のさなかなのにこれはいったいどうしたのって、ひとりぼやいていましたら、突然のように、関東地方は梅雨が明けたと、その筋からの公言があったと知って、「えっ、どうしたの、それってなに?」と飛び上がる思いです。

       

      おかげで?なんだかシャキッとして目が覚めてしまいました。急いでエアコンをオンして様子を見たり、冷蔵庫の製氷皿を洗って氷を作る支度をしたり(私の冷蔵庫は古い、古いタイプ)、真夏のスカートに着替えたり、今夜からの夜具寝具を整えたりして夏準備に大忙しです。武装して襲い来る敵を迎える戦士のような心持ちです。負けてはいられませんから。


      2018.06.06 Wednesday

      日々の風から 雨 ざあざあ 降ってきて

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         とうとう梅雨に入った。来るべくして来たのだから何も言えない。当然の事として迎えなければならない。しかもよく考えれば大事なお客様である。しかし大事なお客でも待ちに待った歓迎すべきお客様とは言い難い。ごたごたと歯切れの悪い物言いになったが、さあ、この梅雨のひと月あまり、用心して過ごしたいと思う。この時期は私にとって一番体調に悪いからだ。だれしもそうであろうけれど。また、大きな自然災害がないようにと願う。

         

        今年の梅雨はきっぱりと入ってきた。雨脚も勇ましく音を立てて入ってきた。まさしく、ざあざあ降りだった。JR駅ビルのスーパーに行くのをやめて、近所で済ませた。途中、公園の中を横切った。きっとふだんとは違う表情をしているに違いない、梅雨入りの特別な顔が見られるかと期待して寄ってみた。樹々の枝々が雨水を含んで生き生きとしていた。人っ子ひとりいなかった。雨脚がいつもの騒音をかき消して森閑としていた。通ってよかったと思った。帰りも通ったが、だれもいなかった。気をゆるしたのか一羽のスズメが私の気配にも動じず、ゆっくりと大樹の後ろに入って行った。

         

        樹も草も しづかにて  梅雨はじまりぬ 日野 草城

         

         

         


        2018.06.02 Saturday

        日々の風から 去る月、来る月 

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          季節の一般的なイメージでは、一年で一番過ごしやすいのが5月ではないだろうか。特に風がいい。薫風と呼ばれて人気がある。陽光もいい、さつき晴れと聞くと心まで爽快になる。

           

          その5月も去った。追いかけるように入り込んできたのは6月さん。お気の毒だがちょっと敬遠したくなる。6月のせいではなく、梅雨だから。梅雨ももちろん欠かせない大事な自然現象であり、避けては通れない。しかし雨の過多は直接私たちの生活に多大な影響を及ぼす。大雨も困るが、水不足はもっと困る。その6月に入った。どんな一か月になるのだろう。このひと月のためにご支配者である神様に祝福をいただけるように祈りを捧げねばならない。

           

          自然の事だけではない。世界情勢のためにも思いを込めて祈らねばならない。米朝のトップたちが顔を合わせるかどうかが目下最大の話題だ。一度会ったからといってすべてが解決するわけではないことはだれもがわかっているが、会うことはいいのではないか。人と人は顔と顔を合わせることが大事だと思う。世界のトップだけでなく、私たちも親族や友人たちと疎遠すぎるのはよくない。この6月、ご無沙汰している方々と会える月にしたい。

           

          思いのままに書いていると、筆がぶれて方向を見失う。しかし、思いのままに書くのも一興ではないかなどと、書きながら我流に道を与えてしまう。老々の思考は迷走する。

           

          次回はシャキッとした記事になるように励みます。

           

           

           

           


          2018.05.21 Monday

          日々の風から 五月晴れと呼べる日はわずか

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            今日のお天気は理想的な五月晴れではないだろうか。日差しは強くまともに浴びるのは怖い。帽子か、それより日傘がいい。しかし吹く風は正に薫風、緑の下では緑風と呼びたい。速足で長く歩けば汗ばむが不快なほどではない。空は真っ青である。湿度はどれほどであろうか。からりとしている。遠出はできなかったが、家の周辺を3度も廻った。もったいなくて日暮れ前にもう一度近くの公園を巡った。こんな日はめったにない。それに、5月も下旬に入った。五月晴れと名づけられる日は幾日あるだろうか。この日を喜び感謝せずにはいられない。

             

             

             

            昨日は教会ではペンテコステ礼拝が行われた。「ペンテコステ」とはギリシャ語で50と言う意味である。主の復活の日から50日目、12弟子、女性たちを始め120人ほどのイエス様の弟子たちが祈っていた。そこへ突然に激しい風が吹き響き渡って聖霊が下った。聖霊は三位一体の一位格の神様で、いわばイエス様であり父なる神様でもある。

             

            礼拝の説教は、聖霊が下ったすぐ後に、ペテロの説教によって3000人もの人が救われた大きなみわざを記す聖書記事から、現在の教会がこのペンテコステの祝福のみわざを得るための備えについて語られた。第一は、心を一つにして祈ること。第二は聖書を重んずること、第三は神に従順にしたがう献身が必要であること。

             

            三つの教えはいわば信仰生活、クリスチャンの基本である。だれでも祈っている、聖書を読んでいる、神に従う思いは強く抱いている。しかし、どこかで不徹底であり、自己流が混じっている。一人では祈るが、親子、夫婦、特に教会で大勢が一致して祈ることは足りないかもしれない。祈祷会が振るわない。聖書は片時も離さない、しかしみことばを100%信じているかと問われれば、理屈や言い訳が入る。神に従い神に捧げることもしているが、全き献身ではない。自分のご都合が入る。ああ、こんな基本ができていないのだ。伝道しにくい世の中になったのではないのだ。私一人の態度がいい加減なのだ。これではペンテコステの礼拝に集っても形式にすぎない。この日の説教で、深いところを探られ抉られた思いである。

             

             


            2018.05.02 Wednesday

            日々の風から さすがGW

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               じっと考えるに、関東あたりのことだが、5月、GWに入るころようやく心地よい気候になるのだ。毎年の事ながら、なかなかそれが待てない。今日は寒い、今日は暑すぎるなどと一日一日、その日の気温や雲行きに神経を尖らせる。しかし、ここにきて、ああ、今が一年で一番うるわしい季節なのだと顔をほころばせている。

               

              第一に、暖房も冷房もいらない。戸を開けると室温よりちょっとひんやりした風が入ってくる。カーテンの裾がそっと揺れているのでそれがわかる。おもわずにやりとしてしまう。

              水道水も気持ちがよい。お湯にしたり手袋を使うこともない。素手に触れる水がいとしくなるほどだ。体がシャンとしてくる。掃除がしたくなる。ウエットシートのモップ掛けなどまどろっこしい。水拭きがいい。這いずり回って床を拭く。体が動くから不思議である。

               

              朝一番で知人から野菜一箱が届いた。ゆでたてのタケノコがびっしり入っている。すぐに食べられる。新玉ねぎ、葉っぱ食べられますとのメモがあって、セロリが丸ごと。柔らかいパセリなどなど。家庭菜園どころか市場に出荷できるほどの年季がしのばれる。五月の薫風と新鮮なお野菜で、冬の間に体中にこびりついた不要物を追い出したい。

               


              2018.04.20 Friday

              日々の風から 招かざる客長逗留・春の長患い

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                かれこれ1か月も前だが、昼夜を問わす胃とお腹がキリキリと痛み出した。近所のかかりつけ医のていねいな診察によれば「胃腸炎」とのこと。確かに胃と腸に異常があるのだと納得した。何種類かの薬が出された。そのうちに首から喉が痛み出し咳もひどい。また医院に飛び込んだ。普通の風邪でしょうと、またまた薬が出た。

                 

                食べ物の制限もあり、それ以前に食欲がない。薬が三度の食事のような時もあり、口が苦くてますます食欲が出ない。大した熱も出ず、寝込むようなことはなかったが、不要不急の外出は控えて、ひたすら蟄居の日々が続いた。家に居るのだから思う存分書き物や読書に集中できていいはずなのに、なんと、その元気ない。PCの前でぼーっとし、時にサーフィンして無為な時が過ぎて行った。

                 

                出された漢方薬が合わない。いままで漢方には漠然と安心感を持っていたのでびっくりし、また来ましたと恐る恐る医者の前に座った。医師は別の漢方を処方された。こんどこそと、意気込んで服用した。前回と似た症状が出たが、慣れるだろうと数回我慢して使った。しかしついに放り投げた。ついでに数日間、一切の薬断ちをした。

                 

                回復期にも入っていたのだと思うが、口の苦さが消え、食べ物がおいしくなった。この1か月、ろくなものを食べないできた。好きなコーヒーもチョコレートも和菓子も見向きも出来なかった。前代未聞の体重にショックを受けたが、今はガツガツと食べ始めていて、我ながらおかしい。

                 

                神さまが私に託されている命はいつまでなのか、知るよすがもないし、知る必要もない。しかし、元気になると、いただいた命をいかに使うか、つまり「使命」への熱い思いが戻ってくる。いのちの主のお導きに従って、今日一日を精一杯生きたい。

                 

                 

                 

                 

                 

                 


                2018.04.11 Wednesday

                日々の風から 日々の風は待ったなし

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                  数日、所用で留守しました。

                  帰宅して、いざPCの前に座ったら、

                  ネットワーク不具合!

                  あたふたし、

                  結局、すっかり間が空いてしましました。

                  お詫びして、明日に繋げたいと思います。

                   

                   

                  ローズンゲン 4/11

                   

                  主よ、誰があなたのような威力を持つでしょう。

                  主よ、あなたの真実は、

                  あなたを取り囲んでいます。

                  詩・89/9

                   

                   


                  2018.04.03 Tuesday

                  日々の風から 4月1日イースターは62年ぶり!

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                    4月1日がイースターとは、とても新鮮に思える。はっきりしていてさわやかである。しかし、過去、年度の始まりのこの日がイースターだった日はいつだったろうか、いままであまり意識しないでいたが、ふと、考え込んでしまった。記憶にもない。そこで、天下の宝刀をつかって調べてみると、なんと前回は1956年なのだ。じつに62年ぶりである。ついでながら次回は2029年である。どうしてこうなるのか省くことにするが、れっきとした理由が存在する。

                     

                    今年のイースターがとても貴重に思える。年度の始まりの日が、イエス・キリストが復活された大いなる記念の日とは、私にはたいへん意味がある。イエス様が死にまで勝利して立ちあがり、その復活のいのちで今も生きて働いておられることを思うと、大いに励まされ体の底から力が出てくる。特に今年度、そして1日のイースターに期待していた。そのとおり、うれしい日になった。それが62年ぶりの4月1日イースターであったとは!不思議な感動で揺さぶられている。

                     

                     

                     


                    2018.03.30 Friday

                    日々の風から キリストが十字架にかけられた日(受難日)

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                      日々の風から キリストが十字架にかけられた日(受難日)

                       

                      聖書によれば、イエス様は木曜日の夕方からユダヤ民族の三大祭りの一つ過ぎ越しの祭りの宴を、愛する12弟子とともにエルサレム内の一室で持たれ、楽しまれた。その後、いつものように谷の向こうのゲッセマネの園に入られて祈りをして過ごした。その最中に弟子の人一人、イスカリオテのユダがかねてよりひそかに計画していたように、ユダヤ人の祭司長たちにイエスを売り渡した。ユダは師を銀貨30枚で交換した。イエスはすぐに逮捕され、ユダヤ人議会で裁判され、さらにユダヤの総督ポンテオ・ピラトのも前で裁判を受け、ついに十字架刑を言い渡された。夜が明けてから、イエス様は公衆の面前に引き出され、郊外のゴルゴタの丘で、他の二人の極悪人とともに十字架につけられ、息絶えた。

                       

                      さて、聖書はイエス様の十字架の意味を次にように明記する。

                      キリストは、「十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました」。Iペテロ2:24

                      キリストは「罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです」。 汽撻謄3:18

                      「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです」。IIコリント5:21

                      キリストは、「私たちのためにのろわれたものとなって……くださいました」。ガラ3:13

                      「多くの人の罪を負うために……ささげられました」。ヘブ9:28

                      「彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた」。イザ53:5

                      「主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた」。イザヤ53・6

                       

                      私たちキリスト者は文字どおり、イエス・キリストは私の罪の身代わりとなって十字架に掛かってくださったと信じる。イエス様は私を罪から救い出してくださった救い主である。しかし、だれも「聖霊によらなければイエスは主です」と告白することはできない。私が救われたのは一方的な恵みによりあわれみによるものである。知識も資格もいらない。この恵みがすぐそばに差し出されいる。受け取ってください。

                       

                      今日のみことば

                      【十字架上の七つの言葉】教文館 加藤常昭著

                       

                      『わが神、我が神、なぜわたしをお見捨てになったのですか』

                      マタイ27/46

                       

                       

                       

                       

                       


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