人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

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2023年の快風 今年も8月を迎えて

 

2023年の快風 今年も8月を迎えて

 

今朝は連日のカンカン照りがひとまずストップしたのか、ホッと息つく暇が出来ました。

「危険な暑さ」と警告が出て、ますますじっとしていました。これではますます心身の力がなくなってしまうのではないかと、逆な心配も生まれした。

 

このところ、酷暑と高齢とで体調がすぐれず、服用の薬の影響もあって両手がこわばっています。困ることがいくつも出ています。その一つがパソコンのキーを打つことです。ミスタッチ、スローの連続で困り果てています。もっとブログをアップしたいと願いながらもできません。いつも読んでくださっている方々には申し訳なく思います。しばらくはペースダウンになるだろうと存じます。おゆるしください。

 

今年は終戦何年でしょうか。78年でしょうか。日本にとって、世界にとって忘れてはならない月です。個人的にも今も強烈に覚えていることがいくつかあります。8月は世界の平和を特に願い祈る時ではないでしょうか。先日友人からその教会の「私の8月15日」と特集した文集をいただきました。10年前の再版だそうです。寄稿者の大半の方はこの10年に間に天に帰られたとか。生々しい体験談を拝読して、改めて戦争の悲惨さを思いました。戦争はドラマの世界では無く、現実に起こったことなのだと実感したことです。

 

日本は特に原爆の体験国です。世界に率先して核の脅威を訴える責任があります。政治のカラーに関係なく、当然のこととして、体験者として戦争に反対し平和を訴えて行かねばと強く思います。平和は作り出すものだとイエス様は言われます。あの「八福の教え」の中の一つに「平和を作る者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから」とあります。平和を作る者にならねばと思います。

 

 

 

 

 

 

 

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2023年の快風  梅雨が明けて

2023年の快風  梅雨が明けて

 

関東地方は7月22日土曜日に正式に梅雨明け宣言が出た。これまでも関東は梅雨らしらぬ猛暑が連日続いて、すでに真夏ではないかと思うほどであったが、こうして公に宣言が出ると、スッキリするから不思議なものだ。今までの暑さは予行練習のようなもので、いよいよ夏本番と覚悟が決まる。「梅雨明け10日」と言われるから、これからしばらくは一年中でいちばん暑い「盛夏」なのだ。暑さに用心しなければと、ちょっと緊張感も生まれる。一番怖いのは熱中症であろう。家の中に居ても罹ると言うから、高齢者には厳しいことだ。友人たちからめまいがします、微熱がありますと報が来る。それぞれほとんど在宅中心で、ベッド生活の方もおられる。暑いからねえとのひとことで片付けられない危険を感ずる。

 

教会で子どもたちのワンデイサマーキャンプが行われた。ワンデイと言っても礼拝後の1,2時間の短時間である。メインは恒例のスイカ割りである。みんな炎天下の駐車場に集まって、ビニールシートの上に鎮座したスイカめがけて戦った。一歳児から小学6年生までが真剣勝負をした。さすがにスイカの頭に割れ目を入れたのは6年生の男子だった。手にする武器はボール紙だから真っ二つというわけにはいかなかったが、あとで食べるには都合がよかった。取り囲むスタッフたちは日傘や帽子で対策した。ひととき大きな歓声が真っ青な梅雨明け空に飛び散った。

 

それぞれの家族が持参のランチと、切り分けられたスイカを楽しんだ。私はギャラリーとスイカのお相伴に与り、早々に退散したが、子どもたちはスタッフに導かれて賛美やゲームやメッセージの時があったようだ。子どもたちにはどんな思い出となっただろうか。

 

 

 

 

 

 

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2023年の快風 花は咲かせるもの?

2023年の快風 花は咲かせるもの?

 

 

まるで造花のような10センチほどの向日葵の鉢を買った。この季節になるとよく見かける。たった一輪だけが造ったようにバッチリと咲いている。小さいけれどたくましい命に惹きつけられる。毎年のように、あとさきを考えずに買ってしまう。ミニ花壇の隅に地植えするのだが、たいていその一輪が終わるともう、花火の消えた空のように空しいばかりになる。今年もいつものことだろうと終わりを思いながらも、切り花を買ったと思えばいいと自答した。

 

ふと、丹念にお水をやり、肥料も与えようと思った。

 

思えば、現役時代の延長で、季節ごとに苗は植えるけどそのあとの世話をていねいにしないままで来た。花は自力で咲くものと思っていた。事実、よく咲いて楽しませてくれた。

昨今、ガーデニングに余生を傾注する友に聞くに、朝に夕に花柄を取り除いたり、雑草を抜いたりして庭で時を過ごし、水やりだけでなく肥料も施すと言う。私の花壇は猫の額ほどだから5分ほどしゃがんで見回ればなにがしかの世話ができる。そうすることにした。花たちは自力で咲くものと思ってきたが、手をかけると、すぐに効果が分かるほど咲き方が変わってきた。花は咲かせるものだと悟った。

 

ひまわりであるが、例によって最初の一輪が枯れてきた。よく見ると、脇に蕾がついている。固い小さな蕾・・・。これが咲くことがあるのだろうかと半分疑いながらも特別に目をかけて水やりし、肥料もサービスした。

 

蕾が咲き出したのである。日に日に大きくなる。全体の背丈も伸びている。びっくりした。

今までは最初の一輪が終わると抜いてしまっていたのだ。ああ、申し訳ないことをした、じっと待っていたら咲いたかもしれないのにと深く反省した。このひまわりはどれくらい大きくなってくれるだろう。夏本番はこれからである。きっとびっくりするくらい伸びるだろうと期待している。かつて、国語の教科書で覚えた一首が浮かぶ。

 

向日葵は 金の油を 身にあびて 

ゆらりと高し 日のちひささよ  

前田夕暮

 

しかし、花のいのちは主のもの。主が成長させ咲かせるのだ。忘れてはならない。

 

 

『私が植えて、アポロが水を注ぎました。

しかし成長させたのは神です。

それで大切なのは、

植える者でも水を注ぐ者ではありません。

成長させてくださる神なのです』

第一コリント3章6、7節

 

 

 

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2023年の快風  天才がいて、楽しい

2023年の快風  天才がいて、楽しい

 

 

藤井聡太くんが楽しい。天才だから楽しい。いつの時代にも、どんな分野にも、だれも足元にも及ばない才能ある人がいるものだが、今、絶頂は藤井聡太くんだろう。まだ20歳がいい。うんと強くなって雲上の人になってほしい。それ相応の長期にわたって。

 

私は将棋のことなんてこれっぽっちも知らない。だから彼の強さの意味も知らない。ただ、試合に勝って行く姿にほれぼれする。熱狂的ファンの心理はそんなものではないだろうから、ただのミーハーおばばであるが、若者がぐんぐんと力を伸ばして世相に快風を吹かせてくれるのが楽しい。今の時代、青年たちの評価は必ずしも良いものではない。価値観が全く違うからだろうが、青年たちに不満を感じていつまでも自分の地位を譲らない偉い?人たちが多い。話が曲がってしまったが、彼らは天才には脱帽するのだろうか。もしかしたら、自分のすぐそばに天才の力を秘めた若者がいるかもしれないのだ。

 

話しはまた曲折するが、フィギュアスケート選手時代の浅田真央さんも羽生結弦さんも体操の内村航平さんもかつての水泳の北島康介さんも楽しかった。彼らには「華」があった。

天才には努力で到達した人にはない「華」があって、それが人を魅了するのだと思う。

 

しかし、人、世の中、大衆、ファンは贅沢である。天才の「華」を楽しみ称賛するが、むごく残酷でもある。一朝気に入らないことが起これば紙屑のように捨てる。あるいは記憶の荒いざるからこぼれ落ちるのも気にしない。だから天才くんたちよ、世の人気には見向きもしないでまっしぐらに「天分」を発揮し、不眠不休の研鑽を重ねてはるかに見上げる金字塔を築いてほしい。それが天才君たちの使命かもしれない

 

 

 

 

 

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2023年の快風 会うは別れの・・・

2023年の快風 会うは別れの・・・

 

長男さん家族と同居の、私と同年齢の老女が、我が教会に転入してこられた。一年半になる。ご家族はクリスチャンではない。が、ご家族同意の上で、老姉はひとり教会生活を続けておられる。同じ老女だし、話を聞けば似たような境遇でもあるので、お互いに共感することろ多々あり、意気投合して、礼拝後は毎回しばらく話が弾んだ。

 

教会はコロナ以来、いっせいに食事するチャンスがなくなった。教会のキッチンは3年以上休眠している。午後のプログラムのある人たちはお弁当を持参したり、近くで調達して三々五々いただいている。辺りを見回して、老女二人はコンビニに行くことにした。私は自宅が教会のすぐそばのこともあって、コンビニで何か買う習慣はない。ふだんもほとんど行ったことがない。ところが老姉妹と、お財布を手に、コンビニ通いが始まったのである。たいてい、孫娘がついてきてなにかとアドバイスしてくれるのだが。

 

おにぎりの包装の手順がうまくできず、みなに笑われた。カップ麺も時間を計らずにお湯を入れてうまくいかなかった。そんな時期が過ぎ、ようやくコンビニにも慣れた。

 

最近、思いがけない話を聞かされた。老姉妹からである。長男さんのお仕事の関係で、遠方へ転居することになったのだ。姉妹は割り切っておられるようだが、私のショックは大きい。大きすぎるのだ。こんなことってあるだろうか・・・。

 

世の中の動きは素早い。あっという間に姉妹は6月末で東京を発つ。別れを惜しむ暇もない。涙を流すときもない。

 

一つだけ、ホッとすることがあった。姉妹は現地の教会を探すことなく、当面、籍はそのままで、ZOOMで礼拝を捧げ、祈祷会その他もZOOMで参加することにした。今の時代ならではの恩恵であろう。とはいえ、姉妹とコンビニに通うことはなくなった。笑われずにおにぎりを作れるようになったのに、何とも残念である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2023年 日々の快風 3年ぶり・対面の学び会 

2023年 日々の快風 3年ぶり・対面の学び会 

 

 

我が教会には大人のCSともいえる「成人科クラス」がある。かれこれ27年も続いている。

ずっと担当してきた。コロナ禍は休会、この半年はZOOMで開いてきたが、いよいよ6月から礼拝後に行うことになった。快挙である。ZOOMが苦手の方もおられ、対面を待望してこられた。逆に、ZOOMなら在宅で気軽に学べるからと新規に参加した方もおられた。

共々、対面に一斉に加わり、かつてなかった大勢になった。

今までにも扱ってきたが今は「聖書66巻」を1書ごと取り上げ、対面再開は「サムエル記・上」からである。あらかじめ学びの要点を記したプリントが配布されている。A4版両面1枚ほどの手引書である。分かち合いのための「質問」が設けられている。以前は私が毎週作成していたが、昨今は教育担当の牧師が作ってくださる。当該聖書は原則通読することになっている。皆さん、プリントにコメントを書いておられる。クラスのリードは以前と同じく私が受け持った。

 

礼拝後(コロナ前は礼拝前30分毎週)すぐなので、お茶の用意をした。今後は月1回、一時間で行う予定になっている。子どもたちのCSは月2回礼拝後である、礼拝の中では毎週子どもメッセージと賛美と暗唱聖句のタイムがある。

 

コロナ禍が緩んで、教会の行事も対面が多くなった。まだまだコロナは油断できないので、感染対策はし続けているが、ひところの緊張感は薄らいでいる。このまま完全終息を願うばかりである。教会に来る人たちの数も多くなり表情も明るい。思えば厳しい時期を通ったものだ。よくぞ乗り越えてきたと、感謝とともに大きな安堵の息をつく。

 

『民よ、どんなときにも神に主に信頼せよ。

あなたの心を、神の御前に注ぎ出せ。

神は我らの避け所である』

詩篇62篇8節

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2023年の快風 再読・リリーディング

2023年の快風 再読・リリーディング

 

今年3月に88歳で亡くなった大江健三郎氏からは小説以外からも多くのことを学んだ。

その一つに、再読・リリーディングがある。かつて読んだ書物をまた読むということである。よくすることではあるが、たいていは一度しか読まず、その後は書棚の飾りになっていることが多い。しかし大江氏は「リライティング」とともに「リリーディング」を勧めておられる。氏のアドバイスに促されて、昨今は思い出すままに実行している。まずは大江氏の著書からと、文庫本を繰りだした。「キルプの軍団」。いつ買ったのだろうか、いつ読んだのだろうかとそれすら思い出せない。読みだしたがまったく記憶にない。しかしまもなく記憶の扉がきしんだ音を立てて開き出した。最後まで鮮やかなによみがえってきた。でも、私はそのまま新刊を読むように当時よりも思い入れ深く楽しみ出した。

 

新発見があった。本書は、大江氏のよく使う手法にあるように、他の書物が登場する。今回は並行してディケンズの小説が取り上げられている。主人公が『骨董屋』を読んでいくのである。本文の引用も、しかも英文まで飛び出してくる。『骨董屋』はまともに読んだことはないが、先ごろ、イギリスのBBCが作成したドラマ『ディケンジアン』を観るチャンスがあった。これはディケンズの全作品を一つにしたもので、あらゆる人物が不潔極まるロンドンの下町を背景に登場するのだ。ドラマは中途で終わっている。なんでも資金繰りが悪くて完結には至らずとか。観られなくなったのがとても残念なのだ。余談。また余談だが、『骨董屋』はドストエフスキーの『貧しき人々』の原風景だそうだ。ドスト氏が自ら話している。

 

『骨董屋』の悲しきヒロイン、ネルは『貧しき人々』のネリーで、名前までほぼ同じ。ドスト氏は正々堂々とディケンズを真似たのだ。そんな内容豊富な「キルプの軍団」を楽しんだ。本家の方の内容はスリリングな、現実にありそうなお話であった。例によって「大江family」勢ぞろいであった。当の大江氏は主人公「オーちゃん」の名父親役を演じて頼もしかった。今回の再読は以前あまり気にしなかった『骨董屋』が奥行と深い味を添えてくれた。

 

「ネル」という名ではもう一人悲劇の子どもを思い出す。『フランダースの犬』の少年「ネロ」である。初めて彼の死を知った時は思わず声をあげて泣いてしまった。大聖堂のルーベンスの絵の下で、愛犬パトラッシュと一緒に冷たくなっていた少年ネロ・・・。

 

改めて『再読』の悦楽を知った。書棚の本を老女の豊富なタイムを使って再読してみようかと、壮大なプランが浮かんだ。「一千一夜」続くのはないか。シェヘラザードは命の危機をかけてペルシャの王に毎夜物語ったが、老女は、先の短い命の果てを視野に、王ならん、自分自身に向けて、毎夜、毎夜、読み続けるのもありではないか。老いるのも悪くない。希望の快風は思わぬところに吹く。

 

 

 

 

 

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日々の快風から 梅雨の晴れ間

日々の快風から 梅雨の晴れ間

 

 

つかの間であろうけど、梅雨の晴れ間は貴重だし、

こんなうれしいことはない。

家じゅうを開け放し換気をしてみる。

大物洗濯はもちろんである。

朝から多忙なことである。

ただし、湿度はかなり高いが

どことなく家の中を新しい空気が動いている気配を感じる。

よく見るとレースのカーテンかかすかにそよいでいる。

風は生きているのだ。

それを感じ取る自分も生きているのだ、

上からのいのちで生かされているのだと実感する。

いのちに満ち満ちた麗しい天上のもてなしを

いただいるのだと思い、

思わず感謝の笑みが生まれる。

今朝はどなたもホッと一息し、

つかの間の青空を見上げておられるのではないか。

 

そういえば、今朝、S子さんが

月一度のソロ旅に出かけたはず。

陽を浴びて発つことができてよかった。

旅の祝福を祈ります。

 

さて、この午後の空模様はどうなるのだろう。

 

 

 

 

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2023年の快風 クリーンキャンペーンに参加

2023年の快風 クリーンキャンペーンに参加

 

礼拝後、私たちはいっせいに教会前の道路の清掃に繰り出した。前もって準備した軍手やゴミ拾いの大きなトング、ごみ袋を手に手に、思い思いの掃除用スタイルに身を装って。大きな帽子や作業用の上下を着込んだ人もあった。道路わきの植え込みの雑草の始末がいちばんの大きな仕事だった。時間は30分と区切った。教会前を中心に左右、時間の許す限りの範囲とした。子どもたちは遠くの方から空のペットボトルやドリンクの瓶などを、宝探し気分だろうか、見つけては歓声をあげて大人たちの袋に投げ込んでいた。終了後は冷たいお茶とコンビニのおにぎりがふるまわれた。この準備は数名の高齢者が担当した、私も含めて。

 

今回の掃除は墨田区の区内一斉清掃活動「クリーンキャンペーン」に応募したことから始まった。参加資格は区内の会社や自治体、町会、クラブなどである。教会も申請した。所属する町会にも伝えた。区からは無料でゴミ袋が配布され、ごみ収集日には多量であっても優先して処理していただけるのだ。

 

教会は日ごろなんとなく地域とは別の世界のように思われがちである。双方で一線を画するところがある。教会は地域のお祭りには参加しないし、地域も教会のイベントに参加しては来ない。遠くから眺めている雰囲気だ。しかし地域はそれとなく鋭く教会には視線を馳せている。それを感じるから、教会はできるだけ門戸を開いて歓迎のムードを作っている。花壇には季節の花をふんだんに咲かせ、折々にチラシを配布して案内している。しかし、それは「いつでも自由に来てください」の招きである。来るのを待っている姿勢である。

 

イエスさまは「全世界に出て行って福音を宣べ伝えなさい」と言われた。「出て行って」と言われた。今回、教会はイエス様のスピリットをもとに、道路へ出て行ったのである。なんだ、それが宣教かと笑われるだろうか。私たちは地域宣教を祈りつつ、老いも若きもまず道路へ飛び出し、地域を掃除したのである。主はほほ笑んでくださったと信じる。

 

 

 

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2023年の快風 夏時間へ

2023年の快風 夏時間へ

 

 

一年でいちばん昼が長い時期になった。いつも昼の長さに合わせて生活時間を調整するはずなのに、今年は出遅れている。冬の時間と同じくせわしく夕食の支度をし、お風呂に入り、一連の用事を済ませるが、空を見ればまだまだ明るい。何だ…急ぐことはないのだとようやく気がついて、少しずつ後ろ倒しにしている。梅雨入り前の6月は5月に勝って麗しい。特に夕方がいい。この時期に旅行したこともあった。宿泊の学び会をしたこともあった。

 

思えばコロナの3年間は歩きに歩いた。夏に向かうと昼間は暑いので夕方を選んだ。7時になると川べりの街灯がいっせいに灯った。空は見事な夕焼け。天上にいる心地して、幸せ感に満ち満ちた。ところが、コロナから一応解放された昨今、体力が落ちてしまって、あのころの様に歩けないのだ。強くなった足腰のはずなのに、体全体が弱くなっているように思えてならない。悔しく寂しくもあるが、いっときのことでまた元気になるだろうとも思たったりする。しかし、無理はしない。自然でいい。何事にも「時」があるのだから。

 

『私の時は、御手の中にあります』

詩篇31・15

 

 

 

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