希望の風

人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

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# 日々の風から 歴史散歩・喰違坂へ

日々の風から 歴史散歩・喰違坂へ

 

 

 

近いところを歴史散歩しています。最近は鹿鳴館跡や、西郷隆盛と勝海舟の江戸城明け渡し会見の場の跡地にも立ってみました。梅雨の晴れ間には岩倉具視暗殺未遂事件の起きた、四ツ谷の「喰違坂」も見てきました。友人で、赤坂、四ツ谷周辺は目をつぶっても歩けるほどの姉妹が先導してくださいました。方向音痴、地図苦手、臆病な私、あるのは行きたい願望だけなのですが、私の弱点をすべてカバーできる人を神様は送ってくださいました。姉妹はスマホも片手に握って、こっち、こっちとまるで幼子の歩行練習のようです。

 

明治維新の元勲と呼ばれ、維新十傑の一人である岩倉具視は明治7年、征韓論の反対派から襲撃されます。1月14日の夜、遅くまで仕事をしていた具視は、馭者の曳く馬車に乗って帰宅の途上、暴徒に襲われますが、とっさに車から飛び降り、喰違坂付近の内堀に落ち、軽傷で済み一命をとりとめます。暗殺は未遂に終わったのです。具視は暴徒が去り、救助隊に見つけられるまで、寒中の堀の水の中に身を潜めていたそうです。よくぞ助かったと思います。そのあたりを歩きました。人通りもなく、草木が生い茂り、説明板辺りは、まるで時代がスリップしたようで、刺客たちが飛び出してくるような気がしました。その後の明治11年、同じ征韓論反対派だった大久保利通は、赤坂紀尾井坂で暗殺されます。清水谷公園と呼ばれる小さな一隅に大きな碑が立っていました。

 

 

そこからすぐのホテルニューオータニの中の小さなお店で一息つき、私は永田町から半蔵門線に乗り帰路につきました。行きはJR四ツ谷で下車しましたが、どのようにめぐって永田町になったのか、自分のたどった道を正確に地図で確かめねばと思っています

ここは迎賓館

| comments(0) | - | 15:36 | category: 日々の風から |
# 日々の風から パソコン君は退院しました!

 日々の風から パソコン君は退院しました!

 

 

思い出せば前回の故障は三年前の3月のことでした。このくらいの期間でトラブルが襲ってくるようです。用心しなければと思います。何が来ても困らないようにバックアップだけは万全を期しておかねばならないのは常識なのでしょうが、私は非常識〜〜〜。

 

作業が完成してからと思って、ついつい、途中のものはそのままにしてしまいます。ところが、一番必要なのは今手掛けている最中のものなのです。そんな当たり前のことも怠って、今回もひやひやしました。修理屋さんがていねいに扱ってくださって、およそのデータは無事でした。

 

しかし、およそなのです。私の悪い癖で、デスクトップに張り付けているものがあります。

そのデータも集めてくださったのですが、いくつか取りこぼしがありました。ちょっと残念ですが、自業自得、根気よく復元してみます。まるで、洗濯物を干しっぱなしで夜を過ごしてしまった、怠慢主婦のようです。お恥ずかしい限りです。

 

すべてを超えて主のあわれみをいただきました。秋葉原の修理屋さんに運び込んだり引き取りに行ったりを、いつもは家にいないはずの孫や娘や婿さんが居合わせて、してくれました。私一人だったらどうにもならないし、余計に日数がかかったでしょう。予定していたより早く戻ってきました。また、係わっている奉仕が終わったばかりで次の準備には多少間があるので、安心して休めました。

 

娘のところにネットなしの古いノートがあったので繋いでもらい、懸案だった作品に集中できました。久しぶりに一日中、一つの文書だけに取り組めたのは近頃珍しい体験でした。

時には外界と遮断して、集中することが必要だと、つくづく思い知らされました。よい体験を与えられたのです、忘れないようにしなければと思います。すぐに元の木阿弥に戻ってしまう愚かしさから抜け出さねばと言い聞かせています。さて、この経験を生かした賢い生き方ができるでしょうか。私自身の問題なのですが。

| comments(0) | - | 22:22 | category: 日々の風から |
# パソコン故障しました。

 

 

パソコンはこのところ順調でした。

しかしいつまで続くかとかすかな不安風を感じていたのです。

ところが突然にアウト!。

いちばん必要な進行中の作業はバックアップしていません。

さあ、どうなるか。戦闘開始です。

これはガラホからたどたどしく書いています。

どんな状態で反映されるのか予想もつきません。

近日中には復活できると希望を持っていますが。

希望の風はきっと吹いてくれます。

 

 

| comments(0) | - | 11:21 | category: 日々の風から |
# 日々の風から 5月も往ってしまうのか

 

さつきの薫風と新緑を楽しんでいたら、突然真夏がやって来て、大あわてをした。衣服もまだ春のものである。真冬のコートこそ整理したものの、真夏のものは整えていない。でも、全てが暑苦しい。大急ぎで取り出す始末である。寝具もしかりである。扇風機にも登場してもらった。いつになく季節の歩みが乱調であり番狂わせである。

 

教会では面白い光景が展開する。90歳近い老姉は冷房を入れると寒い寒いと言われ、上着をまとい、襟元にはショールを巻く。反対に中年男性たちは暑い暑いとエアコンの温度を下げる。暑がりの人、寒がりの人、年齢によっての感じ方も違うのだ。大勢の人々が一様に快適に過ごすのは難しい。私はどちらかと言えば寒がりである。冬の寒さには最近は特に弱くなった。かといって、かつては夏女だからと豪語して暑さをものともしない時期があったが、今や昔日の強さはどこへやら、日差しを見ただけで家の中に引っ込んでしまう。

 

かくして、異常な暑さを抱きかかえながら5月も去っていく。この月はいつもより世相の映像に時を奪われた。天皇の代替わり風景や、直近では初の国賓トランプ夫妻をお迎えしての行事を楽しく観た。雅子皇后が優雅にお客様をお迎えする姿がうれしかった。長く病んで不本意な年月があったと思うと、それだけで胸に迫るものがある。

 

| comments(0) | - | 12:46 | category: 日々の風から |
# 旅の風から 新緑降る中へ

旅の風から 新緑降る中へ

 

 

 

 

 

5月も早や下旬に入る。あの歴史的10連休も終わって、日本中が日常に戻ったので、高齢者が街歩きしてもお邪魔にはなるまい。そんな意味づけをして、中央本線あずさ号に乗った。春に秋にと訪問する親しき友人宅にお邪魔することになった。目当ては新緑である。桜もいいけどその時は行けなかった。次は新緑である。生まれたばかりのあの柔らかな若葉の真ん中にいたいと、その一念である。山々が接近する甲斐路は巨大なグリーンボックスだ。

 

友人宅の周辺の林や庭の樹木はさしずめ新緑の箱である。そこに入ると、緑は上から降ってくる気がする。風に吹かれて樹の花や小さな葉が霰か雹のように降ってくる。樹も花も草も地から上へと向かうが、上から、空から、天から、神様のみもとから、地上に向かって降り注がれるのだ。と実感である。思わず知らず主への感謝と賛美があふれる。

 

 

 

庭の一隅にしつらえた木の椅子に座し、お茶を啜った。とたんに耳が開いたのか、鳥たちのさえずりが不規則に聞こえてくる。鶯の声だけは聴き分けられる。愛好家なら鳴き声で鳥の名をすぐに並べるだろう。かなりの種類の鳥たちが乱舞している。この光景を忘れてはならないと、目を見開いて凝視し、頭にも力を入れて記憶に努めてみた。緑少ない自宅に戻っても、しばらくは楽しめるだろう

 

 

 

 

| comments(0) | - | 09:05 | category: 旅の風から |
# 世相の風から 母の日に

世相の風から 母の日に

 

母の日は今やこの時期の商売の一大広告塔になっている。母の日の起源やスピリットなどどこへやら、とにかく「セール」である。そしてシンボルは「カーネーション」である。昨日、駅前のお花屋さんに近づいてみた。なんと大行列である。いままでも人だかりはあったが、こんなに多くの人がお店を取り巻いていたのには驚いた。今まで見た事もない人員整理のポールまで立っている。とてもおかしく楽しく愉快な気持ちで眺めた。

 

一人ひとりにインタビューしたらどんな答えが聞けるだろうか。遠方のお母さんに送るのなら、当日の夕方では間に合わないだろう。同居のお母さんさんにだろうか。近くに住むお母さんにだろうか。実母だろうか。ご主人のお母さんだろうか。若い女性が多かった。鉢を抱える人も、花束の人も、ほんの数本の人もいた。バレンタインの時の「義理チョコ」を思い出した。とにかく世間の風の手前、「義理カーネーション」でも送らねばという人もいたかもしれない。一人ひとりの理由と心情を知りたい思いになった。たくさんのドラマがあるだろう。贈り物は人の心を和らげるし、なだめる。愛と呼ばれる行為はしたほうがいい。

 

お母さん側からは「その気持ちだけでいい」との意見が多いそうだ。気持ちってなんだろう。目に見えない気持ちはどうやって伝わるのだろう。もちろん日ごろの関係でわかるだろうが、行為や物で伝えるのも一つの方法ではないか。受ける側は素直に感謝して受ければいい。電車の中で席を譲られるのと同じように。素直にシンプルに。贈るほうも「ありがとう」。受けるほうも「ありがとう」。そこに美があり、愛が見える。希望の風が吹く。

| comments(0) | - | 12:56 | category: 世相の風から |
# 日々の風から 私の10連休

日々の風から 私の10連休

 

 

去年から大騒ぎの10連休が終わろうとしています。高齢者に休日の喜びは無関係です。休日を喜べるのは現役の方々でしょう。しかし、現役で懸命に働いていても、会社との契約によっては休日は収入がない人もいるので、手放しで喜べる人ばかりではないようです。また、職種によっては休めない人もいるようです。世の中は多面的で複雑になりました。

高齢者に限れば、こうした休日の時期は敢えて外出しないと決めている人も多いのです。私もちろんそのひとり。皆さんがお仕事しているときに出ればいいのです。かくして私の10日間は家の周辺をうろうろして終わります。

 

近くに小さな小さな公園があります。桜の時期には待ち焦がれる場所です。今は若々しい葉が空を覆っています。そこへ、朝に昼に夕に出掛けました。散歩です。散歩という新しい仕事です。そう思って、なるべく気を入れてさっそうと歩くように心がけました。膝も股関節も腰も痛くないことはないのですが、かばいすぎるのはどうなのかと思います。

 

歩いていると心が開いてきます。心の向かう先は神様です。いつの間にか、神に呼びかけ、祈りが生まれてきます。歩いている間、ずっと祈りが続きます。祈りがどんどん生まれてきます。一つのことを思い続け祈り続け、心ゆくまで祈れます。また新しい祈りが生まれ、祈り続けます。家が見えてきても祈りが終わらない時は、家の前を素通りして、また一巡りして祈り続けます。清々しいさわやかな思いが満ち、心が弾んできます。このような祈りをしている人はたくさんいると聞いています。陽気のいい5月は、歩きながらの祈りには最適です。神さまは「絶えず祈れ」、「目を覚まして祈り続けなさい」と言われます。

 

 

| comments(0) | - | 21:18 | category: 日々の風から |
# 世相の風から 時代の節目を迎えて

世相の風から 時代の節目を迎えて

 

天皇陛下が自らお仕事を退いて、

いわば自発的に退職されて、

後継者に譲るのは、

まことにご立派なことで、

地位が高い方ほどなかなかできないことだろう。

まして一存ではいかないことだけに、

よくご意志を貫徹されて今日の日を迎えられたと感動する。

30年間、よくぞ激務をこなされたと思う。

 

退位に伴って元号も変わるか、

私はずっと西暦で通してきたし

これからも西暦を使うつもりなので、大きな感慨はない。

先ほどある友人から、

「平成の30年間は個人的にはどんな時代でしたか」と質問され、

はたと考え込んだ。彼女は、

「私はガンになったことと、3・11が一番大きな出来事でした」と言われた。

彼女のように、自分の歴史を振り返る良い節目の時かもしれない。

しばらくそのことについて思いめぐらしてみようと思った。

| comments(0) | - | 21:12 | category: 世相の風から |
# 世相の風から 高齢者の交通事故に思う

世相の風から 高齢者の交通事故に思う

 

近ごろ池袋で起きた高齢者による交通事故ほど痛ましく悲惨な事件はない。こうした事故は近年多発し大きな社会問題になっているにもかかわらず、なんら解決策も対策もない。法律で一律に決める事柄ではないのだろうが、犠牲者が痛ましすぎる。

 

事故を起こすのは高齢者に限ったことではない。若者だって、長年無事故で通した人だって、男性だって女性だって、事故は一瞬のうちに起きる。話題は外れるが私はかなり昔に被害者になった。相手は高齢者ではなかったけれど、怪我は元通りにはならず、いまだに後遺症で苦しんでいる。かつて、注意一秒、怪我一生とのフレーズが流行ったが、その一秒はいつ起きるかわからない。

 

交通事故は今ではかつて交通戦争と言われたころに比べると激減しているという。だからこそ高齢者の事故が目立つのだろう。いくら長生きの時代になったとはいえ、人は老いていく。体の諸器官、諸機能は衰えていく。髪は白くなり老眼になる。いちばんわかりやすい老化現象だろう。若い頃のように走るなんてとてもできない。昔のことはよく覚えていても、外国語の記憶力などは昔の何十分の一ですらない。それが高齢者の交通事故と何の関係があるのかと言われると言葉もないが、老いの自覚こそ老いたる者の基本的な有り様ではないか。

 

一度手に入れて、自由に重宝に使っているものを手放すこと、これほど難しいことはないのだろう。強制的に取られてしまえば、従うのかもしれない。いのちだって、どんなにしがみついても必ず神様によって取られる時が来る。否応なしに来る。それは、寿命として受け入れるのだろう。

 

重宝に使っていたもの、自分自身のものを、自分から手放すことが、人に与えられ託された最後の選択だと思う。天皇陛下はご自分の意志で座を降りる決意をされた。これほどご立派なことはない。徳川慶喜は三百年続いた将軍の座を自ら降りた。これほど見上げた決断はない。運転免許を手放すことくらい、良識ある高齢者ならできないことはないと思う。持たない者のたわごとかもしれないが。人を殺してはいけない。殺人者にならない前に、何とかしなければいけないと思う。

 

運転免許は18歳未満には与えられない。どんなに優秀な男女にも与えられない。きちっとした一線があるのに、どうして免許返上の一線が決められないのだろうか。矛盾していると思うが。社会的なルールは法律で決めたらいいのではないか。こんな悲劇をいつまで許しておくのだろうか。ますます増えるだろう。老いは刻一刻、忍びよってくる。

| comments(0) | - | 12:14 | category: 日々の風から |
# 日々の風から 十字架の上で

日々の風から 十字架の上で

 

この一週間、教会では特別に早朝の祈祷会が持たれた。

主に教会の近所に住む教会員が参加した。

牧師夫妻を中心にした小さな会だが、

毎朝新鮮な思いで加わってきた。

受難の賛美歌を歌い、

受難の聖書個所が読まれ、

牧師がショートメッセージをし、

そのあと、参加者全員が祈った。楽しい毎日であった。

 

聖書から、

この時期に登場する珍しい人たちのことが語られ、

考えさせられた。

イエス様が十字架につけられた時、

左右にも十字架刑を受けた人たちがいた。

彼らは強盗であった。

極悪人であったのだろう。

しかし、その一人が、イエス様に、

「あなたが御国に入られる時には、私を思い出してください」と、助けを求めた。

そのときイエス様は

「あなたは今日、私とともにパラダイスにいます」と、

彼を受け入れ、彼をゆるし、救われたのである。

 

死の間際でたった一言、救いを求めた人を、

神は救われたのだ。

救いの業はスピーディーでダイナミックである。

難しい理論も理屈もいらないのだ。

ただ、ひたむきに頭を下げて助けを求めればいいのだ。

これが神の救いというものだろう。

私は感動している。

感動のあまり躍り上がりたいようだ。

単純素朴で、やさしさと愛に満ちているのがイエス様の救いだ。

 

その貴い救いに、若い時に与かったので、

この難しい世の中を、

喜びと平安に包まれて、今日まで生きて来られた。

神の新しいいのちで、生かされてきた。

 

明日はイエス様がよみがえられた勝利の日を祝う。

 

「あなたは今日、私とともにパラダイスにいます」

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