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日々の風から 東京4年ぶりの大雪

 

日々の風から 東京4年ぶりの大雪

 

 

天気予報が的中して、東京は4年ぶりの大雪になりました。いつもは夕方、散歩がてらに出かける日常の買い物を午前中に済ませました。ちらちらと雪の舞う中を歩くのは雨より心が浮きっとします。吹雪いたら出かけませんが。

 

かかりつけ医にも行きましたし、もう一軒スーパーに行ってみました。ここは千葉県の農場と直接取引しているようで、よそよりずっと野菜が安いのです。はたして小松菜もほうれん草も他のところの半値ほどでした。

 

お昼を過ぎると雪は本格的に降り出しました。孫の高校生も娘も早めに帰宅できました。私は窓を開けたり閉めたり、玄関を出たり入ったりして吹雪いている様子を眺め続けました。ついでながら、独り暮らしの友人たちとメールおしゃべりを楽しみました。

 

夜になって娘と孫のMちゃんが完全防寒して外へ出て、表通りまで雪をかいて一本道を作りました。まもなくその道を使って婿さんが早めに帰宅しました。予報によれば雪は夜半には

やむようですが、さて、明朝はどうなるのでしょう。雪は降った後が大問題。電車は通るでしょう、大通りに、車は走れるでしょう。しかし、果たして人の歩く道はどうなっているでしょうか。心配です。凍ってしまったら一大事です。それを恐れます。

今日の聖書通読から

 

申命記30章14

『まことに、みことばは、あなたのごく身近にあり、

あなたの口にあり、あなたの心にあって、

あなたはこれを行うことができる』

 

ローズンゲン1/22より

『心に隠していることを神は必ず知られます』、

詩篇44章22節

 

『最初の者にして、最後の者である方、

一度死んだがまた生きた方が、次にように言われる。

「わたしは、あなたのお苦難や貧しさを知っている」

黙示録2章8−9節

 

 

 

 

2018.01.22 Monday 21:45 | comments(0) | - | 

日々の風から 年賀状雑感 その2

日々の風から 年賀状雑感 その2

 

1月も下旬に入った今日、いまさら年賀状の話など賞味期限切れではあるが、一言、二言添えたい。過日、親友の一人とお茶した。話が多岐にわたり年賀状にも及んだ。姉妹はいつもびっしりと近況を綴ってこられる。ご自分の友人関係にも敏感である。姉妹が言った。

 

「毎年きっちりと元旦に届くRさんからのがないの。お身内の喪中ではないはず。何かあったのかと気になって、数人の友人に尋ねたら皆さん同じことを言ってたわ。電話しても応答がないので、これは何かあったと思っていたら、遠方の息子さんから私の携帯メールに伝言あったのよ。12月に入って急に体調に異変があり、近所の方のお世話で緊急入院しました。しかし落ち着いてきているので一月下旬には退院予定ですって。様子がわかってひとまず安心。こんなこともあるのよね。年賀状は安否確認のためにも必要だと思ったわ」。なるほど年賀状にはそんな役目もあるのかと思った。

 

もうひとつある。

お年玉付き年賀状だから、期待したり欲心があるわけではないが、あたり番号を調べるのも恒例である。ざっと見ていたら、三等があった。今年は一枚かと思ったらなにやら引っかかる番号があった。なんと「二等」が見えた!。まあ、こんなこともあるのね!ちょっと気分がいい。近くの郵便局へ行ったら窓口の職員さんが「ほっ―――」と笑顔になり、カタログを渡された。何か選べと言うのだ。そのカタログは今ソファーの上にある。そのうち何かを決めねば―――。年賀状雑感はこれをもって終了します。

2018.01.20 Saturday 15:45 | comments(0) | - | 

日々の風から 年賀状雑感

日々の風から 年賀状雑感

 

年賀状のやり取りは日本の社会的な大きな習慣の一つであろう。子どもから大人まで全員参加する。個人も家族も、企業までがあいさつと宣伝を兼ねて使う。安価で便利なコミュニ―ケーションのツールだと思う。もちろん例外も多々あるだろう。

 

年賀状の全盛時代はいつ頃だったのだろうか。昨今はずいぶん変わってきたように感ずる。

私自身の中にも夢中になって書いた時とは意識が違う。やり取りした友人たちが老いてきたことは大きい。もちろん自分も。

 

いただいた賀状の中で考えさせられるものがいくつかあった。90歳近い姉妹から、昨今の体調や身の回りの環境が具体的に添え書きされていて、年賀状は今年最後にしますとあった。無理もないと思った。

 

また、長い間お世話になりましたときっぱりと過去形の友人があった。ああ、これでお仕舞にしようということかと察した。寂しかったが。

 

ショックだった一枚があった。実はだいぶためらった。先輩だし先にいただいては申し訳ないと思って書いた。ためらったというのは近ごろ老いが著しく目立ってきていたから。三が日もだいぶたってから返事の賀状が届いた。儀礼的な一文のみ。ボールペンだろうか鉛筆だろうか、かすれてところどころ判読不可。もう、来年はいいからという意味か、精一杯頑張って出されたのか、友の心が汲めなかった。悲しかった。

 

ユニークで楽しくなったのは、携帯Eメールからとパソコンメールに届いたものだった。携帯の友人は、往年は筆達者であったが数年手足が痛み出して病んでいる。それでもEメールでくださった。「謹賀新年」がピカピカ光って動いているのだ。ユーモラスで楽しく、使いたくなった。パソコンの方は大きな図柄の元気あふれる一通だ。これもいいなあと思った。

 

若い人たちのからは早く読んでください、見てくださいとの声が聞こえてくるようだ。お仕事のことやご家族の写真が張り付いている。充実した生活ぶりがあふれている。年賀状の一等賞は何と言っても6人の子どもたちがずらりと並んだ一様である。ご両親たちは子育てで天手古舞だろう、食べさせて着せて学ばせて寝かせるのに無我夢中であろう。しかし見ているかぎり思わず笑いたくなる。実に楽しい。神様の守りと祝福を祈らずにはいられない。

 

総じて、やはり年賀状はいいものだ。大切な友人たちの一人ひとりの現況を思い浮かべながら、出すも止めるのも知恵をいただいて係わっていきたい。

 

 

今日の聖書通読から

 

レビ記27章30節

『こうして地の十分の一は、地の産物であっても、木の実であっても、みな主のものである。それは主の聖なるものである』

 

ローズンゲン1/11より

『彼が担ったのは私たちの病、彼が負ったのは私たちの痛みであったのに、

私たちは思っていた、神の手にかかり、打たれたから、彼は苦しんでいるのだ、と。

イザヤ53・4

 

『罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。

わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです』

第二コリント5・21

 

2018.01.11 Thursday 10:29 | comments(2) | - | 

日々の風から 冒険の元旦礼拝

日々の風から 冒険の元旦礼拝

 

 

 

我が教会は年末年始のカレンダーの状況から、今年に限って元旦礼拝は省くことにしました。年末の31日は日曜日でしたから当然主日の礼拝をおこないました。明けて元旦月曜日は礼拝の日として特に聖書では言及されていない、いわば習慣です。二日続くので無しとしました。そうした教会はちらほらとあります。

 

元旦の朝は自宅で静かにゆっくりと主の前に静まろうと考えていました。ところが期せずして長女の教会も元旦礼拝はやめにしたそうで、急きょ他教会の礼拝に行こうと話が進み、群馬県安中市にある二女の教会へ行くことにしました。カレンダー的にもまた我が家の状況からも全員そろって行けるのはおそらく、たぶん、二度とないでしょう。

 

胸弾ませて、元旦早朝の関越道をひた走りました。免許を取ってまもない孫息子が婿さんとかわるがわる張り切ってハンドルを握りました。途中、若葉マークが風で飛んでしまい大笑い。全く渋滞にも遭わず、実に爽快な往路でした。礼拝の始まるころに合わせてそっと会堂の隅に着席し、今年初の礼拝を主の教会でささげました。子や孫たち全員そろって主の御前に集えるのは、私にとっては何にも替えがたい幸いです、主のあわれみと恵み以外のなにものでもありません。ただただ感謝のみでした。教会の皆さんもたいへん喜んでくださり、これも感謝でした。

 

礼拝後、二女宅で持参したおせちを囲み、夜の早いうちに帰途につきました。Uターンは始まっておらず、ガラガラの高速を走り切りました。二女と私はあと片づけをして、翌朝の新幹線で帰宅しました。列車はこちらもガラガラで、往復とも混雑の間隙をぬう名プランでした。もちろん主がその知恵を与え導かれたのです。こうして新年早々の冒険の礼拝は大成功、大きな祝福と喜びをいただきました。

 

さらに教会で、私にとっては珍しい出会いがあり刺激を受けました。近年教会員になられ兄で、群馬県在住のクリスチャン詩人です。お名前は存じており詩集も拝見しておりました。詩人氏も私と話したがっておられたようで、期せずしてお互いの思いが叶いました。私は散文書きで詩を志したことはありませんが、文字を綴ることにおいて根底は一つですので話題は尽きません。元旦早々に、散逸的ですが文学談義が弾み、今年の文章道に少なからず刺激と幻が与えられ、気持ちが引き上げられました。不思議な出会いに感謝でした。

 

 

元旦の夜の月

 

時々、この日出会った『みことば』を載せていくつもりです。

 

今朝の聖書通読より。

『まことに主がこのところにおられるのに、私はそれを知らなかった。

この場所はなんと恐れ多いことだろう。

こここそ神の家にほかならない。ここは天の門だ』

創世記28・16、17

 

ローズンゲン・1/4(木)

 

『主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、

あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。

あなたたちが他のどの民よりも貧弱であった。

ただ、あなたたちに対する主の愛のゆえに選ばれたのである。』

申命記7、7−8

 

『神はこの世の無力な者や見下されている者を選ばれました。

神の御前で誰をも誇らせないためです』

汽灰螢鵐函Γ院■横検檻横

2018.01.04 Thursday 11:37 | comments(0) | - | 

日々の風から はじめに神が〜〜

日々の風から はじめに神が〜〜〜

 

主の2018年1月1日 

新年あけましておめでとうございます。

今年こそ『みこころが天でなるように

 地にもなさせたまえ』の祈りが

実現する年になりますように、

願い祈ります。祈り続けます。

 

この年も出来る限り紙面つくりに

励みたいと願います。

ときどきお訪ねくださいますように、

よろしくお願いします。

 

『初めに、神が天と地を創造した』

 

2018.01.01 Monday 05:44 | comments(1) | - | 

日々の風から この年のうちに

日々の風から この年のうちに

 

 

 

 

 

いつも気にかかっていながら一日伸ばしにしていたことが、

年が押し迫ってくるといつもよりずっと強く大きく迫ってくる。

この年のうちに済ませておきなさいとどこからか声が聞こえる。

その強い促しに押されて列車に飛び乗った。

迎えてくれたのはすっかり冬支度をした見事な山並みであった。

感動して眺め、こちらがリフレッシュされて帰ってきた。

写すのは難しいが、富士山と南アルプス、北岳もくっきりと見えた。

反対側は八ヶ岳連峰、こちらはどうにかカメラに収まってくれた。

 

 

 

2017.12.29 Friday 10:27 | comments(2) | - | 

日々の風から メリー クリスマス! 教会のクリスマス

日々の風から メリー クリスマス! 教会のクリスマス

 

 

年々諸団体、諸教会の催すクリスマス行事から退いてきているが、最後の残るのは自分の所属教会のクリスマス行事である。第四日曜日のクリスマス礼拝、これがメインであるが、やがて礼拝参加が最後の砦になる日が来るだろうが、動ける間は何がしかの奉仕があるし、係っていきたいと願う。聖歌隊の一員として賛美するのも大切な一役である。

 

ここ数年、我が教会は地域の老人施設からの依頼で賛美を届けに行っている。今年もまた出かけることになった。秋以降、礼拝のあとに練習を重ねた。有名なクリスマスの讃美歌を歌う。その施設は4階まであり、各階の入居者の集まるフロアーが舞台となる。私たちは今年も4回公演よと冗談を言いながら各階で賛美歌を歌った。歌の合間に牧師が短くクリスマスのお話をする。皆さん熱心に聞いてくださり、途中で歌い出す方、手を振って拍子をとる方、中には涙を流す方もおられ、毎年の事ながらこちらも次第にうれしくなり、感動の渦に巻き込まれていく。その施設に入居されている姉妹は、飛び入りで私たちの輪に加わってともに賛美歌を歌った。昔取った何とかで、楽譜を見たくても朗々と歌った。そこでまた新たな涙にくれた。

 

夜は教会で燭火礼拝である。たいていの教会で行われている。いつもの照明を消したキャンドルだけの灯の下で、賛美歌を歌い、聖書を朗読するひと時である。ひごろ教会とは無縁の方々が来られる。クリスマスだけでも教会へ行って雰囲気を味わいたいという方々が来られる。友人知人、家族が来てくださる。ここでもまた聖歌隊は特別に賛美をした。クリスマスは音楽が豊かに用いられるときである。

 

今日の礼拝は今年のメインであるクリスマス礼拝である。講壇脇のクランツに立つキャンドル4本全部が点火されて、クリスマスメッセージが語られた。その前に聖歌隊の特別賛美があり、そこでもまた皆さんの前に出て賛美した。役があるのは感謝である。

 

礼拝後は恒例の祝会になる。お祝いの食卓を囲むということである。これもまた大きな喜び、楽しみの時である。婦人会が総出で、あらかじめ割り当てられた料理を持参して、いっせいにお弁当箱に詰める。持ち寄りパーティーをする教会もあるが、我が教会は近年、高齢者や独身男性が増えてできなくなった。そこで手作りのお弁当スタイルにした。大変好評である。日ごろご無沙汰している方々もこの日は頑張って参加する。そうした方々と安否を問い合って食事の席はにぎやかである。時の経つのも忘れて話し続けている。これもまたイエス様の喜ばれるクリスマスの一場面かなあとそんな思いになりながらひと時を楽しんだ。

 

イエス様の遺産である教会、主の弟子たちから始まった初代教会の活動を想像しながら、教会が主の御心の通りに、キリスト者の共同体、慰めの共同体、宣教の共同体として生き生きと機能していくことを切に願う。そして、物理的に教会へ来られない方々、最近は増えているが、そうした方々へも愛のメッセージを運ばねばならない。訪問し、あるいは便りをして、寂しい思いから解き放たれるひと時を作りたい。今できるうちに出来るだけの事をして、ともに主の恵み深いことを味わい合いたい。

 

クリスマスを最後に今年も年末へ向かう。一年の感謝を充分にささげたい。

『主の良くしてくださったことを、何一つ忘れるな』

 

 

2017.12.24 Sunday 18:06 | comments(3) | - | 

風の仲間たち ステーキが食べたい!

風の仲間たち ステーキが食べたい!

 

私より10才近く年上の尊敬するT姉に数か月ぶりでクリスマスのごあいさつを兼ねてメールした。その前にカードを郵送したが、いつもと違って音沙汰がない。ご高齢とは言え昔取った何とかで、打てば響くようにすぐにメールで反応できる頼もしい方なのだ。それを当てにして、メール会話が楽しめると思っていた。

 

メールにはすぐにお返事があった。「もう一か月になるのですが、いろいろ慣れなくて時間ばかり経ちます。今お風呂から上がったところです」。「?????」。何も聞いてないが、なにか変化があったに違いないと察して「どちらにおられますか」と訊いた。「あら、年賀状でお知らせしようと準備したので、とっくにご存知かと勘違いしました。子どもたちが私の健康を心配して手配してくれました」

 

T姉にはお若い時から喘息の持病がある。ときどきひどく病むことがある。入院騒ぎもまれではない。それさえなければいたってお丈夫である。この夏は海外旅行もされた。心も意志も強い方である。いちばんの特技は忍耐力と信仰力であろう。決して平たんではなかった人生を乗り越えてこられた。お子様たちもそれぞれに親思いの優しい方々のようだ。

 

どんな施設に入られたのかわからないが、介護認定はされているかどうか。だから特養などとは無関係に違いない。杖も使わずに自力で歩いておられる。今は高齢者向けの様々な施設があるようだ。私はそんなに詳しくはないが、有料老人ホームの類だろう。超高級な施設でないことは確かだ。セレブではないから。さしずめ、今はやりの「サ高住」かなと推察する。

 

外出も外泊も自由にできるそうである。姉妹は積極的にそこのプログラムをこなし、慣れて行こうとしているらしい。たぶん適応能力は抜群と思う。ふと「お食事は満足ですか」と質問した。すぐに「ステーキがたべたい」と返信が来た。びっくりした。施設のお食事は高齢者向けに計算しつくされた健康食なのだろうが、ちょっと物足りないのかもしれない。一瞬笑いたくなったがふと、T姉の心中を思うと胸が詰まった。私は返信できなかった。

 

 

 

2017.12.16 Saturday 19:48 | comments(0) | - | 

日々の風から キッテのクリスマスツリー

日々の風から キッテのクリスマスツリー

 

友人が丸の内のキッテに飾られたクリスマスツリーの写真を送ってきましたので、貼り付けてみます。

1Fアトリウムに立っているそうです。

このツリーは今盛んにPRしてますから、

珍しくはないでしょうけれど。

飛んで行きたいところですが〜〜〜。

2017.12.13 Wednesday 21:26 | comments(0) | - | 

日々の風から 上野 浅草 スカイツリー(そらまち)

日々の風から 上野 浅草 スカイツリー(そらまち)

 

 

青すぎるほど澄んだ空に磨いたような太陽が燃えている。真冬とは思えない勢いである。北風がチリを吹き払ったためだろうか。家に居てはもったいない日よりである。日光浴を兼ねて外へ出た。この1、2か月異様に心と体が重く、これも老いの一現象かなと一抹のもの悲しさを抱えていたが、主のあわれみによってほぼ以前の心身の状態に戻った。外へ出なければ〜〜、歩かなければ〜〜〜と強い促しが内心から生まれている。

 

外出と言っても下町っ子はしょせん井の中の蛙である。足はいつもの慣れたへ向いてしまう。都バスに乗って上野駅で下車、杜へのぼった。勝手知ったるで、ビルの奥のエレベーターで屋上に出るとそこはもう上野の杜の中である。すぐに目の中に飛び込んできたのは長蛇の列、どこを目指した列なのかと思えば、上野の森美術館の「怖い絵」展を待つ人たちであった。この冬空にとぐろを巻いて延々と続いている。ここまでの列は近頃見たことがない。唖然としてしまった。その人びとをよそ眼に、あの桜で名所の大通りへ出る。もう桜樹の紅葉はすっかり終わっていた。しかし閑散としているとはいいがたい。アジア系とみられる観光客が多い。だいぶ聞き慣れてきた言葉が耳に飛び込んでくる。皆さん元気がいい。国立博物館へ突き当たるまで歩こうと思ったが中断して山を下りた。

 

 

 

またバスに乗って、浅草通りを通過する。いつみても黒山の人が群れている雷門を左に見て吾妻橋を渡る。スカイツリーが迫ってくるので押上で下車。ソラマチへ入った。クリスマスムードいっぱいである。商業施設はシーズンの度にイベントを考え、装飾を変える。年中、さぞ忙しいことだろう。最後は区内のミニバスを使い自宅近くで下車した。締めて2時間ほど。都会の喧騒を行くので散歩と言えるかどうか。それから家でティータイムを過ごす。これが一番ほっとする。

 

日に日に気温が低くなる。木枯らしが吹くような日は気ままな散歩はあきらめねばならない。

しかし東京駅の丸の内広場が完成したと聞くと、見てみたい気がしてくる。

2017.12.07 Thursday 21:31 | comments(3) | - | 
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