書林の風から ジョン・バニヤンと祈り その1

  • 2019.08.22 Thursday
  • 17:10

書林の風から ジョン・バニヤンと祈り

 

まだ読書の秋の看板を掲げる時期ではではありませんが、このひと夏を、小さな一冊に費やしました。たぶんどなたでもお持ちではないかと思いますが、書棚の奥にあった一冊に心が留まって読みふけっています。なんどでも読み返しています。ブログ上でもしばらくこの本と過ごしてみようと思います。

 

『ジョン・バニヤンによる祈りの力』著者ジョン・バニヤン、編者ルイス・ギルフォード・パークバースト、訳者棚瀬多喜雄(いのちのことば社)1990年3月30日発行 です。ところどころ製本がほつれてバラバラになっています。

 

ジョン・バニヤンと言えば、不朽の名作『天路歴程』で高名ですが、私が手にしているのは、彼が信仰の故に投獄されていた時、そこで記した多くの著書の中から祈りに関したものを編集したものです。コンパクトにまとめられていて読みやすくなっています。

 

最初にバニヤンの言葉が書かれています。抜き書きします。

『祈りとは、誠実に、はっきりした意識を持って、熱意を込め、キリストを通してたましいを神に注ぎだすこと、また聖霊の力と助けにより、神の約束、神のみことばにかなうものを求めること、そしてそれは、教会の益を願い、信仰を持って神の御旨に従おうとする重いから出てくるものである』

 

   1662年  ベッドフォード牢獄にて

             ジョン・バニヤン

世相の風から 戦後74年 昭和20年8月15日

  • 2019.08.15 Thursday
  • 21:37

世相の風から 戦後74年 昭和20年8月15日

 

今年も終戦記念日が巡ってきた。

74回目という。戦後74年になるということだ。

あの日のことを言い表すには、

昭和20年8月15日という呼び名が

私にとっては一番実感がわく。

幼いながらその日を知り、ずっとずっと聞き続けてきたからだろう。

また、1945年の表現も使い慣れた。

 

今年新しい元号になったが、私には今では西暦が一番慣れ親しんでいる。

おそらく今後、令和は使わないだろう。

とはいえ、

全国戦没者追悼式で代替わりした天皇ご夫妻が参列し、

お言葉を述べられたのは新鮮だった。

先の大戦を経験しなかった人たちに、

戦争を嫌い、平和を愛し、

平和のために尽くす人たちが勢いを増すことを願うばかりである。

 

台風10号も恐ろしい。被害がないように、素早く通り過ぎていくように祈ります。

 

 

日々の風から もう立秋!月齢は7日

  • 2019.08.08 Thursday
  • 22:36

日々の風から もう立秋!月齢は7日

 

猛烈に厳しい暑さが続きます。猛暑、酷暑、炎暑、極暑、厳暑と、

なすすべもないこの暑さへの呼び名があふれています。

どれが一番ぴったりするでしょうか。

 

今日8日から、今年は立秋に入ります。もう立秋です。

単に暦の上だけのことかもしれません。

毎年、この時期が暑さの頂点ですから。

しかし、日足は確実に短くなっています。

夏至からかれこれ40日になりますから、

時間で言えば日没は30分以上早くなっているはずです。

それがはっきりわかります。夕闇がすっと降りてきます。

 

台風の風の影響かもしれませんが、

空気が澄んでいるのか、夜の月が輝きを増しています。

今晩の月は7日。形は半月です。

フルムーン、満月は15日だそうです。

夜空が楽しみになりました。

結論として秋は近い、そう言いたいし思いたい。

これが本音です。

風の仲間たち

  • 2019.08.02 Friday
  • 11:22

風の仲間たち 一気に猛暑 教友を天に送る

 

この猛暑もまだほんの短期間なのに、一か月遅れだった長い梅雨の日などすっかり忘れて、もうへなへなしています。改めて、夏は確かに来るんだなあと、妙なことに感心している有様です。しかしすでに八月です。今年の暑さは昨年に限って比べれば1か月は雨の中に隠れて、過ぎてしまったといえます。9月いっぱいは暑いとはいえ、先が見えたように思うのは愚かな判断でしょうか。暑さ対策の気休めにしているのですが。

 

この猛暑の中で、60年以上もともに教会生活に励んできた友、T兄を天に送りました。我が教会は今年創立70周年を迎えます。今は5人目の牧師を迎えています。草々の5年ほどの間に信徒になった人が現在わずかに4人、その一人が召された兄で82歳です。4人の中のしっぽが私です。最長老は88歳の男性、次が85歳の女性です。(現在の教会員には、96歳を頭に10名ほど私より高齢の方がおられますが、草創期の方々ではありません)

 

私が中学3年生の時、兄は早稲田の大学生でした。外資系の世界的企業に就職し、高度成長期の日本をまさに背負うがごとく、企業戦士として世界を走り回って働きました。単身赴任もあり、ご家族そろっての転勤もあり、出張は年がら年中で、礼拝もままならない時期がありました。しかし、教会の大切な時には必ず論を尽くして教会中を納得させ、教会の歩みをいつも主のみ心にかなう道に導かれました。私は彼の論にたいてい同調できました。

 

T兄は70歳を過ぎたころからいつくかの病に襲われましたが、何度も何度も奇跡的に回復し、よく、礼拝で主のみわざを証しされていました。しかし今回はついに力尽きたのです。もちろん神の時だったのです。容体が急変する数時間前まで、意識ははっきりしていて、自力で歩き用を足していたそうで、いかにも勇敢な兄らしい最期でした。万全を尽くした医療環境の中で、自宅から天に帰られました。理想的な生き方死に方をされたと、思い返しています。前夜式、告別式と、全葬儀に思いを込めて参列しました。

 

『主の聖徒の死は、主の目に尊い』詩篇116:15

『こうしてヨブは死んだ。年老いて、満ち足りた生涯であった』ヨブ42:17

日々の風から 梅雨明けやらず

  • 2019.07.24 Wednesday
  • 21:37

 

長い長い梅雨にはさすがに辟易した。

明けた地方もあるが、関東地方はまだ宣言が出ていない。

昨年は一か月も早く6月にすでに明けていたそうだ。

それから延々と長く厳しい高温の日が続いた。

よく生きていたと思うほどだった。

それを思うと今年の夏は短いのではないかと、

今からそんないい加減な予測をしてみる。

 

来年のオリンピックの日々はいかなることになるのだろうか、

ちょうど一年前だという。

いまから盛んに対策が練られている。

開催国としてはできる限りの策を練り、

プログラムを作るのは当然であろう。

 

いただいた朝顔の鉢に、毎朝美しい花が開くのは格別に楽しい。

 

旅の風から いずこも同じ梅雨寒の空

  • 2019.07.18 Thursday
  • 14:58

いずこも同じ梅雨寒の空

SLに出会う

 

旅とは言えない外出である。新幹線や特急に乗ればこれはもうれっきとした旅であろう。たまに車に乗せてもらうこともあるが。最近はいわゆる観光旅行のチャンスがない。自分から計画を立てて友を誘うこともしていないし、誘われることもなくなった。高齢の故であろう。と言っても、旅心が消えたわけではない。旅の風はそよいでいる。弱風になったかもしれないが。ときどき折りたたんだ旅の翼がむずむずすることがある。その時は、いつでも歓迎してくれる2か所へかわるがわるに飛んでいく。今回は上州路である。

 

ツバメの巣に出会う

 

今回はお天気具合もチェックしない。先方と私の都合の良い日を最優先した。これがなかなか合わない。こちらは旅気分でもあちらは活動のさなかが多い。梅雨空を承知で出かけた。ごく軽装である。ふだんのバックと薄い手提げ袋一つである。リュックばやりであるが、背中がうっとうしい気がした。手に持つのもつらいものがあるが、そのくらいは我慢しなければならない。バスに乗り電車に乗り換え、新幹線ホームに行く。たどり着くと言いたいくらいそれだけでもハードになってくる。まして一人旅。勘違いも多くなるから、切符とホームの表示を食い入るように何度でも見て確認する。老いてしまったものだ。

 

幸い、大雨はなかったが、いずこも同じ梅雨空である。そして梅雨寒である。今年の梅雨は気温が低い。どことなく冷えを感ずる。妙義の山の頂上はけぶり、浅間は見えなかった。

日々の風から 歴史散歩 荻野吟子終焉の地再訪

  • 2019.07.11 Thursday
  • 10:00

 

日々の風から 歴史散歩 荻野吟子終焉の地再訪

 

 

 

 

歴史散歩と言っても遠方に行くのではない。時代も明治初期だからたかだか150年ほどに過ぎない。ここ数年、維新前後のクリスチャンで偉業を成し遂げた女性たちに惹かれているが、最初に心に入ってきたのは荻野吟子女医である。いくつか本を読み、実際に活動した地を踏んだ。遠くは北海道まで行った。そして私なりの視点で吟子を眺め、私なりの吟子像が生まれ、育ち、小さな一冊になった。

 

次は若松賤子を愛した。アメリカの女性宣教師に育まれ、英語で寝言を言うほど英語力に強く、文学能力も高く、小公子を最初に翻訳した。彼女を訪ねて会津若松まで旅した。こちらも冊子ができた。

 

昨今もある女性に魅力を抱いている。私の体内に宿っているというべきだろう。だが遅々として成長しない。作品として誕生させる力がない。母体が弱くなっている。心は熱っすれど肉体は弱い。日の目を見ないかもしれない。

 

荻野吟子は間もなく映画化されるという。社会派の女性監督山田火砂子女史が先頭に立っていると聞く。吟子は艱難困難の波にもまれながらも、ぶれずに初志を貫徹して、明治政府公認第一号の女医になった。その波乱に富んだ人生は映画化するにはぴったりだと思う。

 

吟子終焉の地が、我が墨田区なのだ。以前にもブログに書いているが、その場所を再訪してみた。吟子のことが忘れられない。ふと、思い出す。最近も、あの場所に立ってみたいと何度も思った。北海道後志半島の瀬棚町で長く暮らした後、老いて病の身で帰ってきた。しかし、女医第一号として華々しくデビューした本郷の地へはあえて戻らず、隅田川を越した掘割の川岸に医院を開き、付近の住民を診ながら幾年かを暮らしたという。患者たちも吟子が不朽の偉業を成し遂げ、名声を得た人だとは知らなかったという。そのつつましやかな生き方が心に染み入る。

 

梅雨空が低く垂れこめる日、私は源森橋のたもとにしばらく立ち止まって、区の教育委員会が設置した説明板に見入った。前回と全く同じ物である。スカイツリーが手に取るように間近に聳える有名スポットなのだが、吟子の記念地に立つ人はいない。その一角だけがひっそりと静まり返っている。時が逆流していた。その雰囲気がたまらなくいとしい。

日々の風から 今年後半の風はどこから吹くのか

  • 2019.07.06 Saturday
  • 13:20

日々の風から 今年後半の風はどこから吹くのか

 

台湾へ、若者伝道の奉仕に参加していた孫が無事に帰国しました。少人数のグループだったので、仲間たちとの数日の共同生活も楽しく有意義であったようです。台湾はすぐ隣とはいえ、気候も、文化もちがうので体調が狂ったり戸惑ったりと、異文化体験ができて、よかったのではないかと私は強く思います。まさに「百聞は一見に如かず」の典型でしょう。話を聞いたり、空港に行くと、すぐにでも飛び立ちたい思いに駆られますが、さてさて、そうもいきません。これからは送り出すことが多いかなと、うれしいけど、ちょっと寂しい気分です。

 

今年も後半に入り、教会や係わる組織の行事を考えると、かなり密です。それに参加し、担当をこなし行くだけでも体力、能力を要します。主に支えられて果たしていきたいです。一年ごとに高齢の坂を上りゆく我が身です。今の自分の持ち分、責務を果たすのは当然ですが、自分自身を客観的によく知り、見極めていきたいと常々思います。

 

このところ、親しい友人知人の身の上にかなり厳しい現実がのしかかっています。ご自身が老いによる障害や思わぬ難病、また、お子様方が大きな病に襲われ、あるいは90歳を超えたご両親の最終段階の介護に心身を痛める方々もおられます。私にできる唯一のことは祈ることです。また知人たちも祈ってほしいと言ってきます。みな、祈りの力と恵みをしっているからでしょう。

 

神様から預かった最大の宝、武器である祈りに、老いてますます励みたいと願います。今年後半の希望の風は、祈りから勢いよく噴き上げることでしょう。

 

 

日々の風から 今年も半分が過ぎて

  • 2019.06.30 Sunday
  • 16:01

日々の風から 今年も半分が過ぎて

 

 

 

いつもいつも日時を気にし、月日を確かめ、季節、気候に目を留め、年月を思う。時の中に時間の中に生きているのだなあと思う。そして、今日はこの一年のど真ん中である。前半が終わり明日からは後半に入る。その境目の日である。感慨は深く重い。

 

毎年のことながら、後半に入ると時のスピードに拍車がかかる。間もなく訪れするはずの真夏の暑さと戦ううちにも、秋との交代劇は見事なものである。秋になると教会はイベントが目白押しである。祈り、奉仕し、楽しんでいる間に、クリスマスに突入する。

 

昨日は、孫娘が成田から台湾に旅立った。数名のグループとともに。教会行事、小学生キャンプの奉仕である。この教会は日本人宣教師が係わり、一つの群れが生まれた。そこの若者たちとの学びや交わりに参加するのだ。木曜までのわずかな日数なのに、大きなスーツケースを曳いていく。見送りに行った。久しぶりの成田空港である。

 

グループは中年のリーダー2名を含めて総勢7名。すべて女性である。みなが海外滞在あるいは旅行経験者のせいか緊張感がない。なかなか頼もしい。飛行機は格安チケットとかで、機内では食事はおろか一滴のドリンクもなしだそうだ。みな、心得ていて、空港内のコンビニでおにぎりやパンを買っている。飲み物は出国ゲイトを通り中に入ってから買うそうだ。まるで、いつもの町中にいるようだ。これでは緊張感はない。これがグローバル化の一風景かと思う。また、外国人の多さにも驚かされる。往年の空港とは違う。

 

空港に来れば必ずや旅ごころがうずきだす。うずきだしても高齢の壁の前ではやり場がない。静まるのを待って、祈りをもって一行を送り出し、数日間祈りに徹し、また迎えに来たい。

 

若者たちがどんどん成長していく。巧みに外国語を使い、それも一つだけでなく、二つも、三つも操れる人も少なくない。世界はどんどんインターナショナル化していく。狭い料簡で争っている場合ではない。オール地球で行かねばならないだろう。

 

日々の風から 終活あれこれ

  • 2019.06.25 Tuesday
  • 21:29

日々の風から 終活あれこれ

 

 

ある集いの分科会で、「教会における終活について」というグループに参加してみた。なにか珍しい発見や情報が得られればとの下心もあった。15ほどの教会の兄や姉と一緒になった。リーダーの設問に従って、求められる事柄にコメントしていった。まずは、あなたの教会には墓地がありますか、墓地規定がありますか。墓地委員会がありますかであった。一つの生まれたての教会以外はすべての教会が自分たちの教会の墓地を所有し、そこに召された兄姉の遺骨を納め、毎年召天者記念礼拝をおこない、また墓所で墓前礼拝を持っている。我が教会もそれ例に漏れてはいない。墓地に葬るための費用も規定があり、墓地を維持管理するための委員会も(役員会が兼務)ある。どの教会も同じようであった。教会員以外の方の納骨はいかがかとの設問には、教会員の肉親ならOK、一親等は無条件で、その他は現教会員との関係や事情によるとの答えもあった。

 

次に教会で「終活」にどのように取り組んでいるかとの設問があった。終活セミナーを行っているか。エンディングノートは作成しているか。などなど。実は私はそれに興味があったのだ。しかし、セミナーをした教会が2、3あったが、どの教会もこれからの課題ですというにとどまった。セミナーやエンディングディングノートは、キリスト教式専門の葬儀社が資料やノウハウを持っていることを知った。キリスト教の葬儀社はほとんどクリスチャンが聖書に基づく信仰や考えで事業している。

 

話はいつしか葬儀に行ってしまった。設問にはないのに、葬儀の話に花が咲き、とどまるところを知らなかった。かつて教会では、前夜式(お通夜)と告別式を2日間にわたって行うのが普通だったが、近年は告別式だけになり、最近は教会堂を使わずに、牧師に司式をしていただいて家庭または葬儀会館で少人数での家族葬が多くなった。ごく最近では、直葬といって、病院から直接火葬場で儀式をするという。それが一番いいと力説する方々がおられた。

 

短時間の分科会なので少々不満足であったが、各教会での「終活」のおよその実態が分かった。いずこも同じ〜〜ということらしい。今思案中であるが「終活」とはなんのことだろう。人生の終わりの活動、人生の最期を有意義に過ごすための活動のことだろうか。教会の終活に特化して考えてみたい。教会は死と死後の問題には聖書から明確な答えを持っている。いわば「終活」は教会の専売特許ともいうべき得意分野ではないか。お墓とかエンディングノートとか葬儀など、目に見える形はさておき、最期の時代を心豊かに楽しく過ごすための活動を啓もうし宣揚するのが教会の中心的「終活」ではないだろうか。では、具体的のどのようなことと取組んだらいいのだろうか。そんなことを今考えている。

 

 

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