人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

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天の星のように―母エバから母マリヤまで 美しき姉妹たち
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日々の風から 教会で避難訓練

日々の風から 教会で避難訓練

 

あの3・11以来教会でも危機管理や防災の問題を真剣に考えるようになった。防災委員会が設置され、年に一度は全員で避難訓練が行われる。今年は昨日がその日だった。教会員には年間計画で予告され、1、2週前から説明もあった。訓練はその日の出席者全員が参加することになっている。

 

礼拝後、防災委員から、千葉県北東部にM7.5の地震が発生したので区の指定した避難場所へ行きますと通達があり、号令とともに、1分間椅子の下に頭を入れ、あるいは座席の座布団で頭部を覆った。委員が「揺れがひとまず収まりましたので避難場所へ移動します」とアナウンスがあり、貴重品だけを持って教会の玄関前に集まった。すぐに点呼があり、人数を確認して移動を開始した。高齢の姉妹がモデルになって車いすに乗り青年2名が係になった。ところがふだんは自力で歩いているのに、車いすに乗せられた老姉はさすがに困惑したらしく「恥ずかしいわ」と言ったので大爆笑になり、訓練の緊張が飛んでしまった。

 

踏切を渡り、歩道を歩きだしたが遠足気分、隣り同士でにこやかに話が始まり、列は途中が空いたりして長々と続いてしまった。予め委員からは私語は慎み、間を空けないで整然と歩いてくださいと注意があったがそうはいかなかった。それでも、高齢の方のそばに若い人がそれとなく寄り添ったりして、近くの小学校校門前にたどり着いた。そこが目的地だった。

 

また人員点呼して全員の無事を確認し、今来た道を引き返して教会に戻った。そのあと、しばらく疑問点や反省したことや改善策などを話しあった。いろいろな意見が出たが、車椅子を押した青年からの発言が心に残った。「初めて車椅子を扱ったがとても難しかった。段差や線路などを越していくときの操作に戸惑った。ふだんから慣れておいたほうがいいと思った」と言われた。体験者の声は貴重である。施錠問題も出た。委員からは今日はロックしたが、実際の時は開けたままですとの事だった。私もそう思った。

 

訓練だからか、やはり気は張っていない。しかしまったくやらないよりは良い。私は教会が近いせいか真冬でもコートなし、時にはサンダル履きで行ってしまう。貴重品もなしである。今日の献金と愛餐会費用、携帯と家の鍵くらいしか持たない。しかしこの日ばかりは教会バッグは置いていくので、ポシェットを用意し財布も入れた。いつも持参したほうがいいのだろう。保険証は? いつもの薬は?など考えるときりがないほど課題が出てくる。どうしたものだろう。危機意識の薄い者であり、いい加減人間だが、人に迷惑をかけてはならない。

 

全員参加だとは言え、あそこまではとても歩けないし今日は体調がよくないから残りますという方もおられる。無理強いはできないから残っていただく。しかしいざというときはどうするのだろう。置き去りにするのか、車椅子は何台もない。難題は山ほどある。

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日々の風から 今日は立冬

日々の風から 今日は立冬

 

今日は立冬とか。立春と立秋は印象が強いが立冬と立夏は、ああ、そうなの、ほどで強く心動くことはない。なぜだろうか。立冬から立春までが冬だそうだ。木枯らし1号もすでに吹いた。町ゆく人々の服装も冬支度である。服装であるが、このところ20度を超えてかなり暖かい。時に暑く思う。それなのに町ゆく人の中にはしっかりコートを着込んでおられる方が多い。私もコートほどではないがこの気温にしてはなぜが厚着である。一度寒さを覚えた体は気温によってすばやく対応することは難しい。外国の方は半袖で悠然と歩いておられる。人それぞれでいいのだが、暇人の私はバス停でも車内でも、ひとしきり周囲の人々を観察してしまう。もちろんそれとなく。でも失礼なことかも。

 

投かんがてら公園を突っ切った。春に桜を楽しんだ桜樹は紅葉した葉を盛んに落とし、根元を覆い隠している。それもまた見応えがあってうれしい。園内は人が多かった。子どもたちが多かった。近くの保育施設の子どもたちが大勢遊んでいた。叫び声もあり泣き声もあった。遊びに来ている母子連れも何組かいた。ベンチにはご近所の高齢者たちがまさに日向ぼっこである。走り回る子どもたちを眺めている。何十年も前にもこんな光景があったと思と思う。そのころ、ベンチ組の方々は走り回っていたのであろう。歴史は繰りかえしながらそれでも進んで行く。私の周辺の同じような年齢の友人知人たちが確実に一歩一歩と老いを深めて行っている。驚くような事柄が起こっている。自分も例外ではない。この事実をいかに受容していくか、高齢者には高齢者の大きな仕事がある。新しい冒険にチャレンジしていきたい。

 

 

 

 

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日々の風から 宗教改革記念日・ルターのエピソード

日々の風から 宗教改革記念日・ルターのエピソード

 

2012年の秋に、お茶の水聖書学院の研修旅行【宗教改革の足跡とバッハをたどる10日間】に参加しました。5年前の事です。今年はルターが今に言う『宗教改革』の発端となったウイッテンベルグ城の扉に「95ケ条の質問状」を張り出してからちょうど500年に当たります。この年を記念して世界中で多くの記念事業が行われていますが、この地を初めルターゆかりの地への旅行も企画されています。ルターについては書物などを通して大方のことは知られていますので今さら私ごときが記すこともないでしょうが、5年前の旅日記からあまり知られていないと思われる一節を見つけましたので、記載してみます。アイゼナハという町で知ったことです。この町はバッバの生誕地です。ルターもかかわりがあり、町には「バッバの家」と「ルターハウス」がありました。

 

 

 

アイゼナハは修道僧になる前(献身する前)のルターが、父の命で、家を離れて聖ゲオルグ教区学校に入学し15才から18才までの3年間ラテン語の勉学に励んだ町です。この町で、ルターは早くも一人の夫人の心を捉えました。ルターは教会や街道や家々の門前で歌を歌う合唱隊に入っていました。当時、少年たちは、大人になってから慈悲深い人になるために合唱隊に入り、街頭や家の門前で歌を歌い、食物をもらう習慣がありました。ルターは熱心に歌を歌いました。その態度が一人の名家の女性、コッタ夫人の目に止まり、心を動かしたのです。やがてルターはコッタ夫人の手厚い保護を受け、寄宿するようになりました。ルターはコッタ夫人の子どもたちの世話をしたり家庭教師の役割をもしたようです。さらに、名家に出入りする宗教界の人々に接して影響を受け、音楽を学ぶこともできました。ルターは宗教改革の嵐の中で再びこの町のワルトブルク城に起居することになります。ルターはこの町を「なつかしきよき町」と呼んだそうです。  

 

 

 

私は、若き日のルターに目をかけたコッタ夫人に非常に惹かれました。こうした話は珍しくはないのでしょう。近代国家が出来上る前は、社会保障や公的救済は皆無でしたでしょうが、日本はさておき、キリスト教信仰が社会の隅々にまで浸透いた西欧には、心ある富者が社会的弱者を積極的に救済した話はよく聞きます。それは慈善とか慈悲という美しい言葉を作りましたが、コッタ夫人もそうした慈悲深い女性だったのでしょう。その彼女が、知らずして後の英雄ルターに目をかけ、ルターを庇護したのです。ただ通りいっぺんの慈悲ではなく、自分の家に寄宿させて養ったというのですから、ルターの中にあるある種のエネルギーに強く打たれたのではないかと思うのです。ルターは幸いでしたが、コッタ夫人もまた、ルターゆえに幸いな女性であったと思います。『ある人は知らずしてみ使いをもてなした』と聖書にありますが、これも主の不思議の一つではないでしょうか。

 

この町の山の上にそびえたつヴァルトブルク城こそ宗教改革の一つのクライマックスです。ここはローマ教皇から国外追放の命を受けたルターが、友人たちの助力によって城の一室に匿われ、わずか3ヶ月で、新約聖書をラテン語からドイツ語に翻訳した場所だからです。

それまで聖書は一般民衆は読むことができませんでした。難しいラテン語でしたから。しかしドイツ語の聖書ができたのです。人々は自分たちの言語で書かれた聖書を手にすることができました。これはそれまでの宗教界(ローマ教皇を中心とするカトリック教会支配の世界)を根底から揺り動かし、改革の一大原動力になりました。ちょうどルターの聖書を待っていたかのように、グーテンベルグの発明による活版印刷の技術が普及し初めました。印刷された聖書、さらにルターの著した書物は、印刷の力によってドイツのみならず他国にまで行き渡り、改革の推進力の一つになりました。ルターは有能な著作家でもあったのです。

 

 

旅の記録は、写真入りで【レター希望の風】に収録してあります。改めて読み返してみて、忘れていた情景を目の当たりにし、ひと時を楽しみました。今、あの10間を再びと言われても体力はないだろうと思い、自信はありません。

 

 

 

 

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日々の風から 喜べない10月

日々の風から 喜べない10

 

雨の日も晴れの日も神様がくださったのだから感謝し喜ばねばと、理屈ではわかっていてもこんなに雨ばかり、曇りばかりでは空を見上げる度に恨み節が出る。他の地方はどうなのであろうか。紅葉を楽しんでいるのだろうか。その上、大きなおまけがついた。週末台風と妙な異名のついた季節外れの台風が、日本列島を貫通する。愚痴ばかりだが、心底から困惑している。先週の嵐の中の選挙にも不満がいっぱい。心は不完全燃焼の黒い煤でいっぱい。私はお天気病なのだろうか、体にも意志にも力がない。老いのせいにはしたくない。と言ってお天気を犯人扱いにもしたくない。しかし非生産的な10月もあとわずかである。11月に期待しつつ、10月の一日一日を歩めたことに感謝する。31日は宗教改革記念日。今年は発端となった日から500年の大きな記念の日を迎える。この500年を歴史はそれぞれの立場からさまざまに評価するが、私たちプロテスタントにとってはルターとルターを用いた神様への感謝を忘れてはならない。明日は特別な礼拝をささげる教会もあるようだ。

 

『義人は信仰によって生きる』。この一言に無限の喜びを覚える。

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日々の風から 来る日も来る日も雨ばかり

日々の風から 来る日も来る日も雨ばかり

 

どうしてこんなに雨ばかり降るのでしょう。振り返ると8月も、9月も、そして10月も20日になるのに雨ばかり。からりと秋晴れになった日はほとんどありません。こんなことってあるでしょうか。ずっと梅雨の続きみたいですが、気温はぐっと下がって60年ぶりの寒さとか。一気に防寒具です。ダウンを着込んで手袋までしている方も見かけます。それなのに大型台風が日本列島を狙っている始末です。なんとなく落ち着きません。

 

 

 

昨日は地方まで知人を見舞った。思いがけない病名を付けられて気落ちしている。当然である。私が押し掛けたところでなにができるわけではない。それは十分承知しているつもりである。メールや電話はたびたび交し合っている。だがそれだけでは満足しない心がある。顔を見る。顔を見せる。目と目が合う。そこに通い合うものはいかなる文明の利器もかなわないのではないか。しぼんでいた知人の頬が心なしかふっくらして来た気がする。話す声に力が入ってきたのを感じる。うれしいではないか。滞在時間は往復の時間よりずっと短かった。だが長居は無用である。潔く立って降りやまぬ雨の中を帰ってきた。祈りを置き土産にして。

 

 

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書林の風から 雑読の楽しさ【カメラが撮らえた幕末300藩「藩主とお姫様」】

日々の風から 雑読の楽しさ【カメラが撮らえた幕末300藩「藩主とお姫様」】

 

図書館へ行くと思いがけない本に出会う。本命のものは予約しておき連絡が来ると借りに出向くのだか、それだけで帰ってきてしまうのはもったいない。そこでひとしきり館内を巡り歩くことになる。昨今は幕末から明治初期に生きた女性たちを拾い読みしている。会津若松の新島八重、大山捨松など有名人はいくらでも本があるから楽しめる。昨年、思い立って冊子にした「若松賤子」は資料が少なかったので書く気になった。そのつながりで、興味深い女性たち浮かび上がってくる。

 

今、机上にあるのは【カメラが撮らえた幕末300藩「藩主とお姫様」】と題する文庫本サイズの本である。カメラが撮らえたとある通り、ほとんど全ページが写真なのだ。大名家の藩主とお姫様たちが美しく盛装してカメラに収まっている。驚いてしまった。御姫様(奥方様)は和装の人もいるが鹿鳴館時代の方はヨーロッパの宮廷の貴婦人たちのような夜会服を着ている。一人ひとり見応えがあり、数奇な生涯が紹介されている。最初に登場する姫は徳川慶喜の長女鏡子である。大河ドラマになった篤姫は「大奥に送り込まれた島津の姫君」とのコメントで全身写真もある。会津の箇所では紋付き袴で帯刀した新島八重の写真があり、坂本龍馬の妻お龍、姉の坂本乙女も登場している。コメントによれば、乙女は身長5尺8寸(約174センチ)体重30貫(112キロ)の大柄な女性だったとのこと。

 

維新前後の大混乱の激動の時代に、肖像画でなく写真を写したことがまず驚きであり、それらが残されており、さらにコンパクトな一冊にまとめられているのは、私にはほとんど驚異でしかない。藩主とその妻(姫時代の実家に当たる藩の様子)の生涯はドラマ以上のドラマであり、美しき姫たちが時代の犠牲にされながらも気丈に生き抜く姿には、深く感動する。女性は強いと思う。芯の強さに勇気付けられる。読むだけでとても記憶にとどめて置くことなどできないから、いつでも見られるようにそばに置いておきたい。

 

 

 

 

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日々の風から 映画「アメイジングジャーニー神の小屋より」

日々の風から 映画「アメイジングジャーニー神の小屋より」

 

久しぶりに映画を見た。春にこの原作の本を読んでいた。本は「The Shack 神の小屋」

という。興味深く面白く読んだ。その映画化である。原作はウイリアム・ポール・ヤング(William Paul Young)といい、敬虔なクリスチャン。作家を目指していたわけではなく子供のクリスマスプレゼントに書いた物語だったとか。それを数人の友人が読んだところ、あまりに好評だったので刊行することにした。出版当時は全く売れず、彼の名を知る人はゼロに等しかったが、一部の熱狂的な支持者によって瞬く間にベストセラーになった。ニューヨーク・タイムスでも、20086月から2010年の初めまでの、最も売れた書籍として紹介している。

 

原作は、キリスト教の三位一体(父と子と聖霊)の概念を取り入れていてそれがストーリーの中心を構成している。しかしながら、三位一体の解釈を巡って物議を醸しだし、大々的に「The Shack」をボイコットしようとする動きもあったそうである。総じてキリスト教を汚しているとの意見も出ているという。

 

そうした賛否はさておき、普通のクリスチャンならすんなりと受け入れられる。多くの場合、三位一体の神の教理を知りながらも、文字や講義で説明されても具体的なイメージが浮かばず、難しい教理だというくらいで素通りしているのが実情だと思うから。

 

映画では、三位一体の神が、一人一人の人間として登場する。一つ小屋にうるわしい関係で住みながら、それぞれの働きを絶妙な調和でなしていく。神は黒人のふくよかな女性。その神を「パパ」と呼ぶ。女性なのにママではない。原作者の深慮が見える。愉快な設定である。しかしこんなことろはとうてい受け入れられない人たちもいるだろう。イエス様は中東の青年が演じる。聖霊はすみれという日本人女性。この三人が、憎しみに燃える一人の中年男性と生活しながら彼の魂に働きかけていく。ついに彼は娘を殺した憎い犯人をゆるしますと告白するまでに至るのである。三位一体の神との交わりの中に真の解決がある、平安と解放がある、喜びがある。私にはすんなりと受け入れられる真理である。観ていて楽しかった。

 

もちろん「本」も「映画」もいわゆるキリスト教の匂いがプンプンする。鼻に付いたら本も読めないし映画も見られないだろう。三位一体を知らない方々がみたらどうだろう。それでもそれなりに深いものを得るだろう。神の愛を信じられたら、たとえ敵でもゆるせるところに心を揺さぶられるだろう。こうした「本」がベストセラーになり、「映画」まで作られるアメリカの文化、キリスト教文化の奥の深さ豊かさをうらやましく思った。

 

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日々の風から 待望の10月スタート

待望の10月スタート

 

月が変わって最初の日に記事をあげたいと毎月思っている。月の最後の日には感謝と別れのあいさつを、新しい月には期待と歓迎のあいさつをしたいと思うが、最近は手際よく物事を進める能力が鈍っておたおたし、この両日に失礼している。9月は大きな行事をこなすことができ、いつまでも思い出に残る感謝あふれる月になった。体調を崩すという招かざる客の到来もあったがこれもまたセットになって記憶に留まるだろう。

 

新しい月を歓迎する。神さまは何事があっても歴史の先頭に立って進んで行かれる。個々人にとってうれしかったこともつらかったことも、大御心に包み込んで深いあわれみの内に先へ先へと歩みを進められる。神の歩みにへばりついてこの月も歩んでいきたい。10月は気候的には最高に過ごしやすいはず。ちょうど5月に相対するのではないか。今年は8月、9月が異変続きだった。雨が多くて梅雨時のようだった。これが私の体調を狂わした大きな原因だと思っている。

 

この10月は、早々から身勝手な解散劇のために小さな狭い日本の国が振り回されている。「おごれるものは久しからず」の大風が吹くことを願っていたがひとまずそのようになること希求する。とってかわる新しい勢力が何をするかわからないが、神様は見ておられる。それもまたいつか「風の前の塵に等し」のルールから外れることはないだろうが、祈りつつ見つめていきたい。私の体調はほぼ回復した。いのちの主に感謝するばかり。爽やかな秋風と澄み渡る空の青さを楽しみながら人生にたった一度の2017年10月を主とともに歩んでいきたい。

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日々の風から 65周年後日物語

日々の風から  65周年後日物語

 

実は不覚にも19日当日一週間前から思わぬ発熱頭痛に襲われていた。かかりつけ医から総合感冒薬を出されたが症状は改善しない。見切り発車で当日を迎え、会場に急いだ。たぶんさえない顔であったろうが、ともかくも役は果たした。帰途は歩く力もなく、限界を感じて途中からタクシーを使い家に転がり込んだ。幸い娘夫婦がいたので、いざというときにお世話になる都立病院の夜間救急外来に運んでもらった。行き届いた問診があり、診察があり、適切な薬が処方された。その夜の内に症状が治まった。その後一週間、微熱は続き、ようやく、この数日体調体力に手ごたえを感じている。「心は熱すれど、肉体は弱し」みことばの前に静まりつつ、あわれみ深い神からのいのちが注がれているのを感じつつ、静かな時を過ごしている。

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風の仲間たち 「日本クリスチャン・ペンクラブ」創立65周年記念感謝会

風の仲間たち 「日本クリスチャン・ペンクラブ」創立65周年記念感謝会

 

 

16日土曜日、台風18号が九州から不気味に進行中の朝、東京は前日の雨も止んで外出には支障のない日よりとなった。会を主催する側にとっては、当日は最高に緊張が高まる時だ。うれしさというよりも、戦場に行くような気持ちである。ついにその日だ、一日が波乱なく済むようにと願うばかり。「水汲むしもべ」に徹するべく当日の準備のために早くから家を出た。

 

お客様の見える前にすべて整った状態にしておきたい。あたふたしているところはお見せしたくないと願う。しかし時間は限られている。そこであらかじめ一日と流れと自分の担うところを一覧にして配布し確認していただいていた。開室と同時に部屋に入ると、正面に設定された今日の会を記した真っ白な釣り看板が大きな文字で迎えてくれた。まずは一安心。

 

見とれているうちに皆さんが流れるように、熟練した作業員のように、またたくに会場が整った。テーブルや椅子は、あらかじめの配置図のように出来上がった。受付には座席表も用意した。いの一番に、いちばん遠方の関西からペン友が入場となった。5年ぶりなのに、昨日もお会いしたような気がしてくる。それでいてなつかしさが熱くこみ上げてくる。会うっていいな、再会ってすばらしいなと胸が詰まってくる。   

 

午後から講演してくださる本日の賓客、船本弘毅先生とご夫人が到着され、私には最高に心張る一瞬であった。講師をお引き受けいただいてから半年余り、お手紙で、お電話でなんども往来があり、すっかり親しい気持ちを抱かせていただいた。高名な方なので実名を記す。実は本来なら私たちのような小さな会がお招きできるような方ではない。神さまの不思議な導きで実現に至ったのである。いくつかのエピソードがあるが、残念ながら省略する。

 

プログラム通り、予定通り11時に開会となった。まずは、いつも例会ように、礼拝を御願いしている親友のY女性牧師から説教いただいて、一同主の御前に頭を垂れた。最後に最長老87歳の今日まで一度も例会を欠かしたことのないK兄に感謝の祈りをしていただいた。

 

さて、いよいよ感謝の昼食会である。12時はスタート。それまでに配膳がある。ここで時間をロスしたくない。しかし、願った以上に静かに手際よくお昼が並べられた。お弁当もお茶も予定通りに届けられていた。お客様たちは三々五々席を立ったりして友人たちとお話をし、歓談されていていた。ごく自然にそうした流れができて、ここにもほっとした。

 

司会の姉妹のリードで賛美と祈りがささげられ、小さなどよめきの中でいっせいにお弁当の蓋が開いた。食べているときは至福の時、だれも怒りながら食べる人はいない。座はますます和やかに華やかに包まれていく。いつも思う、神様の下さった恵みの中で、食べることは思う以上に大きな位置を占めるのではないかと。

 

食べながらであるがプログラムは進んでいく。「賛美タイム」である。仲間内で音楽の賜物のある方が演奏してくださる。外部の演奏家ではない。そこが我が会の頼もしいところ。もちろんリーダーの姉妹は、いくつかのコーラスグループを率い、ソロ活動もされているプロであるが、ここでは奉仕者の一人である。姉妹がテーブルにやってきて、予定より一曲よけい歌いたい、最後に全員で「アメイジンググレイス」を賛美したいがという。姉妹は会場の雰囲気をつかむのが上手である。会を盛り上げ楽しませてくれる。OKを出す。

 

私は姉妹に特別に一曲を注文していた。最近、他のところで知り、ぜひ65周年には歌っていただきたい思いがあった。ヘンデルの「ああ 感謝せん」である。この65周年にこの賛美をもって主に心からの感謝をささげたかった。姉妹はみごとにご自分の歌にして歌いきってくださった。私はたった一人で聞いているような心の深まりを覚えながら聴き入った。

 

ああ 感謝せん ああ 感謝せん

わが神 今日まで 導きませり  アーメン。

 

げに主は わが飼い主

強き手もて われを守りませり

 

ああ 感謝せん ああ 感謝せん

わが神 今日まで 導きませ離り

 

 

プログラムは順調に進んでいる。いよいよこの日のメイン、特別講演「書くこと、話すこと、伝えること」の時間がやってきた。わずかな時間に、かねて打ち合わせておいたように、手早く机上のお弁当の空箱やお菓子の包み紙などが集められ、昼食会は終了。ゴミはどんどん地下に運ばれ、会場はすっきりした。

 

先生のお話は歯切れよくわかりやすく、ひとつひとつ心に落ちた。と言っても克明にメモを取ることもなく、残ることを期待しながら聴き入った。ルターはじめ、古今の偉人たちが顔をのぞかせ、エピソードの花が咲き、時間の経つのを忘れた。ひとつ記憶にあるのは、長野県と言えばかつては岩波文庫が一番売れた読書県だった。今は書店のない、下から二番目とか。これには驚いた。

 

私たちは「読まず、書かず、話さず」の現実の中にいる。重大な時代に生きている。ペンクラブはこのただ中にいる。この中で、借り物ではなく、自分の信じていることを書く、確たる答えをえるまでは一歩たりとも引かない、その覚悟で書くことである。聖書の言葉を正しく伝えることが最も大切である。宗教改革はそこから始まったと、締めてくださった。

 

我が意を得たりであった。不器用と言われようと、頑固と言われようと、面白くないと言われようと、真理は一つである。イエス・キリストの福音を言葉に綴るほかはない。師の渾身のメッセージに何を付け加えようか、すべては蛇足である。終わりのあいさつなど要らない。賛美と祈りで短く閉じた。

 

当日キャンセルは一人もなく全員出席。こんなことは珍しいのではないか。

 

ああ 感謝せん ああ 感謝せん

わが神 今日まで 導きませり  アーメン。

 

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